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186 中国は見る(89)  日本から見た中国 (下)

日本人の目に映った中国人の欠点 (下)

2006-02-15 10:48:46 :日本人眼中的中国人缺点

本文网址:http://bbs6.news.163.com/board/rep.jsp?b=zhongri&i=386408 

“ゆっくり”の欠点の二つ目は効率が悪いこと。 中国人は昔から、中国の文化、思想、技術方面が一番優秀だと思っている。 だから、他の国の知識や文化を吸収することに熱心でない。 欧州文明、特に科学、技術方面の成果についても、ゆっくり吸収するという消極的態度である。 それに対して、日本人は積極的で、熱心に新知識、新文化を吸収しようとする。

1543年、ポルトガル人が火縄銃(鉄砲)を日本へ伝えた。 32年後日本の軍隊には火縄銃(鉄砲)部隊が出来ていた。 この時から鉄砲は日本の軍隊ではなくてはならない最新兵器となった。 火縄(鉄砲)が中国へ伝えられたのは日本より早かった。 しかし80年後の豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、中国の明軍にはまだ鉄砲部隊はなかった。 しかも150年後、明朝滅亡時にも中国の軍隊では、まだ鉄砲を大規模に使用することはなかった。 この一例からしても日本人は、中国人とのスピード観念がまったく違うことがわかる。 先進国家の科学技術、文化、思想などを吸収するスピードの違いも推して知るべしだ。

日本は明治維新後、数十年ではっきり変化が現れた。 しかし中国は半封建、半植民地の状況から抜け出せずにいた。 中国人の勤労さは決して日本人に劣るものではない。 しかし効率は明らかに日本人に及ばない。 これは中国人の時間観念と関係があると言わないわけにはいかないだろう。 早さを求めるのが好きな日本人と、その反対に中国人は、急がず慌てずをとことんまで貫く生活態度である。 “ゆっくりいこう!” これは、中国人が長い歴史の中から掴んだ一種の知恵であり、生活感覚だ。

“まあまあ”(馬馬虎虎)---------中国人の基本方針

日本で悪口を言う言葉に“馬鹿”(バカヤロー)がある。 これは、史記の中の“鹿を指して馬となす”が出典となっている。 秦始皇帝が亡くなった後、実権は宰相の趙高に握られていた。 ある時、趙高が二代目の皇帝に鹿を献上した時、“陛下、馬を差し上げます”と言った。 年少の皇帝は、わけがわからず左右の大臣に、“なんだって、これが馬だって?”回りにいた大臣はみな趙高にへつらって、“これは間違いなく馬です”と言った。 その後、日本人は馬と鹿さえわからない愚か者のことを“馬鹿”(バカ)と言うようになった。

中国人がよく言う言葉に“まあまあ”(馬馬虎虎)《マーマーフーフー》がある。 馬であれ虎であれどちらでもかまわない、どっちも動物だからだ。 このいい加減な感覚と表現は、中国人特有のもので、日本人には理解できない。 日中国交正常化以来、合資企業が沢山出来た。 中にはうまくいっているものもあるし、挫折したものもある。

うまくいかなかった理由はいろいろだが、その中の一つに契約に対する日中双方の考え方の違いがある。 日本側は、一旦契約したら途中で困難があろうとも、絶対やり通し守り抜くことが商業上の道徳と思っている。それに対して中国側は、当初の契約を守ることは当然としながらも、万やむを得ない状況になった時には、途中で改訂しても構わないと考えている。 商売というものは臨機応変でなければならないのだ。

1978年、中国政府は日本の新日鉄、三菱商事等大企業と宝山製鉄所の合資契約を結んだ。 1981年1月、中国側は突然外資が逼迫したとの理由で、一方的に第二期工事の中止を申し出た。 これは日本側企業をあわてさせた。 すでに数千億円もの設備投資をしてるのに、突然中止されてどうして納得できようか? しかも信用できる政府がバックアップしているのだ、民間会社ではない。 どうして勝手に契約を破棄できるのだ? それに対して中国側は反論して、“決して我々も好きこのんで契約不履行する訳ではない。 客観的条件に変化があり、やむを得ず先の契約を履行出来なくなった。 双方で歩み寄り方策を考えることもできないことはなかろう?” この問題は、最終的には日本政府が出資し工事は継続され事なきを得たが、日本側はこのことから不信感を感じてしまった。

また中国人は、“度量の大きい”ことを尊び、小さなことにはこだわらない。 小さい事にこだわる日本人は、中国人からよく“気が小さい”と非難されている。 しかし日本の製品の品質がいいのは、日本の技術者の細かい作業によるものだ。 小さいことにこだわらないことが、中国製品の質が劣る原因の一つにもなっている。 日中合弁企業では、双方の就業態度の違いからよく問題が起きる。 中国側は、“日本側は気量が小さく、つべこべ言いすぎる”と文句を言い、日本側は、“中国側は、大ざっぱで、いい加減すぎる”と文句を言う。

中国人は“既成の法律、規則、契約、約束等は正確とは限らない。 客観状況の変化によっては、実情にそぐわないことが出てくるものだ。 その時には、以前の取り決めにこだわるべきではないし、実情に合わせ拡大解釈してもよい。 たとえば商売を例に取ると、売り手は出来るだけ高く売りたいと思うし、買い手は安く買いたいと思う。 取引を成立するためには、双方“まあまあ”(馬馬虎虎)《マーマーフーフー》の態度が必要ではないだろうか? しかし近代社会では、国家の政治、外交から民間の貿易、雇用まで契約行為が多く行われているため、近代社会を契約社会と呼ぶようになった。 先進国家は契約を絶対的拘束力をあるものと見做し、無条件に執行される。 そのため契約について“まあまあ”(馬馬虎虎)の態度を取る中国人は、信頼できない仲間と非難されやすい。 これは中国がほかの国と良好な提携ができにくい一因だろうと思う。 

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