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221 中国は見る(117)  中国 今日 日中関係について重要発言?

日本のメディア 胡錦濤国家主席が日中関係について“重要講話”を発表と報道

2006-03-29 05:06:45 日媒体称中国领导人将就中日关系重要讲话

来源∶东方网收藏此页网友评论4

日本の橋本龍太郎元首相が日中友好団体7団体のメンバーと共に、30日から3日間の予定で中国を訪れる。

中国外務省の秦剛スポークスマンは、昨日(28日)の定例記者会見で今回の訪問が“日中関係の改善と発展を推進することを希望する”と述べた。 その上で、その際中国指導者(胡錦濤国家主席)が中日双方の代表と会うことになると語った。

中国国際問題研究所晋林波研究員は上海東方早報の記者の取材に対し、“代表団は日本国内の対中友好組織を代表しており、話題の核心はやはり現在の中日関係になる。 一定の意義はあるものの、日本の政治に足しては大して影響はない” と語った。

中国側“重要表明”か?

秦剛スポークスマンは、中日友好協会の招きに応じて日本の日中友好7団体の会長一行が3月末中国を訪問し、中国側の関係団体責任者と民間交流の強化と、両国関係の発展を促進するため意見交換を行うと語り、中日民間の交流は両国人民の友好を深め、中日関係の改善と発展を推進する上で、非常に重要な意義がある。 我々は今回の訪問を極めて重視している。 今回の訪問がこの目標実現に役立つよう希望していると強調した。

報道によると、“日中友好議員連盟”など7つの日中友好団体会長から成る“知中派”訪中団で、日中友好協会会長、野田毅衆議院議員、高村正彦元外相等の重要政治家が含まれている。 両国の間では比較的規模が大きく、ハイレベルな会談である。

中国側もハイレベルクラスが対応する。 これは双方が両国関係の改善に一定の期待を抱いている表れである。

晋林波研究員はこう分析している。 “中国について言えば、これには積極的理由がある。 今回双方は現在の中日関係について一定の態度表明をする。 中国は多分、国際社会に向かって、中日関係についての

態度と立場をはっきり表明し、両国関係の発展を促進する動きをとるはずだ。 日本のメディアは、胡錦濤国家主席が講話形式で中日関係に対する「重要発表」を行い、日本国民に「メッセージ」を送り、日本国内の理解を得ようとするのではないかと報じている”

中日関係の新しい中味を探る

代表団の関係者が語るところによれば、中日両国の理解の相違から、会談内容の発表に齟齬がないようにと、代表団のメンバーの一部の人が、24日、王毅駐日大使と会談を行い、胡錦濤国家主席が発言する時、小泉首相の靖国神社とA級戦犯問題には触れないことを申し入れたという。 聞くところでは、日本側は31日午前中国側友好団体と会談する時、靖国神社などの具体的問題を討論し、午後は胡錦濤国家主席との会談の中で“正面の話題”(プラスになる話題)を話すことを提案したという。

晋林波研究員は、“日本の政界には靖国神社問題に違う意見を持つ者もいる。 今回双方は、主に靖国神社以外の中日関係の諸問題を話すことになろう。 しかし靖国神社は中日関係の膠着状態のネックになっている。 日本はこの問題で譲歩することはまずない。 従って中日関係は当分の間、実質的改善は難しい。 だからこそ、橋本の今回の訪中は中国に対する友好の目玉になるものであり、またこれは、日本側の別の政治勢力の靖国神社に対する反対の態度を反映したものである。

橋本元首相の訪中は三重の意義がある

今回の訪中代表団橋本龍太郎団長の役割について、晋林波研究員は“三重の意味があるという。 一つは、橋本は日本の元首相である。 これは今回の訪中は現首相に次ぐハイレベルであることを意味している。 彼は日本の政治界の代表である。 また別の面からいうと、橋本は自民党有力派閥の代表的人物である。 そして知中派政治グループ田中派の代表でもある。 そのほか橋本は日本国際貿易促進協会会長であり、友好議員連盟を代表し対中積極態度をとっている。

中国側は日本のそれぞれの代表団を区分けして対応しており、小泉首相に対し目に見えない圧力を加えている。 例えば、2月21日商務部薄煕大臣の招きで訪中した、二階俊博経済産業大臣には温家宝首相が接見した。 これで十分その意味がわかろう。

2001年、小泉首相が登場して以降、毎年靖国神社を参拝したため、中日関係を国交回復以来最低の状況に落ち込ませ、中日首脳の相互訪問が中断したままとなっている。

中国外務省の秦剛スポークスマンは、27日、日本の共同通信社の取材に対し、中国トップ会談は、“適切な雰囲気が必要”と答え、“中国側の立場にはいかなる変化もない”と強調した。                                              

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220 中国の三面記事を読む(10) 京都・奈良を空襲から守った中国人・梁思成 ②

梁思成の一言が日本の二つの古都を救う《下》

2006-03-20 21:15:01 主题∶粱思成一语救下日本两古城!

本文网址://http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=419666

長い年月が過ぎた。 事実を知っている梁先生は、ほとんど口をつぐんだままで、誰もアメリカ軍の日本空襲と中国のあの蒸し暑い夏、上清寺の中の忙しさを結びつける者はいなかった。

あの先生に従って、初めて大都市に行きそれなのに山城(重慶)の美しい姿を見る機会もなかった羅哲文も、あの小さな部屋で汗を流しながら描いたその当時の記憶も次第に薄れてしまった。 と言うのも要するに、彼は先生の後について回る時間が長く、先生の補助的仕事ばかりで、この件やほかの多くのことも含め、当時は何も特殊なこととは見ていなかったのだ。

しかしあの時から42年たった1986年に、羅哲文は招待されて日本を訪問した。 奈良で開かれた“都市建設に際し、歴史的文化遺産をどう保護するか”の国際学術研究学会で、彼は奈良の考古研究所の研究員菅谷先生と出会った。 菅谷先生は、羅哲文が若い頃梁思成に学んでおり、しかも1944年前後、梁先生と一緒だったということで彼にある事を熱っぽく語った。 菅谷が話したことは、第二次世界大戦後期アメリカ軍が日本に爆撃を加えて、東京、大阪などの都市は猛烈な爆撃を受けていたが、古い建造物が沢山ある京都、奈良だけは難を免れた。 その原因については諸説紛々言われていた。 菅谷は羅哲文に、このことについてはアメリカ軍の中にいる学者の提案だと言う人もいましたが、私は以前日本に来た北京大学考古学主任宿白先生から打ち明けられたことがあるんです。 そのお話によると、このことは梁思成先生と関係があるというのです。 というのは、1947年梁先生が北京大学で講義を行った時、歴史的文物は人類共通の文化遺産だと話された時、抗戦中のことに触れられ、日本の古都を守るため梁先生がアメリカ軍に京都、奈良を爆撃しないよう提案したことを例に挙げた。 これは宿先生が自分の耳で聞かれたということです。

梁思成は日本で生まれ、また日本で長いこと暮らしており、古都京都、奈良についても詳しく知っていて、そこの文化遺産に特別深い思いを抱いていた。 それに彼が一貫して主張していたことは、古い建造物と文化財は人類の共通の財産であり、人類は共通して保護する責任があるというものでした。 ですから彼の提案は当然なことであり、彼の性格と理念に符合するものです。

菅谷先生のこの問いかけにより、あの重慶で図面を描いていた時のことが羅哲文の記憶の中に甦った。 当時描いた図面は文化財の旧跡に関するものであり、また京都、奈良などにも関わっており、これで真相がはっきりした。 1944年の夏、彼等師弟が重慶の上清寺で忙しくしていたことと、日本の京都と奈良が爆撃を免れたこととは、正に密接な関係があった。

42年後、ついに真相が明らかになった。 梁思成先生が国境を超え、人類共通の文化遺産を守った功績は歴史の記録に残されることになった。 日本全国の人々は京都、奈良の大量の国宝が保護された真実の理由を知り、梁先生を“古都の恩人”と称賛した。 と同時に、この世界的意義のある仕事に携わった羅哲文も京都と奈良の人から感謝された。

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219 中国の三面記事を読む(9) 京都・奈良を空襲から守った中国人・梁思成 ①

梁思成の一言が日本の二つの古都を救う 《上》

2006-03-20 21:15:01 主题∶粱思成一语救下日本两古城!

本文网址://http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=419666

1944年の夏、一艘の竹の筏が中国の有名な建築家・梁思成を載せ李荘から重慶の朝天門港に着いた。 今回は避難でもなく、脱出でもない、同盟軍司令部の招きを受けてきた。 その当時、同盟軍は敵の占領区と日本本土の爆撃を準備していた。 同盟軍司令部は、梁思成に爆撃の際、どの文化財を守るべきか意見を求めた。 梁思成は直ちに同盟軍司令部に対し、図面にハッキリとわかる赤丸をつけて提出した。 そして梁思成は、こう言った。 “あと二つの町を保護するよう希望します。 しかし、この町は中国ではありません” アメリカ人はその時奇妙に思い、どの町か訊いた。 梁思成は、“日本の京都と奈良です” 梁思成のこの提案について同盟軍司令部は即答しなかった。

1945年夏、米英など各国は太平洋上に200万の軍隊を集結させた。

日本に対しては、引き続き空襲を行っていた。 梁思成の依頼により、日本の京都、奈良は爆撃を免れた。 日本の古い建造物が多い二つの大切な古都は、こうして保存されることになった。

梁思成の子、梁従誠はある時日本の講演で、“私の父が出したこの提案はとても簡単なことではありませんでした。 というのは、私達身内には抗日の前線で二人亡くなった者がいたからです” 場内の日本の聴衆は梁従誠の話を聞いてしんと静まり返った。

忙しさと緊張が秘密を封印

1944年、世界的規模で戦争に対する転機が訪れた。 ソ連赤軍はドイツに壊滅的打撃を与えた。 英米連合軍はフランスのノルマンディーに上陸し第二戦線を形成していた。 太平洋地域では、アメリカは軍事的歩調を速めると共に、日本本土に大規模な爆撃を始めた。 この時、羅哲文は梁先生の個人指導を受け、図面の仕事のエキスパートになっていた。

真夏のある日、梁先生は羅哲文に重慶に一緒に行って、彼の仕事の手助けをするよう頼んだ。 羅哲文は喜んだ。 重慶は大きな港があり、戦争中の臨時首都だった。 彼はまだ行ったことがなかった。 彼等は重慶の上清寺にある中央研究院に住むことになった。 羅哲文は作業室兼ベッドのある一部屋に住んだ。 梁思成は別の建物の方に住んだ。

毎日、梁先生は図面を持ってきて羅哲文に渡した。 梁先生が先に鉛筆で印をつけたところを、製図道具を使って正式な地図を作成するのだ。

羅哲文は図面の詳しい内容は訊かなかったが大体見ればわかった。 地図は日本に占領されている地域が多かった。 梁先生が鉛筆で印をつけたところは、すべて古都、古い町、古い建造物の場所だった。 また一部の地図は中国でないものもあった。 当時、羅哲文は詳しく認識してなかったが、2ヶ所印象に残ったものがる。 それが日本の古都、京都と奈良だった。 梁先生はなんで日本の地図にこんなに細かく印をつけるんだろう? こんな地図を作って、一体どんな用途があるのだろう?

羅哲文には皆目わからなかった。 こうして羅哲文は上清寺の一間で、一ヶ月ばかり脇目もせず一生懸命頑張った。

アメリカ軍が日本本土に攻撃を始めた時、日本軍の頑強な抵抗にあった。

日本はほとんど全ての街が、アメリカ軍の空襲により至る所破壊された。

聞いたところでは、その当時の日本人も京都、奈良は必ず爆撃に遭うだろうと思っていた。 だから日本人は当時最悪を想定し、特に価値のある歴史遺跡を保存するため、有名な京都御所の長い廊下全部を解体したそうだ。 しかし日本人も意外に思ったのは、米軍機が天地を覆い隠さんばかりに爆撃を繰り返す中、奈良と京都の二つの古都だけが、奇跡的に一度も空襲を受けなかったことだ。

日本人は梁先生を“古都の恩人”と呼んでいる。

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218 中国の三面記事を読む(8) 武漢の桜 (下)

桜と刀

 

2006-03-23 17:43:38 主题∶樱花与武士刀

本文网址: http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=422748

 

3月の武漢は、風も穏やかで暖かく柳絮が飛び交う頃で、桜祭りも丁度この頃開幕される。 珞珈山の上にある東湖桜の園には、桜が花開き、当分の間見物人で込み合う。

 

しかし、大勢の人が満開の桜の下でその美しさに酔いしれている時、桜の血筋から、この花見騒ぎに疑問を投げかける声が聞こえる。

 

理由は、こういうことなのです。 1938年、日本軍が武漢を陥落した。 武漢で療養中の大勢の傷病兵の望郷の念を慰めるため、また、武力を誇示し長期占領の意図を示すため、1939年から、日本軍は日本本土から桜を移植し珞珈山の上に植えた。 これが今日の武漢の桜の由来である。

 

そこで異議を唱える人達は、“見物客が今日見ている桜は、昔、武漢を陥落した日本軍が植えた桜だ。 このような桜は、国の恥だ。 うかれるべきではない”

 

またある人は、桜は日本の国花であるばかりか、武士道の象徴だという。

 

だが私はこう思う。 確かにあの時代、武士道精神は日本軍国主義の道具だった。 桜はというと、軍国主義の戦旗の引き立て役に過ぎない。

もうちょっとはっきり言うと、日本の武士道精神の元をたどれば、日本の支配階級が一番称賛したのは、主人のために命を投げ出す奴隷精神だ! それが後になって侵略戦争の時には、最高統治者天皇に対し命を捧げることになった。 中国文化から多くのことを学んだ日本人ではあるが、継承したのは始皇帝に始まる愚民政策だった。 武士道精神の讃歌と継承は、日本が最も成功した愚民政策の実例だ。 武士道精神は日本の下層社会の人々の精神的首枷となった。 支配階級が大いに称賛した目的は、自分の身を捨てる奴隷を続々と育て上げることだった。 支配階級が、意識的に武士道精神と軍国主義思想を合体させた時、この首枷をつけられた人々は、最終的には徹底的に狂った、理知と人間性を喪失した軍国主義分子とならざる得なかった。

 

私は以前矛盾に思ったことがある。 あの血に飢えた民族が、なんでこんなたおやかで清らかな桜が好きなんだろう!

 

桜と刀は、どうして一緒に結びつくようになったのか?

 

中国人の頭が、刀の下に転がったのを見た時、鮮血が飛び散るのと同時に血のにおいを嗅いだ気がした。 “ずっと今日まで、自分が過去に犯した民族の数々の行為を正視し認める勇気がなかった” と言う場面を見た時、私はハッキリとこれは精神的に弱い(或いは読者の中には『嘘』と思う人がいるかもしれない)民族だと思った。

 

桜の花のやさしい純潔さと芳しさは、あの血のしたたる刀から見えてくる、ゾッとする殺気と血生臭さを覆い隠すのに、これ以上ふさわしいものはない。 だから、桜と刀は一緒に結びつくようになった。

 

小さい時見た抗日テレビドラマで、今でも覚えているシーンがある。 極悪非道な日本軍が太行山の根拠地を掃討する時の血生臭い場面で、その時日本人が、“日本の桜を太行山中に咲かせよう” と言っていた。

桜のあるところでは、私はつい何かしらヒヤッとした、また中国人の血がしたたる刀を連想してしまうのです。

 

だからといって、桜の血筋をもって排斥したり、桜の美しい存在を差別視してもいいのだろうか?

 

考えてもごらんなさい。 桜のほかに日本の侵略者は中国の土地に何を残しましたか?

 

残ったのは、蹂躙された八千里のメチャメチャになった山河、そして何千何万の失われた人の魂! 千里にも亘る墓と白骨の山。 爆弾と化学兵器。 それに南京大虐殺記念館の中の、今見てもまるで血の痕がみえそうな------------

 

残されたものの中で唯一、桜の花だけが私達に美しいと感じさせてくれるが、その他はすべて冷酷、陰惨、血生臭い、そして悲しみばかり----------

 

武漢大学はよくやってくれた。 桜の下に“武漢大学桜の由来” という看板を立て、見学者にこの永久に消すことの出来ない歴史を説明している。 私達は桜の美しさを楽しむと共に、今日満開の桜を見る素晴らしい生活を大事にするべきである。 そして、この素晴らしい生活がどうしてできるようになったか、その大変な労苦についても忘れてはいけない。 また桜の後ろには、氷の刃---刀の切っ先が光っていることも忘れてはいけない。

 

2006年3月23日 午後5時

 

広州にて 楚瀟

 

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217 中国の三面記事を読む(7) 武漢の桜 (中)

武漢大学の桜は 是か非か?20060321210629d28f8 20060321210817ac248 200603212108339e567 2006032216231003180 20060321110841589de

2006032121065435937 主题:武汉大学的樱花是国耻吗?

