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1042中国の三面記事を読む(417)貴州瓮安県暴動事件(3)

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1.瓮安事件の死亡少女の父・李秀華:私は政府を信じます

2.瓮安事件の死亡少女の遺体故郷へ戻る:役人・警官が葬儀に参列

12008-07-03 13:59:52 瓮安事件死亡少女之父李秀:我是相信政府的

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22008-07-03 09:11:06 瓮安事件死亡少女体返 有官警察送葬

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1.瓮安事件の死亡少女の父・李秀華:私は政府を信じます

娘の死亡は36歳の李秀華さんを無口にした。 昨日(2日)記者に対し、李秀華さん夫婦は初めて彼等のこれまでの経緯を明らかにすると共に、政府が娘に出した死亡の説明を信じると語った。

深夜 突然訃報が飛び込む

李秀華さんは語った。 “6月21日深夜12時頃、県城(県庁所在地)の高校に通っている息子から電話があって、娘が河で溺れて死んだという。 話を聞いて私と妻は、その夜オートバイをつかまえて急いで県城へ向いました。 小学六年の時から、娘のためにいい学習環境をと思い、娘を県城三小へ上げるため、息子と一緒に、親戚の部屋を借りて住まわせました。 子供たちが安心して勉強に専念するよう、いつも勉強をしっかりやれ、家へはあまり戻ってくるなと言ってました。 家は貧乏ですが、毎年たばこ畑から1-2万元(約15-30万円)の収入があり、またトラクターの臨時収入があったりして、子供達の学費と生活費はなんとかまかなってきました”

これまでずっと子供達は李秀華さんの希望でした。 突然の訃報に李秀華さんはとても“受け止めることが出来なかった”という。 6月9日、息子の大学受験で500元(約7500円)を届け、娘に50元(約750円)の小遣いを渡したばかりでした。

山道はデコボコしていました。 村から県城まで約20キロの道をオートバイの運転者に何度も“早く”と声をかけていました。 早朝2時頃、李秀華夫妻は、県城西門河大堰橋に着きました。 その時、もう娘は河から引き上げられていましたが、みんな私が悲しむのではないかと心配し、近づけさせませんでした。 明け方3時頃、娘の引き上げられた遺体を確認しました。 その後、李秀華さんはすぐ近くの派出所へ事件の報告に行きました。 翌日、刑事さんが現場で調査を行い、李秀華さんは刑事さん共に娘の部屋に行きました。 そして彼は県の公安局刑事大隊で、王さんと見知らぬ二人の男性に会いました。 王さんは娘とは小学生の時からの同級生で、よく家へ来ていました。 ほかの二人は見たことがありませんでした。

李秀華さんが話してくれたところによれば、その時、警察は、彼にこう説明したそうです。 調査したところ、娘さんは溺れ死んだものです。 従って立件はしません。 彼はその場で、王さんが呼び出した後、事件が起きたのだから、王さんにも当然責任があると申し立てましたが、すぐ拒否されたそうです。

噂を信じて 一家揃って逃亡

6月23日、李秀華さんの要求の下、県公安局は、彼の娘の遺体の第一回目の検死を行った。 結論は、やはり“溺死”だった。 心中にまだ疑問があったため、彼は公安局へ二回目の検死を求めた。

李秀華さんはまた、6月25日午後、彼の弟・李秀忠が教育局から出た後、理由もなく6人の見知らぬ男達に殴られた。 110番に連絡し、現場に来てもらって、弟はやっと県の病院に送られ手当てを受けたと語った。

26日早朝1時頃、李秀華さんは、いとこの李秀平、羅培華らとマイクロバスを借りて、貴陽に行き、27日、そこから都匀に向った。 そして“事情を詳しく記した資料”を陳情本部に送った。 当日午後6時頃、李秀華さんら3人は瓮安に戻った。

これと同時頃、街中に噂が流れた。 “誰かが李秀華の息子を殺すと、言いふらしている”

李秀華さんは、“弟があの夜、どこの誰か分からない連中に殴られたことを連想し、その時はとても怖かった。 息子を連れ出して逃げようと思った。 でも彼は政府にこのことを訴える気持はなかった。

28日午前、李秀華さんは県城で子供を連れ出すと、福泉から貴陽へ向い、開陽方面から来た妻と落ち合った。 その夜、 彼等は貴陽沙冲路の旅館に泊まった。 “貴陽にいた時、私は聞いたんです。 この日、瓮安で事件があったって。 翌日、ある人から電話で、私にすぐ戻って娘のことをちゃんと始末すようにというのです。 で、私達一家はすぐ家に戻りました”

