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610中国は見る(343)テレビ報道番組「日本見聞記」(21)――渡辺恒雄①

《岩松 日本を見る》:読売新聞会長渡辺恒雄 独占インタビュー

2007032019:37 岩松看日本:对话读卖闻总裁渡恒雄Photo_1249

http://www.sina.com.cn CCTV-岩松看日本

白岩松:私は今、東京の《読売新聞》本社の外にいる。 《読売新聞》は日本でトップの大新聞で、発行量は1千万部を超しているという。 もし発行量という点からいうと、世界トップの新聞でもある。 これからも《読売新聞》が、日本の世論に大きな影響を与えていることがわかる。 今日、私達が取材に訪れるのは、《読売新聞》会長兼主筆である渡辺恒雄氏である。 渡辺氏は、1991年から社長職に就任しており、“メディアの将軍”といわれている。 《読売新聞》は多くの人から、比較的保守的な新聞と見られている。 しかし、2005年6月頃から次第に、渡辺恒夫氏は旗幟を鮮明にしだした。 まず靖国神社とは別に、

国家として祭祀する場所を選ぶべきだといい、A級戦犯を祀る靖国神社への首相の参拝に断固反対した。 彼はニューヨークタイムスの取材も受け、彼の言葉は国際的にも広がりを見せた。 彼の“一挙一動”は、日本にも大きな衝撃を与えた。 私達も、彼がなぜこのような変化を見せたのか興味があった。 歴史問題についても、どう考えているのか、話を聞いてみたい

Photo_1250 渡辺恒雄:初めまして。

白岩松:初めまして。 今日あなたにお目にかかれて光栄に存じます。

渡辺恒雄:どういたしまして、私もうれしいです。

白岩松:先生がお書きになられた「回顧録」の中に、野球の文字がありました。 この取材場所にも野球が見受けられます。 《読売新聞》が野球チームをお持ちであることは、もちろん知っております。 先生は野球が大好きだと思いますが、野球の最大の魅力はなんでしょう?

渡辺恒雄:野球は攻撃にしろ、守備にしろ、判断が必要です。 とても面白いスポーツです。 ほかの運動と違い、ただ足を使うだけではなく、手を使い、頭を使います。

白岩松:若い時、渡辺先生は、野球をやられたことはございましたか?

渡辺恒雄:まったくありませんでした。 これについては、私は戦争の被害者です。

白岩松:野球を見る場合、あなたは攻撃と守備とどちらがお好きですか?

渡辺恒雄:私のような素人から言わせてもらえば、攻撃の方が面白いです。 でも野球通は守備が面白いといいます。

解説:渡辺恒雄、《読売新聞》会長兼主筆。 《読売新聞》は長い間、日本の民族保守勢力の重鎮であり、渡辺恒雄は、日本のタカ派の代表的人物である。 いわゆる“民族保守主義”とは、主流派政治家が行っている「安定した国造り」の政治理念とそれに基づく政策路線、政治主張を指し、天皇を中心とする“民族精神”“愛国心”回復を主張し、靖国神社を参拝したり、教科書編纂などを通じて、日本の侵略の歴史を否定し、日本人に日本の近代侵略戦争を肯定することを主な内容とする民族主義再教育をしようとしている。 《読売新聞》は、過去一貫して、靖国神社参拝を支持してきた。 これは日本人自身の問題であって、他国が干渉する権利はないとしていた。 しかし2005年6月から、残りがわずかと思った渡辺は、保守思想にブレーキをかけ始めた。 彼の最初の行動は、“小泉首相の靖国神社参拝”を批判した社説記事だった。 その後、彼は社内に指示を出し、一年間に亘り《検証戦争責任》のシリーズ記事を出した。 彼のこの突然の転換は、新聞界や日本社会に大きな衝撃を与えた。

Photo_1251 白岩松:お伺いしたいのですが、今でも依然として多くの人達が“なんでだろう”と思っています。 2005年6月以前は、あなたの《読売新聞》は、保守系の新聞でした。 でも2005年6月以降、あなたは突然、靖国神社反対に変わりました。 その後、《ニューヨークタイムス》の取材にも応じました。 今でもみんな不思議に思っています。 なんでこのように転向したのでしょう? あなたご自身変ったと思っていますか?

渡辺恒雄:私自身の考えは、一貫して変っていません。 私は戦争の時、陸軍二等兵でした。 軍隊の中でとてもひどい目にあいました。 ですから一貫して軍国主義には反対です。 靖国神社の参拝問題については、小学校の時、戦争の時代でした。 学校では、強制的な行事があり、靖国神社に一回参拝させられたことがあります。 それ以来、自分自身で靖国神社を参拝したことがありません。 私自身の考え方は一貫してこのようなものです。 最近、日本の首相が靖国神社を参拝し、周辺の中国や韓国との関係がギクシャクしました。 特に、日中間は、首相の靖国神社参拝により、外交問題にまで影響しました。 それで、私は自分の心の中の考えを言うことにしたのです。

解説:渡辺恒雄は1926年5月30日東京生まれ。 1945年7月、日本の中国侵略戦争の終り頃、東京大学文学部在学中の渡辺は、招集令状を受け入隊した。 戦争中、日本軍がむりやり“特攻隊”を自爆出撃させるなどの非道な行為を目撃し、当時から、軍首脳、政治家に対する反感の気持が芽生えていた。 彼にはドラマチックなことがある。 日本の終戦の2日前、除隊され学校に戻り学業を続け、卒業後、《読売新聞》に入社するのである。

日本最大の《読売新聞》グループの会長兼主筆として、渡辺恒雄が日本で大きな影響力を持っていることは間違いない。 長年にわたり、時には日本の政界の動きにも影響を与え、しばしば要人達と私邸で食事を共にし、深夜まで語ることもあったという。 

白岩松:あなたの影響力もって、2005年から首相の靖国神社参拝反対の発言を始められましたが、これに対して中国や韓国を喜ばすものだとする声があったと思います。 でも私が想像しますに、あなたは多分そんなことは考えておらず、考えておられたことは、日本自体の問題だったんではないでしょうか? それともメディアの人間として、こうすべきだと思ったのでしょうか?

渡辺恒雄:現在の日本の国民の中で、戦争を知っている人、戦争を体験した人は、もうほとんどいなくなりました。 現在の国民の多くは戦争を知りません。 当時の戦争について、なんの責任もない世代です。 この世代は、自分の父親やその前の代が、一体どんなことをしたのかまったく知らないのです。 誰が戦争を起こし、誰が戦争の犠牲者といったこともまったく知りません。 しかも学校の教科書の中で、たとえば現代歴史、現代日本の歴史、近代世界の歴史の中でも、この方面のことはよく教えていません。 私は、戦争当時一番下の兵隊でした。 今、80です。 いずれ遠くない将来、この世とおさらばします。 もし私達がみんな逝ってしまったら、昔のことを話す人間がいなくなります。 ですから時間を大切にして、みんなに当時の情況を伝えたいのです。

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