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1256 中国の三面記事を読む(536) 李白の「静夜思」は日本版が本物

1.中国出身の中学生 日本の教科書の《静夜思》が李白の原作と考証

2.日本の和服は呉国から伝来 李白の名詩は改竄されていた

1.日本学生考称日本本中《静夜思》李白原作

2009-01-28 15:58:02 来源: 浙江在线-浙江日(杭州) 网友评论 1321  击查

2.日本和服来自吴国 李白名

2009-02-03 09:31:06 来源: 中国新(北京) 网友评论 3  击查

《参考》880中国の三面記事を読む(286)李白の“床前明月光”は古来 誤読されてきた? 

1.中国出身の中学生 日本の教科書の《静夜思》が李白の原作と考証

Photo_2 浙江日報(杭州)1月28日報道:中国唐代の詩人・李白の詩《静夜思》は日本でも中国同様、人々によく知られている。 しかし一部、文字に相違がある。 東京の中国出身の中学生が、李白の詩句が日中のテキストで違いがあることについて、その謎を徹底追求した。

Photo_3 《静夜思》は中国の国語の教材では通常、“床前月光、疑是地上霜。挙頭望月、低頭思故郷”と書かれている。 一方、日本の漢文の教科書の中では、こう記されている。 “床前月光、疑是地上霜。挙頭望月、低頭思故郷”

Photo 共同通信社1月26日報道:中学3年生の中国出身の生徒・相木将希さんは上述の相違に気がついてから、なぜこうなったのか調べたくなった。彼と友人が日本の出版社に問合せをしたが、しかし出版社の人は“わからない”と言うだけだった。 そこで、彼らはインターネットで調べたり、中国の学者・先生などに手紙を送るなどして、ついに中国で現在広く一般に通用している《静夜思》は、明朝以降、詩詞が普及する時書き直されたもので、日本の漢文表記の李白の詩が原型であることがわかった。

報道によると、相木さんは3年前に日本に来た。 最初は言葉が通じないことを心配していたが、《静夜思》相違の謎を解読したことで、彼の自信は倍増したという。

2.日本の和服は呉国から伝来 李白の名詩は改竄された

PhotoPhoto_4 2008年11月29日、安徽省蕪湖市の漢服愛好者が百着近くの自分が作った漢服を持参し、蕪湖市長江の河辺の天門山の麓に集まり、李白の詩句を詠唱したりして、多くの人に漢服を知ってもらい、我が国の伝統服装文化を理解してもらおうと、漢服の公開イベントを催した。 中国新聞社:王玉実 撮影

Photo_2 先頃、共同通信社は、中国出身の中学生が来日後、李白の名詩《静夜思》に2種類のテキストが存在するという面白い話を発見したニュースを伝えた。 今日、共同通信社の中国語ニュース室の河野徹編集主幹は、“実を言うと、私も日本の高校で「漢文」の授業で《静夜思》を習いましたが、しかし中国で使われている教科書を詳しく見たことがなかったので、この報道を見た後、やっと日中で教科書に違いがあることを知りました”

中学生が言うところによれば、日本で広く伝わってPhoto いるのは、“床前月光、疑是地上霜。挙頭望月、低頭思故郷”で李白のもともとの詩である。 一方、中国で人々によく知られているのは、“床前月光、疑是地上霜。挙頭望月、低頭思故郷”です。 これは明代以降、詩詞を普及させるために書き直したのである。 宋代以前の版本はすべて日本に伝わった版本と同じで、日本はこの詩のオリジナルを完全に保存していると言うことができる

中学生は、私は専門家ではありません。 この詩が中国でその後、どうして、変えられたのか分析する能力はありません。 しかしわずか20字の中に、2度“明月”が出てくるのはいささかくどい感じがします。しかも“看月光”は“明月光”より月を見る積極さが見られ、詩人の本来の意図をより表現しています。 私はオリジナル版の文字の方がどちらかというと直接的で、豪胆な詩人・李白の風格に合っていると思います。

19世紀に欧米勢力が強大な軍事、経済と科学的な力で東アジアに入ってくる前は、江戸時代200年“鎖国”を続けていた小国日本にとって中国は大国でした。 日中両国の往来はおよそ2千年、中国の豊かな歴史・文化をずっと学習と崇拝の対象でした。 明治維新後、日本は“脱亜入欧”で、西洋帝国主義の列に入り、“中体西用”(中国の体、西洋の文化)、“和魂洋才”(日本の精神で西洋の知識を学ぶ)の道を歩み始めた。 しかし学校の中では依然として“漢文”の授業があり、中国の基本的な古典を学んでいた。 第二次大戦後の日本人は、米国に心底から学んでいたが、一方では依然として中学から“漢文”を学んでいた。

中学生は、実は、日本語の中にはたくさん中国から伝わった四字成語があるという。 私達のように“鶏口となるも、牛後となるなかれ”を簡単に“鶏口牛後”と言ったり、“瓜田に履を入れず、李下に冠を正さず”を“瓜田李下”などと言ったりする。 数字を含む成語も多くあり、たとえば“朝三暮四”、“四分五裂”、“五里霧中”などがある。 日本人は中国の成語の出所については、“十分わかっていない” しかし成語は日本語の中で“いろいろな方面で使われている”と言える。 その“多彩さ”は日本語を豊かにしている。 これらの語彙は日本人すべてが使ってり、まさに中国と“大同小異”(似たり寄ったり)だ。

