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682中国は見る(389)東京大空襲(下)

2007-03-25 22:39:57 京大

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1128060,15.html  

014 279機の爆撃編隊が目標上空に達する数時間前に、すでにマリアナ諸島と日本は夜のとばりに包まれていた。 グアムでは、ルメイ司令官と数人の参謀が、徹夜で千里の彼方の戦果を待っていた。 真夜中を過ぎた頃、先導機が東京上空に到着した。 後続のほかの爆撃機も計画通り、低空飛行で東京の重要工業地帯に隣接する約10平方キロの長方形にPhoto_1611 なった区域に焼夷弾を投下した。 見る間に、ボウボウと火の手が上がりX型の形になった。 

普通、B‐29にとって条件のよくない天候が、今回は手助けする形となった。 爆弾が爆発する瞬間、大風が起こり火勢が一気に広がった。

ほかのB‐29も続々と焼夷弾を投下した。 各所で火の海となった。 強い風が燃えた切れ端を吹き飛ばした。 あちこちで燃えていた炎は一緒になり3_019 大きな火の海になった。 後続の爆撃機は40キロ後方から、この火の海を見ることが出来た。 もうもうたる煙の中を縫って飛んだため、機体と窓ガラスが真っ黒になってしまった。 爆撃の投下口を開3_020 けると、建物の燃える匂いが操縦室にも入ってきた。 ものすごい火は、強い気流を巻き起こし、B‐29を数千フィート押し上げた。 乗組員は座席から飛び上がりそうになった。 椅子からとばされ た者もいたという。 もしヘルメットを被っていなかったら、どうなっていたかわからないほどだった。

この時の空襲は、前後2時間半くらい続いた。 指 揮官は爆弾を投げ終わった後、東京上空を旋回し乗組員と一緒に詳しく観察し、分析データ資料の収集に当たっていた。 そして無線でルメイ司令官に大 火災の情況を報告した。 東京の地上のPhoto_1618 情況は惨憺たるものだった。 ダンテの“神曲”で書かれた煉獄のようだった。 数時間後、東京のラジオ局から放送があった。 アナウンサーは、真っ先にアメリ カの“大虐殺”を非難した。 続けてこのこの大災害を、“あの夜空を焦がす火の海のことは、見た人の記憶の中に永遠に残るものだ”と述べた。 最初に爆弾が落ちた後、煙が巻き起こり、紅蓮の炎が燃え上がった。 爆撃Photo_1613機は煙の中を超低空飛行で火の海を通り過ぎた。 東京の中心地上空を飛ぶB‐29から、爆弾が曳光弾のように我々の目の前を落ちていった。 大きな火柱が黒煙と共に立ち上がり、暗闇の中に立つ議事堂を照らしていた。 東京全体が、朝日のように明るく見え、上空には黒煙が立ち込めていた。 回りは一面灰燼となり、ところどころで風で炎が上がっていた。 その夜、東京の街全体が焼け野原になった。

Photo_1612事実が証明している通り、3月10日の東京大空襲は戦争史上最大の惨劇の一つである。 一夜にしてB-29は、東京の中心16平方キロを破壊し、東京の4分の1の建物を廃墟と化した。 目撃者によると、火の手が近付く前に、灼熱の熱風で防火施設もみんな燃えてしまった。 コンクリートの建物の中もきれいさっぱり燃え落ちた。 人的被害は甚大で、警視庁が発表した統計数字によると、83,783人死亡、40,918人が負傷、ほかに100万人あまりが家を失った。 日本政府は、焼死した遺体の整理に25日間要した。 この時の爆撃でB-29は、14機が損失を受けた。 うち1機は、日本の高射砲で打ち落とされた。

Photo_1619 5機は海に墜落したが、米軍の捜索救難部隊に救助された。      爆撃の18時間後、小磯国昭首相はラジオを通じて、談話を発表し、“残忍で野蛮なアメリカ人”と非難し、日本国民に対し、“B-29は、今後もこのような爆撃を行う恐れがある”と警告し、また国民に対し、“アメリカは、日本本土上陸を計画している”と告げた。

マリアナ諸島では、ルメイ司令官が再度の夜間低空爆撃を計画していた。 目標は名古屋だった。 3月11日から12日にかけて行われたこの攻撃では、285機の爆撃機が名古屋に低3_014 空爆撃を行った。 先導機はやはりM-47焼夷弾を積み込んだ。 全体で1700トンの爆弾を投下し、数百ヶ所から火の手が上がった。 この爆撃では、東京のような壊滅とはならなかったが、爆撃後の偵察では、2平方キロの面積が廃墟となった。 この時の戦闘では、爆撃機を一機失い、24機がそれぞれ多少の損傷を受けた。 いずれも高射砲によるものだった。 日本軍の戦闘機での反撃攻勢は少なかった。

二晩経って、ルメイ司令官は、300機あまりを大阪に向かわせた。 雲に覆われたため274機のB-29は、レーダーにより1700トンの焼夷爆弾を落とした。 劣悪な天候により誘導機は目標地点の火勢は確認できなかったが、爆撃後の写真は、この低空爆撃の成功を証明していた。 市の中心8平方キロにわたって爆撃され、大火で13万4744軒の民家、工業建築物が焼け落ち、1300軒あまりの建物が被害を受けた。 死傷者数は13,135人、50万人が家を失った。 空襲でのB-29の損害は13機、日本の飛行機の迎撃はまったくなかった。

3_006_6 1945年3月の最後の焼夷弾爆撃は、291機のB-29で行われた。 焼夷弾の在庫量全部を使ってしまったため、3機のうち1機は、500ポンドの爆弾を積んだ。 飛行機は目標都市の北部を空襲した。 全部で5平方キロの面積を廃墟にした。 

ルメイ司令官は、低空飛行作戦が成果を上げたことを大いに喜び、航空隊員に向かって演説し彼等を称えた。 “神のおぼし召しのもと、よく責任を果たしてくれた。 戦闘の結果は苦難をはねのけ、大いなる力で攻撃してくれたことを証明している”

3月下旬、第21爆撃司令部の焼夷弾は、全部日本本土に落とされ在庫が無くなった。 これ以降の3ヶ月の空襲では、焼夷弾爆撃は実施されなかった。

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