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849中国の三面記事を読む(271)日本の女スパイ 蒋介石暗殺未遂事件秘話(下)

2007-11-30 08:20:52 抗初期日本女间谍蒋介石案始末

来源: 中国新(北京) 网友评论 71 击查

8月26日夜、蒋介石はこの報告を聞いた。 許閣森英国大使の車が上海へ行く途中、日本軍の飛行機の爆撃に遭い、大使は重傷を負った。 蒋介石は自分の無事を喜んだものの、ちょっと身震いを感じた。 彼は静かに目を閉じ、頭の中で素早く考えた。 これはまったくの偶然か、それとも計画的なものか? 疑問点を探してみた。 突然、「淞滬会戦」の前にも、揚子江封鎖計画がダメになったことが頭に浮かんできた。 20日ばかり前のことだった。

8月初め、国民党軍はある情報を基に、日本軍が上海に大規模攻勢をかける恐れがあると判断した。 そのため蒋介石は、最高国防会議を開き対応策を話し合った。 最終的に会議は、“日本軍が揚子江流域で侵攻をかける前に、揚子江下流の一番狭い場所・江陰水域に障碍を設け、航路を塞ぎ、揚子江の航路を封鎖しようとした。 そうすれば、日本海軍が揚子江を遡れなくなるし、また揚子江にいる日本の艦船を包囲殲滅できる”とした。 しかし、この計画を実施する前に、揚子江の日本の艦船・商船があっという間に、揚子江河口に引き上げてしまった。 殲滅計画はおじゃんになった。 これも黄浚が南造雲子に漏らしたためで、蒋介石は知る由もなかった。

この二つの事件を一緒にして考えた時、蒋介石は思わず身震いがした。 この二つの事件の背後には、陰謀があるのではないか? と考えた時、彼はすぐ戴笠、徐恩曾を呼びつけ、二人にこの事件の調査を命じた。 しかしこの事件の手掛かりがまだ掴めぬ数日過ぎに、蒋介石の予想もしない出来事が起こった。

日本のスパイ 上海で死す

8月30日、国民党は南京の中央軍校大ホールで“総理記念周”大会を開く準備をし、蒋介石が出席し壇上で演説する予定をしていた。 しかし開会当日、身元不明の若い男二人が、車で会場に乱入しようとした。 会場警備責任者の恵済が、直ちに蒋介石に会場への到着時間を遅らせるよう連絡した。 一方、警備員はその身元の怪しい二人の男を捕らえようとしたが、最終的にはその二人は射殺された。 その身体から、二丁の消音ピストルと二つの爆弾が出てきた。 後になってわかったことだが、この事件も南造雲子が裏で糸を引いたものだった。

蒋介石は、会場で暗殺活動の計画があったという報告を聞くと、猛烈に怒った。 一ヶ月の間に次から次と事件が起こっているのだ、どうして怒らないで入られようか? 彼は問題の重要性を認識し、きっと内部にスパイがいるに違いないと思った。 そこで蒋介石は、谷正倫、戴笠、徐恩曾の三人に共同で調査に当り、期限を切って犯人を検挙するよう命じた。 もし出来なかったら、軍法に照らして処罰するとした。 谷、戴、徐の三人は、命令に逆らうことが出来ず、全力で調査に当った。

程なく、事件の調査に進展があった。 戴笠の部下の報告で、黄浚の子、黄晟が最近、南京湯山温泉の旅館仲居・廖雅権と頻繁に会っている。 また、二つの事件の起きる前、二人が一緒にいたという目撃情報もあった。

そこで戴笠は、この二人を密かに調査するよう命じた。 そして、とうとう廖雅権-------南造雲子が、日本のスパイであることが突き止められた。 スパイになった黄家親子と国民政府軍事委員会、参謀本部、軍政部、海軍司令部の中に潜んでいた関係者のリストも明らかになった。

確実な証拠を掴んでから、国民党は直ちに捕獲行動を展開し、9月中頃に、南造雲子と黄氏親子らスパイ組織の全員を一網打尽にした。 尋問の中で、黄氏親子は犯罪行為について包み隠さず自供した。 南造雲子も、そのスパイの身分と黄氏親子を利用してスパイ活動を行ったこと、また蒋介石を暗殺しようとした経緯をありのまま白状した。 この一連の事件の謎が、ついに明らかとなった。 裁判の後、蒋介石は自ら黄氏親子の死刑判決に署名した。 そして間もなく、黄氏親子は公開処刑された。 ところが、国民党当局は南造雲子を死刑とせず無期懲役とし、彼女を老虎橋中央刑務所に収監した。

しかし間もなく、南造雲子は警戒厳重なこの監獄から謎の失踪を遂げた。

なんと頭のいい南造雲子は、また例の手・色仕掛けで看守を誘惑したのだ。 この看守は、欲に目がくらむ輩で、日本の特務機関と連絡を取り、大金をせしめた後、南造雲子の出獄に協力した。

身分がバレてしまい、南京での活動が出来なくなったので、南造雲子は、上海の租界へもぐり込み、暫く隠れていた。 戴笠は、南造雲子が逃亡したとの報告を受けると激怒し、すぐに実行隊長を呼びつけ、暗殺犯を組織させ、南造雲子を見つけ次第即刻殺すよう命じた。 実行隊長はすぐにメンバーを集め、南京から上海へと追跡を始めた。 しかし南造雲子は、上海の租界へ潜伏したまま杳として行方がわからなかった。 国民党軍統特務は、ただいたずらに時を過ごした。 待つこと4年半、1942年4月のある晩、南造雲子が外出した時、国民党特務に見つかり射殺された。 享年33歳だった。

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