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1027中国の三面記事を読む(409)郭沫若の東京での恋(下)

2008-06-11 10:34:45 郭沫若的京之恋

来源: 人民网(北京) 网友评论 123  击查

Photo 郭沫若が岡山へ戻って間もなく、佐藤富子から陳龍驥のX線写真が送られてきた。 彼女は英文の長い手紙を書いて郭沫若を慰めた。 手紙に中には、宗教上のResignation(運命とあきらめる)といった教えを沢山書いていた。 “看護婦として臨終のつらい光景を何度も見てきました。 そのような時、私はいつも決まって涙を流してしまうのです。 どういう訳かわからないのですが、悲しみがどっと押し寄せてきて、泣かない訳にはいかないのです。 いつもこうなので先輩達からバカにされます。 ほかの同世代の看護婦も人の臨終を見ても心を動かすことがありません。 私には理解できません。 私自身「生ある者は必ず死あり」ということは知っています。 多くの聖人が生きる道を求めています。 イエスは人を救うため自分は死にました-----------神は生きてるものすべてを審判され罪を許されます。 善人、悪人、賢者、君子、愚かな人、小人の区別なく、神の目の前ではすべてみな同じで、神はみな平等に見ておられます----------------

もともと佐藤富子は、敬虔なクリスチャンだった。 彼女は1894年10月3日、仙台に生まれた。 父親は牧師だった。 彼女は、アメリカ人が創立した教会の学校尚銅女学校を卒業後、慈善事業に身を投ずる決意をし、両親の反対を顧みず、単身仙台から東京に出てきて、京橋区にある聖路加病院の看護婦になった。 郭沫若は佐藤富子の手紙を繰り返し読み、bitterishsweetness(ほろ苦く甘い幸せ)を感じていた。 中国にいた時は、親の決めた結婚に苦しみ、また異国では侮られる痛みを味わっていた。 そのような時、郭沫若は、このような日本女性から尊重、同情、親しみを受け苦難の中で聖母マリアに出会ったようで、どうして感動しないでおられよう?

“ああ----------神様が私を思ってくれたのだ! 最良の友が死んだのを見て、賢くきれいな人を送って、私の失ったものを埋めてくれたのだ!”

彼はこのように気持を高ぶらせた。 またその手紙を読み返すと、行間から佐藤富子の純潔な輝きが浮かんでくるようだった。 彼の心の灯りが明るくともり、知恵の光が点火された。 彼はすぐさま佐藤富子に自分の気持を打ち明けた。 “----------私は病院の入口で、あなたに出会った時から、まるで聖母マリアに会ったような気持になりました。 あなたの後ろから後光が射し、あなたの目が話をし、あなたの口はサクランボのようでした。 あなたは今まできっと沢山の患者を助けたことでしょう。 私はあなたが好きになりました。 私はあなたと話した時の会話が忘れられません。 私は国を離れてから2年経ちます。 異郷でとても寂しいです”

数日後、佐藤富子は郭沫若の手紙を受け取った。 読み終わって、彼女は思わず笑い声を上げた。 そして心の中で思った。 “これはラブレターだ。 私を好きになるなんてちょっとおかしいけで、でも彼は、可愛い学生で、いい人よ”

富子がこう思った時、心の中では今まで経験したことのない異常な興奮が起こっていた。 彼女の白い柔らかな頬が次第に紅潮した。 若い娘の心に愛の神が訪れた時の喜びの感じだった。 彼女はすぐに返事を出した。

愛は連綿と続き 終わることなし

東京――岡山。 千里も離れているが、中国の学生と日本の娘の思いを遮ることはできなかった。 それから、郭沫若と佐藤富子の手紙の交換は頻繁で、一週間に三、四回手紙のやりとりをした。 夏が去り、秋が来て、紙の上でいろんなことを話し合い、彼等はより親しくなり、愛を深めた。 二人は異国の兄と妹となった。

今回、佐藤富子が受け取った手紙はいつもの手紙よりだいぶ分厚かった。 急いで宿舎に戻って開けてみると、中には、郭沫若の最近撮った写真が入っており、裏に“賢妹へ、記念にお手許にお置き下さい”と書かれていた。 佐藤富子はとても喜んだ--------郭沫若の手紙であれば、何が書かれていようが、彼女は幸せと喜びを感じた。 “私は、ふだんどんなに兄さんからの手紙を待ち望んでいたことでしょう! 兄さん、お願いがあります。 どうか何でも思っていることを、私に話して下さい。 これが私の唯一の要求です----------

