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204 中国は見る(107)  日本新聞界の長老の反省 (上)

2006-03-08 22:27:59  主题:一位日本报界元老的反省

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日本の新聞界の最近の“大ニュース”は、新聞界の長老《読売新聞》主筆兼グループオーナー渡辺恒雄の“転向”である。

彼は日本人に第二次大戦を真剣に反省するよう呼びかけ、小泉首相の靖国神社参拝に公然と反対した。

これより先、去年6月に渡辺は《読売》に“国立の追悼施設の建設を急げ”との社説を載せ、間接的に小泉首相の公的に靖国神社参拝することに反対した。 続いて今年一月になって競争相手の《朝日新聞》若宮啓文論説主幹との新聞界二大巨頭による意外な対談が行われ、靖国神社やアジア外交などの問題について意見を交わし、その対談の内容を朝日新聞社の月刊誌《論座》に発表した。

2月11日には、渡辺はアメリカの《ニューヨークタイムス》の「時の人」にもなった。 その取材の中で、彼は以前の国粋主義の主張を改め、日本人に侵略戦争を真剣に反省するよう訴え、首相の靖国神社参拝に公然と反対を唱えた。

22日には、オーストラリア《シドニー・モーニング・ヘラルド》にも同様の記事が掲載され、渡辺は同様にきっぱりと、靖国神社と戦争博物館“遊就館”は第二次世界大戦と日本の歴史を誤って記述している。

更に驚いたことは、渡辺は《ニューヨークタイムス》の取材記者に、“小泉首相は歴史、哲学がわかっていない。 勉強していない。 教養もない。 無知だから、靖国神社を参拝して何がいけないんだ? なんて言うんだ、愚劣だよ” 外国に向かってこのように小泉首相を攻撃するのが、日本の保守勢力のスポークスマンだなんて誰が想像できようか?

渡辺の“転向”は新聞界を驚かせたばかりか、保守政界にも衝撃を与えた。 

小泉首相にとっては晴天の霹靂

渡辺は80に近いが、依然として日本の言論界で活躍している。 彼は《読売》で長期に亘り権力を握っており、また保守政界での一大旗手でもあり、その“転向”は奇想天外の効果はないとはいえ、外交で苦境に陥っている小泉首相にとっては正に青天の霹靂だった。

9月で政権を下りる小泉首相は、“有終の美”を飾りたかった。 そこに思いがけなくも、とんでもない程咬金(隋唐演義の猛将)が飛び出して来たようなものだ。 保守陣営と小泉劇場政治にとって、最終の見せ場となるところ、また小泉の復古計画にもケチがつき、戦後の首相として靖国神社参拝の再建計画も死産に見舞われそうだ。

日本には全国紙の新聞は5紙ある

販売量順で並べると、朝刊1000万部の《読売新聞》がトップ、続いて800万部の定期購読者がいる《朝日新聞》、その続きが400万部近い《毎日新聞》、300万部超の《日本経済新聞》、しんがりが約190万部の《産経新聞》である。

《読売》は、今、日本最大販売量を誇る新聞だけでなく、世界でもナンバーワンの新聞メディア王である。 しかし、日本で権威あるもしくは代表的な新聞とは認められていない。 それは、その立場が保守的でしかもあまり特色がなく、ただ標準的日本人から読まれているに過ぎないからだ。 

日本人の新聞購読の傾向としては、ビジネス関係の人は《日本経済新聞》を読み、インテリ・学界の人達は《朝日新聞》を読む。 そして一般の人が習慣的に《読売》をとっている。

新聞人として成功した立志伝中の人

渡辺は新聞人として成功した人で、同時に非常に波乱に富んだ人物である。 彼は1926年、東京に生まれる。 1945年7月、東京大学文学部に入学してすぐ召集され入隊。 当時、日本は侵略戦争の終わりに近づいていた。 天皇の終戦詔勅の二日前、軍隊を除隊され大学へ戻り学業を続けた。 大学を卒業すると同時に《読売》へ入社し記者となる。 長い新聞生活の始まりだ。 彼は政界の番記者からワシントン特派員となり、編集長、論説主筆、最終的に新聞主筆兼オーナーとなり、そのほかプロ野球“読売巨人軍”の球団オーナーとトントン拍子に出世した。

政治記者の時に多くの政界人と知り合い、その中には、後に首相となった中曽根康弘元首相もいた。 今でも緊密な関係にあるという。 《読売》は常に日本保守勢力を支持し、渡辺は民族主義の復興に全力を注いできたので、保守政界に強い影響力がある。

1994年、その彼が主導する《読売》は、改憲主張ばかりか私案《憲法改正草案》なるものまで率先して発表し、自衛隊を合憲の軍隊として認めるよう訴えた。 その後、メディアの一部にも追随するところが出てきて、一般の護憲の声が弱まり、政党の改憲の動きが政界にも吹き始めた。 全体的に保守化が進む中、《読売》は、一層煽り立てる役割を担っていた。

《読売》は保守から極右となった。 一つには日本全体を覆う保守化の影響を受けたこと。 二つには、渡辺個人の政治思想に左右されたため。

ある人の分析によると、渡辺は学生時代、戦争反対、天皇制反対、民主改革を求めるなど思想的には左傾だった。 1946年には、日本共産党に入ったという。 しかしその後、日本共産党を批判し党籍を除名された。 それ以来、日本共産党とは不倶戴天の間柄となった。

渡辺の最初の思想転向だ。 《読売》には右傾の記事が目立つようになった。

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