网易Net Ease  www.163.com

春3月 武漢大学の桜美しく咲き 見物客が殺到。 网易ニュース3月21日付の“武漢3月桜祭り”の写真特集は、“国恥派”と“花を観賞する派”との激烈な論争を巻き起こしてしまった。

武漢大学の桜は、大半が日本からやって来たものだ。

1938年、日本軍が武漢を陥落し、司令部と兵站部(後方勤務)を武漢大学に置いた。 そこで療養していた多くの傷病兵達の望郷の思いを慰めるため、同時に武力を誇示し、長期占領の意図を込め、1939年から日本軍は、日本本土から桜の木を移植し珞珈山(ラッカ山)に植えた。 これが今日の武漢大学の桜の由来である。 1972年、日中国交正常化に伴い、日本からまた何度か武漢に桜が贈られた。

《否定派》 恥だ、花じゃない

武漢大学の桜は、中国侵略の証拠だ。 特に武漢大学の桜は、移植した目的が日本兵士を慰めるものであって、彼等の士気を高め、引き続き侵略のため頑張るよう望んだものだ。 だからここの桜を、全国人民が“慕い”追い求めるものであってはならない。 敵が愛するものを、愛するなんて悲しいではないか。

桜は武士道精神を表すもの

桜は日本の国花であるばかりか、武士道精神の象徴である。 武士道精神を象徴するものが三つある。 それは“桜、刀、切腹”である。 日本の現代思想文化の先駆者・新渡戸稲造がこう言っている。 “武士道を象徴する桜は、日本固有のものだ” 彼等は、桜は美しさと団結を象徴し、同時に武士道が追及する“短くとも華やかに生きる心”を象徴していると考えている。

蓮もやめろ

この数年、桜は流行になってしまったようだ。 長江の南の人も北の人もみなこの武漢の桜を見ようとし、全国各地の公園にも桜を植える動きがある。 桜のデザインは、あらゆる品物に溢れており、桜を格好のいいシンボルと見ている者まで出る始末。 桜がなぜこんなに人気があるのか? 元は日本から来たことにその要因がありそうだ。 でも日本人が愛する花を、なんで中国がこんなにほめるんだ。 中国にだって上品な牡丹、優雅な梅の花、端麗な菊がある。 しかし、今の若い人達の目には野暮ったく見えるのだろうか? なんで蓮までありがたがるのか?

《賛成派》花として見ればよい 恥とは関係ない

桜の原産は中国だ。 全世界に50種類あまりの桜がある。 中国にはそのうち約38種類ほどあり、その次は日本、朝鮮、ビルマ、プータンなどでその他の種類が見られる。 しかし、鑑賞の桜となると日本が一番立派なことは間違いない。 日本の学者も“桜は中国から梅を持ち込むときに一緒に日本に来た”と認めている。 だから武漢大学の桜も実際は中国からのものだ。 

武漢大学の桜は、国恥教育のいい参考だ

武漢大学の学生は、別の角度から見ると、日本人が珞珈山(ラッカ山)に植えたこの桜で、国恥教育のいい参考になっていると言える。 その昔の武漢大学の周鯁生、李達などの諸校長が、この桜の木を切り倒さなかったのも、この考えによるものだろう。 数年前、学校側が“武漢大学の桜の由来”の看板を立て、観覧者にあの忘れがたい歴史を知らしめたことは、正に格好の愛国教育となった。

この桜は確かに憎むべき日本の侵略者が、中国の地に武力を誇示するための産物であったにせよ、その本体の桜に罪はない。 人々がそれをきれいだと思い、それを好ましく思うのは、桜自身の美しさによるものだ。

花は花であって、花に罪はない

人が犯した誤りは、人の誤りである。 桜を愛することと、日帝の中国侵略の暴挙に対する怨みとは、まったく別個のことと見るべきである。

ただ単なる自然観賞と民族の憎しみの気持ちを無理やり一緒にすることはない。 

《中間派》 桜に対してまで“怨みを忘れず”は、いいのではないか? 

桜は、武漢大学のであろうと、昆明のであろうと、また日本のであろうと、それはたかが花、植物に過ぎない。 歴史の紛争はさておき、花は花である。

“世界三大 桜の都”と称されるアメリカの首都ワシントンは、1912年に日本人から1870株の桜を贈り物として送られてから、ワシントンに根付き花を咲かせている。 この町は日本を除いて、世界で桜の木が最も多く、最も規模の充実したところである。 毎年3月下旬から4月上旬にかけてワシントンでは“桜祭り”(National Cherry Blossom Festival)が開かれ、日本の桜がアメリカに移植されたことを記念している。 

1941年、日本が真珠湾を奇襲し、アメリカが国を挙げて“この卑劣な民族”(アメリカ・ルーズベルト大統領の言葉)に対し猛烈に怒り、両国は太平洋の戦場で敵としてあいまみえることになった。 しかしアメリカ人は、このことで日本から贈られた桜の木に怒りをぶつけることなく、いつも通り桜祭りを行い、しかも常にワシントン地区の桜の範囲を増やしていった。 アメリカ農業部の下部組織・アメリカ農業研究院(ARS)は、常に新しい桜の品種を育成し、一般の人達の要求に答えている。

これによってもわかるように、中華民族であろうとアメリカ民族であろうと、それぞれの民族の文化の中には、寛容の心と豊かな気持ちがある。 “ホワイトハウスの前も桜が一杯”あるなら、私達も武漢大学の珞珈山(ラッカ山)の桜に、なんで“グズグズ”言うことがありましょうか?

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216 中国の三面記事を読む(6) 武漢の桜 (上)

武漢東湖の桜美しい姿お披露目 桜祭り開幕

2006-03-21 10:56:24 武汉东湖樱花展新姿樱花节拉开帷幕

来源:新华网收藏此页网友评论1705

東湖の桜 春を迎え花ほころぶ

最近、武漢の気温は連日上昇し、東湖の梅がまだ“終わっていない”のに、桜がもう“登場”してきた。 梅と桜が競い合い、正に“梅、桜 美しさを競う”といった美景である。

新華ネット武漢3月21日電: 陽春3月、武漢の東湖の桜が花開き、笑顔を振りまいている。 21日、武漢の桜祭りが開幕した。 千余人の観客が桜のあでやかな姿を見に訪れた。 武漢東湖の桜の園内は150畝(約3万坪)で、日本の弘前の桜、アメリカのワシントンの桜と並び、“世界三大 桜の都”と称される。 園内はすべて日本式の公園設計を採用しており、太鼓橋、小島、置石、水車などの景観も、桜の花とすっかり溶け込んでいる。 

30品種、5000株あまりの桜が、園内に植えられており、八重桜、関山桜、雲南早桜などの桜の絶品も見られる。 園内に植えられた桜は、早咲き、中咲き、遅咲きとそれぞれうまく配分されており、花の見頃は20日間位あり、観客は美しい雲のような桜や、重厚でふくよかな桜、また仇っぽいしだれ桜、そして満開のあとの風に吹かれてハラハラ散っていく落下の桜のなまめかしさなどに心ときめかされるに違いない。

武漢の桜祭り 期間は25日間 

観客、特に恋人達のため夜間も開放しており、最新の照明設計を採用し、桜の木の下には色とりどりの提灯も吊るし、桜の美しさを際立たせている。 その光の中の桜には神秘感があり、観客は一層ロマンチックな気分を味わうことができる。 また、桜の木の下では灯篭流しもしたり、世界三大桜祭りの写真展や桜の種類の紹介などの展示も行っている。

中国の桜の名所

現在中国では、武漢以外にも多くの都市で桜が見られるようになった。

有名な桜の名所としては、北京の玉淵潭公園、遼寧旅順の龍王塘水庫公園、青島の中山公園、南京の中山陵、玄武湖、古林公園、蘇州の上方山、無錫の太湖頭渚風景区、杭州の太子湾、武漢東湖磨山桜花園、武漢大学校園、昆明の通山、台湾の阿里山など。 これらは人々が春のピクニックを兼ねて桜見物する絶好の場所となっている。

《北京》 玉淵潭公園

見所: 園内には中日両国の桜が1200株ほどあり、毎年春になると満開の桜で、北京のホット・スポットとなる。

《青島》 中山公園

 見所: 青島の桜は、日本を除いて桜が沢山植えられている場所で2万株ある。

《昆明》 雲南省昆明動物園通山

 見所: 数千株の雲南桜、日本の桜が紅白に混じって壮観である。

中国も桜の産地

早くは秦漢の頃、宮廷の庭に植えられ、唐の時代には一般の家の庭でも普通に見られるようになった。 桜は美しくかつ優艶で、昔から文人墨客に愛された。 “桜花”という言葉は、最初に唐の李商隠の詩 “何処哀箏随急管 桜花永巷垂楊岸” で詠まれ、その後も多くの詩人によく詠まれた。 

例えば、唐の白居居、呉融士、宋の王安石、何耕、元の郭翼、明の于若瀛、清の呉其浚などの人が詩文の中で、“桜”に触れている。

心も散文《桜花賛》を書いているし、葉聖陶にも《桜花精神》という本がある。

日本の桜

桜は日本では1000年以上の歴史があり、早くから花見の習慣があった。 7世紀の持統天皇は、特に桜が好きで何度も吉野山の桜を観賞されたという。 そのほかにも、日本の歴史上初めての花見は9世紀の嵯峨天皇が開催されたという。 最初の頃、花見は上流階級で行われていたが、江戸時代(1603年―1867年)になると、一般にも普及して伝統の民間風俗となった。

花見の頃ともなると、人々は家族連れ、友人グループで酒やつまみ、料理を持ち込み、桜の下に坐って、花を楽しみながら、飲みかつ食べそして語るのを、人生最大の喜びとしている。 日本では、桜の木には神が宿ると見ていて、人々は桜の下に酒やお供えをして、天候が順調で五穀豊穣を祈る。 現在、桜見物と酒宴は必ず付き物で、桜と酒は切り離せないものとなっている。

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215 中国の三面記事を読む(5) 日本の学者 重慶・金佛山で稀少植物を盗む

2006-03-20 12:39:32 日学者重庆金佛山偷珍惜植物

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zongri&i=419114

重慶晩報発: 本月2日、日本の一旅行者が、団体ツアーから勝手に離れ南川市金佛山に行き、貴重な植物、巴山榧(巴山カヤ)、紅豆杉を盗採したところを公安部門に現行犯逮捕された。

同日午前、市の公安出入国管理局は南川市公安局に緊急の連絡をした。 日本の団体ツアー客の一人が、昨日午後突然いなくなり行方がわからなくなった。 たぶん金佛山へ行き、巴山榧、紅豆杉という植物を探しに行ったと思われる。

警察は早速金佛山にある三泉薬物研究所に連絡を取り、巴山榧、紅豆杉が世界でも珍しく、国家重点保護になっている稀少植物で、国外持出し禁止品目になっていることがわかった。

南川警察は直ちに捜査を開始、そのX旅行者が同市の川沿いのホテルに宿泊していることを確認した。 X氏は朝食をすました後、一人で金佛山の北の麓に行き、真面目そうな地元のガイドを雇った。 X氏は、山に登る途中、中国語でガイドとずっと話し続けた。 そして金佛山の壮大な景色をしきりに感激していた。 金佛山の一番高い所で風に吹かれながら、何気ない様子で、巴山榧、紅豆杉を採集し、その後そそくさとロープウェイに乗って下山し、バスに乗って南川市内に戻った。

警察は事前に準備していて、X氏のガイドをした地元の住民も実は南川市公安局の捜査官が扮装していた。 事件の情報はすぐ上部に報告されていた。 南川市公安局の張暁華局長は緊急指令を発動し、“しっかり追跡し、国宝を必ず取り戻せ!” と命じた。 23名の警察官が直ちに各ホテル、駅などに配備された。

X氏が川沿いのホテルに戻り、彼がバッグを下ろし植物を取り出し眺めようと思った時、ドアーが“カチャ”っと開いて、警察官と植物の専門家が同時に彼の前に現れた。 X氏の手から巴山榧、紅豆杉が床に落ちた。 外事警察官は中国語と英語で、X氏に質問した。 X氏はしどろもどろになった。 はっきりした証拠があるため、X氏は巴山榧、紅豆杉が中国の法律で保護されている貴重な植物で、国外への持ち出しが禁止されていることを知っていると認めた。 

X氏は日本の生態学の学者で、巴山榧、紅豆杉を日本へ持ち帰り薬用にするつもりだったと語った。 X氏は公安出入国管理局へ身柄を移された。 同時にその採集した巴山榧、紅豆杉は没収された。 この事件の状況はすぐ公安と外務の上部に報告された。 両部門は合同で、X氏は「歓迎できない人」として3日以内に中国を退去するよう命じた。

外国の人がよく金佛山へ木を盗みに来る

金佛山は珍しい植物の宝庫で、よく外国人が高望みをする事件が後を絶たない。 警察によれば、金佛山で巴山榧、紅豆杉など稀少樹の盗伐容疑で検挙した件数は数多いという。

去年10月15には、日本の森林学の某博士が金佛山で50センチほどの巴山榧の枝3本を切り取り、日本へ持ち帰り標本にしようとしたのを、警察に通報された。 警察は枝を没収した上、みっちり自己反省させ、重慶から退去させた。

巴山榧は国家2級の保護植物に指定されている。 大きいものは長さ10メートルあまりの高さがあり、葉は細長く、最初の頃は緑色をしているが、その後しだいに黄緑色或いは黄色に変色する。 実は、まるで卵のようで、普通9月から10月頃成熟し、油を搾ることが出来る。 木質は堅く、上等な木材である。

紅豆杉は別名:紫杉とも赤柏松とも呼ばれている。 世界でも公認されている絶滅品種の稀少植物で、第4氷河期の遺物の古い樹木で、地球上に250万年の歴史を有する。 紅豆杉の実は成熟すると、外側は赤く、内部は鮮やかで、枝いっぱい赤い実をみのらせ、色鮮やかで目を奪わんばかりである。 まるで王維の“相思”の詩、“紅豆生南国 春来発幾枝”のようなので、この名前になった。 紅豆杉は国家2級の絶滅の危機にある植物である。

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214 中国は見る(116)  憤青になった理由 (下)

留学生宿舎でのある体験 (下)

2006-01-12 19:30:52 :我在留学生公寓的一次经历

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=361838 

日本人が反論の言葉を考えていた丁度その時、外からノックがして、中国のクラスメートが入ってきた。

“竹田さん、ここにいたんですか?” 彼は、その日本人に日本語で話しかけた。

“うん、XX(その人のために名前は伏す)、なあ、釣魚島って中国か、それとも日本かい?” 小日本はずる賢く中国語でその友人に訊いた。

“釣魚島は、今はまだどの国とは確定してないでしょう。 でも俺は日本だと思う。 君達日本人は島に灯台を建てたんじゃないの? 青年が何人かで建てたって聞いたことがある。 ずいぶん勇敢だな。 日本の武士道精神が外国人からも評価されるわけだ” その中国の学生はへつらうように答えた。

私の体中の血が、頭にカッと上った。

“ほら、よく聞けよ。 お仲間の中国人さえこう言ってるじゃないか” 日本人は、得意満面だった。

“私は、今、なんで中国にこんな漢奸が多いのかわかった。 今は、あんたとケンカはしない。 あんたに触ったら、自分の手が汚れてしまう。  軽蔑するだけだ”

私は中国のクラスメートを見つめながら、一言一言はっきり言ってやった。 韓国の友達が後日語ったことによると、その時私は、人を殺さんばかりの形相だったという。

“日本は中国よりいいところが沢山ある。 でなければ、なんであんなに多くの中国人が日本へ留学に来たり、日本の会社に働きに来るんだ。 あの憤青だって抗日デモに参加した翌日、日本の大企業の募集申込書に記入してるんだ。 なぜだい?”

“日本が中国よりいいんだったら、あんたはなんで中国へ留学に来たんだ?” 私は、彼の前半の問題についてはなんとか反論したものの、後半の問題については答えなかった。

“俺達日本人が中国へ留学するのを、本当に中国のことを勉強に来てると思っているのか? 中国の兵法書に「己を知り、彼を知らば、百戦殆(あや)うからず」ってあるじゃないか” 日本人は軽蔑したように笑った。

“そうですか? 今、中国はまだ日本に敵わない所が沢山あるけど、待ってなさい、いつの日かきっと、どの方面かわからないけれど、中国が日本を超える時がきます。 中国人の中に、日本人にへつらう奴がいるけれど、そんな奴は少数だ。 森が大きければ、いろんな鳥が沢山住めるわけで、これは自然の定めだ。 日本民族について、ますます多くの人が警戒し始めている。 祖国が私達を必要とする時、愛国中国人は続々と現れる。 あんたが信じなくてもいい、待ってなさい。 でも短命じゃみられないかもしれない”

私は昂然とこう言うと、日本人と中国の学生があぜんと見守る中、部屋を出た。 その日から私は奮青(憤りから奮起した青年)になった。 

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213 中国は見る(115)  憤青になった理由 (上)

留学生宿舎でのある体験 (上)

 2006-01-12 19:30:52 :我在留学生公寓的一次经历

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=361838 

私は学校から、韓国留学生の中国語教師を命ぜられ、留学生宿舎によく通っていた。 ある時、そこの部屋で見慣れぬ顔に出会った。 最初は韓国の学生だろと思って気にも留めていなかった。 私は儀礼的に中国語で“今日は”と挨拶した。 私が知っている韓国の留学生は、大変礼儀正しく、私達を見ると中国語で挨拶するし、女子学生はなおさらおとなしく優しい感じだった。 その上90度のお辞儀までしてくれた。 その見知らぬ男は、傲慢な態度で見下したように私を見ると、横柄にうなずいた。

“彼はあなたのクラスメート?” 私は韓国人を引っ張って訊いてみた。

“そうだけど、彼は日本人です”

みんな韓国人は反日だと思っているでしょう。 でも実際は違うんです。

韓国人の多くは日本人を恨んでもいないし、特別好きというわけではないけど、中国人に対するよりは仲がいいんです。

その男が日本人だと聞き、また彼の横柄な態度を見て、私はすぐこの部屋を出ようと思った。

“おい、英語話せるか? 中国人の英語っておかしいんだよな。 こんな大きな国でちゃんと英語はなせる奴いないんだから” あの日本人が突然英語で話しかけてきた。

“私達は中国人です。 なんで英語を話さなきゃいけないんです? 私達は自分の母国語に誇りとプライドを持っています。 英語は交流の手段です。 あなたは中国人の英語がヘタだとおっしゃいましたが、あなたの英語の発音に問題があるからですよ。 日本人はあなたのように発音に問題があるようですね” 私も英語で答えた。 日本人はすぐには答えなかった。

私が玄関まで来た時、その日本人は今度は180度がラット態度を変え、改まった様子で、“もうちょっと話しませんか?”

