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532中国の三面記事を読む(136) 「硫黄島からの手紙」を見て(1)

勝者か敗者かで英雄を評価するものではない

2007-01-29 22:17:40 :不以成败论英雄-《硫磺来信》

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イーストウッドと渡辺謙

3_006_2 歴史は勝者が書くものだ。 時には敗者の目から逆に見ようとするものもいる。 そうするとすべての歴史は本末転倒となり、是非善悪があべこべになってしまう。 《硫黄島からの手紙》(以下「手紙」とする)は、その数少ない逆行(反面)の映画だ。 この映画は、日本人の角度から「硫黄島の激戦」を再現したもので、その戦闘場面には震撼させられ、その反戦のテーマには深く考えさせられた。

第二次大戦勝利60周年記念の前から、イーストウッドは太平洋戦争の題材に目をつけていた。 そして今彼は、硫黄島の激戦を二部作として、日米の参戦兵士達のそれぞれの視点と言葉で、この戦争を描いた。 第一作の「父親たちの星条旗」(《父的旗》“FlagsofOurFathers”(以下「星条旗」とする)は、当時のアメリカ海軍海兵隊兵士が、アメリカの国旗を硫黄島に掲げるシーンを再現したもので、この映画は200610月公開された。 「手紙」は、日本人が出演する徹底抗戦の映画である。 日本の俳優・渡辺謙(ラスト サムライ《最后的武士》SAYURI妓回忆录》の主役)が、硫黄島守備の最高司令官栗林中道中将に扮し、二宮和也が西郷兵士役、伊原剛志がバロン西竹一中佐役、中村獅童が伊藤中尉役に扮した。 映画は全編日本語で英語の字幕が付く。 20061220日、先に一部の都市で先行上映した後、2007112日から全国公開された。 

4_001 1945年初め、硫黄島は戦争に突入した。 東京から約1250キロ離れた硫黄島は1887年日本領土に編入され、東京の管轄下にあった。 このニューヨークの三分の一といった小さな火山島(面積は20.1km2)は、戦略上重要な場所だった。 1944年夏、サイパンを陥落し、そこからB―29大型爆撃機を東京へ向かわせ爆撃した。 しかしサイパンから東京まで非常に長い航路で、B―29と護衛の戦闘機P-51は、途中給油が出来なかった。 1944年末までに、燃料切れや機械の故障などで、米軍はB―29、77機と750名もの損失を出した。 

硫黄島は、サイパンと東京のちょうど間に位置しており、この島を占領すれば、米軍は島に二つある飛行場を利用して、乗り換え、修理、給油基地とすることができるばかりか、ここを踏み台として直接効果的な日本本土爆撃が出来ることになる。 

日本人の目から見ると、東京を戦場にしないことが最上の策である。 米軍が東京に迫るのを阻止するため、日本軍は、1944年夏、多くの兵隊を硫黄島に送り守備に当たらせた。 1945年2月16日から3月26日の間、硫黄島は両者奪い合いの重要拠点となり、命がけの戦いがここで展開された。

生きるか死ぬかの命がけの戦いは、日米の力の差が歴然としている中で行われた。 まず先に日本のことを言うと、日本兵はすでに地下の修築工事で体力を消耗していた。 硫黄の臭いが漂う島で、栗林は部隊を指揮し、飲料水や食物が欠乏している中、地下要塞を掘らせていた。 戦闘が始まる前、栗林は妻に宛てた手紙の中で、生活必需品が欠乏し、みんな苦労している。 私はインドのガンジーのようにガリガリに痩せてしまっていると書いている。 

それから、日本兵の平均身長は、約1.6m、平均体重は60キロ、装備は99式歩兵銃と虫下しに浄水剤。 これと比べるとアメリカ兵は平均身長1.8m、平均体重約73キロ、装備はM1Garand 歩兵銃。 このほか日本の軍需産業は、太平洋戦争末期にはもう気息奄々の状態だった。 疑う余地もないほど兵力、国力、火力、体力、いずれにおいても米軍が優勢だった。 だから米軍は当初、5日で硫黄島を落とせると思っていた。 しかし結果は、硫黄島の戦いは実に36日間続いた。 米軍の海兵隊兵士6821名が戦死した。 優勢な米国兵は上陸時、平坦な海岸線を、何の援護もなく敵の砲火にさらされ、戦友の死体に隠れたりした。

劣勢な日本兵は、地理的優勢にあったが弾薬、食糧、薬、水が足りなかった。 戦争終了時、日本軍守備隊約21000名の将兵のうち、約2万名が戦死。 捕虜になったもの陸戦隊兵士216名、陸軍歩兵867名計1083名だった。

徹底抗戦した日本軍は何を考えていたのか? 戦争は後の人に何を残したか? 「星条旗」と同じように、「手紙」も、後の人が偶然、戦争で残されたままになっていた手紙を見つけたことが発端になっている。 過去に遡る方式で、日本軍の硫黄島での出来事が語られていく。 特にその中に二人の主要な人物がいる-----栗林中道中将と西郷兵士。 実際の栗林は53歳。 際立って優れた人だった。 戦いでは勇敢で、兵士の先頭に立ち、みんなから一目置かれていた。 この迫力ある人物を演ずるため、渡辺謙は、大量の資料を集めたり、故郷を訪れたりして、栗林の内心を詳しく研究したという。 その演技はもちろん予想通り文句なしの出来だ。 

Photo_924 栗林は1928年、アメリカに派遣されアメリカ軍の学校や基地を訪れ、アメリカの友人と知り合った。 帰国の際には、アメリカ人が送別の宴を開いてくれた。 その席で、彼はアメリカと日本は戦争してはいけない国だと本心を語っていた。 しかし開戦するや、彼は躊躇することなく戦地に赴いた。 山本五十六と同様、栗林もアメリカの強大さを知っていた。 具体的な作戦計画を決める際、栗林はどういう風にアメリカに対したらいいか知っていた。 彼の地下要塞工事のやり方は、従来の水際の砂浜を掘って、敵の上陸を阻止する常識とは違うものだった。 このことは古参将校達から猛烈な反対にあった。 彼は硫黄島は守りきれないことをわかっていた。 家族の手紙の中にも米軍が2ヶ月以内に攻撃するだろうと書いていた。 しかし彼の意識の中には、この二ヶ月は米軍に重い代価を支払わせる二ヶ月だと考えていた。 彼はアメリカ人に対して、戦争とは正真正銘に血が流れ、死体が散乱し、恐ろしいものだと伝えようと思った。 栗林が硫黄島へ着任した時、下級士官が二人の兵士に対し体罰を加えているのを見てただちに止めさせた。 彼は理不尽な体罰は士気を落とすと考えていた。 彼は兵士に自分の命を大事にし「死んではいけない」と命令を出した。 栗林の考えでは、一人でも生き残って戦いを続ける兵士の方が、むざむざ命を犠牲にする兵士より価値があると思っていた。 しかし戦闘の展開につれ、彼の武士道精神は益々はっきりしてきた。 栗林は部下達に生きて帰れると思うな、みんな死ぬ前に10人の敵を殺せと命じた。 最後の時、彼は突撃決行の命令を下し先頭に立った。 弾にあたり砂地に横たわった栗林は、昔、アメリカ人が贈ってくれたピストルで命を絶った。

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