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230 中国の三面記事を読む(17) 林徽音と徐志摩 《中》

テレビドラマ《人間四月天》

内容紹介: 1922年秋、詩人徐志摩はイギリス・ケンブリッジの留学から帰国すると、離婚通告なる奇想天外な文章を発表した。 まだ文名など全く知られていなかった彼だが、このトップニュースが中国を揺るがした。 近代史上初めての西洋式離婚事件となり、百年も前の中国の封建的婚姻制度に挑戦状をたたきつけた。 徐志摩は、そのときこのような文章を書いた。 “私はこの茫々たる人波の中から、私の唯一の心の伴侶を探し求める。 見つかれば幸せ、見つからなければ運命”  これは徐志摩が自分の短い一生についての注釈ともいえる。 “心の伴侶を探し求める”というこの言葉は、徐志摩のわずか36年の人生の中で体験した三つの遍歴、三人の全く違う女性との交錯が、この詩人徐志摩を作り上げたと言えるし、また彼によってそれぞれの女性の運命が変えられたともいえる。 

徐志摩は20歳の時、両親の勧めるままに、16歳の妻を娶り子孫を残すための義務を果たした。 それからヨーロッパに渡り勉学しようとした。 故郷にいた妻・張幼義は、夫にしっかりついていけば、夫の心が掴めるだろうと思った。 しかし、彼女が遥か海を越えてイギリスに着いた時に見たものは、才気溢れた美しい娘・林徽音と仲良くしている徐志摩の姿だった。 林徽音は徐志摩達夫婦の問題にかかわることを恐れ、慌しく父と共に中国へ戻る。 

徐志摩は封建的で不合理な結婚に嫌気がさし、決然と離婚要求を出す。 そして、張幼儀に対して、自分と同じように彼女自身も新しい生活を探し、封建思想から脱却し、社会の先頭に立つよう促した。 異郷の地にあり、また身重だった幼儀は、孤立無援の中で、何度も生きる勇気を失いかけたが、最後は、しっかりと自立できるまでになり、徐志摩の要求を受け入れ、異郷の地で自分の人生を切り開くことを決意する。

離婚後の張幼儀は、ドイツへ留学し、その後帰国してから上海の商業銀行の仕事を引き継ぐことになる。 生涯、徐志摩の世界から離れることはできなかった。 それ以降、彼女は夫の実家と奇妙な関係を続けていて、事業を共同経営したり、徐志摩の両親の面倒を見たり、葬儀も彼女が執り行った。

徐志摩は、林徽音との新しい未来を夢見て、後を追って帰国したが、帰国してすぐ耳にしたのは林徽音が両親の勧めを受け入れ、すでに婚約したということだった。 相手は彼の恩師の息子-------梁思成。

これは徐志摩にとっては痛烈な打撃だった。 複雑に絡み合った関係、にっちもさっちもいかない局面、もつれて収拾がつかない気持ち、これがこの時の、徐志摩と林徽音の心だろう。 この間のことは誰も口をつぐんでいるのでわからない。 ただ詩の中に秘密がもれ伝わるのみ。

林徽音は梁思成との結婚を選んだものの、徐志摩との気持ちを忘れることができない。 一方、徐志摩の方も最初は春風のように心地よく、この春風に向かっていたのに、今はただ愁いが胸をふさぐ。 林徽音とのことは絶望的だ。 徐志摩は苦しんでいた。

正にこの時、北京の社交界に美しい陸小曼が現れた。 彼女には夫がいたが、やはり封建的結婚に息が詰まり、同じように愛情を求めていた。

たちまち詩人の情熱に呼応することになる。 徐志摩は彼女を封建的な結婚から救出し、二人の自由な精神、美しい人生を作ろうと思った。 二人は家族の反対、社会世論の圧力をものともせず、ついには祝福されざる結婚をした。 

当時の人々は、彼等の愛は、お互いをダメにするだろうと噂しあっていた。 事実はその通りだった。 徐志摩は彼女のため評判がメチャメチャになるし、両親とも気まずくなる。 また彼女は金を湯水の如く使うので、金策のために駆けずり回ることになり、心身ともに疲労困憊してしまった。 彼女は徐志摩に愛情の解答をしたといえるし、彼に人生についての疑問符を投げかけたとも言える。 詩人の人生の最後は彼女のところで悩むことになった。

結婚後数年間の精神的に不安定な生活は、徐志摩を果てしない疲労と苦しみ、幻滅感を味あわせた。 詩作も出来なくなり、生活のため南に北に、教師生活を続ける。 そして最後に、この慌しい短い人生を思わぬことで終えることなる。 北京で林徽音の講演を聴くために乗った飛行機が山にぶつかり命をおとしてしまうのだ。 いたずらっ子のような

笑い声を友達に残し、まだ働き盛りの中、突然自分の華やかな人生に幕を下ろした。 同時に彼を愛し、彼が愛した人達に驚きと終生の思い出を残すことになった。

林徽音と徐志摩のこの生涯続いた未完の愛も、後世に解けない謎として残ってしまった。 彼女の夫・梁思成の彼女に対する気持ちも沈黙したままで、これも謎となっている。 梁思成自ら志摩の飛行機の残骸を一つ拾って北京へ持ち帰り、それを林徽音は死ぬまで机の上に置いてたそうだ。 数年後、彼女は徐志摩に捧げる詩を発表した。 彼女は死ぬ前に張幼儀に会うことを望みはじめて会った。 しかし、何の話もしなかったという。 張幼儀は、彼女の徐志摩に対する愛がわかったそうだ。

陸小曼は徐志摩が死んだ後、別人のようになり、彼女は数年かけて彼の遺作を集め出版し、そして生涯華やかな服を着ることなく、化粧もせず、公の席に出ることもなく、それ以降自分の華やかな姿をこの世から消してしまった。

真実の愛を求めると宣言した徐志摩、彼の一生は不幸な結婚で、心の生活も満たされることもなく悲劇的に終わってしまった。 しかし彼は一生、自分の魂たる詩歌で声高らかに歌い上げ、この世の理想としての「真善美」を追い求め、みんなの心を感動させた。 或いはこれが、彼の物語が中国人に記憶される原因かもしれない。

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