“いいですよ” 私は日本人がどんな話をするのか聞きたくなった。

“あなたは憤青(怒れる青年)ですか?” と突然中国語を話した。

“私は理青(理性的な青年)です”

“中国政府はちょっとやりすぎと思いませんか? 我国の首相が自分達の祖先の位牌と民族の英雄を祀っている靖国神社を参拝するのに、あなた達はなんで怒るんです? 日本軍が当時中国へ入ったのは、お国を助けて自由民主の国を建設するためでした。 満州国は私達の援助により発展したじゃないですか? あなた達が言う南京大虐殺は、今もって死者の人数は確定されてないのに、どうして根拠もなく30万人というんです?” 日本人はもっともらしくまくし立てた。

“あなたのいわゆる民族の英雄は、他国の人民を血で汚した殺人者ということを知らないことはないでしょう。 あなた方は、日本軍は当時中国に進入したというんですか? 満州国は中国最後の皇帝が”復辟の夢”を持っただけです。 東北(満州)人民は日本の侵略に反対し続けました。 南京大虐殺には確かな証拠があります。 それでも否定しようと言うんですか?“

“自分の祖国のため戦った戦士を、私達は英雄と思っています。 戦争は、戦争は誰が正しく誰が間違っているなんて言えますか? あなたは知ってますか? 私達日本人は寛大なんですよ。 アメリカ人が日本に原子爆弾を落とし、あんなに沢山死んだけれど、アメリカに謝罪を要求したことなんかない。 我々日本政府はとっくにあなた方中国政府に謝っているのに、なんであなた達は止めてくれないんですか?”

“強盗があなたの家に入り、あなたの妹を強姦し、両親を殺害し、家財を残らず奪っていたら、あなたは強盗を捕まえて、法廷に訴え出るでしょう。 でも裁判官が、このケンカは誰が正しく誰が間違っているとは認められない、却下する。 と言われたら、あなたはこの裁判官の判断が正しいと思いますか? 日本は最初、アメリカの真珠湾を奇襲しました。 アメリカに原子爆弾を投下されたのは自業自得というべきです。

中国は日本を侵犯したことなどありません。 私達が謝罪を要求するのは当然です。 本当に謝るんなら、なんであなた方の首相は南京大虐殺や中国を侵略した戦犯を祀る靖国神社に参拝するのですか? これで本当に謝っていると言えますか?”

“中国は昔、日本や韓国を侵略したじゃないか?” 日本人は、韓国人を引き込もうとしたが、韓国の人は私の友達であり沈黙を守った。

“昔から中国の軍隊は日本本土に上陸したことはない。侵略なんていいがかりだ。 それに韓国の領土に入ったのは後金(清朝)の皇太極(清の二代皇帝)だ。 その頃中国の正統政府は明朝です。 中国から言うと、皇太極を代表とする政権は侵略者なのです”

“もういい。 歴史はよそう。 じゃあ現在の東海油田について話そうじゃないか。 あれは日本の領海で、君達こそ不法侵略だ”

“東海油田は釣魚島(尖閣諸島)付近で、あなた達の方が恥知らずにもあそこを自分の領有にしようとしているんだ。 沖縄って昔、琉球と呼ばれていたのは知っているでしょう。 あなた達は中国の領土を勝手に占拠したんだ” 私はちょっとカッとして“恥知らず”という言葉を使ってしまった。

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212 中国は見る(114)  日本の青年は中国をどう見ているか?

日本の青年は 中国はアメリカを見習へ もう靖国神社参拝にこだわるな と考えている

 

2006-03-18 11:51:53 日本青年认为中国该学习美国别纠缠参拜行为

来源:东方网收藏此页网友评论269

 

現在の日中関係の悪化を、日本の青年はどう見ているか?

交流の中で、彼らは中国人にどう対応したか?

 

今回“北京大学の学生 世界を見る”で、学生数人が日本へ行った。

彼ら自身が自ら体験した、真実の声と意見を語ってもらおう。

 

于悦: 日中両国の青年交流は非常に盛んです。 私は日本で勉強した時、日本の財団から高額な奨学金を貰ったので、生活のため外で働くといったことはしないですみました。 だから学業に集中できました。 日本へ行った時は、日本語はまったくできませんでしたが、日本の多くの青年がボランティアで教えてくれ、日常会話も練習してくれました。 学校には留学生専門の職員がいて日常生活の面倒を見てくれました。 時には日本各地の旅行にも連れて行ってくれました。 また自宅にも招待してくれ、おいしい食事を食べさせてくれました。

 

馮全普: 私は長野県飯山市の農家にホームステイしました。 その家族は、とてもよく世話してくださり自分の子供のように見てくれました。

私も奥さんのことを“お母さん”と呼びました。 近所の人、友人達は、しょっちゅう何かしらくれるのです。 たとえば、自分の家で採れたキュウリ、ナスなど。 “お母さん”のお父さんは中国侵略日本軍として、1943年、杭州へ行ったということで、ちょっとわだかまりを感じてしまいました。 日本の青年は農村には少なく、みな都会へ行きます。 私が帰国する時、仲間達がバーベキュー・パーティーを開いてくれました。 帰国してからも日本の友達から贈り物が届けられたり、とても友好的です。 

 

夏維勇: 日本にいた時、友達がよく自宅に招待してくれ、家族や親戚を紹介してくれました。 新年や祭日などにもよくご馳走になったり、お土産をもらいました。 彼等の政治意識は、左寄りで右翼には反対でしたが、私達との交流の中では、基本的には政治の話はせず、ただ自分の身の回りのことだけ話していました。

 

馮全普: 確かに日本の青年は、中国人との交流を願っておりとても友好的です。 でもなんかとても距離感を感じるのです。 交流の中で、私達には暗黙の了解とでもいったものがあって、現在の日中関係の敏感な問題について話さないということで、双方の友好を守ろうとしてるように思いました。 たとえば仲良くなった友達が桜見物に連れてってくれたんですが、みんなで大いに盛り上がった時、その友達がもっと盛り上げようとして歌ったのが、天皇を讃美する日本の国家《君が代》だったんです。 私はとても気分が悪くなりました。 でも私は何も言わず、《義勇軍行進曲》をお返しに歌いました。 彼もそれが中国国歌と知っていましたが、何も言いませんでした。 そのまま、また花見を続けました。 私の感覚では、沈黙というのは決していいことではありません。 国家間の交流でもためにはなりません。

 

歴史についての固定観念は直すのが難しい

 

柯金花: 私は日中友好の組織の一つ、創価学会の人と話し合ったことがありました。 この人達のほとんどの人は、歴史に責任を持たない態度には反対で、小泉首相の靖国神社参拝についても、道徳観がなく、常識がないと思っています。 じゃあ、なぜそれでも小泉首相を選ぶんですか? その答えは、“日本経済の発展には小泉さんのような人が必要なのです”

 

実は、交流期間中仲良くなった青年と歴史について話し合ったことがありました。 彼等は、率直に日本の教科書は史実を歪曲しています。 でも、中国の歴史教科書だって同じじゃないですか? というのです。 でも、彼等は歴史事実については極めてあいまいです。 日本が南京で30万人虐殺したことをあまり信じていません。 逆に多くの人から言われたことは、日本人だって被害に遭ってるんですよ。 たとえば、宮崎駿の映画《火垂るの墓》は、第二次世界大戦末期、ある日本人家族の話で、父親が軍隊に行き、母親は爆撃にあって死んでしまい、兄妹が非業の死を遂げるという悲しい物語だというのです。

 

于悦: 私もある青年と、ちょっとやりあったことがあります。 彼の反論は多分“典型的”なものと思います。 中国人は、よく日独を一緒に比較しますが、この考えには反対です。 ドイツは、ユダヤ人虐殺について計画的、組織的に行っています。 それに対して日本人は、中国人を皆殺しにしようとは考えていません。 死傷者が沢山でたことは、これはひとえに戦争行為のせいなのです。 

 

靖国神社問題についても、若い人達の多くが思っていることは、日本の伝統では死んだら神になるんです。 たとえどんなことをしようとも、死んでしまったら神としてお祀りするのです。 戦争、戦犯は関係ありません。 これは日本の文化、伝統です。 ほかの国の人にも理解してもらいたいというのです。

 

また、ある日本の青年の中には、中国は日本を見習うべきだと言う意見もありました。 日本は第二次世界大戦でアメリカの空襲や原子爆弾にやられたにも関わらず、日本人はアメリカを恨んでいません。 中国は、なんでそうできないんですか?

 

これら歴史観は、一旦形成されてしまうと変えるのは難しいものです。

もう一つ例を挙げますと、天皇誕生日の集会に参加するのは老人が多く、青年はほとんどいません。 日本の学生が言うには、天皇は“おじいさん”と言うだけで、後は何も言いません。 これからもわかるように、日本の青年の歴史観は単純です。

 

 

 

 

 

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211 中国は見る(113)  日本人に席を譲られて思う屈折した心

広州のバスの中での出来事---------席を譲ってくれたのは日本人だった!

 2006-01-22 12:53:39 :广州的公交上的一幕——座的居然是日本人!

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=370347 

今朝、早出の勤務で“540路”のバスに乗った。 “白雲山”を通るので乗客は多かった。 途中で子供を背負ったお母さんが乗ってきた。 老人、虚弱者、病人、身障者専用の6席あるシルバーシートに坐っていた男性たちは、一斉に窓の外を眺め、通路側に坐っている者は、申し合わせたかのように居眠りを始めた---------運転手が繰り返しマイクで“老人、子供を守るのは中国民族の伝統の美徳です” と呼びかけた。

膠着状態が2-3分続いたろうか、後ろの座席に坐っていた乗客が立ち上がり席を譲ろうとした。 ホッとした時、その母親に大声で呼びかけている日本語が耳に入った!!!

私は最初びっくりした。 しかしやがて悔しい思いがした。 なんで、自分に席がなかったのか、もし坐っていたら、あの「日本人」の前に席を譲っていたのに----------みなさん、こんなこと取り上げるまでもない、小さいことだと思ってるかもしれません。 私がこのことを申し上げた理由は、皆さんに注意を喚起したいからです。 反日は、ただのスローガンじゃないでしょう。 皆の周りのちょっとしたことからやればいいんです。 日本に勝てる所はどこか考えるのです。 自らの体験と努力なくして誓いは実現できないと思います。 そうしなければ、日本に太刀打ちできません。 皆さん、覚えておいてください-------- 

自分のことを棚に上げていては、日本をどうこう言えませんよ!

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210 中国は見る(112)  小泉首相の”心”の中を探る

小泉首相の“心の問題”という看板には裏がある

2006-03-16 10:15:47 参拜出于别有用心小泉的心意招牌

来源∶人民日报(北京)收藏此页网友评论5

温家宝総理は3月14日、内外の記者団との会談で、日中関係の現状とその原因そして当面の急務について語った。

温総理は、“現在、日中関係は困難に直面している。 これは私達にとっても望まないことだ。 この現状を作り出したのは中国ではなく、日本人民でもなく、日本の指導者だ。 日本の指導者は、第二次世界大戦のA級戦犯を祀る靖国神社に何度も参拝した。 これは中国人民とアジア人民の感情を極めて逆なでるものだ。 この問題が解決されない限り、日中関係の順調な発展はありえない。 同じ日、日本の小泉首相は東京で、温家宝総理が小泉首相が何度も靖国神社を参拝したと言及したことについて、日本の記者に向かって、“これは心の問題であって、この事が重要な問題とは考えない。 これを政治問題とすべきではないし、外交カードにはならない” と語った。

最近漏れ伝わった内部情報から見ると、小泉首相が靖国神社参拝に固執しているのは、確かに“心の問題”もあるが、しかし、この“心”は、一般的“心”ではないし、そんなことはどうでもいいことであって、もっと大事なことは別のところにあるのだ。

羽田孜元首相が“私が「靖国神社を参拝する議員の会」会長をしていた頃、小泉さんは一度も靖国神社へは参拝しなかった” 過去、“参拝出勤率”ゼロに等しかった小泉さんが、なぜ突然“参拝熱”を出したのか?

彼の内情に詳しい人がいる。 野中広務元内閣官房長官、元自民党幹事長がずばり真実を言っている。 “毎年8月15日に靖国神社を参拝する約束をしたのは、小泉が橋本との自民党総裁選を勝つための得票戦術だった”

これによってわかるとおり、小泉首相が2001年自民党総裁選の時の“心”が意味するところは、“靖国神社を参拝する”との“許諾”の意思を表し、ほかの候補者との違いを鮮明にし、敢えてアジア隣国に対し“ノー”という硬骨漢になろうとした。 そして、社会の右傾化と民族主義に迎合したのだ。

これからもわかるように、小泉首相の5年前の“心”は、すでに靖国神社参拝を“政治問題”として捉えており、“外交カード”としてみていた。

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209 中国は見る(111)  麻生外相米紙寄稿論文について

中国:日本は誤った歴史観で他国を軽率に非難すべきでではない。

 

2006-03-15 19:25:00  来源:中国新闻网收藏此页网友评论1264

中方:日本历史错误不能成对别国指手画脚的资本

 

中新ネット3月15日電:中国外務省秦剛スポークスマンは今日、日本の麻生太郎外務大臣が文章の中で、中国に対する発言をしたことについて、日本の外交当局の最高責任者が、中国の政治体制について、あれこれ言うのは不適切だと述べた。

 

日本の麻生太郎外務大臣が先日“ウオール・ストリート・ジャーナル”で、“日本は中国の民主的な将来を歓迎する”という題の署名寄稿論文の中で、“中国は大躍進や文化大革命など誤った政策を行った。 今もまだ理想と現実のはざまでバランスが取れていない。 中国はいずれ民主国家になる。 中国は日本が過去犯した誤りから教訓を学び取り、国内の民族主義意識をコントロールし、「帝国化」に向かうべきでない”

 

秦剛スポークスマンはこの文章に対し、中国で行っている社会主義は中国人民の選択であり、中国の国情に合ったものだ。 中国の発展は、中国人民を幸せにするばかりか、アジアや世界の平和のため大きな貢献をしている。 中国は平和への道を堅持し、現在はもとより将来にわたっても覇権を求めることはしない。 これは中国の伝統文化、発展の中から国家の利益として決定したものだ。

 

日本について言うなら、今重要なのは自分の歴史認識問題を適切に処理し、アジア隣国の信頼を真剣に取り戻すことだ。 中国は一貫して国と国との相互尊重、平等に向かい合うことを主張している。 教師面気取りには反対だ。

 

皆さんもご存知の通りです。 日本は誤った歴史観で他国をあれこれ言わない方がいい。

 

《麻生外務大臣発言録あれこれ》

 

* 麻生太郎 再度台湾を“国家”と呼ぶ。

* 麻生太郎 再度“中国脅威論”を語る。

* 麻生太郎 “中国は過去にこだわるな”と語る。

* 麻生太郎 講演で“天皇に靖国神社を参拝してもらいたい”と語る。

* 麻生太郎 侵略を美化し、中国側“憤慨”表明。

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208 中国の人口

2005年末の中国総人口は13億756万人

2006-03-16 15:50:26  来源:国家统计局收藏此页网友评论36

全国総人口および主要データの内容は次の通り。

1.  総人口

2005年11月1日零時における全国31省、自治区、直轄市の総人口は13億628万人。 2000年11月1日零時の第5次全国国勢調査の総人口12億6583万人と比べると4045万人増加した。 3.2%の増となる。 年平均809万人増で、年平均0.63%の増となっている。

調査データからの推算に基づき、2005年年末の総人口は13億756万人と推定される。

2. 流動人口

全国の人口の中で、流動人口は1億4735万人、そのうち省を越えての流動人口は4779万人。 

第5次全国国勢調査と比べると、流動人口は296万人増え、省を越えての流動人口は537万人増えている。

3.都市構成

全国の人口の中で、都市部に居住している人口は5億6157万人で、総人口の42.99%を占め、農村に居住する人口は7億4471万人で総人口の57.01%を占めている。

第5次全国国勢調査と比べると、都市部の人口が総人口に占める比重は6.77%上昇している。

4. 性別構成

全国の人口の中で、男性は6億7309万人で、総人口の51.53%。

女性は6億3319万人で、総人口の約48.47%。

性別比(女性を100とした場合の男性の女性に対する比例)は106.30%。 第5次全国国勢調査と比べると、0.44%下降した。

5.年齢構成

全国の人口の中で、0-14歳の人口は2億6478人、総人口の20.27%。 15-59歳の人口は8億9742万人、総人口の68.70%。 60歳以上の人口は1億4408万人、総人口の11.03%(そのうち65歳以上の人口は1億45万人で総人口の7.69%)

第5次全国国勢調査と比べると、0-14歳の人口は2,62%下がった。 60歳以上の人口の比重は0.76%上昇している。 

(そのうち65歳以上の人口は0.73%上昇した)

6.民族構成

全国の人口の中で、漢族の人口は11億8295万人で総人口の90.56%。 各少数民族の人口は1億2333万人で総人口の約9.44%を占めている。

第5次全国国勢調査と比べると、漢族人口は2355万人増え、2.03%の増加率となった。 各少数民族も1690万人増え、15.88%の増加となった。

7.教育人口

全国の人口の中で、大学程度(大専を含む)の人口は6764万人。 高校程度(中専を含む)の人口は1億5083万人。 中学程度の人口は4億6735万人。 小学程度の人口は4億706万人。

第5次全国国勢調査と比べると、大学程度の人口は2193万人増加し、高校程度の人口は974万人増加、中学程度の人口は3746万人増加、小学程度は4485万人減少している。 (以上の各種教育程度の人口には各学校の卒業生、中退、在校生を含む)

8.世帯人口

全国の世帯数は3億9519万世帯。 世帯人口は12億3694万人で、平均世帯家族の人数は3.13人。

第5次全国国勢調査と比べると、平均世帯家族の人口は0.31人減少している。 都市部の家庭の人数は2.97人で、農村は3.27人となっている。

《注》

1.  本数字は調査結果の概算表示である。

2.  調査は2005年11月1日零時を基準としている。 調査基準対象は中華人民共和国の国籍を持つ人。 また中華人民共和国に長期居住している人。

3.  全国総人口には、香港、マカオ、台湾省の人口は含めてない。

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207 中国は見る(110)  日本の普通の女の子と比べて、中国の若い奴はなんだ!

