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781中国は見る(442)日中友好問題を考える――日中国交正常化35周年記念日に当たって

2007-09-29 18:04:49 中日友好问题的思索——写在中日邦交正常化35周年念日 本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/zhongri/658/1312658.html

9月29日は、日中国交正常化35周年の記念日である。 35年前のこの日、当時の日本の田中角栄首相と中国国務院周恩来総理が、北京で“日中共同声明”に署名した。 これにより、日本が中国侵略戦争により、国交が数十年途絶えていたのが、正式に“正常化”が実現された。

35年の間、日中関係には紆余曲折があった。 “甘い時期”あり“最低の時期”ありだった。 特に最近の数年、日本の右翼勢力の度重なる挑発により、日中関係は国交正常化以来、最も困難な時期を過ごすことになった。 しかし今、国交正常化35周年を迎えるにあたり、日本の政界に変化が起こり、中国に対してどちらかと言うと友好的な福田氏が首相に就任した。 この変化は、日中関係の動向に大きな変動を与えるもので、人々の関心を呼んだ。 多くの善良な中国人は福田首相が日中関係で、出来る限りいい成果を上げ、日本と中国間の“正常化”を実現し、心理的にも関係を“正常化”するよう望んでいる。 それ故、日中国交正常化35周年の記念日に当たり、私達は、日中友好問題について再度、理性的に考えてみたい。 

以下のいくつかの問題を考えてみることにする。

第一:我々は日中友好を望んでいるだろうか? 

中国で長い間に伝えられてきた諺に“三家不如一家隣”という言葉がある。 意味は“中国人は従来から、隣との関係を重視し、仲良く助け合う隣人関係を望んでいる”ということだ。 これを押し広めて、中国は隣国との友好関係を樹立するについても、これを着実に実行してきた。

張騫(漢・武帝時代の西域開拓者)は、西域に向かった時、持って行ったのは、武器ではなく、絹織物、茶葉、磁器といったものであり、中央政府の“平和友好政策”だった。 張騫の旅は、中国と隣国に友好関係を作る先例となったものであり、その後、二千年来、中国は隣国と時には紛争や戦争になったこともあったけれど、総じて平和な時が多かった。 特に、新中国建設以降は、周辺隣国との関係は大体が平和友好的な新時代に入っていた。

しかし、日中関係だけは例外だった。 新中国成立の初め、日本は敗戦国で、戦争の賠償などできるじょうたいでなかった。 中国は大国の風格をもって譲歩し、それで双方は正式な国交“正常化”を実現することが出来た。 しかし、その後の35年の間、日本は絶えず、戦争を美化したり、戦争責任を否定したり、戦争犯罪を否定する動きが起こり、日中の人々は、国交の正常化によっても友好的にはなれなかった。 はっきり言うと、1983年から、私は確信的反日家になった。 反対だったのは、“「光華寮」判決”、“教科書修正問題”、“南京大虐殺否定問題”、“首相の靖国神社参拝問題”、“日本の国連常任理事国入り問題”などで、私は立場を鮮明にし、多くの場合行動にも参加した。 しかし本心を明かすなら、日本の一般の人々に反対しているわけではない。 私は今でも覚えているが、初めて見た日本映画“サンダカン八番娼館”(望郷)の中で、日本の軍国主義者が、自分の同胞女性に対して犯した残忍な行為を描いていた。 だから私は、日本の最下層の人々も戦争の被害者だということを知っている。 しかし政治家達が、いろいろな目的を持って、しょっちゅうゴタゴタや紛争を巻き起してることは、典型的な破廉恥行為で、私達は反撃しなければならなかった。

たとえこのような状況であっても、大多数の中国人は日中友好を希望している。 日中の間に存在している問題は、日本の一部のゴロツキ政治家が作り出したものだからだ。

第二:日中の間に、真の友好は実現できるのだろうか?

私達は日中の友好を望んでいる。 しかし多くの場合、一方の善良な願いは、往々にして一方から弱そうだからなめてかかれと見られてしまう。以前、ネットの友が総括していたことを思い出す。 “日本は大和民族なのです。 特徴としては、気が小さく、弱いものをいじめをし、強いものにはペコペコする。 隣国に対しては、もし相手が強いと見ると、羨望し、尊敬するのに、相手が弱いと見ると、バカにし、意地悪する。

日本の歴史が、これをはっきり証明している。

前述の結論はさておき、現在の政治体制を見ると、日本は日中友好の阻害の張本人だ。 日本の政界は長年、自民党が政権を握ってきた。 しかも自民党は戦後できた党で、その中には敗戦を心の底から承服していないものが沢山おり、負けたのはたまたまそうなっただけだと思っている。 だから彼等は、中国に対して憎しみを抱いている。 日本は政党政治であって、こういった人が政権を握り重要な立場に立つと、必ず日中関係に面倒が生じた。 だからこういった人が首相になった時は、日中関係の本当の友好が出来るわけがなかった。

しかし日本では、政権交代があり、対中友好の人物が一定時期、日本の政権を担当したことがあった。 こういった時は、日本政府が行う対中友好の施策は本心からのもので、誠実なものだった。 村山富市が首相になった時(在任1994630 1996111は、正にそうした時期だった。

このように、日中関係は国内政治の影響を受け、常に友好と非友好の間を揺れ動いた。 もし自民党が交替しないで、中味はそのままで顔だけ変わり、同じ価値観を持った政権が続き、日中関係は友好だろうと非友好だろうとしても、一過性のもので、永久に変わらないものではない。

こういった観点から見ると、私は日中の間の友好については、確信が持てない。

第三:日中関係において、どういった原則と対策を持つべきか?

私達は日中友好を願っている。 私達は日中友好に努力しなければならない。 しかし同時に原則を持つことも必要だ。

まず最初に、対日関係では闘争と友好の原則を堅持しなければいけない。

中国に対して敵対的意識を持つ者が政権に就いた時は、闘争を主としなければならない。 一方、中国に対して友好的な人物が政権に就いた時は、友好を大事にしなければいけない。 具体的な政策が出た上で、闘争すべきは闘争の立場を鮮明にし、友好すべきは真剣に友好にするという一貫性を持つべきである。 

第二に、日本の国連の常任理事国入りは断固反対すべきであるし、日本が国際政治の中で、大きな働きをするのも反対である。 日本が好戦的特性を持っていることから、私達は日本が国際政治の中で、大きな役割を果たすことを応援すべきでない。 特に重大な影響を与える国連安保理には、どんなことがあろうと入れることを許してはならない。

第三に、経済と政治は別個に切り離して考えてみる必要がある。 というのは歴史と現実問題から、日中友好は非常に難しいものがあり、政治においては幻想を抱いてはいけない。 闘争する時は闘争しなければいけない。 経済においては、地理的関係、経済的相互補完などの理由から、更に緊密な関係を続けるべきだ。 経済と政治を分けることは、成熟した政府が持つ基本的特質であって、実際にそれを実施する場合は困難が伴うが、よりよい選択といえる。

最期に、私達の立場は次の通り:日中友好希望、理性的に日中関係に対応し、日本の政治家には幻想を抱かず。

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