中学生はこうも指摘した。 おもしろいことは長い時間が経過した後、李白の《静夜思》と同じように、一部のものが中国で失くなったり変わってしまったものが、逆に日本でもとのまま保存されていることがある。例を挙げれば、日本人は和服のことを“呉服”と呼びます。 日本の史書《日本書紀》の中に、“呉国”が天皇の要求に応じて日本に4人の紡織・裁縫の技術の専門家を派遣した記録があります。 中国の戦国時代と漢朝の服装はゆったりした衣服に広い帯をしていました。 日本の和服のようでした。 短い服にズボンを穿いたのは北方の騎馬民族が中原に入ってからのことです。 日本は馬に乗る武士階層と働く人が必要とする以外、大部分の人は普通はズボンを穿かず、服装はずっとゆったりした衣服に広い帯をしていました。 明治維新の後、やっと短い服にズボンを穿くようになりました。

奈良には1200年前の古代の天皇の倉庫“正倉院”があります。 この中には、唐代日本に入って来た多くの文房具、楽器、織物、書籍などの宝物を保存しています。 唐代の楽器は中国ではすでに滅びてしまい残っていません。 正倉院に収集されている唐代の横笛、尺八はわずかに残る実物です。 それ以外に、正倉院には琺瑯の工芸品、絹織物と紫檀の碁盤など中国からの貴重な文化財が保存されています。

彼が最後に指摘しているのは、目に見える歴史文化財だけでなく、日本の言葉と風俗習慣も中国の文化の大きな影響を受けており、日本は多くの中国文化の遺産を保存していると言うことができます。 中国人が日本を研究した後には、もしかすると自分が失ったり変わってしまった文化を発見することができるのではないかと思います。 日中双方が虚心坦懐にこれらの文化遺産を研究し、両国の文化交流の悠久の歴史を学べば、更にお互いをいっそう理解し促進することができ、友好的感情を深めることができると、私は信じています。

1.日本学生考称日本本中《静夜思》李白原作

2009-01-28 15:58:02 来源: 浙江在线-浙江日(杭州) 网友评论 1321  击查

浙江日128中国唐代人李白作《静夜思》在日本同样脍炙人口,不,文字表述却略有差异。日本京一名裔初中生此刨根究底,解李白句日中版本不同之

《静夜思》在中国文教材中通常记为床前明月光,疑是地上霜。举头望明月,低思故而在日本文中,诗记为床前看月光,疑是地上霜。举头望山月,低思故

共同社26道,初中三年裔学生相木将希发现上述差异后,决心个究竟。他和同学咨了日本出版商,但方回答不清楚。于是,他查询、致信中国学者等方式,于得知中国在通用的《静夜思》系明朝以后普及诗词经过改写,日本文表述是李白作原文。

,相木3年前前往日本,刚开始曾担心言不通,破解《静夜思》差异之他信心倍增。 (本文来源:浙江在线-浙江日 )

2.日本和服来自吴国 李白名

2009-02-03 09:31:06 来源: 中国新(北京) 网友评论 3  击查

20081129日,安徽省湖市的一些好者携近百套自己设计制作的服,来到的天山脚下,举办汉服展示活,吟李白句,希望更多的人认识汉服,了解我国的传统服装文化。 中新社 王玉 

最近共同社道了一则华裔初中生来到日本后才发现李白的名《静夜思》存在两版本的趣。今天,共同社中文新闻报道室主河野撰文称:说实话然我也在日本初中的”(古代汉语)上学《静夜思》,但是一直没有仔研究在中国流行的版本,看了道后才意到中日所版本有所不同。

作者表示,据称在日本流床前看月光,疑是地上霜。举头望山月,低思故是李白的原,而在中国被人所熟悉的床前明月光,疑是地上霜。举头望明月,低思故是明朝以后普及诗词而改写的。宋代以前的版本都跟日本留下来的版本一,可以日本完整保存了的原初面貌。

作者,我不是家,没有能力分析么这在中国后来被稍作改了,但得短短20个字中两次出明月有点繁,且看月光明月光得主,表达了人的原意。我得原版文字然比直接,但符合豪迈诗人李白的格。

在十九世欧美力挟大的事、经济和科学力量东亚以前,户时两百年的小岛屿日本来中国是一个大国。日中两国来往大两千年,中国的丰富史文化一直是学崇拜象。然明治新后日本入欧加入西方帝国主的行列、走上相当于中体西用和魂洋才之路,但学校里仍,学中国的基本古典。二后日本人一方面五体投地向美国学,一方面依旧从初中便学

作者,其,日里有很多从中国下来的四字成。我也把为鸡口,无牛后口牛后瓜田不履,李下不整冠瓜田李下等等。包含数字的成更多,朝三暮四四分五裂五里。日本人有些中国成的来源一知半解,但成在日里可四通八达,它的千姿百丰富了日词汇日本人全部都用,正是大同小异

作者指出,有意思的是漫时间过去后,与李白的《静夜思》一,有些西在中国失掉或者改,反而在日本保留了原一个例子,日本人把和服也叫作吴服。日本《日本书纪》中记载吴国天皇的要求向日本派出四名纺织缝纫术专家的故事。中国代和朝的服装是衣博,很像日本和服,穿短衣子是北方骑马民族入中原以后的事。在日本除了骑马的武士阶层劳动需要外,大部分人一般不穿子,装束一直保持衣博,明治新后才始穿短衣子。

奈良有一千二百年以前的古代天皇仓库,里面保存了很多唐代入日本的文具、器、纺织品、籍等宝物。唐代器在中国已,正院收藏的唐代横笛、尺八等是存的物。此外,院中藏有琅工品、丝绸纺织品和紫檀棋等来自中国的珍文物。

作者最后指出,不是有形的史文物,日本的言和习惯也受到中国文化的很大影响,可以日本保存了不少中国的文化遗产。中国人研究日本后或可以重新发现自己失掉或已改的文化。我相信,中日双方虚心坦怀地研究些文化遗产、学两国文化交流的悠久史,可以彼此了解,深化友好感情

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