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280 中国は見る(146)  日本の実情と写真  (3)

写真と共に真実の日本を伝えます 

 

2006-05-08 22:43;19  ZT1743张照片:告诉你一个真实的日本

本文网址://http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=493378

 

日本の有名ブランド品は普通ヨーロッパより高い。 日本の若者達がブランド品を買うのも決して安くはない。 だからこれから見てもわかるとおり、ブランド商品を追い求めるのがブームとなっているのだ。 

 

この問題について、私はいろんな人に訊いてみた。 Momokoが言うには、ブランド品を買うのは「目立ちたいため」(新しいものを買う)と言う。 しかしこの答えに私は納得できなかった。 それより前に、別の日本の友達が教えてくれた答えが、本質をついているかなと思わせた---------日本人は自分に自信がないのだ。もし自分に自信があれば、ブランドなどに頼らず、自分の魅力で引き付けることが出来るはずだ。 それに自信がないからと、直接品物をひけらかすのは、ミエを張っているに過ぎない。 

 

しかも選んだブランド品からこのことが見て取れる。 一番のルイ・ヴィトンの名前は有名だし、そのマークを見ればすぐわかる。 二番目のGucciもデザイン性がすぐれている。 三番目のHermesは値段が一番高い。(この順位は私が観察して感じたままに決めた)。 でも実際のところ不思議でも何でもない。 どの国でも大体LVが一番、二番目がGucciなのだ。 しかし日本では、他のどのブランド品よりLVが一番多いように思う。 

 

バッグに限らず車も同様だ。 日本で一番人気のある輸入車はベンツ。 同ランクで次に人気のあるのが(AudiBMWJag)、これらが束になってもベンツには敵わない。 (私は車にも興味がある。 この次は車の特集にしよう)。 だが日本人ばかりでなくアジア人にもこの共通性はある。 中国人も同様だ。 

 

ところで普通の日本の学生が一ヶ月分のバイト料でLVのバッグを買えるのに、中国の普通の学生は、一ヶ月分のバイト料でもニセモノのバッグさえ買えない。

 

私は最初不思議に思った。 日本はこんなに発展し、世界屈指の先進国家になっている。 なのに日本人はなぜ自信がないのか? Momokoが言うには、日本は中国の伝統文化の影響を受けており、日本人なら日本の伝統文化は中国から伝わった物だということを知っている。(武士道精神だってそうだ!) しかも日本の伝統文化は中国より大事に保存されている。 日本人の多くに見られる謙虚という美徳、しかし謙虚には副産物としてよく見られるのが自信欠乏症である。 要するに日本人は中国人より自信がないということだ。 Momokoは中国人の自信がうらやましいと言った。

 

この点について私は、なんと答えたらいいのか困ってしまった。 実際は彼女の見方に同意したくなかった。 本当に自信がある人こそ謙虚になれるのだと思ったからだ。 でもそう言うと逆におかしくなってしまう。 つまり日本人はなんの自信もないのに謙虚だからだ。 これについてはいずれまた述べることにしよう。 いま話してもとりとめがなくなるだけだ。

 

私は中国人が日本人より自信があるとも考えていない。 本当に自信を持っているのは西洋人だ。 私が思うに、これは東西の教育の違いが密接に関係しているのではないだろうか。 

 

真の自信には所がある筈だ。 この点については全世界共通している。 東洋で重視していることは大体似通っている。 言うまでもなく、顔がいいとか、金を持ってるとか、学校の成績がいいとか、仕事がよくできるとかだ。 そして一番多いのが、それプラス何か特徴があるかだ。 傾向として多いのが、男子生徒ではサッカー、バスケットボール、女子生徒ではピアノ、バレー(踊り)など。 だからみんなこの各分野をめぐって、競争は激烈を極める。 その中からずば抜けた人はほんのわずかだ。 もしこういうことで小さい時から、「私は他の人に敵わない」と考えて大きくなったとしたら、自信なんて持てるはずがないではないか? 日本がどうなのか私にはわからないが、どっちにしろ中国の教育は、自信の創造や育成など重視していない。 

 

しかし西洋はまったく違う。 私は小さい頃アメリカの学校へ通ったことがある。 彼等のこの方面(自信)について強く印象に残っていることがある。 あなたは成績がダメでも体育が良ければいい。 バスケットがダメでもアイスホッケーがうまければいい。 体育と成績が悪くっても友達が多ければいい。 あなたがどの方面かに才能があるとしたら、先生と家庭はその長所を重視して、励まし育成するのだ。 

 

たいていの人には自分が他の人より優れているところが見えるはずだと、私は思う。 しかも他の人の自信をなくさせるような行為を、学校は禁止している。 こういうことがあった。 試験が終わった時、私は友達に彼の成績を訊いた。 これくらいのこと私達からすれば普通(正常)のことでしょう? 彼が私に何と言ったと思います? 彼は「あなたが、いま言ったこと校長に話します」 

 

自信がないことと裏腹に、日本人は超「見栄っ張り」。 日本の友達が、日本は世界で一番「見栄っ張りな国」だという。 実はこの言葉は彼女が最初に言ったんです。 自分が見栄っ張りと認めたうえで、日本の見栄っ張りは至る所で見られるという。 食べ物から建築物にいたるまでみんな「体裁よくできている」 これは本題ではない。

 

日本人の高級ブランド品に対するあくなき追求と強大な経済力が日本に無数のしかも立派なブランド店を進出させた。 日本に着いたばかりの数日間、Momokoと神戸の高級商店街をぶらついた時、3-4階建てのLV店を見つけた。 とても大きな店だと思った。 (少なくとも北京国貿のLV旗艦店の倍以上大きかった)Allen_in_japan289_1_2

 

神戸店   でかいでしょう!

 

でもMomokoが、“こんなの普通よ。 東京へ行けばわかるわ” 

 

その後、私は東京原宿へ行って本当のことがわかった--------7-8階建の高いLV店。 銀座の店はここよりもっと大きいという。 そして同じ通りに大型高級ブランド店がずらっと並んでいる。 正に壮観というしかない。 Allen_in_tokyo302_2_1

 

原宿と比べると神戸の店はどうってことない。Allen_in_tokyo301_3_2

 

Emporio ArmaniAllen_in_tokyo284_4_2

 

ここは多分世界で最大のDior店だろう。 オープン時、Paris HiltonBeyonce といった大物が祝賀に訪れた。 この店は夜になると、大きな水晶の三角柱のように、絶対に原宿の街の人目を引く場所だ。Allen_in_tokyo282_5_1

 

Polo Ralph Lauren

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Polo のマークの由来Allen_in_tokyo304_7_1

 

これは世界最大のTODSだと思う

 

以前ロンドンのHarrods Harrods は英国最大の高級デパート、だが中国人はSelfridges & Coの方へよく行く)に行ったことがある。 Harrods はとてもすごいと思った。 でも日本へ来てわかったことは、どの店に入ってもHarrods よりもっとすごかったことだ。Img_3391_8_1

 

London

Harrods Allen_in_japan251_1

 

Daimaru 日本のあちこちにある歴史的名門百貨店。 神戸にも支店がある。Allen_in_japan265_10__1  

Daimaru内部の一角。 Tiffany & Co PucciAllen_in_japan287_1  

 

このデパートの内部。

 

私が日本で一番好きな店だ。

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原宿 Omotesando Hills(表参道ヒルズ)Allen_in_tokyo295_2  

地上部分は小さい。 地下にも見所がある。

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279 中国は見る(145)  日本の実情と写真  (2)

写真と共に真実の日本を伝えます 

2006-05-08 22:43;19  ZT1743张照片:告诉你一个真实的日本

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第一章        流行

1.美は非常に高い

日本で撮った写真で失敗したのが多分この一枚だ。 以前、他の人が街中でこっそり撮ってるのを見た時は、そんなに難しいとは思わなかった。Img_5522_1

しかし実際自分でやって見ると、とても難しいことがわかった。 

この時、惜しくも失敗したのは、レンズに背中を見せているこの女の人だった。 こんな美人がなんでこんなところで店員なんかしているのかと思ってしまった。 いずれにしろ最初はまだ面の皮が厚くなかった。 人の前で写真を撮る時、その人に気付かれないかとためらいがあったが、その後はだんだんと図々しくなれた。 

Backtokansai027 撮っているところを見つかってしまった。

人の歩き方が速い。 私のカメラはあまりよくない。(キャノンS50、シャッタースピードや移動被写体がちょっと弱い)。 だから、向かいから来る人を撮ろうと準備しているのに、もう人が通り過ぎてしまうことが何度もあった。 たとえ撮れてたとしても、出来栄えがイマイチなのだ。 写真として出来上がったものと実際に見たものとの差があまりにも大きすぎる。 だが基本的には日本のいろんな特徴のある姿(Style)を捉えることができたと思う。 まあなんとか参考にはなるだろう。

多くの中国人は日本の姿(Style)に誤解が多いと思う。 日本の姿(Style)は美感を気にせず、奇をてらうMix & Match(混合と調和)だと、もしそう思っているとしたら大変な間違いである。Allen_in_japan062_1

こんな奇抜な格好をしている人は少ない。 

もし私が「一字」で日本のStyleを総括するとすれば、それは“おしゃれ”だ。 私が初めて大阪の中心にある梅田に行った時、まったく呆気にとられた。 (多分他の人だったらこんなことはないでしょうが、私は個人的にStyleについて非常に関心があるんです) 街を歩く男性に女性達が着ている服は場所柄にあったもので、きれいで、しかもみなそれぞれ自分らしさを出しており、美的感覚にあふれたものだ。34915305283576231350303402608526412

 日本人の服装はT.P.O.を考えている。 つまりTime,Place,Occasion【時間、場所、場合(行事)】 どんな場合にどんな服を着るかは子供も例外ではない。 みな着る服は身に合ったもので、イギリスのようなラフな格好はしない。 特に日本の女性はきれいだ。 私は美人を沢山見てきたと思っていたが、日本に来てから、以前の自分は「井の中の蛙」だとわかった。Allen_in_tokyo237 幸いなことに私の彼女は、私がStyleに興味を持っていることを知っていたので、彼女の理解・協力のおかげで、これら盗撮写真を撮ることが出来た。 

ディオール(Dior)の店員、なかなか格好よかった。Allen_in_japan023  が、残念なことに後ろしか撮れなかった。 着ている服に注意して見てもらいたい。 ピッタリ仕立てある。 イギリスでもこんな服にはお目にかかれない。

このようなスタイルが日本女性の標準的なものだが、写真の出来栄えがよくなく------ちょっと申し訳ない。Allen_in_japan114

もちろんだが、美しさには驚くほど金がかかる。 私が日本へ来る前、イギリスで日本紹介のセミナーに参加したことがある。 その時、講師が日本の女性の76%が少なくともLV(ルイ・ヴィトン)を一つ持っていると語った。 その後、私が自分でネットで資料を検索した結果は次の通り。

1.    2005年全世界贅沢品市場の分布状況は、日本41%、アメリカ17%、全欧州16%、中国12% だった。

2.    東京の20歳の女性の内、92%がLVを持っており、92%Gucci、58%がPrada、52%がChanel、44%がChristian Diorを所有しているという。Allen_in_japan058  

こうして見ると、流行を追う女性だけでなく、普通の目立たない女性が持っているバッグも、有名なものであることがわかる。 普通の人から見ると、こんなお金を使って買ったバッグは、きっと目立つため、人と違うんだとわからせるためだと思うのだが、日本では、こうした高額な品物が街中に溢れている------それじゃあ、それを買って一体どんな意味があるのだろう? まさか他の人と同じになりたいからか? 格好いいからか?Allen_in_japan035_1  

大阪難波の地下鉄の駅のそばのLV店。 スーパーみたいだって?Allen_in_japan102

もしこのバッグがHermesと言わなかったとしたら、一体どれ位の価格だと思いますか? 私の彼女もHermesのバッグを一つ持ってますが、約20万円(1万4千人民元)。 街の中を見回すと、至る所で見かけます-------Img_5523 。 

このバッグ。Alleninkobe041

もちろんバッグだけにお金を使っているわけではありません。 有名な服や靴も高いものです。 ただバッグみたいに判別できないだけです。

でも、その身につけた服の生地や仕立てから、値段が高いだろうことがわかります。 日本人は大金持ちが多いと思うことはないが、お金があることは間違いない。 しかし欧州と比べて良いとは限らない。

 

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278 中国は見る(144)  日本の実情と写真  (1)

写真と共に真実の日本を伝えます

2006-05-08 22:43;19  ZT1743张照片:告诉你一个真实的日本

本文网址://http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=493378

この文章と写真を出すにあたって、私の友達Momokoと彼女のお父さんTsuchiya Hironobu、お母さんKeikoさん、おばあちゃんのHosokawa Fumikoさん、妹のReikoさん、妹の彼氏のMotoyuki、お姉さんのYokoさん、お姉さんの彼氏のSato Yuichi、ほかに親戚の人や、通りで私を助けてくれた人々に感謝申し上げます。 あなた方の助けがなければ、私の今回の日本での素晴らしい旅行ができなかったと思います。 それに私の姉が経済的援助をしてくれたお蔭で、順調に旅が続けられました。

日本の旅

説明

中国人の中には日本が嫌いな人もいるし、好きな人もいる。 好きであろうと嫌いであろうと、一点共通したものがある。 中国人は日本に特別な関心というか興味を持っている。 興味があるなら、まずどのような国なのか、理解した上で好きか嫌いか考えてもいいのではないか?

というのは、私自身がはっきり知ってるんです。 中国人の多くは日本に興味を持っているけれど、日本や日本人についての知識はまったくないといっていい。 大多数の人の日本に対する情報は感情的色彩が入り込んで、事実と違っていることが多い。 私がこの文章を書く目的は、みんなに本当の日本を紹介したいからである。 いろんな方面からこの国、この民族を分析してみたい。 もちろん、私の個人的な見解も入っている。 しかしその見解もただ「真実そのものについて論ずる」こととする。 というのは、私は大多数の中国人より日本および日本人について理解していると思っているから。 いろいろな理由から、私は日本に長期滞在できなかったが、彼等と一緒にいろんなところを歩き回り見て回った。Img_3588_

日中合作---------私達の大学国際文化祭での舞台

ここで重要なことをいうと、私の彼女は北京へ留学したことのある日本人で、流暢な中国語を話し中国に深い知識がある。 私は日本へ18日間の視察【旅行】にやってきた。 この期間の中で、日本のあらゆる面をあらゆる角度から真剣に見つめてみたいと思う。Alleninkyoto074_1

京都哲学の道

私は子供の頃、アメリカで暮らしたことがあり、最近もイギリスに留学した経験があるので、東西比較の角度からもこの国を見ることができると思う。 あなたがもし日本を友と見る人なら、私をガイドとして日本を楽しめばよし、もし日本を敵と思っているなら、私をスパイとして、彼の国を知ればよい。

Japan日本はその国土の80%が山岳地帯で平野は少ない。 それが日本の都市に顕著に現れている。 いくつかの大都市が近接している。 例えば関東平野にある東京、横浜、川崎、千葉からなる関東工業地帯。 関西平野の大阪、神戸、京都からなる関西工業地帯。 このような特別な位置関係が、私のこの短い18日間という日数で、大阪、神戸、京都、奈良、滋賀、東京、千葉といった日本の重要な都市を難なく回ることを可能にしたのである。

日本では記録したり、記念にしたりすることが多く、また私は特に写真が好きなので、18日間の滞在中全部で1743枚の写真を撮った。

これらの写真は私の日本で見たいろいろの場所の記録であり、どれも特徴的な所を撮っており、どれも美しい風景であり、どれも私にとって思い出のあるものである。 途中で食べた食べ物だって見捨てはしない。

またこっそり撮った街の姿(Style)もある。

私の写真と文章を通じて、多くの人に本当の日本、本当の日本人を知ってもらいたいというのが目的である。 従って、私の写真はできる限り全体的で、客観的な観点から撮ったつもりだ。 いいところもあれば、悪いところもある。 私が好きな場所もあれば、いやなところもある。

もちろん、わずか18日間の日本である。 出会った日本人も限られている。 だからいろんな種類(階層)の日本人の考え方を知るには限界があったことは正直に申し上げる。 その代わり、在日期間中できる限り、新聞、雑誌、書籍、テレビ等いろんなメディアに目を通し、この欠陥を補った。

Allen_in_tokyo145_1 靖国神社遊就館のみやげ物屋で買った本

小泉首相靖国神社参拝に反対する中国と韓国への抗議

Backtokansai042

日本の(MPV)雑誌

彼が誰だか知らないって! 名前を言えばわかるでしょう「井上雄彦Allen_in_tokyo098

まだわからない? バスケットの主将といえばわかるでしょう。 彼の取材。

でも私は日本語ができない。 だから書かれている文章の中の漢字から類推したり、彼女に翻訳してもらったり、そのほか中国語・英語の資料を調べたりして何とか理解しているが、理解不足や一方的な思い込みがあるかもしれない。 でもこれが私ができる精一杯だ。

もし日本で暮らしている同胞で、違う意見があれば補足してもらいたい。 もっといい説明をするためには、この「体験日本」をシリーズ化して、シリーズごとに一つのテーマを紹介したらいいと思う。 例えば“流行”から“おいしい食べ物”、“歴史”から“科学技術”、“仕事”のことから“暮らし”のことなど。 いろいろな方面の対象物から、この国の民族の特徴、長所、欠点そして我が国との関係が見えてくるのではないだろうか。 

目的は出来る限り全体的で客観的に、まずは最初だから、気楽にのんびりと行こう!  

