494中国は見る(261) 《武士の一分》
《武士的一分》(Love and Honor)2006-11-27 15:04:03
http://travel.163.com 来源:网易娱乐作者
監督/脚本:山田洋次/山田洋次、平松恵美子、山本一郎
主演:木村拓哉(三村新之丞役)、檀れい(三村加世役)、桃井かおり(波多野以寧役)、笹野高史(徳平役)、坂東三津五郎(島田藤弥役)
上演時間:161分
ドラマの内容:
裏切りを許せない心 それに苦しむ愛
三村新之丞(木村拓哉)の剣の腕はずば抜けており、道場でもトップだった。 しかし現在は禄高30石の下級武士で仕事は藩主のお毒見役。 藩主の食事に毒が入っていないか確かめる役だ。 現在の役職に満足している訳ではないが、美しい妻三村加世(檀れい)と父代わりのような徳平(笹野高史)と平和で幸せな生活を送っている。
ある日、新之丞がいつものように藩主の食事を毒見しているうち、突然激痛を感じ、そのまま意識を失ってしまう。 家へかつぎ戻された新之丞は、ずっと高熱が下がらない。 加世の懸命の介抱によりやっと一命は取り留める。 藩主の食事係の責任者は、このことで切腹した。 新之丞は剣術で鍛えた身体のおかげで、なんとか生命だけは助かったものの、引き換えに光を奪われてしまった。 そのため彼は、自ら生命を絶とうとするが、加世の懸命の説得で死ぬのを思いとどまる。 それから間もなく加世は、新之丞の身内で叔母の波多野以寧(桃井かおり)から、藩の中でも 顔の利く番頭島田藤弥(坂東三津五郎)に、家禄の半分でも据え置かれるよう口添えを頼みに行くよう命ぜられる。 しばらくして藩の中に、新之丞に対する称賛の声が出るようになり、 彼の暮らしも安堵される ようになった。 その頃から加世が不審な行動をとるようになり、新之丞は徳平に命じ加世が島田と茶屋で会っていることを掴む。 加世が島田に口添えのため身を任せたことを知った新之丞は、「俺の知っている加世は死んだ」。 武士として妻が金と名誉のため、夫 を裏切ったことが許せなかったし、自分の心を偽ることも出来なかった。 加世は家を出て行った。 新之丞は再びまた剣を取り、武士の尊厳を守ることを心に誓う。 彼と島田の武士の面目をかけた戦いが始まる---------。
宣伝の一分
12月の日本の映画市場は百花斉放で大作のオンパレード。 12月中に時代劇が2本上映される。 先に登場するのが木村拓哉主演の《武士の一分》(日本語で「一分」とは尊厳、面目の意味である)。
日本の芸能界のアイドルが時代劇映画に出ることは珍しいことではない。 中国のアイドルにしたって時代物に出ることは普通のことだ。 でも今回木村が初めて時代劇に出演することで、そのメーキャップ姿や演技にみんなの関心が集まった。 映画の宣伝は秘密にされ、今まで公開されたスチール写真にしろ、ネット上にしろ、木村の完全な役柄の写真は出なかったし、ポスターさえ木村が刀を握っている後姿だけだった。
しかしこの映画の試写会から見ても、この映画がなかなかのものだということが分かる。 試写会は10月、帝国ホテルで行われた。 会場は日本の伝統的な紅葉で飾られ、女優陣はみなきれいな着物を着て登場した。 木村が赤い紅葉のジュータンの上を歩く時、会場のファンから一斉に歓声が上がった。 最後に主催者側が祝杯の音頭を取る時、会場に真っ赤な紅葉がヒラヒラと舞い散り、会場の外国人記者達は日本の伝統美に酔いしれた。 試写会はとても豪華だった。 この映画は無骨な武士をテーマにした映画であるけれど、宣伝にはだいぶお金をかけたようだ。 まもなく上映される時代劇《大奥》と張り合わなければならない。
監督の一分
《武士の一分》は、《たそがれ清兵衛》、《隠し剣 鬼の爪》に継いで、山田洋次監督が有名作家藤沢周平の作品を映画化したもので“時代小説三部作”の完結篇である。 前二作品は国際映画祭でも好評を博したので《武士の一分》に対しても、日本では非常に期待をもたれた。 そのため最初、この映画で木村が大役をやるというのでメディアからは疑問の声が上がっていた。 しかし山田洋次監督は、自分の目に自信を持っていた。 彼は10年前、あるパーティーで初めて木村を見た時、若侍の扮装で撮って見たいと思った。 それから山田洋次監督の頭の中には、ずっと木村が着物を着て刀を持った武士のイメージがあったという。 もちろん“武士の格好”だけではダメで、侍映画では決闘場面がなくてはならない。 木村は小さい頃、剣道を習ったことがある。 そればかりか、これまでずっと剣道精神を自分の人生哲学としてきた。 だから決闘シーンはやりやすかったという。
山田監督は、木村の目には魅力があるとベタほめだ。 彼の目には昔の高倉健の雰囲気があるという。 決闘シーンの撮影では動きも申し分なく、武士の味わいが出ており、剣道をやってなければ絶対に出せないものだと語った。
木村の一分
監督が自分を高倉健になぞらえているのを知り、木村は大いに恐縮していた。 最初、彼は脚本を見た時、《武士の一分》という言葉がどういう意味か分からなかったという。 彼が小さい時、両親に散歩だとだまされて、分からないまま、剣道の道場に連れて行かれ、剣道を習い始めた。 撮影に入ってから、次第に武士の尊厳というものが、知らず知らずのうちに分かるようになった。 監督の期待に応えるため木村は撮影の間、失明した武士の感覚を理解しようと、出番でない時も、できる限り現場で撮影を見守っていた。
木村は映画が完成した後、この作品はこれまで出演したテレビドラマより多くのものを学ぶことが出来たし、男として、また別の自分を見つけた気がする。
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