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《岩松 日本を見る》:中曽根康弘 独占インタビューPhoto_1176

20070402 19:29  [岩松看日本]专访中曾根康弘

www.cctv.com  来源:CCTV.com

Photo_1177 中曽根康弘元首相は今年89歳、29歳で国会議員に当選し、2003年政界を引退するまで、まるまる56年間“政界のドン”と称された。

半世紀余にも及ぶ政治生活の中で、中国との国交関係や国交回復後など、どうやって中国に対処するかが政治家中曽根康弘の重要な外交課題であった。 しかし、このように日中友好に尽力した老政治家は、首相在任中の1985年、靖国神社を参拝した。 しかしこの後、彼は何度も時の小泉純一郎前首相に、首相として参拝しないよう説得した。これは一体なぜなのか? なぜそうしたのか? 今日私達は、岩松と共に、歴史の証人である日本の元首相―中曽根康弘氏を取材する。

Photo_1178 白岩松:去年、安倍首相が中国を訪問しました。 間もなく、温家宝総理が日本を訪問します。 みんなホッとしたんじゃないかと思います。 あなたからご覧になって、これから先の日中関係はどうなるでしょう?

中曽根康弘:日中両国の友好協力関係は、Aseanにしろ、日中韓の北東アジアにしろ、全アジアにとっても、アジア全体の安全・発展の基本です。 ですからその上に韓国を含めた日中韓三国の友好協力関係ができれば、とても理想的だと思います。

白岩松:日中両国が将来お付き合いする中で、大きな障碍があるでしょうか? たとえば、失われた5年間のようなことがまた起きますか?

中曽根康弘:歴史は発展していくものです。 現在、政権を担っている総理大臣も、これから現れる政治家達も、日本と中国、また日本と韓国の関係が重要なことは認識しています。 もし日本と中国、また日本と韓国のような友好関係がなければ、たぶん日本の将来はないでしょう。

Photo_1179 中曽根康弘、今年89歳、東京帝国大学法学部卒。 1947年、国会議員に当選、時に29歳。 その後、閣僚として運輸、防衛などの要職を歴任した。 1982年から87年にかけて首相となり、現在は世界平和研究所会長を務めている。

1970年代、内閣の重要閣僚として中曽根康弘氏は、日中国交回復を主張した。 

1972年9月、首相となってわずか2ヶ月の田中角栄首相が中国を訪問、9月29日、日中双方は人民大会堂で日中共同声明に調印し、両国政府は即日外交関係の樹立を宣言した。 田中角栄が首相に就任する前、中曽根康弘と同僚達も田中支持を表明した。 しかし、田中角栄を支持する交換条件の一つに、彼は中国との外交関係を回復するよう求めた。

Bai 白岩松:こういう角度から考えても、あなたの先見の明には敬服します。 今年は丁度、日中国交回復35周年の記念の年でもあります。 1972年の日中の国交回復を思い出しますが、聞くところによりますと、当時、あなたは田中角栄首相に、中国と国交回復するなら、あなたを支持するとおっしゃったそうですが、なぜあの時、中国と国交回復しなければいけないと思ったのですか? 理由はなんですか?

中曽根康弘:当時はまだ冷戦時代で、日本は当時のソ連とは対立の立場にありました。 しかし、中国との関係を見た時、日本は中国に多大の災難をもたらしました。 このような歴史に対し、国としてこの問題を反省しなければいけない。 それで当時私が考えたのは、日本政府がこの反省の基礎の上に立ち、中国と友好関係を回復し、正常な友好関係を樹立することが、政治家としての責任だと思ったわけです。

戦後の日本、経済は急速に回復し発展した。 ただ日本は台湾問題でアメリかに追随し、台湾の国民党政府を承認し、中国の内政に干渉し、両国の国交はずっと正常化できないでいた。 当時、日中両国の交流は民間と半官半民の水準にあった。

1971年、中国が国連の合法的地位を回復すると共に、中国とアメリカはピンポン外交を展開し、1972年2月、アメリカのニクソン大統領が訪中し、中米関係改善の動きが正式にスタートした。 この情況は日本全国を揺るがした。 日本の国内から、日中関係改善の声が沸き上がった。 中曽根康弘氏もその中の一人だった。

白岩松:ピンポン外交により、中国とアメリカの関係に変化が起こりましたが、本当に中米が国交回復したのは1979年でした。 しかし、1972年に日中両国は国交正常化を実現しました。 この裏側で、あなたや田中角栄首相、それから日本の政界はどう考えていたのでしょう? なんでこんなに早く日中国交が実現したんでしょう?

中曽根康弘:日本と中国の関係と日本とアメリカの関係は違います。 どこがというなら、日本と中国はとても近い隣国であるということです。

当時、民間交流も次第に増加していました。 ですから政治の力を使い、政治家、政府を通じて、日本と中国の関係正常化を回復することは、当時の政治家の責任だと思っていました。

白岩松:あなたご自身、当時なんであのように熱心に、陣頭に立たれたんですか? 田中角栄首相に、中国と国交回復すべきだ。 もしそうするなら支持するとおっしゃったそうですが、あなたご自身、日中は絶対国交回復すべきだと、なんでそう思ったんですか?

中曽根康弘:当時、世界情勢は変化していました。 中国が国連に加盟し、しかも常任理事国になりました。 中国は、もうそういう国になったのです。 それに、日本は中国に戦争で迷惑をかけた歴史があります。

ですから、私は隣国日本として、この過去の歴史を清算し、新しい時代を開くべきだと思いました。 私は当時、これは政治家としてやるべき責任だという強い気持を持ちを持っておりました。

扇子を図案とした美しい美術品は「黒漆描金扇紋盒」というもので、1973年1月、中曽根康弘氏が周恩来総理に贈った贈り物である。 この年、田中内閣の通産大臣として中曽根康弘氏は訪中し、周恩来総理と三回会見した。 会談は通算すると7時間あまりにもなった。 この会談の中での周恩来総理の才能、風格とその識見に、中曽根康弘氏は深い感銘を受けた。

白岩松:今日、あなたの事務所に入った時、とても珍しい写真を拝見しました。 周恩来総理とのツー・ショット写真です。 もうだいぶ前のことだと思いますが、あなたの印象に残っている何か素晴らしいお話ございますか? 記憶に残っていることはどんなことでしょう?

Photo_1180 中曽根康弘:私にとって印象に残っている人は周恩来総理と鄧小平さんのお二人です。 国交正常化のとき、私達は周恩来総理の非常に寛大な気持で、日中国交正常化が促進された思いを持っております。 ですから、私達は周恩来総理の包容力といったものに感動を受けました。 周恩来総理の人間的魅力によって、日中国交正常化が実現したといっても過言ではありません。

白岩松:その時、周恩来総理があなたに会った後、あなたが将来の首相になると断言したと聞いたことがあります。 これは本当ですか?

中曽根康弘:ええ本当です。 私が周恩来総理夫人にお会いした時、夫人が私に話してくれました。 周恩来が、あなたに会った晩、家に戻ってきた時、私に、中曽根という人は、将来きっと日本の総理大臣になるだろうと、当時、そう予言していたそうです。

私が1973年、中国を訪問した時、一日のうちに周恩来総理と三回お目にかかり、通算7時間ほど会談したことがありました。 最後に会談した時、終ったのは深夜の一時頃でした。 終って、私達が外に出て車に乗ろうとした時、周恩来総理は外套を掛けてくれました。 とても感動しました。

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