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277  新緑の上高地・乗鞍 二泊三日の旅

先日24日(水)-26日(金)の三日間、会社の元仲間達8人(男4人、女4人)でワンボックス・カーに乗り、上高地・乗鞍方面へ遊びに行ってきました。 ゴールデン・ウイークも終わり、しかも平日なのでのんびり楽しめるだろうとの予想的中。 雨がちの日が続いていたのに、幸いこの三日間好天に恵まれました(帰りの日だけ曇り空だった)。 戻った翌日からまた雨。 なんとついていたことだろう。

5月24日()朝8時、新宿西口安田生命のところに集合、中央高速で一路信州へ。 昼近く松本着。 新島々の近くで、昔おいしいソバ屋があったので探したら、あいにく休業。 やむをえず最寄の店で食べたがやはりイマイチ。 上高地の手前の「茶嵐」で車を預ける。 真夏の混雑時とはまるで嘘のようにがら空きの駐車場。 そこから2台のタクシーに分乗上高地へ向かう(小型3500円、中型4000円位)。 1時半頃、上高地の目的の山荘に到着。 暫く休憩後みんなで散策に出掛ける。 梓川沿いにまず河童橋に向かう。 穂高・明神が眼前に望める。 _001_1

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_009_1緑したたる木々が心地よい。 やはり有名観光地、人が結構いる。 でも夏ほどではない。 河童橋を渡りウエストン碑から大正池まで歩くことにした。 写真を撮りながら行くので、先発組と後続組との差が開いてしまう。 別々に行くことにする。 田代池近くですれ違った人から、田代池のあたりに、熊が出ますよと言われる。 冗談と思い進む。_018 _017_1 _022_1 _025_1 _030

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以前見かけたサルの姿を、今回はまったく見なかった。 田代池に着いたが何も異常なし。 そのまま大正池へ向かう。 友から携帯が入るが、繋がらない。 電波事情が悪い。 でも時々は繋がる。 熊が出るとのことなので、引き返すとのこと。 私ともう一人はバス通り伝いに山荘に戻ることにした。 後で聞いたところでは、田代池で確かに子熊に出会ったとのこと。 証拠の写真も見せてくれたので、信じざるを得ない。_037 _038_1 _040 _041 _043

翌日25日(木)朝5時頃起きる。 また河童橋へ行くことになった。_044 _046  _047 _049 _062_1

_053_059_068 外はちょっと寒い。 歩いていると指がかじかむ。 穂高には雲がかかって見えにくい。 河童橋は早朝で人が少ない。 しばらく待っているうちに雲が晴れてきて全容が見えてきた。 山荘に戻り風呂に入る。 その山荘の風呂場からカラマツ林越に穂高岳が望めるので最高。_074 _075

上高地のバスターミナルからタクシーで茶嵐に行こうとしたら、タクシーの運転手さんが、茶嵐へ行ってから車で乗鞍国民休暇村に行っても、そこから乗鞍の頂上へ行くエコーラインは閉鎖中で、今は平湯経由スカイラインで行くしかないとのこと。 でも1台2万、2台だと4万だ。

しかし、事情がそうであるならやむなしと即決、タクシーで乗鞍頂上へ向かう。 9時頃出発。 天候は上々。 途中2000メートルあたりから次第に、笠岳、槍ヶ岳、穂高が見えてきた。 展望ポイントで観賞。 _078 _081 _084 _085 _088

頂上畳平に10時20分頃に到着。 そこからちょっと山を登るとアルプスが展望できる絶好の場所に辿りつく。 2760メートル。

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_1011時間半くらい散策した後、乗鞍山頂を後にし茶嵐に降りる。 いろいろな花と山の緑が美しい。 車に乗り換え、白骨温泉経由乗鞍に向かう。_117_120_121_116

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乗鞍の一の瀬に水芭蕉の群生地があるというので行ってみる。 目的地まで歩いて30分位。 小川に沿って行くと、両側に白樺の林がずっと続く。 水芭蕉はちょっと育ちすぎで大きかった。

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26日(金)朝6時頃起床、宿(乗鞍国民休暇村)の近くの牛留池に行き、水芭蕉と池越に乗鞍の山々を望む。_159_136 _168 _161 _171  また近くの善五郎の滝を見に行く。 食事後9時頃宿を出発、三本滝を見に行こうとしたが、雪があるため通行禁止になっていた。 もう一つの滝・番所大滝を見に行く。 滝見の場所で写真を撮ろうとするのだが滝のしぶきがものすごい。 カメラが濡れてしまうほど。 途中また一の瀬に立ち寄った後、東京へ戻る。 途中渋滞にもあわず4時半頃新宿に帰着。

 

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276 中国は見る(143)  アメリカの引越しに 3兆円支払う日本

2006-05-19 08:41:34 主题:美国搬家、日本付3兆圆

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=509438

もう何年も前のことだが、東京から程近い厚木米軍基地を見学したことがある。 目の前には“マディソン郡の橋”の映画のような、うねうね続くのどかな田園風景があった。 広く果てしない青空に白雲がいくつか浮かんで、大きな庭のある建物、高く聳える木々、緑の敷物のような若草、空気は澄んで気持ちがいい--------ぎっしり並んだ家々、汚い空気、マッチ箱のように小さな我が家から見ると、なんというところだろうと感嘆し、自分は日本列島にいるのだろうかと疑ってしまった!

もう一つ、沖縄「琉球日報」の友達が私を普天間の米空軍基地の見学に連れて行ってくれた。 (基地の外の高台から覗いただけだったが)

連日、戦闘機が離発着する飛行場の広さは、その周囲の日本人のせせこましい一般住宅地と比べると対照的だった。 幸い日本人は“我慢強く”アメリカ人の豪華な住宅を見ながら、自分達はハト小屋住まいだ。 子供達はマンガのドラえもんのように“押入れ”暮らし。

アメリカの横暴にも 唯々諾々

1996年、冷戦終結後、日米は「日米安全保障共同宣言」を発表、更に軍事同盟を強化した。 21世紀に入り、アメリカは世界戦略を変更、日本に責任の分担を迫った。 そこで自衛隊は、「国際化」(日本の領土、領海、領空から離れ、海外へ赴きアメリカと共同作戦を取ること)に向かい、専守から攻撃に、平和憲法を変更を変えようとの動きに--------

最近、日米の国防・防衛の長官がワシントンで沖縄米軍陸戦隊のグアム移転問題について協議を行い、日本は莫大な負担を負った。 日本は財政的にはものすごい赤字で、国債は300兆円を超しているのに、総費用102億7千万ドル(約1兆2100億円)の59%、すなわち60億9千万ドル(約7千億円)を引き受けることになった。 ところがこの両長官の話が伝わった後に、アメリカのローレス国防副長官が語ったところによれば、在日米軍の再編では、その移転費用で日本側が実際に負担する費用は3兆円に上るという。 この天文学的数字は両長官が言っていた数字の5倍である。

日本は137ヶ所もの軍事基地を提供し、使用料も取らず、逆にアメリカに対し移転費用まで負担している。 一旦まとまったにもかかわらず、改めて大きな口を開けて、欲張ってまだ要求している。 アメリカは些かなめてかかっているようだ。 (実際、アメリカは日本を御し易しと見ている) 日本人はあまりにも人がよすぎる!

日本のタカ派の政治家は、中韓などの国には居丈高に、戦犯を参拝するのに文句を言うなといって参拝してるくせに、アメリカについては一体どうなんだ! この政治家達は、アメリカに対しては、唯々諾々として「YES」と言い、「NO」とは決して言わない。 生来、アメリカの「イエスマン」であるかのようだ。

国民の苦しみを 顧みようとしない

3兆円の大ニュースが日本列島を震撼させていた時、もう一つの大事件が世間を騒がせた。 手抜き工事や、震度5の地震で倒壊するビルを建てた業者達が警察に逮捕された。 これより前、国は危険を理由として、問題の何棟かのマンションの住人を退去させた。 この人達は自費で引越しさせられたばかりか、35年に及ぶローンの返済を銀行にしなければならず、正に「泣きっ面に蜂」の状況にある。 問題の鍵は、決して手抜き業者や、インチキ販売業者ではなく、国の関係機関の審査が十分に行われていなかったことだ。

道理的に見るなら、最終的責任は国にあり、このいわれなく災難にあった“被害者”達を救済すべきだ。 しかし小泉首相を含む指導者達は知らん振りをして、責任のなすりあいをしている。 アメリカには「唯々諾々」、なんでも言いなりになって米軍の巨額の移転費用一切を引き受けるのに、自国民の被害者に対しては一顧だにしない。 この良心なき政治家達がこれまで行ってきた政策は「大企業利益至上主義」だ。

日本人がこの悪い政府を選択したのだから、「自業自得」としか言いようがない。 いまさら後悔しても間に合わない!

以上二つの事例からわかるように、日本政府はアメリカに対しては、何でも言いなり気前よく金を出して助けるが、自国民に対しては、苦しんでいるのに見殺し、羽一本抜こうとしないケチンボ。 これを比較すると、日本は民主国家とは決して言えず、“米”主国家ともいうべきで、国民不在国家だ。 このような国には、隣の国が「民主的でない」だの「人権がない」などという資格はない!

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275 中国は見る(142)  日中庶民の日常生活の対比 (下)

2006-05-10 00:22:11 主题:中日老百姓日常生活之真实对比

今度は食べ物

みんな日本の食事は高いという。 絶対価格として見るなら、確かに日本の価格は高い。 しかし、もし月収比率で見るなら、中国の大都市と比べて決して高くはない。 また東京と、北京、上海を比べて見よう。 

一家3人の日本人家族の場合、毎月の食費は5-8万円位。 この家庭(男性)の収入の約16-26%である。 注意してほしいのは、これは日本の男性の標準最低賃金を基にしたものだ。 つまり月収30万円とした。 日本の厚生省の統計によると日本の2004年の会社員の平均月収は、50万円以上となっている。 この統計数字は厚生年金、国民年金、国民健康保険および源泉徴収分を差し引いた控え目な数字だ。

中国の状況はどうだろう? 一家三人暮らしの家の毎月の食費は最低でも400-600人民元(約6千―9千円)、もっと少ないかもしれない。 じゃあ300-500元(約4千5百―7千5百円)とした場合、その計算根拠は? 毎日10-15元(約150-225円)の食費がかかる計算だ。 安いって? でも月収3千元からすれば10-16%。 日本と比べてわずか5-6%安いくらいだ。 日本と中国の毎月の食費は最低標準で計算したものだ。 

日本人は節約がうまいといえる。 テレビでこういう番組がある。 一万円を渡し、その一万円で一ヶ月生活を競うのだ。 最後に残った金が一番多い人がこのゲームの勝利者となる。 この番組の中で、一万円で生活する場合、大体が3千円以上残していた。 中には3千円ちょっと使うだけで暮らしたものも結構いた。 人民元200元に相当する額だ。

日本人は酒を飲む場合、普通1-2万円位だ。 飲んで食べて丁度適当な額だ。 月収で按分すると中国の100-200元に相当するだろう。

もし中国人が酒を飲みにいくとしたら、普通200-300元かかる。 私の感じでは日本より高いと思う。

次に福利

日本ではみな国民健康保険に加入する。 それで病院に行っても3割の負担で済む。 ところが中国では医療保険はあるけれど、病院へ行っても一番安い薬の適用を受けるだけで、多くの地域ではCTすら医療保険の適用外。 これは日本との格段の開きがある。 

日本では本当の義務教育が施行されている。 子供は小学校からお金がいらない。 学費もかからない。 ただ家庭が負担するのは子供の給食費と教科書代だけ。 1年の費用は約20-30万円。 これは普通の男性の一ヶ月分の給料で、大体中学卒業まで続く。 もし私立を選ぶとしたら、その費用は驚くほど高くなる。 

中国では9年の“義務教育”で、学費、雑費のほかにいろいろメチャクチャな費用があり、一年で一体どれくらいになるだろう? 少なくとも3-5千元(約4万5千―7万5千円)位になるだろう。

日本の会社の退職金は手厚いものだ。 これは社員が会社に一生勤めてくれた感謝の表明で、現在経済が不景気であっても少なくとも百万円、大手会社および銀行、IT、商社などは5-6百万円を手にする。しかしこれは一般サラリーマンであって、もし部長やそれ以上のクラスになるとこの数字はもっと高くなる。 しかし中国の会社員は退職しても何も出ない。 (訳者注:日本の退職金の数字はもっと多いと思うが原文のまま)

退職後、日本の社員は在勤中納めた厚生年金または国民年金で、一般に毎月国から15-30万あるいはもっと高い年金を受け取ることができる。 この金額と預金があれば、ローンを返還し終えた後、安心して余生を送ることができる。 しかし中国では退職後に何があるだろうか? 現在会社は退職金を支給してくれるか? 大多数の社員には退職金はない。 年取った後の生活保障が問題となっているが、国は関知せずとし、この負担を会社任せにしている。  一般の社員には養老保険をかけている。 それを貰えるのだが本当に年取った時、国の社会保険局から一体どれくらい貰えるのだろう? そんなの知るか? それよりか医療費はどうなる? 中国の医療費と薬代はべらぼうに高い。 一人当たりの収入なんかとまったく比例していない。 中国の定年後はどうなってしまうんだろう?

