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1285 中国の三面記事を読む(550) 小林多喜二の「蟹工船」 日本でまたベストセラーに

左翼作家・小林多喜二 再評価される

左翼作家小林多喜二再度回

2009-02-20 10:48:25 来源: 网易 网友评论 6 击查

小林多喜二命日(1933年2月20日)

日本作家小林多喜二殉(1933220)

Photo_8 小林多喜二は、1903年10月13日生まれ。 彼の実家はもともとは地主だったが、父親の代になってその裕福な暮らしから没落し、落ちぶれてしまった。 小林多喜二は、小樽で少年時代を過ごした。 人々の苦しみは、この未来の作家の心に強く刻み込まれた。 彼は《龍介と乞食》、《人を殺すPhoto_9 犬》などの作品の中に、少年時代の思い出を克明に再現した。 しかも、この時期の生活は、彼の全創作にとても大きな影響を残した。 1929年、小林多喜二は、天皇制国家の本質を痛烈に批判した傑作《蟹工船》を発表した。 小説は最初《戦旗》に発表したが、日本政府は直ちに発売を禁止処分にした。 しかし、作品は驚異的なスピードで売れ、単行本はあっという間に売切れてしまった。

Photo_10 中国は1930年、真っ先にこの名著を翻訳している。 小林多喜二は中国の読者のために序言を書いている。 戦前の日本は、天皇は最高至上の神で、誰も疑問や不敬行為をすることができなかった。 小林多喜二は、《蟹工船》の中でこう指摘した。 “天皇は、人民の血と肉を絞り上げたものを食べてるんだ”と。 だから、東京の警察は天皇にPhoto_11 対する不敬罪で彼を逮捕し投獄した。 小林多喜二は、1927年磯野の小作農闘争の中から豊富な素材を得た。 そして中編小説《不在地主》を書き上げた。 この小説は1920年代の農村問題のマルクス主義的芸術の総括である。 1920年代末から30年代初めにかけ、日本のプロレタリア文学運動は小林多喜二、徳永直を代表とする創作活動と蔵原惟人、中野重治など傑出した評論家の理論活動で、文壇に大きな影響力を与えていた。 これは日本政府に恐怖を与えることになり、革命文学に対する弾圧を強めることになった。

警察は、また小林多喜二を刑務所に入れた。 1931年1月22日になって保釈されたが、小林多喜二は7ヶ月にも及ぶ刑務所暮しだった。出所後、小林多喜二はまた中編小説《オルグ》、《新女性気質》(後《安子》と改題)と長編《転形期の人々》を書いた。小林多喜二は1931年10月、日本共産党に入党し、作家同盟の党の仕事を担当するようになる。 弾圧が始ってからも、彼は続々と文章を発表し、当時の情勢を分析し、文化運動の発展に指針を示した。 それと同時に、彼はまた組織を回復、整理し、積極的に中国侵略反対、弾圧反対の闘争を展開した。この時期、彼は《地下党員》と《地区の人々》の二つの中編小説を完成した。

そのうち、《地下党員》は、小林多喜二の中国侵略戦争反対を背景とし、自分の地下生活の体験を素材として書いた不朽の名著である。 1933年2月20日、小林多喜二は東京で逮捕され投獄された。 当日夜、彼は拷問を受け、獄中で亡くなった。 29歳だった。 魯迅は小林多喜二の逝去の知らせを受け、悲憤の弔辞を寄せている。 また彼の遺族のため募金活動を行った。 中国左翼作家連盟も抗議文を発表した。 魯迅は弔辞の中で、“日中両国人民は兄弟である。 資産階級は人民をだまし、血で私達の間に大きな境界を造り、しかもそれを引き続き作ろうとしている。 しかしプロレタリア階級とその前衛部隊は自分の血でもって、この大きな境界をなくそうとしている。 小林多喜二同志の死はこの証明である。 このすべてを私達は知っている。 私達は忘れはしない。 私達は小林多喜二同志の血路に沿って、力強く手を取り合って前進しよう”

