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1305 中国の三面きじを読む(568) 和服を着た母と娘が武漢大学の桜の園で記念写真 怒った人々に追い払われる (下)

2.和服姿で写真を撮っていた母と娘が批判されたことで論議が巻き起こる

和服母女拍照受指热议

2009-03-24 09:11:09 来源: 华时报(北京) 跟帖 218

(参考)

216 中国の三面記事を読む(6) 武漢の桜 (上) 

217 中国の三面記事を読む(7) 武漢の桜 (中) 

218 中国の三面記事を読む(8) 武漢の桜 (下) 

16 武漢大学の庭の桜がまた咲いた。 21日、沢山の人の流れが武大に押し寄せ花見を楽しんだため、付近の交通が暫く渋滞する騒ぎとなった。武漢訛りを話す母と娘が、和服を着て桜の木の下で写真を撮り、学生から追い払われ、取り囲んでいたやじ馬からも非難の声をあびた。 真っ先に声を上げた若者は、武漢大学の二年生だという。 非難の嵐に、この母と娘は困惑した表情で、慌ただしくその場を離れた。

母と娘が和服を着て写真を撮るのは、決して違法ではないし、禁止される理由はない。

17 桜と和服は、日本の文化のシンボルである。 和服を着て写真を撮るのが国恥を忘れたことになるなら、このような愛国論法でいくと、武大の庭の桜はみな切り倒さなければいけないのではないか? 悪口を言って、“和服の母と娘”を追い払った愛国の14 論理は議論する必要がある。

確かに、中国はかつて日本の侵略者の侮りと蹂躪にあい、消すことの出来ない歴史の傷跡を残した。 しかし実際のところ、あの過去の振り返りたくない15 歴史で、罪があるのは人間であって、物ではない。 桜と和服は、“国恥”の原罪を負うことはない。 私達は和服を着て写真を撮ったからといって理論や路線を振りかざして愛国の激情を発散させるよりも、理性的に愛国の気持ちを表現し、中華民族の文化精神を発揚し、民族の地位を高める方が実際的だと思う。

愛国の情熱を発散するにも限度がある

18 武大の桜は、日本軍が武漢占領の際、植えられたものである。 日本軍が中国を侵略して、民族の心に傷跡を残した。 今日、人々が武大の桜を見る時、感動はみな違うものだ。 大多数の人は春を楽しんでいるが、中に少数だが歴史を忘れない者もいる。 しかし共に落ち着いてみるべきだ。 桜は日本の国花であり、和服は日本の民族の服装である。 観賞するものにとって、桜の花の下で和服を着て写真を撮るのは、個人の趣味であって、それ自体悪意13 はなく、国や人としての体面を損なうものではない。 当然、人によっては見て不快に思うかもしれない。 しかし人に干渉するのが正当かどうか疑問である。 明らかなことは、和服を着て写真を撮った人は、別に人の権利を妨げたわけではないし、公21 共の道徳にも違反したわけでもない。 自由なのである。 もし学校側に規定があるなら、誰にもわかるようにすべきで、そうでなければ告知か制止を取るべきで、糾弾する必要はない。

12 たぶんその人達は、和服を着て写真を撮ってたことが、自分達の民族感情を傷つけたと感じたのだろう。 これはちょっと分析する必要がある。感情を傷つけたのは和服だったのか、それとも和服と桜の組合せか、はたまた和服と桜に武大といういくつか19 の要素がからんだものか? どこに傷ついたのか? どうしてこのような組合せが傷つけてしまったのか。 本当に傷ついたのか、それとも傷つけられたと思ったのか?  “和服の母と娘”が武大であった出来事は、個人の自由を干渉するという他人の行Photo 為が許さるべきものか、またたとえ正当な行為だとしても、どうして文明的といえるかにかかわるものだ。

愛国の熱情は国家と民族の大切な精神的財産である。 国民として、国の利益と名誉を思うことは、10 肯定すべきことであり奨励すべきことである。 しかし、この信念と態度の表明は、社会的規準に従うべきで、場所と尺度もわきまえなければならない。 この場所と尺度とは、他人の日常生活とある概念について、ムリヤリ愛国かどうかの判断を取るべきで9 はないことを意味しており、私達の愛国の感情は、他人の自由な権利を尊重することを前提としており、また他人に自分の願望をムリヤリ押し付けたり他人に圧力や困惑を与えないいことを意味している。

7 大学の学生は理想に燃えており、国家に関心があり、国家に対する強い感情と責任感に満ちあふれている。 それと同時に、大学は理性の殿堂である。 疑問、自己反省そして真理をしっかり学ぶことが大事である。愛国を一般の生活領域まで広げ、自分が4 思い込んだ“古傷”に触れるとすぐ反発し、血を上らせるような感情表現は、みんなの尊重と賛同は得られない。

包容、理性と自制を持った行為と心理が一体化されてこそ、このような愛国感情が正しく促進されることになる。

「国民に国恥を忘れさせるな」 と論戦をしながら警戒心を高めさせる 

11私 のような傍観者的立場から見ると、武大の桜について、人々の間に矛盾した意識があるように思える。 形式的にいうなら春の景色の中、花が乱れ飛び、桜がきれいに咲いていることである。 しかし掘り下げてみれば、これは日本の侵略者が中国の大8 地で、武力を誇った時代の遺産である。 現在の桜は歴史的には何度も植え替えられており、侵略者のあの時代の“オリジナル”ではないという人もいる。 しかし、このような説明は人を欺くものだ。 何年か前にも、“恥であり、花ではない”とか“花であって、恥ではない”とかの討論があったではないか? このような討論は1947年3月まで遡ることができる。

