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《岩松 日本を見る》:栗原小巻独占インタビュー

2007-03-24 05:06:58 :白岩松看日本: 走近日本著名演栗原小卷

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1125857,2.html 

Photo_1075 (白岩松) 東京の狭い路地の奥深く、我々は有名な映画スター栗原小巻を訪ねてやって来た。 彼女は中国の映画ファン、特に35歳以上ならとても馴染みのある人である。 80代初め、《サンダカン八番娼館 望郷》(望郷)と《愛と死》(生死恋)の二本の映画によって栗原小巻は中国ファンを虜にし非常に馴染みのある顔となった。 我々は鉄門を通って彼女の仕事部屋へお邪魔しようと思っていたところ、なんと後ろから車が近付いて来た。 見るとマスクをつけて運転していたのは栗原小巻本人だった。 すぐ話をすることが出来た。

(白岩松) 中国の人々は、あなたが中国へ何回くらい来られたか知りたいと思うのですが?

(栗原小巻) 去年2回行きました。 もう20回くらいになります。

(白岩松) 私が、この部屋に入ったら、中国のいろいろな思い出の品が目に入りました。 あなたはこの部屋に入る度に、あの頃のこと、友達のこと、多くのことを、思い出すことでしょうね。

(栗原小巻) そうです。 我が家にはこのような思い出の品が沢山あります。

(白岩松) あなたが80年代、最初に中国へ行かれた時、行く前のお気持はどのようなものだったのでしょう? まだ扉が開いたばかりの国でしたから、緊張とか、心配だとか、好奇心だとかあったと思うのですが?

(栗原小巻) 私が初めて中国に行ったのは、映画の代表団として参加したものです。 私が行った年には、私の《サンダカン八番娼館 望郷》という映画はもう公開されていました。 ですからその当時の私の気持は、興奮で一杯でした。

Boukyou 1978年の秋、日本映画《サンダカン八番娼館 望郷》が、中国で封切られた。 物語の内容は、 “からゆきさん”と呼ばれる日本人娼婦達の歴史を研究する女性史研究家・三谷圭子が“元からゆきさん”の「おさき婆さん」に出会います。 圭子の心からの触れ合いに心を開いた天涯孤独の「おさき婆さん」が、彼女に自分の半世紀あまりの悲惨な身の上を語り始める。 映画の中で、女性史研究家・三谷圭子に扮したのが栗原小巻だった。 彼女は若くて美しく、その優しいしぐさは観客に強烈な印象を与えた。 そしてその映画は、中国で公開されるやものすごい反響を呼び、栗原小巻の名前は知らぬものがいないほどになった。 1979年、栗原小巻が招待されて中国を訪れた時、映画ファンから熱烈歓迎を受けた。

Photo_1076 (白岩松) 《サンダカン八番娼館 望郷》が、中国で公開された最初の頃、あなたは特別な関心はなかったんじゃないですか? でもなんだか、だんだん情報が伝わって、《サンダカン八番娼館 望郷》が、中国で大評判を呼、続いて《愛と死》も含めて、このあたりの経緯はどうだったんでしょう? この二本の映画が中国で大成功を収めたことは、あなたにどう伝わったのですか?

(栗原小巻) 巴金先生と謝晋監督が《サンダカン八番娼館 望郷》を見られた後、この映画から日本人の良いところがわかるとおっしゃって下さいました。 今もってこの言葉は大変有り難く、私に勇気を与えてくれたものです。 ですから、あの第一回の中国行きは、大変楽しく感じていました。

(白岩松) あなたが中国から日本へ戻られた時、あなたの周りのお友達は、興味津津で、あなたに中国のことを聞こうとしたんじゃありませんか? あなたはどう感じられ、どう話されたのですか?

(栗原小巻) 私達にとって、中国の歴史は大変すばらしいものですし、私がお目にかかった人達もよい人ばかりでした。 私は、中国で印象に残ったことを、みんなにお話しました。

1979年、栗原小巻が主演した《愛と死》が、中国公開後、たちまち全国を席捲、“栗原小巻ブーム”が巻き起こりました。 彼女はその当時の憧れの人No.1になりました。 あれから30年近くが経ちました。 今でもこの映画のセリフを覚えている人がいますし、その当時の映画のポスターを大事にしまっている人もいます。

(白岩松) 《サンダカン八番娼館 望郷》の映画が最初に感動を与えました。 そして《愛と死》では、もっと多くの人に知られるようになり、一躍彼らのアイドルになりました。 ファンも多かったでしょうね。

(栗原小巻) 中国のファンから沢山手紙を頂きました。 もう大変昔のことですが、ここで中国の方にお礼申し上げます。

(白岩松) この二本の映画がきっかけになり、あなたは中国の多くの人達に知られるようになりましたが、あなたのお仕事の中には予定されていなかったことだと思います。 というより予定外の出来事だったと思います。 もうあれからだいぶ年月が経ちました。 あの当時の中国との交流を振り返って、あなたにとってどういう位置付けにあったか、どういう意味があったと思われますか?

(栗原小巻) 私は映画は非常に素晴らしい芸術表現だと思っています。 国境や時間や場所などという境界を跳び越え、感動を共有し、共感を呼ぶことができるとても優れた芸術です。 私が映画を撮り始めたとき、こんなに感動を与えてくれるものだとは思いませんでした。 《サンダカン八番娼館 望郷》という映画に出演できたことは、とても幸せだったと思っています。 

栗原小巻は、1945年東京で生まれた。 6歳の時、バレーを習い始めた。 その時の一番の夢は、バレリーナになることだった。 18歳の時、栗原小巻は東京バレー学校を卒業、同年“俳優座”に入った。 俳優座養成所で演劇を学ぶ。 1970年代に栗原小巻は《愛と死》、《忍ぶ川》、《サンダカン八番娼館 望郷》、《モスクワわが愛》など数多くの話題作品に出演し、70年代の青春映画のスターとなっていた。 しかし映画出演で大きな栄光を獲得している最中、栗原小巻は突然銀幕を離れ舞台に戻り、演劇活動を始める。 彼女の主演した《マクベス》は、アメリカ、イギリス、カナダなどで公演を行ない成功を収めた。

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