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602中国は見る(335)テレビ報道番組「日本見聞記」(18)――中曽根康弘(中)

《岩松 日本を見る》:中曽根康弘 独占インタビューPhoto_1181

20070402 19:29  [岩松看日本]专访中曾根康弘

www.cctv.com  来源:CCTV.com

Photo_1182 1947年、29歳の中曽根康弘氏は国会議員に当選し、2003年に政界から引退した。 通算すると56年の長期に亘った。 日本の政界で、中曽根康弘氏は古参の政治家、日中関係30年に亘る変化と発展について、彼は数少ない証人の一人である。 中曽根康弘氏は、初代指導者と接触があったばかりでなく、二代目の指導者達とも深く知り合っている。

Photo_1183 白岩松:周恩来総理と田中角栄首相そしてあなたは、共に日中新時代を開きました。 鄧小平さんと日本の政治家は、この動きを更に大きく加速させました。 あなたと鄧小平さんとの交流の中で記憶に残っていることはどんなことですか?

Photo_1184 中曽根康弘:私は鄧小平さんに何度かお会いしました。 ある時、私があなたの人生の中で一番苦しかったことは何ですか? と訊いたことがあります。 鄧小平さんは、文化大革命の時、牛小屋に坐らせられたことが苦しかったと言われました。 しかし同時に、こんなバカげたことがいつまでも続くはずがないと思ったそうです。 それで歯を食いしばってガンバリ、辛抱し、そして最後に文化大革命を打ち破ったということです。

それから私は、人生の中で一番うれしかったことは何ですかと訊きました。 鄧さんは、蒋介石の国民党との戦争で彼等を破り、共産党が長江(揚子江)を渡った時、心の中に自信がわいてきて、戦争に勝てると思った時が、一番うれしかったそうです。

白岩松:鄧小平さんがもっとうれしかったのは多分、彼の指導の下、中国が一歩一歩改革を始め、昔と一変した姿になったことでしょう。 その当時、何度か鄧小平さんとお会いになられたと思いますが、中国は、彼の指導の下、変化が始まったとお気付きでしたか?

中曽根康弘:鄧小平さんは当時、彼自身の中国の建設プロジェクトを見せてくれました。 彼がとても強く指導していたことは、一つは生産力を高めること、もう一つは共産党を堕落させてはいけない。 有能で仕事が出来る共産党にしなくてはいけないということでした。

白岩松:改革がまだ始まったばかりの頃、鄧小平さんは日本を訪問しました。 そして日本の発展にとても強い印象を受けました。 

あなたが何度か鄧小平さんと会われた時、話されたことの多くは経済関係でしょう。 その時、日中の経済方面での更なる協力の話は出ませんでしたか?

中曽根康弘:その時、私達の話題の中心は経済交流でしたが、鄧小平さんからは、彼の改革開放の話を沢山、話されていました。

中曽根康弘氏は、1982年から日本の首相を前後5年間務めた。 1984年、彼の訪中の時、我国と協議がまとまり共同で、“日中友好21世紀委員会”を設立した。 その年、時の胡耀邦中国共産党中央委員会総書記は、日本の青年3000名を中国に招待した。 当時の中国指導者の遠見卓識に、中曽根康弘氏は今も敬意を抱いている。

Photo_1185 中曽根康弘:私は彼(胡耀邦総書記)をとても尊敬しています。 私達の友情は深いものでした。 当時、彼は日本の青年3000人を招待してくれました。 これはとても大変なことです。 その後、我々も多くの中国青年を招待しました。 でも私達は、3000人規模は出来ませんでした。

白岩松:あなたは当時、首相として、どのような気持で日中関係を推進しようとしたのですか?

中曽根康弘:こういうことです。 私と胡耀邦総書記の間では、四つの原則を決めました。 この原則の最後の一項目には長期安定がありました。 その前は、相互信頼、平等互恵、平和友好でした。

白岩松:当時、このようなことを進めようという気持になられたのはどうしてですか? 日中関係をこうしなければいけない、もっと良くしなくてはいけないと思ったからですか?

中曽根康弘:日本は昔、中国に多くの苦難と苦しみを与えたことがありました。 今、中国は急速に発展しています。 このような時、日本は協力すべきです。 これが第一点です。 もう一点私が考えたのは、もし日本と中国が仲良く友好できれば、世界で自分の発言力を強めることが出来る。 これは私の世界戦略の角度から考えたことであり、日中両国の友好を進めることが必要でした。

中曽根康弘氏が首相就任の前半2年間は、日中関係は両国政府の後押しもあって平穏、何事もなく発展していた。 しかし、中曽根政権の三年目、両国関係は彼の誤った行動により波瀾が起きる。

Photo_1187  白岩松:みんな知ってることですが、あなたは1985年に、靖国神社を参拝されました。 当時なんで行かれたのですか?

中曽根康弘:私自身、戦争に行きました。 戦争体Photo_1188 験があります。 それに私の弟は戦争で亡くなりました。 ついでに言いますと、戦争の頃、靖国神社は国(注:陸・海軍両省と内務省)が管轄していました。 戦後は宗教法人に変わりました。 ここには戦争で犠牲になられた方々が沢山います。私達はその御霊を英霊と呼んでいます。 1985年まで日本政府、国家としてこの霊魂を慰め、彼等に感謝し、安心させるといったことをやってきませんでした。 私が当時、総理大臣になって思ったことは、総理大臣の肩書きで公式参拝し、この戦争犠牲者の人達の霊を慰めようということでした。 それで私は行ったのです。 しかし行った後、周辺各国の批判にあい、摩擦を引き起こしました。 その時私は思いました。もう総理大臣として参拝したのだから、十分職責を果たした。 以後、二度と参拝していません。

靖国神社は、東京の九段に10数万㎡の敷地を有している。 靖国神社の中程(神門近く)の両脇に高さ約10mの大燈籠が建っている。 燈籠には、16枚の浮き彫りが施されており、そこにあるのはみな中国侵略戦争を称揚する内容が描かれており、1895年の台湾占拠から、1931年の“九一八”事変(満州事変)での東北(満州)占領、上海進攻などの侵略行為が“追慕”的“光栄ある足跡”として、そこに飾られている。

神社の本殿には明治維新以来の246万人の軍人が祀られており、その中には日本の侵略戦争中亡くなった軍人も含まれている。 1978年10月、東条英機などA級戦犯と2千名余のBC級戦犯の位牌もこの神社に移され祀られている。 

靖国神社は、ずっと右翼勢力が軍国主義を吹聴する大本営となっていた。 毎年“8・15”の日本の敗戦日になると、右翼勢力は参拝活動を通じて、侵略戦争を美化し、軍国主義を宣伝している。 正にこのようなことから、中曽根康弘氏の靖国神社参拝は、中国、韓国など戦争被災国の強烈な反発を招き、このような情況の下、中曽根康弘氏は即座に自分の路線を修正した。

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