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372 中国は見る(188) 東京ブラリ旅②  東京タワー見学

我的日本行东京铁塔

東京には大きな目印がある。 東京タワーだ。

その日は、退社と同時に急いで地下鉄に乗って東京タワーに向かった。 日本の秋は、午後5時ともなるともう暗くなる。 私は芝公園の駅を出ると上を見上げた。 ライトが灯っているタワーの尖端が見えた。 胸がドキドキと高鳴った。

13_231_1 東京タワーは見上げると見えるので、探すのに苦労はしない。 暗闇の中に明るく立っており、目印になる。 道がどうなっていようと、安心してそこに向かって行けばいい。 でもおかしなことに、すぐ目の前に見えながら、いくら歩いてもなかなか近付けない。 空はすっかり暗くなってしまった。 右に左にとまったく骨が折れる。 回り道をしながら、やっとのことでタワーの正門に到着した。 そこで東京タワーの全貌を目にすることが出来た。 日本へ来る前、旅なんてしたことはなく、正に“井の中の蛙”だ。 今、この全身オレンジ色に彩られた大きな塔を見て、ただ唖然として声もなく見つめた。 そのポカンとした様は、昔、田舎の人が町へ来て驚いているのと変わりがない。 

13_225 東京タワーの見学時間は決まっていて、夏と秋の終了時間は夜の8時迄で、冬と春は7時で終わりとなる。 日本はたいていのところが7時か8時で閉店になる。 だから退社の時間から観光スポットに行くとなると、避難でもするように分秒を争う騒ぎになる。 あげくご飯を食べる時間もない有様。 今日にしたって、お腹を空かせて駆けつけたわけだ。

東京タワーは164個のライトに照らされて美しく立っている。 夜になると余計、明るく輝いている。 前にカレンダーで見た東京タワーを思い出した。 今、自分はその足元にいるんだと思うと、思わず感動を覚えた。

私は急いでタワーの中に入ったが、どこがどうだか皆目分からない。 一階は入り口で、中はレストラン、みやげ物店、喫茶店、水族館などがあった。 いろんなものが一杯あって目が回る。 どれも金がかかる。 それに時間も限られていることだし、これらは省略して、先ず展望台へ向かう。 

ちょっとおかしなことを思い出した。 東京タワーは333メートル。 パリのエッフェル塔を見下ろして、世界一高い塔だと威張っている。 日本人は意地っ張りなところがある。 東京タワーを建てるときはパリのエッフェル塔を意識したんだろう。 あちらは320メートル、たかだか13メートル高いだけだ。 とにかくフランス人の鼻をへし折ってしまった。

東京タワーには展望台が二つある。 料金はそれぞれ取られる。 先ず最初は第一展望台。 そこは150メートルで、だいたい35階建ての高さだ。 私は高い所が苦手だ。 高校のときにすべて頂点に達してしまったのだ。 山登り沢下り、暗闇の冒険、何でも読み漁ることなど。 それが学校を卒業してしまったら、すべてが縮んでしまったみたいで、特に高所恐怖症になってしまい、四階くらいの高さでも頭がクラクラしてしまう。 わずか150メートルの展望台でも、手足が硬直してしまう。 

エレベーターが上に上がるとき、ガラス越しにエレベーターの上がる様子が見える。 地上から遠ざかるとともにエレベーター内に驚嘆の声が聞こえてくる。 みんなの興奮している様子が分かる。 私はガラスや壁面から離れ、人の間に挟まれて、ただ何事もなく落ちませんようにと祈っていた。 エレベーターを降り展望台に入った。 風が吹いていて塔が揺れているように感じた。 でも誰も揺れなど感じる人などおらず、みな夢中になって東京の街を展望していた。 私も大きく広がるパノラマに感動させられた。 真っ暗な中に点々と光る明かりは、どれも光り輝くダイヤモンドのようで、東京に来てだいぶ経つが、これが東京なんだと始めて実感した。

どのガラス窓の上にも、そこから見える方向の説明文が附いており、その場所の位置などもはっきり分かるようになっていた。 展望台からの東京の眺めは、とてもきれいだった!

全東京の景色を見渡すことができるようだった。 東京湾の漁り火も点々と見えたし、隅田川のネオンに彩られた橋影、高速道路の自動車の長蛇の列、とても美しいので今宵は何か特別の夜のように思えた。 そこを何周も回って見た。 どの方角も繰り返し目に焼き付けるように見た。 そのあと第二展望台行きの列に並び、上に上がった。 第二展望台は地上から250メートルだ。 高いので、視野も更に広がり、見えるものすべてが小さく見える。 揺れもやはり大きく感じる。 この展望台の大きさは、先程の第一展望台よりだいぶ狭い。 塔の尖端に近いのだ。 だから上から見下ろすと、空中にぶら下がっているようで、グラグラして今にも落ちそうな感じで、私は窓から下を眺めただけで、頭がクラクラ心臓がドキドキしてしまい、もう外を見ることなく早々にその場を退散した。

タワーの中は、展望台以外にも面白い所がある。 3階には蝋人形館があり、4階には美術画廊などがある。 1階1階下へ降りながら周りの様子を見ているうちに東京タワーの出口にでた。 帰る間際、もう一度塔を眺めていると、道端からいい匂いが漂ってきた。 焼きソバ、お好み焼きなどがあり、おいしそうでたまらなかった。 お腹を空かせたまま東京タワーに来たので、店先に飾ってある食品のサンプルがなんとも目の毒だ。 見ているとお腹が空き、クラクラしてくる。 東京の食事代は高い。 今後まだ長いこと頑張らなければいけないので、ここはガマンしよう。 

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371 中国は見る(187) 日本ブラリ旅① 長崎に行ってみたら まるで中国にいるようだった

去日本长崎就像回到了中国

日本の西南部に位置する九州、中国から最も近い町----長崎、ここは上海から直線距離でわずか800キロの所にある。 先日私は、長崎を訪れたが、中国文化の痕跡が随所に見られ、中国文化の影響が古くからあったことが良くわかった。

長崎にも“ランタン祭”がある

近年、中国の祝日や文化活動が長崎の町にも次第に溶け込んできている。 春節(旧暦の正月)、元宵(旧暦正月15日の夜行われる祭)、媽祖(海上・航海の女神)、ペーロン・レース(旧暦5月5日の端午の節句の行事だが長崎では旧盆の時期の夏の祭り)、関帝廟、皇帝巡幸、孔子廟などは、華僑、中国人の重要な活動だけでなく、長崎の人の行事にもなっている。

特に春節から正月15日の元宵節には、長崎市内の行事の行われる場所は、日本全国から観光客が押し寄せる重要な観光スポットになっている。

Photo_80この期間、毎日中国の伝統文化の色彩の強い獅子舞や龍灯舞、雑技などが披露される。 この外、元宵節の夜に行われる“ランタン祭”には一万二千個の五色に彩られた提灯が光を放ち、町中に中国の風情があふれ、長崎に新春の訪れを告げるものとなっている。 

Photo_81毎年夏に行われるペーロン・レースも全国から観光客が訪れる。 レースに参加するのはほとんど当地の人達だ。 中国に行ったことのない日本人には、長崎で“本場”中国の伝統文化を体験できる。

通りはまるで中国の南方のよう

地理的に恰好にいい場所にあったため、長崎は昔から中国とは密接な往来があった。 17世紀、江戸幕府になって鎖国政策が実施され、ほとんど外国との往来が禁止された。 唯一長崎だけは中国との貿易が出来る港だった。 江戸幕府は、日本へ来て商売する中国人を監視し、密貿易を防止、減少するため、中国の商人と船の乗組員をみなと近くに集中することにし“唐人屋敷”(中国人専用の居住区)を作った。 その後、長崎へ貿易でやってくる中国人が増えたため“唐人屋敷”が狭くなったので、中国人の居住地域を次第に拡張していった。

中国貿易が一番盛んだった時、長崎全体の人口が5万人くらいだったのに、中国から来た商人たちは1万人に達したという。 1784年、“唐人屋敷”から出火し“関帝廟”以外の建物はすべて焼失してしまった。 その後、幕府は“唐人屋敷”に近い場所に土地を提供し、中国人がそこで自由に住居、店舗等の建造物を建てることを許した。 それが“唐人街”となり、現在の中華街となった。

“唐人街”は中国人が自分で設計、建築できたので、純粋な中国建築の風格を持っており、その後の日本の建築や風俗に大きな影響を与えた。 “唐人屋敷”の表門は、現在日本の国の重要文化財になっている。 

ここの通りの多くは中国の南方の町とそっくりで、石畳の道や石段、迷路のような道は、もし知ってる人に案内して貰わないと方角を間違えてしまうほどだ。

日本唯一の孔子廟

Photo_83 中華街のほか、長崎には16世紀頃、建造された有名な“四大唐寺”がある。 それぞれ興福寺、崇福寺、聖福寺、福済寺という。 この“四大唐寺”は、仏教のほか、関帝など中国の民間の神様も祀っている。 Photo_84 これら唐寺は、華僑、中国人の精神のよりどころとして、また中日文化交流の重要な場所になっている。 

孔子廟は長崎に現存する中国文化が凝縮された建築物で、また日本唯一の孔子廟である。 長崎の孔子廟は、3300平方米あり、正殿は大成殿、殿内には孔子像が置かれている。 大成殿の後に崇聖殿があり、孔子の祖先の霊位(位牌)が祀られている。 大成殿の両側には72聖人の彫像が並んでいる。 これらの彫像は青白石で彫られて出来たもので、それぞれ一人分の大きPhoto_82さがある。 大成殿の左右の回廊には、大理石に彫られた全部で1万6千字あまりの「論語」全文が展示されている。 大成殿の後ろ側の唐人館は、今は、中国歴代博物館に改築された。 毎日、観光で長崎に来る沢山の観光客が参観に訪れる。 中国の特色に溢れた、立派で華麗な孔子廟正門を入ると、真っ先に強烈な線香のにおいが鼻をつく。 異国であろうと孔子廟のお参りは盛んだ。 三々五々、途切れることなく続々と参拝者が孔子様のお参りにやってくる。

長崎市内には、唐人屋敷、眼鏡橋、興福寺(別名南京寺)、関帝廟、土地堂、広済寺、福州会館、孔子廟と中華街及びその他中国文化と密接な関係を持つ文化遺産があちこちで見られる。 ここには衣食住や日常生活にも中国の雰囲気が色濃く残っている。 これら文化は日本の社会にすっかり溶け込んでおり、日本の多元的文化遺産の一部になっている。

これら中国と関係深い文化遺産の中には、日本の国や長崎市の歴史文化遺跡に指定されているものもあり、長崎市の観光旅行の重要な資源になっている。

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370 中国は見る(186)  さようなら 小泉純一郎!

2006-08-16 14:16:29 主题∶别了、小泉纯一郎!

来源:中国青年报(北京) 网友评论188条进入论坛

8月15日、小泉首相はまたA級戦犯を祀る靖国神社に参拝した。

2006年8月15日、小泉純一郎首相は総裁選での約束を果たした。 第二次大戦の時、アジアで被害にあった国々、人民の感情を最も刺激するこの日に、靖国神社を参拝した。

小泉首相の無情な顔の内側で、「夢を実現」した後、一体何を考えているのか知る由もない。 また中国や韓国それに日本の一般民衆の反対の嵐の中、自分が勝利者になったとでも思っているのだろうか、それもわからない。 しかし、2001年に小泉が日本の首相になって以降、執拗に靖国神社を参拝したため、日中関係が次第に冷え込んでいったことを全世界の人々ははっきりと見ている。

小泉首相の5年間の執政史を振り返ってみると、2002年4月21日が重要な分水嶺だったことがわかる。 

この日以前、日中関係は見たところ、小泉首相の2001年8月13日靖国参拝の影響を脱し、明るい方向に向かおうとするかに見えた。 2001年10月8日午前、中国へ一日の日程で訪れた小泉純一郎首相は、北京西南の盧溝橋とその近くの中国人民抗日戦争紀念館を参観した。 小泉首相は発言の中で、あの侵略戦争で亡くなった中国人民に“心からお詫びと哀悼”の意を表明した。 当時の中国指導者・江沢民と朱鎔基はそれぞれ個別に小泉首相と会談した。 半月後の上海APEC会議で、両国の指導者はまた顔を合わせた。 

2002年4月12日、海南島鰲【ポアオ】のアジアフォーラムで朱鎔基は小泉首相と再会し、小泉首相に年内に中国を正式に訪問するよう招請した。 外交部の発表では、「小泉首相は快くこの招待を受け入れた」

この期間、中国指導者は何度も小泉首相に対し、中国は日中友好を守ると述べ、歴史にどう対応するかが日中関係の政治の基本であり、未来へ向かう出発点とし、「歴史を鑑とし、未来に向かおう」と強調していた。

江沢民は2001年、小泉首相との会談の際「日中関係の発展過程では、起伏が絶えず起こった」と語っていた。

関係のよい時は各方面との行き来は活発だった。 関係が難しくなった時は、往々にして教科書と靖国神社といった歴史問題が関係していた。 靖国神社にはA級戦犯が祀られており、日本の指導者がもし参拝したら重大問題となる。 中国のこうした態度について、小泉首相は当然承知していた筈だ。 しかし彼は明らかに靖国神社問題の重要性を軽く考えていた。

2001年4月21日、小泉首相は中国側からの訪中招請を受けた半月後、二度目の靖国神社参拝を行い、しかもメディアに対し「内閣総理大臣の肩書きで参拝した」と明言した。

“一度ならず、二度もやるとは”

中国は、鄧小平が「両国が代々友好を続けるように」と言ってるように、日中関係を重視していたが、決して無原則ではない。 事が原則的な是非問題に関わるものとなれば、中国は決してあいまいには出来ない。 小泉首相が内閣総理大臣の肩書きで参拝した当日、当時の外務省李肇星副部長が、中国駐在の阿南惟茂日本大使を呼んで日本に厳しく対応を迫った。 4月29日、江沢民は日本の公明党党首と会談した際、小泉首相の靖国神社参拝について厳しく批判した。

小泉首相の独断専行の結果、2002年訪中計画は中止となり、日中関係は一段と冷え込み、日中間のハイレベルの相互訪問も中断された。 それ以降、「政冷経熱」が、日中関係を形容する流行語となり、日中指導者も国際会議の席上で会談するだけとなった。 小泉首相は二方面作戦を取った。 一つは日中指導者の「第三国での会談」を積極的に推進しようとした。 もう一つは会談後また元の状態に戻り、更にひどくなった。 

2004年11月、胡錦濤主席は、サンチャゴで小泉首相と会見した時、日中関係を発展するためには、歴史問題を回避できないことを力説した。

ところが、2005年1月1日、小泉首相は四回目の靖国神社参拝を行った。 中国は繰り返し友好姿勢を見せたものの、まったく誠意ある回答がないため、日中関係はどんどん落ち込んでいった。 小泉首相の頑固さは、日中関係を冷え込ませたばかりか、ほかのアジア隣国ともますます疎遠にさせてしまった。

小泉首相の靖国神社参拝は、国際社会の批判を受けたばかりか、日本国内からも首相の靖国参拝に対し、反対の声が日増しに増えてきた。 2005年以降、日本で行った各種世論調査でも、首相の靖国神社参拝に反対する日本人はもう半数を超えるようになった。

批判に対して小泉首相は、「日本国内の批判は理解できないし、ましてや国外の非難は理解できない」 彼はすぐ参拝は「心の問題」と言う。 また中韓両国を、靖国神社問題という「一つの問題」で外交カードにしていると批判する。 この弁解には納得できない。 世界のまともな政治家だったら、暗黙の了解事項として、個人の感情を国家利益より優先させることはない。 小泉首相のやることなすことすべてこの原則に反している。 

中国が小泉首相の靖国神社参拝に反対するのは「歴史問題は政治の基本」という原則問題に基づくものであって、決して外交カード云々ではない。 中国の日中関係に対する態度は、2006年3月31日、胡錦濤主席が日中友好七団体代表と会見した時、はっきり述べている。

小泉純一郎首相は、首相就任前は「反中派」ではなかったし、靖国神社の熱心な参拝者でもなかった。 「票を取るため」参拝の旗を掲げ、それを守るため外交関係を犠牲にしてしまった。

8月15日のこの日、小泉首相は退任前に参拝の約束を果たした。

彼は偏屈なリーダーで、日本丸という船を引き連れ、乗組員達の意向など構わず、しゃにむにそばにいる「中国丸」にぶつかったようなものだ。 前方に広い海があるのも無視して。

小泉首相の任期は、もう終わろうとしている。 「さようなら、小泉純一郎先生」と言おう。

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369 中国の三面記事を読む(81) 「戦争が起こったら?」との意識調査で日本の若者は「戦争に行く」で中韓を上回る

2006-08-26 18:02:06 主题∶日本年青人战争意识超中韩中国仅14%称参战

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/745791,29.html

新中国来源:子陵論壇http://bbs.ziling.com/

韓国政府機関の発表。 日本の青年の戦争に対する意識は中韓を上回る。 8月16日、韓国政府の下部機関である「韓国青少年開発院」が発表した「日中韓三国青年の意識調査」によると、「もし、戦争が起こったらあなたはどうしますか?」という設問について、日本の約4割の若者が「戦争に行く」と答えた。 三ヶ国の青年の中で高い比率を示した。 

この調査結果は、今年靖国神社を参拝した日本人の数が新記録を作ったこと、アジアの政治情勢がますます微妙な時期と考え合わせると、意味深長なものがある。 

日本の共同通信社によれば、この調査は日中韓3国、各約1000名の中学から大学までの若い人を対象に行われたもので、質問は「もし戦争が起こったら、あなたはどうしますか?」  調査結果によると、「戦争に行く」日本人は41.1%に達し、二位の中国(14.4%)をはるかに上回った。 しかし「真っ先に逃げる」と答える日本人も38.4%いた。 これを比較して見ると、韓国は34.4%で回答者は「情況を見て決める」。 そして「自分のことをするだけ」の中国人は55.7%で三国中トップだった。

別の質問で中韓からそれぞれ88.3%と74.7%の答えがあったのは、「自分の国は“将来”もっと良くなる」だった。 日本は66.5%で、現在と同じか悪くなると答えた。

この外、日韓からそれぞれ70%と80%以上の答えがあったのは「自分の国の政治家と公務員は信用できない」というものだった。

自分の国と国民の「長所」について、日中韓三国で一番多かったのは、「勤勉努力」「礼儀正しい」「団結力」。 「欠点」については、「利己的」「贅沢」「せっかち」だった。

日本国民(日本の青年を含む)の戦争意識について、日本の内閣府は1969年から「自衛隊、防衛問題についての世論調査」を3年毎に行っている。 その結果は、日本国民の意識の「風光計」として関心を持たれている。 この調査の中には、決まって出される問題がある。 それは、「日本は戦争に巻き込まれる危険があると思いますか?」 日本の青年の戦争への参戦意識はこの影響を受けたに違いない。

1975年、危険があると思う人は全体の15%だったのが、2000年には30.5%、2003年には43.2%になり、今年は45%に達した。 それに32.6%の人が「日本は戦争に巻き込まれないとは言えなくなった」と思っている。 そうなると77.6%もの人が、日本は戦争の危険が迫っていると考えていることになる。 この結果を生んだ原因は、調査の発表によると、日本人は一般的に「国際的に緊張と対立があること、それに国連が無力」だと感じている。 具体的脅威の主なものは三つに集中している。 「一つ目は朝鮮半島の情勢不安定。 二つ目は国際テロ組織の活動が多いこと。 三つ目は中国の軍事近代化と積極的な海洋活動」 この三つの問題は、日本人が国家の安全について語り合う時、一番関心のある問題だ。

もし数字だけでは説明不足ということであれば、日本の社会を見ればより印象が深まるだろう。 去年以降、戦争を題材とした映画、テレビが日本で急増している。 

去年8月、「亡国のイージス」という映画が公開された。 これは福井晴敏の同名小説を映画化したものだ。 小説の内容は、某国の工作員組織が日本の海上自衛隊のイージス艦を乗っ取り、艦船に装備されているすべてのミサイルの照準を東京に設定、日本政府を脅迫する。 政府は法律の「制約」があり、「何も出来ない」でいる間、艦船内の自衛隊が敵国の工作員と死闘を繰り広げ、ついには艦船を奪回する。

映画上映二日間で22万人が見に行った。 映画を見終わった人々は、多かれ少なかれ、自衛隊が「ただ守るだけで、攻めることが出来ない」情況に不満を漏らした。

去年暮、第二次大戦を背景とした映画「男たちの大和」が公開されると、初日だけで12万5千人が押しかけた。 映画館によっては座席が一杯となり、立ってみる人もいたくらいだ。

軍国主義を謳歌する映画が、日本で人気を得ていることがこれによってもわかる。

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368 中国の三面記事を読む(80) 「全日本国民的美少女」報道への批判

全日本国民的美少女になれたからといって 何が誇りなのか?

