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1110 中国の三面記事を読む(474) 張愛玲:漢奸を愛してしまった女流作家(3)

2008-09-08 10:20:45 张爱玲:奸的女人

来源: 网易 网友评论 64  击查

6.胡蘭成に“手切れ金”30万元送る

6 温州の別れの後、8-9ヶ月の間、二人は時々連絡を取っていた。 また張愛玲は自分の原稿料を胡蘭成に送り助けていた。 彼が逃亡先で苦労しているだろうと思ったからだ。

1947年6月 胡蘭成 張愛玲から離別状を受け取る

“私はもうあなたが嫌いになりました。 あなたはとっくに私のこと愛していません。 今回の決心は、私がこの1年半という長い時間をかけて考えた末のことです。 あれこれ考えると、この災難の中、あなたに余計な心配かけさせたくありません。 私を探さないでください。 たとえ手紙を書いても、私はもう読みません” この頃の胡蘭成は、もう危険な状況から脱し、ある学校で教師をし平和な生活を送っていた。 張愛玲は彼の安定した頃を見計らって「別れの手紙」を書いた。 その手紙には30万元(約450万円)の慰藉料も同封されていた。 これをもって、この二人のドラマチックな恋は悲しい幕を閉じた。 胡蘭成は張愛玲の親友・炎櫻に手紙を書き、この愛の復活をもくろんだが、張愛玲は取り合わず、炎櫻も相手にしなかった。 これが最後のカーテン・コールとなった。 張愛玲は以前、胡蘭成にこう言ったことがある。“私、落ち込んでいるだけよ” 落ち込んだのは愛情だけではなく、彼女の文才の方もだった。 これ以降、張愛玲の創作活動も最悪の状態に落ち込んだ。 張愛玲は、これまで一言もこの恋について語ったことがない。 ただ胡蘭成が書いた《今生今世》の中の《民国女子》から考証できるだけだ。

47年後、有名な台湾の作家・三毛が張愛玲と胡蘭成の話に基づき《滚滚红塵》という本を書いた。 それが、林青霞、秦漢、張曼玉主演の映画となり、羅大佑が映画のため曲を作った。 またこの映画は、三毛脚本最後の遺作となった。

張愛玲と色戒 《ラスト、コーション》

13 張愛玲の短編小説《色・戒》、もし李安(アン・リー)監督が映画に撮らなかったら、多分ほとんど注意する人もいなかっただろう。 この短編は1950年に書かれ、30年後に発表された。 彼女の文集《》の中に収められた。 張愛玲は、1955年アメリカのニューヨークへ渡った。 従って、《色・戒》を書いた頃、張愛玲はまだ上海にいたことになる。

抗日戦争勝利後、汪政権のため手を貸した胡蘭成は漢とされた。 胡蘭成がしばらくの間、温州に潜んでいた時に、張愛玲も上海から温州に会いに行ったことがる。 その後、胡蘭成は日本へ逃げた。 そして当時有名だった余愛珍という女性と結婚した。 余愛珍の最初の夫の名前は呉四宝といい、抗戦前は上海灘のゴロツキだった。 抗戦が始まると、杜月笙など暗黒街の親分達は上海から逃げ出した。 呉四宝は上海でたちまち幅を利かすようになり、しかも汪政権のスパイ組織、略称“76号”に参加するようになり、汪スパイ組織の手先となった。 呉四宝の上司が、あの《色・戒》の中の易先生のモデルで、“76号”責任者・丁黙村だった。 余愛珍は呉四宝がまだ生きていた時、同じく残酷であくどい女スパイで、“76号”の多くの女性収容者を自ら拷問していた。 その後、日本へ渡ってからも余愛珍の悪習は改まらず、何度も麻薬密売に手を染めていた。 50年代初め、胡蘭成と呉四宝の未亡人・余愛珍は日本へ逃げ、そこで結婚した。 このことからも胡蘭成の漢としての立場が確かなものだということがはっきりしている。 70年代、胡蘭成は張愛玲の威光を借り、台湾へ戻り再起を図ろうとした。 しかし、余光中をはじめとする知識人達から人品下劣と非難される結果に終った。 胡蘭成は人々から見下げられていることを知り、腹を立て台湾を後にし日本へ戻った。 胡蘭成の本は、台湾でも禁書になった。

Photo張愛玲と胡蘭成の物語は、十数年前、香港の厳浩監督が、《滚滚红塵》という映画を作った。 台湾の女性作家・三毛のシナリオで、秦漢、林青霞、張曼玉主演、主題歌は羅大作曲、三毛作詞、陳淑樺が歌った。 顔ぶれは錚々たるものだった。 この映画が上映された時、漢という汚い行為をきれいに飾るものだという批判があった。 だが実は、社会が張愛玲と胡蘭成のテーマに関心を持ち、漢のイメージが軟化する傾向が出ているのには、具体的理Photo_3 由があった。 第一の理由は、蒋氏政権の台湾統治時代に文芸に対し取った高圧的政策への反発だった。 その頃、張愛玲の評判は高く、多くの人は彼女と胡蘭成のうわさを知っていた。 しかし張愛玲自身は何も書いていない。 このことをあちこちで言いふらす胡蘭成、彼の作品は台湾で発禁になった。 だから一旦解禁となるや、胡蘭成の本はベストセラーとなり、張愛玲と胡蘭成のロマンスが人々の間で興味津々の話題となった。 第二の理由は、張愛玲本人がこのことについて長い間あいまいな態度をとっていたことだ。 李安(アン・リー)監督は、この題材を扱うに当り、張愛玲本人の態度の影響を受けたという。

