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257 中国は見る(128)  ホームステイで感じた日本人の忸怩たる思い

私と日本人の交流物語

 

2006-04-05 18:23:08 主题:日本人的负疚心是这样表达的----我和日本人的故事

:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=444791

 

憤青(怒れる若者)は私を哈日族《日本かぶれ》なんていうかもしれない。 何といおうとかまわない。 私は私の体験を正直に言うだけだ。 私だって日本が中国にもたらした屈辱の歴史を忘れたわけではないし、日本の右翼には反感を持っている。 しかし、現在の日本人は当時の軍国主義時代の臣民とはまったく違っているし、多くの人々は平和を望み、日中友好を希望している。 日本人が中国人と仲良くしようと思っている気持ちの中には、罪の意識による引け目と懺悔が入り混じっているようだ。

 

96年、私は東京の文化交流の学習に参加し、日中友好会館の後楽寮に宿泊していた。 祝祭日の近くになると、寮のホールの案内板によく募集広告が一杯貼り出された。 内容は大体、中国人に対する日本各地の友好団体・ボランティア団体からの日本の家庭での交流活動の誘いである。 参加費用はその家庭やボランティア負担してくれ、招待される留学生には一切費用はかからない。 この招待者側が見知らぬ外国人を自分の家に数日間宿泊させるという活動は、先進国では非常によく行われているもので、すなわち“Home Stay”、日本では“ホームステイ”と呼ばれている。 好奇心から、私は東京からちょっと離れた長野県の“ホームステイ”を選んでみた。 募集文書の下の申込蘭に自分の名前など必要事項を書き込んだ。 数日して、私は招待状を受け取った。 中には、具体的な活動日程と私の名前が書かれたプラスチック札が入っていた。 それと招待者側の家庭状況と私を選んだ理由が書かれていた---------“以前、貴地を旅行したことがあり、友達となりたい” 

 

日本人が中国人のために行う“ホームステイ”は、通常はその土地の民間または国の日中友好協会が間に入って取り持つ。 “ホームステイ”先は自発的に希望する日本の家庭であり、また各家庭が資金を出し合って行う公益的活動である。 どの家庭も申し込み留学生の資料の中から、自由に個人的好みで2-3名を選び、臨時の家族となり、留学生の送迎、交通、宿泊、観光などはそれぞれの家庭が負担する。

 

胸のプレートの名前から、私を招待してくれた家の主人が、沢山の留学生の中から、私を見つけてくれ、お辞儀やら、挨拶やらした後、駅に集まり、目的地に着いた後、歓迎の宴会に参加した。 宴会の後、双方の交流会行われた。 やり方は中国と似たようなものだ。 大体は当地の人達の民間の踊りや笛、太鼓など。 中国側の学生はマイクを握って、日中の歌を歌ったり、それぞれの腕前を披露した。 たとえば“太極拳”など。 交流会が終了すると、それぞれの家へ分散し、三日間の日本人との共同生活、食事、雑談、遊びが始まった。 家庭によっては、留学生に“家事”を手伝わせることがある。 といっても、みんなで餃子を作ったり、庭の草花をいじったりすることぐらいだ。 

 

私は蘭州から来た女の子と、ある農家に泊まることになった。 主人は二人とも七十を過ぎた夫婦で、それとだいぶ年配の娘が一緒に住んでいた。 活動の案内によれば、家人の年齢によって相手に叮嚀に対応することが大切なようだ。 この三日間、毎日夕飯後、隣近所のおじいさんとおばあさんが私達のところにやってきて、話をしたり、日本酒を飲んだりした。 

 

日本人は他人の家へ遊びに行くのが好きでないようだ。 多分、私達が中国人なので閑な年寄り達がものめずらしさにやってきたのかもしれない。 話題は、中国人は頭がよいとか、今の中国はなんとたいしたものだとか、おべっかの言葉ばかり。 でも、過去のことについては誰も言い出さない。 長野県は聞くところによると、昔、中国に一番多く出兵した地域だという。

 

この家の娘さんが小さい声で私に話してくれたところによると、私達に付き合って一緒に酒を飲んだ老爺達の中の二人は、かって兵隊として中国に行ってたそうだ。 思い返せば、酒を飲んでる時、その二人は礼儀正しく、友好的で、とても真面目でおとなしく見えた。 彼等が昔、私達の祖先に残虐の限りを尽くしたファシストとはとても考えられない。 当時の軍国主義がこの朴訥でおとなしい人達を悪魔に変えてしまったとはどうしても理解できない。 私は昨日、この二人の老人に好感を持っていたのに、たちまち嫌になり、なんともいえない気持ちになってしまった。

このことからも、私は内心、日本政府があの非人道的な中国侵略戦争について、早く反省と後悔をしてくれればいいのにと思った。 そうすれば、中日両国は昔の恨みを捨て去り、これら普通の人々と何のこだわりもなく、膝を合わせ語り合い、共にこの世のすばらしさを話し合えるのに!

 

最後の別れの日、長野県の日中友好会館で、私達と招待家族のお別れパーティーが開かれた。 中日双方の百人余りが一堂に会し、歌や踊りにテーブルを回ったりして、三日間で作られた相互信頼と友情を語り合った。

 

私を意外に感じさせることがあった。 中国人民解放軍の兵士と自称する日本人が、私達に酒を注ぎにやってきた。 彼は私達に、非常に熱心に率直に自己紹介した。 彼は自ら投降し、解放軍に参加し解放戦争にも参戦した。 そして解放後、南京の軍事学院で勉強し、50年代になって日本へ引き上げた。

 

この元“解放軍兵士”は、日本に戻ってからの出来事を話してくれた。 多少恨みがましい気持ちが見て取れた。 “帰国してからの日本政府の私達に対する取り扱いは、差別とかほかの人と違う対応はなかった。 まったく同一に面倒を見てくれた。 しかしほかの一般の人達の中には、一種の先入観を持って私達を見たり、私達を避けようとした。 そのため生活に支障も生じた。 その後、日本の各界や民間から戦争に対する反省が起こり、私達にも寛容的なってきたので、やっと落ち着いた暮らしができるようになった。

 

この元解放軍の話に対して、私はどう対応したらいいのかわからなかった。 あの昔の歴史が依然として人の心に重くのしかかっているのを感じた。

 

この短い三日間で、日本の民間に入る生活は終わった。 この期間中、私はあの戦争のことを話そう、日本人が中国人に屈辱を与えたことを話そうとずっと考えていた。 しかし私はとうとうこの両国の人民の重い話題について触れることはできなかった。 

 

彼等のこのように中国人と近づく方法自体、罪を認め、懺悔する気持ちの表れであり、同時に中日関係の美しい将来を希望する表れだと思うから。

 

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