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1109 中国の三面記事を読む(473) 張愛玲:漢奸を愛してしまった女流作家(2)

2008-09-08 10:20:45 张爱玲:奸的女人

来源: 网易 网友评论 64  击查

3.“色・戒” 《ラスト.コーション》

Photo_2 この年、胡蘭成38歳、張愛玲24歳だった。 瞬く間に二人は恋に陥った。 二人の恋は最初に知り合ったときの延長のままだった。 胡蘭成は南京で仕事をし、一ヶ月に一度上海に戻ってくる。 その時は8-9日くらい上海にいた。 毎回、上海に戻ってくると美麗園の自分の家には戻らず、まっすぐ赫徳路に直行し張愛玲に会いに行った。 二人は毎日一緒にいて途切れることなく語り合っていた。 当時の世間の人は、二人の気持ちについては理解していなかった。 ただ胡蘭成の政治的立場が漢であること、また妻帯者であり、年齢がだいぶ上で張愛玲の父親になれるくらいだと見ていた。 だからこのような愛情について理解できず、張愛玲のために残念がった。 張愛玲自身はこんなことなど気にもしていなかった。

4.と才女の結婚

胡蘭成は、張愛玲のことを理解していた。 彼女が貴族家庭で育った上品さを理解していたし、小さい頃の不幸のため遊べるときは遊ぶといった思想も理解していた。 こうした彼女への理解が、張愛玲が胡蘭成を愛してしまった最大の理由かもしれない。 実際、細かに分析してみると、張愛玲自身は世俗の人ではなく、彼女は一般俗世の価値観で人を判断はしない。 彼女には何の政治的考えもなく、胡蘭成をただ自分を理解してくれる男性として見ていただけで、汪政府の漢など関係なかった。 胡蘭成の妻に対しても彼女は気にしなかった。 彼女は愛が永久に続くようにとも考えていなかった。 彼女は胡蘭成に宛てた手紙の中に、“私は考えました。 あなたがこれから先、私のところへ通われるなら、それでもいい” 彼女はただ、胡蘭成の彼女に対する現在の愛だけが問題であって、ほかの事は考えたくなかったのかもしれない。 胡蘭成の年齢が彼女よりだいぶ離れていることも、彼を愛する理由になっていたかもしれない。 張愛玲は小さい頃、父親の愛を受けることが少なかったため、年配の男性に特別の感情を持っていた。 だから、年齢の問題もなんら障碍にはならなかった。 そこで彼女は、自分の全部を傾け彼を愛した。 そういうわけで、一般社会の人々からおかしな目で見られながら、愛し合っていた。

1944年8月、胡蘭成の2番目の妻から離婚の申し入れがあった。 これは張愛玲と胡蘭成の愛のステップのチャンス―――結婚となった。 二人はこうして結婚したが、法律の手続きは取らず、ただ結婚証明書を証拠としただけだった。 なぜならば、胡蘭成が後日、時局の変動により、自分の身分によって、張愛玲に迷惑が及ぶことを恐れたからだった。 何の儀式もしなかったが、ただ張愛玲の親友・炎櫻が証人となった。 “胡蘭成と張愛玲は生涯夫婦となることを誓います。 これからの歳月が静かに平穏でありますように” 前文は胡蘭成が作り、後文は張愛玲が作った。 こうして二人は夫婦になった。

Photo_4 この時期、張愛玲の創作の全盛期だった。 彼女は続々と《茉莉香片》、《到底是上海人》、《城之恋》、《金锁记》、《心》、《琉璃瓦》《散》《封》、《公寓生活趣》、《玫瑰与白玫瑰》、《殷宝送花楼会》、《写作》、《有女同》、《走! 走到楼上去!》、《卜》、《与胡》、《写什》、《忘不了的画》、《等》、《年候》、《花凋》、《》などの小集を書いた。 そのうち、《城之恋》と《金锁记》、《愛》が彼女の代表作である。

