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1297 中国の三面記事を読む(560) ブルース・リーのカンフーの先生 葉問 (下)

武芸大師 葉問 伝奇:本当に日本の名手と戦ったのか?

武学大问传奇:真与日本高手打?

2009-01-12 08:36:30 来源: 人民网-人民日海外版(北京) 网友评论 79  击查

門弟が多い

Photo_4 1949年、葉問は香港を訪れ、ホテル組合の梁相理事長と知り合った。梁相は武術の愛好者であり、葉問を師と仰ぎ、拳法を学んだ。 また葉問に九竜にあるホテル組合で公開で教授するよう頼んだ。 入門者が多くなったため、葉問は再三道場を拡大し、また夜間指導も行い、何軒もの武道館へ教えに行ったりした。

彼の存命中の最後の22年間、葉問は香港・マカオ・台湾地区で詠春拳を大々的に広めただけでなく、詠春の種を世界各地にばらまいた。 彼は生前、梁相、ブルース・リー、黄惇梁などのすばらしい弟子を育成した。 特筆すべきは、映画界で、葉氏門下のスターが数多くいることです。 ブルース・リーの外、王家衛、周星馳、トニー・レオン(朝偉)、Dillon龍)などは、いずれも葉氏の継承者と言える。

葉問の弟子の中で、抜群に優れた人物は、中国武術で世界に名前を知られたカンフー・スターの巨星・ブルース・リーである。 

Photo_5 1956年、16歳のブルース・リーは葉問の道場に入門した。 その当時、ブルース・リーはすでに評判の高いスターだった。 彼が道場に来た時、その格好はまともではありませんでした。 洋服に3 サングラスをかけ、髪の毛はぴかぴかに光っていました。 最初、兄弟子の黄惇梁(テレビドラマ《ブルース・リー伝奇》の兄弟子“忠良”のモデル。 カンフーの名手で、葉問の道場へ“道場破り”に行き、葉問に負けた後、その門下に入った)が、彼の練習を指導した。 黄はブルース・リーを一目見て長続きしないと思った。 果たして、一週間後、ブルース・リーは無味乾燥な馬歩(歩幅を狭く歩く)と単純な訓練に耐えられず、黙ってやめて行った。

おかしいことに、半月後、ブルース・リーはまた戻ってきた。 黄惇梁がいろいろ聞き質したところ、彼が数日前、外である男と勝負をした。初っ端な相手から猛烈なパンチを浴び気を失いそうになった。 ブルース・リーはとっさに詠春で習った“日字連環衝拳”(この拳法は映画《葉問》の中で甄子丹が見事に演じていた)を使って相手をやっつけた。 ブルース・リーは詠春拳のすごさを認識した。 それ以後、彼は真剣に学ぶようになり、サボることなく、ひたすら練習に没頭した。 街を歩く時でさえ拳術の練習をしながら歩いたので、道行く人は驚いて見ていた。

ブルース・リーがアメリカへ行き活動を始めた後も、引き続きカンフーの研究を続けていた。 何か納得できないことがあると、国際電話で葉問に教えを請うことがあった。 これらの知識や道理は、その後彼が創立した“截拳道”の中にすべて集約された。 人々は、ブルース・リーの武術の腕前に驚いているが、その中に葉問の功績があったことについては誰も知らない。

一代の名師

葉問は普段のふるまいは上品で気前が良く、あか抜けして洒脱なところがあり、武術界の達人には見えなかった。 彼はあまり話をする方ではなく、彼自身“口下手”だと認めており、大勢の人の前で、話す時は、“口がからからに乾いてしまう”と言っていた。

練習以外では、葉問は弟子達や親しい友人と茶楼で「飲茶」(ヤムチャ)をすることが好きだった。 それ以外には、たまにマージャンを楽しんだ。 夏には、葉問はコオロギの勝負を見るのが好きだった。 広東のコオロギはとても勇猛でよく戦い、二匹のコオロギは数十ラウンド戦うことができた。 一方のコオロギは、足がすべて断ち切られても、勇猛に戦い相手をやっつけた。 闘犬も好きだった。 葉問は闘犬を見る時は、よく「蛇形刁手」(SNAKEY MONKEY)の名手・梁家芳と行くことが多かった。 彼と葉問は同郷で、親しい間柄と言える。

1972年、葉問は亡くなった。 詠春の門人達は彼を詠春派の一代の名師として敬った。

その子・葉準、葉正は父の仕事を受け継ぎ、海外に詠春拳法を広めることに力を注いでいる。 現在、葉準とその弟子は、世界60数ヶ国で詠春拳家法道場を3000ヶ所も所有している。

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詠春拳は少林直系の武芸の一つで、詠春は創始者の厳詠春の名前から取った。 厳詠春、清朝末期の人。 幼少の時、父親厳二と広西大涼山の麓で豆腐屋の商売をしていたが、その後、南少林から大涼山へ逃れ白鶴観の五枚大師の下で修行していた。 その後、蛇と鶴が闘うのを見て、拳法の道理を悟り、武芸を大成した。 厳詠春は、五枚大師にこの拳法の命名を頼んだ。 大師は、“あなたの名前は詠春です。 詠春と名付ければいいでしょう” それから、“詠春拳”の名前が正式に誕生した。

