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676中国は見る(383)アメリカ下院外交委「慰安婦決議案」を可決(上)

1.アメリカ下院外交委「慰安婦決議案」可決へ 日本へ公式謝罪求める

2. 塩崎恭久官房長官 アメリカ議会が慰安婦決議案可決しても 日本の立場は変わらない

3.アメリカ下院外交委「慰安婦決議案」を可決

1. 2007-06-27 00:36:06 美众院有望通慰安妇议 要求日本正式道歉

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2. 2007-06-26 14:34:00 崎恭久称美国会慰安案不会改日方立

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3.2007-06-27 01:45:59 美通项谴责日本慰安的决

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1.   アメリカ下院外交委「慰安婦決議案」可決へ 日本へ公式謝罪求める

3_001_1 北京6月27日報道:アメリカ下院外交委員会は26日、「慰安婦決議案」を採決する。 AP通信によると、この決議案は可決され、下院本会議へ送付され審議される公算が強いとのこと。 この決議案は、日本政府にハッキリと明確な形で、「慰安婦問題」を認めること及び歴史的責任を取るよう求めている。

2_002_2 賛成議員140名を超える

下院のラントス外交委員長は、「慰安婦決議案」が可決されたら、下院本会議に送付すると語った。

AP通信によると、この決議案は、今、民主党と共和党併せて140名を超える共同提案者がおり、その中にはラントス氏本人も含まれている。 民主党のマイケル・ホンダ議員が今年1月決議案を提出した3_005_1 時は、共同提案者は6名だった。 アメリカ下院には435名の議員がいる。

正式謝罪と責任を認めることを要求

この決議案が、多くの支持を得たのは、日本政府が一向に歴史問題に対応しなかったことが原因である。 決議案の中には、1930年代から第二次世界大戦期間中にかけて、日本政府はアジアなどの地域の2_003_3 若い女性を強制的に旧日本軍の性の奴隷にしたことはまことに残虐であり、規模においても大変大きく、史上例がない制度で、このため大量の自殺者、死亡事件が起こった。 決議案は、日本政府に対し、明確かつ公的な形で慰安婦問題を認め、謝罪と歴史責任を負うことを求めている。

AP通信によると、日本は「慰安婦問題」の責任について認めようとしていない。 日本の指導者は、今年3月、“強制性を裏付ける史料はなかった”と発言し、国際社会から批判を浴びた。

2.塩崎恭久官房長官 アメリカ議会が慰安婦決議案可決しても 日本の立場は変わらない

2_006 中新ネット6月26日電総合報道:日本の塩崎恭久官房長官は、26日の記者会見で、アメリカ下院の外交委員会で日本の謝罪を求める「慰安婦決議案」が可決しようと、日本はこれによってまったく変わらないと述べた。

アメリカ下院外交委員会は、この日、日本に対し「第二次大戦中、慰安婦を強制したことを認め公式謝罪する」ことを求める決議を行う。 この決議案は下院外交委員会で可決された後、早ければ、来月本会議で採決される見込み。

この決議案自体には、法的拘束力はないものの、この決議はアメリカの議会が、この問題で日本政府に責任を認め、正式な謝罪を求めたことを意味しており、その意義は大きいものがある。 しかし、塩崎恭久官房長官は、アメリカの外交委員会の結果がどうであれ、日本は引き続き「日本政府の立場を理解していただくよう」、各方面に求めていくと述べた。また、安倍首相が訪米の際、アメリカに明確に日本の慰安婦問題についての立場を伝えているとも述べた。 しかし27日、東京で、日本政府の慰安婦問題に抗議するデモが予定されている。

3.アメリカ下院外交委「慰安婦決議案」を可決

新華ネットワシントン6月26日:米下院外交委員会は26日、賛成39、反対2の圧倒的多数で、日本が第二次大戦中、アジア及びその他の国の女性を強制的に旧日本軍の「慰安婦」にしたことを非難する決議案を可決した。

この採決結果は、この決議案が下院本会議へ送付・採決されることを意味している。 決議案が外交委員会で可決された時、その場にいた決議案支持者達から大きな歓声が起こった。

ラントス外交委員長は、はっきりした証拠があるのにもかかわらず、日本は、“慰安婦問題”でずっと“歴史の記憶喪失”を主張している。 この決議案は、日本に歴史の真相を認め、惨劇が二度と起きることのないよう求めている。

この決議案は、民主党のマイケル・ホンダ議員が、今年初め提出したもので、日本政府に公式に明確な形で「慰安婦」問題を認め、謝罪と歴史的責任を受け入れるよう求めたものだ。 この決議案の共同提案者は140名あまりに達していた。

【参考】

1.       559中国は見る(300)安倍首相従軍慰安婦で後退発言(07-03-05)

2.       570中国は見る(307)安倍首相の慰安婦発言― 一石四鳥の計を狙う?(07-03-18)

3.       590中国は見る(325)安倍晋三の“お詫び”と“謝罪せず”の意味するもの(07-04-08)

4.       609中国は見る(342)安倍晋三 米メディアの取材に対し「慰安婦問題」で“謝罪”表明(07-04-23)

5.       614中国は見る(347)安倍首相訪米(上)- “謝罪”手土産(07-04-28)

6.       615中国は見る(348)安倍首相訪米(中)- 米国メディアの関心度(07-04-29)

7.       616中国は見る(349)安倍首相訪米(下)- 首脳会談の中身(07-04-30)

8.       670中国は見る(378)慰安婦問題の米紙全面広告 米国議会の怒りを買う(07-06-24)

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675中国は見る(382)葛紅兵事件の波紋(下)

大和魂と中華魂:現代中国の民族魂が日本に劣る7ヶ条(2)2007-06-21 20:16:45 :【版】当代中国民族精神比日本有7重不如本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1235127,97.html w.singtao

4.中国は小国に対しても譲歩精神を取るのに対し、日本は大国に対して、敢えて戦争するような“蛇が象を呑み込む”精神がある。日清戦争では清王朝を打ち破り、日露戦争ではロシアを破り、太平洋戦争ではアメリカに挑戦した。 “小が大に挑む”“蛇が象を呑み込む”ような道を歩んできた。 まず最初に(驚くのは)その恐れを知らぬ精神と意志だ。 それに対して中国はどうだ? 中国の物力が列強の歓心を誘った。 清朝がそうだった。 現代は? 特に90年代以降は? 小国に対しても礼を失しないようにした。 中国の国威はどこにあるというのか? インドネシアが華僑住民を虐殺した。 だがインドネシア大地震の時、中国は見舞金を送った。 ベトナム、フィリピンなどが南沙諸島に侵略したが、中国は南海を現状のままとし共同開発した。 インドは中国の元属国だったシッキムを“自国領”とした。 中国のやり方では最終的に認めることになる―――ことほど左様に、もともと多くの原因があるのに、中国は小国に対しても譲歩精神を発揮している。 日本が大国へ戦争を仕掛けたり、“蛇が象を呑み込む”精神と比べて、その違いを、我々はよく見るべきではないか?

5.中国は危機意識がない民族だ。 だが日本は危機意識が強い民族である。 その違いをしっかり見つめるべきだ。

危機は人を発奮させ、プレッシャーは人を進歩させる。 私は“日本沈没”のような映画を見たことがある。 内容的には深刻な民族の危機意識を描いたものだ。 日本民族は(いつ襲ってくるかわからない)危機意識の下、“働き蜂のように働く民族”である。 中国の中ではどうか?

どれくらいの高官達が、天下のために憂い、人民のために憂いているか? 私が目にしたのは、多くは改革の名を借りて、国営企業を赤字にしたり、公有財産を個人財産に変えてしまった案件だ。 90年代、私が勤めていた国営企業もそうやって倒産した。 上海灘での“陳宇良事件”

(上海市党書記の不正流用.・汚職事件)も言うまでもないことだ。 役所側との数々の噂について、私もよく耳にした。 最近の山西省の“レンガ工場事件”はそれ自体、まったく地方の役人の職務怠慢、監督不行き届きの結果である。 “天下泰平、居心地よい職場、享楽三昧”といったこと自体が、危ういことである。 これと比べると、日本民族の危機意識や、日本の政府と役人の勤務・職責に対する態度は、比較的清廉潔白である。 我々はよく考えるべきではないか?

6.長期計画経済下、“待遇が一律”な中国と、市場経済の下、進取の精神型の日本、仕事に対する取り組み状態の違いをしっかり見るべきだ。

我国の国営企業の「一汽」「二汽」の指導者や、また合弁自動車企業の50%の株を持っている合弁経営管理者は、拱手の礼をして相手に譲ることが多く、日本の自動車の組立工場に甘んじていたり、日本のブランドの普及につとめていることが多い。 彼等は自動車業での市場独占の利益と高成長利潤に満足し、まったく自主開発、新規挑戦、自主ブランドは眼中にない。 ひどいのになると、彼等はコネを利用し、国内自動車企業の新車審査で、審査を遅らせたりし、自分達の企業利益や合弁企業の外国企業、日本企業の利益を守ろうとしている。 これは長期計画経済が作った今までの悪しき習慣である。 中には、国内の利益より高い利益を上げている例も見受けられる。 私が思うに、今まで中国自動車産業は、外国資本のブランドに、主要な地位を占められており、暫くは“負け”である。

中国企業の競争の失敗というより、むしろ長期計画経済の下、何から何まで同じ待遇という中国自動車の指導方法が、仕事の取り組みに対する精神でも市場経済型、進取精神の日本の会社に負けたといった方がいい。 前車の鑑、我々はハッキリと眼を覚ますべきではないか?

7.中国の内部では漢奸が多く、妥協者も多く、仲間割れしていると、人数的に絶対優勢を占めている状況にあっても、宋の時は、金に敗れ、明の時は、清に敗れ、抗戦8年では、数百万の漢奸と傀儡軍を出した。 現在は、葛紅兵のような新しい例も出ている。 これは反省しなければならない事実だ。 もし封建王朝だったら、階級圧迫が民族の内部分裂を招いた。 しかし、比較的豊かになった現代に漢奸が現れるとはどうしたことか? 日本の歴史では、中国侵略中を含め、ほとんど“日奸”(祖国を裏切る者、投降者)は少なかった。 多く見られたのは敵と道連れで死んだり、切腹自殺で、死んでも捕虜にはならなかった。

民族の集中力の問題は、大きな問題であり、その本質は、民族魂の喪失問題である。 もしうまく解決されないと統一や発展・成長に影響が出てくる。 私は、上海灘の繁華街で金のため原則を忘れた男や女に沢山出会った。 私自身も部隊の女性士官から結婚紹介所で、結婚を名目に私に家を買ってほしいと要求しながら、同時にほかの男と結婚の話を進めるような出来事にあったことがある。 また海外移住を喜ぶ人が沢山いるのにもであった。 私は証券業に勤めていたが、外資の利益のため、“買弁学者”となっている専門家、教授、有名人を沢山見た。 彼等は中国の証券業の損失が一兆もの損が出ようといとわず、“千点論”“ねずみ会論”“推倒重来論”などで朱鎔基政府の証券市場を間違った誘導をし、外資の中国証券市場参入要求を満たし、外資をはやす手本となった。 民族の立場を失くし、ただ個人の利益ばかり追っているのは、内部に漢奸が多く、妥協者が多く、仲間割れしているのが直接的原因の一つである。 精神状態の喪失である。 このような精神状態を、日本の一致団結して国に報いる、更に死んで国に報いる民族精神と比べてみた時、我々はハッキリと眼を覚ますべきではないか?

以上7項目を総括すれば、すなわち、中国の民族魂の弱点を真正面から見据え、はっきりと目を覚ますことだ。 中国は将来、世界の民族の中に聳え立たねばならない。 そのためには民族魂を強くし、丈夫にしなければならない。 物質的繁栄だけで、精神的支柱のなかった宋朝は、金に滅ぼされた。 これは前車の鑑である。 民族魂を作るには、複雑なシステム工程があり、長い時間を要す。 “物質文明、精神文明も両方しっかり掴む”という理論も、私達は忘れてはいけない。 愛国主義、民族主義の教育を強めても、弱めることはできない。 中国は歴史上、侵略により分割され、ばかにされた歴史がある。 永遠に忘れることが出来ない。

中国が民族の滅亡に瀕した時、誕生した現在の国歌は永遠に変えることは出来ない。 でなければ、我々の周りに“色革命”で“黄色の顔で白い心”(反動派)を持った、もっと多くの“葛紅兵”を見ることになる。

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674中国は見る(381)葛紅兵事件の波紋(中)

大和魂と中華魂:現代中国の民族魂が日本に劣る7ヶ条(1)2007-06-21 20:16:45 :【版】当代中国民族精神比日本有7重不如本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1235127,97.html w.singtao

“葛紅兵事件”から見た、現代中国の民族魂が劣る7ヶ条

上海大学文学院教授葛紅兵が、“中国人は日本への恨みを忘れるべきだ”というブログについて、ネット上で大きな問題となって吹き荒れた。 この事件について私なりに考えた問題がある。 それは、現代中国の民族魂は、日本(の大和魂)に敵わないのではないか? もっとよく目を向ける必要があるのではないか? 答えは“YES”だ。 現代中国の民族魂は、日本(の大和魂)に到底及ばない。 みんなもっと直視する必要がある。

主な内容は次の通り。

1.              中国は儒家の数千年の伝統教育によって、我国の精神に安逸を貪る弱者的“羊性”をもたらした。 これは、日本右翼の強者的“狼性”に到底太刀打ちできないものだ。 中国には、葛紅兵のような学者が、侵略された側の次世代なのに、中国人に対し無原則な“寛容”と民族の恨みを忘れるよう主張している。 一方、日本側は侵略者の次世代が、戦争を起こした罪人の責任をあくまで認めず、右翼は靖国神社を参拝し、軍国主義の亡霊の戦犯を英霊として祀り上げている。 また、日本の侵略史の教科書を書き改め、美化し、中国に対しては抗戦歴史教育を行わないよう求めたり、なんと中国の国歌まで変えるよう要求している。

両者を比べた時、葛紅兵“教授”は“羊性”の代表である。 つまり、自分が善良にしておれば、狼も善良になると考えている。 また、自分が平和、中庸(どっちつかず)で、とりあえず安逸を貪っていれば、狼も何事もせず、平和共存してくれるはず。 また、自分が恨みを忘れ、騒ぐようなことをしなければ、世界は天下泰平となるという幻想を抱いている。 “葛紅兵”達は、自分達を“寛容”で“恨みを忘れ”させるだけでなく、熱血の人達にも恨みを忘れさせようとしている。 一方の日本の右翼の側は、“狼性”の代表だ。 つまり狼は、羊を食べるのは当然のことであり、悪いこともいいことだと言いくるめてしまう。 罪を犯しても“共栄”のためだと言う。 この“狼性”は、分かりやすく言うと“覇道”(横暴:武力と権勢により支配する政策)である。 一方の“羊性”は、はっきり言えば“弱者の幻想、弱者の論理”。

日本の右翼の“覇道”は、“強者の論理、強盗の論理”である。 中国は、30年前よりは強国となった。 しかし中国の一部の人に精神の退化が見られるというか、退化して弱者になったのが出てきた。 このような弱者の存在、この弱者病が拡散していくと、いずれまた“狼が羊を食べる”悲劇が起きることになる。 我々は、警戒心を高めるべきではないか?

2.              中国は清末以来、保守型、長期自閉自足(閉鎖型・自給自足)型、拡張性のあまりない民族魂(精神)で、日本の開拓型、拡張型の民族魂(精神)に遠く及ばない。 その違いを、しっかり見据えてほしい。

日本は、絶えず海外に領土を開拓していて、公海上の沖ノ鳥島という暗礁(海中に隠れて見えない岩)を占拠して、“鹿を指して馬という”ように“島”だと主張している。 そしてこの島を以って数十万平方キロの経済海域としようとしている。 韓国は、中国の蘇岩礁を占拠し、やはり“鹿を指して馬という”ように“島”だと主張し、中国と大陸棚海域を分けようとしている。 さて中国はというと、清末以来、まるっきり領土問題には開拓意識がなく、逆に保守的、自分の世界にこもり、自給自足で、しばしば土地を割譲してきた。 新中国成立後でも同様で、領土問題の割譲があった――朝鮮戦争(抗米援朝)に勝った時、長白山(朝鮮名:白頭山)を“友情”から北朝鮮に半分与えた。 ベトナム戦争(抗米援越)の時には、北部の白龍尾島を“恩知らず”のベトナムにあげた。 対インド戦争の時には、9万平方キロの領土を撤退して、インドに渡してやった。 1990年代、ロシアが極度に衰弱していた時、帝政ロシアと旧ソ連が占領していた領土に対し、中ロ国境条約で法律的に確認してやった。

以上のように、いろいろ違う歴史的理由があったが、共通点として言えることは、中国は領土の拡張については欲を持っておらず、また自ら進んで取ろうという気がなかったことである。 一方は保守的で、長期自閉自足型、拡張性のあまりない民族魂(精神)、片や開拓型、拡張型、侵略型の民族魂(精神)。 我々は、警戒心を高めるべきではないか?

3.              中国は国外に基地がなく、更には全世界的利益がないことを光栄とする精神だが、一方の日本は、対外開拓もしくは侵略を得意とする民族精神である。 この違いをしっかりと見つめるべきだ。

前項を受けて、続けて述べたいことがある。 それは、伝統的教育では、我々は海外に基地がないことを光栄としてきたし、更には、全世界的に利益を持たないということを光栄とする精神教育をしてきた。 60、70年代、旧ソ連の拡張も、そういうことで批判してきた。 これらは今も、我々の間に影響を残している。 その重要な反映理論として“反航空母艦派”論がある。 “中国は、海外に利益を持たないから、航空母艦も必要ない”。 しかし、こういったことはもう時代遅れだ。 日本の対外開拓と侵略を誇りと考え、侵略を美化し、侵略を認めぬ民族精神と比べた時、また日本が絶えず“準航空母艦”を建設し、彼等の民族精神を実行しているのと比べた時、中国は今、全世界で商売が行われており、全世界至るところに華僑がおり、全世界規模に航路・航空路が開設されている情勢を見比べた時、全くの所、時代遅れと言っていい。

私は思う。 中国は他国を侵略しない。 しかし、中国は自国民の全世界にある利益を守らねばならない。 当然、“国外に基地がなく、更には全世界的利益がないことを光栄とする”という伝統的理念を捨てるべきだ。 中国は、将来必ず強大な海軍を持つようになる。 そうなったら海外に海軍基地を持たねばならなくなるし、海外に自分の駐屯軍も置く必要がでよう。 国際規模で自国民を守る“速やかなる対応能力”“全世界規模に到達する戦力”が求められることになろう。 我々は今、思想的に立ち遅れている。 日本が、“準航空母艦”を就航させている時、我々は、警戒心を高めるべきではないか?

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673中国は見る(380)葛紅兵事件の波紋(上)

葛紅兵は売国奴か?

