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838中国の三面記事を読む(263)潘玉良:パリで活躍した中国人女性画家: 妓女から画家の生涯 ②

2007-06-07 08:24:19 潘玉良:从妓到画家

来源: 中国江蘇网 网友评论 44 论坛

14 その夜、潘玉良は、何度も寝返りを打ち眠れなかった。 潘贊化が疑われる危険を冒し、自分の名誉を気にすることなく、彼女を引き取ってくれ、しかも部屋を譲ってくれたことに対して申し訳ない気持で一杯だった。 自分のこの思い切った決断が、彼女の一生を変えたばかりでなく、中国に世界的な芸術家を生むことになるなど思いもよらないことだった。 彼女はただ怡春院に、二度と戻りたくない18 ことだけ考えていた。 心正しい潘大人が彼女を助けてくれたなら、大人になんとしてもしっかり報いたいという気持で一杯だった。 なんとも言えぬ暖かいものがこみ上げてきて、興奮して、どうしても眠れなかった。 思い切って起きだし、上着を羽織り、机に向かい明かりをつけた。 紙を見つけると、そこに、小さい時から好きで慣れ親しんだハスの花を描いた。

22 一夜の間に、光が潘玉良の生活を明るく照らすようになった。 彼女は自分が一挙に頼るべきものが出来、期待をもつことが出来、普通の生活が出来るように感じた。 この思いは、潘贊化が“新編高級小学教科書”を彼女に渡し、手を取るように字を教えてくれた時、更に強く感じた。 彼女は何も求めてはいなかった。 ただ、潘大人の側で使用3 人として毎日大人のお世話をし、彼の教えを受けることできるなら満足に思えた。 だから潘贊化が彼女を身請けし、実家に戻し自由の身にさせると知ると、彼女は天国から地獄に

落ちたような絶望感を感じた。 この無慈悲な世界4 に、彼女には身内はなく、彼女の心の中では、潘大人だけが身内のように思えた。 彼女の生活を導く明るい希望で、いつしか潘大人は彼女の唯一の人となり、彼なくしてはどうしようもなくなってしまった。 そこで、彼女はま5 た彼に家に置いてくれるよう頼んだ。 その時も、彼女の包み隠しのない話が、潘贊化の心を揺り動かした。 彼が玉良の心をわからない筈がない。 彼は彼女より12歳年上で妻もいる。 彼はこの聡明で心やさしい娘を苦しめたく8 なかった。 しかし、街中うわさが広まり、デマが飛び交っていた。 世論が彼らの運命を結びつけてしまった。

1913年、潘玉良と潘贊化は、陳独秀の立会いの下、正式に結婚し、夫婦となった。 新婚の夜、玉良は張姓を潘姓に変えた。 一つには自分の夫に対し感謝の気持を表すため、二つ目は自分の新生活のスタートとするためだった。

結婚後間もなく、潘玉良は夫に従い、この辛い思い出の地10 に別れを告げ、上海に赴き新居を構えた。 新しい生活が始まった。 彼女はまるで春の季節、ヒナのツバメが、明るい陽の光の中、飛び立つ練習をしているかのようだった。 

二人は漁洋里というところの一軒家に落ち着いた。 漁洋里は上海のありふれた通りで、道幅は狭く、家並みは低く、住んでる人の多くは中下層の知識人が多かった。 雑誌《新青年》は、ここで誕生した。 二人が住んでいる所の庭は狭かった。 灰色のレンガを積んだ低い塀が箍のよう6 に取り囲んでいた。 古い建物は2階と1階が曲尺のように繋がっており、その直角で空いている場所にはクスノキが高く伸びていた。 その根元にはクスノキの花の残骸が積もったままとなっており、そこからかぐわしい匂いが漂っていた。

