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1051中国の三面記事を読む(423)男は左 女は右 の由来

2008-03-20 14:29:29 男左女右的由来

来源: (北京) 网友评论 19 击查

男は左 女は右

私達の日常生活の中で、男は左、女は右といったことが当たり前のように社会全般に亘って浸透しているように思える。 公衆トイレも男は左、女は右だし、指輪だって男は左、女は右に嵌めている。 また、結婚の時の写真や、夫婦で招待された時なども、たいてい男は左、女は右が多い。 もし位置を逆にしようものなら、“男は左、女は右”の習慣に反していると笑われてしまう。

このような習慣は、どのようにして生まれたのか? 言い伝えによると、中国民族の祖先、盤古氏の身体の器官が日月星辰、四極五岳、江河湖沼、万物の人民に変わったという。 この伝説は、神話的色彩が強いが、私達に中国民族の日の神、月の神について参考の話を伝えてくれている。 《五運歴年記》の中には、中国民族の日月二神は盤古氏の二つの目が変化したもので、日の神は盤古氏の左目が変わったもの、月の神は盤古氏の右目が変わったものとしている。 民間に伝わる“男は左、女は右”の習慣はここから来たものだ。 それでは中国民族の日月二神は誰なのか? 日の神は伏羲、月の神は女で、二人とも伝説中の神である。

伏羲、女は、我が国古代の伝説中の神であり、人類の祖先である。 言い伝えでは、伏羲は人々に農業、放牧、漁業に従事するよう教えた。 女は、人々に男女の結婚と人としての道を教えた。 彼等が手にした規則は、社会秩序のシンボルとなった。

また、“男は左、女は右”の習慣は、古代人の哲学観と非常に関係が深い。 我が国古代の哲学者は宇宙のことから、一切の事物には二つの対立面:陰陽があると考えた。 自然界には大小、長短、上下、左右などがある。 古代人はそれを大、長、上、左を陽とし、小、短、下、右を陰と分類した。 陽は強く、陰は弱いとした。 人の性格でも、男子は粗暴で強く、陽とし左とした。 女子はやさしく、陰とし右とした。 

“男は左、女は右”は、中国医学の応用でも実際的科学意義があり、“男は左、女は右”は、医学的に男女生理上の違いを表している。 中国医学では、脈を診るとき男子は左手を見、女子は右手を見た。 たとえ子供でも、“男は左、女は右”の習慣を守った。 これが“男は左、女は右”の由来でもある。 2千年前の戦国時代にすでにあった、この習慣が現在も踏襲されているのだ。 “男は左、女は右”が、男女の生理上の相違を表しているかどうかは、もちろん別の問題である。

我が国封建社会の中で、多くの物事は、すべて上下高低に分けられた。 東西南北、前後左右も例外ではなかった。 

古代は南を尊い場所とみなし、北を失敗:臣下として服従する象徴とした。 宮殿と廟の建物はすべて真南に面し、皇帝の席はすべて南向きとした。 皇帝になると「南面して王となる」といい、戦いに負け敗北した時は、「北面の臣」となった。 真南の方角はこのように尊い場所なので、昔、民衆は家を建てる時、誰も真南の方角を取ることはせず、東向きか、西向きとし、災いを避けた。

南を尊び北を嫌った以外に、東西の方向では、古代人は東を第一とし、西を第二とした。 皇后と妃達の住居は、東宮、西宮とし、東宮は大きく正とし、西宮は二番目で従とした。 祖先の位牌を祀る太廟は、皇居の東側に建てた。 現代中国語で“東家”(主人)、“房東”(大家)などというのは、ここからきている。

東西南北以外に、方向を表す前後左右にも上下高低の区分けがある。 古代皇帝は、この上なく偉い人で、南向きに坐った。 その左側は東方である。 だから東方を崇め尊ぶと共に、“左”も尊ばれるようになった。 三国時代の東呉は、江東(長江の東)を占拠していたから、江左(長江の左側)とも呼ばれた。 文官が左、武官が右の制度、“男は左、女は右”といった観念は、左を尊んだ反映でこういった習慣が今に至るも続いているのだ。