2006-03-13 16:53:40 主题:和日本普通女孩境界相比、中国粪青是什么?

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=410348

日本に悪口言うしか能がないのか?

私は日本の語学学校で中国語を教えています。 ある日、中国語を大分理解できるようになった、可愛い女の子が私の所に駆け寄ってきて、“先生、私インターネットで中国の掲示板をみたんですけど、あのう、なんなんでしょう、日本人の悪口ばかりでてるじゃないですか? なんで、お国の人達は、あんなに日本を悪く言うんですか?”

“じゃあ、あなたはどんな悪口ならいいと思う?”

“たとえば、失業だとか経済政策とかに、日本人だったら文句を言います。 もちろん小泉首相をけなす人もいます。 またテレビで悪口を言う人もいます”

私は、彼女にこう言った。

“もし、「X」や「XX」の悪口を言ったら、付き合いが出来なくなっちゃうし、上司の悪口を言ったら、飯の食い上げになってしまう。 女房の悪口を言ったら、夫婦関係にヒビが入ってしまうし、子供を叱ったら、女房に怒鳴られる。 町の人が農民の悪口を言うと、苦労して働いている人を軽蔑していると取られるし、農民が町の人の悪口を言うと、ヒガミ根性と取られてしまう。 北京の人が外省人の悪口を言うと、地域紛争を引き起こしてしまう。

(追加歓迎)

といったことで、日本人の悪口を言っているのが一番無難なんです。 「X」や「XX」も支持してくれるし、上司は何も言わないし、女房も文句を言いません。 みんなが一致して敵愾心を燃やせるんです。 人民内部の矛盾をほじくりだす事もないし、安定団結の局面にもなんら影響を与えません。 だから日本を非難するのがいいのです“

私の話を聞いて、彼女は笑って言った。 “中国人って悪口言うのもこんなに制約があるんですか? カワイソー。 中国の人のストレス発散のハケ口になるなら、どんどん言って下さい。 どうせ損するわけじゃないし、日中友好のため貢献してると思えばいいんです”

彼女の話を聞いて、私は言葉を失った。

私達はなぜ日本人の悪口を言うのか? この答えは中国人なら心の中ではっきりわかっていると思う。 歴史の恩讐は脇において、私たちが癪に障るのは、日本が我々より金持ちで、我々よりいい暮らしをしていることだ。 日本は仕事熱心で先進的な科学技術を持ち、開発能力がある。 団結心も強く集団主義で全世界の産業システムを席巻した。 まだ発展段階にいる我国からすれば、まったくショックだ。 でも日本が我国より強いことを認めたくないし、認めるつもりもない。 我々は意識の下でまだ恐れているのだ。 かって我々を侮辱した民族が、また我々に対し脅威となることを。

我々は、私達より生活レベルが劣っている国の人の悪口を言うことは滅多にない。 私達は、インドネシア、ベトナムなどの悪口を言うことはない。 それは、私達が悪口を言うまでもないと思っているからだ。 じゃあ考えて見てご覧なさい。 もし、戦後の日本が発展せず三流国家で、人民が食べるにも困った状態だったら、今日の「論壇」で、こんなに多くの人が日本の悪口を言っただろうか?

そんなことはないと、私は思う。

なぜかと言うと、日本が戦争に負けた時あんなに寛大な態度を取ったのは、私達自身、日本がこのように立派に立ち上がるとは考えもしなかったからだ。

もしいつの日か、日本人の悪口を言うまでもないというようになったら、わが民族も本当に強くなり成熟したことになる。 そうなることを見たいものだ。 

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206 中国は見る(109)  ー中国人の見た東京①- 東京で感じたこと

2006-03-06 23:24:23 主题∶我在东京的所感与所想

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=402469

私が書いた文章にあるいは反感を持たれる方もおられるかと思います。 でも、これは私自身が感じたことなのです。 もし、私の見方に賛成できないとしてもかまいません。 あなたと私には見解の相違があるのですから。 この相違にはいろいろ原因があると思います。 しかしいずれは、わかってくれると信じています。 だって私達は同じ民族、同じ一家なのですから。

私は東京で勉強している台湾の女の子で、曽怡萓といいます。 台湾・花蓮出身です。 今、東京大学医学部で神経外科学を学んでいます。 日本に来てからもう二年になります。 

今は日本のこと大分わかるようになりました。 私は大陸には行ったことがありませんので、ウソは言わないようにします。 私は東京へ来たばかりの頃、その賑やかさに引き付けられました。 台湾とは比較できないものでした。 資源の少ない国がこんなに発展しているのに驚きました。 本当に感心したものです。 

東京に着いた当座は、何もわからず知ってる人もいませんでした。 にぎやかな街の通りを歩いている時、いつも家のことを思い出していました。 今、家族はどうしているだろう? 元気かしら? 家に電話し、お母さんの心配の繰り言を聞いて受話器を置いたあとは、いつも一人で大泣きしていました。 だって私は、東京で一人っきりで孤独で寂しかったのです。 その後、いろいろな出費のこともあって、仕事を探してお金を得ようと考えました。 両親には、お金のことは言えません。 だって、私のためにもうお金を全部使ってくれたんですもの。 父母の事情もわかっているし、家では父や母からとても可愛がってもらってたのだから。

日本料理屋の皿洗いを始めました。 昼間は大学の授業、夜はお店でバイト。 とても大変でしたけれど、でも内心うれしかった。 だって自力で生活できるんですから。 家にいた時は、こんなこと考えもしなかった。 辛かったけれど、毎月20万近くのお金をもらうことができましたし、これで最低限度の生活はやっていけました。

ある時、日本の男の子と知り合いになりました。 その後友達になりました。 その夜のことだったのでよく覚えているんです。 私は疲れていて、うっかり皿を何枚か落として割ってしまいました。 店の主人からさんざん怒鳴られ、クビになってしまいました。 帰り道、私は途方にくれていました。 お母さんに電話して、事情を話そうと思いました。

でも、母の声を聞いているうち、私は言おうとした言葉を飲み込んでしまったのです。 私は東京の街を泣きながら歩き回り、そして大学のそばの通りのベンチに坐り泣いていました。 道行く人はあわただしく通り過ぎ、私のことに気付く人はいません。

その時、一人の男性が私のそばに立って、私にハンカチを手渡し、“立ちなさい、東京じゃ涙なんて誰も信じちゃくれない。 明日になればすべて過ぎ去り、新しい一日が始まりますよ”

私も、明日は新しい一日の始まりと思いました。

それ以来、私はどんな事にぶつかっても二度と泣くことはなかった。 だって私の涙はその時、全部流れてしまったからです。 

それから、この日本の男性はよく私に会いに来てくれました。 私を何くれとなく面倒をみてくれるようになりました。 私を驚かせたのは、彼が流暢な中国語を話すことでした。 その後、私達はいろいろな勉強上の問題を話し合ったりしました。 彼は私の日本語の話し方の誤りも直してくれました。 

また、よく中国問題についても話し合いました。 その後知ったのですが、彼は中国へ何度も訪れいろんな所へ行ったようです。 以前、北京、南京、四川などに行ったそうです。 ある時私に、“大陸に行ったことがあるの?” と訊いてきました。 私が“ない” と言うと、残念そうに“大陸に行ってみなさい。 景色が素晴らしいから” 彼は、昔の中国文化を賞賛していました。 いろいろな問題に対し、彼は自分独自の見方を持っていました。 

ある時、“あなたは自分が中国人だと思う?” と訊いたの。 私は一瞬どう言おうかと思いながら、“中国人だと思うわ” 彼は笑いながら“「と思うわ」はないでしょう” と言った。 彼から見ると台湾は中国の領土なのだ。 少なくとも彼はそう思っている。 彼はまじめな顔で、“中国の省の中で、海南省が一番小さい省で、二番目が台湾だ” というのです。 私は彼の言い方にビックリしたけれど笑って賛成しました。 彼はまた南京へ行って、南京大虐殺が本当のことだとわかったと言い、まったく悲しいことだと言いました。

そしてその話の中で、今でも忘れられない言葉があります。 それは、“以前政府は、私達に自分の祖国を愛するように教育したけど、自分の生命も愛するようには教育していない。 生命も大事なんだよな。 一回限りだもん。 何度も大陸に行って、いろんな問題について考えさせられた。 戦争は残酷だ。 どんな戦争だって苦しむのは一般人民だ”

彼は、中国と日本がずっと平和になれたらと願ってたわ。 子々孫々平和にって。

私が東京にいた2年間、私にもわかったことがある。 付き合った人々は皆、戦争を望んでいない。 いろいろな問題があったとしても、一般人民を非難しちゃいけない、そうでしょう?

私が勉強し生活していた2年間で、日本人の考え方がいくらかわかったわ。 私が付き合っていた日本人は、昔の日本がやってきたことを恥ずかしいと思っているわ。 でもこれを認めたくないというより、触れたくないのよ。 だって次世代の人に、自分の民族が犯した罪業を知らせたくないから。 だってそれは恥辱ですもの。 昔の戦争は中国にとっても恥辱だったけれど、同様に日本にとっても恥辱なの。

私は日本人が将来勇気を持って北京の天安門記念碑に行って追悼し、台湾や大陸の人と手を取り合う日が来ることを願っている。 本当の平和と喜びが訪れる時を。

最後に私は二つの言葉(中国語と日本語)でみんなに祝福したい。 

“すべての中国人が幸せでありますように” “私達のすべての中国人が、幸せで円満であることを祈る(原文のまま)” 2006年3月5日東京

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205 中国は見る(108)  日本新聞界の長老の反省 (下)

2006-03-08 22:27:59 主题:一位日本报界元老的反省

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.isp?=zhongri&i=404372

右翼は 伝統的に憂国憂民

渡辺は学問、思考について、いい加減なところが全くない。 ただ独断的で専制君主的なところがあったため、新聞界は彼に“読売の独裁者”という名をつけていた。

彼は、政治的思想的に敵対する者を許さず、意見の違う論説委員は追い出され、従って《読売》は、ますます個人的色彩が強まり、保守主義の傾向が鮮明になって、日本の保守勢力のスポークスマンとなっていった。

日本のマスメディアで、公然と改憲を主張し、自衛隊を国家の軍事力として認めるよう報道したのは、極右の《産経》を除いて《読売》だけだ。

《読売》は、時にはでしゃばって私案《憲法改正草案》を紙面に載せた。 これは、日本新聞史上初の出来事だった。

しかし、小泉首相が5回も靖国神社参拝し、アジアの隣国の怒りが頂点に達し、中韓両国が小泉首相との首脳外交を断絶してしまった。 渡辺は、これは日本を外交的に孤立させ、国際的イメージを悪くするものだと感じた。 そのため渡辺は、これ以上我慢できないと小泉首相と一線を画すことを決意した。

彼の転向は、自分の信奉する保守主義を捨てるということではなく、保守主義の後見人としての職責を全うすることであり、自由主義の《朝日新聞》と手を結び、小泉首相に圧力をかけようと考えているのだ。

アメリカ《ニューヨークタイムス》に鋭い分析が出ていた。 渡辺を直接名指しし、今回の決起は“影の将軍、日本の転換を狙う”

日本の右翼の伝統的思考の中には、よくこの“憂国憂民”という思想があった。 渡辺を更に分析すると、第二次世界大戦の体験の影響が強いことがわかった。 彼は、《論座》の対談の中で率直に、“僕は今年79歳です” と述べ、“もし、僕らのような人間がいなくなると、もうあの戦争の実態を知らない人ばかりになって、観念戦争になっちゃうんじゃないかと心配だ。 だから僕は、自分の実体験を語り残しておかないといけないと思っている。 日本軍というのは本当にひどいものだったんだということを。 南京大虐殺の死者数に異論があるにしても、犠牲者が3千人であろうと、3万人だろうと、30万人であろうと虐殺であることには違いがない”

メディアは再び目をアジアへ 

渡辺は保守ではあるが、その戦争体験から戦後日本の発展の動向、特に冒険主義的復興に懸念を抱き、何とか食い止めたいとの衝動にかられた。

《ニューヨークタイムス》は、渡辺の転向を論評するにあたり強調したのは、日本の神秘的メディアの大御所が、人生のたそがれに際し、舞台裏から表舞台に登場したのは、自分の残された時間がないので今のうちにしゃべっておきたいのと、日本がまた同じ失敗を繰り返すのを見るに忍びないのだとの思いからだという。 

渡辺は、《ニューヨークタイムス》に、“小泉首相は靖国神社を参拝したが、彼は歴史をまったくわかっていない。 神社が第二次世界大戦最大の戦犯・東条英機を祀っているが、ドイツのヒットラーとなんら変わりがない” また、極右が“神風特攻隊”の英雄を称えることについて、実際いうと彼らは、死に行く子羊で、無理やり飛行機に乗せられた犠牲者なんだ” だから彼は主張する。 “日本は戦争中のすべてのことを検証しないといけない。 でないと、日本は永遠に成熟した国家になれない。 日本国民の歴史に対する態度を変えることが日本を変える第一歩なんだ”

国際世論は渡辺の転向に注目している。 日本の統治者階級に内部分裂が起こったと見られるからだ。 一つには、中国の決起についての認識の違い、二つ目には、第二次世界大戦肯定論、三つ目は、日本の将来展望。  渡辺が一番心配に思っていることは、日本がこのまま独善的に侵略戦争を否定し、軍国主義を美化していけば、若い世代は誤った歴史認識を継承し、日本の国際的イメージを更に悪くさせ、日本はアジアに入り発展する機会が失われ、その結果自ら生存の道を閉ざしてしまうことになってしまう。

渡辺の転向には、三つの影響がある。

1. 日本メディアの目を再びアジアに向けさせた。 現在5大新聞の中では、《産経新聞》が引き続き小泉首相の靖国神社参拝を支持、アジアに対抗している。

2. アメリカと西欧メディアに、日本の思想動向、すなわち日本の復古主義は間違いなく日本を昔の二の舞にするのではとの関心を与えた。

3. 自民党内の穏健派は今、靖国神社の代わりに非宗教的追悼施設を建設しようとしており、小泉首相の作った排外の囲いを取っ払い、また小泉首相の高い人気神話を打ち破り、そして小泉後に向けた“次の首相”作りに向かって動き出した。

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204 中国は見る(107)  日本新聞界の長老の反省 (上)

2006-03-08 22:27:59  主题:一位日本报界元老的反省

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.isp?=zhongri&i=404372

日本の新聞界の最近の“大ニュース”は、新聞界の長老《読売新聞》主筆兼グループオーナー渡辺恒雄の“転向”である。

彼は日本人に第二次大戦を真剣に反省するよう呼びかけ、小泉首相の靖国神社参拝に公然と反対した。

これより先、去年6月に渡辺は《読売》に“国立の追悼施設の建設を急げ”との社説を載せ、間接的に小泉首相の公的に靖国神社参拝することに反対した。 続いて今年一月になって競争相手の《朝日新聞》若宮啓文論説主幹との新聞界二大巨頭による意外な対談が行われ、靖国神社やアジア外交などの問題について意見を交わし、その対談の内容を朝日新聞社の月刊誌《論座》に発表した。

2月11日には、渡辺はアメリカの《ニューヨークタイムス》の「時の人」にもなった。 その取材の中で、彼は以前の国粋主義の主張を改め、日本人に侵略戦争を真剣に反省するよう訴え、首相の靖国神社参拝に公然と反対を唱えた。

22日には、オーストラリア《シドニー・モーニング・ヘラルド》にも同様の記事が掲載され、渡辺は同様にきっぱりと、靖国神社と戦争博物館“遊就館”は第二次世界大戦と日本の歴史を誤って記述している。

更に驚いたことは、渡辺は《ニューヨークタイムス》の取材記者に、“小泉首相は歴史、哲学がわかっていない。 勉強していない。 教養もない。 無知だから、靖国神社を参拝して何がいけないんだ? なんて言うんだ、愚劣だよ” 外国に向かってこのように小泉首相を攻撃するのが、日本の保守勢力のスポークスマンだなんて誰が想像できようか?

