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565中国は見る(303)昭和天皇の元侍従の日記が公開される

支那を見くびりすぎた 支那事変はやりたくなかったと語る

2007-03-10 05:32:13 日本天皇侍从日 裕仁低估中国后悔侵

来源: 中新网(北京) 网友评论 0 论坛

中新ネット3月10日電:第二次大戦当時、昭和天皇に仕えた侍従の日記がこのほど公開された。 香港《文匯報》によると、この侍従は当時、日夜天皇の側に仕えていた。 彼は日記の中で、天皇が日中戦争について、“支那事変はやりたくなかった。 日本は支那を見くびり、そのため戦争が長引き負けてしまった”と書いている。

故小倉庫次氏は、昭和天皇の侍従を務めた後、東京都立大学法経学部長に就任した。 この元侍従が第二次大戦中書き綴った600頁に及ぶ日記が見つかった。 この内容は10日発売の月刊《文芸春秋》4月号に掲載されている。 その中には昭和天皇が1939年(昭和14年)から1945年(昭和20年)終戦までの未公開の天皇の肉声“満州事変(九一八事変)で苦い経験をなめている”などが記されている。

中国の軍事力を見くびったと認める

日本は1931年(昭和6年)、中国に戦争をしかけ、中国東北三省を占領、満州国を建国した。 1937年(昭和12年)には全面的に中国との戦争が始まる。 3年後、1940年、天皇は日中戦争について、“支那が意外に強く、事変の見透しはみなが誤り-------特に専門の陸軍すら観測を誤れり--------早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るのが尤も賢明なるべき”と述べていたが、燃え盛った戦火は、もう収拾不可能になっていた。

中ソの連携を恐れる

1941年、昭和天皇は当時の近衛文麿首相を暗に批判している。 “大東亜戦争が始まる前は心配であった。 近衛のときは、準備も無いまま戦争にもっていきそうだったので心配した。 東条(英機)になって準備ができた” その後一年、天皇は日ソ中立協定調印前にソヴィエトが参戦し、中国を助けることを心配していた。 “支那事変はやりたくなかった。 それはソヴィエトがこわいからである”

真珠湾奇襲後、アメリカが参戦し、中国の同盟国となった。 日本軍は危機的状況になった。 “戦争はやるまでは慎重に考えなければいけない。 一旦始めれば、中々中途で抑えられるものではない-------戦争はどこで止めるかが大事なことだ 戦況が悪化する中、天皇はこうも語っている。 “戦争は始めたら徹底してやらねばならぬ”

1945年(昭和20年)8月、昭和天皇は日本の無条件降伏を宣言した。 アメリカが日本に進駐した。 その後、アメリカとソ連との種々の政治的要素もからみ、天皇の地位は存続された。 昭和天皇は1989年(昭和64年)死去。

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