2006-08-21 13:16:17 主题∶获个日本国民美少女我们自豪什么

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/729228,12.html

【参考】346 中国は見る(172)全日本国民的美少女に日中ハーフの林丹丹さん 2006-08-06

光明ネット:2006-08-18 13:04:01

光明ネット:父親が日本人、母親が中国人 日本国籍を持つ少女が東京で行われた“第11回全日本国民的美少女コンテスト”で、8万人もの候補者の中からグランプリに選ばれた。

このことは私達とはまるで関係ないことだ。

しかしメディアは大喜びし、在日中国人少女が初めて日本の国民的美少女に選ばれたことは、在日中国人が徐々に日本社会に溶け込んでいるということだけでなく、日本の社会各層でも頭角を現していることだとしている。 また日中のハーフは日中文化の融合の“最前線”であると断言し、彼等が日本の社会で頭角を現し、きっと将来、日中交流の歴史で目立った活躍をするだろうと述べている。 (2006-8-9 中国新聞ネットから)

まったくデタラメもいいところだ。 日本国籍を持った日中ハーフが、どうして在日中国人になるんだ? 

日中ハーフが日本の国民的美少女グランプリを取ったことで、在日中国人が日本社会に融合し、日本社会の各層で活躍し、日中交流の歴史で目立った働きをするって? 記者の人達は、どうしてこんなニュースに敏感で、想像力があるんだろう!

美人コンテストなんて、たかが娯楽記事。 一般の人々の目の保養になるだけ。 ただ可愛い女の子が有名になっていくのを見るだけだ。

日中のハーフの美少女が、国民的美少女グランプリを取ったからって、何も大したことではないじゃないか。 別に日本が私達に好意を示してくれたわけではないし、賞を取った美少女に日中関係改善を希望するわけでもない。 

グランプリは、日米のハーフにだって、日英、日韓などのハーフの女の子にも与えられるものだ。 たまたま審査員達の審美眼と基準にピッタリ一致したまでだ。 それに日本国籍の日中ハーフがグランプリを取ったのと、在日中国人が日本社会に融合することとはなんら関係はない。

日中ハーフと中国人は まったく概念の違うものだ。 一歩譲って、たとえ帰化した純中国人でも同じではない。 何智麗は早くから日本で卓球をやり、コーチをしている。 しかし帰化した中国人として日本社会に溶け込んでいるか? 答えは「ノー」だ。 外国籍、特に中国人が他国に融合することはとても難しい。

日中ハーフがグランプリを獲得したからって、私達とは何の関係もない。

我国のために栄光を勝ち取ったものではないし、名を揚げたものでもない。 私達は普段どおりの対応でいいのだ。 「まったく遠い関係の話」を引っ張り出してきて、さも自分の名誉と誇りのように声高に賛美することは、逆に人から笑われるだけだし、世の笑いものになるだけだ。

浅薄と虚栄は愛国ではない。 娯楽は娯楽、外の事とは関係ない。

私達は、娯楽を政治に結び付けて注釈してはいけないし、娯楽に政治の重荷を背負わせることもない。 残念なことは我国の愛国の仲間に、往々にしてこのようなことに喜ぶ者がいることは、とても嘆かわしいことだ。

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367 中国の三面記事を読む(79) 姜文(チアン・ウエン)監督の日本観 ③《完》 《中国人よ 早く「菊と刀」を書け!  

中国人はいつになったら《菊と刀》のような本が書けるのだろうか?

2006-08-21 16:02:31 主题:姜文的质疑中国人何时才能写出菊花与刀这种书来?

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/729546,30.html

私は日本民族に反感は持っていない。 軍国主義に怒りを感ずるだけだ。

Photo_79 (姜文は中国映画界の中でも間違いなく多忙な人だ。 俳優の道から監督に転出し、いずれも優れた業績を上げている。 《鬼が来た》がカンヌ映画祭(2000年)でグランプリを獲得した。 その作品は、中国国内で上映禁止になっており、姜文は感慨もひとしおだろう。)

私は日本民族に対し自分の中では反感はない。 中国文化と日本文化は、ある時期融合しあっていた。 例えば文字の面では似通っている部分が多い。 「幹部」「派出所」「社会主義」などといった言葉は、日本から来たものだ。 これらの字は彼等のものではない。 私達中国から伝わったものだ。 しかしこの字の組み合わせは彼等が作った。 この組み合わせは私達に役立っている。 というより私達の文章にも少なからぬ影響を与えた。

だから彼等が我国から学ぶことも構わないし、手本にするのも構わない。

しかし私は、彼等のやり方、考え方の中の、ある問題については怒りを感じている。

日本は封建主義から資本主義に入る歩みが速すぎた。 そのため消化できないものが多かった。 彼等は両極端に走り、特に戦争という極端な行動で私達に警戒心を抱かせた。 私達は日本への理解が少ないし、日本の研究も遅れている。 「日本を研究する目的は何だ?」と私に尋ねる人がいたら、私はすぐこう答える。 「日本は私達の隣国です。 私達は彼等が何をしようとしているかは少なくとも知るべきでしょう。 彼等を研究するのに、理由がいりますか?」 

この点、私達は日本にはるかに後れをとっています。 日本は常に私達を研究しています。 我国が一体何をしているかに関心を持っています。

戴季陶の「日本論」の中で序文を書いている胡漢民が言っています。 「2030年代、日本で暮らしていた中国人は10数万人いた。 しかし日本を研究した専門書はなかった。 ところが同じ時期、日本では数十冊の中国研究専門書が出版されている。

源右冰衛(?)も言っています。 「中国に対する研究の多くは、私達が自分の国を研究するより進んでいて、日本は中国を研究する一番の国だ。 しかし、その研究は私達には何の良い結果ももたらさなかった。」

アメリカのべネディクトが「菊と刀」を書き、ヨーロッパ人が「日本と日本人」という本を書いている。 私達の周りを見回しても、この点については、我国はアメリカ人やヨーロッパ人が日本を研究しているのに比べると遠く及ばない。 

私達は日本を研究しないといけない。 危険だからということで研究するのではなく、もともと研究すべきであったのだから、まずは取り敢えず研究してみて、その上でどうするか考えればよい。 ただの鬱憤晴らしではいけない。 

中国人は日本を研究する重要性を認識していないし、日本を研究すべきだという意識もない。 源右冰衛はこう言っている。 「中国人はとにかく食っていけるものだけ勉強しようと考えている。 例えば、数学、理科、化学だったらどこであろうと食いっぱぐれがない。 しかし心理、精神といった飯が食えない学問は誰も勉強したがらない。 このままでいったら深層を探るといった方面のものは学べないだろう。」

私がここでこの問題を話しても、目の見えない人が象をなでるようなもので、ただ断片的な話で全体を勝手に想像するだけになってしまう。

しかしそれでも始めてくれて、もしも深く入り込んでくれたら価値がある。 でももしそこで足踏みしてしまったら何にもならない。

私の拙い意見を述べることにより、誰かが優れた意見を出していただければありがたい。 多くの青年がこの討論に入って、この研究に参加して欲しい。

私は最近「歴史の深い憂慮」「大統領を信じてはいけない」「私の夢」という三冊の本を読んだ。 私は中国にも、ほかの人を真面目に研究する人と文章がついに現れたことを知りとてもうれしかった。 たとえこの三冊がアメリカのことを書いたものだとしてもだ。 作者は専門家ではない。 しかし彼が研究する真剣な態度は得がたいものだ。 彼は普通の観光客のようでもなく、書いているのは怒りを吐き出しているものでもない。 また余計な個人的な感情もはさんでいなかった。 これは非常にいい現象だ。

若い人は、いつの日か目覚める時が来る。 若い人は、あらゆることに感動しなければいけない。 外国のものであろうと、古いものであろうと、そういうものに触れて体験しなくてはいけない。 若い人にはそういう権利があり能力がある。 若い人を見くびってはいけない。 実際、独特の判断力や創造的な思い付きがあるはずだ。

私達のような年代の人間は、最初、鄧麗君(テレサ・テン)の歌を聞いた時、彼女の歌を全てのように感じた。 いわゆる哈日族、哈韓族(日本、韓国かぶれ)、今の青年達のように黄色い頭に染めたりして、流行を追っかけたりしていても、そんなのは大したことはない。

私達が若い頃、退廃的といわれた鄧麗君(テレサ・テン)の歌が好きだったのと同じで、青年が最初に真似るのは時代の象徴であって、何ということもない。 いずれ自然と本来の状態に戻るもので、こういった過程をを通って成長、成熟していくのだ。 だから、そういった現象があることは、良いことであって反対する必要はない。

もし、中国に「菊と刀」のような本があればと思う。 もっと言えば、源右冰衛のような人がいれば、もっといいのだが。

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366 中国の三面記事を読む(78)   姜文(チアン・ウエン)監督の日本観 ② 

姜文(チアン・ウエン)監督 10問の“なぜ”に答える

2006-08-21 20:08:51 主题:为城门楼子上姜文的质疑-一文而转

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/730221,27.html

6.私がなぜ日本の友達に警戒心を抱くか?

Photo_77 昔、中央演劇学院で談笑しあった日本の留学生達も、特定の歴史環境にあったなら一瞬のうちに大虐殺の殺人者になるかもしれない。 この二面性は、日本人の身体にピッタリ重なってしまう。

私達の年代だとよく知っている李玉和と鳩山は、満鉄病院時代は“老朋友”だった。 しかし、この友人関係も鳩山が憲兵隊の隊長となるとそうはいかなくなる。 その後、李玉和には苦難が待ち受けることになる。

李玉和と酒を飲んだり、仏教の話をすることはなくなり、逆に暗号電報の提出を求めるようになる。

こうしたことは多いのだ。 友達は友達、原則は原則、日本人はこの原則と国家利益の考えがとても強い。

7.私はなぜ「愛国主義」を口にしないのか?

愛国主義は喚起する必要はない。 誰でも自分が誰かわかっており、自分の人格を大事に思うなら、自分の祖国を愛せるはずだ。 魯迅は自分の民族と文化の中にある問題について、風刺と皮肉を言った。 これも愛があるからだ。 

もし自分の私欲のため本心に逆らって称賛したり、人に問題の本質を見させないような人がいたら、私の映画の中の通訳の董漢臣のようなものだ。 私は「売国奴」より恐いのは「愛国奴」だと思う。 彼等は、「愛国」の旗を振っているが、その害は「売国奴」より大きい。(ネットの中で、日本人なんて何だなんて言ってる奴、実際はどうなんだ? 口々に日本はいいと言っているのだ)

Onikolaira 私は魯迅のような高邁な境地には達せないが、彼を崇拝し、すばらしい人だと思っている。 彼は、時々表現が辛辣であるが、問題を見る目は確かである。 多くの人が見逃している問題とか、見たくない問題、または見ても言わないでいるのと対照的だ。 魯迅のこの高い境地を、私は“民族魂”と理解している。 もしこの魯迅みたいな人が何百人もいたら、この国はたいしたものなのだが。

8.私がなぜ日本の右翼勢力の戦争犯罪を否定するが如き言動に反駁しないのか?

この「鬼子来了」を撮ったので、最近多くの新聞社が私に、日本の右翼分子の反動言論について見解を発表してくれと言ってくる。 しかし、私は一番必要なことは、日本の反中勢力が出てくるたびに、私達も相手をすることではなく、この相手を深く研究することが大事だと思う。

ただ著名人を何人か引っ張り出して、義憤を思う存分語らせるだけでは、何の役にも立たない。

日本の中国に対する態度は一貫して変わりがない。 ただ、私達がこの点についての認識が足りないのだ。 だから一衣帯水の隣邦だと言ったり、軍国主義の復活だと言ったりしている。 これについて私達は反省しなくてはいけない。 

日本は、私達みんなが激高した時しゃべった話を、絶えず彼等の目的のため利用している。 私達の映画なんかも彼等の罪の言い逃れのための例証にされている。

例えば昔のゲリラについて、日本は国際戦争法上、ゲリラは捕虜になっても正規軍としては取り扱わないことを引用し、殺人の口実にしていた。 更に我国の有名な映画のセリフの中に、“百人の鬼には、二百人の傀儡軍あり”というのがあった。 彼等は巧妙に殺戮した多くの犯行を中国の傀儡軍になすりつけた。 

問題は、最近日本が出している強硬な声にどう反撃するかではなく、私達が冷静に、私達の相手がどんな隣人なのかを認識することにある。

私達はよく「世界に向かって行こう」と言うけれど、真っ先に行くべきは日本です。 日本に行けば、自然と世界へ繋がります。

9.私はなぜ映画の中で、中国の観衆に“鬼をやっつける”痛快場面を見せなかったのか?

この映画を撮ったのには、もう一つ目的がありました。 それは抗戦を題材とした“昔の映画”の印象、特に日本の観客に与える誤解を変えたかったのです。 歴史の観点から見れば、それらの映画はとてもいいものです。 確かに人民を教育し、敵を打倒するという効果がありました。

しかし、これらの映画はちょっと問題があります。 例えばこれらの映画を日本に持って行って映した時、日本の若い人に、「見てごらん、中国の一般大衆ったってみなスパイじゃないか。 あいつらはみんな軍服を着てない軍人だろう?」って教育されるんです。 あいつら「全民皆兵」なんだから、俺達は奴等を「全民殲滅」しても構わないんだとなる。

そこで私達のこうした映画は、彼等が昔、中国の一般人を虐殺した時の弱みを隠す材料になってしまっている。 しかし事実は、その当時我国は決して「全民皆兵」ではなかった。 それはただ私達の理想だったのです。 私達が今映画を撮る時は、もう日本人にこの口実を与えてはいけない。 

映画を撮って自己満足するのは簡単だ。 しかも目前の利益を追い求めるばかりに人の機嫌をとろうとしやすい。 そして出来上がってしまったら無用の長物となるばかりか、観客は真剣に見ようとしなくなる。

私が「鬼子来了」を撮ったのは、観客にこういったことをわからせたかったこともあった。 もし私達がみな知っているあの不愉快な歴史を避けたいのだったら、不満をぶちまける癖以外に、どんな方法があるだろう? 私は「鬼子来了」が、この結論を出せたとは言わない。 私のような監督と一本の映画では出来ないことだ。 理想を高く言わせてもらえば、方向性は出せたとは思う。

10.私はなぜ日本人の「友好」を信じないか?

日本の右翼分子、反中勢力、戦争犯罪を否定する人はいくらでもいる。 私達がよく言う「一つまみ」どころではない。 ただそこでいろいろ策動しているのはわずかである。 この点を認識しないと、日本というこの強大な相手を正視してないに等しい。 

もう一つ良くない傾向は、私達の文芸作品の中などで、よく日本人に中国人に謝罪させることがある。 だが実際は、謝罪しようとしない日本人は沢山いる。 私達はなぜ一つまみの謝罪する日本人でもって自己満足しようとするのか?

「鬼子来了」の映画にも日本の俳優が何人か出演した。 彼等は以前私の撮った「陽光燦爛的日子」(太陽の少年)を見て、私に協力を申し出た。 報酬は二の次ということだった。 しかし脚本を見てから、彼等に反発する気持ちが現れ、撮影途中でしょっちゅう論争が始まった。

30歳くらいの日本の中堅の俳優がいたが、この映画を通して、私は多少なりと彼の極端な考え方を変えることが出来たと思っている。

将来この映画が日本で公開(2002年)された時、観客もこの俳優のように変ってくれたらと願っている。

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365 中国の三面記事を読む(77)  姜文(チアン・ウエン)監督の日本観 ①

姜文(チアン・ウエン)監督 10問の“なぜ”に答える

2006-08-21 20:08:51 主题:为城门楼子上姜文的质疑-一文而转

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/730221,27.html

以下の話は、「鬼子来了」(鬼が来た)について、姜文(チアン・ウエン)が記者の取材に答えたものだ。

1.    私がなぜ「鬼の映画」を撮ろうと思ったのか?

Photo_76 この映画は、日本の軍隊がその昔行った残虐行為を再現すると共に警告の意味もあった。 映画の中で日本軍が虐殺したのは正真正銘の中国の普通の人々、庶民だ。 実際、昔の日本軍は間違いなく多くの中国人を殺した。 私の故郷唐山では、このような惨劇が起こっている。 私はこの映画を通して、日本の観客には、“あなたがたは、本当にこの歴史に向き合い、否定しないでくれ”と訴えたかった。 また中国の観客にも、“悪人に向かう時は、ただ善良なだけではいけない”と注意したかった。 もう起こってしまった事実に対して、こんなことを二度と起こさないためにも、中国人と日本人は正しく認識しなくてはいけないと思った。

2.    私がなぜ中日文化の比較に興味を持ったのか?

1982年、私が中央演劇学院で勉強していた頃、私のクラスに日本の留学生が数人入ってきた。 私達と同年齢で仲はとても良かった。 彼らが帰る時には別れ難く、仲間の中には恋愛していた者もいた。 その時、不思議に思ったことは、彼等は、私が小さい頃見た抗日映画の中の松井といった連中の「日本鬼子」と同じようにしゃべっているのに、どうして態度や精神状態が、松井達とは違うのだろう? 彼等は松井達とは世代が違うから、この両者は重ね合わせることが出来ないのだろうか。

Gzlogom その時から私はこの疑問を抱き、抗日戦争を体験した人の話を聞いたり、その後、日本へ行く機会があった時には、あちらでいろいろなことを見たり訊いたりした。 それから「菊と刀」といった類の人類学、社会学の本も読んだりした。 そして今、私はだんだんとこの二種類の日本人のイメージが重なって見えるようになった。 彼等は実際は同じなのだ。

ただ違う環境の下では、表現の仕方が違うだけなのだ。 これがわかった時、私はゾッと鳥肌が立つ思いがした。 温厚で穏やかで礼儀正しい日本人なのに、簡単に私達の印象の中の日本兵に変身してしまうのだ。

3.    私はなぜ日本というこの相手を重要視するか?