渡辺の“転向”は新聞界を驚かせたばかりか、保守政界にも衝撃を与えた。 

小泉首相にとっては晴天の霹靂

渡辺は80に近いが、依然として日本の言論界で活躍している。 彼は《読売》で長期に亘り権力を握っており、また保守政界での一大旗手でもあり、その“転向”は奇想天外の効果はないとはいえ、外交で苦境に陥っている小泉首相にとっては正に青天の霹靂だった。

9月で政権を下りる小泉首相は、“有終の美”を飾りたかった。 そこに思いがけなくも、とんでもない程咬金(隋唐演義の猛将)が飛び出して来たようなものだ。 保守陣営と小泉劇場政治にとって、最終の見せ場となるところ、また小泉の復古計画にもケチがつき、戦後の首相として靖国神社参拝の再建計画も死産に見舞われそうだ。

日本には全国紙の新聞は5紙ある

販売量順で並べると、朝刊1000万部の《読売新聞》がトップ、続いて800万部の定期購読者がいる《朝日新聞》、その続きが400万部近い《毎日新聞》、300万部超の《日本経済新聞》、しんがりが約190万部の《産経新聞》である。

《読売》は、今、日本最大販売量を誇る新聞だけでなく、世界でもナンバーワンの新聞メディア王である。 しかし、日本で権威あるもしくは代表的な新聞とは認められていない。 それは、その立場が保守的でしかもあまり特色がなく、ただ標準的日本人から読まれているに過ぎないからだ。 

日本人の新聞購読の傾向としては、ビジネス関係の人は《日本経済新聞》を読み、インテリ・学界の人達は《朝日新聞》を読む。 そして一般の人が習慣的に《読売》をとっている。

新聞人として成功した立志伝中の人

渡辺は新聞人として成功した人で、同時に非常に波乱に富んだ人物である。 彼は1926年、東京に生まれる。 1945年7月、東京大学文学部に入学してすぐ召集され入隊。 当時、日本は侵略戦争の終わりに近づいていた。 天皇の終戦詔勅の二日前、軍隊を除隊され大学へ戻り学業を続けた。 大学を卒業すると同時に《読売》へ入社し記者となる。 長い新聞生活の始まりだ。 彼は政界の番記者からワシントン特派員となり、編集長、論説主筆、最終的に新聞主筆兼オーナーとなり、そのほかプロ野球“読売巨人軍”の球団オーナーとトントン拍子に出世した。

政治記者の時に多くの政界人と知り合い、その中には、後に首相となった中曽根康弘元首相もいた。 今でも緊密な関係にあるという。 《読売》は常に日本保守勢力を支持し、渡辺は民族主義の復興に全力を注いできたので、保守政界に強い影響力がある。

1994年、その彼が主導する《読売》は、改憲主張ばかりか私案《憲法改正草案》なるものまで率先して発表し、自衛隊を合憲の軍隊として認めるよう訴えた。 その後、メディアの一部にも追随するところが出てきて、一般の護憲の声が弱まり、政党の改憲の動きが政界にも吹き始めた。 全体的に保守化が進む中、《読売》は、一層煽り立てる役割を担っていた。

《読売》は保守から極右となった。 一つには日本全体を覆う保守化の影響を受けたこと。 二つには、渡辺個人の政治思想に左右されたため。

ある人の分析によると、渡辺は学生時代、戦争反対、天皇制反対、民主改革を求めるなど思想的には左傾だった。 1946年には、日本共産党に入ったという。 しかしその後、日本共産党を批判し党籍を除名された。 それ以来、日本共産党とは不倶戴天の間柄となった。

渡辺の最初の思想転向だ。 《読売》には右傾の記事が目立つようになった。

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203 中国は見る(106)  太宰治の魯迅伝《惜別》を読む

100年たっても魯迅を忘れない日本人

2006-03-06 22:56:48 主题: 100年了日本人还记着鲁迅

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=402447

今年は魯迅逝去から70周年、また魯迅仙台留学から100周年の年である。

日本の共同通信社の報道によると、魯迅を記念して仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)が「魯迅と仙台」という本を出版したそうだ。

魯迅が仙台にいた当時のことが改めて人々の関心を呼んでいる。 

日本の作家太宰治が魯迅のこの留学生活を素材に書いた小説の中国語訳が今また読まれている。 日本人は魯迅に強い関心を持っている。 魯迅は“中国現代文学の父”と呼ばれている。 しかもその文学活動は、日本で始まったのだ。 その意味からいって、日本は中国新文学の起点と言える。 

実際、そうなのです。

魯迅以外にも、郭沫若、郁達夫、周作人などの有名新文学作家はいずれも日本留学派で、五四運動の時期、二大主要文学団体の一つである創造社も日本で創立された。 

魯迅と日本の密接な関わりと魯迅の中国現代文化史上での高い評価が、日本人の魯迅に対する強い関心と衰えぬ興味を引いているようだ。 

1936年10月19日、魯迅が亡くなった。 1937年2月から8月にかけて日本の改造社から7巻本の《大魯迅全集》が出版された。 これは、中国最初の《魯迅全集》出版より一年近く早かった。 抗日戦争が始まっていた1940年代前期、日本では相次いで三冊の魯迅伝記が出版された。 それは、小田嶽夫の《魯迅伝》(1941年)、竹内好の《魯迅》(1944年)、太宰治の《惜別》(1945年)である。 この三冊の作品はそれぞれ特色があり、その中で《惜別》は、ちょっと異彩を放っている。 《惜別》は伝記小説の形式をとっているばかりでなく、戦時中の日本の国家の考え方や前述の二冊の魯迅伝とも密接な関連を持っている。

“支那の人をばかにせぬ事”

《惜別》は太宰治が日本文学報国会と日本内閣情報局の依頼と援助を受けて1945年初め創作した。 依頼者側は資金援助するにあたり、太宰治に青年魯迅と藤野先生の関係を通じて“大東亜の親和”を表現するよう希望した。

しかし、太宰治は独特な個性を持つ作家であり、《惜別》を通して、より内容の深いものとした。 作品の中で、太宰治は孫中山の革命思想と三民主義理論は全く同一と見ている。 それだけでなく、《惜別》の中の藤野先生も日本人として、孫中山の三民主義を同一視していた。 三民主義の民族思想により、藤野先生は、“支那の保全”を主張し、“支那の人をばかにせぬ事”と主張している。

この見方は、実質的に日本の軍国主義の侵略行為の間接批判であった。

《惜別》の中では、中国の儒教の伝統文化と現代三民主義思想も同様に肯定的に書かれている。 太宰治の筆で書かれた青年周樹人(魯迅)は、儒教礼賛者で、また道教批判者だった。 この描写は、魯迅の心境の複雑性を明らかにしている。 《惜別》の中から戦争中の日本人の心情を読むことができる。

太宰治は《惜別》を創作する前、小田嶽夫の《魯迅伝》と竹内好の《魯迅》を読んだ。 彼は前者を“春の花のように甘美な”、後者を“秋の霜の如く厳しい”と評した。 この二冊は《惜別》に影響を与えている。

《惜別》の中で、青年周樹人(魯迅)は約10ページほど自分の身の上を語っている。 この第一人称の記述方法は小田嶽夫《魯迅伝》の書き方ときわめて似通っている。 《惜別》の魯迅と孫中山との関係については明らかに竹内好の《魯迅》にヒントを受けている。

竹内好は《魯迅》の中で、“魯迅は孫文に「永遠の革命者」の姿を見、「永遠の革命者」の中に自分自身を見ていた”と書いている。

《惜別》は孫中山の革命思想を魯迅の中で三民主義思想として具体化すると書いている。

中国人として《惜別》から自分の昔の面影を見、また戦争中の日本人の意識を見ることができる。

21世紀の東北アジア社会に身を置き、60年の時を通して、《惜別》を読み、《惜別》を通して100年前の魯迅、中国と日本を考えた時、改めて民族の認識と文化の同一性などの問題を二重の歴史の深みの中で考えさせられる。 《東京大学文学博士、中国社会科学研究員 董炳月》

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202 中国は見る(105)  甦った武士道 (下)

よみがえった武士道 (下)

2006-03-04 23:45:02 主题: 警惕!  死灰复燃的武士道

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=400798

5.武士道の挑戦

新渡戸稲造は言う。 “武士道は間違いなく日本の過去、現在、未来を動かす原動力である”

いろいろな兆候が見られる。 経済力と軍事力は絶え間なく増大し、アメリカは中国を抑え込み、日本を勝手にさせている。 そのため日本の政治的野心はまた膨張し始めた。 武士道というこの狭い島国の文化の原動力がまた動きだした。

今、手近の事例でいうなら、国連の常任入りを狙う日本は、アジア隣国の理解と支持を求めることなく、なんとも理解に苦しむ強硬な態度を取り続けている。 経済の実力とアメリカの支持があれば常任理事国入りは実現できると思っている。(アメリカも本心では、日本の常任理事国入りを望んでいないのに)

この日本の尊大で傲慢、独断専行、頑固、思い上がり、独りよがり、不誠実、愚か、滑稽な性質は、正に武士道精神が今日の日本人の身に如実に現れていることを物語っている。

武士道精神の最大の危険は、日本民族全体が無思考に陥り、上からの命令に従い、独立思考と自己反省が出来なくなることだ。 この不完全な国家性格は武士道精神が日本にもたらした致命的な欠陥である。 この精神、道徳上の欠陥は日本人民を傷つけるだけでなく、また他の国の無辜の民衆をも巻き込む災いととなる。

今、世界の枠組みは日本の望まない方向へ発展している。 かって、日本から“アジアの病人”と言われ、日本帝国主義の蹂躙にあえいでいた中国が百年の苦難の近代史をくぐり抜け、今、押しとめようもない勢いで急速に立ち上がっている。 

日本は内心面白くなく、またいかんともしがたく、日々発展していく様を見ている。 一旦、中国が経済的に成功し本当の強国となった時、中国の巨人のそばにいる小日本の将来の国際的地位は推して知るべしだ。

中国は今、核兵器を所有している国である。 この点だけでも日本はショックでしょうがないのに、あまつさえ資源がない島国で、戦略的思考も乏しく、将来もし中国とまた戦争になったとしたら、その結果はどうなるだろうか? 日中間でまた戦争なんて考える人間がいるとしたらキチガイだ!

しかし、武士道精神の血が流れている日本人は、決してこのような現実を受け入れることができない。 日本はアジアに属していながら、アジアの隣国を軽視ないし蔑視している。 しかし、かって原子爆弾を2発落としたアメリカにはベッタリくっついてご機嫌を取っている。 

日本はアメリカの力を借り、中国を牽制し、抑え、分裂させようと狙っている。 そして中国に代わってアジア第一となる野望を持っている。

日本政府が現在取っている中国に対する実際行動から、その挑発と対抗意識がはっきり見て取れる。 たとえば、日本政府の一連の中国に焦点を合わせた“有事法案”制定もそうだ。 アメリカの中国封じ込め政策に便乗し、裏で台湾の中国からの独立の支持と応援をしている。経済的にも全力で、中国のエネルギー開発および計画を妨害している。 国際交流にしても、中国と他の国との友好関係を邪魔しようとしている。

以上の状況からもよく読める。 武士道精神が日本を覆っており、もし条件が満たされれば、日本は必ずやまた中国に戦争を仕掛けてくるに違いない。

山本五十六大将は当時、日本の国力がアメリカに勝てないことをわかっていて、それでも躊躇することなくパールハーバーを奇襲し、アメリカとの全面戦争を引き起こした。 アメリカの庇護と煽動のもと、武士道の継承者たちが中国の台湾島を奇襲することがないとは言えない。

これは武士道が日本に与えた宿命であって、日本民族の悲運。 中国がいずれ直面するであろう現実だ。

二十数年前、上海の宝鋼(鉄工所)の建設に携わった日本人が言っていた言葉がある。 “中国は父親、日本は子供、子供が父親を打っても、父親は必ず子供を許してくれる” 

中国は、とっくに日本を許しているのに、日本は今もって中国という“父親”を打ったことを認めようとしない。

日本は今、積極的に敗戦の歴史をひっくり返す準備をしている。 民間の教科書から首相まで、あの罪深い歴史を忘れようとし、かってに書き換え美化しようとしている。

日本は、日本の軍隊を中国に“進入”させ、中国を“援助”するため、ともに“大東亜共栄圏”を作り、南京大虐殺は中国人のウソだと言い、“慰安婦”は自ら希望した-------

これこそが今日の武士道だ!

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201 中国は見る(104)  甦った武士道 (中)

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2006-03-04 23:45:02 主题: 警惕! 死灰复燃的武士道

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=400798

2.武士道の象徴

武士道精神を最も表すものとして三つのものがある。 サクラ、刀、切腹。 新渡戸稲造は言う。 “武士道を象徴するものはサクラである” 我国固有の産物である。 また、“武士の魂----刀”について、“刀は武士道の象徴で、その力と武勇を表している” サクラと刀、一方は美しさと気品があり優雅であるが、もう一方は、氷の如き刀身、殺気がただよう! しかし武士の目から見るとこの二つは非常に調和が取れている。 特に“これらが日本固有の産物”であることが日本人にとっては大事なのだ。 本当の“日本固有の産物”は少ないからだ。 

武士道精神の日本人は、刀で人を殺したり、腹を切ったりする一方、酒を飲んだり歌を詠み花を愛で女を愛していた。 武士道はこういった変態行為を崇高な精神の境地と見ている。

切腹は武士道精神の独特な表現である。 切腹を日本人は名誉とし、幅広く称賛を得ている。 武士道精神で薫陶を受けた日本人は表面的には礼儀正しく謙虚に見えるが、その内心は狂気じみ傲慢で、行動は極めて残忍であり下品この上ない。

武士道の象徴は日本人の思考から解釈すると、サクラは美しさと団結、刀は勇気と力、切腹は克己と名誉となる。 しかし事実上、サクラは美しさと団結以外に、もろさと短さを象徴しているし、刀は勇気と力のほかに、血なまぐさと残忍さを表している。 そして切腹は、全世界の人の目から野蛮と愚かさとしか見えない。

 

3.武士道の影響

武士道はその千年近い歴史の中で、日本民族独特の精神のよりどころとなり、日本の社会に大きな影響を与えた。 新渡戸稲造が言うように武士道精神は日本の道徳の不死鳥なのだ。

歴史上武士道はいくたびか変遷を繰り返した。 しかし、日本の民族の精神上の武士道は途絶えることなく再生し、常に日本を導き前進させた。

アメリカは自身の利益から、戦後の天皇制度を残し、最大の戦犯である天皇の懲罰を見逃してしまった。 これこそ日本民族の精神のよりどころ武士道を残し“不死鳥”として復活させることとなった。 天皇は武士道の最高の精神的指導者である。 天皇の存在により武士道を消滅することは出来なかった。 武士道精神の不滅は、日本軍国主義をまた盛り返させることになった。

日中両国政府間の最近の緊張関係は、小泉首相が靖国神社参拝を続けていることから起こった。 小泉首相は中国政府や他のアジア隣国政府の抗議を無視し靖国神社参拝を強行した。 日本政府は第二次世界大戦で日本が犯した戦争犯罪を公然と否定するようになった。 

靖国神社は日本の国家神道の廟であり、そこに祀られているのは武士道精神である。 戦犯の位牌は、武士道精神の典型的代表である。 日本の首相が靖国神社を参拝するその実体は武士道参拝であって、武士道を呼び戻すことであることは誰の目にも明らかである。

中国など日本の侵略を受けたアジア各国は、日本軍国主義が復活したら座視はしない。 しかし、ただ口で抗議しても武士道精神の日本人には何の効き目もない。 中国政府はもっと強い措置を取り、この新たな国際局面に対する必要がありそうだ。

共同通信ネットによれば、中国の王毅駐日大使が最近、“日本はA級戦犯の極東国際軍事裁判の判決を受け入れ国際社会に復帰したのに、現在その判決を否定する言論が出ている” と述べている。

靖国神社問題は内政問題ではなく外交問題だ。 日本は国際的な約束を再認識する必要がある。 日中国交回復の際、日本は侵略の歴史を認めたからこそ、中国は日本に賠償請求をしない決定をしたのだ。 日本の首相がA級戦犯を祀る神社に参拝することは、中国との約束を破ることになる。 小泉首相の靖国神社参拝は決して、簡単な一個人の信仰の行為ではない。 日本人を代表し、特に武士道の伝統精神を持つ政治家、精鋭たちの内なる声を代弁しているのだ。 彼等は内心では、日本の負けを認めてはいない。 特に中国に負けたなんてことは認めたくないし、アメリカにも負けを認めたくない。(もしアメリカが原爆を使わなかったら-----------

こういった日本人は、日清戦争で中国に勝ったことや、日露戦争でロシアに勝った頃の歓喜の思い出の中に浸っているのだ。 また、山本五十六の大作戦-----真珠湾奇襲を思い出し、あともう一歩で大東亜共栄圏の国際新秩序が出来るところだったと残念がっている------、これらの人々は武士道の徳目の中の“大和魂”にのめりこんでいる。 これはかって彼等に一時の快楽を与えた。 

武士道この大和魂の“不死鳥”はまた再び復活したと言ってもいい。 いや実際は、今までも本当に死んだことなどないのだ! 武士道精神は戦後の灰の中から、その時すでに芽を出していたのだ。 経済大国としてまた軍事大国となった今日、日本は政治大国の地位を狙い始めた。 しかも、日本が行く道は平和の道ではなく伝統の武士道の方法を取ろうとしている。 敗戦の歴史を覆すというこの途方もない幻想のための第一歩だ。 勝利にしろ切腹にしろ武士道のその邪悪な精神が、日本をまた戦争の道へと導いて行こうとしている!

