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711中国は見る(409)米下院本会議で「従軍慰安婦決議」 採択される(下)

マイケル・ホンダ:これで終わりではない、まだ始まったところだ

2007-08-01 02:58:00 ·本田:不是点,只是开头

来源:  网友评论 1 论坛

新聞

報8月1日報道:“今回の慰安婦決議案が採択されたからといって終わりではない。 まだ始まったところだ” アメリカ下院本会議で7月30日、口頭表決で、「第二次大戦中の日本軍による従軍慰安婦譴責決議案」が採決された後、議案発起人のマイケル・ホンダ議員はこのように語った。 マイケル・ホンダ議員は、日本移民の子孫で、アメリカの政治家だが、彼のやったことで日本の政治家はさんざん恥ずかしい思いをさせられた。 全力を傾けて日本の戦争責任の暗部を暴くホンダ議員は、日本の指導者に、“未来の責任を言うんだったら、歴史の責任をちゃんとしなさい”と言う。

“慰安婦決議案”が採択されても、ホンダ議員は、うれしい顔をしていなかった。 彼は30日の記者会見の席上、もし日本政府が決議案の要求通り正式謝罪をしなかったら、彼は引き続き活動を続けると強調した。ホンダ議員の心配は、決して杞憂ではないからだ。 日本の安倍晋三首相は、7月31日、アメリカ議会で“慰安婦決議案”が採決されたことについて、ぬけぬけと“決議が採択されたのは残念だ。 私の考えは、4月に訪米した際に説明している”と述べた。 

日本軍の戦争犯罪譴責決議案を提出

今年1月30日、カリフォルニア州の国会議員マイケル・ホンダは、下院外交委員会に対し、正式に「121号議案」《慰安婦決議案》を提出した。 これは、日本に“慰安婦”問題を正式に認め、謝罪すると共に、歴史的責任を取るように求めるものである。 6月26日、外交委員会は、圧倒的多数でこの議案を採択した。 7月30日、167名もの議員が連署した議案が、下院本会議で採択された。 これは、アメリカ議会で“慰安婦”問題に関する初めての採択である。

ホンダ議員は、採択された後の記者会見で、“日本の政治家は、未来に責任を持たねばいけない。 安倍首相が、決議案が意味するものを理解してくれると信じたい”

“慰安婦決議案”は、ホンダ議員が「日本軍の第二次大戦の残虐行為を非難する」ものとしては、最初のものではない。 これより以前、ホンダ議員は、1999年8月、カリフォルニア州議会で、“AJR27号”決議案《日本軍の戦争犯罪譴責決議案》を採択することに成功していた。

この決議は、日本政府に、日本軍が、第二次大戦中行った残虐行為について“はっきりと明確な謝罪”と日本軍の残虐行為の被害者に直ちに賠償するよう呼びかけたものだった。 決議はまた、アメリカ議会に対し、このような決議を採択し、アメリカ大統領が適切な対応をとって、日本政府に正式謝罪と賠償をするよう呼びかける内容だった。

“AJR27号”決議案は、決してやみくもに出てきた訳ではない。  1999年前後、日本の国内では、歴史教科書改訂問題が起こり、侵略の歴史を歪曲する流れが渦巻いていた。 1998年6月、時の町村信孝文部大臣が国会答弁の中で、歴史教科書は、“明治以降の日本の歴史を否定するところが多すぎる”と述べた。 この答弁に基づき文部省は、1999年1月、教科書出版社に圧力をかけ、その年、数社が“慰安婦”についての表現から“従軍”“強制”といった言葉を削除した。 2000年の教科書検定の中では、日本の侵略の歴史に関する多くの歴史的表現が、更に大幅に後退し、改竄された内容は“慰安婦”“南京大虐殺”“三光政策”などに及んだ。

六年前、実際に“南京大虐殺”を検証

2002年12月、ホンダ議員は、民主党からアメリカの議員に当選した。 それからは、日本の戦争犯罪を明らかにする行動を全国的に展開した。 当選して間もなく、彼は同じカリフォルニア出身の共和党議員と共に、「戦争中、日本企業で働かされた米軍捕虜の賠償請求」の議案を議会へ提出した。 

カリフォルニア州議会で、“AJR27号”決議案が採択されて以降も、ホンダ議員は、日本への戦争責任の追及を止めなかった。 日本の歴史学者が“南京大虐殺”を抹殺しようとする動きに対し、ホンダ議員は、中国の南京へ直接赴き検証を行った。 2001年8月、ホンダ議員は、30余名のカリフォルニア州議会の議員を率いて南京へ訪れ、“南京大虐殺”に関する大量の資料を直接手に入れた。 ホンダ議員は、現地調査により“そこに行き、自分の目で見、自分の耳で確かめ、自分自身で感じ取ることができた”と語った。

2004年11月、《The Rape of Nanking ――ザ・レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト》の本を書いた中国系アメリカ人・

張純如(アイリス・チャン)が、カリフォルニアで亡くなった。 36歳だった。 その月の17日、ホンダ議員は、張純如の死に当たり、追悼文をアメリカ《議会記録》に掲載した。 ホンダ議員は、次のように記した。

張純如は、恐れを知らない歴史学者だった。 アジア人として、アジア系アメリカ人として歴史の記録者であり、擁護者だった。 彼女は短い生涯で、多くの人の心を打った。 昔の不当に忘れられた、或いは無視された事実と戦争の残虐を明らかにした。 張純如が書いた動機は、歴史の公正を求め、異なる民族の間の和解を促すものだった。 

張純如が、1997年出版した《The Rape of Nanking ――ザ・レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト》の本は、

ホンダ議員の見方によれば、国際社会が日本軍の第二次大戦中に犯した残虐行為を理解する上で、“極めて大きな役割を果たした”。 張純如が、日本側に戦争の残虐行為に対する賠償を求める努力は、彼女と“日本政府の間に――衝突を起こした”  カリフォルニア代表、特にカリフォルニア州のアジア系アメリカ人の国会議員として、ホンダ議員は、追悼文の最後をこう締めくくった。 “我々の社会から模範とすべき親密な友が逝った。

世界は社会と歴史に公正で優秀な、熱情的な提唱者を失った。

戦争 子供の頃身をもって味わった

ホンダ議員の日本の戦争責任の追及については、彼の日系としての背景と子供の頃の体験が無関係ではない。 1941年6月27日、ホンダはカリフォルニアに生まれた。 その数ヵ月後、日本軍が真珠湾を攻撃し太平洋戦争が勃発した。 アメリカ当局は、直ちに日系アメリカ人を収容所に収容する命令を出した。 まだオムツのホンダは、両親と共にコロラド州の強制収容所に送られ、戦争終了後やっと自由になった。 両親が後になって彼に話したところでは、当時、大きな車に乗せられたが、その車の窓はピッタリと閉められており、どこへ連れて行かれるかもわからなかったという。 こうした話やかすかな記憶はホンダ議員の心に深く刻まれ、彼に戦争と戦争がもたらす悲惨さを痛切に感じさせることになった。

政治に携わってから、ホンダ議員はあの当時、収容された12万人の日系人に対する国家賠償を得られるよう尽力した。 1988年、アメリカ議会は法案を採択し、日系アメリカ人に謝罪し、賠償を支払った。 法案は、ロナルド・レーガン大統領が署名し法律となった。 ホンダ議員は、日本政府もアメリカに倣い、日本軍により被害を受けた被害者に正式謝罪し賠償すべきだと、ずっと主張している。

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