日本は中国のことをよく勉強し研究している。 私達が向かい合っているのは優秀な敵だ。 もし私達がこの優秀な所を注意せず、あいまいに見過ごし、また認めようとしなければ、敗北する危険と災難に遭うことになるだろう。 半世紀前のあの侵略戦争がはっきりとした証明だ。 このことは中国人の誰しもが真剣に考えるべき問題だ。 

私は魯迅思想の形成と彼の国民性への批判は、彼が若い時、日本で生活したことがとても大きく関係していると思う。 私は災難の発生は恐くはないと思う。 本当に恐いのは災難に遭った後、私達がその災難の根本原因を深く研究し総括しないことだ。 正にこういった考えから、私は中日間の物語を撮りたいと思うようになった。

4.    私はなぜ「鬼子来了」(鬼が来た)に劉星の音楽を採用したのか?

「鬼子来了」(鬼が来た)の話は、もともと私が映画を撮るため読んだ多くの小説の中にあったもので、特にこれといって突出したものはない。

ところで最後にインスピレーションを受けたものがあった。 2枚のまったく感じの違うCD。 一枚は日本の軍歌、もう一枚は現代音楽の隠者劉星の特選CD「一意弧行」(My Way)。 前者は勇ましく強烈な傾向がある。 後者は中国文化に溢れたもので、時空を超え情感のこもったものだった。 私は日本の軍歌には民謡風な童謡にも似た感じがあると思った。 その中には子供の頃の抑えることが出来ない狂暴さと理想みたいなものがあった。 この狂暴さが邪悪な力に導かれたら、思いがけない行為に走ってしまうだろう。 「一意弧行」(My Way)の境地は、私はすばらしいと思った。 しかし、こんな高い境地に達するためには、日本軍歌のような曲も知らなくてはいけない。 でないと「商女は知らず亡国の恨み」(歌妓達は亡国の悲しみがこもる哀歌だとは気付くはずもなく)になってしまう。

5.    私はなぜ特に“通訳”を映画の中で重要視したのか?

私はこれまでいくつか中日戦争の題材を選んだ。 その中に「生存」という本がある。 私が気に入ったのは、「生存」の中のこの点だった--------もともと戦争と無縁だった村に、突然、日本兵と通訳が現れる。 彼等は互いにどう向き合うか? 

この通訳の動きによって、本来善良だった人々が、向かい合っている敵のことを正確に知ることが出来ず、そのためどんどん自分勝手な思いがふくらんでいき間違った方法をとってしまう。 

その中には、狂暴な敵の問題や、通訳が私欲のため誤訳してしまう問題がある。 そして話は、思わぬ方向へ発展してしまうという物語の核心に興味を持った。

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364 中国は見る(185) 東京ブラリ旅① 夜の隅田川観光 

隅田川の夜景を見る

我的日本行夜游隅田川

東京の隅田川が一番きれいなのは、毎年の夏、盛大に行われる花火大会だという。 一万発もの花火が隅田川の上を彩り、川の両岸は花火を見る人で一杯で、熱気とロマンを感じさせる。

日本の会社にいる許小姐は、以前から私達に、“東京に来たら隅田川の夜景がいいわよ”と薦めてくれた。 許小姐は、ずっと日本にいて中国の同胞に会うのも久し振りだし、他郷で故郷の人に出会う喜びからか、私達に特別に親切にしてくれた。 日本のいろいろな名所を紹介してくれた。 許小姐が自由闊達な話し方で紹介する日本の風景は、わからないながらも想像しながら聞いているうち、いつしかそこに行ったような気持ちなった。 

そして彼女が隅田川のことを話すときはとてもうれしそうだった。 みんな夢中になって聞き入っている時、彼女が突然“パン”とテーブルを叩くと、“そうだ、みんなでこれから隅田川へ行きましょう”“今日?”

まだピンとこない友達が、“今日は休みじゃないし、大丈夫なの?” 許小姐は“大丈夫よ。 まかしといて” 彼女は日本にいても楽しい旅行はしたことがなかったから、今回は同郷の人と会えてうれしい。 どこでもガイドとして案内するわ。

その日会社が終わると、許小姐は私達を急がせて地下鉄に乗り浜松町南口にやってきた。 ここから日の出桟橋に行って水上バスに乗るのだ。

許小姐は背は高くないのに歩くのは早く、私達は彼女の後ろについていくのに走らなければならなかった。 右に左に曲がった後、やっと日の出桟橋にたどり着いた。 ここは隅田川の三つの乗船場の一つだった。

許小姐はすぐ切符売り場へ駆けつけ、日本語でペチャクチャしゃべって私達の切符を買ってくれた。 水上バスの最終は午後5時だった。 私達は辛うじて最後の船に乗ることが出来た。 道理で彼女が急がせたわけだ。 水上バスにはランクがあり、普通一般から食事つきの豪華なものまでいくつかの種類があり、値段もそれぞれだった。 私達は締め切り間際に着いたので、乗れればよかった。 なんとか普通乗船券を買えたのでラッキーだった。 

船倉の中は意外ときれいだった。 私達が乗った目的は隅田川の夜景だったので、船倉にこもっているのはよくない。 風が涼しく美しい景色も眺められる、船尾の甲板に行こうということになった。 甲板にいる人はそんなに多くはなかった。 あっちこっちにひとかたまりになっていて全部で十数人といったところ。 船倉の中でガラス越しに見るより、よっぽど楽しい。 船が動き出すと、みな気持ちが昂ぶってきた。 やがて川の中心に入り、景色の移り変わりが始まった。 日本の秋は暮れるのが早い。 ほどなく真っ暗になった。 そうすると隅田川の夜景は、許小姐が言っていた通り、川から眺める東京はまた違った顔を見せてくれた。 高さ200メートルもある聖路加病院やその他の高いビル、川から見上げると更に一層大きく見えた。 両側の景色は暗闇の中に明るく、いちいち見ていられないくらい。 多くの建物には電気が明々と輝き、遠くから見ると瞬く星のようで、波間にはその影が映り、その美しさにうっとり見とれてしまうほどだ。

暫くするといろんな色彩に彩られた橋が、一つまた一つと頭の上を過ぎてゆく。 その美しさに声も出ぬほどだ。 隅田川には全部で27のいろんな形をした橋があり“橋の博覧会”とも言われているそうだ。 夜になると、それらの橋はそれぞれ違った色彩の照明で、静まり返った夜空にまばゆいばかりの光彩を放っている。 私達は目の前の景色の美しさに、今どこにいるかさえ忘れ、まるで立体映画でも見てるような心地だった。 その時空を超えた幻覚のような光景は、船の進行に連れ私達を次から次へと視覚の感動へと誘った。 

時折いろんな観光船とすれ違った。 そのなかには赤い提灯を一杯つけた風情のある昔風の屋形船や、ちょっと目立ったのはレストラン船だ。 食事をしながら、川沿いの風景を楽しんでいる。 もちろん向うからは私達が観光対象になっている。 そのハシを動かしながら周りを見回している光景を見るのも一興だった。

13_011_3日本は環境保護を大事にしている国で、川や空気もとてもきれいだ。 だから甲板を吹いてくる風が顔に多少強く当たっても、さわやかで気持ちよかった。 およそ40分位たった頃、目の前に筋斗雲のような形をし13_028_1たアサヒビールのビルが見えてきた。 これは浅草の有名なシンボルで、これが見えたら終点が近づいたということだ。 船は浅草に着いた。 人々は一列になって続々と船を下りた。 

隅田川の夜景は本当に美しかった。 私を暫く夢うつつにさせた。 花火大会は見られなかったけれど、この水上行で私は想像できる。 隅田川の花火大会が有名なのも、きっとその夜景が目を見張るほど光り輝き、何万発ものきれいな花火が、夜空に花を咲かせ、隅田川を宝石のように輝かせるからではないだろうか!

この夜、私はグッスリ寝られた。 隅田川の水上バスは私の夢の中でも走り続けていた。 

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363 中国は見る(184)  靖国神社の誤った歴史観 【4】(完)

人民日報評論:靖国神社参拝から間違った歴史観を見る④

主题:人民日报评论:从参拜靖国神社看错误的历史观

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(四)

日中は一衣帯水、近隣の関係にある

日中は仲良ければ双方に利益をもたらし 仲違いすると共に傷つく

チャンスと挑戦にあふれた時代、日中の友好関係を発展させることは、両国人民の本来的利益に合致するものであり、アジアと世界の平和、安定、繁栄にとって良いことである。 今日ますます多くの有識者は、日中関係を改善するため、政治的障害を取り除く必要があると感じている。

第二次大戦後、有名な平和主義者で周恩来総理から日中の“民間大使”と言われた西園寺公一の子、西園寺一晃は、小泉首相の母校、慶応大学文学部教授で日中関係の授業を持っており、去年の期末試験の時、学生に次の試験問題を出した。 “もし私が首相だったとしたら、日中関係をどのように解決しますか?” 結果は、99名の学生のうち、90%の人が“「靖国神社」参拝を止めます”と書いたそうだ。 この回答からも、日本人の心の声が非常にはっきりと現れていると思う。 日本の最新の世論調査によれば、靖国神社参拝に反対する割合が50%を超えているという。

日本と同じような体験を持つドイツは、数十年も前に勇気を持って歴史の重荷を下ろしている。 ドイツのワイツゼッカー元大統領はこう言っている。 “過去に目を閉ざすものは、現在も盲目に陥っている”

1970年12月7日午前、600万のユダヤ人を虐殺した国家を代表して、当時の西ドイツ・ブラント元首相はワルシャワのゲットー記念碑の前に跪き、“こうすべきであったのにこうしなかった、すべての人達に代わってひざまずく”と表明した。 ブラントの「ひざまずき」は、ドイツの尊厳、名誉を損なうものではなく、逆に、欧州の理解と全世界からの尊敬を勝ち取った。 欧州で今日のような和解ができたのは、ドイツが戦争の犯罪行為に対し、深く反省し心からの懺悔を行ったことと切り離せない。 ドイツ人はドイツの名誉と尊厳を、ナチス帝国とは別々とし、ヒトラーとも分けた。 メディアから教科書まで、ナチスとヒトラーを弁護することを許さなかった。

日本とドイツを比べてみると、日本はごく少数の右翼勢力が、「日本人の名誉と誇りと尊厳と軍国主義の絶滅」に「歴史によって恥辱の柱に釘付けられた戦犯」をしっかりと結び付けてしまった行為は、なんと誠意と理性に欠けるものだろう。

中日関係が厳しい事態に直面していることは、中日両国民の利益にそぐわないばかりか、国際社会の願望と期待にも反するものだ。 日中国交正常化から34年、中国歴代政府は全力で両国関係の発展に努力してきた。 また対日友好関係を発展するという基本方針も変更していない。

前事不忘、後事之師(過去のことを忘れないで、将来の戒めとする)

私達は歴史をしっかり心に刻むことを強調しているが、決していつまでも憎むということではない。 “歴史を鑑に、未来に目を向けよう”ということだ。

胡錦濤主席が、日中友好七団体の代表と会見した時、特に強調したことは、日本の指導者が二度とA級戦犯を祀る靖国神社に参拝しないとの決断を明確にしたら、中国指導者は中日関係の改善と発展のため、日本の指導者と会談し対話する用意があるということだ。

胡錦濤主席の発言は、中日関係の改善と発展の方向を明らかにし、中国側が中日友好に積極的に努力する姿勢を明確にし、現在の問題解決に誠意をもって当たる立場を伝えたものである。

一部の日本の指導者が靖国神社を参拝し、中日の政治関係を膠着状態に陥れた。 日本の指導者が、本当に隣国との関係を改善しようと思うなら、靖国神社参拝問題は避けて通れない。 

中国政府と人民及び韓国などアジアの戦争被災国民だけでなく日本国民も含め、日本の指導者が実際行動で歴史、国民、未来に対し、より重い責任と態度また誠意と勇気をもって、政治の障害を克服し、中日両国の関係を速やかに健全な軌道上に戻すよう期待したい。 

この問題は日中国交正常化の時使われた言葉“解鈴還需繫鈴人”(問題を起こした人がその問題を解決すべきである)が役立つのではないだろうか。

(人民ネット北京8月15日/国紀平) 

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362 中国は見る(183)  靖国神社の誤った歴史観 【3】

人民日報評論:靖国神社参拝から間違った歴史観を見る③

 

主题:人民日报评论:从参拜靖国神社看错误的历史观

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(三)

 

歴史を忘れることは「裏切り」を意味する

歴史を改竄することは「同じ過ちを繰り返す」始まりとなる

 

第二次大戦が終わってからもう61年にもなるが、日本軍が侵略戦争中犯した行為は、時間の経過によって中国人の記憶から消え去るものではない。 国際社会の良識ある人々も、あの血腥い歳月を忘れていない。

 

“虐殺を忘れることは、第二の虐殺だ”

 

この意味するところは、靖国神社と靖国神社が盛んに宣伝する間違った歴史観は、中国及びその他日本の軍国主義により侵略を受けた国々にとっては容認することが出来ないということだ。

 

ご存知のように19世紀後半から、日本は軍国主義の道を歩み始め、一連の侵略戦争を開始し侵略に踏み込んでいった。 そのうちの大部分は中国への侵略戦争である。 この100年の間の日本軍国主義の野蛮な侵略は、悠久の歴史を持つ中華文明に大きな破壊をもたらし、中華民族に甚大な損害を与えた。 特に1937年以降の中国への全面戦争中は、日本軍は中国の軍民の虐殺、労働者の強制連行、婦女子への蹂躙、細菌戦や化学戦、そして南京大虐殺など一連の非人間的な残虐行為を行った。

今現在、中国の国土にはまだ多くの化学弾が残っている。

 

完全な統計ではないが、第二次大戦中、中国の軍人、民間人の死傷者は約3500万人。 1937年当時の価値で換算すると、中国の直接経済損失は約1000億ドル、間接経済損失は約5000億ドルに上る。

 

第二次大戦勝利後、極東国際軍事法廷及び中国、ソ連などの国での軍事法廷は、日本の戦犯に対して裁判を行った。 侵略戦争を始め両手が各国人民の血で汚れた首謀者には当然の処罰が下され、国際正義を広め、人間の尊厳を守った。 これは全世界の平和を愛し、正義を求める人々の共通の思いを実行したものである。 これは歴史の審判である。

この正義の審判に挑戦するいかなる企みも、人々から共感を得られるものではない。 

 

日本軍国主義は、中国に多大の災難をもたらしたが、中国政府と人民は広い心と最大の善意をもって、遺恨にこだわらず、旧悪を咎めず、日本に対して出来る限りのことを行った。 まず最初は、約200万の日本兵捕虜と家族の送還、その後、中国に抑留されていた戦犯を釈放し、対日戦争の賠償請求を放棄した。 事実が証明しているように、中国は日本に対し極めて寛容で公明だった。 こうしたことから中国は全世界から賞賛を受けた。

 

中国が期待することは、日本が歴史の真実を正視することだけだ。 真実を歪曲せず、欠落のない完全な歴史を虚偽のない真摯な態度で日本国民に話すことだ。 そして子々孫々までこのことを忘れることなく教訓とし、この基礎の上に立って中日両国が代々平和友好を実現していくことを願っている。

 

“信為万事之本”(信用は万事の基本である)、その当時、中国が行った義挙に田中角栄元首相と日本の多くの国民は感動し、田中元首相は、周恩来総理に日本のこの格言を贈り、日本が戦争犯罪を反省する決意と勇気を表明した。

 

日中国交回復後、両国の間には時々摩擦は生じたものの、両国関係は基本的には順調で着実な方向に向かって発展してきた。 21世紀に入り、日中関係に新たな一章が綴られるはずであったが、小泉首相になってから毎年靖国神社を参拝するという、時代に逆行することを行い、しばしば中国人民の感情を傷つけ、中日関係の発展に障害をもたらし重苦しい影を落とすようになった。

 

更に驚くべきことは、国際世論の非難に対し、問題を引き起こした当事者である本人は、まったく意に介さない様子で、“私は日中友好論者です。 中国が首脳会談をしないんです”などと言っている。

 

この「道理にはずれた」発言や行動は、中国として受け入れられないばかりか、当然、日本の多くの政治家、また一般の人々、外国の政治家達からも厳しい批判を浴びている。

 

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361 中国は見る(182)  靖国神社の誤った歴史観 【2】

人民日報評論:靖国神社参拝から間違った歴史観を見る②

主题:人民日报评论:从参拜靖国神社看错误的历史观

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/709876,5l.html

(二)

歴史を歪曲する教科書同様、戦死者を祀るという看板を掲げながら、実際は日本の少数の政治家と右翼勢力の間違った歴史観から、重要な象徴にされている。 参拝問題をめぐる紛争は、実質的には正しい歴史観、間違った歴史観という二つの歴史観争いになっている。

日本の政治家の中には国内外の強い反対を顧みることなく、再三靖国神社を参拝し、誤った歴史観を表明し頑なに日本軍国主義の“光栄ある業績”を顕彰するものがいる。 靖国神社参拝を“個人の「心の問題」”と言ったり、更には“「日本の文化」”のレッテルを貼ったりしているが、明らかに理屈になっていない。 これは日本軍国主義の侵略にあったアジアの国家人民の理解と同意を得られるものではない。 歴史や社会背景の違いから、世界各国、民族にはそれぞれ特有の民族の文化伝統がある。 日本の軍国主義に蹂躙された被災国として、中国政府と人民は日本の民衆が自分の伝統にのっとって、戦争中亡くなった身内の霊を弔い、靖国神社に行き自分の親戚、友人を祀ることには異議はとなえない。 しかし、国家の政治を代表する日本政府の指導者が、A級戦犯を祀り軍国主義のお先棒を担ぐ靖国神社に行くことは、中国人民としては受け入れられない。 

実際言って、靖国神社問題には根っから“日本の伝統文化”なんてないのではないか。 第一に、A級戦犯は第二次世界大戦の極悪非道な殺人者である。 その彼らを公然と“英雄”として祀っている。 軍国主義分子が発動した侵略戦争を“偉業”と称えている。 恐らく日本人の多くも、民族の伝統文化にこのような内容が含まれていることには同意しないだろう。 第二に、日本は第二次大戦後、1978年になってA級戦犯を合祀した。“合祀事業”を推進した青木一男(東条内閣の時の大東亜大臣)は、その当時隠すことなく語っている。“もし合祀しなかったら、東京裁判の結果を受け入れたことになる” これによってもわかるとおり、戦犯を神社の“合祀事業”に招じ入れたことは、戦争責任を完全に否定する間違った歴史観により出された特定の行為であり、決して日本の伝統文化といったものではない。 

