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435 中国の三面記事を読む(108) 円明園の再建 是か非か? 

円明園再建:美しい過ち

2006-10-10 09:35:32 重建圆明园:一个美丽的错误

Photo_297小学校の歴史の教科書で、私達は円明園の二つの対照的な写真を見せられた。 一枚は豪華絢爛たる庭園の姿、もう一枚は無残に壊れ果てた廃墟の姿だった。 たぶんその頃、子供達の誰もが先生から、外国の侵略 Photo_293者によって焼けてしまった円明園は我国の恥である。 中国人としてこの中華民族屈辱の苦難の歴史を永遠に忘れてはいけない。 時代に立ち遅れるとひどい目に合うということを、永遠に頭に刻み込み、そのためにもみんな中華民族の復興のために勉強するのだ。Photo_295 Photo_296

Photo_294北京へ行ったことがなく、あの民族の恥辱の円明園を見たことがないので、私には現在の円明園について何も論評する資格はなPhoto_298 Photo_299 Photo_300 い。 ただほかの人の参観したあとの感想から想像するだけだ。 さわやかな風の中、あの遺跡に立っていると、心の中に絢爛たる庭園が思い浮かび、一瞬、あの痛ましい歴史が走馬灯のように頭をかけめぐるという。

曹雪芹の伝記を読んだ友達が、曹雪芹が小さい頃、父母に連れられて円明園に行ったことがあるそうだ。 ということはつまり、あの小説《紅楼夢》の中で描かれている「大観園」には円明園の姿が多少あるかもしれないということだ。 

現在の壊れた円明園を見て、多くの中国人は康熙・乾隆の繁栄の時代の豪華な庭園をもう一度見てみたいと思うのかもしれない。 だから復古調が流行している現在の中国で、円明園に関する“奇妙な話”が次々と出てくるのだ。 いま一番ホットな話題は、浙江の横店グループが200億元(約3000億円)を調達して“円明園”を再建するという話だ。 だが逃げられない運命のように、このニュースが広まるや、まだ構想段階の円明園再建工事の話は、四方八方から論議を呼ぶことになった。

論争の焦点は、あの中華民族の恥辱の象徴である円明園を再建する必要があるかということ。 巨費を投じてこんな“ニセモノ”の庭園を造って一体どんな価値があるというのか? 多くの人は、円明園の再建は間違いなく私達の子孫に民族のかっての苦難を忘れさせてしまうと見ている。 当然、賛成する人もいて中華民族は恨みから抜け出さないといけない。 自信を持ってわが民族の美しい将来を作るべきだ。

私が思うに、昔、円明園を造ったのがそもそも“美しき過ち”だった。 現代人の言葉で言うなら皇帝が「庭園中の庭園」を造ろうなんて、要するに「でかいことをやってみよう」ということだけのことであって、自分の財力を誇示し、贅沢な生活をしたかっただけである。 中華民族の歴史を見ると、どんな豪華な宮殿だろうと戦乱の中で灰燼に帰したものが沢山ある。 杜牧が項羽によって焼かれてしまった阿房宮を描写したものがある。 秦王朝は人々の血と汗で阿房宮を造ったが、あの時代の円明園と言えないだろうか? 国として大事なのは民を富ますことで、国の力を傾けて気宇壮大な“メンツ工事”をすることではない。

中国経済の快調な経済発展が、一部の人々に勤勉節約の質素な生活を忘れさせ、贅沢ないわゆる“繁栄”の風潮を追い求めるようになってしまった。 現代中国にはまだ貧困層が沢山いるし、学校へ通えないものもいる。 また現代中国には、世界を驚かせるほどの富を持つ人も作り出したが、中国は大きな貧富格差が生じており、今、変革の時期に差しかかっており、各種矛盾が吹き出て、制度の不備が露呈している。 要するに、中国はやらなければいけないことが差し迫っている。 現実離れの“メンツ工事”をやるどころではないはずだ。Photo_305Photo_301 Photo_303Photo_306

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《来源:新華ネット》

浙江の横店グループが円明園を再建することについての「賛成」「反対」の意見紹介

【賛成】円明園再建は我国の歴史文化を向上させるものだ

  成熟して自信を持った民族心には歴史は必要。 だがいつも口先にぶら下げていることはない。 前に進むには、精神的重荷から抜け出すことだ。 北京で廃墟の跡を偲んだら、浙江に「万園の園」(庭園の中の庭園)を見に来ればいい。 ひょっとしたら屈辱の歴史を乗り越えることができるかもしれない。

  「万園の園」を造ることは、古代の優れた建築芸術を愛する多くの人たちに驚嘆、讃美し眺める場所ができることで、いいことだと思う。 八国聯軍が円明園を焼いたのは、中華文明を破壊するためだった。 円明園の再建は伝統文化を発揚することを意味しており、将来の子孫の教育にもいいことだ。 我々はあの痛みと傷跡ばかり見てるばかりではいけない。 それが持つ芸術的魅力も見るべきだ。

  円明園を再建するからといって、円明園を破壊するわけではない。 北京の円明園の遺跡の上に再建するのではなく、浙江横店グループが浙江に新しく作るのだ。 “ニセの円明園”を作るということだ。

 “ニセの円明園”の是非問題はあろうが、本物の円明園には指一本触れるわけではないから、円明園を破壊する心配はない。 同じ道理から、たとえ“ニセの円明園”に何の歴史的意義がないとしても、本物の“円明園”の歴史意義にはなんら差し障りはない。 逆に“ニセの円明園”が正確に“1860年以前の芸術の輝きを再現”すれば、観光客に楽しみを与え、歴史文化の理解に役立つ。 このような有益無害なものを、なにも鼻であしらうようなことをしなくてもいいのではないかと思う。

【反対】“商業的円明園”は認められない

  再建の円明園がどんなに立派であろうと、素晴らしかろうと、たかが遊園地に過ぎない。 しかもこの遊園地は商売を招くためのもの。 黒煙と炎に包まれた遺跡は、この後わが国民が終生忘れることができない屈辱となった。 至るところ破壊の跡ばかりの円明園が、他郷で眩いばかりに美しく再現され、かっての民族の傷跡が時空を超えて、太平の世を謳歌する娯楽場に変身するとは、まったく耐え難い悲しみと言わざるを得ない。

  かってのあの“万園の園”は、英仏連合軍に焼かれてしまった。 この民族の苦しみと屈辱の歴史の記憶を残している廃墟の上に立つことは、人々に警告としての教育を受けさせるものであって、決して娯楽観光として見るものではない。 そういう意味からいっても、廃墟となった円明園は、金ぴかの円明園よりなおさら意義がある。

  我国歴史上どの位、たくさんの園林や宮殿が破壊されたことか? “楚人の一炬(たいまつ)、憐れむべし焦土と化す”の物語がいつも繰り返された。 円明園の破壊はただ近来の出来事であったに過ぎない。 円明園再建するなら、では宋代の東京城の艮岳、唐代長安の太液池、洛陽の金谷園、漢武帝の上林苑、秦始皇帝の阿房宮、更には商の紂王の酒池肉林をみな再建できるか? 「覆水盆に返らず」「昔の夢は再現しがたい」、消失してしまったものはそのままでいい。

我々がやらねばならないことは、今日の繁栄と美しさを守ること。円明園の運命の二の舞とせず、後世の人をまた嘆かせないようにすることだ。

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