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560中国は見る(301)日本人に対する考え方を改めるべきだ(上)

私の身近で起こった出来事-------日本人に対する私の見方

2007-03-02 00:13:33 生在我身的故事——谈谈日本人的认识

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/1088133,35.html  

中国人が日本をどれくらい理解しているか、また、日本人が中国をどれくらい理解しているか、私にはわからない。 でも推測だが、日本は歴史的に沢山の中国文化を吸収したことがわかるし、一方、中国は近現代において、日本から多くの先進的思想、技術を学び、導入している。 両国の経済交流について言えば、日本は重要な役割を果たしていることは間違いない。

常識的に言えば、日中両国人民は相当理解し合っていると言うべきだが、実際はどうかと言うと、まったくそうはなっていない。 日中関係のネットを見ると、日本人と接触した人がどれくらいいるんだろう? ネットの人達はどんなルートで日本を理解しているのだろう? と思ってしまう。 私が敢えてこう断言するのは、ほとんどの人は実際生活の中で日本人に接触したことがなく、メディアの報道、映画、本などから日本を理解しているに違いないと思うからだ。 私個人の経験から言うと、1986年以前の私の日本人に対する理解はまったくお粗末なものでした。 小さい時から《地雷戦》、《地道戦》、《平原遊撃隊》といった映画を見て育ったのです。 日本人は、私の頭の中ではどんなものだったと思います?

やっぱり松本のように平然と人を殺す悪魔だと思っていました。 日本を憎く思わないかですって? 日本人だって人間です。 もう忘れました。

日中国交回復の時、中国は日本人から白黒のテレビを貰いました。 日本人に対する印象がちょっと変りました。 “いやー、見ろよ、日本人、すげーや!” 日本の首相が様板戯(革命模範劇)に招待され見に行きました。 舞台の中では、“日本鬼子”が出てきます。 総理はきまり悪そうにしていましたが、日本の首相は笑ってやりすごし、当時の美談として伝えられました。 日本人は全部が全部田中角栄のような人間ではありません。 私が小学、中学へ通っていた頃は、映画の松本に似ていたり、チビでデブだったり、がに股だったりしたら“日本”“小日本”とからかわれました。 “日本”は当時“間抜け”の代名詞だった。

私は76年に田舎の生産隊に入隊した時、コネを使って裏取引をしたことがありました---------物資局で機械油を調達したのです。 物資局のお偉方の一人が父親の戦友でした。 最初に行った時、倉庫番を“日本”と呼んでいる人がいたのです。 私は初め“あだ名”だろうと思ったのですが、その人はまったく松本には似ていません。 黒く痩せていましたが端正な顔をしていました。 その時は、奇妙に思っただけで気にも留めませんでした。 物資局の人も私と幹部との関係を知るようになり、あれこれ面倒をみてくれるようになり、そのうちその“日本”とも仲良くなりました。 この“日本”と呼ばれた人は、本当の日本人で、第二次大戦が終わった後も帰国せず、自分から残留を希望したそうです。 最初の頃は部隊の兵器工場で修理作業をしていたそうですが、解放後、物資局に異動したとのこと。 彼は中国人の奥さんと同じ職場で働いており、子供もいるそうです。 物資局の仕事は暇で、毎日庭をぶらついたり、マージャンをしている。 彼は奥さんに頭が上がらず、人柄はとてもよく、彼を“日本”と呼んでも怒りません。 奥さんでさえしょっちゅう“日本、日本”と呼んでいます。 彼は自分の姓を李に変えました。 あまり上手ではないけれど中国語を話します。 うっかりすると南方出身の人かと思ってしまいます。 彼を知ってからわかったことは、実際の日本人は映画のようなことができる人ではないということです。 私は以前、父親から聞いたことがあります。 父が華北の某軍事学校にいた時、何人かの日本軍事教官と知り合いました。 それぞれ柔道や銃剣ができ、父親の柔道はその日本人から学んだということです。 