善良な人々よ警戒しなさい!

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200 中国は見る(103)  甦った武士道 (上)

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2006-03-04 23:45:02 主题: 警惕! 死灰复燃的武士道

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=400798

 

今、日本政府が行っている行為、そして日本国内で起こっている様々な事実から、はっきりした信号を読み取れる:武士道-----この日本民族の精神の“不死鳥”、日本軍国主義の亡霊が、また復活したことを!

 

1.武士道こそ日本民族の精神のよりどころ

 

日本の民族精神というと、私達の頭をよぎるのは“武士道”という三文字だ。 日本が起こし関与した戦争、戦後の再建と経済の奇跡にも武士道の影が見える。 日本人はその成功を、いつもいわゆる伝統の賜物としている。 伝統の中で一番光っているのが、この武士道である。 武士道は日本民族の精神のよりどころ、日本人がよくいう:大和魂!

 

日本の思想文化の先駆者、新渡戸稲造は言っている。 “武士道は日本の道徳的精神を確立した。 日本の精神的象徴を形作った” 新渡戸稲造の《武士道》という本は、日本人の武士道精神を詳しく説明したもので、武士道の本質や概念を分かりやすく書いてある。 新渡戸は本の中で、武士道を極力美化しているが、その叙述の中からも武士道精神の虚偽、頑なさ、残忍な本質が見て取れる。 武士道の中にこういう一文がある。 “武士道を基盤とした封建道徳は城が取り壊されると共に、灰のように消えてしまった。 しかし新しい道徳が不死鳥の如く立ち上がり、日本を導き新しい秩序を打ち立てていく。 ----------ただ忘れてはいけないことがある。 不死鳥は死んだ灰の中からのみ、新しい生命を得るのだ”

 

《武士道》は、1899年に出版された。 その時は、第一次、第二次大戦もまだ始まっていない。 その当時、武士道はもう“灰のように”消えていた。 しかし“不死鳥”は死んだ灰の中からのみ新しい生命を得るのだ。 第二次大戦になると、武士道はまた日本軍国主義として復活した! 武士道の復活は、全世界の人民特にアジア人民に重大な損害をもたらした! 日本は、全人類に対し許すことのできない大罪を犯した。!

 

日本が戦争に負け投降したため、武士道は軍国主義精神の支柱と象徴ということで、社会の表舞台から引き下ろされ、“灰のように”消えてしまった。 しかし武士道精神は決して消えてはいなかった。 看板を変えてまた新しい“不死鳥”として蘇り、戦後日本経済を奇跡的に発展させた。 武士道は死んでなどいなかった。 絶えず形を変え違う格好で現れるのだ。

 

正に新渡戸稲造が言ってるように、武士道は日本民族の精神的象徴であり、道徳精神の不死鳥なのだ。 この不死鳥が、日本を導き新しい秩序を打ち立てていく。

 

武士道の起源

 

武士道は、日本の封建社会の武士階級いわゆる侍者(さぶらう)から生まれた。 当時の支配階級は、政権を強固にするため摂関家や院を守る武士達を雇い、彼等に中国の仏教や儒家文化からその一部を引用したいわゆる“忠、義、仁、礼”の思想を植え付け、極めて忠誠心の強い性格を作り上げた。 また、日本神道の影響も加味され次第に主人に対する絶対的忠誠、自分に対する絶対的自己犠牲という異質な精神構造が出来上がった。 この精神構造は長い間歴史の中で絶えず称揚され補強され

、日本民族全体の精神と性格が形作られるに至った。 今日でも私達は日本人の仕事や生活のあらゆる場面で、その精神の一端を見ることが出来る。

 

日本は島国で歴史と文化はそんなに長くはない。 日本文化といわれるものも実際は、外来文化の変種といったものだ。 日本は外国文化と科学技術を吸収することには優れたところがある。 しかし日本民族は、自分の文化が他国からの文化に基づいているというのを恥ずかしくて認めようとしない性格でもある。

 

謙虚な気持で学んでいないから、他国文化が日本へ伝わるとすっかり変ったものになり、それを日本人が更に自分で加工してしまうので、日本文化といわれるものに、ちょっと違和感を感じてしまうのだ。 これが私達が日本文化を見て奇妙に感ずる原因だ。

 

たとえば日本の文字は、世界で一番ゴチャゴチャした文字ではないだろうか? 漢字のほかに仮名がありそれに英語も混じっている。 また例えば日本のアニメ《クレヨンしんちゃん》、子供物と思ったら、ドギツイものが延々と続く---------

 

日本はよくこの大和文化を、東洋文明の中で一番緻密で優れていると自慢している。 自分ばかりよいと思っていても、他国の人がそれをどう受け止めているかわかっていない。 

 

日本は明らかに小国であるのに、何かというと“大和民族”“大日本”などと言う。 だから世界の人に傲慢な感じを与えている。 このおかしなうぬぼれ意識は日本文化の発展と共にあった。

 

武士道にも同様なことがある。 武士道は中国の儒家と仏教の影響を受けている。 武士道が守るべき道義、信念のその大半は儒家と仏教の思想からのものだ。 武士道は中国の儒家と仏教思想を引き入れ、国家神道の教えも受けながら、一種異様な精神構造に転化し、不誠実、頑固、傲岸不遜、残忍非道、自己陶酔といった日本精神が作られた。

 

日本人は武士道を純粋な大和民族の精神的産物と思い、大和民族だけが武士道精神をこのように緻密で繊細で豊かで調和がとれたものとした。 たとえ相手を殺したり、自分が死ぬことがあったとしても武士道には“名誉”とか“大義”とかあるといって自己陶酔し、自慢気に語っている。 これら武士の行動は、本来の儒家や仏教から見れば間違いなく堕落した連中である。

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199 中国は見る(102)  日中友好派 (下)

政冷経冷の日中関係の中 日本の対中友好グループは今どこに? (下)

2006-03-01 13:01:46 主题:中日关系政冷经冷 日本对华友好派今在何处

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5.    政界友好派 日本の政界の中に本当の“親中派”などおらず“知中派”というべきだという人がいる。 しかし、さにあらず。 政界も社会の一部であり、両国国交正常化を動かした幾多の“老朋友”はみな政界の人物である。 例えば、石橋湛山元首相や与党の重鎮だった松村謙三氏など。 1972年、田中角栄元首相が中国を訪問し、日中国交正常化を実現して以降、日本の政界の主流派には田中、大平などの対中友好派がいた。 その後、対中友好派は官民挙げて発展する勢いだった。 “対米関係を主軸としながら、同時に対中関係も大いに発展する”というのが、かっての日本政界の主流の考えだった。 国交正常化後、日本の首相や外相また加藤紘一等の著名政治家、今、閣内にいる“親中派”として知られる二階俊博などは、日中友好事業に積極的貢献をした。 政界友好派の大きな特徴は、その時の日本政府の利益を代表し、可能な限り政治や歴史などの要素を薄めようとしたことにある。 現在自民党各派は対中外交と政治の整合性で混乱状態にある。 対中友好派の中には、派閥内部で対中全面結束にいたっていない。 また一方では、政経分離の現象も出始めている。 これは日中経済貿易の発展をなんとか守ろうということで、日中政治関係の後退はどうでもいいという態度である。 

対中友好派のピンチ

今、友好派には政権上層部の支援、政策の支援がまったくない。 精神的支柱にも欠けている。 また一般民意のバックアップもない非主流派に落ち込んでいる。 今までも対中友好派に対するプレッシャーはいろいろあった。 例えば、国際的圧力(冷戦時代の国際的保守化など)とか、国内の圧力(政界、メディア、社会の対中意識の変化)とか、中国の圧力(改革開放以来の中国のものすごい発展がもたらした弊害)とか、意識の変化(政治上の変化)とか、交流圧力(グローバルな動きが2国間に与える影響)

今一番心配なのは、メディアと学界を代表とする知識界の変化である。 これら領域は以前は対中友好派が有利な地位にいたのだが、最近驚くべき変化が起こった。 日本では国がメディアをコントロールし、メディアを使って学界を動かす現象が現れた。 日本の民衆のメディアに対する信用は絶大である。 日中関係の急激な悪化はメディアが演出したことは明らかで、これは誰でも知っていることだ。

 

最近、一部の知識人から“ケンカ両成敗”的な解決提案が出された。 小泉首相にも一歩譲って靖国神社参拝を止め、中国にも一歩譲って日本の歴史教科書問題を追及しないという案だ。 しかし、彼等はこの提案が日本の歴史教育に関してまったく手をつけない不公平なものであり、日本人の戦争に対する曖昧さを助長し、これが小泉首相らの参拝によって社会的な広がりを見せ、民意の支持に影響を与えていることに気がついていない。 このような理解できない提案こそ、正に今日の友好派の中にある思想上の混迷の表明である。 これら友好派は、日中関係の重要性を認識していながら、日本で長い間かかって作られた歴史観、アジア観そして日本の今日の社会風土などから、知らず知らず政府の強硬派のやり方を容認、妥協してしまっている。 仮に反対したところで、中国などが強烈に反対し、日中関係がストップされ、日本が面倒になることを心配しているだけだ。

当面、日本経済の発展は主に“中国特需”等の国際的要因に頼っている。 しかし、社会、政治、教育などの全体的状況は、誤った歴史観を容認、受け入れている。 右翼勢力が日中友好を破壊する言動を止める手立てもない。 これは我々が数十年日中友好に携わったものの伝統ある考えに対する挑戦である。 経済・貿易が増大していれば、双方の心が通じ合っていることになるというのだろうか? 経済利益の交換のみで基本的な是非(善し悪し)、政治原則の枠組みをなおざりにしていいものだろうか?

友好派の団結をどうするか?

正確な歴史観を持つこと。 これが日本人の中国に対する政治の基本である。 日中関係の特殊性は、両国の2000年の交流の歴史の中で、かって日本が中国に対して行った不幸な侵略戦争にある。 小泉首相の誤りは、靖国神社を参拝し、同時に中国との“正常な交流”が出来ると考えたことである。 結果は日中関係の正常化の基礎を損ない、日中関係を今日のような状況にしてしまった。

日中友好の大局は、対中友好派が基本に戻ることだ。 対中友好派がこの大局の観点に立って日中友好の事業を推進してほしい。 少なくとも三つの点を理解してもらいたい。

第一、“歴史を反省し、二度と戦争をしない” 日中両国人民は意見の相違を乗り越え、これだけは共通認識とする。

第二、“自主独立、覇権反対” 日中両国民は平和を守り、友好関係を持つ、政治状態になること。

第三、“共に利益を求め、未来を目指す” 日中両国民は現実的利益を守り、発展する。 これを最上の選択とする。

こうした大局的見地に立てば、対中友好派の大同団結ができるはずだ。 

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198 中国は見る(101)  日中友好派 (上)

政冷経冷の日中関係の中 日本の対中友好グループは今どこに? (上)

2006-03-01 13:01:46 主题:中日关系政冷经冷 日本对华友好派今在何处

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日中友好の歴史は長い。 国際環境の悪かった冷戦の時でさえ、日本の対中友好のグループの人達は、日中友好という大局に立って大きな活動をしてくれた。 ところが今、日中関係が悪化している中、日本の対中友好の人達はどこへ行ってしまったのか?

対中友好のグループは5種類に分類される

対中友好グループって、一体何なんだろう? 以前我々は、友好活動をしているとか、日中の経済・貿易に関わっているとか、またその他の付き合いの程度によって、友好グループかどうか判断していた。 しかし、日中国交正常化以降、特に最近になって我々にとって理解しがたい現象が出てきた。 日中の経済・貿易は途切れることなく発展を続けている。しかし、日本国内の教育、歴史観等の問題が友好、非友好といった要素を同時進行させ、しかも同時にこの要素を持つ人達が増えてきた。 言葉を換えて言うと、いわゆる対中友好グループの人達の中にも非友好的なことを言う人がいるということだ。 この問題をはっきりさせるため、友好グループの分類をしてみたい。

第二次大戦後、対中友好グループは主に四つの要因から形成された。

  反戦平和 ②経済・貿易の相互利益 ③文化交流 ④国際環境

成立要因の違いから、対中友好グループも次の通り分かれている。

1.    反省友好派 これは日本国内の反戦の人達、またいろいろな形で中国から帰国した日本人。 その中には戦犯もかなり含まれている。 この人達は、戦争を反省し中国人に罪の意識を感じており、それゆえ日中友好に尽くしている。 日本人の感情、理解の上で一番中国人に近い人々である。 この人達は時には中国人より中国のことを思い、中国に対する友好は一貫している。 ただ、年令、身体、経済力の制約がある。 最近の日中関係の悪化についてもヤキモキしており、何とか一生懸命修復できないものか考えている。 またある人は、長期に中国で教育や環境などのボランティア活動をしたり、日本で積極的に中国の留学生のための世話をしている人もいる。 これらの人々は“最も信頼できる人”と呼べる。 しかし、これら友好派の人々はよく政府を批判するので、時々活動を抑えられたり、政府やメディアから発表の機会を奪われている。 従って“草の根運動”で民間で活動するしかない。 今、この人達は、“高齢化”“後継者不足”“活動存亡の危機”に見舞われている。

2.    善意友好派 これは善良な市民のグループである。 日常生活用品の提供や社会サービスに重点を置いている。 中国留学生や中国からの帰国定住者達の多くは収入が少なく、生活も楽でない弱い人達である。 この人達をよく面倒を見ている。 人を助けるのが好きなので、必ずしも明確な歴史認識や政治的な知識は持っている訳ではない。 またほとんど中国へ行った事がなく、理解も少なく、まったく中国に対する関心を持たない人もいる。 彼等はただ善人としての仁愛の心で国を離れ、困っている中国人を助けているに過ぎない。 だから日中で問題が起きた時は、比較的公正な立場で見る人もいるが、正しい判断が出来ず、中国人は一方的過ぎるという人もいる。

3.    文化交流派 漢字文化圏である日本は、常に中国文化に憧れを持っている。 日本人が中国へ留学したり、中国語を勉強したり、中国観光に行ったりする人はどんどん増えている。 これは世界の“中国ブーム”の中でも特に際立っている。 これらの人々は多分に、中国への思い入れが強く、それが高じて中国人と結婚して“婿殿”となったり、“花嫁”となったりする。 しかし、これらの人々は政治や歴史観などの問題には口を挟まず、大体が曖昧な態度や回避する傾向にある。 また時にはこういう人達もいる。 中国の多くの問題を誤解して“左”の角度から中国改革を批判したり、話を悪い方向に向け、中国の古典を引用して反中論調を撒き散らしたりする。

4.    経済友好派 1952年、日本の国会議員帆足計等が新中国の第一回の招待客として、新中国と日中民間貿易協定の調印を行った。

それを契機として民間交流が始まり、対中友好派が続々作られるようになった。 中国市場は日本の十倍くらいあり、日中友好は両国貿易に利益をもたらした。 しかし、これら大企業のほとんどは自民党がバックにあり、従って小泉首相の外交政策に反対できないし、止める力もない。 また一方この友好派は比較的理性的で、大体が中国との交流に当たって友好が必要であるとは認識しているものの、中国に対する真情は乏しく、利益にのみ目が奪われいて友情は二の次である。 ひどいのになると、日中関係は西側の外交のように利益だけ話し合って、友好など言わないようにすればいいという者もいる。 これは、日中関係の発展の歴史が友好を基礎として出来上がった特殊性をなおざりにしていると言わざるをえない。

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197 中国は見る(100)  今年度アメリカ アカデミー賞発表を見る (2)

“ブロークバック・マウンテン”アン・リー監督作品賞は逸したが、監督賞を獲得

06-03-06 14:02 发表评论来源:中新网

断臂山惜败奥斯卡最佳影片李安获导演奖

【参考:165 中国は見る(73) 今年度アメリカ・アカデミー賞発表を見る (1) : 149 中国は見る(61) アメリカの「ゴールデン・グローブ賞」を見る】 

中新ネット3月6日電、アメリカ現地時間5日夜(北京時間6日午前)、第78回アカデミー賞はロスアンジェルス・ハリウッドのコダック・シアターで発表された。 中国系アン・リー監督が“グリーン・デスティ二―”の外国語映画賞に続いて、再び“ブロークバック・マウンテン”で監督賞に輝き、初めて中国出身監督の受賞という栄誉を得た。 また、作品賞には、“クラッシュ”が選ばれた。 主演男優賞には、フィリップ・シーモア・ホフマン《カポーティ》、主演女優賞には、リーズ・ウィザースプーン《ウオーク・ザ・ライン/君に続く道》が受賞した。

