162 中国は見る(70) 日本見聞記① (上)
日本の印象
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個人の体験はたかが知れたものです。 ここに紹介するのは、自分が直接見た一端にすぎません。
1. 差別
私個人としては、差別を受けたことはありません。 仲間の中国人たちも見方は同じです。 友人が、ある大会社で働いています。 仕事が出来るので、大事な仕事も日本人に教えながらやってるほどです。 私は、彼に差別を受けたことはないかと訊いたことがあります。 “もちろん、
反発する日本人もいる。 でも差別とは違う。 中国人だって同じようなことあるんじゃないですか? 実力で勝負ですよ!” “上司から叱られることはないか?”と訊くと、 “もちろんあるよ! でもこれも差別ではない!”
彼が話すところによると、日本の会社では「家長制」をとっており、上のものが下を叱ることは、しょっちゅうで珍しくはない。 横から口出しするようなことはまずない。 例えば部下が予定通り仕事を完成しなかった時は、部長がその担当課長を呼びつける。 だから課長は、自分の部下に目を光らせることになる。 もし仕事が遅れたら、社長が部長を叱責することになる。 上にいくほど責任が重くなるということだ。
彼はまたこう話した。 課長がみんなの見ている前で、部長から注意を受けることがある。 でも自分は外国人だし間違った時でも、日本人に対するようなそんな厳しい取り扱いはなかった。
でも、中国人が管理職になることは難しい。 これは何も日本に限ったことではなく欧米でも同じだ。 言葉の問題だけではないでしょう。
これは広い範囲での差別かもしれない。
私は、日本で働いたことがないし、個人的体験もしれたもの。 全部を知ることは不可能です。 アルバイトしたことのある友人も別に差別を受けたことはないという。 でも、今でもはっきり覚えていることがあると言って次のような話をしてくれた。
ある時、友人3人と電車の中で中国語で大声で話していた。 その車両で話していたのはこの3人だけだった。 その時、一人のおばあさんが突然やって来て、大声(日本語)で、“あなたたち中国人でしょう! もうおしゃべりはやめなさい!” 私はその時とても腹が立った。 おばあさんに怒鳴り返そうと思った。 “日本人が大声で話している時も、止めに行きますか? なんで中国人だけ目の敵にするんですか?”
当時は来日したばかりで、話もうまく出来なかったので、その怒りを飲み込むしかなかった。 その後この事について、年配の日本語の先生に
話して訊いてみました。 “もし日本人のグループが話している時、日本人は止めに入りますか?” 先生は苦笑いしながら、“これは、我国の島国根性ですね” 彼が言うには、 “日本は国の面積が狭い。 海に囲まれた島である。 日本人は自分たちが周りから孤立した島で生活していることを忘れてしまい、狭隘な見方をしてしまい、自分の長所だけ見て、他人の欠点をあげつらうのです” これに関連した話題をしましょう。 それは、「静か」についてです。
2.静かな日本
東京の人口密度は北京に劣らないという。 でも、あなたがここに住んだとき理解できないことがある。 それは、日本人が公共の場所では大声を出さないということだ。 祝日や居酒屋などのにぎやかさは別として。 私は国の風習について、「是非」を論ずるつもりはない。 実際、どの国にもそれぞれ自分のお国柄があり、「いい悪い」なんて言えないでしょう? 郷に入ってこそよその国の風俗が理解できるものです。(もし、郷に入ったら郷に従えという風に思わない方は、この部分は読み飛ばしてください)
日本の電車は見ものです。 日本語でいう電車は言ってみれば汽車です。 しかし駅の間隔は短く、ひっきりなしの運行は中国のバスのようです。 でも、6両編成の電車ですから乗客の数ではバスとは問題になりません。
東京都心に向かって沢山の人が出勤します。 郊外に住んでいるので、毎日一時間くらいかけて電車通勤することは当たり前のことです。 ラッシュ時には、後ろから電車に乗る人を押し込める専門の人がいて、それでやっとドアを閉めることができます。 こうしてカンヅメのようになった車内は異様なほど静かなのです! みな静かに詰められたままです。 停まる駅では整然と乗り降りします。 私はこれまで車内で込みあいにより、怒鳴りあったり、ケンカしたりといったことは見たことはありません。 これについては、日本に長く暮らしている同胞もそう感じています。