たとえば部屋は、住居の中で最も重要な部分だ。 北京の四合院《中央に庭を囲んで母屋(正房)、東西の(棟)廂房、母屋の向かいの棟(倒房)の4棟からなる旧式の家》はみな平家で、2階建てではない。 四合院で、最も重要な部屋は母屋である。 母屋は南向きの部屋で、上房とも主房とも呼ばれる。 母屋であるから祖先の位牌は母屋の中央に置かれている。 だから母屋は家の中の最高の場所である。 母屋の間取り、奥行き、高さなどは大体において、他の部屋より大きい。 母屋は普通、三部屋で真ん中が先祖を祀る部屋で、東側の部屋には祖父母が住み、西側の部屋には両親が住んだ。 また母屋の左側(東側)の部屋は、右側(西側)よりやや広い。 これは“左が上”の伝統的習慣の結果である。 昔の人達は、左を尊ぶ習慣があり、私達がよく言う“左に古廟”、“文官は左、武官は右”、“男は左、女は右”は、みな左を尊んだ影響である。

また、指輪の嵌め方にも約束事がある。 この習慣については、文字上の記載などは見当たらないが、長い間行われ一般化したものである。 一般の人々は左を上、右を下に見ており、左は尊厳と力を表し、右はやさしさと思いやりを表すものと思っている。 そこで人々の間に指輪を嵌めるのにも“男は左、女は右”の違いが生じた。 男が人差指につけるのは求愛の表示で、中指に嵌めると恋愛中、薬指は結婚していることを表している。 一方、女性は一般に人差指には嵌めないが、その他は男性と同じである。 もし男にしろ、女にしろ小指に嵌めていたとしたら、自分は独身だと明確に表明していることになる。 現代の風習では、男女の恋の駆け引きにおいて、相手の指輪の位置を見ることは大切である。 このように一般化した習慣を大事にして適切に付き合うべきだ。

中国の歴史上、女が左、男が右といった現象も勿論あった。 嘉陵江東岸の古桟道・石柜閣のそばの千仏崖の磨崖仏は1400年の歴史がある。 石刻像の規模は大きく雄大である。 南から北まで全長417米、高さ45米、像の石窟は十三層で、ハチの巣のようで、石窟は四百余りあり、大小の像が七千体あまりある。 大雲古洞を中心として南北2段に分かれている。 大雲古洞は千仏崖最大の洞窟で全部で像が234体ある。 正殿の真ん中にある弥勒仏の立像は大雲洞の主仏で、女帝・則天武后の象徴である。 左側が則天武后、右が高宗皇帝である。 我が国の「男は左、女は右」の伝統の習慣を変えている。 牟尼閣の衣服の紋様は滑らかで造型はふくよかで、仏像の後ろは屏風が透かし彫りされ、石の彫刻の多面体効果を見せており、石窟中、貴重な芸術作品となっている。

「男は左、女は右」の習慣が一般化したのは、千百年来の男尊女卑の伝統がそうさせたのだ。 左から右、男が先で女が後。 東洋の習慣で名前を記帳する場合、もし夫婦だったら必ず夫が先に名前を書き、その後、妻が続けて名前を書く。 西洋のように、何事も“レディー・ファースト”また講演の際の“レディース・アンド・ジェントルメン”とはいかないようだ。

男左女右的由来

2008-03-20 14:29:29 来源: (北京) 网友评论 19 击查

·                                   上公共所,男左女右;戴婚戒,男左女右;另外,有照婚玉照,夫妻二人出席某些礼仪场合等等,男的往往在左,女的往往在右

 

男左女右

在我的日常生活中,男左女右,好像定俗成地透到了我社会生活的各个方面。上公共所,男左女右;戴婚戒,男左女右;另外,有照婚玉照,夫妻二人出席某些礼仪场合等等,男的往往在左,女的往往在右。如果倒了位置,就会有人笑反了男左女右

这种习俗是怎么产生的呢?据传说:中民族的始祖古氏化仙之后,他的身体器官化日月星辰、四极五岳、江河湖泊及万物生灵。传说虽然有神的成份在内,但却提供了一份研究中民族日神和月神的参考料。《五运认为:中民族的日月二神是古氏双眼所化,日神是古氏的左眼所化;月神是古氏的右眼所化,民男左女右俗,就是由此而来。那民族的日月二神是呢?日神就是伏羲;月神即是女,均是传说中的上古之神。