时间2007-06-19 兵是不是

岛环球网 www.singtaonet.com

http://www.singtaonet.com/cul_review/200706/t20070619_560261.html

Photo_1605 現代の“売国奴”はどくらい憎まれているか? 上海大学教授葛紅兵の“状況”を見ればわかる。

この人は先日ブログに、“中国各地の第二次大戦の記念館は、みな、かっての戦争の復讐心をかきたてることを基本的目的としている。  このような「復讐心をあおる記念館」教育は、参観者の心に、ただ憎悪を産みつけるだけだ”と書き、また、“もし、民族が永遠に復讐心を抱き続けるとしたら、それはとても恐ろしいことで、全世界から嫌われます”と述べた。

2_056 この観点はまだ激しくないとしても、次の言葉は、中国人には受け入れられないものだ。 つい最近、日本に超党派議員連盟が成立し、中国各地にある「抗日戦争記念館」の反日写真撤去を求めるということについて、葛紅兵は、“私は、彼等の行動を理解します。 中日両国の将来に対する友好から出たものと理解します” と答えた。

2_029 葛紅兵のこの言葉は耳障りであったばかりでなく、気をもんでしまった。 もしも彼が民族主義意識の強い民衆に向かって、自分の考えを述べたのだとしたら、彼を迎えるのは拍手や花束ではなく、きっと腐った卵だろう。 残念なことにネットの友は、腐った卵は投げられない。 ただネット上で葛紅兵を売国奴と罵るだけで、その中には言葉が猛烈で、まるでその肉を食らい、その血をすすらんばかりの凄まじさだった。

2_033 葛紅兵が売国奴だという説は、前から流れていた。 これは多分、彼の一貫した先進的な意見が影響していると思う。 たとえば、《葛紅兵の海外日記》で、日本のアジアでの実際の影響力について書いている中で、簡単に日貨ボイコットと、ただひたすら仇敵視することでは、中国の将来にとって益ではないといって、中国人にもっと大人としての態度で、かっての侵略者に対応すべきだと提案していた。

葛紅兵は、日中問題を論じる時、しばしば読者に対し、“理性的評価”を求めた。 だが残念ながら、彼は、中国人の日本に対する民族主義意識を過小評価していた。 ネット上で大波のような罵声が上がっていることが確かな証拠である。

中国歴史上、従来からずっと沢山の売国奴がいた。 ある人が、それをイデオロギー型、文化型、経済型、それと比較型などに分類している。 それでは、葛紅兵はどの型になるだろう? 恐らくどの型にも当てはまらないというのが適当だろう。 ここでまず、どんな人間が売国奴か? 概念(大まかな意味)をはっきりさせよう。 何を基準にするのか? 行動か? 言葉か? それとも動機か? はっきりしていることは、葛紅兵の悪いところは、“大口”(大風呂敷)にある。 また話した時期がよくなかった。 なぜ、“時期がよくなかった”かというのか? 今の中国人は、日本に対して怒っている時である。 歴史問題――第二次大戦の謝罪、釣魚島(尖閣諸島)の主権問題、教科書及び靖国神社等、いずれも日中関係の敏感な問題だということを、当然知っていなければならない。 日本は一衣帯水の近い国であるけれど、近年、誰が東アジア、あるいはアジアの盟主となるかを巡って、両国の民族主義者の関心の的になっていることが、余計お互いの矛盾を激化させた。

日中は、1970年代に“友好”的な時期があった。 しかし、1982年の“教科書事件”、1985年の“中曽根首相靖国神社参拝事件”、またしばしば“閣僚の失言事件”などが起こり、我国国民の日中の歴史問題に対する考えを呼び覚ました。 また日本の右翼勢力の動きにも、関心を持つようになった。 90年代から今に至るまで、歴史問題が何度も繰り返され、中国人の日本に対する感情は急降下していっただけでなく、反感から抵抗(素直に受け入れられない、また張り合う気持)に発展していった。 近年、日貨ボイコットの呼び声がしきりに聞かれるようになり賛同の声も多くなってきた。

滑稽なのは、日貨ボイコットを大声で呼びかけている人が、日本製電気製品愛好者だったり、何かというと愛国スローガンを叫んでる人が、根っからの日本文化崇拝者だったりすることだ。 “泥棒が「泥棒だ」”という現象は、本当に珍しいことだろうか? このようなことから見ると、葛紅兵が言ってることは、売国とは言えないかも知れないが、少なくとも彼は、中国人の日本に対するある種、現実的状況を代弁したとも言える。 しかし、彼は日本人をあまりにも“友好”的に思いすぎている。 日本の島国根性意識は、日本をアジアの盟主に押し上げようとする戦略実現に向かっており、どこまでも中国を邪魔者扱いし取り除く方向に動くだろうことを心得て置かねばならない。

歴史的観点から見て、日本は“強者を崇める”民族である。 日本より強い者には従う。 唐朝隆盛の頃、日本人は中国を神の如く敬いひれ伏し、唐文化を学び、それが今にも伝わっている。 (この点については、中国人はちょっと恥ずかしい気がする)。 唐時代の人は世界に広く胸襟を開き、理性的に、誠意を持って、日本の“学生”達に対応していた。 

しかし歴史的遺恨は中国人に、日本に対して理性的態度を取りにくくしている。 ただ一歩譲っていうならば、恨みを忘れることができなくても、中国国民の奥底にある民族主義を扇動して騒ぎを起こすようなことはしてはならない。 いずれにしろ“暴力で暴力を制す”は、決して本当の愛国的行為ではない。

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672中国の三面記事を読む(181)本木雅弘、趙薇《夜の上海》中国で26日公開

Zhaowei 私は趙薇という中国女優が大好きです。 「還珠格格」というテレビドラマで「小燕子」役をやっていたのがとても印象に残っています。 目のクリッとしたとても愛嬌のある役柄でした。 その後、日本の「軍旗」ファッションで批判されたりしてちょっと可哀想でした。 日本へは、《ヘブン・アンド・アース 天地英雄》《少林サッカー 少林足球》《緑茶》などで紹介されていますが、どうもパッとしないです。 その彼女が本木雅弘と共演する映画が今日から中国で公開されますので、紹介したいと思います。 日本公開は9月頃の予定だそうです。

672中国の三面記事を読む(181)

1.本木雅弘、趙薇《夜の上海》中国で26日公開

2.《夜の上海》趙薇“地のまま”に伸び伸びと「女性タクシー運転手」を演ずる

1.2007-05-29 13:34:19  薇新作《夜·上海》626日上映

来源: 网易娱乐 网友评论 23  论坛

2.2007-05-30 09:52:58 《夜。上海》本色出演不修幅女司机

来源: 网易娱乐 网友评论 68  论坛

1.本木雅弘、趙薇《夜の上海》中国で26日公開

Photo_1596 中国の有名スター趙薇(ビッキー・チャオ)が日本のスター本木雅弘と共演するロマンチック・ラブ・コメディー映画《夜。上海》(邦題:夜の上海)が6月26日、日本に先駆けて公開される。 《バイオレーツ・カリビアン/ワールド・エンド》に《トランスフォーマー》などハリウッド作品や香港の梁家輝(レオン・カーファイ)、黄秋生(アンソニー・ウォン)がひしめく夏季映画戦線に殴り込みをかける新作品だ。

日中を代表する顔ぶれによるラブ・ストーリー

Photo_1597 《夜。上海》は、中国と日本が共同出資で作った上海を舞台にしたロマンティック・ストーリーの映画である。 これまでの中国映画のラブ・ストーリーとは違い、この映画は都会の雰囲気がよく撮られていて、都市で生活している男女の心の中にある、悩みや淋しさ、揺れる思いが描かれている。 また、上海の美しい夜景をスクリーンの上で十分に堪能できる。

Photo_1598 《夜。上海》の内容は、上海のある一夜の物語である。 日本のカリスマ・ヘアメイクアーチストと上海の女性タクシー運転手は、それぞれ悩みや将来への不安を抱いている。 二人はこの華やかな夜の上海でめぐり合う。 そして言葉と国境を越えた友情が芽生える。 映画は、自分探しと思いやりの映画で、何年か前の《ロスト・イン・トランスレーション》のような感動さと、それとは別に言葉の障害による面白さで、笑わせてくれる。

2.《夜の上海》趙薇“地のまま”気楽に「女性タクシー運転手」を演ずる

Photo_1599 《夜の上海》は、本木雅弘、塚本高史、西田尚美、竹中直人といった日本のスターが出ているが、なんといったって中国の観客が期待するのは、趙薇の出演だ。 《夜の上海》は、趙薇の最新作であり、彼女が演じている女主人公・林夕は街の片隅にPhoto_1600 いる女の子のイメージだ。 林夕は、ちょっと気まぐれな性格で、ふとした出会いの中で見せる表情には、かっての“小燕子”を彷彿させるものがある。

《ヘブン・アンド・アース 天地英雄》《少林サッPhoto_1601 カー 少林足球》《玉観音》《緑茶》から《情人結》まで、趙薇の映画での演技は、決して大受けするものではない。 趙薇はこれまで何度も、“自分は小さな役でも、存在感のある”映画を撮りたいとPhoto_1602 言っていた。 この願いは、《夜の上海》でやっと実現したと言える。 趙薇は、普通の娘役は難なく出来る。 “私は、今度のような外見は強そうで、内心やさしいという役柄が好きなんです”と語っていた。

張一白監督 新しい都会のラブストーリーを続撮

《開往春天的地鉄:春へ向かう地下鉄》から《好奇害死猫:猫殺し狂》まで、張一白監督は都会のラブストーリー映画のベテランだ。 今回の

Photo_1603 《夜の上海》も、その得意の表現方法を最大限に発揮している。 これまでの映画と違うところは、《夜の上海》では、日中の現代の流行要素を取り入れたことだ。 特に上海の夜景は、監督の画面の中では、また違った雰囲気とにぎやかさが見られ、Photo_1604 我々がよく映画を通して見る、東京、ニューヨーク、パリのようでもある。 また監督は見知らぬ男女が、偶然出会って、ケンカしそうになったりしながら、次第に知り合っていく、その微妙な心の動きがうまく描かれている。

ハリウッド映画《バイオレーツ・カリビアン/ワールド・エンド》に《トランスフォーマー》などの大作が目白押しの夏の映画戦争の中で、都市部の若者達をターゲットにロマンチック・ムード一杯の映画《夜の上海》は、現代感覚と流行にあふれ、観客に新鮮さを感じさせるものとなっている。

《夜の上海》紹介:

監 督:張一白

出演者:趙薇、李森、郭品超、本木雅弘、西田尚美、塚本高史、竹中直人

公開日:2007年6月26日 (日本公開は9月頃の予定)

ストーリー紹介:カリスマ・ヘアメイクアーチストの水島直樹(本木雅弘)は、チャリティー音楽祭の仕事で上海にやって来た。 一緒について来たのは長い付き合いの恋人兼マネージャーの美帆(西田尚美)。 彼は超人的腕前で、出場歌手達それぞれにあった髪型をセットしていった。

音楽祭は大成功だった。 しかし水島は、どうも気持ちがすっきりしない。 仕事は順調なのだが、いささか嫌気がさしている。 その上、うんざりなのは美帆のことだ。 今や危機的状況にある。 また目の前に美帆に片思いしている河口(塚本高史)がいる。 河口があらゆる苦労をいとわず美帆を追い回す姿を見るのも、水島を憂鬱にさせている。

趙薇 女性タクシー運転手に扮する

彼は、いらだち落ち着かないまま、ふらふらと街へ出掛けた。 ところがふと、金を持っていないことに気付いた。 それに身分証もない。 彼は、いつも一切を美帆に任せていたのだ。 泊まっているホテルの名前さえわからない。 水島は仕方なく、上海の夜のとばりの中を一人歩くしかなかった。 その時、タクシーが彼の考えを中断させた。 タクシーが彼をはねたのだ。 車には大きなへこみができた。 運転していたのは女性運転手・林夕(趙薇)だった。 林夕は自分の乱暴運転を水島に詫びた。 言葉の通じない奇妙な観光が始まった。 一方は相手の熱心なガイドに感謝し、一方は外国の“大魚”を釣り上げたと内心大喜びしていた。 その時、林夕は冬冬(郭品超)―彼女がひそかに思っている男―からの電話を受けた。 冬冬が、明日結婚するとの話を聞いて、林夕は喜びから失望の底へ落ち込んだ。 そばで一部始終を見ていた水島は、何が起こったかわからなかったけれど、林夕の苦しそうな表情から、自分と同じような影を感じた。

その頃、音楽祭の会場では、水島の行方不明で騒然となっていた。 美帆と河口、水島の助手・原と通訳の沈、それと広告代理店の山岡達は、それぞれ水島を探しに、真っ暗な上海の街へ飛び出していった。

失意にあった水島と林夕は、偶然の夜の出会いの中、次第に心に秘めた傷跡と悩み、心の空白を相手に打ち明けた。 二人の気持ちはいつしか一緒になっていった。 国境を越え、言葉などいらぬ、特別な夜が始まった--------

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671中国は見る(379)上海で「日本映画祭」開かれる

Photo_21日本映画ウイークで 日本映画13本 上映される

2007-06-13 10:28:09 日本影周将 13部日本影佳作将

来源: 青年(上海) 网友评论 0  论坛

Photo_1586上海国際映画祭期間中の617日から、一週間にわたり日本映画ウイークが開かれる。 その際、日本映画が13本上映される。 また、日本の映画関係者が舞台から挨拶する。

今回、日本映画ウイークで上映される13本の映Photo_1587画は、最近の日本映画のすぐれた作品である。 日本の第一人者 山田洋次監督の“武士の一分(武士的一分)”や、日本の中堅監督の力作もある。 犬童一心監督が松嶋菜々子主演で撮った“眉山”である。 この2作品は、いずれも今回の上海映画祭 の“金爵賞”に選ばれた。 

このほか上映されるのは、“東京タワー(东京塔)“幸福のスイッチ (幸福开关) ”、“バッテリー (棒球伙伴) ”、“大奥”、“ 虹の女神(彩虹女神)”、“ブレイブ・ストーリー(勇敢者的故事) ”、“涙そうそう(泪光闪闪)”、“NANA(娜娜)”、“どろろ(多罗罗)”、“アンフェア(不公平)”などの作品である。Photo_1588 Photo_1589 Photo_1590 Photo_1591 Photo_1592

Photo_1593 Nana Photo_1594 Photo_1595

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670中国は見る(378)慰安婦問題の米紙全面広告 米国議会の怒りを買う

2007-06-20 20:25:53 :日本妄想否慰安,美国会——及一点感受

文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongmei/582776,6.html

016_2 日本の議員など63名が、6月14日のワシントン・ポスト紙に“慰安婦の強制性はなかった。 慰安婦達はよい待遇を受けていた”などの全面広告を載せ、これがたちまちアメリカ国内の反発を招いてしまった。

アメリカ政府と議会は16日、これは日本の“厚顔無恥”な態度の表れだとして、強い抗議を出すことを決めたという。 チェイニー副大統領は不快感を表明、徹底的に掲載の経緯を調べるよう命じた。

アメリカのトム・ラントス下院外務委員会委員長は18日、議会の外務委員会は26日に、「第二次世界大戦中の“従軍慰安婦問題”の謝罪を求める決議案」を採決すると語った。 情報筋によると、決議案を支持する議員はますます増え、決議案は、“合格ライン”に入り、可決される見通しだという。

“真相”広告に チェイニー激怒

3_016 報道によると、この広告は一番上に目立つように、黒の太い字体で“真相”(THE FACTS)と題されていた。 広告に列挙されていた“真相”には、“日本軍が女性の意思に反し、強制的に慰安婦2_004_2 とした史料はなかった”“慰安婦は報道などでよく言われている「性の奴隷」ではない”などが並んでいた。 更に“慰安婦達は、日本の兵隊より沢山稼いでいるものが多かった。 中には将校より多い者もいた”などと書かれていた。

広告はまた、“日本が謝罪しないのは「もし根拠のない中傷に謝罪したら、アメリカ国民に誤ったイメージを与えるから」”だとしている。 日本の自民党議員29名、民主党議員13名が、この意見広告に賛同し、連盟で載せた。 広告が載った後、アメリカ、韓国など多くの国から強い反発の声が上がった。 アメリカ議会は16日、これは、日本の“厚顔無恥”な態度を表したものだとし、チェイニー副大統領は、広告の掲載経緯を調べるよう命じた。 

“慰安婦決議案”の賛成人数急増 決議案“可決”へ

広告は強い反発を招いた。 アメリカ議会外交委員会ラントス委員長は、18日、“外交委員会は、マイケル・ホンダ議員から出された“慰安婦決議案”を26日採決すると発表した。 決議案は、日本に対し慰安婦の歴史的事実と責任を認め、日本の指導者に正式謝罪を求めるものだ。

報道によると、18日現在、435名の議員のうち“慰安婦決議案”に賛成の議員は140人に達している。 民主党、共和党の両党議員がいる。 マイケル・ホンダ議員が、今年1月決議案を提出した時は、賛成議員はたった6人だった。

情報筋によると、もし決議案が提出されれば、多分、常任委員会で可決されるだろうという。 一旦、外交委員会で決議案が通れば、次の焦点は、いつ本会議で採決されるかになる。 “慰安婦問題”で同情を寄せている民主党は下院で多数を占めており、採決の見通しはこれまでよりきわめて明るい。

余計なことをして逆に悪い結果になる

報道によると、マイケル・ホンダ議員の議案は、提出されてから様々なことがあった。 今年3月初め、安倍首相が談話を発表し、“日本軍による強制的な慰安婦の事実を否定”したことが国際世論の強烈な批判を浴びた。 4月末、安倍首相は訪米しブッシュ大統領に、慰安婦問題について“謝罪”した。 その後、外交委員会は、5月下旬に予定していた“慰安婦決議案”の日程をキャンセルしていた。

今月14日、“慰安婦決議案”を小さいうちに潰そうと、ただひたすら考えていた日本の右翼勢力は、アメリカで影響力のある新聞の一つである“ワシントン・ポスト紙”に全面広告を出し、再度、“慰安婦問題”を否定しようとした。 ところが、今回は「石を運んで、自分の足に落としたようなものだった」。 日本のメディアは、アメリカ議会の話を引用して、今回の広告が逆作用を起こして、本来“慰安婦決議案”に保留の議員達も“決議案を通すべき時がきた”と考えるようになった、と伝えている。

19日、麻生外相は、アメリカ議会が間もなく“慰安婦決議案”を採決することについて“遺憾だ”と表明した。 麻生外相は、“日本政府のこの問題についての態度は、”一貫して変わっていない“

【関連記事】

アメリカ議会が出した“慰安婦決議案”は、日系の民主党議員マイケル・ホンダが、今年1月に提出したものだ。 同決議案は、日本政府に“慰安婦問題をはっきりと明確に認め、第二次大戦中、日本軍によって凌辱されたアジアの女性に謝罪と相応の歴史的責任を果たすよう”求めるものだ。

【声】

元日本軍慰安婦のオーストラリア人の女性は、“私はまったく信じることが出来ません。 こんな長い時間が経ってしまい、こんなに沢山証拠があるのに、日本政府は、まだこんなことをするんですから”

(追記:写真の新聞記事は6月21日(木曜日)東京新聞を利用させていただきました)

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669中国は見る(377)葛紅兵:中国は反日教育をやめるべきだ(下)

葛紅兵のブログ騒動の波紋(その2)

“抗戦記念”と“反日教育”を混同 どんなつもりか?

2007-06-20 20:09:41 :混淆战纪仇日宣居心何在?

本文网址

:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1234371,19.html

Photo_1585 “鹿を指して馬と言う”は、中国の古典に出てくる。 この言葉から、“奸臣が政権を握る”恐ろしさを感じ取ることが出来る。 今日この頃、また“鹿を指して馬と言う”者が現れた。 “中国抗戦記念”をむりやり“反日教育”とすり替えているのだ。

6月18日の新民ネットの報道によると、有名な学者・葛紅兵が“中国は反日教育をやめるべきだ”という文章を自分のブログに載せた。 彼は、中国各地の第二次大戦の記念館を、みな“復讐”を基本目的としており、この“復讐的”な教育方法は、参観者に憎悪を生みつけるだけだとしている。

昔の秦の丞相・趙高が“鹿を指して馬”と言ったのは、“生殺与奪の権”を握っていたからだ。 今、葛紅兵は何の権利があって、“中国抗戦記念”と“反日教育”をごっちゃにするのだ。 彼は一体どんなつもりなのか?

学者としての葛紅兵は、“学術上”また、祝うべき“新しい成果”があったのだろうか? “有名学者”としての葛紅兵が、今回のことで本当に全世界に名が知れたことを、お祝いすべきか? 残念ながら今日の中国は、もう“趙高”の時代ではない。 “鹿を指して馬”というようなことは許されない! ましてや、今の中国の民衆は、彼が“学者”の地位にあるからといって、ただ追随するようなことはしない! 中国の民衆は別の方法で、この学者に対して、“何が抗戦記念”で、“何が反日教育”か、わからせることになるだろうと思う。

“抗日戦争記念館”は、中国が“抗日戦争勝利”を多くの人に伝えるため建てた資料館で、中国各地におよそ150近く、このような記念館がある。 各記念館とも、日本が中国を侵略した残虐行為を明らかにし、日本軍の犯行を示す写真を数多く展示している。

葛紅兵は、日本人民も第二次大戦の犠牲者だとしていて、我国の第二次大戦の教育は復讐的であり、直接的反日教育、復讐教育だとしている。国が侵略にあった事実を明らかにすることより、ほかにいい方法があるのだろうか? 写真のように簡潔に客観的に事実を伝えるものが、ほかにあるだろうか? 

