« 630中国は見る(357)国際競争力ランキング 中国が日本を追い越す | Main | 632中国は見る(359)安倍首相 靖国神社へ“奉納”の真意(下) »

631中国は見る(358)安倍首相 靖国神社へ“奉納”の真意(上)

2007-05-10 19:29:46 :原:安倍向靖国神社的真意

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1192104,13.html

Photo_1334 5月8日、日本のメディアが伝えたところによると、安倍晋三首相が、4月、靖国神社へ5万円の「真榊」を“奉納”したという。 その“奉納”は、“内閣総理大臣”の名義で行われた。 ただその費用は、自分のポケットマネーだという。 「真榊」は榊の美称である。“常緑の樹”で、枝葉は特に神事に用いられる。 日本で言う“奉納”とは、中国の伝統仏教では、信徒が寺に、布施をしたり、寄贈したり、供えたりするようなものである。 ところで4月21日―23日は、靖国神社の春季例大祭で、もし安倍首相がその時期を選んで供えたというなら、“祭礼”への寄贈で、別に誤りではないかもしれない。

Photo_1336   しかし、ニュ-スが伝わるや大々的に注目されることになった。 韓国外交部は、これについて“大変遺憾だ”と表明し、中国外務省報道官は、定例記者会見上、再度、中国の靖国神社問題に対する一貫した立場を表明した。 みんなも知ってる通り、温総理が4月、日本を訪問した。 小泉前首相の靖国神社参拝によって、5年間両国首脳の相互訪問の中断が復活したばかりなのに、安倍晋三首相は温総理が訪日を終えてすぐ、靖国神社へ“お供え”したことは、その敏感性は言わなくとも明らかである。 みんな思わず安倍首相の真意は何か? と訊いてみたくなるし、 また、安倍首相の対中路線を検証せざるを得なくなるものだ。

実際、安倍首相の今回の“内緒事”は、自民党の右傾グループを安堵させるものとなり、首相の地位を維持する“その場しのぎの方法”となった。 これには、安部晋三首相の背景、個性、首相Photo_1337 の座に着く経緯から見る必要がある。 安倍首相は、政治家の名門の出で、母方の祖父岸信介は、かって東条英機内閣の商工大臣を勤め、極東軍事裁判でA級戦犯容疑者とされたが、不起訴となった。 1957年から1960年にかけて首相となり、有名な反中派だった。 安倍晋三首相は、《美しい国、日本》の中で、幼い時、岸信介の影響を深く受けたと述べ、“私の政治のDNAには、岸信介の遺伝子をより多く受け継いでいる”と書いている。 安倍晋三首相の父親は、中曽根内閣の外相や自民党幹事長を勤めた安倍晋太郎氏で、ポスト中曽根を狙う有力実力者“三人”の一人だった。 彼は在任中、天皇の訪中実現に努力し、中国との関係は大変よかった。 しかし早く逝ってしまった。 安倍晋三はその父の秘書官を長く勤めた。 1993年、安倍晋三は初めて衆議院議員に当選し、彼の政治生活が始まった。 安倍晋三は、自民党森派(森喜朗元首相)に属し、13年の間に、森内閣の内閣官房副長官を勤め、小泉政権で、内閣官房副長官、自由民主党幹事長、自由民主党幹事長代理、内閣官房長官を歴任、2006年9月、最も若い自民党総裁、首相の座についた。

安倍首相がかくも早く突出できたのは、政治家の名門の人脈のほか、北朝鮮の日本人拉致事件では強硬論者として、その一連の“激しい”発言も主たる要因である。 2002年9月、安倍晋三は内閣官房副長官の肩書で、当時の小泉純一郎前首相に随行し北朝鮮に渡り、5人の拉致被害者を日本へ連れ戻した。 その後この5人を北朝鮮に帰すことを真っ先に拒否し、小泉首相を説得し、北朝鮮が拉致問題で謝罪しない限り、国交正常化はありえないとした。 その後も、安倍晋三はメディアを通じて、一連の強硬発言を表明、世論も洗脳され、安倍氏の強硬なイメージは、日本の広範な世論の後押しを得ることとなった。 その後、一時期、安倍晋三は、“第二次大戦の戦犯は犯罪者ではない”“小型であれば原子爆弾の保有は違憲ではない”“中韓が反対しても、靖国神社参拝に行く”などの右翼的発言を連発した。 安倍氏のこれら発言は、“拉致事件”の旗手のイメージもあり、自民党内のタカ派や国内右翼からの喝采を浴び、政治的評判は急速に高まった。 安倍晋三という“若輩”が頂点に昇ることが出来たのは、党内タカ派と右翼の支持を切り離すことが出来ない。 当時、日中、日韓関係は緊張し、“厭中”、“嫌韓”の雰囲気が国内に蔓延していた時で、安倍氏の靖国神社問題に対する発言もタカ派勢力や自民党の大票田である“遺族会”の意向に沿うものだった。 福田康夫が不利と悟って退くや、圧倒的強さで簡単に自民党総裁、日本の首相の座に着いた。 

しかし我々が同時に注意すべきは、安倍晋三は周りの意見をよく聞き、間違いをすると、直ちに修正する政治家だということだ。 

みんな知ってる通り、日本の政界で人より抜きん出ようとするには、人脈、地盤、資金にチャンスという要素に恵まれないといけない。 安倍晋三は、政治家名門の出身で、祖父(岸信介)、大叔父(佐藤栄作に二人の首相がおり、父親は自民党の“三重鎮”の一人だったが、1991年早逝してしまった。 1993年、政界に身を投じた安倍晋三は、努力の末、“一門から三人目の首相”の政治的野望を果たすことが出来た。 この過程で、安倍氏は一貫して右翼・保守的言論を述べていた。

自民党の当時の最大派閥、保守タカ派の森喜朗元首相に可愛がられ、政治資金の“準備”も怠りなかった。 そして小泉の内閣官房長官として、首相最有力候補となるや、その過激な発言は影をひそめた。

ここで安倍晋三首相の性格を細かく見てみよう。 中国の有名な中日問題専門家、政府の対日ブレーンの一人が、安倍氏が首相になった時、書いた文章がある。 1997年、安倍氏が日本青年議員訪中団として北京を訪問した時を回想したものである。 討論会が終わった後、青年議員の安倍晋三が、彼のところにやって来て、中国指導者について、彼の見方を教えてくれと言った。 当時の安倍氏は日本政界の“台湾派グループ”と親密に付き合っていた頃だった。 この中国の教授は、私達はあなたのことはよくわからないが、あなたのお父さん安倍晋太郎さんは中国人の老朋友である。 お父さんは中日両国の関係発展のため大きな貢献をしてくれた。 私達は、あなたが父上の秘書をされていたことを知っています。 あなたが父上と同じように両国の友好事業を進めてくれるよう願っています。 その時、安倍晋三は彼に、“必ず父の遺志を継ぎ、両国関係の発展を推進します”と述べた。 このことは、安倍晋三の政治生涯上昇期の一面を物語るものである。

|

« 630中国は見る(357)国際競争力ランキング 中国が日本を追い越す | Main | 632中国は見る(359)安倍首相 靖国神社へ“奉納”の真意(下) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事