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974中国通俗小説の巨匠・張恨水(その9)【完】――八十一夢

Photo_30 張恨水は、抗戦小説を2,30部書いた。 《八十一夢》は、その中の代表作と言える。 この小説は、社会の側面を題材にし、敵に抵抗して戦う気持のない奴、抵抗に不利なことをする奴を指弾排斥したものだ。 荒唐無稽な物語を使い、政治的、社会的な数多くの醜聞の内幕を暴露している。 読者が、これらの人や事件について憤激し、皆で一致して抗戦することを意図したものだ。

著作手法は、大体《春明外史》、《新斬鬼傳》と似Photo_31 ており、一件一件の罪悪の事実を列挙するものだった。 長編とはいえ、実際は短編の集合であった。 表面上は、神話に託しているので真相がつかめない。 これは、《春明外史》が直接世間のことを書いているのと違い、書いているのは極めて具体的に明示している。 また《新斬鬼傳》が抽象的事物を書いているのとも違っていた。

八十一夢は、1939年(昭和14年)12月1日Photo_32 から1941年(昭和16年)4月25日まで、重慶《新民報》副刊に連載された。 笑ったり、怒ったり、読者は溜飲を下げながら読み耽った。 “八十一夢”という題名ながら、実際は、14個の夢を書いただけだった。 その他の夢はどうなったか? 後に単行本の序文で、ねずみに食われてしまったと述べている。 この小説が長かったのか、短かったのか、読者はわからない。 ただ彼が、“ハハPhoto_33 ハ”と言って、完結してしまったことを知るのみである。 しかし、“ハハハ”どころか、これには“つらい悲しい涙”の物語があった。

“ねずみ”はいた。 それは人間だった。 “八十一夢”は、新聞連載の日から、指弾され、批判された一部の人にとっては針のむしろに座っている思いをさせ、居ても立ってもいられないものだった。 彼等は、我が身を振り返り反省するどころか、恥ずかしさのあまりカッとなり、作者に難癖をつけようとした。 しかし、小説は小説、書いている内容にそれと分かる人がいても、すべて、暗に仄めかしているだけで、姓名を特定しているわけではない。 誰が“あそこに書かれているのは私です”と名乗り出られようか? そこで彼等は、職権を乱用し、“新聞検閲局”に迫り、小説の差し止めを図った。 “新聞検閲局”は、ニュースの差し止めの経験はあったが、小説の差し止めの経験はなく、当初は対応に窮した。 しかし、これは上からの命令、従わざるを得ない。 ついに、“団結して抗戦するのに不利”との名目をつけて、“伝家の宝刀”を抜き、“新民報”にこの小説の掲載禁止を命じた。 しかし彼は、この命令を無視した。 彼は、“抗戦に不利だって? あいつらは、自分のことはほっかむりして、俺がなんで止めなきゃならないんだ” 小説は、引き続き新聞に掲載された。

彼の安徽の同郷で、当時“朝廷”に一人の高官がいた。 知人ではあったが、めったに行き来はなかった。 ある日突然、手紙でその高官の家に食事の招待を受けた。 行くと、客と主人だけの席で、余人はいなかった。 その高官は、彼と膝を交えて語り、初めは悲憤慷慨して抗戦を談じ、その後、上流社会の連中を非難し、最後に、彼の小説を称賛した。 “なかなかよく書けている。 話しの方も結構” 続けて言った。 “もうここら辺で、やめにしたらどうですか?” もともと彼等は、恨水が新聞局の言うことを聞かず、“八十一夢”を書き続けているので、癪に障ってしょうがなく、彼を“息烽監獄”に連れて行こうとした。 これは、この高官が伝えた話。 本当に、特務にこういう計画があったのか、或いは、ただの脅しだけだったのか、はわからない。 しかし、この高官の伝言には、“朝廷”の意向がはっきり読み取れた。 彼は、やむなく打ち切りを決めた。 家に戻って、腹を立てながら《序文》の“ねずみ”を書いた。 この小説は、“未完の傑作”と言える。

周恩来総理は重慶で、《新民報》編集部一同と会見した時、“反動派と戦うには、正面から戦うことも大切だし、側面から戦うことも必要だ。 私は、小説の体裁で腐敗勢力を暴露することも一つの方法だと思う。 また検閲にあうこともない。 恨水先生の《八十一夢》は、一定の効果があったじゃないですか?” この話は、彼にこの上なく大きい励ましとなった。 しかし、反動派はとうとう“八十一夢”を放っておかなかった。 これは、中国新聞史上の奇聞というべきものだ。 誰にも分からぬように秘かに行われたので、このことを知る人は少ない。

単行本は間もなく出版された。 発行の際、なんの圧力にもあわなかった。 多分、打ち切りを主張した張本人は、すでに舞台から降りていたのだろう。 延安でもすぐ、この小説が翻刻された。 彼にとっては光栄を感じさせるものだった。 小説に対し、或いは、彼個人に対し、これは最高の評価だった。

*八十一夢《作品内容紹介》

“八十一夢”は社会風刺小説である。 夢や幻の形式を通して、辛辣な筆調と巧妙な構想の下、仮借なく抗戦時代の“大後方”を暴いた。国民党官僚の汚職腐敗・投機商人の悪徳商法を“霧の重慶”を舞台に、豪華奢侈な生活、奇怪な様相など“百醜図”を描いて見せた。 国民党政権の暗黒、腐敗の実態、汚職官吏の利益以外には目をくれない有様、官も官なら商も商、手中にある権力を利用して、国難の最中、大儲け。

小説は、猪八戒が南天門の警察署長、裏では密輸の元締。 潘金蓮は最新流行のパリモードを着て胸もあらわな情婦として書いている。 彼女は、天上界の大金持ちの正門慶の権威を笠に、たとえ車が信号にぶつかっても、車から飛び降りて、交通巡査を引っぱたくような女だった。 重慶官界の混乱と役人の腑抜け状態を“八十一夢”で、噴き出したくなるような笑いの中で暴露した。 例えば、“盂蘭盆会の他に、別にいくつかの支会を作り、その支会ごとに一人の支会長、十二の副支会長を置き、また各支会の下に、96組を設け、その組に一人の組長、124人の副組長がいる。 役人達は、自殺したくなるほど退屈していた-------

“八十一夢”は、“寓言十九これを夢に託す”の手法をとり、真実を夢幻の中に託し、豊富な想像力で、歴史故事、歴史人物、神話伝説を結びつけて、独特の芸術風格を作り、浪漫主義的色彩に溢れていた。 風刺と誇張は明白で、活用の仕方も成功している。 言葉も分かりやすく、生き生きしていた。 構成上、連続短篇形式で長編を作る方法は、一夢一話完結で、互いに関連性はなく、最後の“私”がのみ一貫していた。

“八十一夢”は、我が国四十年代に現われた、すぐれた社会風刺小説であり、当時、非常に大きな影響を与えた。 

《八十一夢》は、思想と芸術面の深刻性、独創性から、張恨水の小説作品が、すでに旧小説から新小説へ変わった過渡的作品であることを示している。

《参考》

20  中国通俗小説の巨匠張恨水 (その1): June 02, 2005最新テレビドラマ紹介》

21 中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その2):

26 中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その3:

969  中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その4: April 15

 970  中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その5: April 16《春明外史》

 971  中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その6: April 17《金粉世家》

 972  中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その7: April 18《啼笑因縁》(上)

 973  中国通俗小説の巨匠・張恨水 (その8: April 19《啼笑因縁》(下)

 

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