遊びについて

日本の旅行は、例えばオーストラリア中クラス6日間の旅の費用は10万円位、月収の25-33%に相当する。 カナダ、アメリカ15日間だと15-20万位、月収の半分ほど。 東南アジア方面は安くて、シンガポール、タイ、マレーシア一週間で十万位だ。 中国はというと、オーストラリア一週間人民元で8千元(約12万円)以上、日本よりちょっと高い。 しかも月収の2-2.5倍だ。 アメリカ、カナダ15日間だと費用は1万5千元(約22万5千円)、月収の4-5倍。 東南アジアは最近どうにか安くなってきたが、それでも8千人民元(約12万円)日本とそう違わないが中国人の月収の2-3倍だ。

中国のスキーは時間計算だ。 一時間安いので20元(約300円)、高いのだと50元(約750円)。 もし一日8時間滑るとすると160-400元(約2400-6000円)かかり、月収の5-10%になる。 日本の場合、一日あたりの計算で、一日安くて7千円高くて1万円、月収の2.5-3,3%位。 しかも朝9時から夜9時まで自由に滑ることが出来る。

日本でアメリカ映画を見る場合1800円で月収の0.6%ほど。 しかし中国の場合30-50人民元(約450-750円)月収の1-1.6%位。 つまり中国の映画料金は日本の2-3倍といった勘定になる。

日本の博物館、展示館は学生を無料にしてるところが多い。 しかし中国では割引料金だ。 日本の体育施設の多く、例えばバスケット、サッカー、テニスコートなど一般に無料開放しているが、中国は学校を除いてサッカー、バスケットなどの場所を探そうと思っても見つからない。

中国と日本の格差(違いまたは開き)はどこにあるのだろうと思う。 私は日常生活の中にこそ大きな格差(違いまたは開き)があると思う。

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274 中国は見る(141)  日中庶民の日常生活の対比 (上)

2006-05-10 00:22:11 主题:中日老百姓日常生活之真实对比

日中の間には格差(違いまたは開き)がある。 しかし生活上の質の高低であって、金銭上の多少のことではない。

自分の能力を高めることは大切だ。 我々は自分の行動をきちんとしているだろうか? 所かまわず痰を吐いたりしてないか? 買い物する時ちゃんと並んでいるか? きたない言葉遣いをしてないか? 公共の場所でタバコを吸ってないか? ゴミのポイ捨てをしてないか? ちゃんと自覚して規則・法律を守っているだろうか? もし80%の中国人が出来るということなら、中国は居住し生活するのにふさわしい場所と言える。 

私は中国で生まれ育った。 そして中国で働き、日本でも何年か生活した。 だからネットで日中両国の普通の人々の生活水準の比較の文章をよく見るが、事実と食い違っていると感じることがある。 それで私もここで衣、食、住、交通、買物などを通して、両国の生活水準を対比してみたい。

まず買物のこと、高額商品について

日本の自家用車はきわめて一般的なものである。 日本人の月給は35-40万円位。 一般に銀行、大手企業、IT関連会社、商社、官庁、自営業者の月収はもっと高い。 普通の大手企業の正社員の月給は毎月50万以上はもらっているし、あるいはもっと高いかもしれない。(毎年2回ボーナスもある)。 厚生省の調査によると、日本の会社員の平均月収は50万円以上。 しかし私が知っている普通のサラリーマンは、毎月せいぜい30-40万円位。

ところで日本の普通自家用車一台の価格は200万円もしない。 中国と同じかもしくはもうちょっと安いかもしれない。 言い換えれば、4か月分の給料で自家用車が買えるということだ。 

普通のデジタルカメラ、ビデオの価格にしたって中国より安い。 例えば3万円で、中国の販売価格4000人民元(約6万円)以上のカメラが買える。 つまり日本の大会社のサラリーマンは月給の十数分の一で、中国の外資系サラリーマン1ヶ月分給料で購入できるものを買うことができるのだ。 これは生活の質の問題である。

日本人の住居、日本人の基本の住居は一戸建で中国で言えば“小別荘”。

価格は3000-5000万円前後。 人民元に換算すると210-350万人民元位で6-9年位の収入総額に相当する。 この価格は中国北京、上海の同等面積の価格だ。 しかし日本の収入は北京、上海の収入の10倍あるいはもっと高いかもしれない。 日本人は楽にローンで家を買うことができる。 例えば、4000万円の家の場合、最初100万円払うだけで、後は毎月6-10万のローンで、40-50年で返済すればいい。 中国はというと、ローンにはいろいろな条件があるし、ローンが借りられたとしても、40万人民元の住宅でも最初に5万元以上払わねばならず、それから40-50年返済だ。 しかも貸付額は10年分の総収入を超えた額とされている。 日本人の家は部屋が5-6室あり、駐車場に庭も付いている。 中国人の家は、2部屋と広間が一つだけだ。

次に交通。 日本の交通は便利だ。 四方八方繋がっている。 日本に行ったことのある人なら、日本の交通が、北京、上海より何倍もすごいことがわかるはずだ。 それに交通費は収入比例でも中国よりはるかに安い。 例えば日本の電車の一般的料金は130-300円で、定期は通常価格の半分位。 日本のサラリーマンは、それも会社が負担してくれる。 例えば月40万の収入があるサラリーマンの毎日の費用が260円位として月額1万円位。 月収の40分の一だ。 しかもそれが会社もちなのだ。 

しかし北京、上海の一般会社のサラリーマンの収入が3千人民元(約4万5千円)以上だったらもう一般サラリーマンじゃない。 管理職の収入は4-5千人民元(約6万-7万5千円)だ。 しかも毎月の通勤費は60-100人民元(約900-1500円)かかり、月収の10%位しているが、多くの場合「自弁」だ。

衣服について

日本の現在の物価は世界最高だ。 しかし中国国内で報道されるようなべらぼうに高いということはない。 例えば、日本の普通のブティックでTシャツを買う場合、日本以外の外国の製造なら500-1000円の価格、日本製なら1500-2000円位。 月収の0.1-0.7%位だし、冬物のオーバーの値段も1-2万位(2万だともう高級品だ)、収入の3-6%位だ。

ところが中国では、Tシャツ専門店で通常50-100人民元(約750-1500円)するものは、月収3000元で按分すれば月収の0.15-0.33%で、日本の1,5倍になる。 冬物の価格となると200-300元(これはごく普通のもの)、給料の5-10%位になる。 これは日本の倍位になる。

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273 中国の「ニュー・シネマ・パラダイス」を見る

玲玲(リンリン)の電影日記【夢影童年】【電影往事】

2005114181444_ ノスタルジックに綴られた、ある家族の物語。 切なくも優しい中国版ニュー・シネマ・パラダイス! というキャッチ・フレーズに引き寄せられて見てしまいました。

1時間40分ほどの上映時間でしたが、結構見所もあり、リンリンという女の子が可愛く意外と楽しめまし20060414001fl00001viewrsz150x た。 ニュー・シネマの挿入映画の「キスシーン」カットのような楽しみはありませんでしたが、30年代の周璇の「馬路天使」から建国後の「鉄道遊撃隊」「閃閃的紅星」「紅灯記」「少年兵張」80年代の「小花」「小街」などの映画が挟み込まれ、日本では未公開の中国映画の断片を知ることができます。

映画好きの毛大兵は仕事帰りに映画館に行く途中、自転車事故を起こしてしまう。 その時、見知らぬ女性からレンガで頭を殴られて入院。 気がついた時、警察に拘束中の相手からアパートの鍵を預かる。 その部屋に行くと映画ポスターやスティール写真、切り抜きなどが貼られている。 そしてふと見つけた日記を読み始めると-----------

文革期の1971年、中国の田舎町、寧夏 リンリンの母はその当時公共放送のアナウンサーで女優を夢見ていた。 そして恋をし、身ごもり、恋人に捨てられ、批判されながらもリンリンを出産する。 リンリンは母に連れられ野外映画館に行くのが楽しみだった。 毛小兵という子と仲良くなる。 父親はいなくとも母と映画に囲まれた幸せな生活だった。 しかしそんな日々も長くは続かなかった。 突然の幼なじみとの別れ,新しい父親と弟。 野外映画館の閉鎖、そしてあまりにも悲しい旅立ち--------

かって離ればなれになってしまった幼なじみの大兵が、リンリンの日記から解き明かす、切なくも優しい真実とは--------?   過去と現実の断片が思い出を結び付けていきます。 

監督の小江は、この映画の主人公リンリンと同じ1972年生まれ。 「この物語は実体験に基づいたものではないが、子供時代の野外映画館の懐かしい記憶が残っている。 その当時の中国は物質的にも精神的にもあまりめぐまれていなかった。 テレビやインターネットはおろか電話さえなかった。 でもその時代を思い起こした時、幸せだったと思えるのは野外映画館のお蔭だった。 上映作品は限られていて、その多くが政治要素の強いものや、革命を題材としたものばかりだった。 しかし映画に対する情熱は頭に植え付けられた。 だからといってまさか自分が映画監督になるとは思っていなかった」 という。 この映画好きの思いを画面に花咲かせた新鋭女性監督の初デビュー作品。

【参考】 

劇場紹介 : シアターN渋谷(旧ユーロスペース)

JR渋谷駅西口下車歩道橋で246を越えJTB正面のさくら通り上がる

03(5489)2592 

       開始時間

       10:30

       12:30

       14:40

       16:50

       19:00

終映期日は未定 6月上旬までは上映予定

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272 中国は見る(140)  日中間の誤解について 【下】

交流会の現場で:日本人と中国人の対話 (下)

 

2006-05-06 17:07:49 主题:中日交流会现场、日本人与中国人的对话

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=490073

 

石井(天津で生まれる。 父親は中国人、母親は日本人)

 

私は生活の中で両国が使う漢字からくる誤解の問題を話したいと思います。 例えば、日本人が“手紙を書く”という場合、中国語では“信”ですが、日本語では“手紙”となります。 中国人はこれを見て“トイレットペーパー”と誤解します。 ほかにも“姑”(おばさん)“舅”(おじさん)“娘”(お母さん)という言葉は、日本語ではそれぞれ“姑(しゅうとめ)”“舅(しゅうと)”“娘(むすめ)”の意味になります。 中国語の意味とはまったく違います。 ある中国の留学生が日本へ来たばかりの頃、“男湯”“女湯”を見て訳がわからなかったそうです。 なんで“湯”に性別があるんだろうって? 実際は、日本の“湯”は“お風呂”のことなんですから。

 

山下

 

実際は意味が違う言葉もその意味がわかれば解決するんですが、ちょっと厄介なのが、ある言葉の中には日本語と中国語で意味は似通っているのに、うっかり使うと問題が起きてしまうことです。 例えば、“視察”という言葉、日本語の中での意味は中国の“考察”に相当するものです。

ある時、中国から電力視察団が来日しました。 日本側が歓迎に当たって出した「立て札」に“中国電力視察団”と書いてありました。 中国の人は大変恐縮してしまい、“私達は指導者ではないし、地方視察の仕事でもないので、この文字はちょっと不適当かと-------”と言ったそうです。 こういうことは意味が似ている言葉から起きた誤解です。

 

原因の3:日本の学生は中国を正確に知る機会が少ない

 

小松(神奈川県の中学・地理教師。 中国旅行2回)

 

本日、私達の討論のテーマは日中間の誤解についてです。 私の個人的な考えですが、日本の若い人は中国を誤解しているというより、誤解の前に、まず中国のことがわかっていないといった方がいいと思います。

でも私達もただ学生をよくないと責めるわけにもいきません。 その前に日本の教育制度の問題点を見るべきでしょう。 一方、日本の一部の歴史を反省せず、中国を嫌う政治家が若い学生達から人気を得ています。 例えば、小泉首相や東京都知事石原慎太郎。 

 

私は小泉首相が靖国神社参拝をあくまで貫くつもりなら、堂々と中国へ行って靖国神社問題について中国人にはっきり説明したらいいと思います。 小泉さんたちの行為によって、中国人の反発と批判が起こり、それがまた日本の学生達に“中国人は歴史問題ばっかり突っつく”と悪い印象をもたらしています。 また一方で、新聞を開いたり、テレビをつけると、中国人の悪い面の報道ばかりです。 これでは悪い印象だけが残ってしまいます。 

 

日本の学生達には、中国のことを勉強、理解する機会がない上に、周りの環境から得る情報はこれまた一方的なものですから、中国に対する印象が悪くなるのも仕方ないかもしれません。 ですから私は普段の仕事を通じて、出来る限り学生達に中国を理解する機会を作るようにしています。

 

史寅(中国人。 日本在住10年余り、現在日本の会社に勤務)

 

小松先生のご意見に賛成です。 日本にしろ中国にしろ、若い人が相手国を理解してないということは事実だと思います。 それとお互いに信頼を持っていないことも誤解を生む原因の一つだと思います。 私が中国へ戻った時、友達の多くが日本に対し間違った理解をしていると感じたことがあります。 例えば、中国人は日本人の“男女混浴”が理解できません。 私は、それは日本の習慣に過ぎず、文化の一部分で、まったく“下品”な意味はないと説明したら、納得してくれました。 ただ、私はやはり両国がお互いを信頼することが、ちょっと不足していると思います。 その原因については、なかなか説明が難しいのですが。

 

日本の国民的性格

 

高山(医師)

 

人質と家族を批判したのは、もちろん全部の日本人ではありませんが、私個人としてはこの批判には同調しません。 私はこの現象は、日本の“集団的ヒステリー症”の一種だと思います。 いわゆる“集団的ヒステリー症”とは、“右向け”と言われたら、みんなが右を向き、“左向け”と言われたら、みんな左を向くようなものです。 日本人にはこの特性があります。

 

宮崎(農業作家。 日中農業交流に貢献)

 

弱者を助けるのがボランティアの仕事です。 多くの国では金持ちや健康な人が、貧乏人や弱者を助けることが価値観として定着しています。 要するに、人と人との付き合いの根本は人性から出発するということです。 日本では、この付き合いもみんなの意見を聞き、その上で集団としてその意見に基づいて行動します。 こういう点から言うと、この国の性格はちょっと恐いところがあります。 日中関係に置き換えてみますと、両国間の誤解をなくすことです。 それには人性の原点から出発し、人と人の付き合いを重視することだと思います。

 

 

 

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271 中国は見る(139)  日中間の誤解について 【中】

日中交流会の現場で:日本人と中国人の対話(中)

2006-05-06 17:07:49 主题:中日交流会现场、日本人与中国人的对话

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=490073

杉本(日中交流クラブ幹事長、中学の化学と体育教師。 中国語が上手で、“中国通”といわれる)

確かにそういうところがありますね。 日本人はお菓子などの贈り物を貰ったら、その後顔を合わせた時に、“先日は結構なお菓子を頂戴しました。 本当においしかったです” とお礼を言います。 でも中国人はこの言葉を聞いて、逆に“この人はもっと欲しいんだ”と誤解するという。 それと日本人の習慣として、家に招待された時、出されたものは全部食べます。 箸を置いて食べないと、まずいから手をつけないのだと思われるからです。 しかし中国ではもし客が出したものを全部食べたら、主人は“料理が足りないに違いない” と思い更に料理を追加することになります。

藍暁芹

日本人との付き合いの中で私が感じたことは、日本と中国の地理的な差はあまりないし、両国の人の顔付も変わらないんですが、習慣と考え方がものすごく違っているなと思いました。 例を挙げますと、中国では年配の人に対しては“爺爺”(おじいさん)とか“奶奶”(おばあさん)とか言って尊敬します。

10年前のことですが、60歳の監督さんと仕事したことがありました。 私がどうやら“おじいさん”と呼んでしまったみたいで、その晩その監督さんが“日本の年寄は、人から「おじいさん」とか「おばあさん」とか呼ばれたくないんだ。 そう言われるともう自分が年寄で人から「用無し」と思われていると思うからなんだ”と話してくれました。

その後、日本語を勉強している友達も注意してくれました。 やはり同じ理由で、日本の老人には安易に席を譲っちゃダメだっていうのです。 電車やバスの中の老人をよく観察するようになったのですが、車内にシルバー・シート(老人・病人・身体の不自由な人・妊婦などを優先的に腰掛けさせる座席)があるにもかかわらず、確かに老人の多くは“自分はまだ若い”と思っているのでしょう立っていました。

土岐(日本語教師)

日本人は欧米人と付き合う時は、顔付が違いますから相手との習慣の相違についても理解ができます。 でも日中両国となると、顔付もそう違わないし、国も近いわけですから、日本人はつい中国人の習慣、考え方も自分と同じだろうと思いがちです。 ですから誤解が生じるわけです。

原因の2:出版物の内容に誤りがあったり、同じ漢字から誤解が生じる

山下

時には出版されている書籍に誤った情報が載っていて、それが日中両国民に誤解を与えることがあります。 私は以前中国の某出版社の「出国知識大全」という本を読んだことがあります。 その中で、日本についても紹介されていたのですが、日本の風俗習慣の十いくつかの項目の中で、半分近くが間違っていたんです。 例えば、本の中に“日本人は緑色がきらいだ。 緑色は不吉だと思っている” 実際言って、日本の風習の中にはこんな言い方ってないですよ。 ほかに“日本人は初対面の時、男性は相手の手を握り深々と頭を下げるとか、女性は相手と握手せずただお辞儀をする。 しかし、もし女性の方から先に手を差し出したら握手してもかまわない。 でも注意しないといけないのは、あまりギュッと力を入れて握ってはいけないことと、ずっと握りっぱなしもいけない。 年配者に対しても同様である。 このような西洋式の礼儀、日本ではあまり握手なんてしないし、普通はお辞儀で済ましていますよね”

谷崎(挿絵画家)