小林多喜二《蟹工船》の出版

Photo_12 譯林出版社は昨日、日本の作家・小林多喜二が1929年創作した中編小説《蟹工船》を同社が出版すると発表した。 小説の訳者・翻訳家の葉渭渠氏は、現在、西側は金融危機による経済不況の真っ只中にある。サラリーマン階級は《蟹工船》の中に、自分の影を見いだしているようだと述べている。

《蟹工船》は1929年に発表された。 当時、ニューヨーク株式市場は“暗い木曜日”で、世界大恐慌が引き起こされた。 作品は日本社会のどん底でもがく失業労働者、破産農民、貧乏学生と14、15歳の少年が、だまされて蟹工船に乗せられ、非人道的な環境の下でカニを捕り、缶詰加工の労役を強制され、あまりの仕打ちに耐えかね、最後に労働者達はついにガマンできず団結し、監督達と抵抗活動を展開する。 《蟹工船》は、漁民達がバラバラから団結へ、落後から自覚へ、不満から反抗へ、組織してストライキする闘争過程をリアルに書いている。 この作品は蟹工船を舞台にしているが、しかし船上の各階級の代表人物・その中には資本家の代理人である監督の浅川の行動や、“秩父号”の沈没、川崎船の行方不明、帝国軍艦の“護衛”などの話があり、全体として蟹工船と日本社会や国際社会を結び付け、大きな二つの階級の対立と闘争を見せている。 この作品は小林多喜二が世界の名声を勝ち取ったもので、原作出版の翌年にはすぐ中国語に翻訳され、作者は特に翻訳本に序文を書いている。 また同時に、ロシア、フランス、英訳本も次々と出版され、世界各国人民の称賛を得た。

今回の譯林出版社が出版した版は有名な翻訳家の葉渭渠氏が1973年に訳した本である。 出版社の責任者によると、36年後の今日、なぜ再販するかについては、去年からこの本は、日本やヨーロッパのいくつかの国でまたベストセラーになっている。 日本の新聞、テレビ局は《蟹工船》が日本でベストセラーとなっているとことを大々的に報道し、この現象が日本人の間で格好の話題になっている。 従って中国出版界もこのことに関心を持つにいたったと語っている。

葉渭渠氏は、このような現象が現れたのは、世界的金融危機の衝撃の下、多くの国の経済が不景気に陥入り、労働者の給料は下降し、失業者が増大し、新たに多くの“新貧困層”が現れた。 “これはたぶんイギリス《デーリー・テレグラフ》が分析しているように、この小説が突然ベストセラーになった深い理由は、社会のどん底の新貧困層の共鳴を呼んだことにある――という。 現在の新貧困層より当時の蟹工船の漁民のほうがましだからだ”

小林多喜二は1903年、秋田県の貧しい農民の家庭に生まれた。 彼の両親は文学が好きで、小林多喜二はその影響を受けた。 1928年~1929年、小林多喜二は積極的に日本共産党が指導する文学運動に参加し、《防雪林》《蟹工船》などの作品を書いた。 1930年、日本共産党に入党した。 その後、彼はまた《沼尾村》《党生活者》などの小説を書き、日本の労働運動と日本人民の侵略反対闘争を書いた。 1933年2月20日、小林多喜二は特高警察に逮捕された。 拷問を受け、虐殺され死去した。 享年30歳だった。

小林多喜二生于19031013日。他家祖是村里的地主,到了父亲这一代,一个颇为富有的家庭竟不可挽回地落下来,成佃。小林多喜二在小樽度了他的童年。人民的苦难给这位未来作家的心灵刻下了永不消失的印。他不在《介和乞丐》、《人的狗》等作品中真切地再了童年的一幕,而且期的生活,他的全部作都生了深影响。1929年,小林多喜二完成了猛烈抨天皇制国家本的杰作《蟹工船》。小最初表在《旗》上,日本政府立即下令禁止售。但作品仍以惊人的速度售着,行本也被抢购一空。