中国、韓国などアジアで侵略戦争により蹂躙された国家、人民及び国際社会は、日本の指導者の靖国神社参拝に対して、心情的反感を表明しただけでなく、歴史に対して責任ある態度をとるよう求めた。

根本的なことを言うなら、私達が反対するのは、軍国主義と軍国主義を懐かしみ顕彰することに対してだ。 日本が間違った歴史観を捨て、歴史の事実を尊重し、歴史の教訓を汲み取り、二度と同じ過ちを繰り返さず、歴史の再演を防止することだ。

靖国神社問題は、中国関係にとって敏感で重要な問題だ。 歴代の日本の政治家はみなはっきりしていた。 以前の指導者は、賢明で慎重に対処してきた。 しかし小泉首相だけが中日友好の大局を見ず、あくまで参拝を続け、しかも明確に述べている。 “私の靖国神社参拝の意義は、2-30年後にはっきりするだろう” これは、小泉首相の心の内にあるもの“参拝”が、決して単純に“個人の「心の問題」”といった小さいことではなく、自分の深い政治信条によるものだということを説明しいていることになる。

小泉首相が、自分の“強硬さ”と“頑固さ”を通して、中国、韓国などアジアの国々に日本の誤った歴史観を受け入れさせ、認めさせようとする策謀だと分析する人もいることにもうなずける。

中国はこれまで中日関係を重視してきた。 誠心誠意、両国関係の発展に努めてきた。 しかし事は根本的な「是非」の原則にかかわるもので、私達は譲歩することは出来ない。

もし尊大な民族主義者か軍国主義復活の提唱者がどうしても自分がやると言って、どちらかが政権を執ることになったら、日本は中日友好の正しい軌道からどんどんはずれ、最後には、日本は“アジアと世界の孤児”に成り下がるだろう。

これは中日両国人民が見たくないものだ。

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360 中国は見る(181)  靖国神社の誤った歴史観 【1】

人民日報評論:靖国神社参拝から間違った歴史観を見る①

主题:人民日报评论:从参拜靖国神社看错误的历史观

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/709876,5l.html

8月16日《人民日報》に掲載された“国紀平”の文章

近年、中日関係は難しい局面に見舞われ、両国人民をやきもきさせると共に、国際社会からも注目されていた。

今年3月31日、胡錦濤中国国家主席は、北京で日本の日中友好七団体の代表と会見したとき明確に指摘した。“こうなった責任は、中国側にはなく、また日本の国民にもない。 日本の一握りの指導者がA級戦犯を祀る靖国神社に参拝し、中国人民を含む被害国人民の感情を傷つけ、中日関係の政治基盤を壊したことにある。

胡錦濤主席は、はっきりと中国政府の原則的立場を表明した。 中日政治の関係膠着状態を打破するためには、まず日本の指導者が頑なに靖国神社を参拝し、これがため中日関係改善に影響している問題を取り除かなければいけない。 この原則的立場に従い、中国側はいろいろな努力を重ねてきた。 

200608151412307c50d しかし小泉純一郎首相は、中国側の厳しい指摘と善意からの忠告に耳を貸さず、日本国内の強い反対も顧みず、国際社会の厳しい非難も無視、中日関係発展の大局をも気にすることなく、公然と“8月15日”という特別の日にまた靖国神社を参拝した。 このことは戦争被害国人民の感情をまた傷つけたばかりか、少し暖かさを取り戻したかに見えた中日関係に、更なる暗影を投ずるものとなった。 小泉首相は退任前の“最後の仕事”に得意のようだが、実際は、自分の政治生涯に重大な政治的汚点を残しただけだ。

(一)

《日中共同声明》など三つの政治文書を遵守することは、中日関係を発展し改善する政治の根本である。 その中で重要な内容の一つに、「日本が歴史問題を適切に処理する」ことがある。 中国側はこれまでずっと、日本軍国主義の侵略の歴史を正確に認識し対処することが、日本がアジアの隣国と国際社会から信用を得る必須条件であり、中日間で避けて通れない重大原則であるとしてきた。

しかし小泉首相は、中国政府の強い反対を顧みることなく、また日本政府が歴史問題で出してきた一連の厳粛な態度表明とお詫びを無視し、6年連続して靖国神社を参拝し、なおかつ参拝は、“心から平和のため”“これは日本の文化だ。 誰も干渉できない”と発言した。

靖国神社を参拝する問題は、一体、中国が小さなことを大げさに言っているのか、それとも日本の指導者の独断専行で、間違った道をドンドン突き進んでいるのか?

靖国神社自体に恰好の回答がある

1869年に建てられた靖国神社は、第二次大戦前は日本の軍部の所管だった。 日本国民に“聖戦”で身をささげる呼びかけをする重要な場所だった。 今ここには、明治維新以降のいくつかの戦争で亡くなった戦没者を祀っているばかりでなく、東条英機など極東国際軍事法廷で刑を言い渡されたA級戦犯14名も一緒に祀られている。 この14名のA級戦犯のうち13名が、直接中国侵略戦争に関係し指揮を執っていた。

靖国神社に付設されている遊就館の中には、戦犯達の写真、遺品が陳列されているほか、14名のA級戦犯達が獄中で署名した日本国旗も展示されており、説明文には“日はまた昇る”の字句が見えた。 ここでは、

侵略を侵略と呼ばず、“進入”としている。 日本が始めた侵略戦争を“日本人が日本を守るため戦った戦争”であるとし、極東国際軍事法廷で戦犯に出された判決を、“真実の歴史”の改竄であり、“日本人の名誉、誇り、尊厳に対する一種の犯罪”だとしている。

最近になって遊就館は、中国語、韓国語のパンフレットを作成しているが、その紹介文の中には、処刑された戦犯を堂々と“昭和殉難者”と呼んでいる--------

このような靖国神社、このような遊就館、どこが死者を弔い、身内を追慕する殿堂だ?

明らかに歴史を歪曲し、正当な道理を踏みにじっており、戦争犯罪人を称揚する記念館であり、無実を訴え招魂する場所である。 日本人の目からも、中国、韓国の人々の目からも、靖国神社は普通の神社ではない。

それは人類の重要な歴史の評価に関わるものであり、第二次大戦被害国人民の感情に関わるものである。 また国際正義と道理に対する同意か否定かに関わるものである。

それ故、日本政府の指導者の靖国参拝は、日本の内政ということばかりでなく、中日国交回復時の政治原則に関わるものであり、日本の戦後再建の出発点に関係するものであり、第二次大戦後の国際秩序に波及するものである。 また同時に日本と中国だけの問題にとどまらず、日本とアジアの被害国、日本と国際社会の問題となるものだ。

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359 中国の三面記事を読む(76)  張芸謀とスピルバーグが《西遊記》を撮る

張芸謀とスピルバーグが提携 孫悟空役には周傑倫が有力

2006-08-14 11:10:56 张艺谋携手斯皮尔伯格周杰伦有望“孙悟空

来源:中国青年报(北京)网友评论121条进入论坛

Img242398931 記者は、昨日間もなく“映画を休業”する張偉平氏(北京新画面影業有限公司理事長)から、2年後、張芸謀、スピルバーグが一緒になって《西遊記》を撮り、周傑倫が“孫悟空”の有力候補になっている話を聞いた。 この空想とユーモアにあふれた映画を、張芸謀が2008年北京オリンピック開会式の監督を終えた後、初めて撮る映画になりそうだ。 正月映画として、もうすぐ上映される《満城尽帯黄金甲》は、張芸謀の時代劇シリーズの完結編となる。

“西遊記”-------芸謀が想像力を駆使し スピルバーグは特撮で応援

Photo_74 今年4月、スピルバーグと張芸謀は北京で会った。 二人の大監督が顔を合わせたとき、スピルバーグが自分の願望だと切り出した。 “張芸謀と一緒に仕事がしたい。 彼がファンタスティックな映画を撮るなら、きっとすばらしいものが出来るに違いない”

張芸謀は、2008年の北京オリンピックの開会式の監督をするので、2年間映画は休むことになる。 相棒の張偉平も彼と一緒に映画を一休みする。 新しい映画作るまで2年間の休業だ。 昨日、張偉平は記者にこのニュースを教えてくれた時、同時に明らかにしてくれたことがある。 張芸謀監督が、2008年のオリンピックが終わった後の、次の新作をもう考えてある。 彼はスピルバーグと手を組んで、中国歴史上一番奇想天外で、想像力に富んだ作品------《西遊記》を空想大スペクタル映画として撮る予定だ。 二人の監督が一緒になって作る。 スピルバーグは、その特撮技術を、裏方として映画表現に最も適した特撮技術で応援し、張芸謀は中国の伝統文化が持つ想像力を大いに発揮することになる。

Zhoujielun “孫悟空”------周傑倫が適任:理由:出来た人間、仕事もできる

張芸謀がいずれ撮ることになる《西遊記》は、原作に忠実に、三蔵法師一行の西天取経の物語を再現する。 映画の全編を通して中国の伝統文化の風格を持ったものにする。 脚本の作成も含め張芸謀自身が取り組み、ハリウッド・スタイルの西遊記映画にはしないということだ。 《西遊記》映画の主役はまだ決まってはいない。 みんなの関心の的である“孫悟空”、このおなじみの役を一体誰が演ずるか? アジアの小天王といわれている周傑倫の姿、才能がひときわ目立ち、“孫悟空”のイメージにピッタリ。 張偉平は、“彼はすばらしい候補者だ”と認めた。

張芸謀の《黄金甲》の中での演技が大変よかった。 張偉平は周傑倫を見直したという。 “周傑倫は確かにいい俳優で、仕事への取組みも真面目だし、よく勉強している。 実際のところ、こんなに真面目に仕事する若い俳優見たことがなかった。 とても伸びる可能性があると思う”

“黄金甲”------最後の時代劇映画

歌劇《秦始皇》のリハーサルと《黄金甲》の後半の完成を目指している。張芸謀監督は今、今年12月21日に《秦始皇》を大都会歌劇院で世界三大テノールのドミンゴで披露し、同日に《黄金甲》を全世界同時公開と大忙しだ。 《満城尽帯黄金甲》は、張芸謀Photo_73 監督の時代劇映画最後の作品となる。 彼の心の中では《英雄》(HERO)、《十面埋伏》(LOVERS)から《黄金甲》に至るこの三作品には、時代劇(武侠)映画にこだわり続けた監督としての起承転結の最後の作品で、これで区切りをつけたと言える。 今後、二度と武侠映画は撮らないだろう。 

張偉平は、“《満城尽帯黄金甲》を見てもらえばわかるが、張芸謀がなぜこの映画で武侠映画を最後にするのか? 彼は自分の表現したい思いを全部、三部作に表現できたと思ったからだ。 この作品は集大成の作品で、時代劇映画はこれでおしまいだと言っていた”

この3億6千万元を投じて作った“黄金甲”は、今丁度、梅林茂の音響効果と周傑倫の歌う主題歌の真っ最中で、9月初めにはすべての仕事が完成する見込みである。

【関連ニュース】

1.    中央電視台版テレビドラマ《西遊記》は、すばらしい作品と言える。 今、この名作を映画界が格好の材料として狙っている。 たとえば徐克監督、六小齢童は、それぞれ映画版《西遊記》の計画を打ち出している。

このような多くの強敵出現に対し、張偉平は、“私達はほかの人が、先に映画化するのは気にしない。 中国の伝統文化をよく体現し、よりよい特撮で物語全体を表現できると思っているからです。 張芸謀とスピルバーグの撮影作品こそ、西遊記の本命版になります。 

2.    六小齢童版

 六小齢童(本名:章金莱)は前にこう述べていた。 9月28_2 7日から28日頃、北京人民大会堂で記者会見を行い、映画《西遊記》の孫悟空に出演することを正式発表する。 脚本はすでに完成し、外国の資金と技術によって最高の作品を作りたい。

3.    ジャッキー・チェンとジェット・リー版

Lilianjie_1Chenglong_1    ジャッキー・チェン(成龍)とジェット・リー(李連傑)、この二人が共演するハリウッド映画は、《西遊記》にヒントを得た作品で、来年3-4月頃、上海で撮影が始まるとのこと。 ジャッキー・チェンとジェット・リーのどちらか一人が、孫悟空になるようだ。 しかし最近、ジャッキー・チェンは香港で取材陣に対し、自分がやるのは“藍采和”(八仙人の一人)で、ジェット・リーも《西遊記》の悪役になると明かした。

4.    徐克版

徐克は今年上海国際映画祭で、生きている間にぜひとも《西遊記》を大スクリーンに登場させたいという夢を披露した。 徐克は《西遊記》を最終的にどういうやり方で見せるかは、今まだ決めていない。 しかし私は生きている間に、この作品を完成したいと思っている。 でなければ死んでも死に切れない。 

5.    日本版

今年5月、フランスのカンヌ映画祭で発表された日本版《西遊記》は、原作のテーマをメチャクチャに破壊したものだった。 例えば、孫悟空は神経質なヒーローに描かれ、“ミニスカート”を穿いていた。 これについて、中国国内の多くの文化人から非難の声が上がった。 “名作を改作するのはいい、しかし限度というものがある。 でたらめに直すことはダメだ。

【参考】

1.        144 中国は見る(57)日本版“西遊記”好調なスタート 2006-01-13

2.        154 中国は見る(65)日本版“西遊記”中国での評判  2005-01-23

3.        184 孫悟空ハリウッドへ飛ぶ  2006-02-22      

4.        289 中国の三面記事を読む(41)ハリウッド いよいよ「西遊記」を映画化か?《上》 2006-06-09

5.        290 中国の三面記事を読む(42)ハリウッド いよいよ「西遊記」を映画化か?《下》 2006-06-10

6.        347 中国の三面記事を読む(72)ハリウッド版「西遊記」 いよいよスタート ジャッキー・チェンかジェット・リーが 孫悟空役?  2006-08-07

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358 中国は見る(180)  なぜ小泉首相は終戦記念日に靖国神社を参拝したのか?

2006-08-16 14:44:01 主题∶香港评论:为什么小泉在终战纪念日参拜神社

:http://bbs6.news.163/com/zhongri/711812,3.html

小泉首相は15日、日本国内、国外の反対を顧みることなく、やはり終戦記念日に靖国神社を参拝した。

これは日本の首相としては、21年前に中曽根康弘元首相が8月15日に参拝して以来のことであり、小泉首相は2001年の強力な支持団体である日本遺族会との選挙公約を果たしたことにもなる。 また一方では中曽根元首相の前例復活を図ったものでもある。 

小泉首相は事前に何度も予告をしていたので、各界とも意外性はなく、日本国内の一部の批判のほかは、中韓からもいつもの参拝の時に比べ抗議表明の最短記録を作ったくらいだ。 中国国内もデモはなく、 どうやら小泉首相の15日参拝の影響を最低限に抑え、わざと見ぬ振りして、次期首相に期待を寄せ、未来を向いてるようだ。 何しろ小泉首相の任期はあと一ヶ月なのだから。

参拝形式は厳かに

小泉首相の今回の参拝の理由は過去5回と同様である。 「国のために亡くなられた方に追悼のまことをささげ、不戦と平和の思いを新たにした」。 しかし明らかに去年と大きな違いがある。 去年は大阪高裁で小泉首相の靖国参拝が違憲だとの判決が出たことを考慮し、参拝の際は普通のスーツでしかも靖国神社本殿の参拝を避けていた。 今年はモーニングを着て、本殿昇殿を復活させ、「内閣総理大臣」の記帳をした。 このように厳かに行われたのは、やはり8月15日という敏感な日を選んだことにある。 

8月15日は韓国の解放記念日にあたる。 35年間の日本の殖民統治から解放された記念日である。 事前に中韓や日本の経済界からも、小泉首相にこの日には参拝しないように要望書を提出していた。 しかし小泉首相は、やはり意固地になってこの日に行った。 しかも今年の春から絶えず暗示を繰り返していた。 8月に入って、10日になると明らかに参拝すると明言していた。 小泉首相の宣伝が効を奏したのか、各界も彼が8月15日にこのタブーを犯すことに麻痺してしまった。 反発は意外にもそんなに強烈なものはなかった。

日本国内で比較的反対の声が強かったのは、同じ政権党の公明党や民主党及び小泉の盟友だった自民党の元幹事長加藤紘一。 この三者はいずれもアジア外交の観点から反対した。 加藤紘一元幹事長は、「小泉首相の靖国参拝により、日本の対中、対韓関係また全アジア外交はすっかり壊されてしまった」。 小泉首相の靖国神社参拝批判の大部分は、中韓を刺激するというものだった。 

日本人の歴史観を変える

小泉首相が任期内に6年連続靖国参拝したことは、日本人の第二次世界大戦に対する歴史観を変えさせ、右傾化させ、第二次大戦の責任を曖昧化させた。 例えば小泉参拝に反対の「読売新聞」は、今後、同新聞は太平洋戦争等を一律に「昭和戦争」にすると発表した。 「読売」の考えは、戦争責任は戦勝国の観点だけで見るべきでなく、敗戦国日本の観点でも見なくてはいけない。 この日本の観点から歴史を見直す風潮は、実のところ小泉首相の参拝と非常に密接な関係がある。 

小泉首相はどうしてもこの日に参拝しようとした。 選挙公約以外に、小泉首相の誰がなんと言おうと頓着せずにやるスタイルと関係がある。 「8月15日を避けても、いつも批判、反発する人がいる。 いつ行っても同じですね」や「いかなる批判があろうとも必ず行く」など。

事前に絶えず小泉首相の靖国神社参拝に強く反対していた経済界は、今日、中国が小泉首相の参拝問題を拡大する雰囲気がないことを見てホッとしていた。 北京の日本大使館前には30人ばかりが抗議に行っていたが、事前に許可を得たもので午前10時頃には解散した。 財界はもう小泉首相の批判はやめた。 小泉首相の参拝を個人レベルに落とした。

中韓の反応 次に期待

中韓は抗議したけれど、本音は次の首相に期待を寄せている。 韓国のノムヒョン(芦武鉉)大統領は、次期首相が参拝しないよう、そして靖国神社問題等を解決するよう要求した。 どうやら大々的に反発するつもりはないようで、ポスト小泉の選挙にも大きな影響はでない模様。

現在当選確実視されている安倍官房長官は、靖国参拝を争点にしないよう慎重に動いている。 それは安倍官房長官が首相は参拝に行くべきだと考えているからだ。 最近、靖国神社に代わる新しい国立の追悼戦没者施設を建設することについて、安倍氏は小泉首相より積極的だ。 もし安倍氏が本当にその方向に邁進するのであれば、靖国問題は解決できるし、彼の後継に影響はないのだが。 

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357 中国の三面記事を読む(75)  北京オリンピックの警備対策に新兵器

大型スーパー・デパートも顔の識別システム導入

2006-04-26 09:51:03 北京奥运安保计划出炉大型商场装人脸识别系统

来源:新京报(北京)收藏此页网友评论0

2008年の北京オリンピックでは、どうやってテロ事件の発生を阻止するか? 人々の顔を識別する技術が入場者のチェック管理に効果があるという。 この人の顔の骨格から識別する尖端技術は、人がいかに多かろうと瞬時に一人も漏らさずキャッチすることができる。 たとえ5分の1の側面だけだろうと、数秒で“不審者”を識別することが出来。変装してもごまかすことが出来ない。