出版物ついでにいいますと、日本にも中国の礼儀について誤った紹介をしている本があります。 中国へ旅行する前、いろいろな中国紹介の本を読みました。 でも中国へ行ってからわかったんですが、本の中に随分間違いがありました。 例えば本の中で、中国では海老など殻のついたものを食べた時、その殻をテーブルの上に食べ散らかした方がいい、店の主人が喜ぶと書いてあったんです。 でも、私が北京へ行って中国の友人に聞いたら、みんながそんなことはない食べ終わったらきちんと片付けていると言ってました。

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270 中国は見る(138)  アメリカ下院委員長 靖国神社参拝を懸念

小泉首相の議会演説拒否を要請

2006-05-16 11:45:08 美资深议员要求众议长不要邀请小泉到国会演讲 来源:新华网友

(参考:関連記事)

107 中国は見る (26) アメリカ主要メディアの日本報道に異変  批判記事相次ぐ【上】

108 中国は見る (27) アメリカ主要メディアの日本報道に異変  批判記事相次ぐ【下】

アメリカ下院議員国際関係委員会ヘンリー・ハイド委員長のスポークスマンが15日、明らかにしたことによると、ハイド委員長がデニス・ハスタート下院議長に対し、小泉首相が6月訪米した時、アメリカ議会で演説することのないよう要請したという。

ハイド委員長は今年4月書簡を送り、その中で、小泉首相の靖国神社参拝に懸念を表明した。 小泉首相は靖国神社に何回も参拝を続けている。 もし小泉首相を議会に招いて演説させるようなら、それは“不適当”だとしている。

手紙の内容については詳細を明らかにしなかったが、第二次大戦に従軍したことのあるハイド委員長は、書簡の中で、アメリカ政府に対し、小泉首相が議会で演説を行った後、靖国神社へ参拝しないことを確約する保障の取り付けを求めたと言う。 ハイド委員長は靖国神社への参拝行為は第二次大戦のつらい記憶が残っている世代のアメリカ人に対する公然たる辱めであり、議会の演壇に対する侮辱だ。 靖国神社は東条英機元首相等A級戦犯を祀っている。 昔、日本が真珠湾を攻撃した時、ルーズベルト大統領は議会で対日宣戦の演説を行った。 小泉首相が同じ場所で演説し、その後、真珠湾攻撃を命じたA級戦犯東条英機等を祀る靖国神社に行き敬意を表することは、アメリカ議会の顔も汚されることになる。 真珠湾の記憶を忘れていない世代にとっても、小泉首相が議会で演説した後、靖国神社に参拝することは最大の侮辱だ。

小泉首相は、来月6月退任前に最後のアメリカ訪問をする。 日米両国政府の手筈により、小泉首相は6月下旬ワシントンへ行き、ブッシュ大統領と駐日米軍再編、軍事協力、北朝鮮問題、対中国関係などの問題を討議することになっている。 小泉首相は6月18日国会休会後、出発する予定。 その時には、ブッシュ大統領は元首待遇で小泉首相を接待し、ホワイトハウスで晩餐会を催す。

小泉首相はアメリカの上下両院で演説する初めての日本の首相として、日米関係の緊密さをアッピールしたい意向だという。 しかし、規定によるとこの演説には、アメリカ上院下院の同意がなくてはならない。 従って、下院のハスタート議長がハイド委員長の提案を受理するか、日本側の関心を集めている。 

その一方、日本側ではこの書簡の動きに対して小泉首相はアメリカ議会で演説を行う予定はない。 安倍晋三官房長官は“首相は初めからそんなつもりはないし、そんな願いを表明したこともない”

しかし共同通信社は、日本政府には確かにアメリカ議会での演説の可能性を検討したことがあったとしている。 今まで日本の首相の誰もがこのチャンスを手にしていないからだ。 

ところがアメリカ議会筋の話によると、アメリカ側は日本政府から小泉演説についての正式申請を受けていないという。 しかも現在多くの議員が小泉首相の靖国神社参拝に懸念を表明しており、この雰囲気の中では、恐らく演説の手配は不可能だろうという。

次期首相候補者の安倍晋三は16日、記者会見で“首相の靖国神社参拝についての真意が理解されていないのであれば、参拝の理解を得られるよう努力しないといけない。 しかし多くのアメリカ議員は信仰の自由を理解しており、批判はしていないのではないか。 この批判は少数意見だと思う”

日本政府と自民党など与党は、この件が日米関係に影響はないとしているが、情報筋の話では靖国神社問題は次期総裁選の大きな焦点になっていくだろうと見ている。 またポスト小泉候補の中で、靖国神社参拝を主張する穏健派政治家福田康夫が、先日アメリカから破格の“待遇”を得たことは、この件と関連しており、アメリカの小泉後の靖国神社問題に対する微妙な態度の表明とも見られるという。

これまで参拝問題のことを言っている国は中韓2ヶ国だけだと言っていた小泉首相、先日はスエーデンでいきなりペーション首相から、靖国問題に関連して“日中両国はアジアの大国である。 両国の友好交流は重要だ” と忠告された。 アメリカの議員の声といい、スエーデン首相の発言といい、国際社会が日本の首相の靖国参拝に反対する動きが加速されている証にほかならない。 

しかも日本国内では政界、メディアのほか経済界からも反対の声が出始めた。 5月9日、経済同友会は日本の主要経済団体の中で一番先に、首相の参拝に反対表明した。 同会の北城恪太郎代表幹事は更に“ポスト小泉も参拝すべきでない” と明確に述べた。

小泉首相は一向に臆することなく、隣国のこともまったく歯牙にもかけない。 今年9月退任前に最後の“約束履行”---------2001年総裁選の時、“必ず終戦記念日に靖国神社を参拝する”との公約を果たすべく機会を狙っている。

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269 中国は見る(137)  日中間の誤解について 【上】

日中交流会の現場で:日本人と中国人の対話 (上)

2006-05-06 17:07:49 主题:中日交流会现场、日本人与中国人的对话

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=490073

中国に関心のある日本人が設立した民間団体――日中交流クラブ。 同クラブは日本政府(内閣府)の認定を受けた「特定非営利活動団体(NPO法人)である。 日中交流クラブの数十名の会員が池袋付近の青年館で“日中間の誤解について”というテーマで討論を行った。 自分の経験を通じて日中両国の違いや誤解が生じる原因を探ろうというものだ。 これら観点は日中関係を理解する上で一定の参考になるものだ。

討論者:日中交流クラブ会員

山下(日中交流クラブ顧問、XX大学文学部教授、中国山東省で生まれる。 十数歳の時、日本へ帰国)

例えば、私が病気になったとします。 友達が薬を買ってすぐ見舞いに来てくれる。 こういったことは普通の中国人からすると、とても温かみのあることと感じます。 しかし人付き合いの中で、個人的なことに踏み込まれることを嫌う日本人からすると、“ちょっと煩わしい”感じを持つものです。 中国の多くの留学生は、日本での留学期間が短く往々にして日本の文化についての理解があまりないまま帰国します。 そのため大半の人が“日本人はとても冷淡”と思っています。 でも実際は、日本人は他の人の私生活にあまり立ち入らないだけなんです。 相手が要求すれば別ですけど。 中国人はというと、しょっちゅう積極的といいますか隣の家に出入りするんですね。 

日中間に存在する誤解のもう一つは、全体的に相互理解が足りないことです。 噂を簡単に信じてしまったり、時間的観念、地域的観念がない人がいます。 例えば日本人の中には、中国の古典文学を勉強する人がいます。 孔子は立派な人だと思い、それで中国を好きになります。 でも古代の中国人と現代の中国人は、やはり違うところが沢山あります。

古代を基準として現在の中国人を判断すれば、日本人の一部の人にとっては失望を感じることになります。 

また地域の違いで言うと、上海と北京を例にすれば、例えばこの2ヶ所の人が友達から132元借りたとしましょう、上海の人は相手に同額のお金を返します。 一方、北京の人は大体が150元返します。 更に気前よく“おつりはいらないよ!”と言います。 上海の人の几帳面さは、北京人にはケチと見えます。 これなんか地域の価値観の違いですね。

岡井(日中交流クラブ理事長、中国へは50回ほど渡航。 古典文学愛好。 漢詩と俳句が得意)

私が初めて中国に行ったのは80年代の前半で、内モンゴル自治区のフフホトに一週間くらい滞在しました。 当時は、中国の文革がまだ終わって間もない頃だったので、中国人の印象はやはり固く融通がきかないといった感じでした。 私達を接待してくれた人は背広を着てました。 たぶん地位の高い役人だったのでしょう。 夕食の時、出された酒のアルコール度の高かったことが今も思い出されます。 でもこれよりもっと驚かされたことがあります。 それは訪問最後の時のことです。 中国側が用意してくれた日本語通訳が、疲れと緊張で病気になってしまいました。 ところが一週間ずっと通訳を通じて私と交流していたその中国の役人が、突然日本語を話し出したんです。 これには、私はビックリしてしまいました。 日本語がわかるんだったら、なんで通訳なんかつけるんだ? その役人が言うことには、もし通訳がいなければ、二人の交流は直接対話となる。 そうなったら、私の質問にすぐ答えなければならない。 もし通訳が間にいれば考える時間がある。 このことは、私に“中国人は仕事に対して慎重なんだ。 いつも深く考えた上で決めるんだ”という印象を強く感じました。 

今は、もうあれから20年あまり経ってしまいました。 私が一番感銘したのは、北京にしろ上海にしろ発展の速度がとても速いことです。 ヨーロッパの街と変わりません。 私が感じたことは、中国人の歩き方が速くなったことです。 もうだいぶ前のことですが、中国の通りを歩いた時は、周りの人はゆっくり歩いてるんですね。 私の歩きが速い、それで他の人にぶつかりそうになりました。 でも今は逆で、たぶん私が年取ったこともあるでしょうが、私がゆっくり歩いているのに、中国人が速く歩く、それで逆に私にぶつかりそうになるんです。 

もう一つ別のことを話しましょう。 それは処世術といいますか付き合いのことなんですが、これも日中間で随分違いがあるんですね。 日本人だと面倒を見てもらったり、物を頂戴した時は、すぐ相手にお礼の手紙を出します。 これがまたみな当然のことと思っています。 でも今の日本の若い人達が、そうしてるかはちょっと私にはわかりませんが。

中国は品物を受け取っても何の反応もありません。 だから、日本人はこれについてはあまりいい気分ではないんですね。 でも一二年後、彼等と再会したときには、ものすごい歓迎をしてくれるんです。 それは想像以上のすごいものです。 このことから私は中国人と日本人には大きな違いがあるなと感じたわけです。 中国人の気持ちは短い期間で表明するものではなく、長く持ち続けることなんです。 私は両国の交流では、中国が好きだとか嫌いだとかの角度からスタートするのでなく、素敵な願望を持ち、誠意と信頼から付き合うべきだと思います。 多くの誤解は風俗習慣の違いから起きているからです。

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268 中国の三面記事を読む(35)  陳凱歌「PROMISE」の環境破壊で 批判される

2006-05-15 20:28 人民时评:不能只万炮齐轰(无极)剧组

今年2月、日本でも公開された映画「PROMISE(中国題名:無極)、有名な監督陳凱歌の作品で真田広之が主演したが、その映画ロケ地となった雲南省の景勝地・香格里拉(シャングリラ)の碧沽天池に撮影用の建築の残骸や大量のゴミが放置されたままだったり、湖畔のツツジの茂みが破壊されていたことが明らかになり、批判論議が巻き起こっている。

経緯はこうだ。 2004年5月―6月、映画「PROMISE」の撮影隊が雲南省香格里拉(シャングリラ)県の碧沽天池でロケを行った。 同地区は「世界自然遺産」に指定されている場所でもある。 ロケ隊はこの場所に三軒の臨時仮設住宅を建てた。 その内「海棠精舎」と名付けられた建物は、鉄筋コンクリート造りで、長さ100メートル、幅4メートルの砂石の道路も作った。 長さ100メートル、幅2.7メートルの木橋や長さ約20メートル、幅4メートルの桟道も作った。 これらを作るため、湿原や潅木林など500平方メートルにわたり壊したり、占拠した。 2004年6月14日、ロケ隊は撮影を終え碧沽天池から撤退した。

2005年8月、映画制作側は地元関係部門に取り壊しと後片付け、そして復旧作業を委託した。 しかし種々の理由から放っておかれ、2006年4月、環境保護総局がこの件に介入し、メディアに暴露されてからやっと作業が始まった。

先に建設部の幹部が「PROMISE」の撮影セットについて痛烈に批判したが、引き続いて国家環境保護総局も環境保護の調査に着手すると乗り出してきた。 「PROMISE」への集中砲火は、今やとめようもない流れになっている。 客観的に言えば、この流れは当然とも言える。 換言すれば、「PROMISE」の件は、「身から出た錆――自業自得」である。

「天池」の自然美溢れたきれいな場所、聖地であり、国の自然保護区になっている場所で、映画を撮ろうとし、ツツジが咲き誇っている自然の環境を無残にも殺戮し破壊した。 その上、後始末もしなかった----------製作者側は、金を払って現地に修復を依頼したというけれど、でも結局は片付いておらず、自然美を破壊したままだ。 ただ依頼するだけでは何の役にも立たない。 これが一般の人々が感じていることである。 事件が明らかになるに従い、国家の各部、委員会からも発言が相継いだ。

一斉に「PROMISE」撮影隊を攻撃し、一斉に陳凱歌夫婦に矢を放っているが、客観的に冷静に事実を見、事実に基づいて問題を分析したい。

陳凱歌、陳紅応夫婦の「一番の責任」は免れることはできない。 しかし、「PROMISE」の映画で、「天池」の生態を破壊させたものには、ほかにも多くの要因がある。

その一、「PROMISE」の映画は撮影許可を得ていた。 言葉を換えると、製作者側にしろ許可を与える側にしろ、最初から「天池」の撮影が自然生態を破壊する可能性を考えていなかったと言える。 今、事実が明らかになり、すべて「悪いこと」を陳凱歌夫婦に押し付け、たたいているが、ちょっと公平で当を得ているとはいいがたい。 不公平、不公正だ。

その二、この現象、映画ロケが生態を破壊し、古跡を破壊するといったことはニュースではない。

2004年、「神雕侠侶」の撮影が「九寨溝」(四川省の自然保護区)の森林公園で行われた時、神仙池の石灰の土手や珍珠灘の埴生を傷つけたことがあった。 2005年には、女優の柯藍が自分の主演した「掠情神農架」のロケ中、貴重な生態を傷つけたことを告白、また、謝霆峰主演の「情癲大聖」の中で、「神農架」(湖北省の自然保護区)にセメントを流し込みキノコ状にしてしまいもとの地形に戻すことができなくなったことなど---------もっと言ってしまえば、映画の撮影で「故宮」やら「少林寺」でも、国家文物に傷つけたことがあった。

しかし今回の事件が起きるまでは、国の関係機関が口出しすることはなかった。 国家環境保護総局、建設部、文化部、国家文物局などもこれまで沈黙していたし、出先機関、現地(省、市)役所も沈黙していた。 こういう状況の下で、「PROMISE」のようなことが起こることは、自然の成り行きだった。 しかしだからと言って、「PROMISE」側だけに、すべての責任と非難を浴びせることではいけない。

その三、我が国の関係法規の整備は遅れている

忌憚なく言うなら、関係部門がそれぞれの目的を守り、国民のために法律を整備し、文物、古跡を保護するため映画撮影などの商業行為による破壊を許さない法律を作るべきだが、なぜかまだ手がつけられていない。

こっちが“法の不備で”あっちが“天池で無法” 製作者側を一方的に責めることはできない。

問題が起こったら解決せねばならない。 問題解決の前提は、事実に即して問題を処理することが必要だ。 すべては事実から始まる。

いたずらに陳凱歌らを、感情的にならず、ただ騒いだり、批判したり、悪口を言ったり、追い払うようなことをしてはいけない。 そんなことは問題解決にならない。 仮に解決したとしても不公平だ。 問題の根本的解決にはならない。 事実そのものに焦点を絞って考えるべきだ。

