476中国は見る(246) 日本文化紹介⑫ 日本の花街:京都芸者遊び初体験 (上)
日本花街风情:京都艺妓初体验 2006-11-14 10:51:54
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映画「SAYURI」(艺妓回忆录:Memoirs of Geisha)の美しい着物シーンは、オスカー審査員の目を釘付けにした。 ところで京都の芸者の、あのきれいで優雅な身のこなしの裏には、どんな物語があるの
だろう?
芸者は京都観光の名物の一つになっている。 一日芸者姿になって、京都中を歩いてみたいと思いませんか? 京都に来たら是非やってみることです。
舞妓、芸者の世界は非常に厳しく、また独特な規則と伝統に縛られています。 いわゆる芸者とは、歌舞や三味線で宴席に興を添えることを業とする女性のことを言います。
舞妓は年若い芸者見習中の少女のことで、舞妓の見習い期間が終わり、“襟換え”(赤い襟から白い襟に換えること)の儀式を済ませたら正式の芸者となります。 芸者は字の意味の通り“芸”をもって身を立てている女性のことです。 舞踊、歌などの基本芸のほか、成功する芸者に欠くことが出来ないものは、接客の際の話題の豊富さ、教養などです。 幾多の客あしらいの経験を積んでこそ、女性としての魅力が花開くのです。
古式ゆかしい花街の風情
京都祇園一帯の花街は、夕暮れ近く灯がともる頃が美しく、にぎやかな時刻である。 白川や花見小路の両側の家々が、次々と客を迎える灯りをともすようになり、のれんの下から客達の談笑の声が聞こえてくる。
きれいに着飾った芸者が、若い舞妓を連れて祇園の街を行き交い、こっちの席あっちの席と急いで行くさまは、まるで夜の闇を鮮やかに飛び交う蝶々のようだ。
芸者、舞妓の起源は300年も前の江戸時代に遡る。 当時、京都八坂神社一帯は多くの参拝客が休憩する茶店(水茶屋)があった。 茶店でお茶を入れたりする女性達の中に、歌舞を演じて客に見せるものがおり、それが次第に芸者、舞妓の前身となった。 当時の社会では、芸者のほとんどは家の貧しい女の子や芸者の娘達で、大体15歳くらいになると、芸者を抱えている“置屋”といわれるところに入れられて、芸者のお
姐さん達と一緒に生活し、お姐さん達の優雅な身のこなし、化粧の仕方などを、見よう見まねで学び、その傍ら芸者養成学校へ行って、舞踊、礼儀、三味線、着物の着方、茶道などを修業した。 一年後には舞妓として出るようになり、芸者のお姐さん達と一緒に茶屋(宴席で芸者が踊ったりする場所)で踊るようになる。 舞妓の修行生活は約5年ほどで、“襟換え”の儀式が済むと、舞妓の赤い襟から芸者の白襟に換り正式に芸者となる。
芸者の生活 昔と今
江戸時代の芸者や舞妓の中には売春をしたり妾になるものもいた。 値段は普通の娼妓より高かった。 しかし京都の芸者達は、芸は売っても身は売らないのが自慢だった。 彼女達は身につけた教養や歌と臨機応変なおしゃべりで男達の下ネタをやり過ごし、男達の女房達の無教養とはまるで違うところを示し、男達のプライドを満足させ、また文化人や上流人の目を惹き付けた。 彼女たちのこうした素晴らしい振る舞いが、京都花街で遊ぶことは風雅なことともてはやされ、第二次大戦前の全盛の頃には、祇園一帯の芸者、舞妓の数は千人もいたという。
第二次大戦後、児童福祉法で子供の売買が禁止されたため、芸者の後継者がいなくなってしまった。 日本社会の新興娯楽産業も日増しに多様化し、京都花街も急速に衰退し、芸者の数も激減していった。 しかし近年、状況はいくらか好転し、文明社会の進展に伴い、日本の文化を見直し国内外で活躍する場も増えるようになり、多くの若い女の子が、芸者の華麗な姿、生活、文化の伝統に憧れ、使命感を持って自分から京都へ行き勉強したいというものが増えてきて、京都特有の花街文化も何とかよい伝統を維持していけそうだ。
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