日本への恨みは、映画や宣伝教育からのものです。 かっての歴史ともう一つの原因は、私達の自尊心です。 日本のような小さな国に、私達のこの大きな国がいじめられたのです。 身の程を知らない日本人め、いまいましいです。 また同時に、私達の先輩達にも不満を持ちました。日本をやっつけられないなんてだらしない。 82年に大学へ入った時、この気持は強烈でした。 胸の中は火の玉が燃え盛っており、いつでも噴出しそうでした。 85年と87年の頃、“一二九”(1935年12月9日に起きた北京の学生を中心とした抗日救国運動)が来るたびに、貧乏学生達は、ちょっとでも動きがあればすぐ飛び出し、群れを成して“日貨排斥”“日本打倒”と声を上げたものです。 その時は、ただ何もわからなかったのです。 なんでかそうやってるうち政府の方に飛び火したんです。 この不満は実際は社会の不満と通じるものでした。 その頃は、どの学校も学生に対して警備を厳しくしていました。 また阻止したり説得したりすることが逆に爆発の導火線になったりしました。 もし当時、止める人がいなかったら、学生達は声を上げるだけで満足したでしょう。 でも管理が厳しければ厳しいほど反発するもので、ついには目標を政府に向けてしまい、結果は弾圧に遭い終了しました。

今から思うと、あの頃、日貨排斥なんて言ってましたが、まったくいい加減なものでした。 理論的に言ったって、我々貧乏学生や当時の人々にとって、日本製品なんかあるもんですか。 貧乏で買えるわけないんです。 家で一番貴重なものはテレビですが、せいぜいその中のブラウン管が日本製品だったかもしれないくらいだ。 私の家なんか、まともな日本製品なんて何もありませんでした。 日本製品がないのに、なんで日本製品反対でしょう? その結果、反対は必然的に政府に向かったのです。 今は時も情況も変りました。 自分の過去のその時の歴史を考えると、まったく恥ずかしい限りです。

87年、私は二人の日本人留学生と知り合いました。 この二人の留学生は20歳くらいの女の子でした。 当時の学校は留学生の待遇はとてもよく、留学生専用宿舎と食堂がありました。 この二人の女の子は、よく入口の売店で物を買っていました。 実際は、別に買い物というわけではなく、店のおじさんと中国語の練習がしたかったのです。 私もこの店の常連で、二人と知り合うようになりました。 その内の一人は山田といい、小柄で可愛い子でした。 中国語も理解できてました。 もう一人は、話はダメでした。 私が何で中国語を勉強するのと訊いたら、彼女達はただ好きだから、何も特別な理由はありませんと答えた。 下手くそな子が、つっかえつっかえ話してくれたところによると、高校を卒業したけれど、大学に落ちてしまい、まだ結婚なんてしたくないし、偶然このチャンスを見つけて勉強に来たという。 私が“なんで日本女性は、結婚したら仕事を辞めるの?”と訊くと、彼女達は、“自分達もわからない。 ただ、そういう風になってるんです。 仕事も大変だし”

彼女等の話し振りはとても穏やかで誠実であり、中国人のように口を開くと建前ばかり言うのとは違っていた。 山田さんはいつも話す時は、ニコニコしていて、とても可愛らしかった。 特に二本の八重歯が印象的だった。 なぜだかわからないが、私は日本女性と中国女性はまったく違っているように思える。 彼女等の顔からも見てわかる。 とても純粋で、彼女達の心そのままを現しているようだ。 一方、中国女性の顔を見ると、多くの顔が見えてくる。 これはもしかすると中国女性は知らず知らずいろんなものを受け継いでいるからか、あるいは中国の男性から甘やかされたのか、まあどっちでもいい。

私の友達が外国人対応窓口部門におり、彼が直接外国留学生や外国人教師の面倒を見ている。 彼が言うには、日本人は一番管理しやすいという。何でもきちんと片付け、礼儀正しい。 山田さんについていうと、彼女は部屋に大きな魔法瓶があるのを見つけ、中国の水は飲んではダメだと理解したという。 彼女は授業に出る際、水筒に一杯お湯を入れ、教室に入ると、まず黒板をきれいに拭き、それから先生にお湯を差し入れてくれる。 こういった小さい事がいろいろあり、先生達はいつも感動させられていた。 食堂のおじさん達もこの日本人が大好きで、彼女達の要望には何でも応じている。 まるでその日本の姑娘の専属料理人のようだった。

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