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よみがえった武士道 (上)

 

2006-03-04 23:45:02 主题: 警惕! 死灰复燃的武士道

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=400798

 

今、日本政府が行っている行為、そして日本国内で起こっている様々な事実から、はっきりした信号を読み取れる:武士道-----この日本民族の精神の“不死鳥”、日本軍国主義の亡霊が、また復活したことを!

 

1.武士道こそ日本民族の精神のよりどころ

 

日本の民族精神というと、私達の頭をよぎるのは“武士道”という三文字だ。 日本が起こし関与した戦争、戦後の再建と経済の奇跡にも武士道の影が見える。 日本人はその成功を、いつもいわゆる伝統の賜物としている。 伝統の中で一番光っているのが、この武士道である。 武士道は日本民族の精神のよりどころ、日本人がよくいう:大和魂!

 

日本の思想文化の先駆者、新渡戸稲造は言っている。 “武士道は日本の道徳的精神を確立した。 日本の精神的象徴を形作った” 新渡戸稲造の《武士道》という本は、日本人の武士道精神を詳しく説明したもので、武士道の本質や概念を分かりやすく書いてある。 新渡戸は本の中で、武士道を極力美化しているが、その叙述の中からも武士道精神の虚偽、頑なさ、残忍な本質が見て取れる。 武士道の中にこういう一文がある。 “武士道を基盤とした封建道徳は城が取り壊されると共に、灰のように消えてしまった。 しかし新しい道徳が不死鳥の如く立ち上がり、日本を導き新しい秩序を打ち立てていく。 ----------ただ忘れてはいけないことがある。 不死鳥は死んだ灰の中からのみ、新しい生命を得るのだ”

 

《武士道》は、1899年に出版された。 その時は、第一次、第二次大戦もまだ始まっていない。 その当時、武士道はもう“灰のように”消えていた。 しかし“不死鳥”は死んだ灰の中からのみ新しい生命を得るのだ。 第二次大戦になると、武士道はまた日本軍国主義として復活した! 武士道の復活は、全世界の人民特にアジア人民に重大な損害をもたらした! 日本は、全人類に対し許すことのできない大罪を犯した。!

 

日本が戦争に負け投降したため、武士道は軍国主義精神の支柱と象徴ということで、社会の表舞台から引き下ろされ、“灰のように”消えてしまった。 しかし武士道精神は決して消えてはいなかった。 看板を変えてまた新しい“不死鳥”として蘇り、戦後日本経済を奇跡的に発展させた。 武士道は死んでなどいなかった。 絶えず形を変え違う格好で現れるのだ。

 

正に新渡戸稲造が言ってるように、武士道は日本民族の精神的象徴であり、道徳精神の不死鳥なのだ。 この不死鳥が、日本を導き新しい秩序を打ち立てていく。

 

武士道の起源

 

武士道は、日本の封建社会の武士階級いわゆる侍者(さぶらう)から生まれた。 当時の支配階級は、政権を強固にするため摂関家や院を守る武士達を雇い、彼等に中国の仏教や儒家文化からその一部を引用したいわゆる“忠、義、仁、礼”の思想を植え付け、極めて忠誠心の強い性格を作り上げた。 また、日本神道の影響も加味され次第に主人に対する絶対的忠誠、自分に対する絶対的自己犠牲という異質な精神構造が出来上がった。 この精神構造は長い間歴史の中で絶えず称揚され補強され

、日本民族全体の精神と性格が形作られるに至った。 今日でも私達は日本人の仕事や生活のあらゆる場面で、その精神の一端を見ることが出来る。

 

日本は島国で歴史と文化はそんなに長くはない。 日本文化といわれるものも実際は、外来文化の変種といったものだ。 日本は外国文化と科学技術を吸収することには優れたところがある。 しかし日本民族は、自分の文化が他国からの文化に基づいているというのを恥ずかしくて認めようとしない性格でもある。

 

謙虚な気持で学んでいないから、他国文化が日本へ伝わるとすっかり変ったものになり、それを日本人が更に自分で加工してしまうので、日本文化といわれるものに、ちょっと違和感を感じてしまうのだ。 これが私達が日本文化を見て奇妙に感ずる原因だ。

 

たとえば日本の文字は、世界で一番ゴチャゴチャした文字ではないだろうか? 漢字のほかに仮名がありそれに英語も混じっている。 また例えば日本のアニメ《クレヨンしんちゃん》、子供物と思ったら、ドギツイものが延々と続く---------

 

日本はよくこの大和文化を、東洋文明の中で一番緻密で優れていると自慢している。 自分ばかりよいと思っていても、他国の人がそれをどう受け止めているかわかっていない。 

 

日本は明らかに小国であるのに、何かというと“大和民族”“大日本”などと言う。 だから世界の人に傲慢な感じを与えている。 このおかしなうぬぼれ意識は日本文化の発展と共にあった。

 

武士道にも同様なことがある。 武士道は中国の儒家と仏教の影響を受けている。 武士道が守るべき道義、信念のその大半は儒家と仏教の思想からのものだ。 武士道は中国の儒家と仏教思想を引き入れ、国家神道の教えも受けながら、一種異様な精神構造に転化し、不誠実、頑固、傲岸不遜、残忍非道、自己陶酔といった日本精神が作られた。

 

日本人は武士道を純粋な大和民族の精神的産物と思い、大和民族だけが武士道精神をこのように緻密で繊細で豊かで調和がとれたものとした。 たとえ相手を殺したり、自分が死ぬことがあったとしても武士道には“名誉”とか“大義”とかあるといって自己陶酔し、自慢気に語っている。 これら武士の行動は、本来の儒家や仏教から見れば間違いなく堕落した連中である。

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