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日朝とも“日本人拉致”事件は国交正常化の最大の障碍と語る

朝日称“架日本人”事件成建交最大障碍

2006-02-06 01:25:00 来源: 新京(北京) 收藏此 网友评论 32 

北朝鮮側・金哲虎(キム・チョルホ)主席代表は、日本側がすでに拉致についての主張をしているが、まだ詳細については話せないと語る。

2月4日、北京で始まった日朝の“行き詰まった”国交正常化交渉は、三日目に入った。 昨日、日朝の協議担当者が、“拉致問題”は両国の関係正常化の大きな障碍となっていると語った。

金哲虎(キム・チョルホ):双方には、主張に大きな隔たりがある

5日の報道によると、北朝鮮側首席代表金哲虎(キム・チョルホ)外務省アジア局副局長は、昨日昼食前に、“午前中、3時間近くの会談の中で、日本側は、”拉致“問題について自分達の主張を述べた。 だが、金哲虎(キム・チョルホ)は細部の内容については、一切触れず、ただ“我々は午後、自分達の立場と見解を明らかにする”とだけ語った。

金哲虎(キム・チョルホ)は、昨日早い段階で、日朝間にはこの問題が“大きな溝”となっていると語っていた。 昨晩11頃の共同通信社のウエブサイトにも、午後行われた協議内容は伝えられていない。 

共同通信社によると、日本側代表の梅田邦夫外務省アジア大洋州局参事官は、両国の会談前に、“北朝鮮が日本の拉致問題について、誠実で具体的な対応をとるよう希望する” と述べた。

梅田邦夫:拉致問題が最重要

日本側代表の梅田邦夫は、“我々の一番関心事は「拉致問題」だ” と語った。

日本側関係筋によると、双方の協議は5日間続けられる。 議題は、日朝国交正常化をいかに進めるかということと併せて、安全、特に北朝鮮の核問題についても協議する。 報道によると、北朝鮮は日本側に第二次大戦時の朝鮮侵略についての清算を求めたという。

《参考資料》 北朝鮮“日本人拉致”の全容 (上)

料:朝架日本人事件”全

2006-02-06 18:04:24  收藏此 网友评论 0 

2002年9月17日、長年敵対関係にあった日本と北朝鮮の首脳がついに一緒に歩み、両国は“日朝ピョンヤン宣言”に署名した。 この画期的な宣言の中、北朝鮮は日本が関心を持っている“失踪日本人”問題について遺憾の意を表明した。 日朝両国の関係を長年にわたり阻害してきた“拉致”問題はついに日の目をみたのである。

9月19日の夜、小泉首相と一緒に首脳会議に同席した安倍晋三官房副長官は、記者会見を開き、これまで明らかにされなかった会議での詳しい内部事情について語った。

小泉首相と金正日との会談の前に、9月17日午前、日本の田中均外務省アジア太洋州局長と馬哲洙北朝鮮アジア局長が会談した。 席上、北朝鮮政府から一枚の朝鮮語で書かれた“失踪日本人”の名簿が田中均に手渡された。

小泉首相と金正日が会談を行っている間、名簿の翻訳も進めていた。 小泉首相は《ピョンヤン宣言》に署名する前にその訳文を読んだ。 この名簿には姓名、生年月日、と死亡年月日だけで、死因の記載はなかった。 日本の外務省は、これは“正式な文書ではない”として、発表しないことを主張、小泉首相も同意した。 

“失踪者名簿”の死因の疑問について  

9月19日の夜、小泉政府は各方面からの声に押され、正式に被害者家族に8人の死亡者名簿を明らかにした。

日朝会談の時、北朝鮮政府の説明では、この8人の死因は“病死”“災害死”とされた。 メディアからの報道後、世論は騒然とした。 日本国民があげた疑問点は、①二人が同一日に死亡している(有本恵子、石岡亨)、②北朝鮮に渡って一年後の死亡(市川修一)、③20才代の若い人の死亡率が高い(8人中6人は、31才を過ぎていない)

9月20日の朝日新聞は、一番おかしいのは石岡さんの死亡で、死亡の2ヶ月前にひそかに札幌の実家に手紙を送っている。 メディアは石岡さんの手紙の件については、その後の1990年頃には掴んでいた。 拉致問題担当の日本側警察は“もし本当になくなったのだとしたら、殺されたとしか考えられない。 手紙は一種の救助信号のようなものだ”

地図を見れば分かるが、拉致が起こった場所は、日本の海岸地帯に集中している。 被害者の中で最年少は13才。 一番年上は52才。 そのうち3組は恋人同士で拉致された。

今回北朝鮮当局が認めた拉致事件は、全部で8件11人に及ぶが、北朝鮮政府が日本政府に渡した名簿には14人とあった。 増えた3名のうち、男2名はヨーロッパで失踪、もう一人は曽我ひとみという40才の女性である。

家族が、失踪の経緯を語る。

2002年2月9日―10日、東京で行われた「第三回北朝鮮人権と難民問題国際会議」に於いて拉致家族がそれぞれの身内の失踪時の経過について詳しく語った。

横田めぐみ----------めぐみは我が家の長女です。 中学一年生でした。 1977年11月15日、学校のバドミントン部の活動を終え、同級生と別れた後、自宅付近で失踪しました。 警察は誘拐、暴行、交通事故、自殺、家出などあらゆる角度から大規模な捜査を行ったが、目撃者もなく、何の遺留品もなかった。 家族は心配と苛立ちのまま19年がたった頃、1997年1月下旬、北朝鮮の人が数人韓国へ亡命した時、めぐみが北朝鮮スパイにより拉致され、ピョンヤンに連れて行かれたことが明らかになったのです。 この北朝鮮の人が、“めぐみさんは、暗い船倉に押し込まれた時、大声で「ママ、助けて!」と叫び、懸命に船の壁をたたき、引っ掻いたため、北朝鮮に着いた頃には、爪が取れちゃうほどでした。 指は血で真っ赤でした。 彼女の監督者が、朝鮮語を話せるようになったら、許されて家へ帰りママに会えると言われると、必死になって勉強してました。 18才過ぎた頃、この話はただの夢であって実現なんてとても無理だとわかった時、精神的に落ち込んだんでしょう、2回ほど入院を繰り返しました。 メディアがこの件を知るや、家族の取材がはじまりました。 家族ははじめ、匿名を希望しました。 本名が出ると、娘に不測の事態があるのではと思ったからです。 家族の中でも意見が分かれました。 本名を出さないと事件についての信憑性がうしなわれるのではないか。 日本政府には相当な情報があるだろうから、子供にとっては有利ではないかということになって、私達は立ち上がることにしました。

横田めぐみさんの父親は、その後、拉致被害者家族連絡会の代表となった。

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