伏羲、女都是我国古代传说中的天神和人的祖先。据伏羲曾教从事、牧、渔业,女曾教婚姻嫁娶的人礼法。他手中拿的和矩,即是生工具,又是社会秩序的象征。1953年,科学家发现,生物的一基本遗传物体——脱氧核糖核酸的分子,一化生万物的基本遗传——双螺旋线形式,竟然与吐番地区表化生万物的人始祖形象非常相似。以化生万物名,吐番出土的一幅伏羲女画像成了合国教科文组织杂志《国社会科学》1983刊号的首

另外,男左女右和古代人的哲学观关系非常密。我国古代哲学家认为,宇宙中通事物和人事的两个立面就是阳。自然界的事物有大小、短、上下、左右等等。古人将其归类大、、上、左阳,小、短、下、右为阴。阳者刚强者柔弱。人的性格,男子性暴刚强属于阳于左,女子性温柔和属于于右。男左女右在中医用上也有实际的科学意男左女右在医学上是表示男女生理上的差异。

中医脉,男子取气分脉于左手,女子取血分脉于右手,即使小儿患病察手也取男左女右习惯就是男左女右的由来。一沿至今的俗,早在二千多年前期就已有了。当然至于男左女右是否真能表示男女生理上的差异,是另一个问题了。

在我国封建社会中,多事物都有尊卑高低之分,就连东西南北、前后左右也不例外。

古代把南视为至尊,而把北象征、臣服。殿和宇都面朝向正南,帝王的座位都是座北朝南,当上皇帝称南面称尊;打了仗、臣服他人北面称臣。正因正南个方向如此尊,所以去老百姓盖房子,也不敢取子午线的正南方向,都是偏或偏西一些,以免犯忌

除了南尊北卑之外,在、西方向上,古人东为首,以西次。皇后和妃子的住为东宫、西,而以东宫为正,西宫为从;供奉祖宗牌位的太,要建在皇东侧汉语中的等也由此而来。

除了西南北之外,表示方向的前后左右也有尊卑高低之分。古代皇帝是至尊,他面南背北而座,其左方。因此就在崇尚方的同也随着高起来。三国期的吴占据江,也称江左。文左武右的制,男左女右的念等,都是尊左的反映,有些俗甚至延至今。

如:房是民居院落中最重要的成部份。北京四合院都是平房,没有楼房。四合院里最重要的房就是正房。正房就是北房,也称上房或主房。由於祖宗牌位及堂屋在正房的中,所以正房在全宅中所的地位最高,正房的开间深和高度等方面在尺度上都大於其他房。正房的开间一般,中间为祖堂,东侧的次往往住祖父母,西的次住父母,而且老房子正房左(东边)的次、稍比右(西)的略大,是受传统习俗影响的果。旧尊左的俗,我左祖古文左武右男左女右都是尊左的反映。

再如:戴戒指也是有究的,这种讲究不见诸文字记载,而是一种约定俗成。民众认为,左上,右下,左象征尊和力量,右象征温柔和体。故民众佩戴戒指有男左女右之分。此外,男子戴在食指上表示求,戴在中指的表示正在恋,戴在无名指上表示已婚。而女子一般不戴在食指上,其他与男子相似。若有人男左女右地戴在小指上,明确表示自己是独身。在当代民俗中,男女情感上的交往,一定要注意方所戴戒指的位置,要尊重这种约定俗成的俗,恰如其分地

当然,在中国史上,也出现过女左男右的。位于嘉陵江岸的古道石柜旁的千佛崖摩崖造像,距今已有一千四百年的史了,造像模宏大,气,从南到北全417米,高45米,造像窟重叠十三,密如蜂房,窟四百多个,大小造像七干多尊,以大云古洞中心,分南北两段。大云古洞,是干佛崖最大的洞窟.共有造像234尊,大殿正中弥勒佛立像系大云洞的主佛,是女皇武天的象征。左天女皇,右是高宗李治,排列改了我国男左女右的传统习俗。牟尼,衣,造型丰,佛背后是空雕刻屏,增了石雕多面体的表效果,是石窟中得的艺术珍品

男左女右,定俗成,是千百年来男尊女卑的传统使然。从左到右,先男后女。按俗,每每签名,若是夫妻,必是丈夫的大名写在前,妻子如一个后添加其后。不像西方,事事Lady first讲开也是“Ladies and gentlmen”

 

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