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681中国は見る(388)東京大空襲(上)

これも「しょうがない」ことだったのでしょうか?

2007-03-25 22:39:57 京大

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1128060,15.html    

2_001_2 1945年1月9日、米軍がルソン島に上陸した後、日本帝国大本営は、天皇が20日に裁可した本土防衛作戦の命令を発布した。 この命令は、フィリッピン駐留の日本軍に引き続き抵抗するよう指示し、米軍が日本の防衛ラインに近付くのを遅らせるためのものだった。 この防衛ラインは北緯25度の硫黄島から西は台湾までのラインを指すものだ。 2_014 このラインの北は上海、朝鮮南部海岸、沖縄で、これら拠点も強化措置が取られた。 この一連の措置を、2月と3月に終了させ、日本の防衛の重点を琉球群島の沖縄に集中しようとした。

しかし、この準備を進めている矢先、米軍は、2月19日から硫黄島に攻撃を始め、日本の防衛ラインの東端が分断された。 マリアナ諸島のB-29作 戦史上、その日は重大な意味を持つものとなった。 2月19日、第20空軍指揮官ルメイ司令官は命令を出した。 それは試験的“焼夷弾空襲”を最優先にしたことである。 これまでの日本の飛行機工場 の爆撃より優先する内容だった。 この焼夷弾の実戦配備のため、B‐29の指揮官は更に、トーマス・ポール准将が指揮する爆撃集団も手にした。

B‐29爆撃機により投下

3_002  数日後、ルメイ司令官は東京に初めての焼夷弾爆撃を命じた。 2月25日、172機のB-29は、高空の厚い雲の中、450トンの焼夷弾を投下し、大きな損害を与えた。 空襲後の写真が示して いる通り、東京の一部地域を廃墟にした。 警視庁の記録によると、27970戸が全焼した。 第21爆撃隊が受けた損害は6機で、そのうち2機は、日本軍機に衝突された。 

3_012 空襲の翌日、昭和天皇は東京で東条英機首相と会い、戦況について意見を聞いた。 その後、数週間にわたり天皇は、ほかの政治家達も引見した。 近衛公爵を除き、他の人達は日本の戦争継続を申し上 げた。 2月26日、東条英機は天皇に対し、“B‐29の空襲と日本の前途について心配されることはありません。 アメリカの爆撃機による空襲は、もう増えることではないでしょうし、現在のような攻撃率を続けることはできません”と述べ、“同盟軍のドイツに対する攻撃と比べて、今回の攻撃は3_010「取るに足りないものです」。 ドイツと同じ情況になるには、東京が連日数千機の爆撃を受けなければなりません” だが実際、日本が直面していたのは、毎週一回、2千キロ離れたところから飛来する100機編隊のB‐29の襲撃だった。 もし“これっぽっちのこと”で、日本人の自信を失わせてしまったら、大東亜聖戦の目標達成は出来ないことになる。 この元陸軍大臣、関東軍参謀長は、日本帝国大本営の“本土防衛の決戦準備”の態度をはっきり表明したものだ。

B‐29編隊 日本へ飛来

3_005_2 東条英機と彼の軍の同僚達は、間もなく日本を襲う大惨劇を予想だにしなかった。 攻撃の前、しばらく穏やかな日が続いた。 3月4日、あの高空からの焼夷弾爆撃の一週間後、第21爆撃司令部は以前のやり方でまた爆撃を行った。 今回は、日中高空からの精密爆撃だった。 目標は東京の中島飛行機工場。 159機の3_009_2B‐29は目標を発見したが、雲に邪魔された。 やむなくレーダーで爆弾を投下し、500トンの爆弾を落とした--------舞い上がった埃が納まった後を見ると、中島飛行機工場は、何の損傷もなくもとの場所にあった。 875機の爆撃機が、8回爆撃を繰り返したが、中島飛行機工場は4%が破壊されただけだった。 しかもこの破壊された部分のほとんどは数週間前、海軍の航空母艦の艦載機が破壊したものだった。

3_0033月4日の空襲は、高空からの精密爆撃がなんら効果を挙げていないことが実証された。 陸軍航空隊が敵方の飛行機工場やエンジン工場などを最優先で攻撃する作戦は、甚大な破壊を与えたり、大量減産に追い込んだりしたが、完全に生産能力を喪失させるまでには至らなかった。 戦争が終わった後、アメリカ戦略爆撃研究チームは、B‐29の当初の作戦の失敗は、陸軍航空隊が精密爆撃の目標にこだわったためだとしている。

当初の爆撃の破壊効果は、わずかだったが、それは大きな間接効果を生んでいた。 日本の飛行機製造工場を分散に追い込み、飛行機の機体やエンジンの生産、新型飛行機の開発などを、次々に減産させたり、遅延させていった。 アメリカ戦略爆撃研究チームによると、これは直接空襲より効果があったと見ている。

B‐29の編隊爆撃

3_007_1 ルメイ司令官は、東京爆撃の作戦を3月9日の夜と決定した。 攻撃開始の一日前、アーノルド将軍は、第21爆撃司令部で、これから行う作戦行動について会議を行った。 新しい計画を聞いた後、彼3_013_3 はワシントンに“間もなく開かれるすばらしい舞台を見てくれ”と電報を打った。

ルメイ司令官は、マリアナ諸島の385機のB‐29全部をこの任務に当たらせた。 先導機にはM-3_016_2 47焼夷弾を積み込み、午後飛び立った。 続いて出発した後続機にはM-69集束焼夷弾を全部で2千トン分積んでいた。 

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