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561中国は見る(302)日本人に対する考え方を改めるべきだ(下)

私の身近で起こった出来事-------日本人に対する私の見方

2007-03-02 00:13:33 生在我身的故事——谈谈日本人的认识

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1088133,35.html

最近数年、日本映画を見ることが少なくなった。 アニメがあるが、私達年代が見るものではない。 80年代、日本映画がよく入ってきた。《君よ憤怒の河を渉れ(追捕)》、《サンダカン八番娼館(望郷)》、《黒い雨(黒雨)》、それから《姿三四郎》などは一世を風靡した。 特に《君よ憤怒の河を渉れ(追捕)》の「♪ラーヤーラ」の歌は、誰もが口ずさんだものだ。 それより前、中国では様板戯(革命劇)が天下を取っていた文化貧乏時代だった。 でも中国人は文化では、中国は絶対優位にあり、日本はまるで文化のない国だと思っていた。 しかし改革解放後、日本の映画、書籍がドッと入ってくると、中国人に、やはり日本という国をバカにしてはいけないと感じさせるようになった。 私が感じたことは、私はずっと日本人は、融通の利かない、無愛想な人ばかりで、中国人のようなユーモアや面白さはないと思い、あの頃“高倉健”ブームが起こっていたことも面白くなく、中国の若い女があのクールでいかつい男のどこがいいんだ「バカモン」と思っていた。

ある時、《ドラえもん》やその後《クレヨンしんちゃん》を見ることがあった。 これらアニメを子供達と一緒にアハハと笑ってみた後、ちょっと奇妙な気持になった。 こんな想像力が豊かで楽しく笑わせてくれるものを日本人が作っているのだ。 日本って一体どんな国なんだろう? 日本人は一体どんな人達なんだろう? 私達がこれまでとってきた日本と日本人に対する見方は、あまりに短絡的で一方的なものではなかったかと疑問が起こってきた。 どこか間違っているのではないだろうか?

92年、私の熔接科の二人の学生が日本へ出国した。 二年後、彼等は戻って結婚すると、新婚の妻を連れてまた日本へ戻る準備をしていた。 彼等が私の班の主任に話したところによると、溶接の仕事には将来性がないと思っていたが、日本へ行って間違いだと気がついた。 彼等と一緒に行ったほかの奴等はみな仕事が見つからないと言っているが、彼等二人は、ある造船所の試験を受けたら採用された。 日本の試験官が彼等に鋼板を渡し、溶接のテストをした。 その溶接の継ぎ目を見た後、その試験官は彼等の肩をたたいて採用を決めたというのだ。  給料や待遇も悪くなかった。 彼等が話してくれた日本の情況は、日本の社会にもいろいろな人がおり、決して私達が考えているような、いい加減で融通の利かない人ばかりではない。 日本人はとても礼儀正しく、仕事は真面目で、また寛大さとユーモアも決してないことはない。

彼等が出くわした事件があった。 二人が借りていた部屋の隣にある日若い男達が引っ越してきた。 ちょっと不良っぽい連中だった。 毎日部屋の中で酒を飲み騒ぎ、そのため二人はうるさくて寝られなかった。 やむなくそっと注意したら、逆に酒瓶で殴りかかってくる有様。 その時、大家が回りの住人に声をかけ、大声でそのチンピラどもを叱りつけた。 そしてチンピラ達の持ち物を部屋から放り出し、彼らを追い出した。 その後、二人が本来は大家にお礼を言わなければいけないのに、大家さんが自分の家にお酒や食べ物を用意して、みんなを招待してひたすらお詫びをするのです。 私の学生は、日本の一般の人達は、中国の普通の人々と変わりなく、善良な人ばかりで、映画で見るような“鬼”のイメージなんかありませんと語った。 このような見方で日本人を見ていると、アメリカの一部の人が、今でも中国人は辮髪をしているのではないかと見ているのと同じようで、おかしくなってしまった。

現在、中国から日本へ行く人が多くなった。 日本からも我国へ来る人は多い。 それなのに“鬼”のイメージを彼等の頭にムリヤリ載せようとするのは、明らかにおかしいと思う。

日本の留学生に言語を教えている友人がいる。 ある時、雑談の中で、彼が、日本の留学生の多くと日本の中国侵略問題を話したことがあるが、これら留学生達はこの歴史をあまり理解していない。 彼等が中国へ勉強に来るのには、みなそれなりの意識を持ってやってきているのだが、中国へ来るといつもこの(歴史)問題で悩まされる。 まるで彼等が侵略者であって、その歴史の罪の責任を背負わされているのだ。 そんなのたまらないと彼等は言う。 彼らの方から、“あなた達は、その当時なぜ、その戦争犯罪を追及しなかったんですか?”と問い返される。 日本の留学生のこの言葉に彼は考えさせられたという。 彼は、戦後私達は日本に対して寛容すぎたのではないかと考えた。 もし当時、ちゃんと戦争犯罪を清算し、厳罰に処しておれば、警告と教育の効果があったろうと思ったという。 中国人は「仁慈」(情け)をかけすぎ、簡単に彼等の大部分を自由にしてしまった。 その結果、その中に悔い改めない人が残っていた。 そしてこれらの人々が中国のことを害し、日本を悪くしている。 彼等が過ちを悔いるか否かにかかわらず、彼等が犯した許されざる犯罪は罰しなければならない。 それでこそ後世の人への警告と教育になるのです。 しかし今、あの戦争を何もわからない日本の後代の人に、戦争の罪をムリヤリ負わせれば、彼等だって嫌がります。 特に、海を越えて中国へ来る日本人の大部分は、中国に対して友好の気持を持っています。 私達が彼等を排斥したりするのは、目標が違っているのではないだろうか?

日本の一部メディアは中国侵略戦争について、何度も世論調査を行っている。 侵略戦争だと思う人は27-43%、自衛の戦争だと思う人は5-8%、やむをえない戦争だったと思う人は28-30%、その他はわからない。

我国にいる留学生に対し、“あなたはあの戦争について理解していますか?”という設問で、日本の青年に調査を行ったところ、理解しているは20%、わからないが29%、少しは理解しているは36%、ほかは興味がないと、この問題については話したくない等だった。

日本には一部偏狭な民族主義思想の人がいる。 その人達は民族の憎しみに陥りやすく、また戦争の負けを認めようとしない人もいる。 一方的な民族主義から問題を見ようとする人もいる。 また多くの人は戦争はすべきではなかったし、誤りだったと思っている、しかし始めたからには負けられない、戦って死ぬだけだ、そうすれば民族精神と気骨を示すことになると思っている。 このような考え方をする人は、武士道精神の教育と関係が強い。 これはとても危険である。 前述の統計数字を見ればわかるとおり、戦争に対し、わからないと思う人は日本国民の中に相当な割合を占めている。 若い年代の多くは、先の戦争について知らないものが多い。

この文章は特別な意味はない。 ただ簡単に日本と日本人を槍玉に挙げたり、日本人を敵とするようなことはしないでほしいだけだ。 日本の右翼分子と軍国主義こそが私達の敵である。 反対する目標がはっきりしていればいるほど、集中できるものがあればあるほどいい。 目標がはっきりしないまま、やみくもに日本人の感情を傷つければ、民族間の争いを引き起こすことになる。

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