強盗が他人の家に入って放火、殺人、強奪をしたら、反撃を受けるのは当然のことだ。 しかし強盗も被害者だというのは、へりくつ以外のなにものでもない。 強盗の子孫はむろん罪はない。 その子孫が我々と友好善隣を望むことについては高く評価したい。 しかし、だからと言って、彼等の父祖達の犯罪を抹消することなど、どうしてできよう? 抹消できるだって? 抹消できるものか? あの抗日時代の歴史の写真は、中国人に「国が劣っていたら、ひどい目にあう」ことを、思い出させるものである。 また、抗日時代の写真は、日本人に「二度と同じ歴史の過ちを犯さない」ことを認識させるものだ。 これこそ“抗日戦争記念館”の重要な意義だと思う。

“中国抗日戦争記念館”を“反日教育”などとでっち上げるなんて、一体どういうこか? 第二次世界大戦の記念館については、中国だけでなく、世界各地にも同様な記念館がある。 善良な人達が、この平和な方式で戦争がもたらした苦難を考えるのが、何がいけないというのだ? この戦争の思い出の中に、我々のファシストに対する抑えがたい憎しみがあることは否定しない。 この抗日戦争記念館は、次世代の人々が引き続きファシストに対する憎しみを持ってもらいたいということだ。 これがなんで間違っているというのか? 人々に常にファシストの“巻土重来”を阻止させると共に、ファシストの子孫が、二度とファシストにならないよう用心するためだ。 まともな記念行事を“反日教育”ともっともらしく言うのは、全世界人民(日本人も含む)の世界平和という願いを無視するものだし、これは人知れずファシストの霊を呼び戻すものであり、自他を欺きファシストの犯罪を容認するものだ。ただ、ファシストとその国と人民を同一視してはならない。

報道の中で、葛紅兵は更に、“もし、一つの民族が永遠に復讐心を抱き続けるとしたら、それはとても恐ろしいことです。 全世界から嫌われます”と言っている。 私は、この文章を若干修正し、本文の終わりの言葉とします。 “もし、一学者が良心に背いて話をしているとしたら、それはとても恐ろしいことです。 もし民族に当然持つべき記念館がなかったとしたら、全世界からバカにされます

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668中国は見る(376)葛紅兵:中国は反日教育をやめるべきだ(中)

葛紅兵のブログ騒動の波紋(その1)

2007-06-19 15:08:24 兵博文

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1233295,5.html

葛紅兵の文章の原文は下記を参照して下さい。http://blog.sina.com.cn/u/473d280c010007pm

1.   葛紅兵のブログに対する見方

Gehongbing  このブログの背景には、日本の超党派議員連盟が13日発足し、“中国各地の抗日記念館に展示されている反日写真を撤去するよう”求めたことがある。 このニュースに対し、ブログでは以下の見方を示している。

   もし日本の中国侵略の事実を隠そうとするなら、我々は当然反撃しなければならない。 しかし、中日両国の将来の友好のためということから出たのなら、彼等の説明に、必ずしも道理がないとは思わない。

  中国各地の第二次大戦記念館は、みな“かっての戦争に対する復讐心をかきたてる”ことを基本目的にしている。

  復讐式の第二次大戦記念館は、中国の第二次大戦観をまるっきりおかしくしてしまった。

  どのような第二次大戦記念館にしろ教育にしろ、「愛と平和」を目的とすべきだ

きわめて政治的色彩の強い話題となった。 その焦点となった問題はただ一つ:中国はいかに抗戦を記念すべきか? だが、この問題の影響するところは大きく、中日の歴史問題の認識の違いや、中日の現実の問題の矛盾にまで関連することになる。

著名な作家として、このような文章を書くことは、慎重でなければならないし、問題の全体の動きについて、深く認識し把握し、影響に注意を払うべきだ。 私は葛紅兵のブログについて、二つの観点に誤りがあると思う。

   中国各地の第二次大戦記念館は、みな“かっての戦争に対する復讐心をかきたてる”ことを基本目的にしている。

   復讐式の第二次大戦記念館は、中国の第二次大戦観をまるっきりおかしくしてしまった。

日本の政府高官が、続けて何度も靖国神社を参拝したり、ある日本の政治家は、積極的に台湾独立を支持したり、釣魚島(尖閣諸島)紛争、東海領海問題などに関係している。 私は、中国各地の第二次大戦の記念館は、復讐を基本目的としているとは思わない。 歴史的事実の保存を基本目的としていると考えている。 また日本の一部政治家の反中言論に対する抑制的措置でもある。 外国の第二次大戦記念館には、彼等の特徴があるとしても、中国の第二次大戦記念館がおかしなものとは思わない。 

歴史は人類の歴史であって、物質の歴史ではない。 史実の中にも、愛があり、遺恨がある。 絶対的客観性はない。 上述二点の観点から、葛紅兵の考え方は、やや一方的で絶対的思い込みが見られる。

だが同時に私は思う。 “葛紅兵は原則を正しく押さえていると思う。

それは、現在の中日関係は平和共存を全体の目標とすべきだということ。

日本軍国主義の台頭について、我々はもちろん警戒しなくてはいけない。 現実的に対立した場合、もちろん国家利益を守らねばならない。 平和友好については、少なくとも現在、我々が取るべき目標は、先頃、温家宝総理が訪日した時、期待した目標である

2.   葛紅兵は漢奸か?

葛紅兵のブログは大きな騒ぎを引き起こした。 ネット上で多くの人から漢奸と名指しされた。 “漢奸論”の観点は次の通り:

   日本の超党派議員連盟と海を越えて相呼応したのは、偶然の一致ではない

これは“でっち上げ”の罪名だ。 現在ニュースはすぐ伝わる。 葛紅兵が、すぐブログを書いたとしてもおかしいことではない。

   日本軍国主義者と売国奴のお先棒をかつぐ

肝心なことは、あなたがこの“お先棒をかつぐ”を、どう理解するかだ。 もし、日本の製品を買うのも売国、中日友好を言うのもスパイというだったら、葛紅兵は漢奸の呼び名に十分当てはまるだろう。

   言論の上では、祖国を裏切っている

葛紅兵の民族観念、政治観念は少し偏っているところがある。 しかし祖国を裏切るというところまでには至ってない。 盧溝橋の抗戦記念館を私が2001年参観した時、一人の日本の老人が来館し、謝罪しているのに出会った。 彼の行為は、日本を裏切ったものではない。 葛紅兵の文章は、中国を裏切るものではない。 我国の歴史上、多くの漢奸が現れた。 しかし、中には漢奸でないのに漢奸と非難された人も沢山いた。 葛紅兵は、後者に属するものだ。

3.   ネット族は葛紅兵の言論にどう対処すべきか?

葛紅兵のブログに対する、ネット上での反応は、基本的に四つある。 一つ目は“激しく非難する” 二つ目は“人身攻撃” 三つ目は“弁論による批判” 四つ目は“弁論による支持” この四種類のうち、比率的に大きいのは“激しく非難する”が大多数を占めていた。 また“人身攻撃”も相当部分を占めており、“弁論批判”と“弁論支持”者も相当部分いる。 葛紅兵のブログに対する態度は、基本的に中国人の日本に対する態度を反映したもので、中国人が日本の国に対する態度に関する調査をした結果と相通ずることが裏付けられた。

葛紅兵のブログ問題の対応は、その本質は日本をどう見るかの問題でもある

仇敵に対して取る態度は、人によって違うものだ。 “泣き寝入りする人(強者を黙認する)”がいれば、“目には目を”という人もいる。 “10年かかっても目的(仇討ち)を果たそう”という人もいれば、“寛容の精神”“自分をひたすら向上させるだけ”でよいという人もいる。 また“ただ警戒”するだけといろいろある。 現実生活の中にいる大多数の人達は、憎しみに対して、上に述べたようなやり方で、二つ以上合わせたものとなるだろう。 この矛盾した気持ちは、人間関係の中で一番処理しにくいものだ。 しかし、どうであれ人はある選択をしなければならない。 その選択は、その人の社会的役割と個人目標によって決められる。

同様に、国際政治構造の中では、国家間のこのような矛盾した感情は、

双方の国家に選択を迫ることになる。 中国が宿敵日本にどう対応すべきかは、中国の国際社会での役割と国家発展目標によって決められる。中国は、潜在力のない小国ではなく、国際影響力のある大国である。 大国が宿敵に対するには、まず相手を超えなくてはならない。 相手を超えてこそ、言うべきことが言えるのだ。

歴史の教訓を忘れず、未来の目標を心に刻み、現実の立場をわきまえれば、どのように日本に対するのが現実的選択なのか、はっきり見えてくる。 それは:警戒心を忘れず、双方が利益を得るよう努力し、自国を向上させて、相手を超えることだ。

相手を超えるには、問題を正しく処理し、浮ついた心を克服し、内部の団結を維持し、積極的に相手のことも学習することが必要となる。 気のゆるんだ平和主義者は、屈辱の歴史を忘れてしまう。 また一方、先鋭的民族主義者は、現実を容認できない。 この二つの傾向は、いずれも国家と人民の根本的利益に逆行するもので、主流の役には立てないものだ。

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667中国は見る(375)葛紅兵:中国は反日教育をやめるべきだ(上)

2007-06-19 10:35:14 学者葛兵:中国停止宣仇式反日宣

来源: 新民网 网友评论 1561 论坛

Photo_1582 葛紅兵:1968年生まれ。 中国の代表的新世代の学者・作家である。

1998年、文学博士。 2001年、上海大学教授。 1999年、上海大学の修士指導教官。 2003年、上海大学の博士指導教官。

シンガポール南洋理工大学研究員。 英国ケンブリッジ大学訪問教授。 貴州師範大学客員教授。 中国当代文学研究会理事。 中国文芸理論研究会理事。 

最近、著名な学者・葛紅兵が、ブログに文章を発表した。 その中に、“中国は反日教育はやめるべきだ”と記されていた。 彼は、中国各地の第二次大戦の記念館は、みな“かっての戦争の復讐心をかきたてる”ことを基本的目的としている。  このような“復讐心をあおる記念館”教育は、参観者の心に、ただ憎悪を生みつけるだけだ。

葛紅兵は、日本人も第二次大戦の犠牲者だ。 しかし、我々の第二次大戦の恨みの歴史を伝えるという教育方法は、直接的な反日教育であり、復讐教育となっている。

葛紅兵の観点に対して、ネットの友はこう言っている。“中国の抗日記念館の基本的論調は、この戦争は日本の少数(きわめて少数)の軍国主義分子が引き起こしたものであり、日本軍国主義の産物である。 多くの日本人民は被害者であり、日本軍国主義により、天皇に忠誠を誓わされ、だまされたもの”と。 ネットの友は言う。“これが客観的で、公正でないと言うのか? 復讐教育だと言うのか?”

18日午前、新民ネットは、葛紅兵に連絡を取った。 葛紅兵は、新民ネットに対し真っ先に、“宣仇”(戦争の復讐心をかきたてる)と言う言葉の意味を説明した。 “いわゆる「宣仇」とは、簡単に言うと、中国人に対して、日本人への復讐と日本民族の消滅を指導するものです。 もし、一民族が永遠に復讐心を抱き続けるとしたら、それはとても恐ろしいことです。 全世界から嫌われます”

この後、葛紅兵は、また新民ネットに自分の見方を語った。 彼は、中国各地にある第二次大戦の記念館は、反日目的のものです。 即刻、この教育はやめるべきです。 各地にある記念館に展示されている大量の血なまぐさい写真は、ちゃんとした人間観と戦争観を確立すべき多くの小中学生にとって、彼等の心を深く傷つけるものです。 ですから各地ににある戦争記念館に展示している写真は展示をやめるべきで、学者、専門家だけの研究資料にすればいいのです。

最近、日本で超党派議員連盟が、“中国各地にある「抗日戦争記念館」の反日写真撤去を求める”(注:6月13日発足、自民、国民新党と無所属の国会議員計42人が所属、 会長には平沼赳夫元経済産業相が就任)ということについて、葛紅兵は、“私は、彼等の行動を理解します。 中日両国の将来に対する友好から出たものと理解します”

この後、葛紅兵は更に彼の見解を詳しく語った。 彼は、“中国は第二次大戦を記念するに際し、自らも反省すべきだった。 第二次大戦中、日本人が起こした悲惨な結果については、日本側だけに一方的責任があったわけでなく、中国にも責任がありました”

最後に葛紅兵は、第二次大戦の記念は「平和と愛」を広めることを目標とすべきだ。 第二次大戦を記念するに当たっては、「戦争反対、人類から戦争被害の悲しみをなくす」ことを目標とすべきだと語った。

【関連記事】

葛紅兵:中国は反日教育をやめるべきだ 

(作者ブログから転載)

“人格”教育によくない。 特に、ちゃんとした人間観、戦争観を持たなければならない多くの小中学生にとってよくない。 彼等に、じかにあの血なまぐさい写真を見せることは、彼等の心や精神を傷つけるものだ。 私は、全世界で多くの国の第二次大戦記念館を見てきた。 いずれの国も第二次大戦の傷を深く受けていた。 彼等が受けた傷跡は、我国と比べても軽いものではない。 しかし、彼等の記念館には、血なまぐさい写真などは、あまり置いてなかった。 子供はまだ小さい、第二次大戦の記念館の中では、“人間は最終的には善である。 人間はすばらしい。 明日は平和だ。 我々は、平和を大事にし、守らねばならない”とわからせねばいけない。 私は、“英国人は第二次大戦をどう思っているか?”という文章を書いたことがある。 私達はイギリスに学ばねばならない。

第二次大戦からもう60年経ってしまった。 私達は、東南アジア各国、シンガポール、タイなどの国の第二次大戦の記念の仕方を学ぶべきだ。

彼等の国には、反日の気持ちなどまったくない。 逆に、日本と仲良く付き合っている。 私達はフランスやイギリスのやり方も参考にすべきだ。 彼等にもドイツに対する復讐(反独)の気持ちはない。 両国ともドイツと仲良くやっている。 60年経ったのだ。“我々の後れは、日本が侵略したからだ。 今なお、傷跡が回復していない”などと、毎日言うのはよそう。

恨み言は毒薬 人の心をむしばむ毒薬であり、国の心をむしばむ毒薬である

第一次世界大戦で負けたドイツは、正に復讐にむしばまれた。 そこで第二次世界大戦を起こしてしまった。 この教訓から、“戦争を起こした国の懲罰と蔑視、非難には限度がある”ということを知るべきである。

限度を越すと、その結果は逆効果となる。 犯罪者に対するような接し方や、繰り返し謝罪を求めたり、また辱めるようなやり方で教育するようなことは、いずれも正しくない。 どうしてわからないのか。 この中のように、我々は罪人と同じ過ちを犯しているのだ。

寛容こそ人間性と心の傷を治す良薬である。 国家であろうと個人であろうと関係ない

中国は復讐みたいな反日教育はやめるべきだ。 復讐を目標とするのではなく、「第二次大戦の記念は戦争反対、人類から戦争被害の悲しみをなくす」ことを目標とすべきだ。 また、一国家の角度から、他国への遺恨を煽り、敵対意識を育てるようなことはしてはならない。

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666中国は見る(374)馬立誠:歴史問題を中日関係の中心問題とすべきでない(7)【完】

马立诚:历史问题不应成为中日关系的核心问题http://bbspage.bokee.com/gdft/mlc2007/01.htm
访谈时间2007525日 访谈地点:北京人民日

鄧小平は、1978年日本を訪れた時、昭和天皇に対し“過去のことは過去のことです。 これからは未来を見ていきましょう”と述べた。 鄧小平が言った過去というのは何を指しているのか? 戦争です。 鄧小平が過去のことは、もう済んだことと言ったのに、どうして30年後の今日、まだ解決できないのか? 戦争は、遠い昔のことなのに、なぜ乗り越えられないのか? 道理的に言えば、戦争は遠い昔のことだから、憎しみも薄れるはずだ。 

たとえば中国の元朝時代、日本を2度侵略したことがあった。 現在の人はとっくに忘れてしまっている。 鄧小平は、抗日戦争の指導者であった。 あのように中日両国の問題を処理したのは、抗日戦争を体験したことのない人に対する教育の意味があったのではないだろうか? 

胡耀邦も中日両国が“協力すれば両国に利益をもたらす。 仲たがいすれば共に傷つく”(两利、斗)という言葉を残した。 この言葉に含まれている意味は深く、味わいに富むもので、私達が心して考えるべきものである。

現在、国民のレベルは次第に向上しているが、何が大局で、何が中国の核心部分か? 世界の戦略構造は一体どうなっているか? 中国はどのような環境を求めているか?―――こうした問題を、まだはっきりわかっていない人達も少なくない。

ブログ中国:最近、我国のコラムニストが、中国の環境悪化問題を取り上げ、まったく心が痛むと言っていた。 日本には、この方面で中国の参考となるべきノーハウがありますか?

馬立誠:日本の人口密度は中国より多く、大規模生産、大量消費で、大量の廃棄物を出している国です。 でも、日本はなんであんなにきれいなのか? 中国が“文化大革命”を始めた翌年、日本は、“公害対策基本法”(1967年)を公布・施行しました。 続けて一連の関連法規を整備し、厳しく実施しました。 

たとえば、家庭ごみの分類を厳しく実施しています。 東京の秋葉原の電気街は、にぎやかな所です。 そこに川が流れています。 川には魚がいっぱい泳いでいます。 中には1メートル近い魚もいますが、誰も釣る人はいません。 生態環境は大事に守られています。 このほか、日本人は地下鉄に乗る際、携帯を掛けたり、受けたりすることはほとんどしません。 車内の人の迷惑にならないようにしているのです。

香港の環境は、日本よりちょっと劣っていますが、香港の環境もまずまずです。 香港の法規では、海にゴミを棄てると投獄される。 ビルの上の階から物を棄てるとやはり刑務所入りです。 タバコを捨てると罰金1500元です。 香港の今年の規定では、公共の場所でのタバコの喫煙は禁止になりました。 

我が大陸は、この方面の認識は不足しており、その差は大きく開いています。 学ばねばいけません。 “南方周末”は、先日、第一面に“日本に学んで再出発しよう”という記事を載せていました。 いい記事です。

ブログ中国:日本に学ぶべきリストを作るとしたら、どう書きますか?

馬立誠:三つあります。“教育重視”“科学技術振興”“仕事熱心”

日本は、20世紀初頭、学校制度を基本的に普及させました。 中国の目標は2010年頃、高中(高校)入学率80%実現を目指しています。 中国の高校普及程度は日本よりだいぶ後れています。 教育の後れは、科学技術の開発能力の後れに繋がり、憤青を沢山作り出すことになります。

国際エコノミスト情報センターが、世界で新しいものを開発する能力のある国を選出したところ、英米仏独を追い越し、日本が第1位にランクされました。 中国は、54位だった。 日本人は、仕事を真面目にすることで有名である。

ブログ中国:中国の発展のネックを解決するには、激しい嵐のような解決方式がいいと思いますか? それとも穏やかな改良方式がいいと思われますか?