終りに強調したいのは、この文章は決して「PROMISE」の映画ロケ問題の弁護をしようとするものではない。 

問題を解決するには、事実に基づいて問題を解決する、それには法律によって問題を解決すべきだ---------その「経歴・身分」で見るべきでない。

今回の事件の教訓としては、処理すべきは厳しく処理し、反省すべきは反省し、失敗を二度と繰り返さない方法を講ずることだ。

さらに重要なことは、速やかに法を整備し、同時にこれを大いに宣伝し、今後同様な事件が起きた時は、法によって処理し、容赦なく厳罰に処せばよい。

従って、今回の「PROMISE」事件は、災い転じて「福」(よい方向)に向かったと言うべきか。

【追記】13日付の報道によれば、中国建設省は、景勝地での映画やテレビの撮影やイベントなどを原則として禁止する通知を出したということだ。

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267 中国は見る(136)  日本の経済界 小泉首相に靖国神社参拝中止を求める

日本经济界要求小泉停止参拜靖国神社 2006-05-11 03:29:00 来源:新京报(北京)

 

日本の政治のトップが靖国神社を何回も参拝し、アジア人民を憤激させ、そのため日本政府と他のアジア各国の首脳同士の交流の障碍となっている。 

 

小泉首相は、最近また日本国内の経済界の勧告を無視し、依然として今までどおりのやり方を通そうとしている。 ポスト小泉の最有力者、安倍晋三も小泉支持を表明した。 

 

国連の“安保理常任理事国入り”を目指し、小泉首相は個人的休暇を犠牲にして、一連の外遊を行った。 スエーデンでは、ペーション首相から、5月4日、小泉首相の靖国神社参拝について強烈な批判が出された。

4月21日には、日本の国会議員の多くが靖国神社に参拝した。

 

日本経済同友会は9日、小泉政府に歴史を直視し、国民的理解が得られるよう説明すべきとの提言を発表した。 日本で影響力のある経済団体------日本経済同友会は9日、提言を発表し、小泉首相の靖国神社参拝が、日中関係を冷却させるとして首相の靖国参拝中止を求めた。 日本国内の主要経済団体が、首相に靖国神社参拝の中止を求める提言を行うのは初めて。 共同通信社は、この提言は9月の自民党総裁選にも影響を与えるとしている。 追悼施設の建設も要請したという。

 

今回の提言は9日の経済同友会のホームページ上に発表された。 “今後の日中関係への提言----日中両国政府へのメッセージ”とした提言で、“日中両国政府および両国国民の相互信頼、相互尊重は、アジアや世界の安定と繁栄に不可欠”とし、2004年以来、中国は日本最大の貿易パートナーとなっている。 しかし“政治関係の冷却化は両国の経済と貿易に影響を与えつつある” 将来の“新日中関係”を目指し、提言では“日本政府は、殖民統治や侵略に対し反省とお詫びを表明した1995年村山富市首相談話と小泉首相が去年8月に“過去を直視し、歴史を正確に認識する”との談話を基本認識として、中国政府と国民に対し、正確に日本政府の立場を伝えるべきだとしている。 また、日本政府に対してはアジア外交を重視し、東アジア各国との良好な関係を維持発展することは、日米関係と同様重要だとしている。 更に提言は、小泉首相の靖国神社参拝問題が首脳会談の最大の障碍となっていることを指摘し、宗教色のない追悼施設の建設を要請している。

 

日中の交流強化を呼びかける

 

13頁にも及ぶ提言は、日中関係についても具体的な構想を提案している。 両国は政府首脳、安全保障、文化面から一般国民の幅広い交流まで、特に両国の若い人達の交流の機会を増やすべきだとしている。 また経済団体として、日中両国を中心とした“東アジア経済共同体”の実現を目指すと共に、貿易投資、研究開発、環境エネルギー、観光など各方面で協力し、両国の経済関係の緊密化を図るべきとしている。 提言は最後に、日本企業と経済団体は日中交流を促進し、関係を深めるため尽力するとしている。 日本の主要経済団体が首相に対し、靖国神社参拝中止を求めることは初めてのことである。

 

これに対し、経済同友会の北城恪太郎代表幹事は9日の記者会見で、“日本の実情や参拝の理由への十分な理解を得ていない段階で参拝をするのは好ましくない。 国民感情が対立する中で、安定的な発展はない”と述べている。 日本経済同友会は1946年に創立され現在千にも上る企業会員があり、日本経済団体連合会、日本商工会議所と共に日本三大経済団体と言われており、日本の“財界の知恵袋”と称される。

 

反応

 

小泉首相は“商売と政治は別だ”と反論。 ポスト小泉の最有力者、安

倍晋三も声援を送った。 経済同友会の小泉首相に対する折角の忠告も効き目はなかったようだ。 9日、小泉首相は“商売と政治は別”として参拝中止の提言に不快感を示した。 小泉首相は終戦記念日の参拝問題については触れなかった。 当日夜になって、首相官邸の記者会見で記者からの質問に答え、“財界の人からの「商売のことを考えて、靖国神社へ行ってくれるな」という声も沢山あったが、「それと政治は別だ」と私ははっきりお断りしている” と述べた。 8月15日の終戦記念日に参拝するかどうか問われて、小泉首相は“適切に判断します” とのみ答えた。

安倍晋三官房長官は、小泉首相の後継総裁最有力候補と見られている。 安倍は、経済同友会の“参拝中止”提言について見解を表明し、“もし参拝に誤解があるのであれば、誤解をなくすようにしなければいけない” と述べた。 経済同友会北城恪太郎代表幹事は、“中長期的な目で見ても参拝は好ましくない” とし、ポスト小泉に対しても参拝自粛を求めた。 9月の自民党総裁選にも一石を投ずるものとなろう。

経済界は“政冷経冷”を懸念

小泉首相が靖国神社参拝を一貫して続けていることで、日中関係の“政冷経熱”は次第に“政冷経冷”に発展する徴候が現れている。 小泉首相がいかに“商売と政治”は別と言おうと、日本の経済界の指導者達は、政治の膠着状態が経済に停滞をもたらしていると感じている。 日本経済団体連合会奥田碩会長は今年の新年会でこう述べていた。 “小泉首相が9月に退任した後、新しい首相が日本のアジア外交を変えてほしい” そして、小泉首相の靖国参拝が日中関係悪化をもたらしたことについて、中国とビジネスを行っている立場から言えば、現在の両国の政治問題がすぐ経済の冷却化の懸念はない。 しかし、もしこの状況が長期的になっていけば、“深刻な局面”になるのではと懸念していると述べた。

“ポスト小泉”を控え、9月の自民党総裁選挙をめぐって、各候補者の“日本と隣国との関係をどうする” という論議が今ますます過熱している。 経済同友会がこの時期を選んで日中関係について提言したのは、中国との経済利益確保の意図もあるが、小泉首相政権末期で小泉首相の参拝行為が限界であることをはっきりさせることだ。 この提言は、今後の日中関係に影響を与えるものとなろう。 アジア外交問題で、経済同友会と自民党総裁候補の一人、福田康夫の立場は一致している。 両者は共にアジアの隣国、特に中国との関係改善を重視するよう主張している。 現在、経済界のこの提言が福田への“支持”なのかははっきりした根拠はないが、対中強硬派の安倍晋三に対する警告という可能性はある。

 

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266 中国は見る(135)  日本から割りばしが消える? 《下》

中国の「森林保護」で、日本に「割箸ショック」起こる

2006-05-11 23:27:35 主题:中国保森林、日本筷子荒

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=497623

 

日本の森林繁殖率は67%近くあり世界最高だ。 それに反してわが国の森林繁殖率は17%にも達していない。 日本は戦争中わが国の石炭資源を採掘し、今も高値で次々と残り少ない石炭を輸入している。 また、わが国の森林資源を買いあさり、そのくせ自国の森林には手を付けずにいる-------

 

わが国は何をしてるんだ? 日本に資源を提供して!

日本は何をしている?  せっせとわが国の資源を買い漁っている!

日本が実力を十分蓄え、資源を確保しているのに、わが国が何もなくって、どうして日本と競争することが出来ようか?

 

今日、私はこのニュースをよんでホッと安堵したところだ。 指導者が、やっと気付いてくれたんだ。 今後過ちを繰り返さぬよう対策を講じることは、今からでも決して遅くない。 今日から始めれば、まだ間に合う! 

 

日本が“割箸ショック”になったのを見て痛快だ! しかし痛快の後、心配になってきた。 わが国が輸出を規制して、日本人に箸を使わせないようにしたが、じゃあ、中国人はどうする? わが国には13億の人口があり、レストランで食事する時、やはり割箸を使う。 国内消費量は日本をはるかに上回る量だ。 毎年250億膳の日本の使用量は、中国の使用量と比べると取るに足りない微々たる数字だ。 もしわが国が国内の割箸使用を制限しないと森林と環境の将来が心配なことになる。

わが国の三北防護林(東北・西北・華北の生態保護林)を私達自身で根こそぎ使ってしまうことになるではないか? 敵に対処すると同時に、自分自身にも規制をしなければならない。 

 

わが国も日本に学ぼう。 聞くところでは、中国の割箸の生産制限の影響を受けるのは外食産業、レストラン、居酒屋など。 割箸の値上げに対応するため、日本の関連業界はいろいろと対策を考えている。 ある店では全店プラスチックの箸に換えるところも現われたという。

 

わが国は日本に木材、石炭、鋼鉄などの生産資源を輸出している。 日本はわが国に自動車、パソコン、家電製品などのハイテク製品を輸出している。 わが国は昔からの元手を売り、日本は技術を売っている。 資源には限りがあるが、技術には限りがない。 我々は日本とどうやって長期に競争していったらいいのか?

 

割箸の輸出を制限する以外にも、再生できる資源、できない資源の輸出についても規制すべきと思う。 例えば:石炭、金属など。 自国の資源を日本に輸送して送ってやった資源を、逆に日本はそれら資源を使って生産したものを武器(商品)として、わが国に売りつける!

 

輸出を規制するのなら、輸入も規制したらいい。 自分の意志で決めればいいんだから、そんなに難しいことはあるまい?

 

わが国が割箸を売らないことで、割箸ショックが起こるなら、わが国が日本の車を買わなかったらどうだろう? 

 

わが国が何も売らなかったら、日本製品は入ってこなくなる。

 

最後に一般人民として、わが国の今回の痛快な一歩を踏み出したことについて、賞讃と支持を表明すると共に、我々が直接対日作戦に参戦は出来ず、対日政策の変更にも干渉できないけれど、今後とも自ら率先して割箸使用はやめ、日本製品を買わないつもりだ。  

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265 中国は見る(134)  日本から割りばしが消える? 《中》

中国の「森林保護」で、日本に「割箸ショック」起こる 

 

2006-05-11 23:27:35 主题:中国保森林、日本筷子荒

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=497623

 

日本の9日付の新聞によると、今年3月、中国政府が「森林保護」により「割箸」の生産を大幅に制限し、将来の輸出も禁止されることになりそうだ。 日本では割箸の価格が50%上昇し、外食、弁当など関連業界に「割箸ショック」が走った。

 

中国人としては待望の日がやって来たというものだ。 5年ほど前にも、中国で有識者が声を大にして呼びかけたことがあった。 国もそのような政策を提案しようとしたが、掛け声ばかりで実行されることなく、木はドンドン切られ、箸になって輸出された。 沙塵暴(黄沙被害)が年毎にひどくなっているのに、視野の狭いお役人が、我々の資源と環境を悪化させるのと引き換えにわずかな利益を得ただけだ。

 

「たかが割箸じゃないか、大騒ぎするほどじゃないだろう。 ちょっとオーバーだよ!」 と言うなかれ、ちっともオーバーじゃない。 数字を挙げてみんなに説明しよう。 そうすればこの話が“大げさ”かどうかわかってもらえるだろう。 

 

80年当時、日本の箸は1膳約20円。 中国の製品が日本の箸市場を占拠した時の一膳の価格は1-2円。 日本の割箸の生産業者の数は70社から8社に減った。 日本人が箸を自給自足していた時の価格が1膳20円、中国の箸が輸入されて1-2円になった。 約20分の一の安さになる。 我々の労働力コストは日本より安い。 しかし、我々の森林資源は日本より安いだろうか? 自分の国の資源を使い安い価格で日本の箸市場を占拠しているが、日本の市場を占拠しているのではなく、逆に日本人がわずかばかりの金で、わが国の森林資源を占領し、わが国の孫子の環境まで自由にしているのだ。

 

日本国内の割箸年間消費量は250億膳。 その内90%が中国から輸入されている。 一本の木から10,000膳の割箸が作られる。 これから計算すると、250億膳の割箸は250万本の木を切り倒すことを意味している。 250億膳の割箸で250万本の木、わが国にはいくら懐に入るのだろう? 10,000円は中国の通貨に換算すると約700元(人民元)。 1膳を2円として、250億膳だと500億円、人民元に換算すると35億元。 日本人は中国からの割箸を促進するため、1999年年初から関税を従来の5,2%から4,7%に引き下げた。 4,7%の関税で計算すると35億元だと1億6450元を日本に納税することになる。 

 

わが国の森林資源の価値はとりあえず置いておき、人件費、運賃などのコストも計算せず、大雑把に言うなら35億元が懐に入ることになる。 しかしわが国は同時に何を失っただろうか? 

 

日本はわが国の安い箸を買い、使用後は回収し紙にして、中国へ売りつけ大もうけしている。 まったくコストのかからない商売だ!

 

統計によると、わが国の森林は10年間で23%減少し、伐採の在庫量は50%減少している。 雲南の西双版納(シーサンパンナ)の天然森林は、50年代から毎年1.6万ヘクタールの速度で消失している。 世界各国の衛星が撮った写真見たことがあるだろうか? わが国の領土はもう黄沙に埋もれている。 政府はその35億元のことを、どう後世の人に釈明するのだろう。 

 

 

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264 中国は見る(133)  日本から割りばしが消える? 《上》

中国が割りばしの生産制限を決めたことで 日本の飲食関連産業に影響必至

2006-05-10 02:59:00 中国紧缩筷子生产导致日本餐饮业筷子紧缺 来源:重庆晨报

日本の9日付報道によると、中国政府が割りばしの生産制限を決めたことで、日本の割りばしの価格が50%値上がりし、弁当・外食など関連業界に“割りばしショック”が起こっている。

毎日新聞の報道によれば、国内で年間約250億膳が消費される割りばし。 その9割を中国から輸入している。 今年3月、中国政府が「森林保護」を理由に、割りばしの生産を大幅に制限し、将来的には輸出も禁止することに決めた。

80年当時、北海道と奈良が日本の二大生産地だった。 当時、1膳(箸2本を1対として数える語)の値段は20円程度。 しかしほどなく、1膳の価格1-2円の中国製割りばしが出回り、日本市場を席巻した。

日本の割りばし生産会社は、当時約70社あったものが、今では約8社に激減した。

中国割りばしの生産制限の影響をもろに受けるのは外食産業・レストラン・居酒屋など。 割りばしの値上がりに対応するため、いろいろと対策を講じ始めている。

全国で約760店の居酒屋などを展開する店は、全店でプラスチックばしに切り替えた。 更に「ポイントカード」を作り、はしを持参した客には1回50円のポイントを付け、10ポイントで500円の飲食をサービスすることにした。

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263 中国は見る(132)  反日を考え直せ 《下》

私が見た日本 ②  

2006-05-05 19:59:41 主题:我看到的日本

:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?=zhongri&i=488484

1.    考え方

いつか食堂で食事をしていた時、テレビで丁度オリンピックの実況放送をしていた。 食堂の主人は私が中国人だと知ると、「中国人になりたいな。 中国は金メダルを沢山取って、うれしいでしょう」と言った。(一緒に働いている日本の教授が翻訳してくれた)

私はその時思った。 「先進国の人は自信があるんだ。 中国人なら絶対に日本人やアメリカ人になりたいなんて言えない」 その後、私は日本の大人の人達の考えがとても単純だということを何度も目にした。 それである時、食堂の主人の話を思い出して、突然「自信」なんていうこととはまったく関係なく、あの主人はただそう思ったから言っただけなのだと気がついた。 あの人達が考えることはまったく自由なのだ!