7 潘玉良は、数日の時間をかけて必要な生活用品を買い求めたり、部屋の中を片付けたりした。 玉良の手により、小さな家はきれいになった。 彼女はまた、自分の思いのこもったあの“ハスの花”を、箱の中から取り出し、寝室の壁に飾った。

潘玉良の勉強を中断しないため、仕事に忙しい潘贊化11 は、彼女のために教師を雇った。 先生は、毎日午前三時間は授業の時間、午後は練習問題を行った。 彼女はむさぼるように勉強した。 その勉強ぶりは先生を驚かせた。 ある日、彼女は何気なしに、隣の家の洪野さんの家の窓辺を通った時、洪さんが絵を描いているのが目に入っ12 た。 それ以降、彼女はしばしばこの窓辺に立ち止まり、黙って眺めるようになった。 いつも静かにそっとしていたけれど、そのうち洪さんに見つかってしまった。 洪野さんは当時、上海美術専科学校の色彩学の教授だった。 潘玉良の模写した習作を見て、彼は信じられないように玉良を見直した。 それはどうしても正規の教育を受けていない人の習作ではなかった。 絵を教えるという返事を聞い13 て、彼女はとても喜んだ。 それからは、家事の合間、潘玉良は洪教授から絵を教えてもらうことになり、彼女の芸術への苦難の道が始まった。 潘玉良は生まれつき聡明で、ガンバリ屋だったので進歩も早かった。 洪野先生は潘贊化への手紙の中で次のように誉めている。 “----私はあなたにうれしい報告をします。 私はあなたの13 奥さんを正式に私の学生とし、無料で美術を教えています。-----彼女は美術の感覚がものすごく鋭く、感受性も豊かです”

1918年、夫と先生の激励の下、潘玉良は上海美術専科学校を受験した。 沢山の受験生に混じって、彼女は落ち着いて絵筆を振るい、順調に答案を書き上げた。 洪野先生が彼女に成績はいい出来だと言った時、彼女はとても喜んだ。 彼女は、自分の努力で人から認められたのだと思った。

しかし、合格発表の時、彼女は合格者リストを何度も探したが、自分の名前を見つけられなかった。 これは当時の教務主任が、美専が絵のモデルの件で問題となり、社会から攻撃を受けたことがあったので、妓楼出身の女性の入校を受け入れたら、学校の看板に傷をつけると考え、潘玉良を合格させなかったのだ。 希望に胸を膨らませていた潘玉良は、この理由を知り打ちのめされた。 彼女の顔はその瞬間蒼白になった。 よろよろとしながら、家へ戻る途中、彼女には泣く気力さえなかった。 芸術は真実であり、厳粛なものである。 しかし規則、基準を設ける人達は真実でなく、理解の乏しい人達が多い。 社会という世論、旧道徳の擁護者は、一本の目に見えない縄のように、芸術の首をきつく縛っており、1920年代の中国を歩きにくくしていた。

蘇州河のほとりで、潘玉良はがっかりして何をする気にもなれず、じっと立ち尽くしていた。 河の風が、彼女の髪を吹き抜けていき、疲れ切った顔は氷のように冷たくなっていた。 “なんで、なんで天の神様は、こんなに不公平なの? なんで人は私の過去を放って置いてくれないの? なんで真人間になるチャンスをくれないの?” 彼女は結婚したら、昔のことは遠くなり、新しい生活が出来ると思っていた。 ところが悪夢のあの頃のことが、しっかりと根を張っているのだ。 “玉良、玉良! 合格だぞ! 本当だ、劉校長ご自身が知らせに来てくれたぞ!” 洪先生の喜びの声が、彼女の瞑想を打ち破った。 彼女が振り返ると、劉海粟校長のやさしい笑顔が目に入った。 “本当です。 間違いありません” 劉校長は、彼女にお祝いを言った。 神様、神様が、彼女の呼びかけを聞いてくれたのだ。 彼女の目からたちまち涙がこぼれ落ちた。 しかし涙の中に笑顔があった。 

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