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1149 中国は見る(531) 日本は「下流社会」をどうする?(下)

日本下流社会何去何从
2008
1011 003721

客観的には、バブル経済崩壊後、不良債券問題などで困っていた大企業は長期化する不景気の中で生き残りを図ることが第一要件だった。 そこで、米国の企業経営者のような、大事なことは利潤を上げることで、従業員の面倒を見ることではないという経営意識が正当化され、伝統の日本式経営理念は道を譲ることになった。 終身雇用、年功序列などの“国粋”的なものが急速に捨てられていった。 1999年、派遣労働法改正に伴い、今までの規制がゆるめられ、安くて良質な労働力がまたたく間に市場に溢れるようになった。 大企業の資本家側は手を額に当てて喜んだ。

最初の頃は、財界は大企業の人員削減に対して抵抗感を感じていた。 日産自動車のブラジル籍の社長兼最高経営責任者CEOの“コストキラー”と呼ばれたカルロス・ゴーン氏が、大量の人員削減計画の実施を発表した時は、経団連の奥田碩会長は苦言を呈したことがあった。 しかし小泉元首相が登場した2001年、いきなり120万人のホワイトカラーの“リストラ”があって、財界は間もなく“構造改革”時代のルールに慣れ、ついには病みつきになるほどになった。

しかし、企業、家庭、それから地域社会が作っていた“セーフティネット”が取り払われた後は、貧困化の広がるのを防ぐため、国家の社会保障システムに頼るしかない。 しかし日本は後発の資本主義国家であり、社会保障体系はとても弱かった。 2003年のデータを例にとれば、社会保障給付額はGDP17.7%に過ぎません。 米国よりは若干高いが、EUの平均的水準(26%)よりは低いのです。 小泉元首相の“構造改革”では、真っ先に、このもともと少ない公共事業費を槍玉に挙げたのです。 いわゆる“切りやすいところから先に切る”です。 そこで、2002年から、毎年2200億円の額が連続して削られていきました。そして、2006年登場した《経済財政運営と構造改革に関する基本方針》(“骨太方針”)、では今後5年以内に更に1.1兆円の削減する骨組みを確定しました。 この“セーフティネット取り除き工事”と言われる事業は、現在まだ進行中です。

このように数年来、日本の大企業はある程度“効率”と国際競争力を回復しましたが、社会全体の公共的事業は一変してしまいました。 貧困が広まった“格差社会”は、小泉“構造改革”のマイナスの遺産として、国民から批判を受けただけでなく、今後の政権の中で是正されます。

“下流社会”の危険

最近発生した二つの事件は、日本社会に衝撃を与えました。 一つは去年、北九州市の52歳の病気の男性が生活保護を受けられず、“おにぎりが食べたい”という遺書を残したものです。 電気、ガスのすべてを切られた部屋の中で無残にも餓死した事件です。 もう一つは今年の夏、25歳の派遣労働者の男が、東京秋葉原の街頭でダガーナイフを振り回して、7人を死亡させ、10人が負傷した無差別殺人の惨劇事件です。 事件はマスコミで報道され、人々に貧困が遠くのことでなく、身近にあること、そして貧しさへの同情と怖さを実感させました。 

去年1月、“フリーター”(英語の“Free”の造語の“Freeters”)出身の“ロストジェネレーション”(失われた世代:日本社会の25~35歳の若い世代に対する呼び方)の赤木智弘氏が《朝日新聞》の『論座20071月号)に文章を発表しました。 《「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。》 大論争を巻き起こしました。 聞くところによるとこの時の雑誌は普段の倍の売れ行きだったという。 

赤木氏は、自身が長期にわたり派遣労働者として生きるためあちこちで苦労した“下流社会”の経歴の持ち主である。 この本の中で、どうして貧困層の若者たちライブドア(Live door)のホリエモンなどの富裕層を支持するのか、また小泉、安倍といった“格差社会”を作った保守政権にも“好意”を寄せている。 まるで自己矛盾している謎についてこう答えている。 “私は、若者たちの右傾化はけっして不可解なことではないと思う。 極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う” “我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。 それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。 平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。 そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。 その可能性のひとつが、戦争である” 

“下流社会”にもがく若者たちは“平和で窒息させられる”“格差社会”を打ち破るために、ある種の合理的な流動性を求めています。 そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。

どうして“丸山眞男の横っ面をひっぱたくのか? 丸山は戦後日本の左翼知識人の代表的人物です。 19443月、30歳のとき、“思想犯”の前科のある丸山は招集令状を受け、直ちに陸軍2等兵としてピョンヤンに派遣された。 そこで丸山は中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメ抜かれたのだという。 丸山にとってみれば、戦争による徴兵は確かに不幸なことではあっただろう。 しかし、それとは逆にその中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった。