それが普通なんだ。 もし中国人が日本人になりたいなんて言ったら、多くの同胞から「売国」と罵られてしまう。 これはとてもよくないことだ。 まず道理に合わない。 普通の人は小さな地所も売ることすらできないのだ。 地所と言わずもっと小さい地面だって自分のものではない。 ましてや「売国」なんて何で言えようか。 自分のものでないものを売れるわけがない。 中国のイメージにも影響する。 国家の指導者はともかく、一般人民は自分自身が代表になれるだけだ。

次に、この社会の空気が思想を不自由にしている。 多数の中国人は多くの理由;たとえば貧乏で自動車が買えないとか行動の上でも不自由だ。 またお互い考えにカセをはめていて、どうして新しいものを考えることができようか。 私は国家で一番大事なものは、人民の考え方と政治制度の二つだと思う。 日本の自然環境はあまり良くない。 山が多く、地震・台風が多い。 鉱産物資源も少ない。 世界第2位の経済大国になぜなれたのか? 科学技術がすぐれていたからか? 

あの二つが優れていたからではないか? 日本は1868年の明治維新から始まった。 中国は1980年の改革開放から始まった。 我が祖国は112年遅れていいる。 これを聞くと恐ろしくなる。 しかし、これはまだ本当に恐いものではない。 この二つの改革をいっしょくたにして論じてはいけない。

2.    日本で感じたいくつかのこと

老若男女ほとんど太った人を見かけない。 たぶん日本人の飲食習慣と関係があるに違いない。 (この方面について、私はよくわからない)

食べ物の中に、油、脂肪が少なく、魚を食べることが多い。 また一般に腹八分目である。 日本人は長寿で、平均寿命は80歳ほどである。

女性は色白で、全般的に健康的で楽しそうにしている。 仕事を大事にしている。 聞いたところでは、会社勤めの男性は夜8時前に家に戻ると隣近所から変な目で見られるので、仕方なく居酒屋で時間を過ごして、夜遅く帰るなんていうこともあるそうだ。 日本人は他の人に迷惑をかけることを嫌う傾向がある。 ある研究生は二十分余計に時間がかかっても自分で本を調べる。 決して同じ部屋の仲間に訊こうとしない。 人の邪魔になりたくないのだ。 ある人がこう話していた。 自殺する人は、その前に部屋をきれいに掃除し、机の中を整理してから自殺するという。 こんなに人のことを気遣う精神には恐れ入るしかない。

コンビ二の雑誌に裸の女の子の写真があるが、見てみるときれいで、色情本といわなくてもいいのではないか。 本当の色情本を政府が取り締まるのには反対しない。

日本人は社会制度や思想・意識など多くの面で西洋化している。 しかしまた自国のいい伝統も残している。 沢山のもの、たとえば電気製品、自動車など、どれも手がこんでいて便利に出来ており、また十分に人の使用を考えていることがわかる。

3.    言論の自由

私は日本語ができないからメディアが何を言っているのかもわからない。 しかし民心を掴んでいる小泉が首相になった時、私は東北大学の学生が構内に横断幕を出して不満を表明しているのを見たことがある。 上に大きな字で“打倒小泉”と書いてあった。 ほかに細かい字で書いた看板もあった。 私はその中のいくつかの漢字は読めたが、完全な意味は人に翻訳してもらってわかった。 それら横断幕や看板は暫く何日間そのまま置いておかれた。 

4.    政治

私は不勉強で、ただ民主制度だということを知ってるだけだ。 先進国のすべてがみなこの制度だからだ。 

こんなに友好的な人々が、民主的手続きによって悪い政府を選出することが理解できない。

政治学は、一緒に暮らす人々が、如何に友好的に付き合うかの学問で、みんなが公開討論すれば、合理的な結論が出せるはずだ。

社会科学は、科学と言うからには自然科学と同じように、二つの原則に従うべきだ。 一つは論理的であること。 二つ目は、実験結果を尊重すること。

5.    反日について

反日は、一部中国人が日本人ばかりか桜も含め、日本に反対することの略称である。

最初に、まず私が推測するに、多くの反日同胞の日本に対する理解は、ただ“日本は中国に侵略し、戦争中日本人は残虐なことをした。 小泉首相は靖国を参拝し、日本の一部歴史教科書が改悪された。 日本の首都は東京である” 

次に私は思う。 その昔、日本が中国を侵略し残虐な行為を行ったことについて当然糾弾はする。 しかし、日本が中国を侵略したのは8年です。 60年前にもう終わりました。 20世紀の中国のその8年は、死亡人数が一番多かった災難でしょうか? たとえ大きな災難だとしても、今日および未来の中国にどれだけ大きな影響がありましょう?

中国の発展と立ち遅れは中国人によって決めるべきで、外国人ではありません。 中学でも、内因(内部の原因)が大切だと学んだではないですか? それに“自強不息”(たゆむことなく努力しよう)と言う言葉があるじゃないですか?

もう一つ、現在の生活にまるで関係のない悲惨な出来事をしょっちゅう持ち出して人を不愉快にさせることが必要なことでしょうか? あの災難にあわれた地下の先輩たちもわかってくれています。 たぶんこのような反日方式には賛成でないと思います。 

最後に申し上げたい。 反日の大多数の同胞諸君は、中国の現代歴史の理解が不足しているか、それとも、これまで自分の頭で我々中国人が一体どうしたら国家民族にとってよいことか考えたことがないのだ。

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262 中国は見る(131)  反日を考え直せ 《上》

私が見た日本 ① 

2006-05-05 19:59:41 主题:我看到的日本

:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?=zhongri&i=488484

仙台にて

2000年2月から2年間、私は日本学術振興会特別研究員として仙台にある東北大学で勉強した。 仙台は東北地方の中心で、東京から北へ350キロのところ、新幹線だと仙台から東京へは1時間40分かかる。

仙台の東は太平洋で、西は奥羽山脈に囲まれ、南北は日本有数の穀倉地帯である。 仙台から約30キロ離れたところには、日本三景の一つ松島がある。 仙台は“杜の都”と呼ばれているが、これは森が多い町という意味である。 市内を広瀬川という川が流れており、川の水は澄んできれいである。 気候は穏やかで心地がよい。 一番寒い一月の平均気温は摂氏1.5度くらい。 一番暑い8月の平均気温は24.1度くらい。 きちんとした静かな町である。 もちろん自動車も多いが、自動車のクラクションを聞いたことがなかった。

春、ピンクや白の桜の花が、仙台市内の各公園や山や野原に咲き誇る時には、私も恋をしたくなるような気分になった。 秋には、モクセイの甘い匂いがただよった。

東北大学は三番目の帝国大学として、1907年に創建され、校訓は“雄大剛健”で、学風は“研究第一主義”。 1913年、3名の女子大生を受け入れた。 これは日本の大学として始めての出来事であった。

東北大学は現在、理学部、工学部、文学社会科学部、医学部、農学部などがある。 金属材料の研究所は世界第一だということだ。 

魯迅先生が1904年9月から1906年3月まで、仙台医学専門学校に留学された。 今の東北大学医学部の前身である。 今は構内史料館に関係資料が保存されており、本部のところに魯迅先生の銅製の半身の彫像がある。

仙台市の中国語ホームページにはこういう文章があった。 “中国の21世紀に、魯迅先生のような立派な人を育てるよう仙台市は努力しています”

会議や仲間の所へ訪ねたり、旅行などで、私は、東京、横浜、京都、大阪、奈良、札幌などによく出掛けた。

トルストイは“幸福な家庭はよく似かよったものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である”といっている。 国家も同じようで、発達した先進国は根本的な所は似通っているが、礼儀については、今日の日本人は一民族としては世界で一番だと思う。

1.    友好的な人々

ある国の人が友好的かどうかは、道を尋ねればわかる。 私は日本語がわからず、日本での交流手段は英語に漢字を交えていた。 仕事上は英語で事足りた。

私は仙台に着いたばかりの頃、2回ほど道に迷ったことがあった。 一度は昼間、尋ねたのは姉弟の二人で、同じ学校の大学生だった。 私は自分の住んでる住所を見せた。 漢字なので彼等にはすぐわかった。 すぐ英語で私を連れて行こうとした。 でも、どう行ったらいいかわからない。 で、私を連れて、人に聞きながら歩いた。 30分くらいかかってやっと我が家にたどり着けた。 

もう一回は、夜十時過ぎだった。 雪が降っていた。 私は市内の真ん中で、前から自転車を押して歩いてきた中年の男性に尋ねた。 彼はそこを知っていて、引返し私を案内しようとした。 私は申し訳なく思い、“どう行くか教えてくれれば結構です”と言うと、彼は“仙台に来てどれくらい?”と訊いた。 私が“5日”というと、“じゃあ、道がわからないだろう” とどうしても案内するという。 “お仕事は何ですか?”と訊いたら“セールスです”という。 彼は、私が間違いなく帰れる場所まで一緒に行ってくれてそこで別れた。 普通、道を尋ねると日本人はよく紙に道順の地図を書いてくれる。 彼等は喜んで人を助けてくれるようだ。 商店や食堂の店員もいつも笑顔で話しかけてくれる。

ある時、私は日本を離れる友人に付き添って警察に“無犯罪記録証明書”(西側のある国ではこういう要求がある)の発行依頼に行った。 私は近くから警察の中を見たり、二人のやり取りを聞いていた。 警察の人はとても叮嚀で、商店の店員のようになごやかに応対してくれた。

2.    社会治安はとてもいい

仙台に来たばかりの頃、中国人留学生が「昼間、自転車に鍵をかけないで、町に何時間置いておいても、盗む人がいない」と言っていたのを聞いて、「本当かな?」と思った。 私が北京にいた時、一週間の間に、自転車が2台盗まれたので、交番に行き警官に事情を説明しようと思ったら、その警官は私が中関園に住んでるというと、笑って言った。 「私もそこに住んでいるが、一年で5回も盗まれた」

仙台で初めて部屋を借りようとした時、不動産屋さんが今二つ開いてる部屋があると言って、私に住所を教えてくれ、先にまず見てみたらどうですと言う。 私が鍵を下さいと言うと、鍵はその部屋の机の上にありますという。 鍵は閉めてないのだ。 私は午前中誰か部屋を見に行ったんだろうと思った。 部屋の中には家具もテレビもビデオも揃っている。 二度目も同じようだった。 ちょっとこれには面食らった。

私の中国の友人が千葉にいる。 彼は東京に勤めており、朝早く出勤し夜遅く帰る。 千葉県は東京のベッドタウンといわれる。 東京に勤め先がある人が多く、千葉は寝に帰るだけ。 実際言って、東京まで遠い。

私が友人の家へ行った時、彼は出勤していた。 入口に紙が貼ってあった。 漢字で「どうぞお入りください。 鍵はかかっていません」 彼が戻ってきた時、私が「こんなことしたら危ないじゃないか?」というと、彼は「家にはお金はないし、こんな電気製品や着物、布団なんか持って行く奴いないさ」 日本は暴力事件は少ないし、殺人事件も少ない。

もしそんな事件が起こればテレビで全国放送されてしまう。

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261 中国は見る(130)  日本のメディア 小泉首相8月15日靖国神社参拝か と報道

日本媒体称首相小泉可能815日参拜靖国神社 2006-05-08 15:42:00 来源:中新网

 

中新ネット5月8日電:日本のメディアが今日報じたことによると、小泉首相は8月15日靖国神社に参拝した場合、どのような影響があるか真剣に検討し始めているという。 小泉首相の周辺が漏らしたところでは、小泉首相はその日参拝することに相当強い思いを抱いているという。

 

“中央通信社”の報道によると、8月15日は中国にとっては「抗日戦争勝利記念日」、韓国にとっては日本の殖民統治からの「解放記念日」、日本にとっては第二次大戦の「終戦記念日」である。

 

小泉首相が9月で首相の職務を去るため、8月15日に靖国神社を参拝するかどうかが注目を受けることになった。

 

小泉首相の周辺筋からの話として、当日参拝したい意向は相当強いとのこと、ただやはりいろいろな方面を考えているようだ。 例えば中国、韓国の反応、9月の自民党総裁選挙にどんな影響を及ぼすかなど。

 

日本経済新聞の報道では、小泉首相が今年靖国神社を参拝することについて、山崎拓自民党元副総裁は「小泉首相の靖国参拝は8月15日が一番濃厚」との憶測を出していた。 小泉首相がこのことを本気で検討しているとの話が表面化したことで、日中、日韓関係が更に一段と冷え込むのは確実だ。

 

小泉首相は、2001年総裁選挙の時、公約で「終戦記念日に靖国神社を必ず参拝する」と表明していた。 しかしその年は繰り上げて8月13日に行った。 だが現在小泉周辺が語るところでは、小泉首相は繰り上げ参拝したことを後悔しているという。

 

今年日本政界が、小泉首相が8月15日に参拝すると推測しているのは、四月の春季例大祭に行かなかったので、任期中の最後の機会は「8月15日」であり、公約を履行する最後のチャンスと見ているからだ。

 

小泉首相本人は記者からの質問に、相変わらず明言を避け、ただ「適切に判断します」と言うのみ。

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260 中国は見る(129)  東京裁判 日本人の7割が知らない

七成日本人不了解东京审判 2006-05-03 13:05:19 来源:南方报业网(广州)

 

60年前の今日(5月3日)、多くの日本戦犯が東京裁判に出廷した。 1946年5月3日、極東国際軍事裁判が日本の東京で開廷された。 いわゆる“東京裁判”。 裁判は2年余りかかった。 全部で818回開廷された。 判決文は1231頁に達する。 東条英機など7名のA級戦犯が絞首刑、荒木貞夫など16人が終身刑の判決を受けた。

 

昨日(5/2)、朝日新聞が発表した世論調査によると東京裁判の内容について70%の人が知らないと答えた。 その内、20歳から30歳の年代では10人中1人が知ってるだけで、東京裁判をまったく知らないが17%もいた。 

 

朝日新聞は昨日の社説で“東京裁判を知っていますか”と題して、戦後の日本にとって東京裁判は二重の意味での政治決着だとしている。 国際的には日本は1951年サンフランシスコ平和条約で、日本は東京裁判を受諾し国際社会に復帰した。 国内的に見ると、戦争責任をA級戦犯に負わせることで、実質的に天皇やその他の人を免責してしまった。 社説では、もし東京裁判が不当だと主張するなら戦後処理をやり直せと言うに等しい。 そうなると日本は、アメリカや世界の各国との関係も土台から作り直さなければいけない。 日本は改めて戦争犯罪について自らの手で裁き直すことになる。 “こんなことが可能だろうか?”

