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武漢大学の桜は 是か非か?20060321210629d28f8 20060321210817ac248 200603212108339e567 2006032216231003180 20060321110841589de

2006032121065435937 主题:武汉大学的樱花是国耻吗?

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春3月 武漢大学の桜美しく咲き 見物客が殺到。 网易ニュース3月21日付の“武漢3月桜祭り”の写真特集は、“国恥派”と“花を観賞する派”との激烈な論争を巻き起こしてしまった。

武漢大学の桜は、大半が日本からやって来たものだ。

1938年、日本軍が武漢を陥落し、司令部と兵站部(後方勤務)を武漢大学に置いた。 そこで療養していた多くの傷病兵達の望郷の思いを慰めるため、同時に武力を誇示し、長期占領の意図を込め、1939年から日本軍は、日本本土から桜の木を移植し珞珈山(ラッカ山)に植えた。 これが今日の武漢大学の桜の由来である。 1972年、日中国交正常化に伴い、日本からまた何度か武漢に桜が贈られた。

《否定派》 恥だ、花じゃない

武漢大学の桜は、中国侵略の証拠だ。 特に武漢大学の桜は、移植した目的が日本兵士を慰めるものであって、彼等の士気を高め、引き続き侵略のため頑張るよう望んだものだ。 だからここの桜を、全国人民が“慕い”追い求めるものであってはならない。 敵が愛するものを、愛するなんて悲しいではないか。

桜は武士道精神を表すもの

桜は日本の国花であるばかりか、武士道精神の象徴である。 武士道精神を象徴するものが三つある。 それは“桜、刀、切腹”である。 日本の現代思想文化の先駆者・新渡戸稲造がこう言っている。 “武士道を象徴する桜は、日本固有のものだ” 彼等は、桜は美しさと団結を象徴し、同時に武士道が追及する“短くとも華やかに生きる心”を象徴していると考えている。

蓮もやめろ

この数年、桜は流行になってしまったようだ。 長江の南の人も北の人もみなこの武漢の桜を見ようとし、全国各地の公園にも桜を植える動きがある。 桜のデザインは、あらゆる品物に溢れており、桜を格好のいいシンボルと見ている者まで出る始末。 桜がなぜこんなに人気があるのか? 元は日本から来たことにその要因がありそうだ。 でも日本人が愛する花を、なんで中国がこんなにほめるんだ。 中国にだって上品な牡丹、優雅な梅の花、端麗な菊がある。 しかし、今の若い人達の目には野暮ったく見えるのだろうか? なんで蓮までありがたがるのか?

《賛成派》花として見ればよい 恥とは関係ない

桜の原産は中国だ。 全世界に50種類あまりの桜がある。 中国にはそのうち約38種類ほどあり、その次は日本、朝鮮、ビルマ、プータンなどでその他の種類が見られる。 しかし、鑑賞の桜となると日本が一番立派なことは間違いない。 日本の学者も“桜は中国から梅を持ち込むときに一緒に日本に来た”と認めている。 だから武漢大学の桜も実際は中国からのものだ。 

武漢大学の桜は、国恥教育のいい参考だ

武漢大学の学生は、別の角度から見ると、日本人が珞珈山(ラッカ山)に植えたこの桜で、国恥教育のいい参考になっていると言える。 その昔の武漢大学の周鯁生、李達などの諸校長が、この桜の木を切り倒さなかったのも、この考えによるものだろう。 数年前、学校側が“武漢大学の桜の由来”の看板を立て、観覧者にあの忘れがたい歴史を知らしめたことは、正に格好の愛国教育となった。

この桜は確かに憎むべき日本の侵略者が、中国の地に武力を誇示するための産物であったにせよ、その本体の桜に罪はない。 人々がそれをきれいだと思い、それを好ましく思うのは、桜自身の美しさによるものだ。

花は花であって、花に罪はない

人が犯した誤りは、人の誤りである。 桜を愛することと、日帝の中国侵略の暴挙に対する怨みとは、まったく別個のことと見るべきである。

ただ単なる自然観賞と民族の憎しみの気持ちを無理やり一緒にすることはない。 

《中間派》 桜に対してまで“怨みを忘れず”は、いいのではないか? 

桜は、武漢大学のであろうと、昆明のであろうと、また日本のであろうと、それはたかが花、植物に過ぎない。 歴史の紛争はさておき、花は花である。

“世界三大 桜の都”と称されるアメリカの首都ワシントンは、1912年に日本人から1870株の桜を贈り物として送られてから、ワシントンに根付き花を咲かせている。 この町は日本を除いて、世界で桜の木が最も多く、最も規模の充実したところである。 毎年3月下旬から4月上旬にかけてワシントンでは“桜祭り”(National Cherry Blossom Festival)が開かれ、日本の桜がアメリカに移植されたことを記念している。 

1941年、日本が真珠湾を奇襲し、アメリカが国を挙げて“この卑劣な民族”(アメリカ・ルーズベルト大統領の言葉)に対し猛烈に怒り、両国は太平洋の戦場で敵としてあいまみえることになった。 しかしアメリカ人は、このことで日本から贈られた桜の木に怒りをぶつけることなく、いつも通り桜祭りを行い、しかも常にワシントン地区の桜の範囲を増やしていった。 アメリカ農業部の下部組織・アメリカ農業研究院(ARS)は、常に新しい桜の品種を育成し、一般の人達の要求に答えている。

これによってもわかるように、中華民族であろうとアメリカ民族であろうと、それぞれの民族の文化の中には、寛容の心と豊かな気持ちがある。 “ホワイトハウスの前も桜が一杯”あるなら、私達も武漢大学の珞珈山(ラッカ山)の桜に、なんで“グズグズ”言うことがありましょうか?

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