« 1364 中国は見る(651) 北朝鮮が核実験(2) | Main | 1366 中国は見る(653) 日本で節約ブーム 不景気のため倹約生活を実践 »

1365 中国は見る(652) 内藤大助 5度目の防衛 辛勝

1.熊朝忠 日本のチャンピオンに惜敗 中国人初の世界王者になれず

.熊朝忠 日本の王者をダウンするも判定負け アウェーのインチキ判定で

1.熊朝忠憾日拳王 中国男拳首冲金腰未果

2009052700:00 来源:搜狐体育 作者:大堡礁

2.熊朝忠倒日本拳王仍被判 规则搞鬼

2009052623:55    

1.熊朝忠 日本のチャンピオンに惜敗 中国人初の世界王者になれず

10 捜狐スポーツ:526日、世界三大プロボクシング協会のトップクラスのタイトルマッチに初挑戦の中国人ボクサー・熊朝忠は、東京で行われたWBC世界フライ級ボクシング王者に挑戦したが惜敗した。 日本の王者・内藤大助が5度目の防衛に成功した。

熊朝忠は、3年前にボクシングを始めたばかり、身長はわずか1.55メートルだが、これまでの戦績は121敗1分けの輝かしい成績を持ち、日本のメディPhoto_3 アから“小さなタイソン”と言われている。 去年4月、熊朝忠は四川瀘州で行われたWBC世界の地域王座タイトル戦で、相手のタイ国選手を3分しないうちに打ち倒しチャンピオンとなった。 しかし、34歳の内藤大助と比べると、熊朝忠は実力と経験からも、明らかに開きがあり、しかも今回の試合が、内藤大助の“ホームグラウンド・日本”で行われるPhoto_4 ため、熊朝忠にとっては地の利と人の声援がないことになった。 本来今回の試合は、上海で行われるはずだった。 しかし、試合の運営上問題が生じ、最終的に試合会場を東京に移し行われることになった。

11 試合は12回戦で行われた。 第1ラウンド、内藤大助は積極的に動いた。 足は敏捷だし、しきりに左フックでチャンスを狙っていた。 内藤大助にしろ熊朝忠にしろ、この回は相手に打撃を与えられなか12 った。 第2ラウンド、内藤大助は左右のフックを繰り出したが、熊朝忠も機敏に動き、守りも十分、ただ最後に日本のチャンピオンに点数を取られた。 第3、第4ラウンド、内藤大助の攻勢が続いた。 4ラウンドが終わった後、3人の審判の判定は、内藤大助が38‐37、39‐36、39‐36でややリードしていた。

Photo_55ラウンド、内藤大助は動きを少なくし、リーチ14.5センチメートルの熊朝忠より長い腕を十分に活用し、しきりに相手にジャブした。 熊朝忠もチャンスを狙って攻め、この回、内藤大助の右目じりがざっくり切れ血が流れた。 第6ラウンド、熊朝忠は更に猛攻し、内藤大助をダウンさせた。 だが、この日本のベテランは、審判のカウント8で立ち上がった。 8ラウンドまでで、内藤大助は75‐74、75‐74、76‐73で少しリード、しかも両目は熊朝忠に傷を負わされていた。

Photo_6 傷を負ってはいたが、内藤大助は少しも影響を受けず、最後の数ラウンドはしきりに熊朝忠の顔面に強打を浴びせ有効点をかせいだ。 最後の12ラウンド終了後、3人の審判は一致して内藤勝利を判定した。 しかし、日本のメディアが発表した有効な打撃数から見ると、熊朝忠は“惜敗”と言える。 、タイのスリチャロン審判は111‐113、韓国の13 金在奉は111-114、日本の審判は110-114だった。 こうして、熊朝忠のタイトルマッチは失敗に終わった。 内藤大助は34歳08ヶ月の“高齢”で、日本ボクシング界の最高齢タイトル防衛成功者となった。

試合後、内藤大助は勝っても笑顔はなく、“私は見くびっていたわけではないが、ちょっとリズムが違った。 ボクシングは苦しいスポーツですよ。 いい試合を見せられず、試合を見に来てくれたファンに申し訳ない”と語った。 熊朝忠は、“初めての世界戦で緊張した。 チャンスがあったのに、掴めなかった。 残念です。 もしまた挑戦のチャンスがあったら、次は絶対にチャンピオン・ベルトを中国に持って帰る!”(捜狐スポーツ 礁)

.熊朝忠 日本の王者をダウンするも判定負け アウェーのインチキ判定で

Photo_7 スポーツ界ネット:26日夜行われたWBC世界フライ級タイトルマッチで、世界王座初挑戦の中国の熊朝忠と日本の世界フライ級王者・内藤大助との12ラウンドが行われた。 相手にフックを入れ、1度はダウンさせた。 しかし、これらすべては最後のアウェーの規定で判定負けとされた。