アン・リーは赤い絨毯の上で取材を受けて、“私は中国人として誇りに思う。 私はアメリカ人ではないがグリーン・カードを持ち、合法的にアメリカで働いている” この後、中国語で、“皆さん、ありがとう” と述べた。

アン・リー監督はゴールデングローブ賞で、“ブロークバック・マウンテン”は最優秀作品賞と最優秀監督賞の2つの大賞を獲得した。 今回のアカデミー賞の選出にあたって、同作品は8部門にノミネートされた。 その中で彼は監督賞の候補者に選ばれていた。 最終的に、彼はベネット・ミラー《カポーティ》、ポール・ハギス《クラッシュ》、ジョージ・クルーニー《グッドナイト&グッドラック》、スティーブン・スピルバーグ《ミュンヘン》等を破り、衆目の一致するところ“監督賞”を受賞し、同時に初の中国人監督という栄誉に輝いた。 “ブロークバック・マウンテン”はその内容が“同性愛”という題材で、価値観に異論があり、最終的には作品賞の選考で《クラッシュ》に敗れた。 作品賞には、他に《カポーティ》、《グッドナイト&グッドラック》、《ミュンヘン》が候補に上がっていた。

SAYURI”は、撮影、美術、衣装デザインを獲得。

【アカデミー賞受賞一覧】

作品賞    クラッシュ Crash 撞车)

監督賞    アン・リー(李安) ブロークバック・マウンテン【断臂山】

主演男優賞  フィリップ・シーモア・ホフマン【菲利普西摩尔霍夫曼】《カポーティ》【卡波特】

主演女優賞    リーズ・ウィザースプーン【瑞茜威瑟斯彭】《ウオーク・ザ・ライン/君に続く道》【一往无前】

助演男優賞  ジョージ・クルーニー【乔治克鲁尼】《シリアナ》【辛瑞纳

助演女優賞  レイチェル・ワイズ【蕾切尔薇兹】《ナイロビの蜂》【不朽的园丁】

長編アニメ賞 ウオレスとグルミット/野菜畑で大ピンチ!【超级无敌掌门狗:人兔诅咒】

外国語映画賞 ツオツイ【黑帮暴徒】南アフリカ(南非)

メイクアップ賞 ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女【纳尼亚传奇】

作曲賞    ブロークバック・マウンテン【断臂山】

オリジナル歌曲賞  It’s  Hard Out Here for a Pimp(川流熙攘Hustle & Flow

アニメーション短編賞 The Moon And The Son An Imagined Conversation

実写短編賞  Six Shooter六位枪手

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196 中国は見る(99) 日本見聞記⑪  (下)

日本見聞記 

2006-01-12 16:04:24 主题:旅日散记

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日本人の西洋崇拝

だが実際は、日本は外国崇拝の国である。 こう断定してしまったが、決して根拠がない話ではない。 

日本へ到着した翌日の午後、私達はアジア最大のディズニーランドへ行った。 私達の大型バスがディズニーランドの駐車場に入ってビックリした。 私達の車はなんと車の海の中に入り込んでいた。 明るい太陽の下、見渡す限りピカピカの車だらけだ。 ディズニーランドへ入った時、童話の中のお城には目がいかず、まず引き付けられたのは押し合いへし合いでビッシリ並んでいる人の群れだった。 ここは人で埋まった海岸のようだった。 東京中の人がここにやって来たのかと思った。 老若男女、健康な人、障害のある人、いずれも童心に戻りいろいろな扮装を楽しんでいた。 例えばミッキーマウスの大きな耳をしてたり、ウサギの格好をしたり、熊になったりしていた。 もっと驚かされたのは、あるテーマ館の前には先頭が見えないのに、道の両側の通路を十重二十重にビッシリと人が並び静かに待っているのだ。 こいつら、一体何なんだ?

自分がその場に身を置いてみると、自分が社会人だなんて感じないように、社会的身分など忘れ、ドナルドタックやクマのプーさん、ミッキー、シンデレラなどディズニーの登場人物の中に入り込んで楽しみ、騒いでつかの間のリラックスをえることが出来る。 可愛いい“アリスの午後のカップ”(四人が坐れるコーヒーカップ)の中で、グルグル回転し思いっきり大笑いしたりした。

夕方ちかくなっても、大きなディズニーランドの沢山あるテーマ館を遊びきれない。 そうはいっても私達は、ディズニーランドのいくつかの場所、世界探検、幻想世界、未来世界などを見、昼間と夜でまた違った雰囲気を味わった。 日本人は普段は下を向いて携帯をいじったり、MP3を聴いたり、マンガを見たり、自分だけの世界にいるのに、ディズニーランドの女の子達の情熱的で、うまい誘導などにより、みんなゲームに参加し、大きな音楽に合わせ一緒に跳ねたり、叫んだり、声を上げたり、道路脇で待ってる沢山の人達も、ディズニーアニメ達が満載の花車についていったりしていた。

テーマパークと言えば、家の近くの“蘇州パラダイス”も以前“ディズニーより近い、蘇州パラダイスへどうぞ!”なんてキャッチフレーズを使ってたっけ。 比べてみると中国のテーマパークは、“冒険”物は多いけれど、“夢”や“参加する楽しさ”“人に対する気配り”にちょと欠けている。 ディズニーの成功は、誰でも知っている童話を遊びに取り入れ、身分や年令の壁を取り除き、人々の気持ちを引き入れることができたことである。 一番感動したのは夜の花電車の行列の時、一番いい場所で見たいと思いある場所で待っていたら、ディズニーの女の子がやって来て、別の場所へ移動してくださいという。 そこは障害の人達のための場所だったのだ。 そういやこういうこと聞いたことがあったっけ。 日本は障害者の人達に対し細かく行き届いているから、障害者の車を押していけば、日本くまなく回ることが出来るって。

ガイドが私達に“ディズニーが初めて日本に出来た頃、ブームになったので、独自にディズニーシーを作った” なぜこんなにブームになったのか? 原因はディズニー本体の魅力もさることながら、日本民族は自分達より強い民族に対して畏敬の念を抱いている。 もちろん私がこう推定するのは、飛躍しすぎかもしれない。 しかしよく考えても間違いありません。 ディズニーはアメリカから来た。 アメリカは強大な政治、経済、軍事力を持っており、日本が仰ぎ見、信服するに足る国なのです。 だからアメリカ文化が簡単に日本に根付いたのです。

日本では、私達は日本語が出来なくても大体英語で通じます。 日本人は一般的に、いい教育を受けておりほとんど聞き取れます。 またあなたが流暢な英語をしゃべるとわかると、すぐ好感を持ってくれます。 女友達が私に話してくれたのですが、日本語の音節はリズムが少なく、話す時の発音もはっきりしません。 それで英語は、日本人にとって苦手となっているようです。

帰国後、友達が私に尋ねた。 “日本に対し、何か見方が変ったか?” 私は、“日本民族の良いところ、実際的な民族の特性は学ぶべきだ。 二十数年後、私達の国民がいい教育を受けたら、その素質は分母から分子に変り、きっと強い国家になれる。 その時には、中国文化はかっての大唐時代のように日本の文化に影響を与え、中華民族の中庸精神で大和民族の精神を革新してやる。 “スローガン”ぽくなったが、決して遠い将来の話でないと私は確信している。 

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195 中国は見る(98) 日本見聞記⑩  (中)

日本見聞記

2006-01-12 16:04:24 主题:旅日散记

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日本へ来て3日目の夜、私達は石和温泉に泊まった。 ここは日本式旅館で、タタミの上で寝、浴衣を着た。 着物の正式な着方は着物の右おくみを左おくみの下にして着ることで、その逆に右おくみを左おくみの上にして着ると左前となって、死人の装束だという。 女の人は帯を結んだ姿で、やや下向きかげんに小走りに歩いていた。 こういう言葉があったっけ。 “人生最高の楽しみは、中国料理を食べ、アメリカ風の家に住み、日本の女を妻とすること”。 徐志摩も言っている。 “一番はうつむき加減のやさしいしぐさ。 女たちは独特の民族衣装を着ていて、私は中国服のことなどすっかり忘れてしまった”

夕飯を食べ終り温泉に入ったりしてたら、もう9時を過ぎていた。 表をぶらぶらしようということになった。 日本はきっと賑やかな世界があって、夜はもっとすごいに違いないと思った。 ところが夜8時9時というのに、開いているのはコンビニくらい、東京の新宿歌舞伎町だったら賑やかだろうに。 日本人は伝統を守るためには生活方式を変えようとしないのか? でも私達は夜道を歩いて見ることにした。 

通りに沿ってブラブラ歩いた。 道端に停まっていたハイヤーの脇を通り抜けようとしたとき、黒白のくっきりしたコンビネーションが目に入った。 白いワイシャツに白い手袋、それに白い髪、黒い服装、黒いネクタイ、それに黒いトヨタのクラウン。 日本は老人社会に突入していて運転手も紳士風の老人だった。 ハイヤーはとても高い。 ちょっと頼もうものなら1-2万(1万円は700人民)じゃすまないかもしれない。 笑い話で日本では、金があるかどうかはどんな車を持ってるかではなく、ハイヤーを呼べるかどうかだということだそうだ。 前方にほの暗い明かりが見えた。 近寄って見ると曲がり角だった。 そこを曲がったところで夜道なのに歓声を上げそうになった。 そこは日本の伝統的な建造物の保存地区みたいで、十メートル幅の大通りの両側には、木造の2階建ての家が連なっていた。 どの家の前にも小さな一輪車が置かれていた。 通路にはきれいな案内板が立っていた。 案内板はいろいろあって、中には扇形の絵だとか、俳句だとかあり、印象に残ったものでは梅、蘭、竹、菊の絵がきれいに描かれていた。 人気のない夜道、私達の足音しか聞こえない。 ときどき犬の鳴く声が聞こえるだけ。 神社の名前が見えた。 外観だけでも大したもので外側に由緒書があった。 大体の意味は鎌倉幕府の源氏の当主が造ったようだ。 8-900年の歴史があるものだ。 入口に立ってそっと覗いて見ると、神社の前は白砂が敷き詰められ、真ん中に一本道路があって奥に向かっていく。 道の両脇には石灯籠が立っている。 夜なので建物はよく見えない。 回りの樹々が多分に神秘性を増してるように思える。 私はこの8―900年の歴史が一瞬に見えたように思えた。 この神社の保全が行き届いているのを見て驚いた。 また歩き続けた。 今度は、生活風俗博物館が見えた。 この地方の文化遺産を展示しているのだろう。 見てみたいと思って近づいたが閉まっていた。

この町は有名な歴史的人物に会える蘇州の山塘街に似てると思った。 でもよく見ると山塘街とは違うところがある。 山塘街は住民を追い出して、まったくの商業観光街にしてしまっている。 しかしここで出会ったこの通りは、歴史の雰囲気が人々の生活の中で感じられる。 私はまた、日本の文化遺産、民族の伝統についての配慮に感心してしまった。 神社や寺など個別記念物から歴史の町を保存することまで、住民生活をないがしろにすることなく、また早寝早起きなど数百年続いた生活習慣、風俗を大事にしていることがよくわかった。 中国国内の伝統文化と比べてみると、中国はすべて拒否するか、有形物を重んずるばかりで無形のものを大事にしなかったり、現代化という実用主義を追求する態度だったりする。 ひるがえって日本を見ると、伝統を現代化の対立面として見ることなく、また現代化の過程に影響させることもしない。 つまり、自分のルーツを探り精神的よりどころとし、将来に向かって自信と勇気を与えようとしているようだ。

こんなこと書いてしまって、腹を立てないでくれ。 決して日本を称賛するわけではない。 日本のように良いことは学び、伝統の良さを取り入れるべきと思ったまでだ。 というのは、伝統というものは、我々の民族精神に深く影響するものであり、更にわが民族が数千年来発展し、途絶えることなく今日あるのも、すべてこの伝統が重要な要因となっていると思うからである。

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194 中国は見る(97) 日本見聞記⑨  (上)

日本見聞記 (上)

2006-01-12 16:04:24 主题:旅日散记

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日本人の危機意識

長い間、私達はこの非友好的な隣国を“小日本”と呼んできた。 この国土の狭い国は、わが国を8年の間苦しめた。 この歴史上のイヤな記憶が、今に至るも日本という名を聞くと、中国人の心の中をチクチク逆撫でするのだ。 ところで私達は、一体どのくらい日本を知ってるだろうか? という訳で、ツアーに混じって日本へ行くことになったのだが、旅行というと、うきうきした気分になるものだがその気にはなれなかった。 ただ、自分の目でこの国をしっかり見てこよう、至近距離で観察し、冷静に見てみたいと思った。

飛行機の中で日本人に出会った。 彼は日中対訳の本で中国語を勉強していた。 私達は、中国語、英語をはさみながら話し始めた。 彼はとても友好的で、簡単な日本語をいくつか教えてくれた。 また、半月ごとに上海―東京間を行ったり来たりしていることなど話した。 中国にはビジネスチャンスがあると言っていた。 彼は私に、日本に何しに行くのか?と訊いてきた。 旅行、買物だというと、日本の新幹線にも乗るようすすめてくれた。 日本に着いたのは11時を回った頃だった。 私は日本へ嫁に行った女友達に電話した。 十数年ぶりに声を聞いた。 純粋なお国言葉で懐かしかった。 初めて彼女が中国へ里帰りした時、私の姉妹達と再会した時の“喜びよう”を思い出した。 彼女はもうすっかり日本の奥さんのようだった。 時々、文章も書いているようで、日本の朝日新聞に日本感想記の投書が載ったそうだ。 話している間、私は彼女を日本を理解するための最高の窓口だと思った。

旅行というと、中国の方が山紫水明で自然も一杯で、見るところが沢山、心が洗われる。 日本なんてせいぜい平凡な自然だけだろうと思った。 東京、横浜、大阪、私が見た海は、どこも青く澄んでいた。 本当の海の色だった。 東京湾のレインボーブリッジは、ビックリするほど美しかった。 中国は沢山の人と財力を使って、人工の緑化を作っていて、自然の野草がそのままというところはとても少ない。 それが日本では、一般の民家の庭先でも緑化がされていた。 世界最大の経済発展の国が、野草を緑化の主力にしているなんて信じられなかった。

これは思うに、節約精神の表れではないのか? 節約、環境保全、これが私の日本で最初に受けた強烈な印象だ。 日本の街は車が多い。 その多くは排気量の小さい小型車で、でっかいベンツはあまり見なかった。 トヨタ自動車に行った時、流線型のスポーツカーも良かったが、実用的な小型車が気に入った。 これこそ本当の代用車と思い記念写真まで撮ってしまった。 日本人の節約精神はどこにでもあって、国土の資源が乏しく面積も狭く人口が多いことを、小さい時から教育されている。 生存のため、懸命に努力して節約につとめ、食事の時も残さない習慣ができているようだ。 これは日本のトイレを見ても察せられる。 最初泊まったホテルは一人一室だった。 小さいトイレは2平方メートル位で、天井、壁、床から水洗トイレ、洗面台、乾燥機、風呂などすべて型にはめて作ってるようだ。 空間をうまく利用し、ムダがない。 中国は、なんでも派手で、格好をつける。 車はどこのメーカーがいいとか、食事はいっぱい残す。 私は、なんとムダなことかと思っていた。 節約について、日本は常に危機意識を持っている。 彼等の教科書には、自国の資源が乏しいことを、次の世代に小さい時から教えている。 そして節約こそ日本民族が、特殊な地理状況にあって生き残る道だとしている。 

友達が話してくれたところによれば、明治時代、日本人は神道を国教としていた。 天皇は太陽の女神の後裔だと信じており、国民と天皇は一体となっていた。 日本人は神道を国民の意識を作る教義とした。 だからその教育の目的は個人を伸ばすことではなく、国家利益を優先するものだった。 こうして、日本は見る間に経済的に発展し、軍国主義の侵略への道を歩むことになった。

日本の文化の母体の中国文化にも強い危機意識がある。 身近の言葉をちょっと拾ってみれば、「人生憂患識字始」(人生字を識るは、憂患のはじめ)という言葉があるし、孔子が言った「人無遠慮、必有近憂」(遠い先まで配慮しない人は、必ず近いうちに心配事が起きる)。 また、孟子の言う、「生憂患而死安楽」(人は心痛の種のある時は、緊張して生命を守ろうと努力するが、安楽に耽っていると心がゆるんで死に赴きやすくなる)。 これらはいずれも個人と国の角度から危機意識を持つ重要性を説いたものだ。 李存勖という皇帝は、兵乱の歴史の中で死に際に、“憂いと苦労は国を興すもと、遊びと楽しみは身の破滅”と言った。 もっともなことである。 ただその後、中国の文化はエリートだけのものとなり、一般の人から遊離したものとなってしまった。

こうした面から、日本が今、力を増しつつある中国を仮想敵国と見ているのも理解できる。 ただ日本は依怙地なところがある民族で危機意識が強すぎる。 女友達が電話で私に、“なんで中国はあんなに反日なの?”と訊いたので、私はちょっと自慢げに説明してやった。 “中国は今、強くなったんだ。 教育もしっかりしているし、ネットも出来るようになった。 若い世代はもう、無知で無表情、無感動な中国人じゃない。 民族としての自信も強くなった。 逆に日本政府は、真剣に歴史を反省せず、教科書もちゃんと書いてないそうじゃないか? それで、日本の若い世代は南京大虐殺の歴史もまったく知らないんだ。 だから、「反日」は、中国人の敏感な反応なのさ” こうしゃべっていた時、私は自分の気持が高揚してしまったことを感じた。 実は、いろいろ彼女と話しているうち、彼女が家で家事をしているうちに日本の考え方に慣らされ、普通の家庭の主婦に納まり、中国の事情に疎くなってしまったのがわかったからだ。

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193 中国は見る(96)   下流社会

日本は下流社会に入ったのか?