5 だから、今、武大の桜がいかにきれいに咲こうが、私達はその中に“国恥”の要素を認識しないといけない。 もし、この点を認識するなら、多くの中国人はまだ“相逢って一笑、恩讐消ゆ”という、6 いわゆる達観の世界には達していないと思う。 よその国の服を着て、そこで写真を撮るなんて、正に“みずから恥ずべきことをする”ものだ。 仮にあの大学生が“騒動”を起さなくても、別の黙って3 いた人達だって、あれを見て、いい気分がしなかったはずだ。

武大の桜はもう文化的シンボルとなっている。 私達は今、それを見る時、民族的気分が出て、明らかに理性的でいられない。 あの特定の場所で“和服がきれいだから”ということは、反感人士の反発を買うことは避けられないものだ。 

“広い度量”と“偏狭な愛国意識”、大体こうした対立となる。 これが正常である。 絶えずこうし2 た論戦の中で、もし国民の警戒心を高め、“国恥を忘れるな”という目的を達成することが出来れば、このニュースの価値があると言える。 (本文の出所:京華時報 )

2.和服母女拍照受指热议

2009-03-24 09:11:09 来源: 华时报(北京) 跟帖 218

和服拍照和服母女武大拍照受指

关键词

武大校园的花又了。21日,大量的人流涌入武大花,附近交通一度重。一操武口音的母女身穿和服在下照相,招致数名学子的赶,很多围观市民也表示慨。率先声的小伙子,据是武大学的大二学生。声声中,这对母女面露窘,匆忙逃离。(详见323A15)

母女穿和服拍照,肯定是没有法的,也不受到禁止。

花与和服,是日本的文化象征。穿和服拍照就是忘国耻,按照这样逻辑推算下去,是不是得把武大校园的都砍光了?谩骂和服母女逻辑值得商榷。

的确,我曾遭受日本侵略者的欺辱与蹂,留下了以磨创伤。但事上,于那段不堪回首的史,有罪的是人,而不是物,花与和服都没有国耻原罪。我与其穿和服拍照上线地宣泄国激情,不如理性地表达国情感,在弘民族文化精神,提高民族地位方面做点事。

自《察日323日文/孟嗣

有度

武大花,初植于日。日,留下民族心灵的一道痕。今日人武大花,是感触各异,大多数人是踏春赏胜,也不排除少数人是追记历史,都可安然相花是日本国花,和服是日本民族服,于赏胜者来下着和服照相,是个人趣味,其并无意,也无国格人格。当然,也可能有人之而不快,但干他人是否正当,则值怀疑。很明,着和服照相的人,并没有妨碍他人利,也没有背公共道德,可以自便。如果校方有着装定,定是否广人知,否以告知和主,而不必声

可能有人认为,一个人穿和服照相,害了自己的民族情感。要稍加分析。构成情感害的是和服,是和服与花的合,或者和服与花加上武大几个要素的合?害在哪里,么这样合是一种伤害,是真是自己得的害?多一下,可能有好和服母女在武大的遭遇,既关涉个人无碍他人的行是否被允,也及哪怕正当的行为该去做才足称文明。

情是一个国家和民族弥足珍的精神富。一个国家的国民,牢国家的利益和誉,得肯定和鼓励的事情。但这种信念和度的遵循社会规则,必有其界和尺度。这种边界和尺度,意味着我不能他人的日常生活与某个概念挂行植入国与否的判断,也意味着将我国情感必以尊重他人的自由前提,不能苛刻地迫他人遵照自己的意愿行事,从而造成人的力和困

大学学子,理想充沛、注国家,涌国家的烈情感和任。与此同,大学是理性的殿堂,怀疑、自我省并服膺真理,是常。将国泛化至普通的生活域,一遇到自己定的就立地反、血脉贲张这种情感表达是得尊重和同的。

包容、理智和克制,要内化方式和心理同,这样爱国情感才能发挥出它正向的催化作用。

自《江日323日文/

警醒国人勿忘国耻

自《南方日323日文/潮白

在我个旁者看来,待武大的花,人存在一矛盾的心。从形式上看,凝霞散景、落英缤纷花煞是好看;而从内涵上看,它又是日本侵略者在中大地上耀武威的迹。有人在的花是史上经历多次植形成的,不是侵略者那个候的原生这种说免自欺欺人。早几年,不是是耻不是花”“是花不是耻讨论吗这样讨论甚至可以上溯至19473月。

所以,无武大的得怎漂亮,我得承其中的国耻成分;如果承认这一点,又明知道相当多的国人不具相逢一笑泯恩仇的所境界,穿着人家的衣服去那里拍照,就确有自取其辱的意味了。即便那个大二学生不发难的没吭声的人道看着就舒服

武大的花已成了它的一个文化符号。我今天观赏之,着民族情绪显然是不理性的,但是在那个特定的合下以和服很美,就也不能避免反感的人士慨。胸襟大度狭隘,大抵就是这样对立的一,很正常。在不断交中如果能达到警醒国人,达到勿忘国耻的目的,也算是条新的价所在了。 (本文来源:华时报 )

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