私は政府を信じます

“私は農民です。 私が娘のため説明を求めたことが間違っているというのでしょうか?”と李秀華さんは言った。 しかし彼がまったく予想もしなかったことは、この間に、世間にいろいろな噂が飛び出し、暴動事件が起こったことだ。 これについて彼は心が痛むという。 でも、もしこの事件が起こった時、重要視してくれたなら、あるいはこんなことにならなかったでしょう“

記者が李秀華の妻を見ると、彼女はずっと泣き続けていた。 非常に痛ましい。 親戚が次々と彼女のそばにやって来て、彼女を慰めていた。

彼女が記者に何度も強調したことは、“最初、誰かが息子を殺すという噂を聞いた時、もしすぐ政府部門に連絡し保護してもらっていたら、あちこち逃げ回り身を隠す必要はなく、あんなでたらめな噂がながれることもなかったでしょう”ということだった。

“私は政府を信じます。 政府が私の娘に出した説明を信用します”李秀華さんはこう言った。 瓮安に戻った後、関係部門の説明で、特にこの事件が中央で注目されたことを聞き、彼は慰められた思いがし、娘の遺体を埋葬することに同意した。 しかし、埋葬前に娘の遺体の3回目の検死を求めた。

李秀華さんの話では、7月1日、関係部門から3万元(約45万円)の埋葬費が贈られたという。 この中には、王さんと二人の青年からそれぞれ3000元(約45000円)、郷政府から2000元(約30000円)、その他は政府部門からの拠出だった。 “遺体を運ぶ車やその他の出費についても、政府が面倒をみてくれ、大変感謝しています” 

2.瓮安事件の死亡少女の遺体故郷へ戻る:役人・警官が葬儀に参列

新華ネット7月3日電:7月1日22時頃、瓮安県西門河大堰橋の東側で丸10日間冷凍保存されていた李樹芬の遺体は、ここから彼女の故郷・瓮安県玉華郷雷文村泥坪組の実家に運ばれ、昨日17時、李樹芬の遺体は故郷で埋葬された。

記者が調べたところによると、これより前、貴州省調査チームの法医学者が李樹芬の主な組織の一部を採取し、更なる検死作業を行った。

死者:李樹芬、女、漢族、1991年7月26日生まれ。 瓮安三中二年生。 彼女は6月22日溺死のため死亡。 

死因に異論がある中、6月28日午後4時頃、瓮安県城で約200人が県委、県人民政府、県公安ビルを焼討ち、野次馬がたくさん取り囲む異常事件が起こった。

李樹芬の遺体が故郷に戻ったと聞き、記者一行は瓮安県城から車で雷文村に向った。 30キロほどの道のりで、そのうち10キロはアスファルト、あとの20キロは、くねくねしたデコボコの山道で、片道2時間くらいかかった。 途中、記者はナンバーが“貴J2”の7台のジープを見かけた。 李樹芬の遺体を載せ故郷に向う車だった。

7月2日0時39分、記者一行は雷文村の李樹芬の実家に着いた。 彼女の遺体はすでに新しい木棺に納められていた。 外側はビニールシートに覆われ実家の中庭に置かれていた。 その時、大雨が降り庭の周りの軒下には、村人や現場を指揮する地方、党と政府の幹部達で一杯だった。 

玉華郷政府の現場責任者が記者に語ったところによれば、現在政府と遺族との間ですでに善後策が話し合われ、李樹芬の遺体は間もなく埋葬されることになったという。

現場に30分位いたところで、当地の警察が記者一行を“護送”し雷文村から立ち退かせた。 この間、記者は李樹芬の直系の親族の姿を見ることが出来なかった。

7月2日午後5時頃、李樹芬は故郷雷文村で埋葬された。 この葬儀には、多くの地方の役人、警察官、村人が参列した。

1瓮安事件死亡少女之父李秀:我是相信政府的

2008-07-03 13:59:52 来源: 金黔在线(贵阳) 网友评论 10 击查

  因女儿的死亡,36的李秀华变得很沉默。昨日(2日),面对记者,李秀首次公们这时间以来的种种经历,并表示相信政府会女儿的死亡一个法。

  深夜忽然来噩耗

  李秀华说621日深夜12左右,在高中的儿子他打来电话女儿在河里被淹死了。听后,他和妻子夜叫了一摩托,急匆匆往城赶。

  从小学六年级开始,女儿造一个良好的学习环境,李秀将女儿送到城三小学,并与儿子一道,在一个戚家租房居住。儿女安心学,李秀华总劝说尽量少回家,多把心思用在学然家境寒,但家里烤烟可以有一两万元的收入,同他平时开拖拉机些外快,勉可以供子女读书及家常开销