 

戦争について 民族の共通認識がない

 

フランス通信社(AFP)東京支社によると、ナチスドイツのニュールンベルク裁判の清算と違い、東京裁判は戦争を起こした個人の戦争責任を追及するだけだった。 だから多くの日本人は東京裁判の合法性に疑問を持っている。 あるジャーナリストは、日本民族はいつまでも“集団責任”を受け入れないと言っている。 

 

立教大学の栗谷健太郎教授は、日本人はドイツのように自分の戦争犯罪を厳しく追及できなかった。 その結果、日本には戦争責任について民族としての共通認識ができてない。

 

天皇の責任についてはタブー

 

東京裁判は天皇の戦争責任について追求しなかった。 これがこの裁判の欠陥だ。 第二次大戦終了後、日本の国内外に天皇の責任を追及する声があったが、連合軍の日本占領軍最高司令官マッカーサーが、天皇を法廷に出すことに反対した。 理由は、日本社会の崩壊を避けるためだったという。 東京裁判に関わった裁判官は、今でも遺憾だとしている。

今の日本では、天皇の戦争責任は依然としてタブーだ。 日本の上層階級と占領軍は、天皇の戦争責任を極力避けようとし、天皇を軍国主義者の傀儡にしようとした。

 

1990年代以降、一部右翼学者は東京裁判を否定し、侵略戦争の内容を書き改めようとしている。

 

2005年6月、日本の厚生労働省森岡正宏政務次官は、東京裁判自体にに疑問を感ずると述べた。

 

一部右翼は、A級戦犯の判決を覆そうとしている。 たとえば映画でA級戦犯東条英機を賛美した。

 

現在も、東条英機の孫娘は、7名の絞首刑になったA級戦犯のため奔走し、判決覆しを画策している。

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259 中国の三面記事を読む(34)  張曼玉(マギー・チャン) 《下》

花様時代El050330008

代表作:“迷離劫” 女飛賊再現江湖:イルマ・ヴェップ)“甜蜜蜜” (ラブソング)“宋家皇朝”(宋家の三姉妹)“花様年華”

張曼玉の女優生活がどんどん上向いている時、彼女自身の方はちょとスランプに陥った。

1997年、張曼玉はフランスへ行き、フランスの新鋭監督オリヴィエ・アサイヤスの“迷離劫”(女飛賊再現江湖:イルマ・ヴェップ)に出演した。 一年後二人はフランスで結婚する。

映画出演から遠ざかっていた張曼玉は、陳可辛の“甜蜜蜜”(ラブソング)を結婚後最初の作品として戻ってきた。 国際スターとしての彼女の演技は、ありふれた役も軽々とこなしぴったりはまって、金像奨、金馬奨の両方の主演女優賞を取ってしまう。

1997年、張曼玉はもう一つの大作“宋氏皇朝”(宋家の三姉妹)で宋慶齢に扮する。 個性的で独立した女性は彼女の十八番である。 しかし、この時の張曼玉の演技はまずまずの出来ではあったが、目を見張るほどのできばえではなかった。 しかしこの映画で沢山の主演女優賞を取った。

“宋氏皇朝”(宋家の三姉妹)が終わった後、2000年、王家衛が“花様年華”で張曼玉の美しさを見事に引き出した。 張曼玉の“花様年華”での演技は批評家から“最高レベルの出来”と激賞され、ある人は、彼女の演技は映画学校の女生徒達の教科書になれるといったほどだ。Photo_1

続いて、2002年出演したのは張芸謀の“英雄”(HERO)、復讐に燃える女剣士だった。 2004年には王家衛の“2046”にも特別出演した。

恋愛遍歴  

俗に「戦場で意気あがる時、恋愛の場ではうまくいかない」と言われる。

張曼玉の情感の道は、“青蛇”のようにクネクネしている。 最初、張曼玉は自分のスタイリストと長いこと恋愛関係にあったが、1985年ついに別れる。 

1986年、彼女はアメリカで撮影中HANKと知り合い、双方手紙で愛を伝え合った。 別れた後、相手は彼女のラブレターを雑誌社に売り渡し公開されてしまう。 このことは彼女の心を傷つけた。 

1987年、張曼玉は冬升との恋を発表する。 3年間続いた。

1993年、彼女は実業家の宋学棋との恋がすっぱ抜かれる。 一年後、結婚の噂が流れたが、1995年別れる。

1996年になって、張曼玉は“迷離劫”(女飛賊再現江湖:イルマ・ヴェップ)の映画でフランスのアサイヤス監督と知り合い、二人は恋に落ち、1998年12月26日結婚する。 しかし、2002年5月10日二人に離婚のニュースが流れた。 別れた後も“清潔”(CLEAN)を共同で作り、映画の魅力を伝えてくれる。

出演映画

1984年 「青蛙王子」「縁」(君が好きだから)

1985年 「摩登仙履奇缘」「聖誕奇遇良縁」(マギー・チャンのドッカン爆弾娘)「警察故事」(ポリス・ストーリー)

1986年 玫瑰的故事」(ストーリーローズ 恋を追いかけて) 「過埠新娘」(恋はいつも嘘から始まる)「原振侠與衛斯理」(セブンス・カース 七番目の呪い)「開心鬼撞鬼」(ハッピー・ゴースト)

1987年 「天賜良縁」「用愛促伊人」(恋のカウントダウン)「精装追女」「心跳一百」「A計划续集黄色故事」

1988年 「旺角卡门」(いますぐ抱きしめたい)「警察故事续集

      「应召女郎」(コールガール)「求愛敢死隊」「愛的逃兵」

      「月亮、星星、太陽」「流金歳月」「双肥臨門」「南北妈打

      「肥猫流浪記」「最佳女婿」

1989年 「我要富貴」「急凍奇侠」「人在紐約」(フルムーン・イン・ニューヨーク)「不脱的人」(仔猫のように抱きしめて)

      「白鳥的歌」「求愛夜驚魂」「小小小警察」「再見王老五」「少女心」

1990年 「阿飛正傳」(欲望の翼)「客途秋恨」「滚滚」「愛在別郷的季節」「三人新世界」「紅場飛龍」

1991年 「富貴吉祥」「黒雪」「豪門夜宴」「双城故事」「三人世界」

      「志在出位」

1992年 「家有『喜喜』事」「双龍会」「真的愛你」「哗! 英雄」「戦神傳説」「警察故事3 超級警察」「阮玲玉」(ロアン・リンユイ)「新龍門客

1993年 「射英雄傳之東成西就」「神経刀與飛天猫」「飛越謎情」

      「追男仔」「新同居時代」「赤脚小子」「青蛇」「廉政第一撃」

      「東方三侠」「現代豪侠傳」「濟公」「武侠七公主」

1994年 「東邪西毒」

1996年 「甜蜜蜜」「女飛賊再現江湖」(迷離劫:イルマ・ヴェップ)

1997年 「宋家皇朝」(宋家の三姉妹)

1998年 「中国匣」「功夫大王」

2000年 「花様年華」「一見钟情」

2002年 「英雄」(HERO)

2004年 「2046」「清潔」(錯過又如何:CLEAN)

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258 中国の三面記事を読む(33)  張曼玉(マギー・チャン) 《上》

前回、香港の女優、尤敏、林黛を紹介しました。 今日は引き続き今も大活躍の「張曼玉」について紹介したいと思います。 私が見たのは「阮玲玉」「宋家の三姉妹」「花様年華」「英雄(HERO)」くらいですが、なかなか芯のある、強い女性の役がぴったりで、またしっとりとした色気もあってとても素敵な女優さんです。

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2 張曼玉(マギー・チャン) 《上》

張曼玉は1964年9月20日、香港に生まれる。 9歳の時、家族と共に英国に移住。 17歳の時、ロンドンの本屋さんで働く。 翌年、彼女は香港へ旅行し、偶然美容師の仕事を見つける。 その後スカウトの目に留まり広告のモデルとなる。 1983年、マネージャーが知名度アップのためミス香港の大会に出場させる。 清純な姿とあか抜けた容姿でミス香港準優勝となる。 この受賞ですんなり芸能界入りする。

TVBのいくつかのテレビ“画出彩虹”等に出演した。 視聴率の高かった“新扎師兄”に出演した後、映画の方に転向する。 

1984年、張曼玉は邵氏の“青蛙王子”と“縁份”(君が好きだから)という二本の映画に連続して出演した。 スタートしたばかりの張曼玉の演技は、まだ際立っていたわけではなかったが、“縁份”(君が好きだから)の中の自然な演技で、第三回香港金像奨最優秀新人賞を獲得する。

そして張曼玉は次第に人気が出るようになり、“ジャッキー・チェンのヒロイン”となる。 1985年、彼女はジャッキー・チェン作品“警察故事”(ポリス・ストーリー)に出演する。 映画の中でジャッキーのガールフレンド阿美に扮した。 “警察故事”が香港映画金像奨の最優秀作品賞を取り、その年の香港十大ヒット作品の一つになったのに伴い、張曼玉の映画界での名声も高まり、彼女の若くて可愛いイメージが、人々の心の中に浸透していった。

彼女はその後、“摩登仙履奇縁”“開心鬼撞鬼”(ハッピー・ゴースト)“A計劃続集”(プロジェクトA2)などのコメディーに出演した。 いずれも同じような役柄だった。 

張曼玉は1984年から1988年まで、約30作品に出演した。 当時の新人の中でも目立った。 1988年だけでも12作品に出演した。

永遠の女優3_1

代表作:“不脱的人”(仔猫のように抱きしめて)“阿飛正傳”(欲望の翼)“人在紐約”(フルムーン・イン・ニューヨーク)

彼女と同時代のスター劉徳華、梅艶芳等と同じように、1980年代の張曼玉は映画に対してスランプに陥っていた。 彼女が演技に苦しんでいた時、奇才監督王家衛が現れた。 成功した俳優にはみな慧眼の監督に出会うという。 張曼玉の伯楽(人材を見分ける人)は王家衛だ。

1988年、彼女は初めて王家衛の作品に出演した。 “旺角卡門”(いますぐ抱きしめたい)の中で、劉徳華のいとこに扮し、彼女は善良で純朴、一途な女の子をイキイキと演じた。

1989年、張曼玉は“不脱的人”(仔猫のように抱きしめて)で女優生活始めての大賞――香港金像奨最優秀主演女優賞を取った。 同年、彼女はまた張艾嘉、斯琴高娃の二人の名女優たちと関錦鵬監督の“人在紐約”(フルムーン・イン・ニューヨーク・三人の女性の物語)に出演し、この映画の見事な演技でその年の台湾金馬奨最優秀主演女優賞を受賞した。

1990年、“阿飛正傳” (欲望の翼)、“客途秋恨”、“滾滾紅塵(レッド・ダスト)等の優秀作品に出演した。 王家衛の名を一躍有名にした“阿飛正傳” (欲望の翼)の中で、張曼玉は将来がわからない不良を愛し悩む少女の心を、その役になりきって演じた。 “滾滾紅塵(レッド・ダスト)は、張曼玉の数少ない脇役の映画だ。 この映画でもその演技が認められて、金馬奨の最優秀助演賞を受賞した。 

映画の女王時代

代表作:“阮玲玉”“新龍門客桟”“青蛇”

“阮玲玉”、この映画は映画批評家から“時間を超越し、空間を超越した劇中劇”と称された映画で、張曼玉を映画の最高峰に押し上げた作品である。 “阮玲玉”は、撮影する前からゴタゴタが続いた。 最初主演に決まっていた梅艶芳に問題があって張曼玉がやることになった。 しかし急に出演が決まった張曼玉に“役柄が合わない”と世論は一斉に批判した。 しかし彼女の演技とイメージは監督の目の確かさを証明することとなった。 “阮玲玉”はベルリン映画祭主演女優賞を含め数々の賞を受賞した。 この映画は中国映画史上に輝かしい一頁を張曼玉に与えた。 張曼玉にとっても会心の作となった。 

続けて“新龍門客桟”も好評を博した。 この武侠映画ではちょっと婀娜っぽい旅籠のおかみさん金鑲玉の「一顰一笑」が話題となり、きびきびした演技は阮玲玉とはまた違う役柄で新境地を開いたものとして傑作となった。 徐克の名作“青蛇”では、張曼玉は青蛇の蛇性、人性、佛性をいきいきと演じた。 王家衛の哲学的武侠映画“東邪西毒”(楽園の瑕)では、張曼玉は3回しか出てこないが、彼女の演技は目に焼きつき、忘れられないものだ。

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257 中国は見る(128)  ホームステイで感じた日本人の忸怩たる思い

私と日本人の交流物語

 

2006-04-05 18:23:08 主题:日本人的负疚心是这样表达的----我和日本人的故事

:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=444791

 

憤青(怒れる若者)は私を哈日族《日本かぶれ》なんていうかもしれない。 何といおうとかまわない。 私は私の体験を正直に言うだけだ。 私だって日本が中国にもたらした屈辱の歴史を忘れたわけではないし、日本の右翼には反感を持っている。 しかし、現在の日本人は当時の軍国主義時代の臣民とはまったく違っているし、多くの人々は平和を望み、日中友好を希望している。 日本人が中国人と仲良くしようと思っている気持ちの中には、罪の意識による引け目と懺悔が入り混じっているようだ。

 

96年、私は東京の文化交流の学習に参加し、日中友好会館の後楽寮に宿泊していた。 祝祭日の近くになると、寮のホールの案内板によく募集広告が一杯貼り出された。 内容は大体、中国人に対する日本各地の友好団体・ボランティア団体からの日本の家庭での交流活動の誘いである。 参加費用はその家庭やボランティア負担してくれ、招待される留学生には一切費用はかからない。 この招待者側が見知らぬ外国人を自分の家に数日間宿泊させるという活動は、先進国では非常によく行われているもので、すなわち“Home Stay”、日本では“ホームステイ”と呼ばれている。 好奇心から、私は東京からちょっと離れた長野県の“ホームステイ”を選んでみた。 募集文書の下の申込蘭に自分の名前など必要事項を書き込んだ。 数日して、私は招待状を受け取った。 中には、具体的な活動日程と私の名前が書かれたプラスチック札が入っていた。 それと招待者側の家庭状況と私を選んだ理由が書かれていた---------“以前、貴地を旅行したことがあり、友達となりたい” 

 

日本人が中国人のために行う“ホームステイ”は、通常はその土地の民間または国の日中友好協会が間に入って取り持つ。 “ホームステイ”先は自発的に希望する日本の家庭であり、また各家庭が資金を出し合って行う公益的活動である。 どの家庭も申し込み留学生の資料の中から、自由に個人的好みで2-3名を選び、臨時の家族となり、留学生の送迎、交通、宿泊、観光などはそれぞれの家庭が負担する。

 

胸のプレートの名前から、私を招待してくれた家の主人が、沢山の留学生の中から、私を見つけてくれ、お辞儀やら、挨拶やらした後、駅に集まり、目的地に着いた後、歓迎の宴会に参加した。 宴会の後、双方の交流会行われた。 やり方は中国と似たようなものだ。 大体は当地の人達の民間の踊りや笛、太鼓など。 中国側の学生はマイクを握って、日中の歌を歌ったり、それぞれの腕前を披露した。 たとえば“太極拳”など。 交流会が終了すると、それぞれの家へ分散し、三日間の日本人との共同生活、食事、雑談、遊びが始まった。 家庭によっては、留学生に“家事”を手伝わせることがある。 といっても、みんなで餃子を作ったり、庭の草花をいじったりすることぐらいだ。 

 

私は蘭州から来た女の子と、ある農家に泊まることになった。 主人は二人とも七十を過ぎた夫婦で、それとだいぶ年配の娘が一緒に住んでいた。 活動の案内によれば、家人の年齢によって相手に叮嚀に対応することが大切なようだ。 この三日間、毎日夕飯後、隣近所のおじいさんとおばあさんが私達のところにやってきて、話をしたり、日本酒を飲んだりした。 

 

日本人は他人の家へ遊びに行くのが好きでないようだ。 多分、私達が中国人なので閑な年寄り達がものめずらしさにやってきたのかもしれない。 話題は、中国人は頭がよいとか、今の中国はなんとたいしたものだとか、おべっかの言葉ばかり。 でも、過去のことについては誰も言い出さない。 長野県は聞くところによると、昔、中国に一番多く出兵した地域だという。

 

この家の娘さんが小さい声で私に話してくれたところによると、私達に付き合って一緒に酒を飲んだ老爺達の中の二人は、かって兵隊として中国に行ってたそうだ。 思い返せば、酒を飲んでる時、その二人は礼儀正しく、友好的で、とても真面目でおとなしく見えた。 彼等が昔、私達の祖先に残虐の限りを尽くしたファシストとはとても考えられない。 当時の軍国主義がこの朴訥でおとなしい人達を悪魔に変えてしまったとはどうしても理解できない。 私は昨日、この二人の老人に好感を持っていたのに、たちまち嫌になり、なんともいえない気持ちになってしまった。

このことからも、私は内心、日本政府があの非人道的な中国侵略戦争について、早く反省と後悔をしてくれればいいのにと思った。 そうすれば、中日両国は昔の恨みを捨て去り、これら普通の人々と何のこだわりもなく、膝を合わせ語り合い、共にこの世のすばらしさを話し合えるのに!