馬立誠:私は改良がいいと思います。 つまり改革ですね。 中国は、昔、武力や革命が多かったです。 項羽は陽に入り、火をつけて阿房宮を3日3晩燃やしました。 李自成は洛陽に入り、福王を殺しても足りず、やはり福王宮を燃やしました。 中国の歴史上、王朝交代はいずれも武力で実現しています。 武力の破壊性は大変大きいものでした。 曹雪芹(紅楼夢作者)は、“見渡す限り真っ白、広い土地には何も残っていなかった”と言っている。―――大規模な武力事件では、いつも社会的に利用できる財産が失われ、また新たに最初からやり直すことになりました。 ですからもうそんなことはしてはいけない。 中国の問題は、改革によって解決すべきで、武力・暴力の衝突による解決はしてはいけません。 一歩一歩改善に改善を重ねていきます。 小さな進歩の積み上げが大きな進歩に変わります。 問題を解決する一番いい方式は、ゆっくり改良していくことです。

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665中国は見る(373)馬立誠:歴史問題を中日関係の中心問題とすべきでない(6)

马立诚:历史问题不应成为中日关系的核心问题http://bbspage.bokee.com/gdft/mlc2007/01.htm
访谈时间2007525日 访谈地点:北京人民日

歴史問題を中日関係の中心問題とすべきでない

【マクロ的視点で歴史問題を見る時、国家関係での位置づけはどうすべきか? 馬立誠は、“歴史問題はそれをあるべき位置に置くべきです” 彼は、“法律と国家体制の観点からいうと、日本が戦争を起こした責任はもう清算されている”と考えている。

ブログ中国:歴史を清算しなければいけないという人がいます。 この点――たとえば日本の戦争責任の清算について、あなたはどのような見方をされていますか?

馬立誠:法律の観点からいうと、日本が起こした戦争責任の清算はもう済んでいます。 大体二つの重要なステップがありました。 

第一は、1946年から1956年にかけて10年にわたり戦犯裁判が開かれた。 日本に極東軍事裁判所が設けられ、また各被害国、交戦国で49の法廷が開かれた。 これらの法廷で、日本軍国主義者の戦争犯罪について清算が行われた。 死刑を言い渡されたのが全部で991名、無期懲役が491名、有期懲役が2946名だった。 そのうち、中国戦区の10の軍事法廷では、1946年から1949年まで2200件あまりの戦犯案件を審判した。 南京大虐殺の首謀者・向井敏明などは死刑を言い渡された。 1956年、毛沢東の指示により、中国共産党中央指導部は大陸で拘禁されていた戦犯に対し、寛大な政策を実施した。 最高人民検察院は3回に分けて拘置していた戦犯に対し、起訴免除の決定書を出した。 全部で1017名の日本の戦犯が起訴を免れ釈放された。 10年の裁判を経て、法律的に日本の戦犯の戦争犯罪の清算は一段落しました。

第二は、第二次大戦の後、アメリカ軍が日本を占領し、日本の軍国主義独裁体制を徹底的に粛清した。 そして、日本に民主法治の国家体制を作り上げた。 同時に、学術、思想、教育の面でも軍国主義を排除した。 例を挙げると、日本では長い間“愛国”という二文字は使うことができなかった。 このほか、日本の憲法の起草を手伝い、日本国憲法を制定した。

以上のような重要なステップを踏んだことで、日本軍国主義は実質的に清算が済んだといえます。

もとより、日本の少数の右翼達は、あきらめることなく折につけ、でたらめな理屈を並べ、戦争犯罪の否定、縮小を企んでいる。 これはドイツに依然として少数のナチス分子がいるのと同じだ。 彼等は決して日本の主流ではないが、我々は長期にわたり警戒する必要があります。 たとえば、日本の右翼が南京大虐殺の行為を否定するなら、我々も反撃します。 南京大虐殺は客観的事実であって、否定することは出来ないものです。 ところで、日本の右翼団体の人数は日本の人口の1%にも満たないものです。

ですから、日本社会での右翼の力を大げさに言ってはいけません。 ドイツに少数のナチス分子がいるからといって、ドイツの戦争犯罪が清算されてないなんて言えますか? これはまったく別のことです。 戦犯の戦争責任の追及、戦争を起こした国家体制の変更、民主法治の体制確立など、長い間に、日本に対する清算は終わったのです。

ブログ中国:歴史問題を両国国家の関係の中で、どのように位置づけるべきだとお考えですか?

馬立誠:中日両国の歴史問題は、両国関係の中心問題ではないと考えます。 何人かの外交界の先輩が言ってます。 もし歴史問題を必ず一番に置き、中心問題とするんだったら、フランスとドイツはうまくいきません。 ロシアとドイツもうまくいきません。 ましてやイギリスとフランスはうまくいかないでしょう。 イギリス、フランス両国の間には百年戦争がありました。 互いに殺し合い、領土を奪ったりと、深い恨みがあったはずです。 要するに欧州の流血の戦争の回数は、アジアよりはるかに多いのです。 言い換えれば、彼等の恨みはアジアよりもっと多いと言えます。 欧州・数十の国々が歴史上起こした戦争は、人類最大の大災難というべきものです。 しかしこれらの国々は現在はうまく付き合っています。 イギリスとフランスの間、フランスとドイツの間は、いずれも中国と日本の衝突よりもっと多いものでしたが、彼等は歴史問題を中心的位置には置かず、現実第一、歴史は第二としています。

今日、フランスとドイツは欧州の中心となっています――彼等の歴史問題は中日の歴史問題より多いはずです――今日、彼等が一緒に同席できるのは、理性的に国家関係を見ているからです。 フランスは、ドイツに今なおナチス分子がいるからといって、ドイツと戦争だなどと騒ぎません。 同じことで、歴史問題を中日関係の中心問題とすべきではありません。 日本戦犯の戦争犯罪を清算した後は、少数右翼を見守る必要がありますが、同時に我々は、現実の問題と現実の互恵関係の方が重要です。 両岸統一堅持、中国の現代化目標を実現することが、中国の一番の利益だと、私は思います。

中日両国は、“合则两利、斗则两伤”(協力すれば両国に利益をもたらし、 仲たがいすれば共に傷つく)の戒めの言葉を、しっかりと心に刻み、努力して互恵協力の友人関係を築き上げ、世世代代、友好関係を続け、平和を守り、共に発展を目指し、一日も早く自由貿易区を作り、国民の生活の質的向上に努力することだ。 中国についていうなら、このような環境の下、チャンスをつかみ、日本及びその他の先進国の経験を学び、出来る限り早く、現代化建設に努めること。 これら中日両国の間の現実問題を第一の問題として位置づければと、私は考えます。

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664中国は見る(372)馬立誠:歴史問題を中日関係の中心問題とすべきでない(5)

马立诚:历史问题不应成为中日关系的核心问题

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访谈时间2007525日 访谈地点:北京人民日

ブログ中国:あなたは日本の右翼に警戒し、中国の国家利益を守るべきだとおっしゃっています。 しかし一方、日本の政治大国、軍事大国になるという要求を大げさに騒ぐことではないとも話されています――恐らく多くの人は、後者の見方については、受け入れられないと思います。 どう説得されますか?

馬立誠:日本は、もう経済大国であり軍事大国です。 これは全世界が知ってる事実です。 近年、日本は一貫して“正常国家”(普通の国)となることを求めています。 この正常国家とは、経済大国、軍事大国と政治大国になることを含んでいます。 これは現実的成り行きです。 もし永久に日本を正常国家にさせないと言っても、それは出来ないことだし、世界的にも通りません。 最近の世界最新統計のいくつかの指標を見ても、ビジネス競争力、観光競争力など、日本はどれも世界の前列にいます。 2007年5月、最新の“世界平和指数”が発表されましたが、国別平和度の指標で日本は第5位にランクされました。 中国は60位でした。 そのため、中国の多くのメディアは、日本の世界でのイメージは断然中国より上だと報道しており、人々の話題となりました。 もちろん、日本が政治大国になるには、障碍を克服しなければなりません。 しかしこれは現実的趨勢なのです。 我々も現実に応じて、中日両国の友好互恵の基礎に立ち、日本に対して一定の理解を示してもよいと思う。 戦争が終わってからもう60年経つ。 永久に日本を正常な国家とさせないわけには、恐らくいかないだろう。 今、日本はすでに安定した民主国家である。 その権力の制約もはっきりしているのだから。

もちろん、我々は少数の右翼分子に対する警戒を怠りはしない。 彼等の非理性的な宣伝を暴き、侵略戦争を否定する動きを明らかにすることは長期的な取り組みである。 中国にはこういう諺がある。 “森の中にはいろいろな鳥が住んでいる” そうじゃないですか? 

特に台湾という中国の核心問題については、我々は両岸統一の立場を堅持し、譲歩はできません。 これと日本を理解し正常国家にすることとは決して矛盾しません。 我々が両岸統一を堅持するため、一方でアメリカと協力関係を結んでいるのと同じようなものです。 我々は今、そうやっているじゃないですか? 今年9月には、中米両国は軍事ホットラインを設けようとしています。 これをあなたはどう理解されますか?

ブログ中国:つまり、日本は政治大国になる時期が、もうきたということですか?

馬立誠:それは時期尚早と思います。 ここで私達が決めるものでもありません。 日本は今、国連常任理事国入りを希望しているでしょう? これは政治大国になりたいという意思表示です。 日本が政治大国になりたいという問題に対し、中国政府は弾力的に現実的な態度をとるべきだと思います。 そうすることが中国共産党第十六回全国代表大会(十六大)で言う、隣国と仲良くする方針を具体的に表すものだし、現実的方針に添うもので、アジアと世界の平和のためになるものです。

平和の話ということになると、先ずは、中日両国はそれぞれの民族主義を抑える必要があります。 国際政治学では“誤解は誤解を生む”(果てしなく広がる誤解)という言い方があります。 もし偏狭な民族主義が膨れ上がり、その国の政府をコントロールするようになると、外交政策の選択の幅が縮小されていきます。 ある国の民族主義の風潮が嵐のように吹き荒れると、必ず相手国の民族主義を刺激し、やはり熱狂的になります。 この対立は、両国政府の政策の選択の幅を次第に狭めていきます。 そして民族主義者の要求に従い、強硬に出ざるを得なくなります。 こっちが強硬に出れば、相手も強硬になります。 互いに強硬になっていったら、結果はどうなるでしょう? 頭のいい人ならわかるでしょう。 そうなったら、すぐ武力紛争が起こりますし、下手すると戦争になります。 これは、わざと脅かしているわけではありません。 歴史上こうした例は、数多くあります。 胡耀邦が言った“斗則両傷”(仲たがいすれば共に傷つく)は、こうした状況を予防するため言ったことです。 胡耀邦は、しっかりした目的を持って発言します。 彼は高いところから先を見通す、すぐれた識見を持ち、二国間や世界の教訓を総括した上で、この言葉を言ったのです。 頭のいい人は、事が芽生えた時、その結果を見通せます。 頭が悪い人は、事がすでに発生していても、どういうことかわからないでいます。 我々は、頭が悪い人にならないようにしないといけません。

例を挙げましょう。 鄧小平が日本で新幹線に乗った後、“私はどういうことが現代化というのかわかった。 我々は、正直に自分達の後れを認めなければいけない。 後れを認めれば、希望が生まれる。 今回、日本に来たのは、日本に教えてもらうためだ”。 

あれから30年経ったが、憤青の中には、ネット上で署名活動を行い、もし日本の新幹線を導入したら、レールの上で自殺してやるというのがいる。 鄧小平に比べると、憤青達の頭は、まったくどうかしている。 ネット上の署名運動が出た後、当時の経済担当の責任者が、“こんな大字報(壁新聞)のような政治運動で、国家間の経済・貿易関係を解決すべきでない”と述べていた。

ブログ中国:最近、私はこんな文章を読みました。 “日本人は、今は文明人だ。 もう戦争はしない”――あなたもそう思われますか?

馬立誠:これについては、まだ核心的なことは言えません。

ブログ中国:あなたがお考えの核心とは何ですか?

馬立誠:核心的なことは三つあります。

第一は、日本は第二次大戦後、国を根本的に作り直しました。 軍国主義の専制体制を倒し、民主的法治体制に移行しました。 日本国内にはいろいろな政治力があり、互いに制約しあっています。 たとえば日本第二の政党・民主党は国会で、およそ200名あまりの議員がいます。 彼等の目標は、あらゆることについて自民党の不正を探し出し、出来るだけ早く自民党を追い落とそうと考えています。 そのほかには、共産党、社民党などがあります。 私は日本共産党中央委員会に行ったことがあります。 彼等は熱心に党の機関紙“赤旗”を見せてくれました。 そこには日本政府を批判、暴露する記事が載っていました。 共産党は国会にも議員がいます。 また地方では首長を務めている者もいます。 こうしたことは日本では、すべて公開されています。 カントは、“民主平和論”の中で、民主的制度は戦争を阻止することが出来ると述べている。 鄧小平は、かってこう言った。 “スターリンが法制をぶち壊したようなことは、米英仏のような国では起こらない。 それは法律により国を治めており、制約があるからだ”  民主と法治の体制は、戦争をしようとたくらむ人達の熱狂を、間違いなく制約することが出来る。

第二は、初期の日本は、一部の人達の領土拡張方式で、人口の膨張と資源不足の矛盾を解決しようとした企みが、大敗を招く結果となり、おびただしい代価を支払うこととなった。 東京などの都市はほとんど焼け野原となり、原子爆弾の被害にもあった。 戦後、日本は技術と貿易立国を通じて、人口と資源の矛盾を解決し、目を見張る成功を収めた。 この対比から、日本は戦後教訓を生かして、平和発展の道を歩んできたといえる。

第三は、中国は、もうかっての“東亜の病人”ではない。 中国は、ますます強くなり、現在世界で議論されていることは、中国がいつアメリカを追い越すかということである。 中日両国の力を比べた時、根本的な変化が起こっている。 中国の繁栄・隆盛に伴い、総合的国力、戦略を深く観察すると、日本はもう相手ではなくなっている。 日本はそれでも戦うというのだろうか?

この三つを一緒にして総合的に見なければならない。 この三つを適切に処理できるなら、大規模な戦争は起こるはずがない。

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663中国は見る(371)馬立誠:歴史問題を中日関係の中心問題とすべきでない(4)

马立诚:历史问题不应成为中日关系的核心问题http://bbspage.bokee.com/gdft/mlc2007/01.htm
访谈时间2007525日 访谈地点:北京人民日

日本が政治大国になりたいという要求を理解すべきだ

【馬立誠は、日本政府はもう侵略を認め反省をしていると考えている。今の日本は、安定した民主国家であり、その権力の制約は明白だ。 我々は、日本が政治大国になりたいという要求に対して、一定程度の理解を示すべきだと考える。 もし偏狭民族主義者が増えて指導するようになったら、武力紛争や戦争を引き起こすことになる。 そんなことは我々誰もが見たくないことだ】

ブログ中国:最近、鄧小平と胡耀邦の対日観について書かれた文章を拝見しました。 なんでこのような文章を書こうと思われたのですか?

馬立誠:今の憤青達の中には、偏狭な民族主義意識が強いのが多い。 しかし、この愛国意識は、実際は国を害し、中国が理性的でないというイメージを広めているだけだ。 林語堂は“機械と精神”などの文章の中で、こうした意味のことを書いている。 彼は、“愛国はそれぞれの思いがあるだろう。 しかし、大事なことは頭をハッキリさせることだ”。 

もし、愛国を「感情だけで道理をわきまえず、是非損得も理解せず、自分の国と他国の文明について、はっきりした認識も持たなかったとしたら」、かえって「愛国は保守的に、改革は排外的になる」。 そうなったら中国の福音ではなくなり、中国に災難をもたらすことになる。

じゃあ、どうする? ただ単に責めることは得策ではない。 そこでこのような文章を思いついたのです。 鄧小平は、中国の改革開放の立案者です。 彼は、中日の「世世代代」の友好を一大政治方針とした。 胡耀邦は、中国の現代化を指導したすぐれた指導者です。 彼が発表した、中日両国が“協力すれば両国に利益をもたらす。 仲たがいすれば共に傷つく”(两利、斗)という言葉は、証明済みの真理です。 この二人の指導者は、中国国民の心の中で高い人気があります。

鄧小平と胡耀邦の対日観をちょっと紹介しました。 若い人に違いがどこなのか見てもらい、考えてもらうことはいいことだと思います。

ブログ中国:温家宝総理が今年4月訪日しました。 外国から“氷を解かす旅”だと言われました。 現在、中日両国国民の意識は、あなたが“対日新思考”を書かれた頃と比べて、楽観的な変化をお感じになりましたか?

馬立誠:感じました。 温総理の日本訪問のニュースが発表された後、氷は解け始めました。 3月下旬から4月初めは桜が咲く頃です。 北京・玉淵潭公園にも沢山の桜があり、その頃、毎日桜見物の人が沢山訪れました。 公園の中では、中国の若い女性達が日本の着物の貸衣装を借り、日本の傘をさして桜の木の下で記念写真を撮ったり、また若い男性は鯉のぼりなど日本のお土産を買っていた。 こうした“桜見物ブーム”は、温総理訪日の成功の前哨戦ともいえるものです。 これを2年前の状況と比べてご覧なさい。 武漢の一部の憤青達は、その地にある桜の木を切り倒そうとしました。 変化が大きいと言えませんか?  この変化は中日両国関係が、また暖かさを取り戻したことを映しだしたものです。 毎日2-3万人が玉淵潭公園に桜を見に行ったのは、決して政府が動員したものではありません。 これは、国民が中日友好を心から望み、戦争はイヤだという本能的なもの、危険な道はゴメンだという思いを表したものです。

温総理が、日本の国会で演説をしました。 その中の二点が、日本を感動させ、評価させました。 一つ目は、中日国交正常化以来、日本政府と指導者は、何度も歴史問題で、侵略を認め、深く反省する態度をはっきりと表明した。 このことについて中国政府と人民は、積極的評価をする。 二つ目は、中国の改革開放と現代化建設において、日本政府と国民から支持と援助を得ました。 このことについては、中国人民は永遠に忘れることが出来ません。 

この二点の内容について、私なりに若干説明したい。

第一に、日本政府と指導者が、侵略を認めたことについて。 中日の間には、三つの政治文書(「日中共同声明」「日中平和友好条約」「日中共同宣言」)があります。 そのうち、1998年11月の“中日共同宣言”の中で、日本側は、過去の中国侵略により、中国人民に多大の災難と損害をもたらしたことを痛感し、深く反省の意を表明すると述べている。 このほか、中日国交正常化以来、日本政府と指導者は、20数回にわたり反省と謝罪を表明している。 過去、我々はこの点についてあまり取り上げることがなかった。 だから憤青の中には、日本が侵略を認めていないと思っているのだ。

第二に、日本の中国現代化建設の援助について。 日本は、1979年
初めから現在まで、中国に大量の低利の貸付を行ってくれた。 この中には中国の160あまりの重要なプロジェクトが含まれている。 改革開放の初期、中国の資金は欠乏していた。 日本の長期の低金利貸付は中国にとっては、“雪中送炭”ともいうべきものだった。 円借款の平均利率は、1%-2%で、30年から50年償還というものだった。 世界銀行の貸付利率が4%、3年返済である。 中国国内の政策性銀行の貸付利率は4%、10年返済である。 この点からも、日本の反省と謝罪の誠意の表れが見て取れる。 これについては、これまで我国ではあまり言及することがなかった。 今回、温総理がこの二点を認めたことは、日本人に中国の「実事求是」(事実を正視して問題を処理する)の誠意を示すこととなった。 日本の国会議員達は立ち上がり温総理に拍手を送った。 氷を解かす旅が成功したことを物語るものだ。

中日関係の問題は、すべて解決したとは言えないけれど、固い氷は破られ、道路は開通し、困難を克服して、またしっかりとした軌道に戻ったということだ。 アメリカのハーバード大学の学者は、温総理の訪日成功に高い評価を与えて、“今回の訪問の重要性は、1978年の鄧小平訪日成功に匹敵するものだ”と述べている。

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662中国は見る(370)馬立誠:歴史問題を中日関係の中心問題とすべきでない(3)

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访谈时间2007525日 访谈地点:北京人民日

ブログ中国:今年の二つの大会(第10期全国人民代表大会第5回会議、政治協商会議第10期全国委員会第5回会議)期間中、社会科学院の学術委員が、人民代表大会に“漢奸言論処罰法”制定を提案しました。 このことを、どう思われますか?