“私は、あなたのために「羽織」と「袴」を縫いました。 1ヶ月かかってやっと縫い上げました。 外で誰かほかの人に頼んで縫えばもっと早く出来たのですが、私はあなたに自分の手で作った着物を着てもらいたかったのです。 ですから、暇を見てはぬっていたもので、こんなに長い時間がかかってしまいました。 本当は恥ずかしくって送れません。

でも、心を込めて縫ったものです。 縫い上げて送らないわけにはいきません。 ですから送ります。 ひょっとしたらあなたの気に入らない

かもしれない。 でもどうか心を広く持って着てみて下さい。 何もわからず、ただ自分の目分量で作ったもので、恐らく身体にピッタリしないかもしれません。 私の気持を受け取ってくれたら、どんなにかうれしいことでしょう!-----------

翌日、彼女はこの手紙と「羽織」「袴」を一緒に、千里の彼方・岡山へ送った。

彼女が送ったのは深い愛情、彼が受け取ったのは厚い思いだった。

郭沫若的京之恋

2008-06-11 10:34:45 来源: 人民网(北京) 网友评论 123  击查 

郭沫若回山不久,佐藤富子把陈龙骥生前的X光片寄来了。她用英文写了一封信安慰郭沫若,信中多宗教上的Resignation()的教一名看,人到属(病人的代称)的惨状我凝视过的回数很多。在那候我不知不地要流眼泪。我然不知道是什么缘故,但有无上的悲哀潮涌上来,竟至不能不哭。我这样每被小姐嘲笑。多的同看着人的临终也能漠然不,我真不了解。我自己也得死也并不是生的反,并且有多圣者是死以求生的,如像耶更是使他人活而自己就死……上帝是裁判众生的,赦众生的。无是善人,人,智者,者,君子,愚人,小人,在上帝的眼中都是一,上帝是一同仁的……”

原来佐藤富子是一位虔的基督信徒。她1894103日生于仙台,父是位牧。她在美国人开办的教会学堂尚女校毕业后,就立志献身于慈善事,不父母的反,只身一人从仙台来到京,在京区圣路加医院当了看

郭沫若一遍又一遍地着佐藤富子的来信,真正感受着了bitterishsweetness(着苦味的甜蜜)。既在国内客存在包婚姻之苦,又在异邦受欺侮之痛,这时的郭沫若得到了这样一位日本女子的尊重、同情与怜,惟如在苦中遇着了圣母,怎能不叫他万分感呢?

啊啊……上帝可怜我!我死了一位契己的良朋,便又送一位淑的友来,补偿我的失缺!”这么地想着。再看那信,字里行分明又闪现出佐藤富子特有的圣来。他的心灯被亮了,智光被点燃了,他当即佐藤富子回信表白了自己的心迹:“……我在医院大口看您的候,我立刻生了就好像是看到圣母玛丽亚的心情,您的放出佛光,您的眼睛会说话,您的口像桃一。您到在一定救助无数的病人,我上了您。我忘不了同您的那次谈话,我离两年,在异非常寂寞。

几天以后,佐藤富子便收到了郭沫若的来信。读罢之后她禁不住笑起来了,心想:是情!上了我真是奇怪。不,他是一个可的学生,好男子。

当富子这么想的候,心里有一经验过的异的感,她的白嫩的脸颊渐渐地潮了。是一位少女被神敲响心扉心里生的那惊喜交的感,她并不十分真地又回了信……

义绵绵无尽期

山。相隔千里之遥,但隔不断一位中国学子和一位日本姑娘的绵绵情思。

从那以后,郭沫若和佐藤富子信往返十分繁,一个星期之中每每要通上三四封信。夏去秋来,通过纸心,他相知了,相了,两人做异国的兄妹。

次,佐藤富子接到的信札,得比往常的信要厚一些。赶快回到宿舍拆来一看,里面着一郭沫若新近照的相片,背面上并写着妹惠存几个字。佐藤富子十分欣喜———只要是郭沫若的来信,无写着什,她都感到幸福与欣慰,我平常是怎地怎望着我哥哥的信的!哥哥,我有个祈愿:你把一切的心事都直率地说给我听是我第一的要求……”

我替你了一件’(和服的袍子),一条’(和服的裙子)了一个月的工夫才好了。在外托人原是可以早到的,但我想要你穿我自己手制的衣裳,所以时间,竟至这么久的候。真是害羞得很,送也不好送得。但已操了一番心,好了又不能不送,我只好你送去。你怕不喜欢罢。但请宽怀地穿用。什也不知道,只是凭空做的,怕不一定合身。你能受我的心的候,我真不知道是怎地幸福!……”

第二天,她把封信,一并寄往千里之外的山。

她寄的是一片深情,他收到的是一片厚意。

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