 

最後の別れの日、長野県の日中友好会館で、私達と招待家族のお別れパーティーが開かれた。 中日双方の百人余りが一堂に会し、歌や踊りにテーブルを回ったりして、三日間で作られた相互信頼と友情を語り合った。

 

私を意外に感じさせることがあった。 中国人民解放軍の兵士と自称する日本人が、私達に酒を注ぎにやってきた。 彼は私達に、非常に熱心に率直に自己紹介した。 彼は自ら投降し、解放軍に参加し解放戦争にも参戦した。 そして解放後、南京の軍事学院で勉強し、50年代になって日本へ引き上げた。

 

この元“解放軍兵士”は、日本に戻ってからの出来事を話してくれた。 多少恨みがましい気持ちが見て取れた。 “帰国してからの日本政府の私達に対する取り扱いは、差別とかほかの人と違う対応はなかった。 まったく同一に面倒を見てくれた。 しかしほかの一般の人達の中には、一種の先入観を持って私達を見たり、私達を避けようとした。 そのため生活に支障も生じた。 その後、日本の各界や民間から戦争に対する反省が起こり、私達にも寛容的なってきたので、やっと落ち着いた暮らしができるようになった。

 

この元解放軍の話に対して、私はどう対応したらいいのかわからなかった。 あの昔の歴史が依然として人の心に重くのしかかっているのを感じた。

 

この短い三日間で、日本の民間に入る生活は終わった。 この期間中、私はあの戦争のことを話そう、日本人が中国人に屈辱を与えたことを話そうとずっと考えていた。 しかし私はとうとうこの両国の人民の重い話題について触れることはできなかった。 

 

彼等のこのように中国人と近づく方法自体、罪を認め、懺悔する気持ちの表れであり、同時に中日関係の美しい将来を希望する表れだと思うから。

 

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256 中国の三面記事を読む(32)  ハリウッド”南京大虐殺”を映画化へ ②

先月《231 中国の三面記事を読む(18) ハリウッド“南京大虐殺”を映画化① 06-4-10》をお伝えしましたが、今現在、中国にその続報はまだないようです。 

一方、監督や出演を期待されているクリント・イーストウッド氏は、テレビ西部劇「ローハイド」で昭和37年に来日以来、44年ぶりの再来日、4月28日には監督を務める「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」の制作報告会見が行われ、渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童ら出演者も出席した。 日本側から描く「硫黄島からの手紙」は4月27日にクランクアップしたばかり。 この映画は12月公開予定。 米国側から描く「父親たちの星条旗」は、10月公開予定。 

ということは、クリント・イーストウッド氏が“南京大虐殺”を撮る時間、出演する時間はないと思われます。 中国側の先だってのニュースは誤報だったのでしょうか?   

《参考:旧聞ニュース再録》ハリウッド一億ドルで南京大虐殺を映画化――アメリカの良心 2006-03-31 10:53:54 主題:美国人的良知! 好莱塢一億美元籌拍南京大屠殺本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=472066

これは作家の張純如が命懸けで書いた南京大虐殺の真相である。 彼女がこの本を書いたとき、日本人からの脅迫状が沢山舞い込んだという。 ハリウッドは近々南京大虐殺を基にした超大作《南京の大災難》の撮影に入り、1937年の日本軍国主義の暴虐を再現する。  これはハリウッドがはじめて撮る南京大虐殺の映画である。 《シンドラーのリスト》に継いで、ハリウッドが第二次大戦の暴虐を描く映画となる。 

先日、江蘇省文化産業グループとアメリカハリウッドのViridian娯楽会社のジェラード・グリーン代表取締役が《南京の大災難》の映画制作の契約に調印した。 2007年の南京大虐殺70周年の際、全世界で公開するという。 伝えられるところでは《南京の大災難》は、中国の一家庭の視点から南京陥落前後の状況を見るもので、その中には日本軍の暴行、中国人の屈辱と反抗、第三国の救援などがあり、1937年南京で行われたその災難が再現されている。 

この映画は今年撮影を始める。 ロケはすべて南京で行われる。 ジェラード・グリーン氏は取材に対し、 “私はこれを「シンドラーのリスト」に継いで、後世に残る作品にしたい” シナリオの初稿は出来上がっているという。 《南京の大災難》の最初の題名は《南京・ クリスマス・1937》だった。 というのは映画の中に、南京の宣教師一家がクリスマスを過ごすシーンがあり、そのクリスマスの暖かい場面とこの世のものと思われない悲惨な残虐場面との対比をねらった。

アメリカの名シナリオ作家ウイリアム・ マクドナルドがこの映画を担当することになったとき、題名を直感的に《南京の大災難》と改めた。 ウイリアム・マクドナルド氏は、去年から各種資料を調べ、またアメリカ籍中国人作家張純如が書いた《ザ・レイプ・オブ・南京》を熟読し初稿を書き上げた。

大虐殺の惨状、シナリオ作家に衝撃を与える

アメリカから南京に飛んだウイリアム・マクドナルド氏が最初に見たのは南京大虐殺記念館だった。 万人坑の遺跡でウイリアム氏は、ガラスケース内に置かれた骸骨を指さし驚きの面持ちで朱成山館長に尋ねた。 “この骨はみな本物ですか?” “当時、私達がここで掘り起こした骨です。 ちゃんと検証したもので間違いありません”朱館長が答えた。記念館の重苦しい雰囲気の中でウイリアム氏はそれ以上質問することなく、ただそれらが遺骨と説明されている死因を黙々と見ていた。 “あの釘は人体の中に打たれてあった鉄釘で、死体の中から見つけました” 朱館長が説明した。  “ひどい!” ウイリアム氏が驚嘆の声を上げた。 “これについては、張純如の本には書いてなかった。 こういった小さいこともシナリオに追加しよう” ウイリアム氏は何か考え付いた様子だった。 “今回の参観は、私にとってショックだった!”

“マディソン郡の橋”の二人またコンビを組む?

《南京の大災難》は当初3000万ドルでスタートしたが、最終的に総額は一億ドルを越す見込み。 英国政府も同映画の製作に200万ドルの無償支援を決めた。 現在映画会社は、アメリカの硬骨漢スターのクリント・イーストウッドと演技派女優で何度かオスカーを取得しているメリル・ストリーブと交渉中。 二人はかって《マディソン郡の橋》で共演した。 映画会社は、その他の俳優もハリウッド最高の陣容で、監督もハリウッドの重量級監督になるといっている。

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255 中国は見る(127) 日本のテレビドラマについて 《下》

日本のテレビドラマに春が来た?---日本と韓国のドラマを比較

日剧春天来了?-----日剧韩剧新较量 2006-04-06 12:07:55 来源: 沈阳日报

ここ何年か、どちらかというと長編もの韓国ドラマが次から次と打ち出されたため、日本のドラマはずっと反撃できないでいた。

しかし、日本ドラマに春が訪れたかのような兆候が現れた。 中央テレビに登場した“白い巨塔”、初回4%の視聴率を取り、その勢いは韓国ドラマに肉薄している。 “白い巨塔”は韓国ドラマに冷水を浴びせた。 ドラマの長さは韓国より短いけれど、内容的に洗練されていて強く訴えるものがある。 また、“家庭生活ハンドブック”のような韓国ドラマと比べて、“白い巨塔”は理性的で“人生指南”のようなところがある。 いずれにしろ------日本のドラマは本当にまた勢いを盛り返したのだろうか?

物語の内容が面白く、題材も豊富だ

韓国ドラマが今隆盛を極めているが、そのテーマはますます狭くなっている。 ネットの友達が笑って言っていた。 “韓国ドラマは、基本的に裸なしで後は2パターン、男女の恋愛の話か、家族団欒でのたわいない話のどっちかだ”

これに対して、日本のドラマは脚本がよく練られており、ドラマの内容に精彩があり、人物の運命、話の展開に起伏があって、視聴者の興味をよく掴んでいる。 だからサスペンスもの、日常生活ものにしろ、日本のドラマは見ごたえがあるものが多い。 人物の運命が物語りの進行につれて、予想外の展開になり目が離せない。 日本のドラマの種類は多様化しており、例えば学校物《野ブタ.をプロデュース》、推理物《砂の器》、時代物《大奥》、家族物《女系家族》などがある。

“アイドルスター”という言葉は、もともとは日本のドラマからでてきたもので、日本のドラマには格好よく、きれいな男女スターが沢山生まれた。 しかし、これらの俳優達は決して顔だけではなく、個性や独特な演技で人を引きつけている。 たとえば“白い巨塔”の唐沢寿明と江口洋介にしたって、彼等のアイドルイメージからその演技を見下してはいけない。 “たとえちょっとした目付き、笑い、冗談や不安げな眉にもみな役柄が現れており、伏線になっている”

韓国ドラマと比べると、韓国の人物は美しいことは美しいが、人工的に作られたことがはっきりわかるし、性格もあまり突出したものはない。

日本のドラマ“ビューティフル・ライフ”の中で、“赤い靴”がドラマの中に4回出てくる。 最初は、杏子が赤いハイヒールを気に入るところ。 その後、冬二がこっそり買い求め、杏子がそれを履いて外に出る。最後は、杏子が死んだ後、母親がそれをお棺の中に入れる。 赤い靴が4回出てくることで、二人の恋の思いが繋がって、その意味するところが鮮明に伝わってくる。

このほか、日本のドラマでは実に深い哲理を持った言葉を人生の座右銘に使うことが多い。

韓国、日本両者を比較すると、日本のドラマはシナリオ、撮影、俳優、音楽等が非常に優れており、韓国より優位に立っているといえる。 こうして見ると、日本ドラマの捲土重来(復活)は、確かかも知れない。 

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254 中国は見る(126)  日本のゴールデン・ウイーク 

各地で新旧の多彩な祭りが催される

 

日本黄金周活动亦古亦今丰富多彩 2006-04-30 16:13:07 来源:新华网

 

日本のゴールデン・ウイークは数十年の歴史があるという。 この連休中多くの人が海外に出かけたり、いろいろな遊び方をする。 また同時に、各地で伝統の行事がとり行われる。

 

4月末から5月初めは、日本の祝祭日が纏まっている時期で、4月29日は「みどりの日」、53日は「憲法記念日」4日は「国民の休日」、」5日は「こどもの日」。

 

この“ゴールデン・ウイーク”の連休中、日本各地の観光地や繁華街は、人、人、人で埋まり、国際運賃の価格などは高くなる。 海外の行き先で一番多いのはハワイ、ヨーロッパ、そして周辺の国々で休暇を過ごす。

日本のメディアが数日前予想したところでは“ゴールデン・ウイーク”中、海外へ出かける人は56万5千だという。

 

この期間中、日本各地ではいろいろな伝統行事が催される。 53日と4日、福岡県福岡市では博多どんたくが開かれる。 800年の歴史があるという。 伝統の福神が馬に乗って進み、色とりどりの祭りの衣装をした人達がにぎやかに踊り練り歩く。 このお祭りには、毎年200万人の見物客が訪れるという。

 

沖縄那覇市では、連休期間中、海上のドラゴンボート競争などの催しものが行はれ、海の安全、漁業の収穫を祈願する。 これも数百年の歴史があるという。

 

広島は、1977年から毎年53日から5日にかけて“広島フラワーフェスティバル”が開かれる。 毎年100万人以上が訪れる。 花祭りの間は、街の通りは装いを一新し、大型の花車が巡行したり、その他いろいろな催しが行われる。 今年の活動のテーマは“ありがとう、花と平和の30年”

 

53日―5日の3日間、静岡県浜松市では、“浜松祭り”が行われる。 これも有名なお祭りで、見所は2つ。 “凧あげ大会”と“ご殿屋台”

凧あげ大会は、町単位で参加する。 浜松の伝統では、初めて生まれた男の子のために“浜松祭り”で凧をあげるとのこと。 凧には各町の独特なデザインと子供の名前が書かれており、子供の健康と成長を祈念する。 凧の大きさは2帖から10帖(2-4平方米)で、数百匹が空に上がる様は、非常に壮観である。 凧あげ大会には、“凧戦争”という出し物があり、自分の凧と相手の凧の糸を絡ませてどっちが切り勝つか争うもの。 “浜松祭り”の間、夜になると美しく飾られた“ご殿屋台”が浜松の主な通りを練り歩く。 この花屋台には提灯があかあかと輝き、着飾った女性が花車の上で伝統音楽を奏で、お囃子が賑やかだ。 なかなか豪華絢爛で一見の価値がある。

 

外国旅行やお祭り以外に、ゴールデンウイークには、温泉に行ったり、おいしいものを食べたり、音楽会を楽しんだりする。

 

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253 中国は見る(125)  日本のテレビドラマについて 《上》  

日本のテレビドラマ《おしん》は青春立志伝の名作

 

2006-04-22 19:21:00 来源∶华商网华商报 《阿信》日剧才是青春励志剧高手

 

中央電視台が1983年放送したテレビドラマ《おしん》について、私は少しも覚えていない。 この若い女の子が自分の目的を遂げるという立志伝ドラマは、一世代前の人々に大きな影響を与えたという。 

 

2006年、湖南衛星テレビでこの20年前の名作を再放送する。 このテレビドラマの「愛と根性」に改めて感銘を受けることだろう。

 

1983年の画面は、現在のテレビ画面の繊細さ、化粧、服装などのような細やかさはない。 おしんは、どう見たって細い眉、細い目、チャングムのような美しさはない。 しかしチャングムと比べると、おしんが受ける苦しみはずっと多い。 父親からのひどい仕打ち、夫の自殺、息子の戦死、厳しい競争、会社の破産等。 生活の中で、いつも光明が見えると思うとすぐ希望の火が消えてしまう。

 

若い人が努力精進して目的を達成するということについて、日本のドラマはうってつけの名手である。 しかし、韓流ブームの中で霞んでしまった。 ここにきて《白い巨塔》が、視聴率や口コミで一躍評判をとり、今また挽回の様相を見せている。

 

中央電視台は韓国ドラマを数々放送した後、《白い巨塔》を放送し、湖南衛星テレビが《おしん》を再放送すると発表した。

 

一つは20年前一世を風靡した名作、もう一つはなかなか重厚な作品、この二作品、果たして「日本ドラマ再び」となるかどうか。

 

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252 中国の三面記事を読む(31)  林黛(リン・ダイ)

先日、香港の尤敏について述べたが、もう一人同じ頃活躍した美人女優がいる。 林黛(リン・ダイ)。 「江山美人」は日本でも公開された。 「黄梅調」という調子のよい歌がなつかしい。 二年ほど前、香港でこの「江山美人」のDVDを見つけ、改めて懐かしい画面に見入ったものだ。 

林黛(リン・ダイ)

生年月日:1934年12月26日

没年月日:1964年 7月17日

本  名:程月如

  名:Linda

Lindai 4437

芸名の「林黛」は英名の音訳である。 香港の映画歴史上、名前のよく知られた国語(北京語)映画の女優さんである。 彼女はアジア映画祭で4度も最優秀主演女優賞を獲得した記録を持っており、未だに破られていない。

林黛の本籍は広西省賓陽、桂林で生まれた。 1949年、母と共に香港に移住する。 翌年、映画界の人の目に留まり「長城電影制片有限公司」の俳優となる。 しかし一本も出番がなく、「紙上のスター」に過ぎなかった。

1951年、有名な俳優兼監督の厳俊に見い出され、「永華電影公司」に移り、第一回作品《翠翠》(1953年)に出演、一躍人気が出る。 それ以降、多くのファンがつくようになった。 そして当時の二大映画会社「電懋」と「邵氏」の争奪戦の対象にもなった。 

林黛は両社の作品にそれぞれ出演し、役柄もいろいろ広がっていった。

相前後して《金蓮花》(1957年)、《情場如戦場》(1957年)、《貂蝉》(1958年)、《雲裳艶》(1959年)、《江山美人》(1959年)、《千娇百媚》(1961年)、《不了情》(1961年)、《白蛇伝》(1962年)など作品の趣き、スタイルのまったく違う映画に出演した。

このうち《金蓮花》、貂蝉》、《千娇百媚》、《不了情》は、アジア太平洋映画祭の主演女優賞を続けて4回も獲得し、その栄光は華やかだった。

林黛は映画界の何人かと恋愛したようだが、1961年、軍閥の息子と結婚、その後一子をもうける。

1964年7月17日、林黛は自宅で睡眠薬を多量に服用し、その上ガスを吸って自殺した。 まだ30の若さだった。 

その当時、彼女は《宝蓮灯》(1965年)と《藍与黒》上下集(1966年)の二本の映画の途中だった。 映画会社はやむなく顔のよく似た女優杜蝶を使って、かろうじて完成させたという。 この二作品が林黛の遺作となった。 聞くところでは、林黛は撮影中はとても几帳面で人付き合いもよかったという。 ただ我が強く、よく当り散らすことがあったという。

陳蝶衣の《香港影秘史》(奔馬出版社、1984年)によると、林黛は映画界に入って間もなくの頃、一度服毒自殺をしたことがあった。 幸いその時は未遂に終わった。 その時は彼女が「長城電影制片有限公司」と契約問題でもめてた時だった。 「長城」がもともと林黛に決まっていた役をほかの人に決めたので、林黛は一気に薬を飲んで死のうとしたのだ。 このことからもその性格の強さが見て取れる。

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