顔の識別システムは、骨格の識別原理を採用しており、2008年より前に、北京500ヶ所の大型スーパー・デパートにもこのシステムを導入する予定。

昨日、北京市2008年オリンピック警備対策専門チーム馬昕氏は、本社の取材に応じ次のように語った。 オリンピック警備対策チームは30項目の警備対策を作っている。 危険要素の想定は、例えばオリンピック施設への乱入、街の一部の騒乱状態、自然災害、テロ活動などに関わることだ。

先頃、北京のオリンピック競技施設24ヶ所、訓練施設25ヶ所、非競技施設6ヶ所に対して、北京オリンピック警備対策チームは、警備チェックを行い。600もの改善案を出した。 “安全こそ競技場の第一要素である”

北京オリンピックでは、新しい技術が初披露される。 顔認識システムだ。 人の顔の認識システムは、骨格の識別原理を応用し、0.01秒の速さで反応する。 速度の遅い速いはシステムの指揮センターの配置状況によって決まる。 もし指揮センターのコンピューターシステムが高速レベルであれば、隠しカメラが送ってくる画像を瞬時に解読できる。

人の顔認識システムはすでにいくつかの種類が出回っており、街頭で使用されたり、大型スーパー・デパートにも設置される予定だ。 

2008年北京オリンピックで街全体を警備する一環として、北京500ヶ所ある大型スーパー・デパートに顔認識システムが導入される。 この主な特徴は、大量画像をキャッチする能力に優れていること。 たとえば、数十人が一度に入口を通っても、一人も漏らすことなくその顔を捉えることが出来、たとえ早く歩こうが、どんな格好であろうが漏らすことはない。

北京オリンピックで初めて使用される顔認識システムとは一体どれくらい正確なのか? 記者は最近この認識技術の実験を見せてもらった。 

テストのモデルはメガネを掛けた青年だ。 わずか数センチほどの隠しカメラが回ると、メガネを掛けた青年の写真がモニター画面に映し出される。 操作員がその画面をコンピューターの“ブラックリスト”に入力した。 数分後、青年がメガネをはずし、黒い塗料でヒゲを描き、顔やアゴを黒く塗った。 すっかり顔付きを変えたところで顔をカメラの下に出した。 顔を完全に見せてはいなかったのに、コンピューターはすぐ赤く点灯した。 操作員は、これはコンピューターがブラックリストの人間が現れたとの警報を出しているのだと言った。 青年が今度は女性用のスカーフで顔を隠し、ただ目だけを出し、カメラの前まで歩いていった。 コンピューターがまた“不審者”が現れたと警報を出した。 

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356 中国は見る(179)  小泉首相 今朝 靖国神社に6度目の参拝

小泉首相 A級戦犯を祀る靖国神社にまた参拝

2006-08-15 08:13:00 小泉再度参拜供奉有二战甲级战犯的靖国神社

来源:中国新闻网(北京)网友评论6条进入论坛

中新ネット東京8月15日電:小泉純一郎首相は今日午前、日本時間7時40分、再度A級戦犯を祀る靖国神社に参拝した。 今回は、やり方を変え“事前表明”して参拝した。

Photo_71 これで小泉首相就任後、連続6回目の靖国参拝となる。 また初めて8月15日という敏感な日を選んでの参拝である。

これより前、小泉首相はあいまいな言葉で、任期中の残りの期間中に選挙公約時の“約束”を果たすと暗示していた。

Photo_72 小泉首相がアジアの被害国民の感情を無視し、毎年靖国神社を強引に参拝するやり方は、日本とアジアの隣国の関係に影響を与え、中国、韓国などアジア隣国から強い抗議を受けた。

今、日本国民の多くも小泉首相の参拝に対し否定的な態度をとるようになり、日本のアジア外交によくないし日本の国益を損なうと感じている。

日本の主要メディアの最近の世論調査でも、小泉首相の参拝継続に反対する割合が半数以上になっている。 また日本のメディアの多くも、違う角度から小泉参拝に対する疑問を指摘する論調も増えている。 

しかし小泉首相は、あくまで参拝にこだわり、任期終了間際に今までより更にひどい選択を行った。

【外交部ウェブサイト】

今日8月15日、小泉首相はA級戦犯を祀る靖国神社に再度参拝した。

中国政府は、この日本の軍国主義侵略戦争の被害国人民の感情を傷つけ、中日関係の政治的基礎を破壊する行為に対し、強く抗議する。 靖国神社が祀るA級戦犯は、日本軍国主義が対外侵略を開始、実行した計画者であり、指導者である。 近代歴史においてアジアと世界に大きな災難をもたらした首謀者である。

小泉首相は、国際社会とアジア各国と日本国民が関心を持ち、反対しているのを無視し、あくまでも自分の意志に固執し、この戦犯を祀る靖国神社に参拝した。 これは国際正義に対する挑戦であり、人類の良識を踏みにじるものである。 中国は日本軍国主義の対外侵略戦争の最大の被害国であり、日本の侵略戦争で中国人民は極めて重大な災難を蒙った。

この歴史を正しく認識することが、戦後の中日関係の恢復と発展の政治の基礎であり、両国が共に未来に向かう前提である。 

小泉首相は、絶えず歴史問題で中国人民の感情を傷つけ、国際社会で信用を失ったばかりか、日本人からも信用を失い、日本の国のイメージと利益を損なっている。

中日関係の健康なる発展を守ることは、両国人民の根本的利益に合致するものであり、アジアと世界の平和と安定につながるものだ。

中国政府と人民は中日友好を大切にし努力する日本の政治家と日本国民と共に、中日の政治三原則に立って、“歴史を鑑に、未来を目指す”精神を持ち、たゆまぬ努力で両国の平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展をめざそう。

日本の各界有識者の人達が、歴史の流れに従い、政治の障害を取り除き、中日関係をなるべく早く正常な道に戻すため力を尽くしてくれると確信している。 

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355 中国の三面記事を読む(74)  世界各国老人事情

世界各地老人趣闻

1.【日本】“痴呆”は老人を侮辱するものだ 新病名を募集

日本はすでに高齢化社会に突入している。 先頃発表された統計結果によると、5人中1名は65歳以上の老人で、しかも“痴呆症”にかかっている老人が多いという。 日本の厚生労働省は“痴呆”という言葉には侮辱的意味合いがあり、老人に対する尊敬といたわりが欠けているとし、ホームページなどで病名の6つの代替候補を提案し、一般から最適な呼び名について意見を求めた。

痴呆はボケやバカといった意味から使われたものだが患者本人やその家族にとってはつらいものである。 この言葉は人に不快感や軽蔑した感じを起こさせ、その病気の早期診断のためにならないばかりか、患者の痴呆症予防活動などにも支障がある。

厚生労働省が提案した6つの代替呼称案は、「認知症、認知障害、もの忘れ症、記憶症、記憶障害、アルツハイマー」

代替用語には、わかりやすく簡潔さが求められている。 ①人に不快感、侮辱感を与えない。 ②人の心を暗くさせない ③“痴呆”と同一の性質を有するものとする。

2004年11月19日、痴呆に代わる名称を検討していた厚生労働省の検討委員会は、一般市民や関係学会の意見を踏まえて論議した結果、新呼称を「認知症」とすることで大筋一致した。 2005年の通常国会で、「痴呆」の呼称を変更するという。

2.【オランダ】 老人病防止のため 乳しぼり

風車とチューリップに酪農で有名なオランダは出生率が年々下降し、老年人口が増え続けている。 現在、オランダの老人は、進んだ農業と美しい自然環境を結びつけて、沢山の新型の健康活動を開発している。 

現在、ますます増えたオランダ都市部の老人が、田舎の牧場で乳しぼりをするのが流行っている。 乳しぼりは一種の“手指の運動”にもなり、老人病防止に一定の効果があるといわれ、それに田舎の空気はすがすがしく静かな環境とのんびりした生活リズムは老人の心身にとてもいいものだ。 50過ぎから80歳台のこれら老人達は、指導を受けながら定期的に毎日最低一時間の乳しぼり作業を真剣にやっているということだ。

3.【イギリス】 60年前の初恋の人と80歳にして結ばれる

イギリスの80を過ぎた元恋人達が、60年経ってやもめ同士となり、幸せそうに教会に向かった。

82歳の新郎クーパー氏は退役軍人、89歳の新婦ナンシーさんは元宣教師。 60年前、ナンシーさんは港に許婚のオーバー氏を出迎えに行った。 しかしその日オーバー氏は船に乗っておらず、ナンシーさんは美青年だったクーパー氏に出会った。 ナンシーさんはたちまちこのスコットランドの兵士が好きになったが、結局ナンシーさんは許婚と結婚した。

二年ほど前、オーバー氏が亡くなった。 ナンシーさんはすぐクーパー氏のことを思い出し、あちこち聞いて回り、ついにクーパー氏を尋ね当てた。 クーパー氏も丁度妻を亡くしたところだった。 二人はしばらく交際した後、クーパー氏は彼より7つも年上の彼女のことが好きになり、求婚する。 ナンシーさんはもちろんOK、ほどなくこの老カップルはスコットランドで結婚式を挙げ、60年来の夢がついに実現された。

【追記】(日本) 

2006年7月24日 毎日新聞(夕刊)に86歳女性初恋の人に会いたい という記事が載っていたのでご紹介します。

No2_126 「恋したい」相談特別編 戦地から手紙をもらったまま 消息が分からなくなった初恋の彼に会いたい-------恋」欄の編集部に6月、86歳の女性からこんなお便りが届いた。 当欄で受け付けている相談の趣旨とは違うが、切々としたその文面に打たれ、一度だけ特別編で、消息を辿る取材に出た。 70年間、埋み火のように残る恋心の行方は。

No2_125 埼玉県蕨市の相沢たけさん。 尋ね人の手がかりは「森総平さん」という名前と、当時の森さん宅の大まかな住所。 それに、陸軍中尉として中国大陸に渡っていたこと。 他の手がかりはないか、相沢さんに電話を入れた。 懸命に記憶の糸をたぐる相沢さんから聞けたのは、16歳当時の淡い恋の思い出だった。

宮城県東松島市出身の相沢さんは、汐留めの親戚を頼って上京した。 2・26事件が起こり、軍靴の音が高まってはいたが、まだ静かな生活が続いていた。 そんなある日の夕方、家の外から英語の歌が聞こえてきた。 誰? そっと戸口を開けると、セーター姿で自転車に乗った青年。 初対面でいきなり「君、散歩に行かない?」と誘われた。 驚いていったんは隠れたが、好奇心から、結局「行きます」と返事をしていた。 青年が森さんだった。 その日から、毎晩のように2人で散歩した。 時に浜離宮や東京湾まで。 明るく博識な森さんの話を聞いていた。 夜が来るのが待ち遠しかった。 だが翌年、森さんは銀行に就職し、めったに会えなくなった。 相沢さんも実家に帰ることになったが、別れも告げられなかった。 やがて太平洋戦争が始まり、森さんは出征。 戦地からはがきが届いたが、返事は書けなかった。

 

手がかりは軍歴。 資料をたどって所属部隊が分かり、靖国神社を訪ねた。 目当ては戦友会の連絡先一覧。 「参謀部暗号班・隼会会長」に森さんの名前があった。 すぐ電話を入れ、長女に事情を説明した。 住所は横浜だった。

相沢さんに伝え、森さん宅を訪ねたのは7月15日。 玄関を開けると、カラフルなシャツに身を包んだ森さんの遺影が、相沢さんを出迎えた。 森さんは昨年10月、85歳で亡くなっていた。 相沢さんは「やっと会えました」と言い、手を合わせた。

離ればなれになった後、相沢さんは20歳で親の勧めで結婚した。 男児3人に恵まれ、夫は5年前に他界。 一方、森さんは終戦の翌年に結婚。 一男一女をもうけ、銀行や商社を経て、貿易会社を設立していた。

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354 中国の三面記事を読む(73)  “三光”という言葉を知っていますか? 《上》

杭州の日本企業“三光”を商標登録申請 民族蔑視と非難を受ける

2006-08-10 03:16:06 杭州日本企业申请三光为商标被指民族歧视

来源:现代金报 网友评论39条进入论坛

日本企業が“三光”の商標登録申請

公告期間中(認可まで後18日) 杭州の商標事務所から異議申し立て

新聞社の無作為街頭調査 市民からも「ノー」の声

昨日朝、杭州市の裕佳商標事務所の馬社長が、いつものように出勤すると商標登録画面を立ち上げ、眺めているうち驚くべきものを見つけた。

馬社長は、「私は毎朝習慣として、どんな商標登録の申請公告があるか見ています。 私の顧客が関係しているかもしれないからです。 その中で思いがけなく“三光”という商標が目に入ったのです。 しかも日本の会社が登録申請しているのです。 この公告の締め切りまで、あと18日ということもわかりました。 歴史を知っている中国人なら、“三光”という文字を見たらピンとくる筈です」

一商標事務所が異議書を提出

馬社長の調査では、福見産業株式会社が2004年1月2日に“三光”の商標登録申請を行い、2006年5月28日に公告手続きに入った。

もし3ヶ月の公告期間内に異議を申し立てる人がいなかったら、この日本の会社は2006年8月28日に登録証明を取得できるという。 この日本企業は“三光”を“薬、薬物飲料、医用栄養品”として商標申請し、中国国内で広く販売しようと計画していた。

日本企業が故意にこの文字を使用したかどうかはさておき、外国で活動する企業として不快な意味合いを持つ語彙を、商標とするのは適当ではない。 我国の商標法第十条第六項の規定に、“民族差別的な表示を示すものは、商標として使用することが出来ない”とあり、第八項の規定には、“社会主義の道徳を害するもの、またその他悪い影響を与える表示は商標として使用することが出来ない”とあり、どの条文から見ても、商標局は“三光”商標の申請を許可すべきでない。 馬社長は更にこう述べた。 “今現在、「三光」商標の公告終了まで18日間ある。 昨日、当事務所は資料を集めて、同商標に対して異議申し立てを行った”

しかし馬社長が、今一番心配していることは、彼の異議に対し相手側も弁明する。 もし勝てれば商標局はこの商標申請を撤回する。 しかし、もし負けたら商標局はこの商標登録を許可することになる。 だから異議申し立てははっきりした観点で行わなければいけない。 これは今までの異議申し立てとは違い、難しいものだった。 馬社長は深思熟慮の末、商標局にこの商標は悪い影響を与えるものとして、自ら書いた異議申立書を提出した。

記者も国家商標局が公表した商標公告2006年第20期総第1025期第113頁に、この“三光”の商標公告を見つけた。 公告の公示開始期日は2006年5月28日、公示終了期日は2006年8月28日となっており、同商標の使用商品の範囲は「薬、薬物飲料、医用栄養品及び医薬製剤」となっていた。

代行会社 “顧客の要求なので仕方がない”

記者は昨日、この商標登録を代行した上海専利商標事務所有限公司に電話した。 同社は、“この商標は顧客から依頼を受けた。 顧客の要求なので、仕方がない。 この商標は中国ではまだ商標登録がなかったので、顧客は登録できると思ったのでしょう。 私は商標法に違反はしてないと思っています。 もしそうでなくダメなら、商標局が許可しないでしょう。 最初依頼を受けた時、お客さんの目的がはっきりしなかったので、ああいった形で申請しました”

中国の商標協会専門委員会の責任者は、“ただ「三光」という文字だけなら、第一印象で「三光政策」に結びつけることはないでしょう。 でも、この登録しようとする企業が日本の会社ということになると、人によっては感情的に受け入れられない人もいるかもしれません。 でも、もしシンガポールの会社が登録するとしたらどうですか? 「三光」というこの言葉は、見方によって違う理解が出来るということです” 商標事務所が異議を申し立てたということについて、この責任者は、“それは問題ありません。 異議は誰でも出来ますから”

ランダム調査 「市民の答えは反対」

記者はこの問題を何人かの市民に取材してみた。 記者がこの事件の概要を話し、市民から意見を訊いたところ、みんなそんなの認められないとの回答だった。 

楊さんは記者に対し、“個人じゃ、こういった情報に触れる機会がないから、この「三光」という言葉が商標登録されるなんてみんな知らないでしょう。 でも今、商標事務所の人が見付け、異議申し立ててくれたことはうれしいことです。 もしずっと誰も知らず、異議申し立てする人もいなくて、登録されてしまったとしても、私はこんな商標の商品なんか絶対に買いませんよ。 でも、異議申し立てする人がいて良かった。 私も異議申し立てに加わりたいくらい”

何小姐は、“日本の会社がこんな商標を登録する目的がわかんない。 この会社は一体なんのつもりかしら。 中国人だったら誰だって、この文字がどんな意味を持っているか知ってるわよ。 中国人はみんな、こんな商標が登録され使用されるのに反対だと思うわ”

この問題について、現代金報新聞の読者でいろいろなご意見お持ちの方いらっしゃると思います。 金報ホットライン56161916までご連絡ください。

【関連資料】

“三光政策”(三光作戦ともいう)

歴史の資料によれば、1937年7月7日(盧溝橋事件)、日本は中国との全面戦争に突入した。

日本の中国侵略戦争中、華北(北京・天津両市と河北、河南、山東、山西を指す)で“三光政策”という“治安強化作戦”が実施された。

1938年10月から1940年10月までの間、日本軍は主力軍を次第に解放区に移動させ、50万もの兵力を動員し、八路軍が活躍していた華北地区で1000人規模の掃討作戦を100回以上行った。 毎回掃討の際、抗日根拠地の住民に対し、“殺光、焼光、搶光”(殺しつくす、焼きつくす、奪いつくす)という残虐な行為を行った。 これを“三光政策”と呼んだ。

この政策で、1943年だけでも、日本軍は3ヶ月で住民の家10余万軒を焼き払った。

はっきりした統計ではないが、1941年から1945年の抗日戦争勝利まで、華北の抗日根拠地では、日本軍の“三光政策”の暴虐により、河北省唐山市豊潤の潘家峪のような虐殺事件が数限りなく行われた。

晋察、山東、熱遼などの七つの解放区の統計によると、抗戦8年の間、殺害、虐待、傷病により死亡したもの、320万人、捕虜となったもの(多くは兵隊)276万人。 牛、ロバ、ラバ、馬などを強奪、殺害されたもの530万頭。 豚、羊などの損失4800万匹。 焼失家屋8950万軒。

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353 中国は見る(178)  北朝鮮ミサイル 福田康夫を倒す 【下】

北朝鮮ミサイル乱射、親中派政治家 福田康夫を倒す【下】

2006-08-01 15:41:37 主题∶朝鲜的导弹乱射、射倒了日本亲华政治家福田康夫

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/661821.htmi

2002年9月、ピョンヤンで行われた日朝首脳会談に金哲も人目につかない形で列席していた。 その時、田中局長は日本側の誰にも金哲を紹介しなかった。 重村教授はこれを許すことが出来ないことだと考えている。 

小泉訪朝後、暫くして5人の拉致被害者が日本に帰って来た。 その時、田中局長は、この5人を北朝鮮に戻す考えだった。 理由は、彼が金哲とそのような密約を交わしていたからだ。 拉致された5人の人生より、田中局長は金哲との個人関係を重視していたのだ。 本の中には、当時の中山恭子内閣官房参与が田中均を叱りつけ、「局長、あなたがやっているのは外交ではない。 北朝鮮へのお願いです。 外交官なら、お願いをやめて、外交をやりなさい」と言ったと記述している。 また田中局長が、独断で北朝鮮側と、「2003年1月1日からの国交正常化」、「毎年15億ドル、六年間の経済協力」の約束をしていたことを明らかにした。 「一外交官が、政府の承認もなく、勝手に相手側の特務機関のトップと両国の国交時期や経済援助の金額まで約束するとは“売国外交”でなくてなんだ!」と重村局長は憤慨していた。

秘密交渉の田中均には、何の外交の記録もなく、とても外交官とはいえない。 田中均は日米同盟の存在をまったく無視し、アメリカに隠れて行った秘密外交が、目下の日朝関係を危機に陥れた根本原因であり、日米同盟関係にも重大な危機をもたらした。 外務省を退職した田中均は、国民に真相を説明すべきだ。 

外務省局長の外交スキャンダルの暴露が、なぜ福田康夫の政治生命の終結になるのか?