厳詠春は結婚後、その武芸を夫の梁博伝え、梁博はまた甥の梁蘭桂に伝えた。 梁蘭桂は更に黄華宝と梁二に伝えた。 その後、梁二は広東佛山の名医・梁贊に技を伝えた。 梁贊は朝夕練習に励み、武芸はめざましい勢いで発展した。 遠近の武術界の名手達がその名を慕って試合に訪れたが、みな彼に打ち負かされた。 その当時の人々は、彼を“佛山の贊先生”、“南海の拳王”と呼んだ。 この時から、詠春拳の名声はますます広まった。

梁贊はこの武芸を息子の梁壁と弟子・陳華順に伝授した。 陳氏は一生の間に伝授した弟子は16人に上るそうだ。 葉問はその門下生である。葉問の門下では、ブルース・リーがずば抜けて優れている。

武学大问传奇:真与日本高手打?

2009-01-12 08:36:30 来源: 人民网-人民日海外版(北京) 网友评论 79  击查

生众多

1949年,叶来到香港,认识店公会理事梁相。梁相也是武术爱好者,他拜叶问为师,学拳法,并在九店公会公开传授。由于求学者众多,叶再三地,分出晚间若干段,到多家武馆执教。

在他生命中的最后22年,叶不但在港澳台地区将咏春拳发扬光大,更将咏春子撒落到世界一个角落。他生前培出了梁相、李小、黄惇梁等一班出色弟子。尤其得一提的是,在影界,叶氏下明星众多,除了李小外,王家、周星、梁朝、狄等人均可算是叶氏人。

弟子中最出拔萃者,当属中国武术闻名世界的武打巨星李小

1956年,16的李小拜入叶问门下。当李小已是有名气的小明星,他到武馆时,打扮非同一般:穿着西装,戴着墨头发抹得亮。最初,由兄黄惇梁(电视剧《李小龙传奇》里大忠良的原型,原一拳高手,上叶被叶问击败后拜入其)练习。黄一到李小,就认为持不了多久,果然一个多星期后,李小枯燥乏味的扎马步式操不耐了,不辞而

奇怪的是,半个月后,李小又回来了。黄惇梁细问才知道,几天前他在外跟人比武,一开头就被方打得,情急之下李小想起学到的咏春日字连环冲拳”(此拳法在影《叶》中甄子丹有精彩演示),他施展拳法打败对手。李小龙认识到了咏春拳的害。此后,他全身心投入,从不缺,甚至达到痴迷的地,在街走路的候也是打拳走,常令路人目。

李小去美国展后继续钻研功夫,有什疑惑就打越洋电话回来向叶问请教,并把些心得全部融会通在他后来立的截拳道中。世人都惊奇于李小的武学修,却不知其中也有叶的一份功

一代宗

时举止斯文大方、洒倜,看不出是武林高手。他不大喜欢说话他自己也承口才不大好,若要他在大庭广众之下几句,他便会感到口干舌燥

除了武之外,叶和三五弟子或好友在茶楼茶。此外,偶会打几圈麻将。仲夏之,叶看斗蟋蟀,广的蟋蟀非常勇猛善,两蟋蟀可以大数十回合,有的蟋蟀的腿都被打断了,仍然勇猛搏。看斗狗是他另一好,叶看斗狗,多是与另一武林高手同去,他就是蛇形刁手梁家芳,他与叶,可是至交。

1972年,叶逝世。咏春人一致推崇他咏春派一代宗

其子叶准、叶正承父,致力于向海外推广咏春拳。目前,叶准及其弟子在世界60多个国家组织有咏春拳会近3000家。

(摘自20091月《球人物》,作者咏春第八代)

关链

咏春拳乃少林嫡武技之一,咏春取自始人咏春之名。咏春,清朝末年人。自幼与父亲严二在广西大凉山下经营豆腐买卖,跟随从南少林避居大凉山白鹤观的五枚大师习技。此后因相斗而悟出拳之道,武大成。咏春五枚大师为拳命名,大答曰:你既名咏春,将咏春命名此拳可也。由此,咏春拳之名正式生了。

咏春婚后,将武艺传于夫婿梁博,梁博传给侄子梁桂,梁桂再传给宝与梁二娣。之后,梁二娣广佛山名医梁,梁朝夕研,武近武林高手慕名前来比武者都被他打人称之佛山先生,并有南海拳王之誉。自此,咏春拳声名播。

将武艺传给其子梁壁与徒弟陈华顺。据称,氏一生所弟子16人。叶是其关门弟子。而叶问门下,以李小拔萃。

球人物特撰稿  

(本文来源:人民网-人民日海外版 )

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