換言すれば、戦争は教育を受けたことがない一等兵に、等級社会の垣根打ち破る望みを現わしたことになる――“流動性”だ。

最後に、作者はこう言ってます。 “……もし社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう”
  客上,泡沫经济后,不良券等问题不已的大企,在有可能期化的条中求生存成第一要随着像美国似的那业经营者,首要的工作是利,而不是照顾员工的商被正当化,传统日式经营理念路,身雇佣、年功序列等国粹迅速被抛弃。1999年,随着劳务派遣法的修正,原有的管制被放,廉价而优质劳动便充斥市,人满为患,大企业资手称
  大企的裁员还抱有一定抵触。当日的巴西籍CEO、被称成本的卡洛斯·戈恩宣布施其大的裁员计经团联奥田曾苦言相。但小泉上台的2001年,一下便有120万白界很快就适习惯构造改革代的游戏规则,甚至不疲,不知返。
  但是,当由企、家庭及区域社会构筑的安全网层层拆除之后,要阻止困化的蔓延,只能靠国家的社会保障体系。但日本作发资本主国家,社保体系其非常脆弱。以2003年的数据例,社保支付度占GDP的比例仅为17.7%然比美国略高,却大大低于欧盟的平均水平(26%)。而小泉的构造改革,却首先拿本来就已很薄弱的公共事业费开刀,所从容易砍的地方先砍。于是,从2002始,年以2200亿日元的度,连续削减;而,2006年出台的《经济财政运和构造改革的基本方》(骨太方),又确定了未来5年内削减1.1亿日元(1=1亿)的框架。这项被称安全网拆除工程的事在尚在行中。
  如此,几年下来,尽管日本的大企程度上恢效率和国际竞争力,但整个社会的公共事却已面目全非。一个困蔓延的格差社会,作小泉构造改革遗产,不受到国民的批判,且必将在后中被加以正。
  下流社会定型化的危
  最近生的两个事件,极大震了日本社会:一是去年,北九州市52的患病男子,由于失生活保障,留下一我想吃饭团遗书,在、煤气都被切断的房里活活饿死的事件;另一个是今年夏天,25的男性派遣劳动者在京秋叶原街头挥刃乱砍,致7人死亡、10人受的无差别杀人惨。事件通大众媒的道,使人在看到困其,就在身的同,真切地认识困的可怜与可怖。

  去年1月,特族(日人根据英“Free”的造“Freeters”,近乎中文的自由职业者)出身的失去的一代(日本社会25~35的年世代的称呼)自由作家赤木智弘在《朝日新》系学刊《座》志上表一篇文章《叩丸山真男——31岁飞特族,希望是:争》,舆论,据当期志比往常多了一倍。
  赤木根据其自身期作派遣劳动生存四奔波的下流社会经历们揭示了为贫的年人却支持活力Live door)的堀江文等新贵阶层,甚至小泉、安倍这种一手制造了格差社会的保守政也充好意的貌似自相矛盾的底:我来,年人的右化并非不可理。一个极单纯道理:如果日本国化,争爆,死很多人的,社会便会流起来。我得很多年人希望如此。”“……们这些低薪劳动者,被社会放任已10年。社会不但不曾伸出援手,且没干,成了国家GDP的分母云云。只要和平继续这种不平等便会持一生。若打破这种闭塞状兴许会生性也未可知。而作可能性,那便是争。
  扎于下流社会的年打破和平却令人窒息格差社会,重建某合理的流性,却不得不诉诸战争的极端手段:非常憾,正如我不得不希望的非常手段那,社会的差距如此之大,而且已被做成不可撼的定型化的西。
  而丸山真男呢?丸山是后日本知左翼的代表人物。19443月,30、有思想犯前科的丸山接到了召集令,旋即被作为陆军二等兵派往平壤。而那些中学都没上的一等兵,却免于在战败前夕被派往沙丸山来期的征兵制确是一不幸;但那些中学都没上的一等兵来,欺一个毕业京大学的精英,如果不是争所机遇,永都不可能。言之,正是争,在那些未受教育的一等兵的眼前,展了打破等社会的藩的希望——也是
  最后,作者道:“……如果社会在和平的名下,我持性地恃凌弱,我菲薄的幸福梦想持性地加以嘲弄的,那,我便会在内心希冀全体国民持受苦的平等,并不假躇地把它作我的选项

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