Photo_8 WBCのこの試合は、本来5月26日、中国上海で行われることになっていた。 しかし日本のメディアの報道によると、賛助不足のため、試合2日前、上海で予定通り開催することができないことがわかり、急遽日本で試合が行われることになった。 

Photo_9 熊朝忠は、雲南ミャオ族の選手で、中国WBCフライ級順位は10位である。 去年、成都でWBCのこのランクの地域王座タイトル戦で王者のタイトルを獲得した。 今回は、中国のプロボクサーとして初めての世界王者への挑戦だった。

Photo_104ラウンドの試合で、熊朝忠が反撃を開始した。 内藤はKOを狙いリーチ差を生かし左右ジャブで攻めた。 しかし、内藤は左目の目じりにフックを受けた。

5ラウンド、内藤はまた距離をとり、熊朝忠を近づかせない戦略、熊朝忠が追撃しようとした時、内Photo_11 藤のジャブがきれいに熊朝忠に命中した。 しかし、熊朝忠のフックも内藤の右目の上に当り、両目から血が流れる。 当ラウンド終了前、内藤は再度の右フックの強打を受けた。

Photo_126ラウンド、内藤は奇襲戦略をしようとしたが、逆に内藤は熊朝忠の強烈な右フックを浴びダウン、レフェリーに8カウント数えられた。 

7ラウンド、内藤は反撃を始めて、連続して2回、右からのジャブで点数を取った。

12回戦終了した最後の結果は審判が勝敗を決定する。 しかし、日本、韓国、タイで構成される3人Photo_13 の審判の判定は3対0で、内藤勝利との意外なものだった。

日本の世界ボクシング王者の内藤大助は、試合後、ファンに向かって謝罪した。 “しょっぱい試合ですいません。 これが私の実力だと分かった。 上には上がある。 世界に弱いボクサーはいない。 私は試合前に相手を見くびってはいなかった”

6 試合後、日本のメディアの取材を受けた熊朝忠は、“初めての世界戦で緊張した。 訓練中の実力を出し切れなかった。 試合中、チャンスがあったのに、掴まえられなかった。 とても残念です。 また次に機会があれば、絶対にベルトを中国に持って帰ります”と述べた。 彼のマネージャー・劉剛則は日本のメディアに対し、“チャンスがあれば内Photo_14 藤ともう一回試合がしたい”と語った。 もし、今回の試合が中国で開催されたなら、熊朝忠の勝利は明らかで、彼はプロボクシングのインチキ規則に負けたのだ。

歴史上日本で、いわゆる世界ボクシング王者が日本国内の判定で、首位の座を守った記録が少なからずある。 たとえば1992年鬼塚勝也はホームグラウンドでの“疑惑の判定”でWBAスーパーフライ級の王座を獲得した。 1993年、彼と韓国の林在新がタイトル防衛戦を戦った時、また二人の日本の審判によって21で辛うじてタイトル防衛に成功した。 林在新が唯一勝ったのはパナマの判定でだった。 1994年、鬼塚勝也は韓国の李承九とのタイトル防衛戦でも、12ラウンド後の勝利判定が、相手側の猛烈な抗議に遭った。 李承九は試合後皮肉ってこう言った。 “日本でベルトを取りたければ、日本の選手をリングにダウンさせ起き上がれないようにしないとダメだ” その半年後の9月、もう一人の韓国選手の李炯哲が鬼塚をコーナーに追い詰め、サンドバッグを打つように1分以上連打を浴びせ続け、レフェリーが試合をストップし、ついに世界王座を手放すこととなった。

1.熊朝忠憾日拳王 中国男拳首冲金腰未果()

2009052700:00 来源:搜狐体育 作者:大堡礁

搜狐体育 北京时间526日,作首位向世界三大职业击协顶级金腰带发起冲的中国男拳手熊朝忠,在行的WBC世界最拳王挑战赛中惜,使得日本名将内藤大助第五次成功冕保住了拳王头衔

熊朝忠三年前才始从事拳,身高1.55米,不此前其职业生涯却取得了1211的傲人战绩,并被日本媒体称作小泰森。去年4月,熊朝忠在四川行的WBC世界职业拳王争霸上,不到3倒了泰国手卡瑟取了WBC的洲金腰。不34的内藤大助相比,熊朝忠无力和经验上都与手有着较为的差距,并且此役被安排在内藤大助的行,因此熊朝忠更是失去了地利和人和的优势得一提的是比划在上海行,但由于事推广方面出现问题,最才将比行。