中国在1930年最先翻出版了部名著,小林多喜二专门为中国者写了序言。前的日本,天皇是至高无上的神,都不能他表示怀疑和不敬。而小林多喜二却在《蟹工船》里第一个指出,天皇是食人民膏血的魔王。因此京的警察当局以天皇不敬的罪名,把他逮捕入。小林多喜二在1927野佃斗争中,累了丰富的素材,并作了中篇小《在外地主》。部小是日本20年代问题克思主艺术总结20年代末至30年代初,日本无产阶级文学运动经过以小林多喜二、德永直代表的作活,以及藏原惟人、中野重治等杰出评论家的理,已形成一支左右文的巨大力量。引起了日本反政府的恐慌,他革命文学的镇压

京警察当局再次把小林多喜二投进监狱,到1931122日被保出来,小林多喜二被囚禁达7个月之久。出后,小林多喜二又写了中篇小组织者》、《新女性的性格》(后改名《女子》)篇《形期的人》。小林多喜二在193110月参加了日本共党,担着作家同盟内党的工作。镇压开始后,他连续发表文章,分析当的形文化运动继续发展指出方向。与此同,他又着手恢、整顿组织展反、反白色恐怖的斗争。,他又完成了《地下党》和《地区的人》两部中篇小

其中,《地下党》是小林多喜二以国内反华战背景,以自己的地下生活经历为素材写成的一部不朽名著。1933220日,小林多喜二在京被捕入。当天上,他因遭受毒打牲在中,年29悉小林多喜二逝世,寄去了悲的吊辞,还发起了他的属的募捐活。中国左翼作家盟也表了抗议书迅在吊辞中中日两国人民如兄弟,资产阶级人民,用血在我制造鸿沟,并且继续在制造。但是无产阶级和它的先锋队正在用自己的血来消灭这鸿沟。小林多喜二同志的死就是一个明。一切我是知道的,我不会忘。我正在坚强地沿着小林多喜二同志的血路携手前

小林多喜二《蟹工船》再版

林出版社昨天透露,日本作家小林多喜二于1929作的中篇小《蟹工船》已由社再版。小说译者、翻家叶渭渠认为,在当今西方由金融危机引经济萧条中,工薪阶层依稀能在《蟹工船》里看到自己的影子。

《蟹工船》原名《蟹工船·党生活者》,表于1929年,当年纽约股市遭遇黑暗的星期四,引起世界大恐慌。作品述了在日本社会底苦苦扎的一群失工人、破产农苦学生和十四五的少年,被受雇于蟹工船,在非人的境下被迫从事繁重的捕蟹及加工罐役,受尽欺,最后们终于忍无可忍,团结起来,与了一血腥的抗争活。《蟹工船》真地描写了由分散到团结,由落后到悟,由不、反抗到行有组织工斗争的程。部作品以蟹工船舞台,但它通船上各阶级代表人物,包括作为资本家代理人工的浅川的活,以及秩父号的沉没、川崎船的失踪、帝国军舰等情,有机地把蟹工船同整个日本社会乃至国社会密切系起来,展示了两大阶级立和斗争。部作品小林多喜二得了世界声誉,原作出版的第二年即被成中文,作者特意本作序。同,俄、法、英本也相出版,得了世界各国人民的称

此次林出版社推出的版本是著名翻家叶渭渠于1973年重新翻的版本。据出版社相关负责人士表示,之所以在36年后的今天推出再版本,是因自去年以来,该书在日本和欧洲某些国家里再度畅销,日本报纸电视《蟹工船》在日本畅销给予广泛道,该现象也已成日本人议论话题,并引起中国出版界的注。

叶渭渠认为,出现这样象,是因在世界金融危机的冲下,多国家经济陷入条,工人工水平下降,失人口大增,出了一大批大概正如英国《电讯报》所分析指出的:部小突然畅销的深原因,在于它起了社会底人的共——在的新不如当年蟹工船的工。

’”

小林多喜二1903年出生于秋田一个民家庭。他的父母喜文学,小林多喜二受到熏陶。1928年至1929年,小林多喜二极参加日本共领导下的文学运,写出了《防雪林》《蟹工船》等作品。1930年,加入日本共党。之后,他又写了《沼尾村》《党生活的人》等小,表了日本的工和日本人民反侵略的斗争。1933220日,小林多喜二被警特逮捕。在酷刑拷打下,宁死不屈,被迫害致死,年30

(者卜昌)  编辑:中江  (本文来源:网易

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