5.漢:ほかの女性を愛す

時は44年の終わりに近づいた。 時局は明らかに変わりつつあった。 日本軍の中国での情況は日増しに悪化していった。 胡蘭成は汪政府の役人として危機感を抱いていた。 ある夕方、二人は張愛玲の家のベランダの上から上海の夕暮れを眺めていた。 胡蘭成は、彼女に当面の時局について話し、間もなく自分に困ったことが起きるかもしれないと語った。 張愛玲は政治については敏感なほうではなかったけれど、しかしこの時、この国と今度は彼女の家に本当に影響が及んでくることを理解した。 漢の楽府の中に、“来日大難,口燥唇干,今日相楽,皆当喜歓という文言がある。 張愛玲はこの時、この詩の意味するところがはっきりわかった。 胡蘭成は、“いずれ日本は負ける。 私は多分この混乱を逃げることになる。 1,2年は名前を隠すことになるだろう。 私達は一緒にはいられない” 張愛玲は笑いながら、“じゃあその時は名前を、張牽か張招としたら? 天地の果てまであなたを捜しに行くわ”

1944年11月、胡蘭成は湖北の《大楚報》の編集をやることになり、張愛玲との長い別離が始まった。 

時局は大混乱。 1945年8月15日、日本敗戦。 胡蘭成の最期もやってきた。 重慶側は彼のような漢を処罰することになった。 そこで彼は、浙江へ逃げ、名前を張嘉儀とし、自分は張愛玲の祖父・張佩綸の子孫だとした。 姓を張としたが、張牽や張招とはしなかった。 諸の斯家に住んでいた。

斯家の息子・斯頌徳は胡蘭成の高校の時の同窓生だった。 胡蘭成は若い時、斯家に一年ほど寄寓していたことがあった。 斯家の当主はすでに亡くなり、斯家の奥方がこの家を守っていた。 斯家にはほかにお妾さんの範秀美がいた。 胡蘭成より2歳上で、以前旦那との間に女の子一人生んでいた。 このような乱世の中、斯家の人は胡蘭成を温州の範秀美の実家に避難する手配をし範秀美が見送ることになった。 温州へ着かないうちに、彼ら二人は夫婦になった。 そして範家や隣近所にも夫婦と称した。 

ところが半年あまり離れていた張愛玲が、なんと温州に訪ねてきた。 範秀美の隣近所の人に、三人の関係を勘ぐられるのを避けるため、三人は旅館で顔を合わせることになった。 朝、胡蘭成は張愛玲と話している最中、ちょっと腹痛を感じたがガマンしていた。 範秀美が来たのを見ると、彼は“気分が悪い”と言った。 範秀美は玄関のそばの椅子に座りながら、“痛みはどうなの? 後でお昼の時お茶を飲めばよくなるわよ”と言った。 張愛玲は急にやるせない気持ちになった。 彼女は、範秀美が胡蘭成の身内のように感じた。 彼女自身はまるで“第三者(愛人)”か“お客さん”のようだった。 それともう一つこういうことがあった。 張愛玲は範秀美がきれいだと褒め、肖像画を描こうとした。 これは張愛玲のおはこで、範秀美を座らせ彼女の絵を描きだした。 胡蘭成がそばで見ていた。 しかし顔の輪郭を描こうとして眉や、鼻を描き始めたのに、張愛玲は突然筆を止め、描くのをやめてしまった。 どう言っても描かない。 しょんぼりとした顔つきをしている。 範秀美が帰った後、胡蘭成が何度も問い詰めて、張愛玲はやっとこう言った。 “私、描いているうち、彼女の眉、表情、口があなたそっくりなんで、とても驚いたの。 だからたまらなくて。もう描き続けられなくなったんです” これは世間でよくいう“似たもの夫婦”といったところでしょう。 張愛玲はくやしかった。 彼女の心にはこの男しかいないのに、でもこの男の心の中には何人もの女がいる。 どうして悲しまずにいられようか?

温州を離れる時、胡蘭成は彼女を見送った。 雨が降っていた。 正に天の神様が別離の涙を降らしたのだろう。 この雨は二人の“傾城の恋”を洗い流すようだった。 張愛玲は、彼女のこの一生で一番美しい愛が、もう苦しみの果てまで行ってしまい、取り返せないことをわかっていた。

三、·

一年,胡38张爱24。但很快,他了。他们谈说爱的方式似乎是他最初相的延。胡成在南京公,一个月回一次上海,一住八、九天。次回上海,他不回美园自己的家,而是径直赶到赫德路,先去看张爱玲。两人天在一起,喁喁私无尽。但当世人并不了解他的感情,只得胡成的政治身份是奸,又有妻室,年大到几乎可以做张爱玲的父。世人都这样情似乎有些不可思,都是为张爱玲惋惜的。但张爱玲自己并不这样觉得。