12个回合。第一回合,内藤大助便表得极,不但伐灵活,并且频频用左刺拳找机会,不是内藤大助是熊朝忠都未能在本回合给对实质性的打。第二回合,内藤大助始祭出左右勾拳的合拳法,不熊朝忠移灵活,防守也较为严密,只是在最后刻才日本拳王拿到分数。第三和第四回合,内藤大助攻更猛,但前四回合束后,三位裁判出的判是内藤大助38-3739-3639-36的微弱优势领先。

第五回合,内藤大助减少移,充分利用臂展出熊朝忠14.5厘米的优势不断打击对手,但熊朝忠也伺机攻,并在本回合将内藤大助的右眼角打破血。第六回合,熊朝忠更是利用猛攻将内藤大助倒,不日本老将在裁判数了8下后起身。前八回合后,内藤大助75-7475-7476-73稍稍先,并且两眼均被熊朝忠打了口子。

然受,但内藤大助并未受此影响,在最后几个回合不断重熊朝忠的面部拿到了有效点数。最后在12回合束后,三位裁判一致判内藤大助出,不根据日本媒体公布的有效打来看熊朝忠可,泰国裁判斯里差恩判111-113国的金在邦111-114,另一位日本裁判110-114这样,熊朝忠冲金腰便以失,而内藤大助也以348个月的了日本拳手中年最大的冕成功者。

后,内藤大助并未因出而感到高发现熊朝忠很打,我没有小看他,但拳却是一苦的体育目。我没有打出一很好的比,我感不起来看比的那些拳迷。熊朝忠表示是我第一次挑世界冠军头衔,所以感有点紧张。我有机会但却没能把握住,我真的感非常失望。如果我以后有机会挑,我肯定将会将冠金腰带带回中国!(搜狐体育 大堡礁)

2.熊朝忠倒日本拳王仍被判 规则搞鬼

http://sports.QQ.com  2009052623:55    

26晚间进行的WBC世界拳理事会最中,中国首位世界职业者熊朝忠与日本的世界拳王内藤大助大12个回合。随打封手的双眼并一度将倒在地。但是一切最规则,被裁判

原本WBC指定这场安排在526日中国的上海行,但据日本媒体,由于缺乏助,2天才得知无法在中国的上海照常行,最只能到日本行比

熊朝忠是云南苗族手,他在挑之前只排名WBC的第10名。去年才在成都WBC该级别的洲拳王金腰是他第一次,也是中国职业第一次有格向世界拳王挑

在比第四回合始,熊朝忠发动了反,内藤大助背上了包袱,只是用左右勾拳力距离。但是是在一拳空后左眼眼角被中了。

第五回合,内藤再次明确了拉距离,不熊朝忠靠近的略,熊朝忠追候,内藤的刺拳非常漂亮地打中了熊朝忠,但是熊的上拳也中了内藤的右眼上部,使其双眼流血,在本回合束前内藤再次受到了右拳的烈打

第六回合,内藤用游走偷袭,但他的面部遭到了右下勾拳的重跪地,被裁判数了8点。第七回合,内藤发动了反连续两个右刺拳得了点数。

12战罢,最终结果由裁判决定胜负。不令人意外的是日本、国和泰国成的三人裁判30判定内藤利。

后,日本世界拳王内藤大助向到的拳道歉打了一看的比,但是是我的力了,山外有山,世界上没有弱的拳手,我在前也并没有小看手。

后在接受日本媒体采访时,熊朝忠表示:是第一次挑世界拳王,有些紧张,我没有发挥出自己训练中的全部力。在比中我有机会,但是没有捕捉到,在是很憾,下次如果有机会的,我一定要拿着金腰回中国。而他的经纪人刘刚则对日本媒体希望有机会能和内藤再量一次。然,如果这场是在中国行的,熊朝忠的利是而易的事情了,他只是败给职业中的潜规则

史上,日本不少所世界拳王都有在国内靠裁判冕的纪录。比如1992年鬼冢也就是靠着主疑惑的判得到WBA金腰的。1993年他和国的林在新打候,又是靠着两名日本裁判的保21才辛苦冕成功,而惟一判林在新获胜的是巴拿裁判。1994年鬼冢也在和国的李承九打候,也是12回合后判定利,遭到了手的猛烈抗。李承九要想在日本取金腰,非要把日本手打在地上爬不起来才行。果半年后的9月,另一名国拳手李炯哲将鬼冢网上像拳袋子一足足打了一分,裁判不得不中止比他交出了金腰。(天一)

|

« 1364 中国は見る(651) 北朝鮮が核実験(2) | Main | 1366 中国は見る(653) 日本で節約ブーム 不景気のため倹約生活を実践 »

スポーツ」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 1364 中国は見る(651) 北朝鮮が核実験(2) | Main | 1366 中国は見る(653) 日本で節約ブーム 不景気のため倹約生活を実践 »