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944中国の三面記事を読む(341)中国共産党のトップをなぜ“総書記”というのか?(下)

2008-03-06 09:39:09 党中央最高领导何称总书记

来源: 网易 网友评论 21  击查

第八回大会の時、中央政治局と書記処が分けられる

1956年9月、中国共産党第八回大会が召集された。 第八回大会では、中央委員会の主席が置かれたほか、初めて副主席が置かれた。 第八回大会の時、中央書記処のトップを“主席”と呼ばなくなった。 新しい党の規約により総書記一人を選ぶことになった。 “党の中央委員会全体会議は中央政治局、中央政治局の常務委員会と中央書記処また中央委員会の主席を一人、副主席若干名、総書記一名を選ぶこととなった”

“中央政治局とその常務委員会は、中央委員会の全体会議が閉会中、中央委員会の職権を行使することとした”“中央書記処は中央政治局とその常務委員会の指導の下、中央の日常業務を処理することになった” 主席、副主席、総書記が常務委員を構成していた。 常務委員が党の指導的中核であった。

第八回大会の党の規約は、主席、副主席に対する規定で第七回大会とは異なった。 第七回大会では、“中央委員会の主席は、中央政治局主席と中央書記処主席を兼ね”ていたが、第八回大会では、中央書記処の主席、副主席の規定はなくなった。 つまり、中央政治局と書記処は分離されることになり、政策決定機関と日常業務機関に分けられた。 中央書記処は絶大な権力を持つようになった。 たとえば中国共産党中央の周恩来副主席が総理となった国務院は、中央書記処の指導を受けねばならなかった。 書記処の権力は、政治局委員より高く、更には副主席より高かった。

書記処の情報は政治局より早い

鄧小平がかって、“書記処はやはり政治局の事務機構として、軍や国務院の文書の受理・発送を担当した方がいいのでは”と提案したことがあったが、毛沢東は不同意で、彼は書記処が党中央の事務機構として、何事にも関係し、公文書も中央の名義で発送すべきだと強調した。 1958年、毛沢東の起草した党内指示は更にこれを明確に言っている。 “大方針は政治局、具体的な手配は書記処が行う-------おおよその方針と具体的な手配は一元化すべきで、党と政府で分けるべきでない。 具体的な執行と細かい政策は、政府機関や党組織に委ねることにする。 おおよその方針と具体的な手配については政府機関と党組織に建議の権利があるが、決定権は党中央にある” すべて党、政府、軍の各方面から中央常務委員会への報告文書は、まず書記処に送らねばならない。 一般的な問題は、書記処が討論して決定し、すぐに下達し実行する。 重大な問題については、書記処が先に意見を決めた上で、中央常務委員会へ伝え討論し決定する。

中央政治局委員は、地方の政治の仕事を主管するため、みんながみな北京にいるわけではない。 重要会議でなければ普通は北京には来ない。 だから政治局はしょっちゅう全体会議を招集するわけにはいかない。 しかし、書記処は大量に日常の業務を行い、毎週三、四回会議を開き、しばしば毛沢東の直接指導を仰いでいた。 書記処の同志が一番早く毛沢東の声を聞き、中央の核心的政策決定を知ることが出来た。 政治局の同志より消息通だった。

総書記が党の最高指導ポストとなる

1980年、第十一期五回中央委員会全体会議で“党の第八回大会で決定し、また十年間有効で必要と証明された制度:中央書記処を設置し、中央政治局とその常務委員会の指導の下、通常の担当機構として回復することを決定した。 そして胡耀邦同志を中央委員会総書記に選出した”

  1982年招集した中国共産党第十二回全国代表大会では、中国共産

  党は、主席、副主席を設けないことに決めた。 これ以降、総書記が中国共産党中央の最高指導ポストになった。  中央政治局とその常務委員会の指導の下、中央書記処が党、政府、軍の日常業務を行うことになった。

  【参考】

中国共産党中央委員会総書記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中国共産党中央委員会総書記は中国共産党の機関の一つ。総書記は1名であり、中央政治局中央政治局常務委員会を招集し、中央書記処の活動を主宰する。職務上、中国共産党の最高指導者と見られる。

中国共産党の最高指導者の正式名称は歴史上何度か変更されてきた。

中国共産党第一回全国代表大会では中央局書記。

第二回大会、第三回大会では中央執行委員会委員長。

第四回大会では中央執行委員会総書記。

第五回、第六回大会では中央委員会総書記。(第六回大会では中央委員会主席という説も)。

1943年の320日から1982年の第十二回大会までは中央委員会主席。

第十二回大会以降は中央委員会総書記。正式名称は中国共産党中央委員会総書記、略称は中共中央総書記、あるいは“中国共産党総書記”または“中共総書記”など。

第八回大会と第十二回大会でも「総書記」は居たが、中央書記処の日常業務処理が主な仕事で、党の最高指導者ではなかった。

1949年中華人民共和国が成立してから、中国の政治体制の下では、中国共産党の最高指導者が中華人民共和国の最高指導者だった。 鄧小平もかつて総書記になった時期があったが、その時の最高指導者は中国共産党中央主席であった毛沢東だった。

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