四、奸与才女婚了

成是懂张爱玲的,懂她族家庭背景下的高贵优雅,也懂她因童年的不幸而生成的及的思想。仅仅这一个懂得,也就是张爱上胡成的最大原因。其实细细分析来,张爱玲本身就不是一个世俗之人,她不以世的价值观去品一个人。她没有什政治念,只是把胡成当作一个懂她的男人,而不是汪政府的奸;于胡成的妻室,她也不在乎,因她似乎并不想到天地久的事。她在一封信中我想,你将来就是在我里来来去去亦可以。她只在乎胡成当下她的,其他的,她都不愿多想。胡成的年比她大出很多,但又成了她他的原因。张爱玲从小缺乏父,便容易男性生特的感情,所以,年龄问题也不是障碍。于是,她尽自己的全部去他了,就这样在世人异的眼光中相

19448月,胡成的第二任妻子提出与他离婚。这给张爱玲与胡成的情一个升的机会——婚。他这样结婚了,没有法律程序,只是一书为凭。因成怕日后变动,自己的身份会拖累张爱玲。没有任何式,只有张爱玲的好友炎樱为证成与张爱签订终身,结为。愿使月静好,世安前两句是胡成所撰,后两句出自张爱玲之手。就这样,他成了夫妻

时间,也是张爱玲的作高峰期,她陆续写出了《茉莉香片》、《到底是上海人》、《城之恋》、《金锁记》、心》、《琉璃瓦》《散》《封》、《公寓生活趣》、《玫瑰与白玫瑰》、《殷宝送花楼会》、《写作》、《有女同》、《走! 走到楼上去!》、《卜》、《与胡》、《写什》、《忘不了的画》、《等》、《年候》、《花凋》、《》第一本短篇小集。其中《城之恋》和《金锁记》、《》都成了她的代表作。

五、

时间接近了44年年底,局明地在变动。日在中国的力已江河日下。而胡成作政府的官,也有了危机感。有一个傍,两人在张爱玲家的阳台上看上海的暮色。胡了当下的局,恐自己将来有张爱虽对政治不敏感,但此刻,她知道,个国,一次是真真到她的家了。汉乐府中有来日大,口燥唇干,今日相,皆当喜的句子。而张爱玲此刻是真切地体会到了两句的含。胡将来日本战败,我大概是能逃脱一劫的,就是始一两年恐怕要姓埋名藏起来,我不好再在一起的。张爱玲笑道:姓名,可叫张牵,或叫招,天涯地角有我在你招你。

194411月,胡成到湖北接《大楚》,始了与张爱玲的期分离。

局大乱,1945815日,日本投降,胡成末日也来了,重方面定会惩办这样奸。于是他逃到了浙江,化名,称自己是张爱玲祖父的后人——果是姓,只是不叫张牵或是招,住在诸暨斯家。

斯家的儿子斯德是胡的高中同窗,胡成年候就曾在斯家客居一年。斯家的男主人已逝,是斯家主母持生。斯家有个庶母,范秀美,大胡成两,曾与斯家老生有一女。在这样的乱世中,斯家人安排胡成去温州范秀美的娘家避,由范秀美相送。未到温州,他两人便已做成夫妻,范家人以及居也以夫妻相称。

然而,已有半年未曾面的张爱玲,竟一路到了温州。因怕范秀美的三人的系有所猜忌,他三人都是在旅馆见面的。一个清晨,胡成与张爱玲在旅馆说隐隐腹痛,他却忍着。等到范秀美来了,他一她就不舒服,范秀美坐在房门边一把椅子上,但痛得如何,等一会儿泡杯午茶就会好的。张爱玲当下就很惆,因她分明得范秀美是胡成的人,而她自己,倒象个第三者或是客人了。有一次,张爱玲夸范秀美得漂亮,要她作画像。本是张爱玲的拿手,范秀美也端坐着她画,胡成在一看。可勾出脸庞画出眉眼鼻子,张爱玲忽然就停笔不画了,也不画了,只是一凄然。范秀美走后,胡成一再追张爱玲才我画着画着,只得她的眉、神情,她的嘴,越来越像你,心里好不震,一阵难受就再也画不下去了。就是世人所夫妻像吧。张爱玲真的是委屈的,她的心里只有一个男人,而个男人的心里却装着几个女人,叫她怎能不感

温州的候,胡成送她,天下着雨,真是天公离情。这场雨,也冲刷了他城之恋张爱玲已知道,她一生最美的情,已走到了辛酸的尽,再没有挽回的余地了。

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