Photo_2 抗戦勝利後、張愛玲の胡蘭成に対する態度は長いことあいまいで闇に閉ざされていた。 このことで彼女は、1年間執筆を止めていたほどだ。 しかし1949年以降、上海に留まった張愛玲は、この問題について厳しく真剣に向き合うことになった。 当時、上海文芸界の責任者は夏で、その後、北京の文化部の指導者となった。 長く上海にいた霊と張愛玲の関係は比較的親しいものだった。 上海のこれら文芸界の新指導者達は、“才女” 張愛玲を重視しており、新中国のため多くの文芸作品を書くよう望んだ。 張愛玲も確かに書いた。

あまり有名でない映画の脚本のほか、《小》、《十八春》は、この時期の作品である。 この二作品の中で、張愛玲は新社会の清明さ、社会の明るさ、そして“為人民服務”といった用語まで使った。 もちろん、私達が現在読んでいる《十八春》は、張愛玲がその後大幅に書き直したものだ。 張愛玲は上海を離れると、突然180度大転換し、新中国への態度を変更し、初めの賛美が、瞬く間に批判に変わった。

六、送胡30万元分手

此后的八、九个月时间,两人偶有通张爱玲也会用自己的稿成,只因怕他在流亡中受苦。

19476月,胡成收到了张爱玲的诀别信:

我已不喜你了,你是早已不喜我的了。次的决心,是我经过一年半长时间的。彼惟以小吉故,不欲增加你的困。你不要来我,即或写信来,我亦是不看的了。小吉就是小劫的意思。此的胡成已脱离了境,在一所中学教,有了的工作。张爱选择他一切都安定的

候,写来了诀别信,随信附上了自己的30万元稿。自此以后,二人一场传奇之恋,就这样辛酸地幕了。胡成曾写信给张爱玲的好友炎试图挽回段感情,但张爱玲没有理他,炎也没有理他。段感情,真的是幕了。张爱玲曾我将只是萎了。的不仅仅情,有她的文采,此后张爱玲的作也入了低谷。

张爱玲从未就恋情说过只言片,我只有从胡成所著的《今生今世》中《民国女子》去考

四十七年之后,著名台湾作家三毛根据张爱玲和胡成的故事写出了《滚滚红尘》,由林青霞、秦曼玉主演拍成了影,并由大佑为电写了歌曲,同时这影也成了三毛编剧的最后

张爱玲与色戒

张爱玲的短篇小《色·戒》如果不是李安用它拍了一部影,大概不会有多少人注意。个短篇写于1950年,30年以后才表,收在她的一个集子《惘然集》中。张爱1955年去了美国的纽约,因此,写作《色·戒》的候,张爱在上海。

抗日利后,青胡成被定为汉奸。胡成有一段时间躲在温州下,张爱从上海跑去温州看他。后来胡成逃到了日本,娶了一个当很出名的女人,名叫佘珍。

珍原先的丈夫名叫吴四宝,抗之前就是上海的一个流氓。抗战开始后,杜月笙之的黑社会大目离了上海,吴四宝在上海顿时八面,并且加入了汪特工组织“76,成特工在上海的主要打手。吴四宝的上司,就是《色-戒》中易先生的原型,“76负责人丁默村。佘珍在吴四宝没死的候,也是一个心狠手辣的奸女特工,“76很多女犯人,都由佘自刑。即使后来到了日本,佘性不改,多次毒。

50年代初,胡成和吴四宝的孀佘珍都逃到了日本,并且了婚。由此我看到,胡成的奸面目是非常准确、清晰的。70年代,胡成企借助张爱玲的光,回到台湾展,果被余光中首的一些知分子痛人品劣。胡成自知无脸见人,才悻悻地离台湾,回到日本。胡成的在台湾也成

张爱玲与胡成的故事,十几年前,香港浩拍影《滚滚红尘》,由台湾女作家三毛编剧,秦、林青霞曼玉主演,主歌由大佑作曲,三毛作演唱,容可非常大。影上映的候,就有人指出是在为汉奸涂脂抹粉。其,社会张爱玲与胡成的材,并出现软奸形象的向,有一定的具体原因。第一个原因,是出于蒋氏政权统治台湾期,文政策的反。那候,张爱玲名气很大,很多人知道她与胡成事情的传闻,但是张爱玲自己又不写。拿件事情到处张扬的胡成,他的作品又在台湾被禁。因此,一旦禁之后,胡成的书风靡一胡的情也始被人津津道。第二个原因是张爱玲本人对这件事情期模糊不清的度。李安材,更主要是受到张爱玲本人度的影响。

战胜利后,张爱于胡成的度,昧晦暗,她甚至此停笔一年。但是,1949年以后,留在上海的张爱玲,必须严肃认真地面对这问题。当上海文界的负责人是夏衍,后来到北京当了文化部领导期在上海的柯灵与张爱系也比密切。上海的些文界新领导人都很器重才女张爱玲,希望她能新中国多写文作品。张爱玲也确写了。

除了几个不太出名的本外,《小艾》、《十八春》是张爱期的作品。在两部作品中,张爱玲歌了新社会的政治清明,社会光明,甚至使用了人民服这样术语。当然,我们现在看到的《十八春》,是张爱玲后来大大的。张爱玲离上海后,突然180度大弯,改了她新中国的度,原先的歌眼之间变成了批判。

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