馬立誠:笑っちゃいますね。 まず“言論罪”は、憲法に抵触しますよ。 憲法は、国民の言論の自由を保障しているんですから。 第二に、何が“漢奸言論”なんです? 譚嗣同の言論も漢奸言論だっていうんですか? 唐君毅の基準によって漢奸言論を分けるんですか? 今どこが我国を侵略するって言うんですか? クラークの話は、“米奸”言論ではないか? 八路軍に投降した日本兵は“日奸”ではないか?

その提案した先生は、袁偉時を非難し、漢奸の帽子を袁偉時の頭に載せたいんでしょう。 袁偉時は、1987年出版した“中国現代哲学史稿”(上巻)で中国学術界から中国現代哲学研究の基礎的作品と認められた。 この本は、関係分野の研究の規模を拡大したもので、中国哲学研究の最重要著作とされています。 袁偉時は、中国の文化発展と建設に多大の貢献をしました。 その提案をした先生にお尋ねしたい。 あなたは、中国文化に一体どんな貢献をされたんですか?

中国の歴史上、勇敢に開拓に当たった改革者は、漢奸の汚名を着せられた。 たとえば“老残遊記”の作者・劉鶚は、外資を導入して工業を開設することを提案し、漢奸と言われた。 こんな愚かで無知なことを続けてはいけない。  もしあなたが袁偉時の文章に意見があるなら、普通に討論を展開し、みんなも自由に発言すればいい。 それでこそ、新しい物が作り出され、発展があるのだ。 最初っから、あいつは漢奸言論だといって、棒や帽子が空を舞うようなことは、張春橋流の名残を受け継いでいるものではないか? 全国政治協商会議が、この提案を拒絶したのは全く正しかった。 もし、このようなやり方が目的を達していたら、間違いなく中国の法治を損ない、国民の言論を抑圧し、改革を押しつぶし、改革に打撃を与えることになったろう。 だが実際は、この提案者の論理は、彼のすべての行為が、中国の改革開放と国家利益を損なうもので“敵対勢力に利するものだった”。 よって彼の言論は漢奸言論に列せられるものだ。

ブログ中国:あなたは、日本へ何回行かれましたか? 日本民族の特徴の一つに“過敏症”があるという人がいます。 よく比較されたと思いますが、中日両国の民族主義についてそれぞれの特徴は、どんなものがありますか?

馬立誠:私は日本へ一度行ったことがあります。 ある人が、お前、日本へ行ったんだったら、日本は、ああだこうだと書かないのか?

私はこう答えました。 マルクス・エンゲルスは一度も中国へ来たことがないのに“マルクス・エンゲルス 中国論”という本がある。 これはどうして書けたのか? レーニン、スターリンも中国へ来たことがない。 彼等もそれぞれ中国を論じた著作がある。 長い間、彼等が中国を論じた著作は、中国革命を指導する読み物となった。 これはどうしたことだろう? アメリカの学者ベネディクトも、日本へ行ったことがない。 だが彼女は“菊と刀”を書き上げ、日本を紹介し、世界的名著となった。

私は日本へ行きました。 だから、(書けない理由の)根本の問題は思考能力にあります。 李敖は大陸に来ただけで、台湾を離れたことはありません。 しかし彼は、ほかの多くの国のことを論じた文章を書いています。 彼は、まったく出国する必要はない、台湾にいて世界各国のことがわかると述べています。 これも一理あります。 現在のように情報が発達していると、情報のチャンネルが多方面から得られ、それを使う能力があり、心掛けがあれば、研究を進めることが出来ます。

世界の民族主義には共通点があります。 日本の民族主義にも感情的で、道理がわからず、極端で、日本にとって有害なのがいます。 たとえば石原慎太郎と少数の右翼。 私は、“対日関係の新思考”という文章の中で、彼等を批判しました。 また別の著作の中でも批判しています。

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661中国は見る(369)馬立誠:歴史問題を中日関係の中心問題とすべきでない(2)

马立诚:历史问题不应成为中日关系的核心问题

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访谈时间2007525日 访谈地点:北京人民日

Photo_1580 また、漢奸よりもっと悪い、漢奸すらかなわないと言われる人達もいる。

それは新儒家 唐君毅が彼の“説中華民族之花果飄零”(中華民族の果実落つ)の中で述べている人達のことだ。 “便利を追求するため外国籍に入る”。 なんと中国人を棄て、あっさりと外国人になりきり、外国の憲法に忠誠を誓うのだ。 唐君毅が言うには、中国人の中には都合のよさを求めて、自分の国籍を変え、他国に長期滞在を画策するものがいる。 ひどいのになると中国語まで捨ててしまう。 これは中国文化の根幹を放棄するもので、“中華民族を永久に再生できなくさせ”“果実朽ちさせる”もので、正に一大悲劇である。 彼は更に述べている。 中国国籍を棄てて、どうしてまともな人間となれよう。 この本は1974年台湾で出版され、2002年再版された。 グローバル化した今日、またEU統合の成果を見る中、あなたは唐君毅の言葉を偏狭だと思うだろうか?

感情的に漢奸の帽子を振り回す憤青は、一様に見識が狭く、まったくバカげた連中だ。 今の“漢奸論”の流行は、偏狭な民族主義ブームの表れであって、その人達の頭の中のロジックがどうなっているのか気が知れない。

ブログ中国:私達の国内で最近出現している民族主義を、総じて偏狭だとお考えですか?

馬立誠:一部の人は間違いなく偏狭な民族主義です。 民族主義は国際的な理解としては、偏狭な民族主義と同一視されています。 それ自体、非理性的なもので、血縁関係に基づき生じる感情的な産物です。 民族主義は、時には凝集機能を発揮し、外国の侵略と圧迫に立ち向かい、民族の利益を勝ち取り、守る働きをすることがあります。 また時には、ヘロインとなり、これを吸い込んだ者を、熱狂の渦に巻き込み、戦乱とか逆行の原因となることもあります。 民族主義の政治的要求は「一民族一国家」であり、これは中国にとっては、福音ではないだろうか? 民族主義が吹き荒れると、実際、分裂した祖国の力が強化されるのだ。 また、民族主義の熱狂は、往々にして閉鎖的意識と一緒になって、“文革”の中の英国代表部焼討ち事件のような騒ぎを起こすことがある。 だから偏狭な民族主義は、実際は、中国の国家安全を破壊し、中国の現代化を妨げるものである。 このことを我々は、大局的にハッキリ認識しておかねばならない。

愛国意識は、往々にして国を誤り、理性的愛国は往々にして外国に媚びると言われる。 これは中国の悲劇だ。 柏楊は、かってこの問題を生み出す根本原因を指摘し、これは中国人の意識構造に問題があって、理性が足りないと言った。 彼は、“自分の一生をかけて、中国人の理性を増やすために努力する”と述べた。

ブログ中国:あなたのブログの後には、理性的でない人達の書き込みがあります。 中には、とても強烈で、下品な言葉で批判していますし、ひどいのになると暴力を使うという者もいます。 これについてどう対処されていますか? 

Photo_1581 馬立誠:カントは言っています。 知識人とは何か? “公の仕事をする中で理性的に運用する勇気がある人” 柏楊は、正にこの理念を自分が求めるものとして“醜い中国人”を書き、中国人に前進を促し、反省させ、理性を向上させようとした。 この本は、1980年代、大陸に紹介された時、猛烈な反対にあいました。 多くの人に受け入れられず、柏楊は漢奸だと言われ、この本は一時期発禁処分にされました。

私は、柏楊のように強烈ではないけれど、公の仕事を理性的に運用するよう努力しており、それが、私が“対日関係の新思考”を書いた理由の一つでもあります。 自分が出来ることで、中国の人々の考えを促進させ、現代的ビル建設と同時に進行させようと考えました。 現在、現代的ビルはどんどん建っています。 しかし人々はビルの後を歩いています。 これはどういう意味か? というと、つまり人々の考えは、ビルの後方にあって、ちっとも現代化されてないということです。

もちろん、柏楊との遭遇のように、理性的努力が非理性的反抗に遭うこともあります。 これは私も想定していました。 “対日関係の新思考”が、2002年発表された時、反対の意見が、北から南まで、天地を覆い隠すように吹き荒れました。 現在は、あの頃よりだいぶ良くなりました。 今もネットでまだ非難する人がいます。 でも、私を支持してくれる人の方が多いです。 大勢の人が私に、政界、知識界の人達も私を支持していると話してくれます。 ただ、みなさんネット上に書き込みをしたり、意見を書いてはくれません。 みんな忙しいんです。 そんなことする暇があるもんですか? 私自身の経験からもそうしたものです。 人の思考には一定のプロセスがあります。 歴史の発展に従い、人々の見方を変えることがあると私は考えています。 今、みんなは、柏楊に対する見方、もう受け入れているんではないでしょうか? ある青年が私に手紙をくれ、最初あなたに猛烈に反対したのは、感情的になりすぎたためだと、書いてあった。

私はブログの書き込みについて、理性的に考えたものなら、たとえ私に反対するものであっても保存しています。 しかし、人を非難したり、個人攻撃の言葉の暴力のようなものは、みんな削除しています。 だって、そんなの残したって変なサンプルにしかなりませんから。 北京大の鄭也夫教授がこう言っています。 非難する人の中には、たまたま恋愛がうまくいかなかった人だとか、会社でストレスを抱えている人だとか、或いは親とケンカしてしまったとか------原因はいろいろあると思います。 でもこんな乱暴な画象を、外部の人に見られたら、どんな印象を持たれるでしょう? 中国脅威論を倍増させるんじゃないだろうか?

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660中国は見る(368)馬立誠:歴史問題を中日関係の中心問題とすべきでない(1)

马立诚:历史问题不应成为中日关系的核心问题

http://bbspage.bokee.com/gdft/mlc2007/01.htm
访谈时间2007525日 访谈地点:北京人民日

Photo_1578 馬立誠:元“人民日報”評論部主任編集、鳳凰衛星テレビ評論員、《交鋒―当代中国三次思想解放実録》(邦題:交鋒--改革・開放をめぐる党内闘争の内幕)(などのベストセラーを出した著名な政治評論家。 2002年、“対日関係の新思考”を発表した後、ネットの憤青達から猛烈な攻撃にあった、代表的人物だ。 今、日中両国関係は、“氷を砕き”“氷を融かす”状態を経て、退勢を挽回し、谷底から這い上がり、よりよい発展を目指す軌道に乗り始めた。

馬立誠が言う“対日関係の新思考”も、どうやら理解が得られるようになった。 この数年、馬立誠は日中関係をどう考えているのか? 彼は、現在どういう方面の研究をしているのか? 5月25日、馬立誠氏は「ブログ中国」のインタビューを受け、日中関係、中国の発展等、我々中国人が普通に関心を持つ問題について、彼の見方を話してくれた。

“漢奸論”の流行と偏狭な民族主義の隆盛は切り離すことが出来ない

(馬氏のブログの文章の後の方に、以前、彼を漢奸(売国奴)だという書き込みがあった。 これはすべて“対日関係の新思考”という文章を発表したことによる。 “愛国意識は往々にして国を誤り、理性的愛国は往々にして外国にへつらうと言われる。 これは中国の悲劇だ”――馬立誠の直言 中国の偏狭民族主義は危険)

ブログ中国:この2年ほど“漢奸”という言葉がよく使われています。 この現象をどうお考えですか?

馬立誠:この2年ほど、“漢奸”は、ネットの上で新しい“帽子”(レッテル)になりました。 やたらと振り回し、まるで“文革”の時の紅衛兵が“三反分子”(反党、反社会主義、反毛沢東思想分子)の帽子を振りかざすかのようです。 ちょっと前、柏楊が“醜い中国人”を書いて漢奸と言われました。 章子怡(チャン・ツーイ)が日本の芸者を演じて漢奸と言われました。 姜文も靖国神社を参観したことで漢奸と言われました。 また政界でも、龍永図は、世界貿易機関(WTO)交渉に臨み大きな成果を挙げたのに、国家利益を損なったと非難され漢奸にされてしまいました。 スポーツ界でも、何智麗は、日本人と結婚し、日本国籍を取得し、鄧亜萍を破ったため漢奸と言われました。 郎平は、イタリーの女子バレーボール・チームのコーチとなり、中国チームと対戦し、漢奸と言われたことがあった。 そのほか、産業界では、“徐工集団工程機械(江蘇省)”の代表が、米大手ファンド、カーライル・グループに買収される問題で

漢奸と言われました。 つい最近(5/15)新聞に、カナダの会社がイギリスのロイター通信社を買収する記事が出ていました。 ロイター通信社はイギリスでは、我が国の新華社のような地位にありますが、ロイター社は“英奸”にはならないんでしょうか? 英国国内にはこのような議論は起こりませんでした。 こうした状況から考えても、我が国のネット諸君は了見が狭く、視野が狭いと言わざるを得ない。 考えが狭く、それに感情的なものが加わると、どうしても漢奸のレッテルを人に貼りたくなる。 こんなことはまったく馬鹿げたことだし、悲しむべきことだ。 漢奸とはどういう定義になっているのか? “現代漢語詞典”には、こう書いてある。 “侵略者に身を投じ、国家民族の利益を売り渡した中華民族の裏切り者”。

“辞海”では、漢奸という言葉をどう説明しているか? “中華民族の中で外国侵略者におもねり、自ら進んでその使い走りをし、祖国を裏切った反逆者”とある。 この二つの定義の中には、“侵略”という重要な要件があって、前提としては、“侵略”が発生していなければならない。 分かりやすく言うと、交戦状態の下、敵国を助け、自国を陥れようとすることを指す。 現在は21世紀初頭、誰が我国を侵略するというのだ。 ありえない。 侵略をいうなら、最近、ベトナムと韓国が我国の南海と東海の島を占拠したことがあった。

だが、たとえ両国の交戦という状況にあっても、この定義をいい加減に理解してはいけない。 たとえば、ちょっと前、アメリカがイラク戦争の進行中、米国のクラーク元司法長官は、“イラクへ行き、フセイン大統領を弁護する”と発表した。 このように声高に敵国を支持したクラーク元司法長官は、“米奸”ではないか? また抗日戦争中、日本の軍人の中にも目覚めるものがおり、八路軍に投降し、前線で八路軍を助け、日本軍に向かった者もいた。 これら日本人は“日奸”というのか?

もっと例を挙げると、林則徐、譚嗣同、魯迅は漢奸だろうか?

Photo_1579 林則徐は、外国の侵略に抵抗しながら、外国を理解し学ぶ必要性を主張した。 しかしたちまち問題になってしまった。 林則徐の主張は、実際間違っていない。 戦争するのに相手を知らなくてはならない。 自分の能力を高めるため、相手の長所を参考にし学ぶことは、間違いではあるまい? しかし林則徐のこの主張は、清朝の多くの役人達には受け入れられず、林則徐は、中国の文化・安全を破壊するものだ。 林則徐は漢奸だといって、林則徐を糾弾すべしという者まで現れた。 なぜか? 外国のものを使って、中国を変えようとしたからだ。 林則徐が広州へ行って、アヘンの取り締まりを行っている時、広州で各方面の情報に詳しい梁という男がいて、林則徐の下で働いていた。 しかしこの梁という男も、“林則徐は素晴らしい人だ。 でもこの点(外国の知識容認)だけは良くない”と言った。 これは当時の閉鎖性を反映したものと言える。

また譚嗣同。 彼は、“仁学”の中で、こう言っている。 幸い、中国の海軍は、イギリス、フランスに及ばないし、陸軍はロシア、ドイツに及ばない。 もし中国の軍隊がもっと強かったら、世界中の人を殺すことになり、専制皇帝の災いが全世界に及ぶことになる。 だから各国が中国を抑えてくれたのは、正に天意である。 西洋が中国を侵略するのは神の仁愛である。 中国の皇帝は野蛮すぎるし、国民に対してひどすぎる。 だから道義的優勢を西洋に持っていかれたのだ。 西洋人はややもすれば彼等が中国人を助けるのだという。 “朝廷を倒し、国民を救う”のだと。 では、その道義的優勢なるものは西洋のどこに行ったのか? 譚嗣同のこれらの話は、漢奸の言論だろうか? これらの話は袁偉時中山大学教授)よりひどいとものだ。 譚嗣同は愛国だろうか? 漢奸だろうか?

それから魯迅。 1932年1月28日、上海事変が勃発した。 日本軍は上海を猛攻し、空が真っ赤になるような激しい砲撃を続け、19路軍が必死に抗戦した。 翌1月29日、魯迅はあわただしく日本人の所に避難した。 この後、暫く日本軍への抵抗戦の間、魯迅はずっと日本人の保護の下にあり、彼の“三閑集”や“二心集”を整理していた。 大変なことではないか? 百%、漢奸ではないか? 1934年5月、上海の“社会新聞”という雑誌の七巻十二期が、“魯迅漢奸志望”と題する文章を載せている。 しかし毛沢東は、“魯迅は少しも媚びへつらうようなことはなく、今までに例がない民族の英雄だ”と語った。 魯迅が亡くなった時、社会の各界は彼を“民族魂”と称えた。 これをどう解釈したらいいのだろう?

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659中国の三面記事を読む(180)新版テレビドラマ「紅楼夢」の黛玉・宝釵役決定

1.“紅楼夢出演者選考”混乱と喧騒の中“最終章”を迎える2.新版“紅楼夢”今年10月クランクイン、オリンピック期間中に放映予定

1.2007-06-10 14:44:09 念和争中走到梦的尽

来源: (北京) 网友评论 0 论坛

2.2007-06-11 02:01:16 新版楼今年十月 奥运期

来源:  网友评论 6 论坛

1.“紅楼夢出演者選考”混乱と喧騒の中“最終章”を迎える

Photo_1572 新華ネット北京6月10日:40数万人の参加申し込みを受け付け、10ヶ月もの長期に亘り繰り広げられた、“紅楼夢出演者選考”イベントが、9日夜、幕を下ろした。 上海地区の李旭丹と北京地区Photo_1573 の姚笛が最後に微笑んだ。 ただ宝玉役については決まらず、三名の候補者は勝ち抜くことが出来なかった。

4時間にわたった総決戦が終わったところで、新作“紅楼夢”の監督・胡玫女士が、最後に、製作者側代表として、林黛玉役に越劇女優の李旭丹、薛宝釵役に姚笛を起用すると発表した。 ただ宝玉役にPhoto_1574 ついては三人の候補者の決定は見送られ、監督が全国から新たに選出するとした。

結果発表に、その場にいた宝玉チームの候補者ファンからブーイングが起こった。 中から大声で“説明しろ”という声も飛んだ。 胡玫監督は、選考会終了後の記者会見で、次のように語った。“宝玉役の三人の候補者は、見たところ、明るく、現代的で、健康だが、いまいち宝玉に必要な落ち着きと虚無的さが足りない”

2_37 胡玫監督は、林黛玉役と薛宝釵役の最終選考結果に満足で、“この二人の決定にはみな文句なく一致しました。 特に、長年越劇の経験がある李旭丹は、正に天から降ってきた林妹妹であり、彼女の何気ないしぐさ、自然さは、私達制作側を引きつけました”

2005年“超女”が人気になって以来、人材発掘のイベント番組が中国のテレビの流行パターンとなり、多くの若者達の“スターへの道”の出発点となっている。

“紅楼夢出演者選考”イベントの最大のネライは、イベントを通して、“紅楼夢”という古典のイメージと一般の人々の関心度をどう結びつけるかにあった。 旧作テレビドラマ“紅楼夢”について、紅楼夢研究家の周嶺氏は、次のように語っている。 “ドラマ化は、大衆に分かりやすい形式で「紅楼夢」を広めることになり、その効果は紅楼夢の専門書なんか比べものにならないほどすごいものだ”

一方、このイベント活動が商業ベースで、文化の普及を損なう恐れがあると心配する人もいる。 しかし、支持する人は、古典のイメージダウンなんて心配することない。 忘れられるよりはましだ。 商業ベースっていったってもともと人々の考えでもある。 影響力のあるイベントなら、それなりの見返りがあるはず。 商業ベースだからといって、イベント活動をとやかくいうべきではない。

