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1018中国の三面記事を読む(405)【歴史の話題】昔の人はセックスを“雲雨”と言った

【歴史の話題】中国古代の文人はなぜセックスを“雲雨”と言ったか?

[话题] 中国古代文人何把房事称云雨

20080320 21:30:40 作者: 石学峰

中国の膨大な古典文学をひもとく時、必ずその中の作品に“雲雨”という二文字が出てくる筈だ。 たとえば、“ともに巫山雲雨に赴く”だの“雲雨一番に及ぶ”、“雲雨の情 初体験”、“雲雨・セックスを知る”等等。 このほかにも沢山ある。

世の中の男女の営み・房事を“雲雨”と書くのは、中国古典文学の一大特色である。 神秘と謎に包まれていて、たぶん世界各国の文学史上にも絶対にない独特な現象だと思う。 思い起こせば、私が小学校3年で初めて《紅楼夢》をこっそり読んだ時、現在の小学3年生のように、“見聞が広く” なく、“宝玉 初めて雲雨の情に及ぶ”といったたぐいの言葉が、いくら考えても理解できなかった。 それで古い辞典を調べたり、自分であれこれ思いめぐらし、どうにかやっと大よその意味がわかった。

私の推測だが、中国古典文学作品が男女のセックス・房事を“雲雨”と書いたのは、子供達が読んでもわからない、見てもわからないようにするためか、あるいは古代の文人達がわざとそうしたことだと思っていたが、その後、私はあの古典文学作品は、当時、子供達が読んではいけない“禁書”であり、中国古代文人達のロマン主義と現実主義が見事に結合して具体化されたものだということがわかった。

巫山 秀麗な景観で天下に名を轟かす

11 中国古典文学作品の中で、“雲雨”というと“巫山雲雨”という言葉を持ち出さないわけにはいかない。 中国大陸に巫山という山が確かに存在する。 その場所は、今の重慶市の東大門に位置し、長江三峡で必ず通らなければならない場所、三峡ダムの要衝でもある。 巫峡は深山幽谷の秀麗な景観で天下に名を知られており、峡谷は長く曲がりくねり、有名な“巫山十二峰”が長江の南北に並んでいる。 特に美しいのが神女峰である。 峡谷では、雲雨が多く、変化が激しい。 雲の形の美しさ、雨の景色の素晴らしさは見るものを圧倒する。

唐代の詩人・元稹は、千古に伝わる絶唱を残している。 “曾经難為水,除却巫山不是雲” これは長江三峡巫山の千古不滅の風格と魅力を総括したものである。 また巫山には“三台八景”なるものがあり、更に神秘的色彩に包まれている。 “三台”とは「授書台」、「蘇陽台」、「斬龍台」のこと。 “八景”とは「南陵春暁」、「夕陽返照」、「寧河晩渡」、「清渓漁釣」、「澄潭秋月」、「秀峰禅刹」、「女貞観石」そして「朝雲暮雨」は巫山一番の目玉ともいえる景観である。 巫山へ行く旅行客は誰しもが“雲雨”を見たがる。 それが見られないとちょっと残念な気分になる。

朝焼け・夕焼けの巫峡

22 中国古代の文学作品の中で、“巫山雲雨”と男女のことを結びつけた一番早い作品は、春秋時代の楚辞《高唐賦》、《神女賦》などに見られる。 《高唐賦》の中にこう記されている。 “私は巫山の南、高丘の険しい

ところに住んでおります。 朝は雲になり、夕暮れには雨になって、朝な夕な陽台にいます” ここに記されているのは、女神のことで、彼女は雲を起こし雨を降らせることができる。 もし彼女が誰かの夢の世界に入り、その人が彼女の夢を見ることができたなら、この美女と交わることができる。

楚の襄王が雲夢台の館に行った時、遊び疲れここで一休みした。 夢に驚くほどきれいな若い女性が現われ、自分は巫山のものです。 楚王様私が共寝いたしましょうと言った。 楚王は巫山の美女を可愛がられた。  別れの時、巫山の女性は楚王にこう告げた。 もし私に会いたい時は、巫山へお出でなさい。 朝は“朝雲”、夕べは“雨”となってお会いしましょう。 これはつまり、“雲雨”とは古代神話伝説の巫山の女神が“雲を起こし、雨を降らす”ことを指していたのだ。 その後、“旦為朝雲、暮為行雨”(朝は「朝雲」、夕べは「雨」)の八字を簡略化して“雲雨”の二文字で表すようになった。 そしてもっぱら男女のセックスのことを形容する言葉として使われるようになった。

宋玉が《高唐賦》の中で書いた物語は、後世よく引用されるようになった。 たとえば明朝の陸少珩は、“雲雨、襄王の夢に入らず、空しく十二の巫山を思う”と書き、雲雨を行う女神が楚の襄王の夢に入って来なかったため、しかたなく巫山十二峰を思い出し落胆している様子を書いている。

“雲”と“雨”が入り混じる巫峡

風景

33 唐代の詩人・李商隠は《有感》という詩の中で、“一自高唐賦成後、楚天雲雨尽堪疑”と歌っている。 杜甫も“揺落深知宋玉悲、風流儒雅亦吾師。 悵然千秋一洒泪、蕭条異代不同時。 江山故宅空文藻、雲雨荒台豈夢思? 最是楚宮倶泯滅、舟人指点到今疑” つまりこうして、歴代の文人墨客の類いない想像と文章により“雲雨”という言葉が広まり、中国文学作品の中で、男女の営みの常用語となったのだろう。