日本のメディアは、田中均と福田康夫が親密に付き合っていたことを、以前伝えていた。 田中均の秘密交渉の背後にいたのが、当時の影の外務大臣--------福田康夫だった。

重村教授が意図するところは、福田康夫こそ、いわゆる「売国外交」の真の責任者だということだ。 北朝鮮の政治体制を考えれば、国家安全保衛部第一副部長は、金正日の腹心中の腹心であろう。 そうなると、金哲と田中の密約は、金正日と福田康夫の密約と理解できる。

今、「売国外交」と言われているこの密約はとっくに破綻したが、日米同盟の安全を脅かした。 日朝間は国交がまだ結べないどころか、小泉首相と金正日が調印した「ピョンヤン宣言」さえ、「乱射」後は、事実上もう破棄されたようなものだ。 

そこで金正日のミサイルと日本国内の沸騰した世論、それに怒ったアメリカの挟み撃ちにあい、福田康夫------このハト派で親中派の政治家の政治生命が絶たれたわけだ。 ここで疑問に思えてならないのは、5年前の話が、何故、今日に至って重村智計教授から公表されたのか?

関係資料を詳しく調べたところ、面白い事実がわかった。 重村智計教授は、以前「毎日新聞」の記者だった。 安倍晋三の父親、元外相で中国の老朋友である安倍晋太郎もかって「毎日新聞」の記者だった。 これには思わず噴出すところだった。 

金正日の「乱射」とはまるで逆だが、9月の日本の政局転換を前にして、重村智計教授が投げた爆弾は正確に命中爆発した。 重村智計教授の情報はどこから手に入れたのだろう? これは推測するしかないが、意味深なものがありそうだ。 

いずれにしろ、福田康夫が日本の政治舞台から退くとなると、小泉後の親中政権の望みがなくなるばかりか、日本の政界の親中派勢力が長い間維持してきた、良好な意見交換のチャンスも減少することになり、将来の中国の対日外交にも重大な影響を与えることとなる。

この最後のハト派で、親中国の実力ある政治家の退場にあたり、中国政府は、この数年来の対日外交の膠着状態について、改めて考える必要がありそうだ。 実際のところ、自民党内の親中派と外務省の親中派勢力は、小泉首相によって根こそぎ排除されてしまった。 

この日本の政局の転換期に当たって、時代遅れの対日外交と意識をどう速やかに修正するか、新しい対日外交をどう確立するか。 そして対日外交のこのねじれた局面を、正しいやり方で、積極的に取り組むことが今求められる重大な課題である。

更に問題なのは、小泉首相の国内ハト派に対する粛清はまだ終わっておらず、この最後の2ヶ月(8月、9月)の内に、彼が最後に行う仕事は、政界、経済界の親アジア勢力の大粛清だ。

これについては、後日、追って報告したい。

ともあれ、中国政府は日本の政局の変化を冷静に受け止め、正確な判断と決定を下し、小泉首相後の氷の海にある中日外交をどう進むか準備をしなければならない。 

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352 中国は見る(177)  北朝鮮ミサイル 福田康夫を倒す 【上】

北朝鮮ミサイル乱射、親中派政治家 福田康夫を倒す【上】

2006-08-01 15:41:37 主题∶朝鲜的导弹乱射、射倒了日本亲华政治家福田康夫

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/661821.htmi

2006年7月5日早朝、ドイツとイタリアのW杯準決勝を見終わった直後、テレビでニュース速報が流れた。 「北朝鮮、ミサイル発射」

“おー、こりゃ騒ぎになる---------

一寝入りした後、全部で6発発射したことを知った。 ビックリした。 ミサイルの燃料の保存期限が来たので、在庫一掃大処分でもしたのか?

日本の各メディアは、だいたい同じような見出しを使っていた。 「北朝鮮ミサイル乱射」。 「乱射」というこの文字を見た時おかしくなった。 しかし笑った後、じゅうたん爆撃のように続くニュース報道から、日本列島が受けた衝撃の強さがわかった。 もしこの「乱射」がなければ日本のメディアは、サッカー日本チームの惨敗か日本銀行総裁のスキャンダルを追っかけていたことだろう。

ドイツの準決勝敗退とアメリカの独立記念日のこの日に「乱射」したことは、間違いなく念入りに計算したに違いない。 私には金正日が命令を下した時の得意そうな笑顔が見えるようだ。 しかし彼は、2ヵ月後、日本の総理大臣が変わることを計算してたのだろうか? 小泉政権は5年続いた。 この個性的で、いろいろ論議を呼んだ総理の任期も9月で終わりとなる。 日本のメディアは、先頃国民に4人の総裁候補を紹介していた。 その中で、現官房長官の安倍晋三と元官房長官の福田康夫との争いになると暗示していた。 (説明:日本の総理は国民投票による直接選挙ではなく、議会が選出する。 慣例では、議会の最大党派の党首が日本の総理になる。 安倍晋三と福田康夫が立候補するのは自民党総裁である)

もしも日本に多少理解ある方なら、安倍晋三という名前は当然ご存知でしょう。 中日関係悪化の今日、タカ派の代表人物で、この名前を聞くだけで不愉快になってしまう。 彼は本編の主役ではないので、ここでは余計な紹介はしない。

福田康夫は、以前官房長官をしていた。 この名前は一時期、中国のメディアに登場した回数が多かったはずだ。 しかし、その名前は知っていてもその人を知らない人が多いと思うので、先ず彼の紹介をしよう。

福田康夫:1936年7月16日、群馬県高崎市に生まれる。 自由民主党所属の衆議院議員。 早稲田大学政治経済学部(大物政治家を輩出した学部)を卒業。 卒業後、丸善石油に就職する。 後、父の福田赳夫元総理大臣の秘書となり、1990年、父の引退後、衆議院議員に初当選。 森内閣と小泉内閣の官房長官を務めた。 在任期間1289日は官房長官の最長記録となった。 そのほか、男女共同参画担当大臣、外務政務次官、沖縄開発庁長官、自民党副幹事長などの職を歴任した。

中日外交に理解ある人なら、彼の父親福田赳夫を知っているだろう。 総理大臣期間中、有名な「中日平和友好条約」を締結した。 その父親と同様、彼も東アジア外交を重視していた。 例えば、彼は李登輝訪日ビザの発給を拒否した。 また靖国神社参拝、憲法改正は周辺国の理解を得ることが必要と考えており、北朝鮮に拉致された日本人家族会から、彼が拉致問題解決に冷たいと批判されたりもした。

このことからもわかるとおり、東アジア外交では、彼は完全なハト派であり、親中派の政治家である。 彼の官房長官時代、日本外交に大きな影響力を持っていたので、影の外務大臣とも見られていた。 小泉内閣のこの5年間、中日外交は行き詰ってしまった。 小泉首相の光と影の後ろで、福田康夫は中日間のこのもろい外交関係を繋ぎとめる重要な政治家だった。 

日本の世論も、彼が総理大臣として日本と東アジア各国の緊張関係を打開し、また自民党内に強い影響力を持っていることから、安倍晋三の唯一の競争相手と考えていた。 しかし金正日の「乱射」の後、福田康夫の政治生命は終焉を迎えてしまった。

7月10日のテレビ朝日の番組の中で、日本の北朝鮮問題専門家、早稲田大学の重村智計教授が大型爆弾を炸裂させたことにより、福田康夫の政治生命が絶たれてしまった。 

重村智計教授は、最近出版された「外交敗北」の著述の中で、五年前の日本人拉致問題をめぐる日朝交渉の北朝鮮側の謎の交渉相手ミスターXの本当の身分を暴露した。 日本側の外務省アジア大洋州局長田中均とX氏の交渉を「売国外交」と断じ、外務省の秘密外交に厳しい批判を行った。 田中局長が選んだ交渉相手は、北朝鮮の要人ではなく秘密警察-------国家安全保衛部第一副部長の金哲(金哲は偽名)だった。 田中局長は金哲に驚愕の提案を行った。 「生きている拉致被害者を、4人から5人程度出せばいい。 後は、正常化してから段階的に解決すればいい。 

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351 中国は見る(176)  中日の差を単純に比較してみる 【下】

2006-08-06 07:05:09 主题:中日差距简易比较

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/674147.html

 

日本人は仕事をまじめに行い、効率を追い求め、時間は正確で、信用を重んじ、礼節を守ると言われている。 日本の会社も信用を大事にし、品質が優れていることは、世界に知られている。 日本の大通りから路地裏まで見ても、ゴミがないことに気付くはずだ。 込み合う地下鉄でもデパートでも、床はきれいだし、地下鉄の壁にはいたずら書きなど見られない。 また日本人は、公共の場所ではタバコや食事をとることも少なく、あたり構わずタンを吐くことなどまずなく、ゴミのポイ捨ての習慣もない。 日本人は交通規則をよく守り、通行量の多い東京、大阪、古い町並みのある京都の大通りでは、警官の姿はないのに、車や通行人はちゃんと信号の指示に従い、間違いが起こらない。

 

中国の会社、銀行の不良債権は世に並ぶものなしで、中国の会社の信用度を悪くしている。 このほかに、会社の支払い遅延もよくある。 2001年、国有企業で貸付金の返済遅延が1兆6千億元もあり、ニセ物商品の規模は1270億元にも達し、そのため国家税収250億元の損失を被っている。 2001年、全国の優良会社283社の商品のうち650種類の商品が偽造され、上半期だけでも全国商工管理部門が違法摘発した案件は5338件に上り、前年同期に比べ61%も上回った。

 

中国人は想像できないが、2001年の日本の離婚率は0.23%で、アジア各国の中で最低だ。 それに対して中国は、伝統的に家庭を大事にしてきた社会状況はますます悪くなり、1980年、中国の離婚率の4,75%から1997年にはどんどん上がって13%と、8.25%も上昇した。 そのうち上海は過去20年間で、離婚率は20倍増加し、世界から、“中国人はどうしたんだ?”と見られる始末だ。 家庭は社会を構成する細胞であり、結婚は両性を結びつける神聖な関係である。 日増しに安定を欠く中国の家庭生活は、中国に何をもたらすか? 更に無責任になり、私利私欲に走り、自由ばかり追い求め、性の解放をめざそうというのか? 

 

私は日本は好きではない。 あなたも日本がきらいでしょう。 しかし一つだけ認めないわけにはいかないことがある。 日本は世界で一番“清廉潔白”な国だということだ。 今年3月25日、有名な反腐敗の国際的非政府組織-----“透明国際”の「2004年全世界腐敗年次報告書」で、世界各国の腐敗状況について採点を行った。 133ヶ国と地域の中で、中国のクリーン指数は3.4で、スリランカやシリアと並んで66位。 日本は極めてクリーンな上位30ヶ国に入っていた。

 

2000年の統計によると、男女の平均寿命は男69.63歳、女73.33歳である。 中国から見ると日本人は世界で一番働く国で、仕事のプレッシャーも強い。 しかし意外なことに、日本は世界でも一番長寿な国である。 2003年、日本女性の平均寿命は85.33歳、男性は78.33歳、共に世界の最高記録である。 日本の男女の平均寿命は4年連続で世界一位であり、女性の寿命は、1986年以来ずっと一位にある。 中国は“人が基本”と強調しているが、日本人のように長生き出来てない。

 

日本はどんな国か?

 

多くの人の目から、野蛮な国、過ちを認めない国、生活が大変な国、国民が不幸な国、道理で説き伏せられない国と思われている。 しかし、統計数字から比較してわかることは、日本は経済は進んでいるし、国民は豊かである。 社会は公平で、政治もよい。 教育も優秀、家庭は安定している。 環境にも恵まれている。 寿命も長い。 先々の見通しも的確で、世界に大きな貢献をしている。

 

中国が日本の現在の経済水準に到達するには、多くの面でなお数十年の努力が必要だし、部分的には百年の努力が必要なところもある。 日本は決してありきたりの国ではない。 また決して“幻覚”のように消滅する国でもない。 多くの方面で、ずば抜けた力を持つ国であり、中国人が真剣に手本とし学習すべき国である。 それから、中国はもう立ち上がり、すぐにもこの隣の国を追い越せるなどと妄想してはいけない。 中国は、今はただ元気を回復してるだけだ、遠い将来に向かって、いろんな方面で地道な努力を積み重ねなければいけない国だ。

 

あるいは中国の憤青の諸君からは、日本に学ぶなんて言うな、日本人は仇だと言われそうだ。 そうであったとしても、絶対にこの言葉は覚えておきなさい。 君の仇に報復したいなら、ただ熱血とスローガンだけではダメだ。 汗水たらして懸命に働き、知恵を働かし、一歩一歩着実に行動することだ。

 

 

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350 中国は見る(175)  中日の差を単純に比較してみる 【中】

2006-08-06 07:05:09 主题:中日差距简易比较

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/674147.html

経済がいくら良くなっても、一般国民の生活が改善されなければ何にもならない。 

では、国民の生活水準を比較してみよう。

2003年、中国の一人当たりの収入は1000ドルを超え、1080ドル(約124,000円)に近付いた。 日本は33,077ドル(約3,803,000円)、中国の31倍である。 中国は日本の1966年頃の水準である。 国民のエンゲル係数(家計の総消費支出に占める食費の割合を百分比で表したもの)は、生活水準を反映する指標である。 2002年、日本のエンゲル係数は22.3%である。 中国は、現在都市部では37.1%、農村では45.6%である。 つまり中国人の現在の生活の中では食費が多いということだ。 日本は食費以外に使っていることがわかる。 中国は生存のために消費し、日本は豊かさを求めるために消費している。 

貧乏は何でもないが、ちょっとイヤなのは、それなのに自分は金があるように思っていることだ。 生活水準は日本の60年代で、消費支出は食べることで精一杯なのに、中国人は往々にして自分は金があると思っている。 しかも金をパッパッ使ってしまう(オリンピックを開くなんてのもそうだ)。 生活水準は世界最高の列にいる日本人は、逆に国際的な場所でよく自国の貧しさを訴え、節約を励行していて、その“ケチ”なことに驚かされる。

住居:2003年、中国の都市部の一人当たりの居住面積は18平方メートル。 日本は25平方メートル。 国土の面積が狭い日本は中国の1.4倍である。 国民生活は、一人当たりの収入を見るだけではなく、収入の差、貧富の差を見ないといけない。 

2000年、中国のジニ係数(所得分配の不平等度を示す)は0.414で、国際警戒ラインにあたり、中国は世界の中で収入の分配が不公平な国の一つと認定されている。 逆に日本は、資本主義国家であるのに、世界の中で収入の分配が公平な国であって、ジニ係数は0.285だ。

失業率指標

労働社会保障部が発表したところによると、2003年6月までの全国都市の失業率は4.2%、失業者数は795万人、それぞれ去年末より0.2%、25万人増加した。 しかし、このデータは脱漏が多く、学者の推定では中国都市部の失業率は、失業の登録をした者、レイオフ労働者、その他の失業を含め、総計でおおよそ8%-10%に上ると見られる。 中国のメディアは、日本はこの数年、経済不安が続き失業率が高く、日本人が暮らしていけないように報道しているが、実際は、日本の失業率は最高でも5.5%に過ぎない。 2003年、経済が回復するに従い、平均失業率も5.3%に下がった。

教育

中国人はこれまでずっと教育を重要視してきた。 しかもしばしば“どんなに苦しくとも子供に苦労はさせない。 どんなに貧乏でも教育は受けさせる”と強調してきた。 中国の父母は確かに子供に対しては、いかなる代価も厭わないとしてきた。 しかし国の教育への支出がままならず、また普通教育制度の欠陥もあり、今日の中国人の中の成人の識字率は81.5%、文盲、半文盲の人数は人口の15%を占めている。 大学への入学率は5%。

これに対して日本は、教育を重要視するというだけのことはある。 日本はとっくに小学、中学教育は100%実施されており、大学入学率は40.3%、大学教育を受けた人数は総人口の48%にも達している。 また成人の識字率も100%に近い。 

中日両国の教育の差はどれ位あるか?