イベントをめぐる論議は、“紅楼夢”の再ドラマ化の是非も争点の一つになっている。 “紅楼夢”は、200年前の文学名著で、中国では早くから人々に喜ばれ、今まで映画、テレビ、舞台など数々の作品が作られてきた。 その中でも、1987年完成した旧作テレビドラマ“紅楼夢”は、今までに全国で700回あまり放送されてきた。

“紅楼夢”の再テレビドラマ化が発表された時、中国国内に強い反響が巻き起こった。 再ドラマ化すべきかが、一番の争点となった。 旧作“紅楼夢”は作品として最高傑作である。 中でも宝玉、黛玉、宝釵役のイメージはあれ以上のものはない。 再ドラマ化の必要はないという見方がある一方、再ドラマ化すべきだ。 名作は時代により、違う制作者により、新しい解釈があってもいいと見るものもいる。

胡玫監督は、出演者の確定を除いて、現在、“紅楼夢”の準備作業は、もう脚本の手直しも最終段階で、来年、春節以降撮影に入る見込みだという。 新作“紅楼夢”の撮影が近付くにつれ、多くの問題、論議が続くことになる。

2.新版“紅楼夢”今年10月クランクイン、オリンピック期間に放送予定

中新社北京6月10日電:10ヶ月にも亘り、全世界の中国人の中から行われた、大型テレビドラマの“紅楼夢出演者選考”イベントが、昨日、ついに幕を下ろした。 宝釵、黛玉役には、それぞれ姚笛と李旭丹の起用が決まった。 注目された宝玉役は選出されなかった。 胡玫監督は、今後も最適の人選を探すこととし、もし見つからなかったら、最終選考の三人の中から選出すると語った。

これより前、胡玫監督と制作者の間に、出演者をめぐって意見の相違の噂が流れていた。 しかし昨晩、胡玫監督は、約束どおり最終イベント会場に現れ、自ら姚笛と李旭丹の決定を発表した。 しかし、宝玉については主催者側、制作者側の同意を取った上で選出を見送った。 宝玉を決めなかったことについて、胡玫監督は、今の候補者は、自分の考えている賈宝玉とどうしても違う。 もっとピッタリした候補者を探す方向で考えている。 間もなく皆さんに満足いただける報告が出来ると思うと語った。

胡玫監督はメール票数で復活した林黛玉役の李旭丹がお気に入りで、李旭丹の入選はネット投票の結果であり、制作者側とも協議した結果であると語った。 胡玫監督は、上海会場からこの十八歳の南京の娘に格別に目をかけていたことを包み隠さず話した。 黛玉は偶然天から降ってきたものではなく、紅楼夢を愛する人達が彼女を育ててくれたとも語った。 李旭丹は小さい時、おじいさんに紅楼夢を教えてもらい、9歳の時に“黛玉葬花”の初舞台に上がり、多くの人々に強い印象を残した。

胡玫監督の新作50集の大型連続テレビドラマ“紅楼夢”は、今年10月撮影開始、来年オリンピックの頃放映されることになりそうだ。

(薛宝釵)

Photo_1576   

(林黛玉)Photo_1577

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658中国の三面記事を読む(179)劉暁慶の話題:2題

1.劉暁慶映画界へ復帰 姜文と再び共演?

2.劉暁慶 1億で愛人に」の話などを告白

1.2007-05-28 09:25:06 刘晓庆复出影 有望手姜文再创经

来源: 浙江在线(杭州) 网友评论 16 论坛

2.2007-06-08 06:54:31 刘晓庆自曝曾有人出千万要求包

来源: 华龙() 网友评论 667 论坛

1.劉暁慶映画界へ復帰 姜文と再び共演?

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劉暁慶と姜文の、「芙蓉鎮」での二人の愛の姿は、人々に感動を与えた。 あの映画で、彼女と姜文は、約4分23秒という長い接吻をかわし、快挙といわれた。

しかし、あれから21年もたった。 映画から遠ざかっていた劉暁慶が、近くまた映画に戻ってくる。 その映画は、「尋槍」の作者・凡一平の新作「撒谎的村荘」(仮訳:嘘つき村)で、姜文と再度“共演”する可能性が強い。 この映画のプロデューサー・田壮壮は「芙蓉鎮」を超える作品にしたいと考えている。 映画の新作には劉暁慶も乗り気である。 「撒谎的村荘」の王浩一監督は、“劉暁慶には主演女優になってもらう。 もう脚本は渡してある。 今は準備期間中だ。 相手の男優については、製作者側は姜文を予定している。 これについて王浩一監督は、“姜文の可能性はなくはない。 ただ姜文は、今、自分の作品に忙しいので、時期を見ている”

2.劉暁慶 「1億で愛人に」の話などを告白

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最初の夫・王立、二番目の夫・陳国軍、現在の夫・阿峰、そして友人の姜文と、劉暁慶の愛の遍歴は常に人々の関心の的になった。 6日午前、劉暁慶は、自分のブログに過去の思い出を書き綴った。 その中で、大金持ちが彼女を見初め、一目会えたら百万ドル出すという話や、愛人になってくれたら千万香港ドル(約1億5千万円)出すという話を告白した。 記者が、劉暁慶のマネージャーであり夫の阿峰に連絡を取り、確認を求めると、彼は事実だと語り、今も劉暁慶には、依然として多くの誘惑があるという。

“当時の私は、若く、美しく、「火焼円明園」(邦題:西太后)が公開されたこともあって、名前が一挙に広まりました”。  劉暁慶のブログには、人気が出た彼女が、国内外からものすごい歓迎を受け、彼女の周りには追っかけファンが沢山おり、その中には高級幹部の息子、海外の富豪、中国文芸界の錚々たる人物がいたことを明かしていた。

アメリカの友人を通じて、連絡を取ってきて、一度会ってくれたら百万ドル出すという人もいたという。 また、愛人になって、毎月何回か食事をしてくれたら、一年間に一千万香港ドル(約1億5千万円)出すという人もいた。 また国外へちょっと出てくれたら金を送るという富豪もいた。 “気軽に出掛けるだけで数十万ドル簡単に受け取れます”と言うのだ。私は、よく外国から贈り物をいただきました。 衣服、化粧品、アクセサリーなどです。 香港の新聞が冗談にこういう記事を載せました。 “劉暁慶は気軽にしゃべれない。 だってちょっと話すと彼女のほしいものが届くからだ”

これは、ある時香港の記者が北京の私を取材に来た時、“今、どうですか?”というので、私が“調子はいいですよ。 ただ、街へ出ると、野次馬に取り囲まれるから出られない。 家にいてもテレビがないからつまらない”って言ったんです。 この話が新聞に載りました。 暫くすると、20インチのテレビが香港から北京に送られてきました。 その後、また香港の記者が取材に来て、私に“普段マージャンやりますか?”と訊きました。 私が、“今、習ってるところです。 とてもおもしろい”と言ったら、数日後、管理室から小包を取りに来るよう連絡があり、開けてみたら素晴らしいマージャン牌でした。  これらの品はみんな全部ありがたく頂戴しました。 受け取ってもお礼はしません、開けて使うだけです。  

身の回りに無数の男達がいた中で、劉暁慶は3回、結婚をした。 しかし離婚のたび、再婚の難しさが分かった。 “離婚した、いい男は少なく、男友達は結婚している男性の中から見つけるしかなかった”と、何人もの既婚男性と付き合っていたことを打ち明けた。 そして当時の心境をこう述べている。  “私はいつも人目を忍んでいました。 人前では真面目ぶり、清純ぶっていましたが、そんなことはなかったんです。 本当に疲れました”

彼女は、自分の方からその男性達に離婚を求めた。 “でも、私が花のように美しく、やさしく、心配りがあり、人の気持ちを察することができようと、また若くて、名声があろうと、そんなのなんの役にも立ちませんでした。 男の人達は、自分の名誉や前途がなくなるのを恐れ、最終的には離れていきました”

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657中国の三面記事を読む(178) 美人コンテストにかけた執念

36歳四川の女性 偽名で香港の美人コンテストに出場 処罰される

2007-06-09 00:26:42 36四川女子冒名渡香港参加美被判刑

来源: 四川新(成都) 网友评论 575 论坛

四川新聞ネット6月9日報道:36歳の唐秀蓉は、香港の美人コンテストに出場しようと思ったが、年齢制限のため出場できないことが分かった。 しかし、ダメと分かった後、唐秀蓉は、若い女性の身分証を借りて偽名で参加することを思いついた。 6月8日の四川新聞ネットによると、成都市青羊区人民法院(裁判所)は、この越境事件の唐秀蓉被告に対し、懲役6ヶ月、執行猶予1年と罰金千元(約1万5千円)の判決を言い渡した。

記事によると、香港の美人コンテストに出場しようと思った唐秀蓉は、満36歳では年齢規定の上限を過ぎており、出場できないことを知った。 しかし、なんとしても出場したい唐秀蓉は、香港に行き美人コンテストに出るため、とうとう去年3月、彼女より十二歳年下の鄧という女性の身分証と戸籍謄本を借用することを思いついた。 鄧さんは、唐秀蓉の甥の彼女で、唐秀蓉は難なく鄧さんの身分証と戸籍謄本を借りることが出来た。 その後、唐秀蓉は、その身分証と戸籍謄本を持って、自分の写真を使って、成都の旅行社を通じ、成都市公安局出入国管理所から鄧さん名義のパスポートと香港・マカオ通行証を手に入れた。 コンテストに出場するため、唐秀蓉は、去年3月25日から9月7日まで、偽名のパスポートと香港・マカオ通行証を使って、前後18回、羅湖や皇岗口岸の国境検問所を通り大陸と香港の間を行き来した。 またその間、唐秀蓉は香港とタイの間を4回往復した。  同年9月21日、唐秀蓉は再度、成都市公安局出入国管理所で、鄧さん名義で香港・マカオの通行証を申請する際、不正が見つかり、その場で逮捕された。

成都市青羊区人民法院(裁判所)で審理され、唐秀蓉は国境管理法違反、他人名義で何度も越境したことは重大であり、その行為は越境罪に当たる。

しかし、唐秀蓉は初犯であり、罪を認め態度もきわめて良く、またその目的も非合法活動ではないことから、裁判所は、その情状を酌量して罪を軽くし、かつ執行猶予の判決を適用することとした。

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656中国の三面記事を読む(177)違法測量で日本人また逮捕される

1.江西で違法測量の日本人二人 処罰される

2.日本人が新疆で違法測量

1.江西处罚两名来华进行非法测绘的日本人

2007-05-26 13:19:58 来源: 江南都市 网友评论 517 论坛

2.日本人在新疆非法测绘调查:有中国学者陪同前往

2007-04-30 14:36:00 来源: 中国新(北京) 网友评论 53 论坛《参考》①283中国の三面記事を読む(36)日本の情報スパイ捕まる06-06-03【上】②284中国の三面記事を読む(37)日本の情報スパイ捕まる【下】06-06-04

1.江西で違法測量の二人の日本人処罰される

江南都市報5月26日報道:二人の日本人が考古学という名目で、江西省の一部地域で無断で測量を行った。 先日、江西省測量局は、この二人に対し違法測量を行ったことで法により、違法測量の停止命令を出すと共に、測量の成果と機具を没収、罰金処分を下した。 これは江西省測量部門が外国人の違法測量に対する行政処分を行った初めての案件である。

3月23日―27日、日本人の佐藤、水上の両人は、GPS受信機、25万分の1、50万分の1の英語版縮尺地形図のディスク、ノートパソコンなどを持ち込み、考古学研究という名目で、江西省の南豊、鷹潭、上饒、鉛山などで、国務院測量行政主管部門や軍の測量主管部門の許可を得ないまま、勝手に測量活動を行い、“中華人民共和国測量法”、“外国の組織、個人による中国での測量管理暫定施行法”などの規定に違反した。

省測量局の鐘永輝副局長は、事件が起こった時、関係者を連れ直ちに現場に赴き調査し、行政処分等の一連の措置を取った。 事件の審理の中で、担当官は関係する法規に基づき、日本人の佐藤、水上が、許可も得ずに違法行為を行ったことについて厳しく戒めた。  佐藤、水上は、違法行為の事実について全面的に自供し、中国側の行政処分に従うことを表明した。 また二人は、それぞれ違法行為を行ったことについて反省と謝罪をすると共に、今後、中国で二度と中華人民共和国の法律、法規に違反する行為をしないという誓約書を提出した。

江西省測量局測量管理センターによると、測量結果の中には、多くの国家機密が含まれていたという。 現在、二人の行為が、中国の国家機密略取にあたるかどうか、関係部門が認定中である。

2.日本人が新疆で違法測量

去年4月、2人の日本人が新疆ホータン(和田)で違法測量の処分を受けたが、一年後、また日本人が機具を持って新疆にやってきた。

4月24日、新疆測量局は日本人相馬など4人に対し、新疆アイディン(艾丁)湖で違法測量を行ったとして、法により行政処分を下した。 これは中国が3月1日に正式に実施したばかりの“外国の組織、個人による中国での測量管理暫定施行法”の、外国人に対する新疆での初の処罰適用事例となった。

4月27日、国家測量局李維森副局長・報道官が記者会見で明らかにしたところによると、“測量したことは、国家の安全に関わるものであり、大量の測量データは機密に触れており、この方面の監視を強めなければいけないし、ゆるがせに出来ない”

25ヶ所から座標点を回収

国家測量局の担当者が事件の具体的内容を語ってくれたところによると、3月5日、4人の日本人が中国側主管部門の許可を受けずにエピノール(艾比湖)地域で、無断で測量活動を作った。 報告を受け、新疆測量局が直ちに2名の行政執行官をアラシャンコウ(阿拉山口)まで急行させ、現場の状況を調べた。 調査した結果、4人の日本人は、奈良女子大学の自然地理学のS教授、日本大学文理学部のE教授、M助教授、総合地球環境学研究所K助教授であることがわかった。

四人は、日本の総合地球環境学研究所の委託を受け、中国で生態環境の変化の研究にやってきた。 中国に来る前、中国科学院新疆分院の生物・地理研究所穆研究員と連絡を取り、穆研究員も同行し、同地で研究活動を行っていた。

今回の調査に当たった新疆測量局の担当者が語ったところによると、規定では、GPSの精度が100m以下だと測量用機材と認定される。 S教授とM助教授の二人が所持していたGPS受信機は精度が50m位のもので、25ヶ所の座標点から収集していた。 その内、6ヶ所の地点はK助教授が携帯していた10万分の1のロシア語版中国地形図に入力されていた。

更に重要なことは、今回の行為は事前に中国側の主管部門に申請することなく、無断で行われたことである。 中国科学院新疆分院生物・地理研究所劉文江事務局長が語るところでは、日本側のE教授とは学術関係で、長年緊密な付き合いがあったが、“今回は、当方と彼等の間には、なんら具体的協力の話はなかった”と述べた。

日本人の新疆での違法測量は今回が初めてではない

一年前、新疆測量局はホータン(和田)で、二人の日本人を違法測量で摘発している。  当時、(株)国土情報研究所のO氏とA氏が旅行者として入国し、その後ツアーを離れ、ホータンで違法測量を行い、罰金8万元(約120万円)と測量機材、測量の資料が没収されるという行政処分を受けた。 没収したコンピューターには、ほかの省で測量したデータも入っていた。(《参考》①283中国の三面記事を読む(36)日本の情報スパイ捕まる06-06-03【上】②284中国の三面記事を読む(37)日本の情報スパイ捕まる【下】06-06-04)

前回と比べて、今回の件は比較的軽微であって、純粋の測量活動ではなく、科学的研究の単純な測量と言える。 コンピュータにも、ほかの関連データもなかった。 しかしいかに軽微であろうと、他国の領土で非合法測量を行ったことに間違いはなく、“中華人民共和国測量法”、“外国の組織、個人による中国での測量管理暫定施行法”により、新疆測量局は、4人に対し、測量の停止と、測量機材と測量資料の没収処分を行った。 また日本人が所持していた地図には、機密に触れる内容があったため、測量局は新疆安全部門に引渡し審査の上、法により没収されることになった。

測量のデータは 国家の安全に関わる

新疆測量局によると、一緒にいた中国科学院新疆分院生物・地理研究所穆研究員は、E教授と科学研究をしたことがあり、親しい仲だった。 今回、二人は研究テーマを探すためには“測量がそのワンステップ”と位置づけた。 穆研究員は、調査の話を受けた時、去年ホータンで起こった違法測量事件のことを承知していたが、“アラシャンコウ(阿拉山口)”は開放された港だから、何も問題ないと思ったという。

国家測量局政策法規部・馬贇副部長は、“高精度の地図のデータが、もし誘導ミサイルシステム、たとえば巡航ミサイルなどに使われたら、長距離から重要目標を攻撃することが出来、国家の安全にとって脅威となる。 重要施設の座標、地形、地質、海洋などの地理情報データは、国家機密であり、どの国も厳重に管理している筈です。 

国家測量局が発表した数字を見ると、去年同局が摘発した件数は1709件。 その内違法測量は、759件だという。  摘発件数の2件に1件が違法測量で、そのうち外国の組織と個人が中国で行った違法測量は、しばしば起こっている。 外国人の新疆への旅行と科学協力は歓迎するが、法律を犯すようなことはやめてほしい。

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655中国は見る(367)李登輝前総統 靖国神社参拝

1.靖国参拝は日中関係の新たな火種

2.靖国神社への参拝は亡くなった兄のため 人情として当然のこと

1.主:李登輝拜靖國神社 國際媒體:為中日關係埋下新火種 

2007-06-07 19:34:27 本文网址

:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1223397,14.html

2.李登叫称:不去靖国神社祭亡兄 人情上不通http://www.enorth.com.cn  2007-05-30 16:49

1.李登輝前総統の靖国神社参拝:靖国参拝は日中関係の新たな火種

Photo_1567 李登輝前総統は今日(7日)、A級戦犯を祀っている靖国神社に祀られている亡兄の霊を参拝に行くということで、日本及び外国メディアの格好の話題となった。 李登輝前総統が、いくら“参拝は政治と歴史と関係ない”と強調しようとも、外国メディアは、日中関係に新たな火種となるだろうと見ている。

Photo_1568 李登輝前総統は、“私の今回の靖国神社参拝は、まったく個人的なものだから、政治、歴史とは結び付けないでほしい、お願いします” 7日、靖国参拝の前に、このような談話を述べた。 すぐNHKテレビの10時のトップニュースとして流れ、また塩崎恭久内閣官房長官も“今回の李登輝氏の訪問の目的は、学術と文化交流である。 中国側には、はっきりと説明した”とコメントを発表した。

日本政府は報道を控え目にしたかったが、日本の主要メディアは産経新聞を含め競って報道し、東京新聞は“北京から独立派の代表と見られている李登輝氏の訪日は、日中関係の新たな火種となるかもしれない”と論評した。

Photo_1569 香港の鳳凰テレビ局は、李登輝前総統の靖国神社参拝のニュースと発言を引用し、“李登輝前総統は、今回の訪日は肉親としての情であり、政治とは関係ないと強調しているが、日本のメディアの強い関心を呼んでいる”としている。

香港メディアの関心だけでなく、外国メディアのイギリスBBC放送は、李登輝前総統がA級戦犯を祀っている靖国神社を参拝したことは、日中関係及び間もなく実現する日中会談にも影響が及ぶことは必至と見ている。 アメリカのAP通信は、靖国参拝の前日、北京当局が李登輝前総統の訪日は、台湾独立のアピールだと批判したと指摘していた。

靖国神社を参拝し李登輝前総統は、彼の長年の宿願を果たしたかもしれないが、国際メディアの目は、将来の日中台の三角関係に向けられている。

2.靖国神社への参拝は亡くなった兄のため 人情として当然のこと

Photo_1570 李登輝前総統は今日(5/30)、日本の東京を訪れる。 彼は機内で日本のメディアの取材に対し、自分の兄・李登欽が靖国神社に祀られている。 もしお参りしなければ、人情として許されないことだ。

李登輝前総統の兄は、第二次大戦の時、フィリピンPhoto_1571 で戦死した。 現在、靖国神社に祀られている。 李登輝前総統は今回、22年ぶりに東京に行く。 昨晩、彼の妻が、“靖国神社に行くの?”と訊いたので、“まずは、東京へ行ってから考える”と答えたという。

メディアの取材に対し、“60年会ってない兄さんが靖国神社に祀られている。 もし行かなければ、人としての道に外れる。 22年前、東京へ行った時は、自分の兄が靖国神社に祀られていることを知らなかった”と語った。

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654中国の三面記事を読む(176)山口百恵と三浦友和の愛情物語

最近、中国で“赤い疑惑”が放送され、山口百恵に関する記事が出ていましたので紹介します。

2007-06-05 10:09:18  山口百惠和三浦友和的

来源: 线(北京) 网友评论 56 论坛

【参考】465中国は見る(239)山口百恵夫婦「理想の夫婦」に選ばれる 06-11-29

Photo_1549 “赤い疑惑”(血疑)を覚えていますか? “絶唱”を知っていますか? 山口百恵、三浦友和、この多くの人を引き付けた日本の美男美女を覚えていますか?