日本进入下流社会了吗?

2006-02-25-17:19:48 http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=395463

近頃、日本のベストセラー・ランキングでは“下流社会”という本が評判になっている。 この本は発売後2ヶ月もたたないうちに40万冊もの売れ行きだという。 こんなに多くの日本人が低収入、低消費の“下流社会”に関心があるのだろうか? かって“一億総中流”といっていた日本の中産階級は崩壊してしまったのか? と訊いてみたくなる。 日本は本当に“下流社会”に突入したのだろうか?

多くの人が人生への意欲を失っている

日本の社会は今まで中産階級が多数を占めていた。 貧富の差も少ないことを自慢にしていた。 しかし、“下流社会”の作者・三浦展氏は、日本社会の個人所得、学歴、生活意欲等の差がますます広がり、今、日本社会は“下流社会”へと向かいつつあると指摘している。

彼は本の中で1950年代から70年代の高度経済成長期に生まれた層は“新中間層”で、目下“上流”と“下流”の両極化が進み、若い世代になると続々と“下流社会”に入っている。 その最大の特徴は低収入というだけでなく、コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学習意欲、消費意欲など、つまり総じて“人生への意欲が低い”のである。

今の若い世代は就職難に直面しており、やっと仕事が見つかっても残業が日常的で、それを我慢しなければならない。 会社、結婚などでも競争やプレッシャーがあり、そのため仕事や家庭の“重荷”がイヤだというものも出てきて、自分らしさを求めて“下流社会”に入ってしまう。

三浦氏は、ずばり“下流社会”形成の背景をこう説明した。

貧富の差はますます開く

“下流社会”の本のデータから見ると、日本はバブル時代、個人の年収が600万から1000万を中産階級としていたが、2004年では、個人の年収が600万に届かない層が納税人口の78%を占めるようになり、更に37.2%のパートの給料は10万にも達していない。

これとは対照的なのは、若い創業者でインターネットや投資などの新しい会社を興し、30-40才代で億万長者になるのがいる。 彼等は個性的で生活は派手だ。 つい最近、粉飾決算疑惑で刑務所入りした堀江貴文や同じインターネット関連会社の“楽天”の三木谷浩史社長などは、その代表的人物だ。

“下流社会”は、日本社会の貧富二極分化が進行している現在に対する鋭い分析で、“読売新聞”の読書欄には次のように記されている。 少数のIT企業家やビジネスの名士が都心の一等地で暮らしている時に、一方ではコンビニで週刊誌を読みふけっている“ダラダラ族”のような低収入の人達がどんどん増えている。 また、ますます大量のフリーターの大軍が入ってくる。 “下流社会”が指摘していることは、中産階級の崩壊の後、日本の社会の中で、相互理解と意思疎通が出来にくくなっているとの警鐘だ。

メディアも“下流社会”を取り上げる

“下流社会”が発売されるや、日本の主要メディアからも注目が集まり、“朝日新聞”“毎日新聞”など大新聞も書評に取り上げ、このインパクトのある題名から、社会の変化を見ないといけないと書いていた。 週刊誌でも取り上げられ、“週刊ポスト”と社会分析で定評のある“週刊SPA”も、それぞれ”あなたも「下流社会」入りか?”とか“「下流社会」の足音”といった題で、もっともらしく“下流社会”の処世術を書いていた。

これらメディアの論評は、“下流社会”の本を読むことにより、小泉首相になってから、バブル経済の“つけ”として残った一千兆円の財政赤字を縮小するため、制度の自由化、小さな政府などの管理方式を採用し、それが社会的な貧富の拡大に繋がったとしている。 

今、日本の社会では、少数の金持と才能のある人しか“勝ち組”になれない。 ほかの普通の人は、どんな学位を持とうが、すべて“負け組”なのだ。 500万人ものフリーターや、60万ほどの“NEET”(学校へも行かず、仕事もしない特殊な人達)は、決まった固定収入の保証もなく、社会的地位もないし、貯金もできないから、ますます貧乏になっていき、出世なんて望むべくもない。

マーケッティング・リサーチのスペシャリストである三浦氏は、常に“もう一つの目”で日本社会を眺めている。 彼には他に、“ファスト風土化する日本”“「かまやつ女」の時代”などの本がある。 いずれもマーケッティング調査から入り、社会の深層の動きを鋭く追っている。

読売新聞の取材を受けた時、三浦氏は、“下流社会”は簡単にいいとか悪いとか判断することはできない。 現在、日本の社会の階層分化は始まったばかりだ。 中産階級の崩壊は日毎に進んでおり、それによる社会矛盾は、これから続いて起こる。 20年後、パリの騒動のようなことが日本で起きないとは言えない。

読者の“下流度”チェック

次の項目で、半分以上当てはまるものがあれば、あなたはかなり“下流的”です。

1.      年収は年令の10倍未満だ。

2.           その日その日を気楽に生きたいと思う。

3.           自分らしく生きるのがよいと思う。

4.           好きなことだけして生きたい。

5.           面倒くさがり、だらしない、出不精。

6.           一人でいるのが好きだ。

7.           地味で目立たない性格だ。

8.           ファッションは自分流である。

9.           食べることが面倒くさいと思うことがる。

10.  お菓子やファーストフードをよく食べる。

11.    一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごす ことがよくある。

12.  未婚である。(男性で33才以上、女性で30才以上   の方)

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192 中国は見る(95)   滋賀 中国人主婦 幼稚園児殺害事件 (2)

滋賀 中国人主婦 幼稚園児殺害事件(2) 

2006-02-25 11:48:09 :中           

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=395135 

【関連記事:182 中国は見る(86) 滋賀 中国人主婦 幼稚園児殺害事件 (1)】

2月17日、日本の琵琶湖畔の静かな町で、なんとも悲惨な事件が起こった。 日本へ嫁いで6年あまりの中国の花嫁・鄭永善(日本名:谷口充恵)が、自分の5才の娘の前で、事前に用意した20センチの刺身包丁を使って、娘の級友2人をそれぞれ20ヶ所以上も刺し死なせたのだ。

鄭永善は殺した理由について、“ほかの子供が悪い。 自分の子供まで悪くなってしまう”とか、“自分のそばにちょうどいたから”と言うのみで、具体的、はっきりした理由は述べていない。 なんで、中国出身花嫁が日本で殺人犯になってしまったのか?

これは典型的な在日移民の犯罪である。 日本社会との融合に失敗し、疎外されたと思い、被害妄想に陥り、誰かが自分を襲ってくるのではないかと思ってしまった。 相手は誰とも特定できない。 だから報復する相手は誰でもいい。 二人の幼児は、たまたま彼女の娘と一緒に登園しようとしていた。 簡単に実行できる弱い相手だった。 実際、鄭永善は03年9月から、ずっと神経衰弱で医者に通っていた。 04年には4ヶ月入院したこともあった。 起訴前に受けた精神鑑定で或いは犯行時、心神喪失状況にあったと判定されるかもしれない。

27才の時、40才の男性と結婚

今回の事件は、中国内地の貧乏な女性が豊かな生活を追い求め、日本へ嫁に行った悲劇である。 鄭永善は黒竜江の人で家はハルピンの北方300キロの田舎である。 兄弟姉妹が多い。 彼女は夫・谷口と見合いしてすぐ結婚を決めた。 その時27才。 夫はもう40才だった。 これは、日本の外国花嫁獲得の典型である。 日本の社会は今、30過ぎのうち6割が未婚で、農村は特にきびしい。 結婚できない男性は、斡旋会社を通じて中国大陸で見合いし結婚する。 そうすることにより農村の嫁不足問題を解決している。

鄭永善が住んでいる琵琶湖の湖北地区には、中国花嫁を迎えた村落がいくつかある。 4050才の男性が20才台の中国女性を妻としている。 鄭永善の姉も3年前に、彼女に続いて日本人と結婚して来日し、農業を手伝い、舅、姑の面倒を見ている。 日本の夫は結婚等の費用として、300万円―400万円位の仲介料を支払っている。 花嫁は日本へ行った後、中国の父母へ品物を送ろうとし、時には夫や姑と衝突があるという。

容疑者は自尊心が強い

中国の貧しい所から来る場合、文化、生活水準の差が大きく、また、生活内容がまったく違う日本の社会に適応するのは非常にむずかしい。 しかし鄭永善は、ほかの中国の花嫁とは違って、勉強がよくでき、大連の大学にも通っていた。 日本語ができるだけでなく韓国語、英語もできたということだ。 だが、勝気で自尊心が高かったという。 最初、日本に着いた頃、舅、姑と同居していた。 夫はやさしかった。 彼女はその町の中で働いていた。 農作業はしなかった。 嫁、姑関係はあまりよくなかった。 その後、引越をしたが関係は改善されなかった。 事件前、帯で姑の首を絞めようとしたことがあったと娘が言っていた。

彼女は入院したことで娘に申し訳ないと思い、娘の教育にことのほか神経質になった。 娘に英語、ピアノ、バレーなど習わせ、また、娘が混血であるため“イジメ”や“一人ぼっち”になってるのではないかと心配した。 自分自身も不適応なので、娘も不適応だと思い込んだ。 東京文京区で9年前に同様の悲惨な事件があった。 幼稚園児の母親が、同じように疎外感から子供の同級生の2才の弟を殺してしまったのだ。 鄭永善の場合、疎外感とその上文化の違いという要素がある。 鄭永善の気持をかくもいらだたせた最大の理由は、幼稚園が親達に輪番制で集団登下校を強制したことにあるようだ。 ほかのお母さん達との関係からくる疎外感、妄想感が頂点に達してしまった。

日本政府は傍観

外国からの移住者が異国社会で抱く疎外感は普通に見られることである。 日本の社会は特になかなか溶け込みにくい社会だ。 日本人の間では暗黙の了解といったことがよくあり、声なき声といった無言の圧力も大きい。 日本人の中ですら、自分は適応できてないのではと思っている人もいるくらいだ。 日本ではもう6年も続けて、毎年3万人もの自殺者が出ている。 

事件後、日本人の多くの人が、鄭永善のような若くて教養もある女性が、なんで日本の田舎へ嫁に来る気になったのかいぶかる声が多かった。 田舎の嫁のなると、舅、姑の面倒を見なければいけないし、労働力としてこき使われる。 日本のほとんどの女性は、“とんでもない”と思っている。 鄭永善が中国の辺境地域から来て、このような悲惨な事件を起こしたからといって、日本の生活の便利さ豊かさにあこがれ、中国からの花嫁希望者は跡を絶たないだろう!

日本政府は、中国の花嫁が日本の農村を支えていることを知っている。 しかし、例えば言語、文化、教育またそれぞれの家庭に対する指導といった問題については、個人的問題として行政面からの支援はしていない。

東京のような都会では、7人の赤ちゃんが生まれたら、そのうち一人は混血か外国人家庭の赤ちゃんだそうだ。 しかし農村では、まだまだ理解されていない。 今後、第二の鄭永善が現れないことを願うばかりだ。   

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191 中国は見る(94)   日本女性に対するイメージ

着物を脱ぎ捨てた日本女性の真実の姿

如今她已脱下和服 亲历的日本女人

2006-01-09 07:53:00   国线

世界で一番すてきな人生は、“イギリス風の家に住み、中国料理を食べ、アメリカ並みの給料をとり、そして日本女性を妻にする”ことだそうだ。 日本女性というと、全世界の男性はやさしくおとなしいイメージをえがく。

私達が映画から見た日本の妻のイメージはこうだ。 “朝5時か6時頃起き、夫のために朝食を用意する。 また、その日着ていく下着、靴下、ワイシャツ、洋服それにネクタイを揃えておく。 ハンカチも忘れはしない。 夫と子供の弁当の世話をし、皆を送り出したら掃除に洗濯だ。 夜は暖かいお風呂を用意し、夕食を食卓に並べ、一日働いて戻る“ご主人様”を待つ。 玄関のベルが鳴ると、やさしく“お帰りなさい”と言って、その日の最後の“ハイライト”が始まる。 夫と子供と一緒に食事をするというより、食事の世話係といった方がいいのだが、食事の間、みんなのご飯のお代わりやら、お酒の追加やらもすべてやり、後片付けもすべてこなす。

私は日本の友達に、“日本の女性って、みなこうなの?”と訊いたことがある。 彼等は笑って、“そんなのない、ない! それは昔の話だ-------” 

ちょっと前に、鳳凰衛星テレビで評判だった“大和撫子” 筋は、貧しい家庭出身のスチュワーデス桜子が、金持との結婚にあこがれ、自分の好きだった恋人を捨て、自分を苦労して育ててくれた父親さえ見捨て、結婚を“玉の輿”としかみない女の子の話だった。 でもこれは、今日の多くの日本女性が抱いている心理を反映したものと言える。

現在の日本女性には、もう以前のような固定されたイメージはない。

ある時、日本の友達に“着物着ることあるの?”って訊いてみた。 彼女自身は着たことないと言った。 でも、おじいさんは着ているようだ。

着物と同じように、伝統を脱ぎ捨てた日本女性はどうしているのか? 東京の盛り場、渋谷、原宿、新宿または池袋などで、よく制服を着た少女たちが、通りすがりの中年の男性に、“ねえ、お金くれない?”なんて声をかけるのを見たことがある。

結婚した女性の中にも“浮気”“不倫”が多くなった。 流行やブームを追っかけてるみたいだ。 データによれば、結婚後も“貞操”を守る者は、1968年53%から現在(2003年)には31%に落ち込んでいるそうだ。 

熟年女性には、“年相応”という言葉がある。 中国では“人老珠黄”(真珠が古くなり値打ちが下がるように、女性が年をとって容色が衰えるたとえ)という。 ところが、日本では着る物もおしゃれで、真珠や宝石を輝かせている熟年女性が多い。 私の日本語の先生が話してくれたことによると、“中国の老人は元気がある。 特に男性は退職してからもウォーキング、水泳をやっている。 それにひきかえ、日本の男性は、退職したらすぐ医者へ通いだす”

熟年の女性の中には、今、老後の資金を用意し、夫が退職した時に離婚を宣言するのがいるそうだ。 彼女等は、病院に通ってばかりいて家事も出来ない夫のことを“粗大ゴミ”といって家から追い出すのだ。たとえ社会的に深い要因があるとはいえ、ちょと残酷すぎる。

以前、日本の友達の家に招かれたことがあった。 そこの奥さんは普段はしとやかでやさしい話し方をしていた。 ところが、その日家へお邪魔した時、子供にケーキを出すように言ったとき、子供が“イヤー”と答えたところ、奥さんは怒り出し、ガミガミと大声で手も上げんばかりだった。 私が知っている中国のお母さんよりもっと怖かった。 でも、私の方に向かうと、ニコニコした顔で、“ご免なさいね”

私は彼女の表情のあまりの変りように驚くと共に、その天才のような演技に見とれてしまった。

また、ほかの女性でもこういう場面を見たことがあった。 ヒステリーになって子供を叱っている時に電話がなった。 女性が受話器をとると、満面笑みを浮かべ、やさしい声になって挨拶をしていた。 相手が見えなくても、うなずいたりお辞儀をしたり、ひとしきり話をしたあと、最後に“ではごめんください”と丁寧に言って電話を置いた途端、女性の笑顔はたちまち消えうせ、子供をにらみつけると“バカ”と言った。

日本女性は普段から“喜怒哀楽”の感情を抑えていて、カムフラージュしている。 でも表から見えないところでは、その抑えた感情を数倍のエネルギーとなって発散している。 まるでスプリングのように。

日本の会社で働いていた中国青年が日本の女性医師と恋に落ちた。 結婚して男の子が生まれた。 女医さんは自分の給料は生活費には出さず、一家三人は男性の給料で生活した。 その後、日本の経済が悪くなると共に男性は失業してしまった。 その時、妻は、“失業したら、私達やっていけないわ。 別れましょう” といって、別れたそうだ。

この話を聞いた時、私は驚いた。 この二人は恋愛だったし、子供もいるのだ。 日本では、お医者さんの給料はとてもいいし、彼女は、中国の男性が日本での仕事が大変なことはわかっているはずだ。 二人で協力してガンバレばいいのにと思った。 着物を脱ぎ捨てた日本女性には、仕事がない男性には魅力がないということなのだ。 彼女らは現実的で、思いやりがなくなってきている。 

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