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972中国通俗小説の巨匠・張恨水(その7)――啼笑因縁(上)

友人・張友鸞の話:

Photo 1925年(大正14年)、私が《世界日報》に入った頃、恨水と朝晩いつも一緒だった。 彼は、芝居を見るのが好きで、よく私を誘った。 ある時、記者仲間の門覚夫が私達を四海升平園へ招待してくれた。 高翠蘭の“唱太鼓”(三弦の伴奏で、“拍板”《拍子をとる板》と“鼓棍”《バチ》で大太鼓を打ちながら歌う)が素晴らしいからとのことだった。

Photo_2 あいにく、私はその日用事で行けなかった。 2,3日後、恨水が私に言った。 “君を誘おうにも、もう、見に行きたくても見られなくなってしまった” なぜかというと、その夜、高翠蘭は田という旅団長に“強奪”されてしまったのだ。 門覚夫は、義憤に燃え、衆人環視の中、こんなことをするなんて全く横暴だといきまいた。 恨水は、このことに対して、“もし高翠蘭が望んでいないのだったPhoto_3 ら、その田旅団長もこうまではしなかったろう。 きっと田旅団長にも高翠蘭に気に入られる何かがあったのだろう”と言った。 皆は、その頃の軍閥の横行、勝手気ままな行為から“唱太鼓”の娘を侮ることぐらい、珍しいことではなく、だから、恨水の判断に賛成しなかった。 ところが数日後、門が写真館から一枚の写真を手に入れてきた。 それは、田、高の新婚記念写真だった。 高翠蘭は写真の中Photo_4 で、喜びに溢れ、輝くばかりの容貌をしており、全く強制された様子は見られなかった。 皆は、恨水が最初に判断していたことが、全くその通りだったことを思い出した。 事はこれで決着したのではなかった。 高翠蘭の両親は、もともと娘を金のなる木と思っていたので、強引に連れ出されて、どうしてそのまま引き下がれようか。 両親は、田家に娘の引渡しを求めることはせず、逆に身代金を要求しPhoto_5 た。 “途方もない高い値段を吹っかけ、その場で金を求めた” 

しかし、話し合いはまとまらなかった。 高翠蘭の父親は、裁判所に訴え出た。 田旅団長は現役の軍人である。 軍法会議にかけられ、4,5回開廷のPhoto_6 後、判決が下された。 田旅団長は軍人の身で民間の女子を強奪した。 懲役1年に処す。 高翠蘭は、両親に戻された。 裁判の結果、高翠蘭はまた“唱太鼓”の生活を始めたが、顔はやつれ、もう以前の元気さはなかった。 家にいる時も、泣いてばかり、田旅団長に対する気持を抑えられないようだった。

この事件は恨水に大きな影響を与えた。 胸中に早Photo_7 くも《啼笑因縁》の輪郭が浮かんでいた。 彼は、この事件をそのまま書く訳にはいかなかった。 軍閥は人々が憎んでいる。 もし軍閥があろうことか、恋愛をする話なんか書いたらどんなことになるか? ただ選択できるのは、“強奪”の場面だけだ。 これを手がかりに、筋道をつけ、軍閥の凶悪な行為を浮き彫りにしようとした。 彼は、伝奇性Photo_8 の人物・物語を考え出した。 最初の構想では、三角関係を書くつもりだった。 書いている途中で、次第に多角関係に変遷した。 ロマンスは人々に喜ばれるもので、また複雑で、変化に富めば富むほど、ますます喝采を浴びる。 この小説の成功の理由である。 しかし、ここで指摘しておかねばならないことがある。 彼の本心は、恋愛は自由であり、家柄が釣り合うとかいう封建的結婚制度に反対するのが主題だった。 しかし、紆余曲折の末、家柄の釣り合いに反対しながら、結局、家柄が釣り合う人一緒になって、主題からズレてしまった。

《啼笑因縁》は、1930年(昭和5年)《新聞報》に連載を始め、同年完結した。 連載期間中、世間を一時騒がせた。 上海市民は顔を合わせると、よく《啼笑因縁》の物語を話題にし、その結末を予想した。ふだん新聞を読まない人も、関心を持ち、新聞を買うほどだった。 芝居、映画の権利予約が殺到した。 出版して儲けようと《新聞報》の三人の編集者が、臨時に“三友書社”を作り、優先的に版権を獲得した。 本は出版すると、もちろんベストセラーになった。 映画制作時、“映画制作専有権”の問題で、明星電影公司と大華電影社が裁判沙汰となった。 後、章士釗弁護士の調停で、大華は制作中止、明星は賠償金10万元支払った。 この件は、当時の新聞に詳しく載り、小説の宣伝材料になった。

一小説が、社会にこのような“ブーム”を巻き起こしたことは、全く史上空前のことだった。 当時の小市民は、圧迫され、搾取され、生活はとても苦しかった。 彼等は、新しい世界に憧れていた。 彼等の要求水準は、特に高いものではなかった。 “女侠”(小説で書かれているのは普通の人)が、悪者の軍閥を刺し殺したこと、これは現実生活の中ではあり得ないことだ。 しかし、想像の世界で、このような人や、このようなことが、実現されたらと願っていた。 だから《啼笑因縁》は、彼らに非常な満足感を与えた。

もう一つの理由として、上海の新聞の連載小説は、通常、南方の“名家”に執筆を依頼していた。 “名家”達は、いつも筆に任せて書き、苦心して書くということはなかった。 《啼笑因縁》以前は、連載というと、いわゆる“連環小説”(数名の名家と約束し、互いに一編の小説を合作する。 毎日、一人が一段書き、最後の一語に別の名家の名を嵌めこみ、次にその名家が書き続けていく) これは、全く意味のない言葉の遊びだった。 名家達の自己陶酔以外の何ものでもなかった。 読者を引きつけるものなどなかった。 また奇想天外な武侠小説の連載も、読者には厭きられた。 その時、《啼笑因縁》が登場した。 人間の心の動き、思いやりに溢れた内容、また強烈な伝奇性、読者は今までの小説とまるで違っていることに気付いた。

次の理由としては、以前は交通が不便で、旅行も大変だった。 南方の人は、北京に憧れていたが、本を読んで家の中で、旅行した気分を楽しんでいた。 南方の名家達が書くものは、上海、蘇州、杭州、揚州ばかり、いい加減厭きていた。 《啼笑因縁》が書いたのは北京。 北京の風物を生き生きと紹介した。 天橋の描写は特に素晴らしかった。 今日でも、この小説を読んだ南方の人は、必ず天橋を訪れるほどだ。 もちろん今の天橋は、もうその頃の面影はない。

最後に、《啼笑因縁》の意味については、誰にも避けることの出来ないことがある。 だからといって、他の人が自分よりよい状況にあると思ったり、そうなりたいと思うことはないという意味。 人生の奥深い道理の意味が含まれている。

蒲松齢に《醒世姻縁》がある。 ただ、蒲松齢の小説は、婚姻(結婚)ばかり書いている。 作者が書くのは、結婚問題だけではない。 だから、「因縁」は「因」で女偏の「姻」ではない。

《参考》

20  中国通俗小説の巨匠張恨水  (その1):

21 中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その2): 

26 中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その3: 

969  中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その4: April 15

 970  中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その5: April 16《春明外史》

 971  中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その6: April 17《金粉世家》

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