Photo_1550 山口百恵はもうとっくに結婚してしまい、舞台から遠ざかってしまった。 三浦友和は、依然として当時の面影を残している。 二人がかって手を取り合っていた姿は、今も目に浮かぶほどだ。 映画の中で歌われたどの曲も、あの当時のまま聞こえてきそうだ----------

初めての出会い

Photo_1551 東京世田谷の砧という公園だった。 15歳の山口百恵は、芸能界に入ったばかりの女の子で、まだ少女のあどけなさが残っていた。 二人の出会いは偶然だった。 百恵の最初の相手がちょっと良くなかったので、映画会社は新人を起用して彼女と公園ロケをすることにした。 その新人が三浦友和だった。 三浦友和が初めて百恵の前に現れた時、彼女は、この自分の人生で大事な男性となる彼のことPhoto_1552 を、“青い運動着を着た元気そうな人で、まるで公園で練習している選手みたい”でしたと述べている。 その年の9月、三浦友和は偶然の機会から15000人の中から選ばれ、山口百恵と川端康成の名作“伊豆の踊り子”を共演することとなった。 “伊豆の踊り子”は予想外の大反響を巻き起こした。 15歳の山口百恵は、日本映画界のスターとなった。

Photo_1553 百恵は、この当時をこう語っている。 “毎日、仕事がぎっしりで、次は何をやります、とすべて時間で決められていて、私は言われるままでした。 ある時、車に乗って移動の時、疲れて眠ってしまった時、こういう話し声が耳に入ってきました。 当時まだ知り合ったばかりの三浦友和さんが小声で「眠っています。 可哀想ですよ。 疲れてるんで すから」 朦朧としている中、車の外の足音が遠ざかって行くのを聞いていました。 この言葉は私の心の中に深く残りました” この言葉数の少ない青年の“気遣いの言葉”が、山口百恵の心を動かしたに違いない。

愛潮記

Photo_1555 翌年、二人は映画“潮騒”に出演した。 二人は文芸路線の“ゴールデンコンビ”となった。 この映画から二人は、次第に仲良くなっていった。 映画の中で、二人が全身びっしょりになるシーンがあった。 撮影が終わると二人は同時にタオルを相手に渡しあった。 こういうことは普通回りのスタッフがすることだった。 

Photo_1556 それから間もなく三浦友和は、新曲の中でこんな歌を歌った。“髪の毛から爪先まで、すべて俺のもの。 子供の頃の小さい傷もすべていとおしい----------” 当時、目ざといメディアは、すぐこの歌は百恵に捧げた歌だと感じ取った。 百恵の目の下には小さな傷があった。 

山口百恵、17歳の年、三浦友和から写真と電話番Photo_1557号が書かれた紙を手渡された。 当時、もう大スターとなっていた百恵だが、愛ということについては、臆病で不安を感じていた。 半月くらい、この番号に電話する勇気がなかった。 しかし、とうと う彼女は三浦のこの番号を回した。 “電話の付き合い”の8ヵ月後には、二人は恋愛関係に進んでいった。 劇的な出来事がある。 恋人同士となった友和と百恵は、もうコンビで出る機会はほとんどなかった。 映画会社は、別の男優を百恵の恋人にしようとした。 しかし、この決定は多くのファンの反対にあった。 2千人あまりのファンから、友和と百恵が“理想のカップル”であり、二人を離すなと、手紙や電話が殺到した。

Photo_1559 二人の“映画のゴールデンコンビ”のイメージが強まるにつれ、二人の気持ちもますます深まっていった。 この愛が深まった時、百恵の仕事も正にピークだったが、メディアにこういう発言をしPhoto_1560 た。“私は平凡に結婚し、子供を生みたい。 これが私の理想です”

ある時、百恵は東京の帝国劇場のリサイタルで、“愛の宣言”を行った。

愛している人が誰かは言わなかったが、彼の人となりを話し出すと、舞台の下からファンの「三浦友和」の名前が沸き起こった。

Photo_15611980年、芸能生活のピークをきわめていた山口百恵と三浦友和は、東京プリンスホテル“鳳凰の間”で結婚披露宴をすると発表した。 また百恵は結婚後引退することも併せて発表した。 このニュースは、百恵ファンに大きなショックを与えた。 しかし彼女は、友和と暮らし、彼と温かい家庭を作ることが、あの華やかなスターの地位より大事だと考えていた。

Photo_1562 “結婚宣言”発表後、百恵は、かってなかった自由を得ることが出来た。 彼女は気兼ねなく彼の家へ行けたし、彼と一緒に街を歩いたり、散歩が出来た。 こうしたことは昔から、心の中で思っていた彼女のささやかな願いであり、それがやっと実現したのだ。 一連のお別れコンサートが終わり、百恵はスターとしての最後のメディア会見に臨んだ。 

“あなたは、芸能界に未練はありませんか?”

“はい、ありません”

百恵は、彼女特有のやさしい笑顔を見せ、きっぱりと答えた。

Photo_1563 1980年11月19日、空は晴れ渡り、二人を祝福しているようだった。 この日、三浦友和は日本一美しい花嫁――山口百恵を妻とした。

二人が祭壇(港区の霊南坂教会)の前で指輪を交換した後、山口百恵の目からは涙が流れていた。 この時、彼女は幸福の絶頂にいた。

これ以降、日本の映画界には山口百恵のような美少女は見られなくなった。 またみんなから愛される“ゴールデンコンビ”もいなくなった。

“仕事を辞めたのは、21年の人生の中で、初めて大事な人がいることがわかったからです”

Photo_1564 山口百恵と三浦友和は、家庭生活を大事にしており、一家四人でよく箱根に温泉旅行に行くとのこと。 ほかに彼等は、カラオケによく出掛ける。 出掛けない時は、家で歌うこともある。 現在、子Photo_1565 供は大きくなり、山口百恵と三浦友和は、ヨーロッパ旅行を計画中である。

今はもう、20数年が経ってしまった。 三浦友和と山口百恵夫婦も中年に入った。 二人が昔を振りPhoto_1566 返った時、どういう思いをしているだろう。 20数年前、恥ずかしそうにしていた女の子が、どういう思いで選手のような青年を見つめていたのか--------。Photo_1554

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653中国の三面記事を読む(175)チーパオは漢族の独創作品(下)

Photo_1526  男性としては、中国女性のチャイナドレス(チーパオ)を見ると、つい目が吸い寄せられてしまう。 とは言え、現在の中国に行っても、街中で見かけることはほとんどありません。 レストランやホテルの女性がたまに身につけているのと、後は、テレビでよくやる民国時代を舞台にしたドラマの中で、チーパオ姿が見られるくらいです。 ちょっと残念です!

チーパオが一番似合う人は誰?

2006-10-1915:46:28  倾城风韵,婀娜多姿的旗袍适合谁?

来源:网易旅游综合  网友评论17条进入“旗袍”论坛

Photo_1527 チャイナドレス(チーパオ)を着た女性からは、優雅さ、繊細さが感じられます。 ちょっと高いエリから伸びた首筋は優美で、軽くて滑らかな布地は女性を優しく包み込み、身体の曲線を際立たせています。 そのえも言われぬ美しさ、しとやかさは、西側女性にはない味わいです。

だからチャイナドレス(チーパオ)は、中国女性に一番合うものです。

Photo_1528 チャイナドレス(チーパオ)は、中国女性の誇りです。

チャイナドレス(チーパオ)は、中国服飾文化の代表です。

中国女性の頭、首筋、ひじ、胸、腰、尻、そして手、足などから総合的に作り出される様々な曲線Photo_1529 が、チャイナドレス(チーパオ)によって、遺憾なく演出されるわけです。 チーパオは、中国女性の胴長や痩せているといった肉体的欠陥を押し隠し、逆に中国女性特有の風情と魅力を目立たせます。 正面から見てもなかなか見映えがする服だし、ほかのものと比べてもまったく遜色がない、中国の伝統に添った服です。 横から見ると、これまたいい味Photo_1530 があります。 “S”型となっており、スリットが入っていることにより、男性の目を楽しませてもくれます。

ついでに言うなら、このスリットは、決して単なる名前だけのものではなく、歩きやすさといった実用性から設計されたものです。

おしゃれな女性は、チーパオを自分の身体に合わせPhoto_1531 て作らせます。 だからとてもピッタリしたものになります。 身体にピッタリしたチーパオは非常に大事なことです。

チーパオ姿の一番似合う女性は誰だろう?

チーパオ姿にピッタリの身体つきの女性は誰だろう?

Photo_1532 まず、肩はなで肩でなくてはダメだ。 いかり肩、肩幅が広い人はチーパオを着てもいかつい感じがして、やわらかさに欠ける。 次に、腰は細くなくてはいけない。 腰回りが太めの人はチーパオを着ても見映えがしない。 お尻は多少肉付きがあったほうがいい。 それから首は長いこと。 高い襟には長い首が合うし、スラリと見える。 また胸の大きさは程々がいい。 背は1.60-1.70mくらいが適当である。 高すぎても低すぎてもチーパオの見映えがよくない。

Photo_1533 チーパオ姿の似合う女性、最高の女性は、たとえば「花様年華」の蘇麗珍と「傾城の恋」の白流蘇だ。 彼女達は、昔の映画の中でお目にかかった女性だ。 

張愛玲は「衣服は一種の言語である。 身に着けているのは小型劇場だ――身の回りにあるもの――それは服である。 私達はそれぞれ服の中に住んでいPhoto_1534 る」と述べている。 張愛玲は、とてもチーパオが好きだった。 いろんな種類のチーパオを持っていた。 《伝統的な豪華な錦織のチーパオや、しなやかであでやかな薄手のチーパオ、華麗で豪華なラメ入り模様のチーパオ、黒緞子の高い襟、袖なしチーパオなど》 彼女のチーパオを着た姿は、ファンの記憶の中に深く刻まれている。 張愛玲の文章を読み、彼女のチーパオを着た写真を見ていると、なんとなく時代の匂いが漂ってくるようだ。

映画「花様年華」の中で、張曼玉はいろいろなチーパオを、23着も着替え、チーパオの美しさを存分に楽しませてくれた。Photo_1535Photo_1543  Photo_1536 Photo_1537 Photo_1538 Photo_1540Photo_1544 Photo_1545 Photo_1546 Photo_1547 Photo_1541 Photo_1542

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652中国の三面記事を読む(174)チーパオは漢族の独創作品(中)

チーパオの歴史

2003-11-07 10:53:34 旗袍的历史

Photo_1498 チーパオ(旗袍の起源―― チーパオ(旗袍)は満州族の旗人の(長い中国服)、寛(ゆったりした長衣)で、三百年ずっと変化なく続いてきたものだ。

“上海のスタイルを真似よう。 あれこれ真似してもうまくいかない。 やっと少しは様になったと思ったら、もう次の流行に変わってしまった”

これは1930-40年代にはやったざれ歌で、当時の上海のファッション界での先進的地位を現したものだ。

1930-40年代は、中国近代女性の服装が最も輝いた時期で、中でも30年代はピークと言える。 チーパオ(旗袍)は中国女性の代表的服装となった。 洋風デザインを取り入れた上海のチーパオ(旗袍)は、上海から全Photo_1499 国各地に広まった。 世界の人々が知るようになったのは、30-40年代のチーパオ(旗袍)からだ。 チーパオ(旗袍)は、中国女性の痩せて小柄な身体の特徴にピッタリで、特に上海女性に好まれた。 その上、この時期には、外国の生地がどんどん中国に入り、大新聞、雑誌には、ファッション特集が組まれ、また、当時のカレンダーには流行の先端の美女が載り、これらがファッションの発生源、流行源となった。 各大百貨店もしばしばPhoto_1500 ファッションショーや展示会を開いた。 特に上海は、全国のファッションの中心となり、その当時の欧米の最新ファッションが、3-4ヶ月遅れで上海に入ってきた。 全国各地は、上海のスタイルを競って真似た。 中国と海外の貿易が頻繁になるにつれ欧米からの綿布、サージ、ナイロン、レースなどの織物が大量に入ってきて、いろいろと選択する範囲が広まった。 服装に対すPhoto_1501 る観念も変わっていった。 上海文化の代表として、上海チーパオ(旗袍)は、30年代チーパオの主流となった。 30年代の上海の上流社会の名門の娘達は、流行を求め豪華な生活を送っていた。 中国歴史上かってなかPhoto_1502 ったような出来事だった。 彼女達は西洋風の生活を送り、水泳、乗馬、ダンス、ゴルフに興じ、これに合う服装はきれいでピッタリしたものが求められた。 30年代の欧米の流行はウエストを締め、より女性らしさを強調するものだった。 そのためチーパオは、スリムで身体にピッタリするものとなり、高い襟に変化し、30年代の生活を謳歌していた時代にピッタリだった。

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30年代のチーパオのデザインには、二つの特徴があった。Photo_1504  “中洋折衷”、“バラエティーに富む”ものだった。 当時、美しさを求める女性のチーパオの着方は、多種多様だった。 一部、洋風を取り入れたり、チーパオの上に上着を組み合わせたりした。 一部、洋風とは、襟の部分や、袖のところに洋風形式を取り入れたものだ。 たとえば、開襟スタイル、袖や裾にハスの葉(フリル)のような図柄入り、スリットの入った袖、レースを付けたもの。 しかしこれは、一部のスターや貴婦人の社交用の礼服で、大部分の人達は、チーパオと洋服を組み合わせて着ていた。 たとえば、チーパオの上に、上着や毛皮のオーバー、毛糸のセーター、ベストなどを着たりした。 また首のあたりにはマフラーを巻いたり、真珠のネックレスをして格好よさを見せていた。 当時、スリムでヒップの締まったチーパオには、パーマと透明なストッキング、ハイヒール、イヤリング、腕時計、バッグが似合うとされた。 いずれもトップモードの装いで、女性らしさが強調されるものだった。 その後、更に改良されたチーパオが現れた。 西洋式裁断法を取り入れ、チーパオがより身体にピッタリとし、着やすくなった。 チーパオは中華民族の独特の風格ある“国民服”となった。 

もし、近代上海の開港がなかったら、“中洋折衷”“西洋に学ぶ”もなく、チーパオの近代化もなかったし、ましてや“上海チーパオ”なんて論ずることもなかったと言えるだろう。

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651中国の三面記事を読む(173)チーパオは漢族の独創作品(上)

旗装(満州族の婦人の服装)と旗袍(チーパオ)の違い

2007-05-16 12:42:33 这样的服装是旗装——旗袍   本文网址:http://bbs5.news.163.com/history/341150,61.html 

Photo_1484 チーパオ(旗袍)は、前世紀1920年代頃に始まり、1925年頃上海で流行した。 着ていたのは主に若い女子学生で、その後、次第に一般社会にも広まった。 チーパオのデザインと旗装(満州族の婦人の服装)は、はっきりした違いがある。 満Photo_1485 州族の旗装の特徴は、袖は長く、ダブダブの衣装で、ウエストの起伏などまったくなく真っ直ぐ足元まで覆っていた。 生地は繻子、緞子が多く使われ、服にはいろいろな図案が刺繍され、襟、前身頃、裾には大きく縁取りがされていた。 一方、チPhoto_1486 ーパオ(旗袍)はというと、身体にぴったりとし、長袖あり、短袖あり、袖なしありといろいろ、ウエストラインもはっきりし、更に中国女性の上品で美しい姿を表現しており、旗装の野暮ったさはない。 服を着た格好ではっきり区別がつく。 

Photo_1487 旗装では、長い服、長いズボンを穿いているが、チーパオ(旗袍)の下は肌着を付けているだけだ、それとストッキング。 チーパオは、中国が前世紀、西側のデザインを取り入れて作った斬新な服装だった。 チーパオの種類は沢山あった。 襟部分は高い襟、低い襟、襟なしがあり、開襟には如意襟、琵琶襟、斜襟、双襟などがあり、袖口は、袖の2_36 長いもの、短いもの、袖のないものがあった。 スリットは、深いスリット、浅いスリットがあり、また長めのチーパオ、短めのチーパオ、袷のチーパオ、単(ひとえ)のチーパオなどがあった。

チーパオは漢族の女性が、西洋の服装のデザインを取り入れて作ったものである。 漢民族の女性が主3_29 に着ている。 満州族の女性が着ることは少ない(流行を追う金持ちを除いて)。 常に改良されてきたので、みんなに受け入れられたのだ。 改良されたチーパオは、1930年代頃には、ほとんど中国女性の標準的服装となり“Chinesedress”(チャイナドレス)と言われるようになった。

1920年代から40年代にかけては、近代中国の女性の服装が一番輝いた時期だった。 30年代は、その中でもピークを極めた時代だった。 この時から、チーパオは、女性の服装を語る上でなくてはならない重要な地位を占めることとなり、中国の女性の典型的服装の代表となった。

4_17 チーパオは、旗人(満州族)の服装と誤解されているが、それは“旗袍”(チーパオ)という名前を取っただけだ。 “チーパオ”の名前の由来は、当時の漢族女性が穿いていたズボンやスカートに合わせて着る“袍”(長衣)がなかった。 男性や満州族の女性だけが“袍”(長衣)を着ていた。 1920年代、中国の流行の都・上海の流行の先端を行く11_17 若い女性が、斬新なデザインの“袍”(長衣)を着たが、これが“旗装”と見なされ、“旗袍”(チーパオ)と名付けられた。

デザインと見た目の印象からも、“旗袍”(チーパオ)と旗装(満州族の婦人の服装)は、まったく別物である。 “旗”という字があるから、それが漢民族のものではないと決めつけるのだろうか? 12_7 “満”という姓の漢人も、満人だというのだろうか?13_421_2 22_7 23_2 24_2 25_2

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650中国は見る(366)松岡大臣、安倍首相を「崖っぷち」に追い込む?

2007-06-02 21:26:28 大臣自把安倍拖下水?