推定では、中国の初等教育は日本の1900年の水準に相当しており、100年遅れている。 中等教育はだいたい1910年頃の水準で90年遅れている。 高等教育は1920年頃の水準で80年遅れている。 その一番大きな要因としては、中国の教育支出が1920年頃の水準でしかないことにある。

国民の知識と密接に関連する情報指標

情報処理関連

中国のインターネットの速度は遅く、サービスも悪い。 2003年末、中国のネット人口は8000万近くに達している。 しかし中国全土の

パソコン普及率は低くまだ6.2%に過ぎない。 日本のインターネットは速くて、通信費用も安い。 日本は、同じ時期ネット人口は7730万人で、パソコン普及率も60%を突破し、14-75歳の日本人は、ほとんど誰もがアクセスできる。

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349 中国は見る(174)  中日の差を単純に比較してみる 【上】

2006-08-06 07:05:09 主题:中日差距简易比较

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/674147.html

中国の面積は960万k㎡、人口は13億。

日本の面積は37.8万k㎡、人口は1億3千万。

中国の面積は日本の25倍。 人口は日本の10倍。 国土と人口の数からいって、中国は大きく、日本は小さい。

両国の経済比較

世界銀行2004年「全世界の発展指標」統計によれば、2003年の中国のGDPは116、898億人民元(1兆4千億ドル)で世界第7位。日本のGDPは4兆3千億ドルで世界第2位。 日本は中国の3倍である。

日本は戦後25年のうちに、難なく世界の先進国になってしまった。 中国は最近20数年、有史以来早い成長を遂げた。 しかし環境破壊、社会の不平等という代価を伴い、先進国入りはまだ果たしていない。

1999年、日本の産業の三分類(第一次産業から第三次産業まで)の分類では、2:36:62で、はっきりと“脱工業社会”を示している。 1975年、日本の第三次産業(運輸、通信、商業、金融、その他サービス産業など)の就業人口が初めて50%を超え、日本は70年代から徐々にサービス産業中心の“脱工業化”時代に突入したことを表している。 2003年の中国の産業の三分類を見ると、14.7:53:32.3で、中国はまだ工業化社会への過渡期であって、工業化社会を完成していない。 工業構造から見ただけでも、中国は日本の40年前の水準だろう。

製造業の比較で見ると、2003年、日本は9111億ドル。 中国は3825億ドル。 日本は中国の2.4倍である。 中国は“世界の工場”などと言えない。 日本はその名に恥じない国際製造業の中心といえる。 過去の中国の追っかけのスピードから“世界の工場”への道程を考えた場合、中国が日本に追いつくには、最低でも数十年はかかり、その上困難が山積している。 エネルギー問題、環境保護問題、労働問題、市場問題等が待ち受けている。

日本は資源が乏しい。 しかし日本人は器用な手と得意な面を生かすことがうまい。 1955年から1975年にかけては、日本が一番成長した時期であり、製造業生産額の中で、工業製品の比重が81.4%から96.0%を占めるようになり、鉱業は10.1%から0.62%に落ち込み、電力、石炭、水の供給など基礎産業は7.74%から3,38%に落ち込んだ。

中国は労働者が多い。 中国は世界の分業の中で優位な位置にある。 しかし中国はその労働力を有効に活用しているとは言えない。 いたずらに使い果たしているだけだ。 1960年から1975年にかけて、日本の労働生産性が年平均11.07%だったのに、1980年から2000年の間の中国の労働生産性は年平均5.19%だった。 労働生産性の指標の対比からわることは、中国の速い成長は人海戦術によることが多く、日本は効率の向上にある。

GDPの中に占める「研究と開発」の比率は、国の科学技術の活動と投入の度合いを示す重要な指標である。 これは国の経済の潜在的成長と持続的成長を反映するものだ。 2000年、中国はこの指標の支出が896億人民元で、GDPに占める比率が初めて1%台に達した。 同一指標では、日本は2000年3.12、中国よりはるかに上で、アメリカの2.65より高く、ドイツの2.37、フランスの2.17、イギリスの1.87を抜いて全世界トップだった。 これからも日本という国の強さの秘密が、科学技術を基本としていること、科学技術が抜きん出ていることがわかる。 この指標は、“小さい日本”が決して中国人が考えているような、先の見通しがない民族ではなく、まるでその反対で、日本民族は先々を見通している民族だ-------遠い将来を見通す民族だからこそ、身銭を切って自分の将来に投資できるのだ。

日本と中国を比べると、中国は企業も国も、また国民も目の前の功利を求めるのに急でガッカリさせられる。 また中国人は口々に“科学技術振興”のスローガンを叫び、ネット上で日本人の悪口を思う存分しゃべることはしても、科学知識を学びにいこうとしない。

1995年、中国の特許の申請件数は全世界の1.45%。 承認件数は全世界の0.48%に過ぎない。 日本の特許申請件数は全世界の13.48で、承認件数は15.3%も占めている。 

日本人でノーベル賞を貰った人数は12人もいるのに、中国はまだゼロだ。 「中国は人類に大きな貢献をしよう」と偉い方はおっしゃるが、しかし、「言うは易く、行なうは難し」だ。 中国の企業の中では、新しい技術を作り出す体制もまだ初歩段階だ。 大企業、中企業の研究開発費用は売上高の1%にも達していないのが普通だ。 日本の企業は疾うの昔から、立派な科学開発システムができており、その研究費用も5-10%以上計上している。 中国企業の研究人員はまだ微々たるもので、それも続々と外国企業へ流出している。 労働者一万当りの日本の研究者数は世界で一番多く、2000年で109.3人。 アメリカの73.8%、フランスの60.3人、ドイツの59.6人、イギリスの54.8人より多い。

1994年当時、世界の500社で、日本はアメリカと肩を並べていた。 1,2,3,4位を独占し、10位以内もほとんど日本企業だった。 1990年代以降、日本は衰退していくが、2003年でも日本の企業は500社の中にまだ88社も残っていた。 中国はわずか12社。 それも独占的国有企業であり、前に並んだのは中国石油で69位だった。 中国企業はいつになったら500社の中の最多国になれると思うか? また中国企業が500社の中で、先頭の4位を独占するなんて想像できるだろうか? そんな日がいつかは来るかも知れない。 しかし私達の隣の国は90年代にそれをやったのだ。 誠実な中国人、全世界を目指す中国の企業家は、これに敬意を表すべきではないだろうか?

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348 中国は見る(173)  【政冷経熱】 日中好感度下落について考える

主题:政冷经热 扼要探讨中日友好度下滑

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/658332.htmi

 

2005年10月6日から16日にかけて、日本内閣府が1500名に対し行った世論調査に於いて、日本人の中国に対する好感度が25年来最低を記録したという。 調査結果によると、中国人に対し友好的な見方をとる日本人はわずか32.4%で、前年より5.2%下落した。 内閣府が発表した調査報告の中で指摘しているように、これは政府が1978年にこの世論調査を始めて以来の最低の比率だという。

 

2006年7月25日、中新社東京電:「朝日新聞」が今日、日本全国でランダム世論調査を行った結果を発表した。 次期首相の靖国神社参拝に反対する日本人は60%で、参拝に賛成する人はわずか20%だった。 現在の小泉純一郎首相の9月末までの残りの任期中に靖国神社を参拝すべきかどうかについても、57%の人が反対を表明、ほぼ賛成者(29%)の倍となった。 しかも小泉首相の“最後の参拝”を願う人の中でも、45%の人が8.15の日の参拝に反対している。 8.15に参拝すべし(39%)より明らか多い。 「朝日新聞」の分析によると、この調査結果は、去年10月に小泉首相が5回目の靖国神社参拝後行った調査結果(賛否ほぼ同数)と比較すると、明らかに民意の変化が現れているという。 この調査結果では、現内閣と自民党を支持する人の中でも、次期首相の靖国神社参拝に反対する比率が、参拝賛成者を大幅に上回っていることが分かった。 また目下、次期首相の呼び声が高い安倍晋三を支持する人の中でもその差が目立った。

 

先日「毎日新聞」が発表した世論調査でも、大体同じような傾向が見られた。 この中から、私達は日本の人々の心の中に微妙な変化が起こっていることがわかる。 しかし、わが国の人々の中には、日本に対する態度および前述した日本の民意に対しても、明るい見通しを持てないでいる。

 

2006年、日本の人々の半数以上が靖国参拝に反対を表明したが、支持する人も少なくない。 また、参拝に反対したからといって中国に友好と、同等に見ることは出来ない。

 

1972年9月29日、周恩来総理と田中角栄元首相が会談し、日中国交正常化の共同声明に調印した。 今日まで34年ほどになるが、日中友好は残念なことにみんなの願いとなってしまい、両国政府の付き合いも形式的なものとなっている。 中国の民間調査でも、日本に好感を持てない人が70%を越えている。 日本の民間調査と照らし合わせても、日中関係がこのまま下落し続けるように見える。 

 

下落の原因は何か? 私は両国の立場に立って、概略を述べタタキ台になろうと思う。 イヤ、至らぬ所があると思いますので、どんどんご意見お寄せください。

 

《日本から中国を見る》

 

国交当初、日本人は中国人に対し、比較的友好的だった。 当時の中国経済は落ち込んでおり、日本は中国を問題にしていなかった。 人々は中国に対して、基本的理解も乏しく、友好に反対する理由もなかった。 この友好は盲目的だったと言えるかも知れない。 今、中国は急速に発展し、両国の交流・協力は頻繁になっている。 日本政府は、不安を感じるようになり、「中国脅威論」が登場する。 中国をライバル視し、過度に中国の発展を強調し、日本国民に対し不安感を煽った。

 

日本の右翼の登場 軍国主義が台頭

 

日本の右翼の活動は、中国脅威論の登場によって勢いを得てきた。 彼等は、極力中国を貶める言論で、繰り返し中国社会秩序の混乱を強調し、至るところでデマを広め、中国国民の素質の悪さを吹聴している。 そして中国人の“中華思想”を強調し、その中には、いわゆる靖国神社参拝反対こそ、日本の内政に干渉する“中華思想”だとしている。

 

日本政府のたくみな誘導

 

日本の歴史教科書、靖国神社参拝、魚釣島(尖閣諸島)問題等は、中国人の神経を刺激しますが、同時に、日本人の神経も刺激している。 中国人が強烈に反対するほど、日本人の中国に対する好感度が下落していく。 日本人の中国侵略の歴史認識は中国人の理解のようには程遠く、彼等は中国の強烈な反応が理解できず、中国が日本にわざと難癖をつけてるとしか思っていない。 それに最近起こった出来事、特に呉儀副首相が突然帰国したことが一層混乱を引き起こした。 

 

中国人自身のいけないところ

 

両国経済の発展に伴い、協力事業も増えてきた。 しかし中国の一部商人が日本に対し悪い行為をする例も見受けられた。 たとえばコピー商品などは代表的なものだ。 また先日ネットの友人が言っていたように、日本の監獄には中国人が少なくないという。 海を越えて行った中国人も、みんな法を守るとは限らないようだ。

 

《中国から日本を見る》

 

日本について、私達は切実に実感しているものがある。 子供時代、よく戦争ごっこをやり“日本鬼子”をやっつけた。 日本への侵略の恨み、亡国の恨み、虐殺の恨みは、もう私達の遺伝子に組み込まれており、代々伝えられるだろう。 だから、日本人への恨みはいうまでもなく、平和な時に見せる日本の異常な行動も、結局は中国への侵略戦争と結びつけてしまう。 みんな承知していることなので、クドクド述べない。 簡単に触れるだけにする。

 A級戦犯を祀る靖国神社に日本の首相が参拝することは、我国国民の神経を逆なでする。

*右翼の反中言論は、我国国民の神経を逆なでする。

*魚釣島(尖閣諸島)の争いは、我国国民の神経を逆なでする。

*東海ガス油田騒動は、我国国民の神経を逆なでする。

*日本の国連常任理事国加入問題は、我国国民の神経を逆なでする。

*中国脅威論は、我国国民の神経を逆なでする。

*それに北朝鮮のミサイル、日本の改憲要求も、我国国民の神経を逆なでする。

 

以上が要約したものだが、“政冷経熱”現象というものもわかりにくい。

 

日中民間の好感度が下落しているのに、経済協力は減らずに増え続けている。 先頃、私は日本との経済協力会議に出席したが、これはなんともおかしな現象で、理解しがたい。

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347 中国の三面記事を読む(72) ハリウッド版「西遊記」いよいよスタート ジャッキー・チェンかジェット・リーが 孫悟空役?

ハリウッド版「西遊記」来年クランク・イン 孫悟空はジャッキー・チェンかジェット・リー

2006-08-03 15:24:00 好莱坞西游记明年开拍成龙李连杰争当候王

来源:新闻晨报 网友评论27条进入论坛

Chenglong 中国映画界の二人の“大物”俳優、成龍(ジャッキー・チェン)と李連傑(ジェット・リー)は、これまで映画で共演したことがない。 しかし、この残念な記録も、まもなく過去の話になりそうだ。

二人が共演するとの話が、成龍(ジャッキー・チェン)の口から直接語られた。 その映画はハリウッドLilianjie 映画で、《西遊記》をイメージしたストーリーで、来年の3月か4月、上海でスタートする予定。 成龍(ジャッキー・チェン)か李連傑(ジェット・リー)のうちどちらかが孫悟空に扮するようだ。

映画の出資はアメリカ 来年春 上海でスタート

二人が、ハリウッドに進出してから不和の話が伝わっていたが、二人の関係は決して噂のようなものではない。 共演の話は2001年頃から流れていた。 二人の共演はハリウッドLilianjie2が持ちかけたもので、成龍(ジャッキー・チェン)も李連傑(ジェット・リー)も興味を示しており、電話で映画の題材などについて話し合っていた。 成龍(ジャッキー・チェン)の英語名は“JACKIE” 李連傑(ジェット・リー)の英語名は“JET”、二人の頭のアルファベットを組み合わせて、この共演事業を“J&Jプロジェクト”と呼んでいた。

だが当時はまだ共演の意向を確認しただけで、具体的なものは何も決めていなかった。 最近は、二人ともそれぞれ自分の仕事に没頭し、計画は先延ばしにされてきた。 その間にも、何度か話はあったものの纏まらず、今日までもう5年が経ってしまった。

2_12 先日、成龍(ジャッキー・チェン)が《宝貝計画》(Rob-B-Hood)の記者会見の後、内外のメディアにこの共演の話が決定したことを明らかにした。 難関はすべてクリアされた。 残った問題は台本だけだ。 私と李連傑(ジェット・リー)が気に入るシナリオでなくちゃダメだ。 まずそれがうまくいったら、来年3月か4月頃、上海でクランク・インする予定だ。 映画はハリウッドの作品で、ハリウッドの意向を取り入れたアメリカ・スタイルの映画。 アメリカの観客を対象としたものになる。

 

成龍(ジャッキー・チェン)の発表したメッセージには、ドラマのストーリー、配役の詳細については触れておらず、また題名も決まっていない。 ただ、9月に《尖峰時刻3》(ラッシュアワー3)を撮り終わった後、すぐ同映画の準備に取りかかると表明しているだけだ。 

カンフーの達人が、時空を超えて孫悟空に出会う

記者は、昨日、成龍(ジャッキー・チェン)の事務所に問い合わせしたところ、この映画は外国が出資するが、中国で撮影した方がいいので、目下、中国の協力会社と折衝中とのこと。 撮影地が上海とのことで、記者は協力会社は上影集団(上海電影集団)だろうと推測した。 上影集団の責任者との話の中で、記者は意外なことを耳にした。 この映画は《西遊記》から材料を得たも ので、成龍(ジャッキー・チェン)か李連傑(ジェット・リー)のどちらかが孫悟空をやるらしい。 ハリウッド側と中国側の責任者がすでに提携について打ち合わせを始めたとのこと。 だが記者が記事を出す時点では、上海の撮影場所がどこかまだわからなかった。

映画は、現代のカンフーの名手がタイムトンネルを抜けて古代の中国に戻り、偶然、(美猴王)孫悟空に出会うことを軸に、カンフー達人の古代での冒険ストーリーが展開される模様。 

現在、シナリオの概要は出来上がっている。 成龍(ジャッキー・チェン)と李連傑(ジェット・リー)が、このプロジェクトを現在まで引き延ばしたのは、その原因の一つに、誰が孫悟空をやるか決まっていないことにありそうだ。 観客として言わせてもらえば、孫悟空がやはり映画最大の目玉だ。

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346 中国は見る(172)  全日本国民的美少女に日中ハーフの林丹丹さん

2006-08-03 10:24:42 主题∶日本国民美少女评选中日混血儿林丹丹夺冠

本文网址:http://bbs6.news.163.com/zhongri/665738.htmi

Photo_70 8月2日(水曜日)、東京都内で行われた“第11回全日本国民的美少女コンテスト”の大会で、大阪府の日本と中国のハーフ、高校2年生の林丹丹さん(17歳)が選ばれ、グランプリを獲得した。

司会者がグランプリ獲得者の名前を林丹丹と発表した時、彼女は両手で口元を押さえ、目から大粒の涙を流して感激していた。 グランプリを手にした丹丹さんはうれし涙で、“一番最初に、母に受賞の喜びを伝えたい”と語った。 丹丹さんは、Garnetcrowの《夏の幻》を熱唱した後、今後の抱負についても語った。

国民的美少女コンテストから世に出た米倉涼子、上戸彩、石川亜沙美、佐藤藍子たちも出席し、お祝いの言葉を送った。

2_11 全日本国民的美少女コンテストは、今回で11回目になる。 日本全国からスターを発掘し、育成する権威あるコンテストである。 毎回、この国民的美少女コンテストの受賞者は、各芸能プロダクションの争奪の対象になり、この大会から人気スターになったものは数え切れない。 佐藤藍子、小田茜、上戸彩、米倉涼子などもそうだし、石川亜沙美はトップのファッションモデルになった。 このコンテストは、芸能界に入るのに一番早いステップとして、スターを夢見る多くの少女達を引き付けている。

林丹丹さんの個人データ

 身長165cm

 年齢17歳

 高校2年生

 出身地:大阪府

 得意なこと:中国語、ピアノ、クラリネット、水泳、長距離競走

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345 中国の三面記事を読む(71)  敦煌・名勝月牙泉存亡の危機

甘粛敦煌・月牙泉「送水措置」で水位上昇

2006-08-02 11:38:06 甘肃敦煌引水渗灌月牙泉水位上升

来源:China Foto Press(北京)网友评论40条进入论坛

729_1 2006年7月29日現在、鳴沙山の麓にある月牙泉の写真

緊急“送水措置”により、2005年以来、水位が1Photo_69 メートルにも達していなかった月牙泉の水位がようやく上昇した。 7月26日の観測結果によると、月牙泉の水位は1.3メートルになった。

最大水位わずか1メートル 沙漠の奇観・月牙泉が枯渇の危機

2006-04-24 15:28:56 最大水位仅1米沙漠奇观月牙泉面临干涸危险

来源:中国新闻网(北京)收藏此页网友评论4

Photo_66 三ヶ月に似た形の月牙泉は敦煌市の南5キロのところにある。 1994年、鳴沙山(昔の本には沙角山と記載されている)と月牙山は国務院から国家重点風景名勝区に指定された。 鳴沙山の流砂の谷間にあっ て、2千年来埋もれず、涸れることなく、砂漠の奇観と称された月牙泉が、今、存亡の危機にある。  

1960年には、最大水深9メートルあり、湖水面積99_3 も22畝(約146㎡)あった。 1960年から1980年にかけて、月牙泉の水位は急激に下がり、最大水深も2.5メートルまで下がってしまった。 毎年平均33センチ下がった勘定になる。 湖面の面積Yueyaquankusi も9.8畝(約65㎡)に減ってしまった。 今(2006年4月)、月牙泉の最大水位は1メートルになってしまった。 湖水面積も7.8畝(約52㎡)ほどに減少している。 正に干上がる寸前の危機にあPhoto_67 る。

蘭州水質研究調査センターによると、月牙泉は地下水 が比較的高い場所にあったこと、そして窪地の地形という条件が、月牙泉が数千年来涸渇しなかった要因だという。

Photo_68しかし近年、月牙泉のある敦煌の地下水位が、毎年平均0.24メートルの速度で下降し、敦煌市内の天然の林の面積、牧草面積、湿地面積も年々減少している。

この原因としては、敦煌の水源は主に疏勒河と党河の二つの河に依存してきた。 しかし、1960年代以降、上流でダムが建設され、流域の人口も増加したことにより、この二つの河の流れが少なくなり、現在、疏勒河は敦煌区域内300キロに亘って、全部涸れてしまった。 党河も党河ダムの下の河もストップされ、ダムからの排水の時しか、水が流れなくなった。 敦煌を第二の“楼蘭古国”にしないため、敦煌市は「開墾、移民、井戸掘り」を禁止した。 しかし、これらの措置だけでは敦煌の直面する危機を乗り切れない。