  一直以来,儿女就是李秀的希望。突然听到噩耗,李秀华觉以接受69日,因儿子参加完高考,他儿子送去了500另外了女儿50元零花

  山路崎岖难行,尽管从村里到城只有20公里左右的路程,但一路上,他不断催促摩托的人快点

  次日凌晨2过钟,李秀和妻子赶到了城西河大堰桥边,已有人在打了,但他怕我度,不我靠近

  凌晨3时许女儿的体被打上来了,李秀当即赶到附近的派出所案。第二天,刑赶到现场进行勘,李秀华还随同刑去了女儿租住的地方。

  李秀华说,随后,他在公安局刑队见到了王某及另外两个陌生男青年。王某和我女儿从小学始就是同学,到我家,另外两人我没见过

  李秀华说,当一个警察向他解释说经过调查,他女儿是溺水死亡的,所以不予立案。他当即提出,人是王某叫出来后出事的,王某应该承担相应责任,但遭到拒

  听信家出逃

  623日,在李秀的要求下,公安局他女儿的行了第一次尸结论溺水死亡。由于心中仍有疑,他又到州公安局要求第二次尸

  李秀华说625日下午,他的弟弟李秀忠从教育局出来后,无端遭到6个陌生男子殴打,110民警在接到警后,赶到现场,并将弟弟送到医院救。

  26日凌晨1时许,李秀和堂弟李秀平、表兄租了一面包夜赶到阳,并于27到都匀,把反映情况的材料送到了信访办当天下午6时许,李秀3人回到瓮安。

  与此同,社会上始出现传言,有人放出来,要我儿子

  李秀华说到弟弟那被一些不明身份的人殴打,他当感到很害怕,打算着儿子出去避。但他并没有去找政府部反映情况。

  28日上午,李秀上儿子,从福泉往阳赶,并与从阳方面赶来的妻子会合。当,他阳沙冲路一家旅社里住了下来。,我就听,当天瓮安出事了。第二天,有人打电话让我回来,会妥善理我女儿的事,我全家才赶回来。

  我是相信政府的

  我一个民,我想我女儿讨说法有什么错李秀华说,但令他万万没有想到的是,在,社会上竟出种种谣言,并引了打砸抢烧事件,此他感到很痛心。但如果事一始就能引起重,或就不会出现这样的事情了。

  到李秀的妻子,她一直埋哭泣,得非常悲痛,一些乡亲来到她的身慰照她。

  她反强调,当初在听到有人要追儿子的言后,如果他能及和当地的政府部取得系,得保,或就不用四处躲藏,也不会一些不实传言越越盛。

  我是相信政府的,相信政府能我女儿一个法。李秀华说,返回瓮安后,经过的解,特是听此事已引起中央的重后,他得到了不少安慰,并同意将女儿的体安葬入土,但要求在下葬前女儿的行第3次尸

  李秀华说71日,有门给他送了3万元安葬其中,王某和另外两个男青年分出了3000元,政府出了2000元,其他是政府部的捐款。同运送体的车辆和各种开销,政府都替我了,此我很感激。(金黔在线-州都市报记者何星辉赵惠方正 (本文来源:

金黔在线 ) 谭礼剑

2瓮安事件死亡少女体返 有官警察送葬

2008-07-03 09:11:06 来源: (北京) 网友评论 1503 击查

·                                   核心提示:昨天17,李体在老家雷文村安葬,此程有不少地方官、警察和村民参与

 

芬的体就是从条河里被找到的。(来源:州都市

73 7122时许,已在瓮安西河大堰桥东侧冻存整整十天的李芬的体,从里起运,夜送回她位于瓮安华乡雷文村泥坪村老家,昨天17,李体在老家下葬。

知,在此之前,州省调查组、法医人就地摘取了李芬的主定器官本,以备进步检验

死者李芬,女,族,1991726日生,系瓮安三中初二年学生。她于622日溺水身亡。由于死因存在争628日下午4左右,瓮安生了200人打砸烧县委、人民政府和公安机大楼,上万群众围观重群体性突事件。

体运回老家,者一行由瓮安驱车赶往雷文村。是一条30多公里的道路,其中柏油10公里,坑洼不平的山弯路20公里,程至少需要两个半小。途中,者看到七牌照开头为J2”的越野送李芬的体返

72日零39分,者一行抵达雷文村李芬家中,她的体已装至一口新的木制棺材内,外披一塑料膜,放在老家天井内。当下起大雨,天井四周的屋檐下,挤满了村民与负责现场的地方党政干部。

华乡政府一位现场负责人告财经,目前政府与死者家属的善后工作已基本协调好,李芬的体将尽快入土

现场停留半小后,当地警方即者一行离雷文村。在整个程中,者未遇到李芬的直系属。

72日下午17时许,李芬在老家雷文村安葬,此程有不少地方官、警察和村民参与 

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