私はこう思う。 叙情的、ロマンチックな文学作品の中で、男女の愛、男女のセックスを“雲雨”と表現することは、あのポルノ写真のように露骨に即物的に描くものより、含蓄があり雰囲気があって、また曖昧模糊として芸術に美観を生み出し、読者の感情と心に訴えるものがあり、読んだ後、美的満足感を感じさせてくれる。

あの露骨で即物的、大胆な性描写は、ただ色情を催し官能を刺激し、退廃的世界に引き込むだけで、決して芸術的美感など感じない。 だからその芸術的生命力など永続性はない。 中国古典文学の中のあの含蓄があり、雰囲気がある要素が、引き続き継承されていくことを望みたい。

[话题] 中国古代文人何把房事称云雨

20080320 21:30:40 作者: 石学峰

翻开浩瀚的中国古典文学长卷,人们几乎都会在其中每一部作品当中找到“云雨”二字的,诸如,“共赴巫山云雨”、“不免云雨一番”、 “初试云雨情”、“识云雨,知房事”等等,不一而足,不胜枚举。

把人间男女交欢、男女房事写成“云雨”,应该说是中国古典文学的一大特色,充满着神秘和神奇的色彩,想来在世界各国文学史上也是绝无仅有的独特现象。记得我读小学三年级第一次偷着阅读《红楼梦》的时候,远不如当下小学三年级学生那样“见多识广”,曾对“宝玉初试云雨情”之类百思不得其解,后来是查阅了老版词典再加上自己胡思乱想,才知晓了个大概的意思。

我原来揣测,中国古典文学作品之所以把男女交欢、男女房事写成“云雨”,就是为了让小孩子们读不懂、看不明,也许是古代文人的一种故意所为;后来,我才知晓那些古典文学作品在当时都是不允许小孩子们看的“禁书”,而是中国古代文人身上的浪漫主义与现实主义完美结合的一个具体体现 ………

                            

           

                                  巫峡以幽深秀丽擅奇天下

提起中国古典文学作品中的“云雨”,不能不说到“巫山云雨”这样一个词汇。在中国大陆,巫山是确有其山的,它的所在就位于今重庆市的东大门,是从下游进入长江三峡的必经之地,也是长江三峡库区的一个重镇。巫峡以幽深秀丽擅奇天下,峡深谷长迂回曲折,著名的“巫山十二峰”屏列长江的南北,尤以神女峰最秀丽。峡中那云雨之多,变化之频,云态之美,雨景之奇,令人叹为观止。

唐代诗人元稹传之千古的绝唱“曾经沧海难为水,除却巫山不是云”就是对长江三峡巫山那万古不衰的神韵和魅力的概括,而巫山“三台八景”更是笼罩着十分神秘的色彩。“三台”是授书台、楚阳台、斩龙台; “八景”除了南陵春晓、夕阳返照、宁河晚渡、清溪渔钓、澄潭秋月、秀峰禅刹、女贞观石之外,那朝云暮雨便是巫山最具有标志性景观,一个游客前往“巫山”谁也不想错过“云雨”的,否则就一定会有遗憾的感觉。

                                  

          

                                    金色霞光之中的巫峡

在中国古代文学作品中,最早将“巫山云雨”与男女之事联系在一起的,始见于春秋时期的楚辞《高唐赋》、《神女赋》等。在《高唐赋》中有记:“妾在巫山之阳,高丘之台,旦为朝云,暮为行雨,朝朝暮暮,阳台之下。”写的就是传说中有个神女,她能行云布雨,她要是走入谁的梦境,谁就能梦见她,就能得到美女,并与之交欢。楚襄王游云梦台馆时,玩累了在此小睡一栖。梦见一女子,美丽动人,说自己是巫山之女,愿献自己的枕头席子给楚王享用。楚王宠幸了巫山美女。临别时,巫山之女告诉楚怀王说,如再想臣妾的话,就来巫山找我,早晨是“朝云”,晚上是“行雨”,这也就是说,“云雨”原所指的是古代神话传说中巫山神女兴云播雨之事。

后来,“旦为朝云,暮为行雨”八字被人们简写成“云雨”二字,专门用来形容人间的男女交欢之事。宋玉在《高唐赋》中写的故事也不断被后人所用,比如明朝的陆少珩,就曾写有“云雨不入襄王梦,空忆十二巫山。”说行云布雨的神女不进入楚襄王的梦里,只好空想巫山十二峰,徒自伤感。

            

                                    “云”与“雨”交织的巫峡风景http://img.blog.163.com/photo/l6FyWP_ypUwp1HHuGbRD9g==/1981583836043646184.jpg

                             

在唐代,诗人李商隐写了《有感》一诗,诗中言:“一自高唐赋成后,楚天云雨尽堪疑。”杜甫也作诗道:“摇落深知宋玉悲,风流儒雅亦吾师。怅然千秋一洒泪,萧条异代不同时。江山故宅空文藻,云雨荒台岂梦思?最是楚宫俱泯灭,舟人指点到今疑。”

也许就是这样,经过了历代文人墨客的美妙遐想和笔下生辉,“云雨”一词渐渐地被广泛传播开来,成为了中国文学作品中描写男欢女爱的一个常用词语。

我以为,在一切抒情的、浪漫的文学作品当中,把人间男女交欢、男女房事写成“云雨”,总要比那些照相式的露骨的白描写法要含蓄、内敛和讲究一些,朦胧可以产生艺术美感,也可以陶冶读者的情怀与心灵,让人们通过阅读感觉到更多的美丽与幸福。而那些直白、露骨、直接、大胆的性描写,只能产生情色诱惑和官能刺激,令人痴迷和颓废不堪,而绝无丝毫艺术美感,因而它的艺术生命力也终将不会长久的。

愿中国古典文学中的那些含蓄、内敛和讲究的因素能够得到不断地继承与发扬。

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