敦煌市では、今、哈尔腾河から党河へ水を引き入れる「大プロジェクト」計画を検討しており、国の支援を申請中である。 このプロジェクトが実施されれば、毎年2億立方メートルの水を導入でき、敦煌地域内の地下水位も回復でき、生態環境を保護、維持できるばかりか、月牙泉の水位下降問題も根本的に解決することが出来る。

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344 中国の三面記事を読む(70)  金瓶梅テーマパーク 《下》

《金瓶梅》文化村 “新婚オシドリ舘”で性のアドバイス 

金瓶梅文化街:“新婚鸳鸯楼普及性教育 来源:齐鲁晚报 网友评论18条进入论坛

No2_134  2006年5月1日、安徽省黄山市徽州区西渓南村で“金瓶梅遺址公園”がオープンした。 これと相前後して、山東でも“金瓶梅”のテーマパークが2ヶ所で、一ヶ所はすでに建設され、もう一ヶ所はこれから建設No2_128予定となっている。 

一ヶ所は山東省聊城市の陽谷県の文化村観光パーク。 もう一ヶ所は陽谷県から80キロほど離れた臨清市の休暇村的観光センターで、計画はすでに正式に決まり、5年以内に完成する予定。

陽谷と臨清 金瓶梅本家争い

2003年10月1日、3千万元あまりを投資して陽谷県獅子楼テーマパークがオープンした。 この場所は水滸伝文化地区であり、金瓶梅文化地区そして宋代文化地区である。 主たる“旗印”は「水滸伝」と「金瓶梅」だ。 でもどちらかというと「金瓶梅」の方が「水滸伝」より断然多い。 陽谷県が「金瓶梅」テーマパークを作った根拠は、皆さんお馴染みの「水滸伝」が基になっている。 「水滸伝」の中に武松が景陽岡でトラを退治した後、陽谷で兄の武大と兄嫁のと会い、その後西門慶を打ち殺すとある。 それで「金瓶梅」の発生地は陽谷としたわけだ。 

Photo_64 ここでは時計が丁度午前10時を指すと、宋代風の紫の石畳の道を、长衫(ひとえの長い中国服)を着、手に扇子を持った若い男が遠くからゆったりと歩いてJinpingmei くる。 2階の家の前を通りかかった時、上から“カタン”と竹竿が落ちてきた。 男性は怒って上を見上げると、若い女性が窓に寄り掛かって外を眺めている。 男はたちまち見とれて----------

このお馴染みのシーンは、映画やテレビではなく、この陽谷県獅子楼テーマパークで「西門慶初めてに出会う」として、毎日必ず演じられるプログラムである。 テーマパーク内のプログラムには、いろいろ新しい工夫も凝らされ、この「西門慶初めてに出会う」や「武大姦通現場を押さえる」「武松孟州へ流Photo_65さる」などの演し物のほか、観客に飛び入り参加させ、それをビデオに撮らせるサービスもしていて、お金を多く支払えば主役の西門慶にもなれ、小額でも時代劇の扮装ができる。 また“新婚夫婦用宿泊設備”もあり、そこでは新婚夫婦に“性”のアドバイス、学習ができるサービスも提供している。 

さて、もう一方の臨清の方はというと、“金瓶梅”の本の最初に“山東省東平府清河県中”で起こった話と説明されている。 河北清河県と河を隔てて35キロの臨清市は“金瓶梅”の作品の背景場所は臨清だとしている。 1990年代、国際“金瓶梅”研究討論会が臨清で開催された。 多くの専門家も舞台の場所は臨清だと認めている。 “金瓶梅”の58回から100回まで25ヶ所で直接、臨清と書いている所があり、臨清には60数ヶ所、場所、景観、寺院、村の名前が本の中の場所とピッタリしている所もあり、“金瓶梅”の中の方言、風俗、食べ物、生活習Jinpingmeiyanggu 慣なども臨清と同じである。 臨清市は、5年以内に元代の運河の河岸に“金瓶梅”文化村を建設予定で、総額5600万元を見込んでいる。 “金瓶梅”の描写そのままの西門慶の6人の妻妾の家、王婆の茶館、Jinpingmei4 武大郎の餅屋、芝居小屋などを作る。 すべて宋代の建物様式とし、売り物には宋代、明清時代の模造品を出したり、“金瓶梅”に出てくる食べ物も用意する。 その他、“金瓶梅”蝋人形館や“金瓶梅”資料館、“金瓶梅”国際学術センターも設ける予定。

陽谷県も臨清市もどちらも、自分の言い分が正しいと譲らない。 “金瓶梅”の作者も謎が多く、陽谷、臨清の争いばかりでなく、南京、徽州、棗庄などの地でも騒動が起こっている。 

“金瓶梅”ブームに対する人々の感想

 賛成派

 どんな時代だって寛容でなくっちゃ。 “金瓶梅”をなんで観光地に建てちゃいけないの?

 小さい時から“金瓶梅”って禁書って知ってたけど、今はもうこの本を理解し、歴史を知るいい機会じゃないの。

 観光だからってなんで道徳を引っ被らなきゃいけないの? 俺達山東は孔子の里だからかな?

 第二次大戦中の強制収容所、岳飛廟の秦檜像って反面教師で見せてるんでしょ? なんで西門慶を見せちゃいけないの?

 人は批判しながら見るものよ。

 反対派

 観光開発にも公序良俗が基本にあるべきです。 “金瓶梅”の道徳観念と伝統的道徳とはまったく相容れないものです。 こんなものを奨励するなんてとんでもないことです。

 観光資源開発にも限度というものがある。 “金瓶梅”公園建てるんだったら、漢奸、売国奴公園だってできかねないじゃないか?

 もし娘と一緒に来て、娘が西門慶との密会の蝋人形を見て、あの二人何してるのって訊いた時、どう答えたらいいんだ?

 歴史を見直すのはいい、しかし、歴史のゴミを引っ張り出すことはない。

 中国の歴史上沢山有名な人がいるのに、なんで西門慶なんかを持ち上げるんだ? 西門慶は徽商の代表だという人がいるが、それは徽州商人に対する侮辱だ。

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343 中国の三面記事を読む(69)  金瓶梅テーマパーク 《上》

《金瓶梅遺址公園》 何を復活しようというのか?

金瓶梅遗址公园要复活什么? 来源:国际在线 网友评论7

Jinpingmei3 西門慶は“水滸伝”の登場人物の一人である。 その後、この西門慶を取り上げ、内容を拡張して出来たのが“金瓶梅”である。 本の中では、西門慶は悪役のイメージで、役人と結託し、不正によって財をなし、色欲に耽って命を落とすといった内容が書かれている。このような土地のゴロツキの話が、今、観光という名目であちこちでオープンされようとしている。 西門慶自身も自分の“女たらし”が“金儲け”に役立ち、地方文化の観光産業に貢献したとは思わなかったに違わない。 

9999 2006 年5月1日、安徽省黄山市徽州区西渓南村に“金瓶梅”の物語をテーマとし、2000万を投資して出来た“金瓶梅遺址公園”がオープンした。 表向きの理由は西門慶は安徽商人の代表だし、作者の汪道昆や人物の原型はみな当地の人間で、小説のプロットも徽州一帯を舞台にしている。 観光開発に文化資源を利用することは、何も珍しいことではなく、多くの場所で類似のテーマパークが見受けられる。 しかしこれらのテーマパークでは、中国古典文化の優れた所を中心として、人々に健康で積極的な内容を伝達している。 ところがこの“金瓶梅遺址公園”の売り物は“性”である。 “天下第一の淫書(ポルノ)といわれた金瓶梅”のいわゆる“遺址公園”を建てて、一体何を伝達しようというのか? 

Jinpingmei2 男女の秘め事を仔細に書いた“金瓶梅”にも、それなりの文学的価値はあると思うが、本の全体の2%を占める性愛描写により、“ポルノ小説”のレッテルを貼られ、生まれてより不運続きで、四世紀あまり、役所からもも禁書とされ、民間でも禁書、昔から現在に至るまで禁書のまま、中国はもとより外国もダメな本なのだ。

でも、現在の中国では、性はもう神秘なものではなくなったのだろうか? “金瓶梅”に多少なりと文学的価値があれば、その悪い部分には目をつむり、“金瓶梅遺址公園”建設に反対すべきでないという、体裁の良い言い訳ができるとでもいうのだろうか?

“金瓶梅遺址公園”で、人に何を見せるのか? 

西門慶と潘金蓮のベッドシーンを見せるのか? 

それとも西門慶の李瓶児に対するサディズムを見せるのか?

ブドー棚の下での人目を憚らぬ痴態、築山の洞の中での密通を見せるのか?

悪徳商人のあくどい稼ぎや、汚職役人の醜い争いを見せるのか?

いくら考えても、まったく理解に苦しむ。 ましてやこの遺址って、もともとありもしない話しではないか。 何が“遺址”なのか? “現代漢語詞典”の解釈を読むと、“昔の建物などのあった場所”とある。 文学作品の中の、ありもしない場所を遺跡として開発し、しかもいろんな証拠を持ち出して、“金瓶梅”の中で書かれているのは、当地の人、物語はこの地で起こったことだとし、恥ずかしげもなく、そこが“西門慶の故郷”だと公言し、自分に汚らわしいレッテルを貼るのは、一体どんな神経なのか気が知れない。 彼等の観光資源がないため、どうしても“金瓶梅”の遺跡と結びつけたかったのか?  

だから、多くの納税者達の意向も聞かず、大金を掛けて西門慶、潘金蓮を引っ張り出し、“金瓶梅”の中の男女の秘め事といったものを売り物にし、一般の人々の好奇心を刺激し、目を引き付けさせ、観光客拡大を狙ったのだ。 今、“金瓶梅遺址公園”は、これら金儲けの人達の道具となり、性文化で暴利を貪っている。 観光は、本来気持ちをリフレッシュするためなのに“西門慶精神”復活を観光の目玉にするなんて、こんなやり方は人から軽蔑されるだけだ。

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342 中国は見る(171)  「日本沈没」から日本を見る

《日本沈没》――日本の島国意識を投影

2006-07-23 16:34:50 主题:老片重拍 日本沉没凹显日本岛国心态

:http://bbs6.news.163.com/zhongri/637271.html

アメリカの「悪夢」は宇宙人だ。 彼等は地球上の軍事力では圧倒的で、敵対するものがいないからだ。 日本人はというと「悪夢」は沈没になる。 日本人は自分の国を「日本丸」と呼んでいる。 「丸」とは船の意味で「沈没」という言葉は日本人の内心の焦りと不安に触れるものだ。

7月15日、日本でパニック映画「日本沈没」が封切られた。 題名は日本人にとっては深刻な問題だ。

1973年、同名のベストセラー小説を映画化した「日本沈没」は危機意識について一大センセーションを巻き起こした。 1995年1月17日、同名テレビドラマの再放送第二話目が終わった直後、世界を驚かせた阪神大地震が発生した。 5400人死亡、30万人が家を無くした。 今年、日本政府全面協力の下、20億円を投じて制作されたこの映画は、防衛庁、陸、海、空自衛隊と東京消防庁などが撮影に協力し、海洋研究機構が顧問となった。

「日本沈没」は日本では有名ブランド

1970年代、小松左京がこのベストセラー小説を書いた。 その売れ行きは驚くべきもので、上巻204万冊、下巻181万冊が売れ、作者は1億2千万の収入を得た。 1973年、同名映画は約40億円の興行収入を出し、観客延べ人数は880万人に達した。 今年7月15日、新版「日本沈没」が公開されてから、各地の映画動員はとても好調で、観客も老若問わず押しかけている。 映画会社側は、興行収入は70億円にいくだろうと見ている。 現在すでに20数カ国から同映画の購入希望がきている。 その中には中国、韓国も含まれている。

これについて日本のメディアは「日本沈没」で「日本救わる」と書いていた。 《朝日新聞》によると、33年前に比べて新しい映画は、役柄や設定に変化はないが日本沈没の原因には少し変化が見られるという。

同映画は阪神大地震、インド洋大津波など最近十何年かの災害を背景に、最新学説を基に日本沈没の過程を描いている。 映画の特殊な題材と、この間の北朝鮮のミサイルが日本に緊張した雰囲気をもたらし、日本のメディアは映画の上映を前に、この映画を盛んに取り上げた。

TBSテレビは、7月9日に2時間にわたる特別番組を放送した。 番組には「日本沈没」の主役の男女俳優を招き、映画の見所を紹介しながら、合間に専門家の取材内容を差し挟み、日本の地震の危険性、国の防災政策を論じながら、国民の防災意識について分析し、人々の日常生活の中で事前に注意すべきことや、防災食品、照明器具などの準備について注意を与えていた。 TBS以外にも、多くのテレビ局が類似の番組を制作し放送していた。 あるテレビ番組では、街頭で一般の人に取材したり、過去に大地震を経験した人からその体験談を語らせるなどしていた。

災害映画は日本人の不安心理にピッタリ

小説「日本沈没」を題材とする映画・テレビの作品が3回、日本を騒がせたのは、その登場があまりにも「タイミングがどんぴしゃ」だったからだ。 1973年、最初の映画が上映された頃は、日本は丁度石油危機で物価が上がり、品不足で社会を挙げて混乱していた。 同名テレビが1995年放送された時は、日本のバブル経済が崩壊し、自民党政府が倒れ、その上阪神大地震、日本の民衆が心理的に落ち込んでいた時だった。 最近は、日本の景気も上向いてはいるものの、小泉の長期政権下、日々の暮らしに不安を覚え、医療保険、年金など伝統の社会の枠組みが崩れ、隣国との緊張関係などの問題も数多く、日本人を悩ませている。

こうしてみると分かるように、日本では災害映画は混乱した世の中に登場するようで、平和な時のものではないようだ。 災害に対する不安は相当に高く、日本人の内心の悩みを実証している。

最近、日本人の災害への心配はますます大きくなり、ますます驚くべきものが現れている。 日本の元経済企画庁長官堺屋太一は「平成三十年」という本の中で、2018年に日本経済はまた極度に落ち込み、60万あった建築会社は3社だけになり、それもただ道路の補修工事をするだけ。 日本の製造業、医療と保健業は完全に中国に取って代わられ、揚子江沿岸に日本から5万人が移住する---------

別の予言小説「日本封印」は更に悲観的で、作者の杉山隆男はこう書いている。 日本は秘密裏に軍事衛星を開発し、アメリカを怒らせる。 アメリカはこれにより中国と接近し、日本を敵視するようになる。 そして中国は日本に「沖縄を渡せ」と要求する。 と同時に、中米は日本の封鎖を行い、大量の「難民」を日本に送り込みこの島国を占領しようとする。 この小説は、日本で流行っている日中衝突を題材とする小説の代表作である。

あるいは政治的予言が多すぎ、ちょっと現実離れしていると思われるかもしれないが、日本では「現実味がある」という人もいる。 最近、日本のある研究所の所長が、極めてまじめに日本人に警告を出した。 十数年後、日本の普通一般の人々は、大好きな刺身や寿司などの日常食品を口に出来なくなるかもしれない。 というのは、中国の食品に対する巨大な需要により国際市場を占拠する事態が起こり、そのため日本に食糧危機がおとずれるというのだ。

日本人の強い不安意識は、誰もが知っている。 それも島国意識からくるものだということもわかっている。 では、この意識は一体どうして生まれたのだろう? 日本は歴史的に水稲が主要な農作物であった。 海に囲まれた島の特徴として、日本の稲田面積は小さい。 家畜もあまり使えない。 ただ人力に頼ってきた。 人ががんばって働き、耕作し、技術革新を図ったことで、多くの食糧を取ることが出来、家族を養ってきた。 この作業の中で自然災害は日本人が一番恐れたことだ。 一方、災害は日本人に結果として無条件の我慢と、また一方で災難にあったり、災難にあうかもしれないということは、日本人を更に頑張らせる原動力となった。

このような自然環境と生活環境は日本人に、日本列島を大きな船と見立て----「日本丸」とした。 船は閉鎖的なもので、船に乗り込む人は運命共同体で、いつ転覆するか分からない危険がある。

こういった心理が日本人を絶えず忙しくさせ、常に止まることなく努力し、技術や質の弛みない改善と更新、小刻みの時間配分などで心理的安心感を求めるのだ。

しかし、忙しい日本人はこの細かい作業に追いまくられ、「日本丸」の未来を考えることが出来ず、「日本丸」の方向を見ることが出来ないのだ。

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341 中国の三面記事を読む(68)  中国人ツアー続々ヨーロッパへ

中国旅行団 欧州へ続々と押し寄せる 今や金払いも日本人以上豪勢に

2006-07-16 11:13:00 中国游客潮开始卷向欧洲出手豪爽已超日本游客

来源:人民网(北京)网友评论1条进入论坛

中新ネット7月16日電:香港(文報)によると、中国経済の急速な発展に伴い、中国人の海外旅行の機会も大幅に増加し、これまでの比較的近距離の国と地域から、最近では欧州の観光スポットを選ぶ傾向が増え、消費金額もまた伸びてきた。 中国観光ツアーは全世界に広がっており、データ予測では、2020年には中国の海外旅行客は1億に達するという。

近年、中国旅行業界は急成長し、海外旅行客も大幅に増えている。 1995年、海外旅行者数はわずか452万だったのが、2000年には約900万と5年間で倍増した。 そして去年の海外旅行者はすでに3200万人に達し、これまで旅行好きといわれた日本人より多くなった。

今、国内旅行者の7割が香港・マカオなどの近距離地区を観光のスポットとしており、欧州まで足を伸ばすのは7%に過ぎなかった。 しかし中国市場は大きいし、それに2004年から、ユーロ圏加盟国25ヶ国とビザ協定が結ばれ、中国人の欧州旅行が格段に便利になった。 中国の旅行者も欧州で買い物と観光をしたいと考える人が増えてきた。 そのため旅行会社の多くも、チャンス到来とばかり“欧州ツアー”を売り始めた。

中国国際旅行社の販売担当によると、“ヨーロッパは中国旅行者を大歓迎しており、今、中国人はもう行ったことのある東南アジアより、たとえ冬であろうと欧州へ行きたいと考えています。 それは中国で買うよりも2-3割安く有名商品を買えるからです。 中国の旅行者は買い物が好きで、スイスに行った旅行者は大抵、ラドー、ロレックスの時計を買っています。

統計によれば、去年中国旅行者の一人当たりの買い物平均購入額は987米ドルで、これまで金払いのよかった日本の旅行者を上回っています。

しかし中国の観光客は決して金をむやみと使ってるわけではなく、宿泊や食事を節約し、買い物しているとのこと。 そのほか、市の中心にあるホテルは古かったり、部屋が狭いので、郊外の新しいホテルを選ぶ人も多い。 またヨーロッパの食事になれない人、コーヒーやトーストといった朝食が苦手な人のため、旅行社は中国料理の便宜も図っている。

記事の中で、中国人の注意事項として“郷に入ったら郷に従え”と呼びかけている。 東南アジアで中国人旅行者の中には、タンを吐いたり、大声を出したり、ズボンを捲り上げ涼むなどの悪習が見られる。 欧州へ行く人は大体、エチケットに理解をもたれている人が多いが、決してこのようなことはしないように。 外国では許されない行為だ。 

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