来源:世界新闻报 本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1218348,1.html 

Photo_1482 5月28日自殺した松岡利勝農林水産大臣は、問題の人物だった。 多くの人が、彼の入閣に反対していた。 調査が進む中で、日本のメディアの中には、安倍首相が松岡大臣を死に追い込んだという記事を載せたところもある。

5月28日午後、安倍首相は沈痛な面持ちで仮通夜に訪れた。

5月28日正午過ぎ、松岡利勝農相が、自分が住む議Photo_1483 員宿舎で首を吊って自殺した。 安倍首相などに宛てた6通の遺書と「国民の皆様」などと書かれた2枚の便箋が見つかった。 松岡農相の死は、国民に驚きを与え、政府には衝撃となった。

首相が大臣を“死に追いこんだ”

戦後の内閣で、在職中自殺したのは初めてである。 田中角栄元首相、金丸信などのスキャンダル関連と比べて松岡農相の事務所費不正計上案件は小粒と言えるが、松岡農相が自殺という形で多くの問題から逃れようとしたことで、日本のメディアは、事件の背後の深層を究明している。

この数日、日本のメディアの間にショッキングなニュースが流れた。 安倍首相が松岡農相を“死に追いこんだ” 《日本経済新聞》によると、松岡農相は、業界、地方と強い癒着関係にあった。 農相が、総裁選で安倍首相のために積極的に奔走したことで、安倍首相は、みんなからの意見を強引に押しのけ、松岡氏を大臣にした。

3月、松岡農相の資金管理団体が、事務所費や光熱水費を虚偽報告していたことを、メディアが大きく報道した。 最近は、農水省所管の“緑資源機構”の林道測量コンサルタント業務をめぐる官製談合事件が明らかとなった。 松岡農相の資金管理団体が、数社から多額の献金を受けたことで、強制捜査が入っている。

一連のスキャンダルに遭い、松岡氏は何度も辞意を伝えたが、安倍首相は頑として許さなかった。 《毎日新聞》によると、安倍首相は、松岡農相が辞職すると連鎖反応を起こす恐れがあり、自分の政権運営が揺るぎかねない。 だから必死になって松岡農相を擁護したのだとしている。しかし、この“擁護”は、実際には松岡氏にとっては、安倍首相の“掩体”ともいうもので、絶えず野党や世論の攻撃にさらされた。 安倍首相の“思惑”のため、松岡氏は事件の渦中に置かれ、どんどん追い詰められていった。 松岡氏と親交の深い鈴木宗男衆議院議員は、“松岡氏は、何度も真相を話そうと思ったが、安倍内閣と自民党トップがしゃべらせなかった”と語っている。

安倍首相 一寸先は闇に追い込まれる

政府は、松岡農相が国民に宛てた便箋の内容を公開した。 内容は、国民に対するお詫びだった。 遺書の最後に、松岡氏は、“安倍首相、日本国万歳!”と書いてあった。 しかし皮肉なことに、松岡氏の死は、安倍内閣の先行きを見通せなくさせてしまった。 この数日、世論調査の結果が明らかになってきており、安倍内閣の前途は楽観できない状況になっている。

安倍内閣 「政治とカネ」にからむ話続発

安倍内閣は、去年9月発足したが、「カネ」がらみのスキャンダルがずっと続いている。 去年12月、佐田玄一郎前行政改革担当相は政治資金報告書で架空計上していたことが明らかとなり、安倍内閣の政治資金不正問題による辞職第一号となった。

今年3月、井上哲士参議院議員は、“安倍首相と久間防衛大臣が代表となっている二つの自民党支部と伊吹文明文部科学大臣の秘書官が会計責任をつとめている自民党支部で、2004年から2005年にかけて、違法な政治献金を受け取っていた”ことを明らかにした。 安倍首相は、後になって違法献金は返金したと述べているが、その影響はまだ収まっていない。 柳沢厚生労働大臣は、野党の攻撃の格好の目標になっている。 彼の所管する国民年金の記録の不備が明らかとなり、宙に浮いた年金番号が誰のものか分からない状態になっている。 今、各野党は連携をとって柳沢弾劾に動いている。

関連記事:政治家の自殺

松岡利勝農相は、戦後自殺した国会議員としては7人目である。 日本は自殺率が高い国である。 政治家が自殺することも珍しくはない。 これは、武士道の伝統として自殺は美徳とみなされてきたからだ。 またこういう言い方もある。“自殺は人間関係に絶望した時、実行されるものだ” みんなも知っているように、日本人は「集団生活人間」である。 自分の全身全霊を所属する集団に捧げることが多い。 もし、集団から排除されるようなことになったら、日本人は打撃を受け、意気消沈してしまう。

また自殺は、日本の政治家にとって“罪から逃れる”手段である。 日本人にとって、生きている時、大きな過ちを犯しても、自殺してお詫びをしたら、その罪は帳消しとなる。 野党は、松岡農相が自殺した後、彼の罪について、もう追及しないことを決め、その矛先を安倍首相に狙いを定めたのも、そうした背景があるからだ。

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649中国の三面記事を読む(172)テレサ・テン(鄧麗君)【下】

1.テレサ・テン伝記の人となる 日本の女優がテレサを演ずる2.木村佳乃 テレサ・テンに扮する 中国語で挨拶する

1.邓丽君已成典 日本影星只能模仿 

岛环球网  www.singtaonet.com

2.木村佳乃化身为邓丽 用中文

20070529 1134 http://music.tom.com

1.テレサ・テン伝記の人となる 日本の女優がテレサを演ずる

Photo_1473 1995年5月8日、一代の歌姫テレサ・テンは、タイのチェンマイで病気のため亡くなった。 テレサ・テン逝世12周年(13回忌)の今年、記念イベントが国内外で行われている。 日本では「テレビ朝日」が、彼女の一生をテレビドラマ《テレサ・テン物語》として再現、木村佳乃さんがテレサ・テンに扮する。 しかし木村佳乃さんが、いかに素質があろうと、甘い笑顔を振りまこうが、テレサのあの強烈なイPhoto_1474 メージを再現できるだろうか――テレサのあの独特な歌声、心の中のさまざまな思いを――まずは見た上で論じることとしたい。

多くの人の心の中にあるテレサ・テンの美しさは、あの甘い歌声と人を揺さぶるあの熱唱にある。 《何日君再来》の歌詞の“停唱陽関畳、重擎白玉杯、殷勤頻致語、牢牢撫君懐、今宵離別後、何日君再来----(陽関三畳を歌い終わり、白玉の杯を何度も交わし、別れPhoto_1475 の挨拶を繰り返し、しっかりと抱き合った、今宵別れたら、いつまた会えることだろう)。 切々とした別れのつらさが胸に迫る。 古詩の趣のある歌詞で、多くの男性が別れの挨拶を繰り返したことだろう。 もう一つ《一水隔天涯》、愛情こまやかな中国女性の、しっとりしたイメージが思い浮かぶ。

一貫した愛は、昔からの伝統とされるもので、時には美徳とされた。 現代の流行歌の中で、このような伝Photo_1476 統的な愛の気持ちを歌うものは少ない。テレサ・テンの《時の流れに身をまかせ:我只在乎你》は、その中でもぴか一のものだ。 でも今はすでに、その美人も逝き、テレサ・テンを知っているものはどれくらいいるだろう? 今この曲は、ただあの世で聞けるだけで、この世ではめったに聞かれなくなってしまった。 

木村佳乃さんは、テレサ・テン役を引き受けた時、私が一番好きな曲は《時の流れに身をまかせ:我只在乎Photo_1477》だと言っていた。 日本では、テレサ・テンのファンは、木村佳乃さん以外にも沢山いる。 日本人ファンとしては、木村佳乃さんを通じてテレサ・テンのイメージ再現を望んでいることだろう。

しかしテレサ・テンは、深く人々の心を打った歌姫であり、彼女の美しさは強く印象づけられており、余人がとって代わることは出来ないものだ。 このテレビドラマのストーリーは、実際ときわめて近いが、テレPhoto_1478 サ・テンの弟・鄧長禧さんが言っているように、テレサ・テンの歌の味わいは、簡単に出せるものではない。 ましてや歌手出身でない、木村佳乃さんにとっては、なおさら難しいものと言える。  木村佳乃さんの演技については、疑うべくもない。 実際、演技者としての動作のマネは難しくはないだろう。 しかし難しいのは、テレサ・テンの独特の魅力をどう表現するかだ。 テレサ・テンの外見的なことについていPhoto_1479 えば、彼女は傾国傾城の美女とは言えなくとも、彼女の美しさが深く人の心に残っているのは、中国の伝統文化の薫陶と独特な人生体験によるところが大きい。 この点からいうと、たとえ完璧な演技が出来、テレサより美しかろうと、日本の女優は、内から現れる美しさまで表現することは難しかろう。 日本文化は中国文化の影響を強く受けているけれど、中国伝統の真髄をきわめるのは容易なことではない。

木村佳乃さんは今、鳴り物入りで中国語のセリフや、歌の特訓を受けている。 しかし、三十数年に亘り経験を積んだ“テレサ・テンの味わい”を、一年足らずで出そうというのは、所詮ムリだろう。 記録物として期待できるのは、お馴染みのテレサ・テンの成長の過程を、日本の人々に広く伝えることぐらいだろう。

2.木村佳乃 テレサ・テンに扮する 中国語で挨拶する

Photo_1480 《テレサ・テン物語:台湾歌姫、鄧麗君》で、テレサ・テン役を演ずる木村佳乃さんが台湾に宣伝のため訪れた。 彼女は記者会見に、赤と白で彩られた鮮やかなチーパオ(旗袍)を着て現れ、絶えず穏やかな笑顔を見せ、苦心して覚えた中国語で台湾の人々に挨拶した。“皆さんこんにちは、私は木村佳乃です。 私は台湾が大好きです”

彼女はドラマの中で一番印象に残ったところは、テレサが死ぬ直前、しきりに母親を呼び続けるシーンだったという。 演じていてとても悲しくなってしまったという。

Photo_1481 端正な顔立ちの木村佳乃さんは率直に、自分にはテレサのようなやさしさ、それと男っぽさはないと、控え目に語り、テレサはアジアの歌姫であり、自分がテレサを演ずるなんておこがましいことです。 台湾で記者会見できたこと、とても光栄に思っていますと、テレサに撮影が無事終了したことを報告しているようだった。 テレサの歌のことや結婚のことなどに関連して、自分自身はどう選択するか問われた時、彼女は茶目っ気たっぷりに、“自分にはテレサのようないいノドがありませんから、障害になるようなものは何もありません”

木村佳乃さんは、テレサの雰囲気を出すため、中国語の歌を練習したほか、テレサのマイクを持つ時の親指を上げる独特の仕草なども似せたという。 木村佳乃さんは、マネだけでなく自分の尊敬するテレサ・テンの内心の世界を描き出せたらと願っている。

二時間半のこのドラマは、木村佳乃さんがテレサ・テンの栄光と辛酸を演じるもので、日本の俳優がテレサ・テンのドラマチックな一生をどう演ずるか、ファンをきっと期待させるものとなるだろう。 ドラマのほかの配役は、永井杏が少女時代のテレサに扮し、テレサを日本の芸能界に引っ張ることとなった大物・舟木稔に高嶋政伸が扮し、古谷一行と高橋恵子がテレサの父母に扮する。 撮影地点は、台北、香港、パリとテレサが最後を過ごしたタイのチェンマイなどで行われた。 日本では、6月2日夜9時から“テレビ朝日”で放送される。 台湾でも同日、同時放送される。

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648中国の三面記事を読む(171)テレサ・テン(鄧麗君)【上】

テレサ・テン(鄧麗君)逝世12周年(13回忌)

2007-05-08 08:05:54 来源: 人民网(北京) 网友评论 36 论坛  

Photo_1460 テレサ・テン(鄧麗君)《1953年―1995年》5月8日、気管支喘息のためタイで急逝、享年42歳。 台湾の人。 万雷の拍手に包まれた天性の歌手。 

英語名:TERESATENG

Photo_1461 誕生日 1953129

星 座 :水瓶座

十二支:蛇年

血液型:O型

本 籍:河北省邯鄲市大名県

出生地:台湾省雲林県褒忠郷田洋村

Photo_1462 身 長:167cm

好きな色:紫、ピンク系

好きな食べ物:豚の足、辛いもの

感謝する人:家族、特に母親

1953年1月29日、台湾省褒忠郷田洋村で生まPhoto_1463 れる。

1958年(5歳)、屏東市仙宮劇場付近でバレーを習う。

1963年(10歳)、中華ラジオ局の黄梅調(安徽省の地方劇)ののど自慢で《訪英台》を歌い優勝する。

Photo_1464 1964年(11歳)、学校を代表して全国北京語スピーチ大会で優勝する。

1966年(13歳)、金馬奨レコード会社の歌謡大会に出場、《采紅菱》で優勝する。

1967年(14歳)、金陵女子中学を休学し、宇宙レコードに入ると、9月に初めてのレコードが発Photo_1465 売され、正式に歌を職業にすることになった。

1969年(16歳)、《謝謝総経理》という映画に初出演。 また台湾で初めての連続テレビドラマ《晶晶》の主題歌を歌い、《毎日一星》という番組を司会することになる。 シンガポールの首相夫人の招請を受け初めて海外チャリティー・ショーを行う。

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1970年(17歳)、白花油“チャリティー・プリンセスに選ばれる。 “凱声綜芸団”と共に香港公演を行う。 香港で映画《歌迷小姐》を撮る。

1973年(20歳)、日本の“ポリドール”と日本での活動契約をした。 香港では“香港歌劇院”“漢宮”“珠城”で公演し、その後、ベトナムに赴き公演した。

1974年(21歳)、《空港》が74年のレコード大賞新人賞を受賞した。

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1977年(24歳)、《香港第一回金唱片賞》を受賞。

1978年(25歳)、個人アルバム《鄧麗君 GREATEST HITS》と《島国之情歌・第3集》発売。 香港第3回金唱片受賞。 日本で“東京夜景”発売。

1979年(26歳)、《香港第4回金唱片賞》の授賞式で、三つのアルバムが白金唱片賞、二枚のアルバムが金唱片賞を獲得した。 この年、アメリカへ日本語、英語、生物、数学などを学びに行く。 4月、カナダのバンクーバーで初めてのコンサートを開く。 2月、日本入国の際、偽造パスポートを使い国外退去処分)

Photo_1468

1980年(27歳)、台湾で“最も優秀な女性歌手に贈られる”金鐘賞を受賞。 アメリカのニューヨーク・リンカーンセンター、ロスのミュージックセンターなどでコンサートを行う。 テレサ・テンは、身はアメリカにありながら、その歌声は遠く中国の大地に届けられ、多くの中国人の心を揺さぶった。 鄧小平さえもテレサ・テンの独特の節回しを愛したという。 香港で初の広東語のアルバム《勢不両立》を発売、たちまち売り切れる。 香港で、7日間連続コンサートを行う。 十月、台湾へ戻り、国父記念館でチャリティー・コンサートを開く。 入場料収入のすべてを自強愛国基金に寄付する。 年末には東南アジアでコンサート・ツアーを開く。

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1981年(28歳)、台湾の新聞から“愛国芸人”の称号を贈られる。李季准と金鐘賞の式典の司会をする。 香港の“利舞台”で個人のコンサートとして最多記録を打ち立てた後、6月には台湾でチャリティーや“台湾テレビ”の2時間番組《君在前哨》(前線にいる兵士達に)に出演する。 《香港第5回金唱片賞》に出場、5枚の“白金唱片”を獲得、歴代金唱片の記録を打ち破るものだった。

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1982年(29歳)、香港でリサイタルを開く。 《テレサ・テン コンサート》2枚組発売。 “白金唱片”を獲得。 1983年(30歳)、ラスベガスの“シーザース・パレス”でショーを行う。 ここでコンサートを開いた初めての中国人女性歌手となる。 台湾政府から“十大傑出女青年”に選ばれる。 広東語の“漫歩人生路”を発売、大ヒットする。

1984年(31歳)、東南アジア各地で、デビュー15周年コンサートツアーを開く。 日本でシングル《つぐない》(償還)発売、たちまち大ヒット、一年近くヒット・チャート内にあり、日本歌謡史に記録を残すものとなった。 このヒットにより、テレサ・テンは、数多くの賞を獲得。 その中には、“日本有線大賞”、“全日本有線放送大賞”があり、“日本レコード大賞”の“最優秀歌唱賞”にもノミネートされた。その素晴らしい活躍は中華民族に輝きをもたらした。

1985年(32歳)、日本で《愛人》が、ヒット・チャートで14週連続トップとなり、“全日本有線放送大賞”を受賞。 日本の歌謡史をまた塗り替えた。 《愛人》一曲で、いとも簡単に“NHK第36回紅白歌合戦”に初出場することになった。 8月、台湾に戻り、張菲と“反盗録、反倣冒”(違法コピー、偽商品撲滅キャンペーン)のチャリティー・ショーを行う。 十二月、NHKホールでコンサートを開く。

1986年(33歳)、台湾テレビの春節特別番組“君与同楽”の司会をする。 シングル《時の流れに身を任せ》(任時光从身辺流逝)が、“日本有線大賞”を受賞。 “NHK第37回紅白歌合戦”に二度目の出場を果たす。

1987年(34歳)、香港、台湾、アメリカ、カナダ、フランスなどを頻繁に行き来するが、半ば休業状態で、チャリティーに出演する以外、一般コンサートに出ることが少なくなった。 ニューヨークの“国際公益金” チャリティー・ショーに出場する。

1988年(35歳)、名作詞家・慎芝女士逝去のため、台湾に戻り弔問した。

1989年(36歳)、香港“アジアテレビ”が正月2日目に行う合同コンサートに招かれ《漫歩人生路》を歌う。 (6月3-4日、天安門事件起こる)

1990年(37歳)、“無線テレビ”の慈善ショー番組にゲストとして出演。

1991年(38歳)、香港へ行き、“華東の罹災者救済”のための慈善ショーにゲストとして出演。 “NHK第42回紅白歌合戦”に三度目の出場、《時の流れに身を任せ》を歌う。 1992年(39歳)、《难忘的TERESATENG》を発売。

1993年(40歳)、3月香港に行き、アジアテレビの“トークショー”、“おしゃべり”番組にゲスト出演。

1994年(41歳)、台湾で、黄埔軍官学校の創立70周年記念行事“永遠なる黄埔”に参加、台湾での最後の公の出演となる。 日本で《夜来香》を発売。

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1995年(42歳)、5月8日、気管支ぜんそくのため、タイのチェンマイで急逝、42歳だった。 5月28日、中国人、全世界の中国人が見守る中、(台湾台北県金山郷の)金宝山に葬られた。 そこは“園”と呼ばれている。

歌曲:(なつかしの歌声)

1 甜蜜蜜

2 美酒加咖啡 

3 酒醉的探戈 

4 何日君再来 

5 人生路(粤 

6 丝丝小雨 

7 小城故事 

8 炊烟 

9 夜来香 

10 ,我的 

11 月亮代表我的心 

12 的野花不要采 

13 在水一方 

14 一个小心愿 

15 你怎么说 

《往日情怀(二)》 

1 千言万 

2 我只再乎你 (時の流れに身をまかせ)

3 偿还 (つぐない)

4 恨不相逢未嫁 

5 忘初恋的情人 

6 从哪里来 

7 逍遥自在 

8 九月的故事 

9 恰似你的温柔 

10 云河 

11 独上西楼 

12 世界多美 

13 小路 

14 海韵 

15 我一你就笑 

16 奈何

《往日情怀)》

邓丽君逝世12周年

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647中国は見る(365)2007年“ミス・ユニバース”に日本人女性

2007-05-29 11:26:00日本小姐荣获2007球小姐

来源: 中国新(北京) 网友评论 848  论坛Photo_1435

中新ネット5月29日電:2007年度“ミス・ユニバース”の結果が発表され、20歳の日本人・森理世(Riyo Mori)さんが、優勝した。

去年、ミス・ユニバース・コンテストでは日本代表の知花くPhoto_1436 ららさんが2位に選ばれていた。 森理世さんの優勝は、この2006年の影響を受けたものと見られる。

日本の女性が“ミス・ユニバース”の称号を獲得したのは二度目となる。 

1959年、児島明子さん以来、48年振り。

中国代表 張寧寧 “ミス・コンジニアリティ(Miss Congeniality”にPhoto_1437

中国代表の張寧寧 さんが“ミス・コンジニアリティ(Miss Congeniality”に選ばれる。 ブラジル代表 Natalia Guimaraesさん(22)は2位に選ばれ、べネズエラ代表のNatalia Guimaraesさん(22)が3位に選ばれた。

第56回“ミス・ユニバース・コンテスト”は、メキシコの海辺の名勝地カンクンで開かれ、全世界から77人の美女が集まり、5月28日、最終選考が行われた。

カンクンはメキシコ・ユカタン半島の東北部にあり、一方はニチュプテ潟(Nichupté)に繋がり、もう一方は美しいカリブ海に繋がる、長さ21キロ、広さ400mの美しい島である。Photo_18 Photo_1438 Photo_1439 Photo_1441 Photo_1442 Photo_1443 Photo_1444 Photo_1446 Photo_1447  

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