こういうこともありました。 ある時、出かけようとした時、下に住んでるおばあさんが私にしきりにお詫びを言うのです。 話を聞いているうちにやっとわかりました。 あばあさんのご主人が花粉症で、しょっちゅうクシャミや咳をするというのです。 当時住んでいた所は木造で、防音などないようなもので、それで私がうるさがってるのではないかと思い、しきりに詫びているのです。 私はおかしくなりました。 実際のことを言えば、私は朝早く出て夜遅く帰ります。 ですからまったく気になんかしてませんでした。 でも笑ったあと深く考えさせられました。
またこういう事もあります。 日本では、クラクションをあまり聞きません。 車が渋滞した時、雨の時でもめったにクラクションを鳴らしません。 私は日本へ来て3年ほどになりますが、聞いたのは十回もないくらいです。
ある日曜日の朝、下から言い合いをしている大きな声が聞こえてきました。 ベランダからのぞくと近所の人と隣の住人が「花壇」のことで何やらケンカしています。 これが私が見た唯一の町内のケンカです。 でも見物人はいません。 二人ともはげしい手振りなどはなく、ただ大声でやりあっています。 静かな朝だったので、この二人の声だけが今も思い出されます。 面白かったのは、暫くしてパトカーが来て、警官が仲裁に入ったことです。 その後、私が引っ越すまでもうこの二人のケンカはありませんでした。 今もってわからないのは、うるさいと思った近所の人が通報したのか? それともあの二人が話が片付かないので通報したのか? ということです。
ところが日本も変わりつつあります。 今、街中で大声でにぎやかに話している学生が増えてきた。 奇抜な服装で、傍若無人に騒いでいる。 ある時、電車の中で友達とおしゃべりしている女の子を“もっと静かにしなさい” と注意しているお母さんを見たことがあった。 でも、全体的に言えば、やはり静かだ。
中国に戻った時、両国の空港の違いがよくわかった。 北京の空港は人声が響き渡りやかましい。 大きな国に来たことがここを見ただけでわかるというものだ。 成田空港はというと、人は同じように多いのだが異常なほど静かだ。
3.私の日本語教師
私はこれまで4人の日本語の先生についた。 どなたも穏やかで、親しみやすい人だった。 私が日本へ来たばかり頃はいろいろ助けていただいた。 その中の一人の方は、戦後初めての大学生だったということで専門は英語。 来たばかりの頃、日本語はわからなかった。 幸い英語で意思疎通ができた。 歴史の話になると、彼は隠し立てすることなく日本が中国や他の国に迷惑を掛けた。 それなのに、それを教訓としていない。 また、日本の現在の右寄りの動きを嘆いていた。
後で知ったのだが、公民館で外国人に日本語を教えるこの先生方は、まったくのボランティアなのだ。
大学で歴史学を教えている教授と知り合った。 研究しているのはローマ史である。 一度、ほろ酔い機嫌の時、第二次大戦の時の人物をこきおろし、続いて日本人の悪いクセをけなした。 言葉が痛烈で、私の方がビックリした。 もちろんこういう日本人は少ない。
私の個人的接触にも限度があるが、私の体験から言うと、一般の人の中で戦争を経験した年代の人ほど、客観的見方をしている。 彼等は、戦争を否定はしない。 第二次大戦後大きくなった人は、はっきりわからない。 話を聞くと政府と同じようだ。 父親などから聞いたことが基になってるのだろう。 一般的にいうと直接戦争を否定はしない。 しかし、直接認める訳でもない。(日本語には、微妙な婉曲的表現があり、長いこと話していても、彼が一体賛成しているのか、反対しているのかわからないことがある)
戦争を体験した世代は間もなく死んでいく、その時、一体誰が次の世代へ真相を語るのだろう?
もう一人の日本語の先生には、一人娘がおられた。 高校の時から中国語を独習し、紅楼夢が好きで、自費で中国の四川、広西、雲南へ行ったこともあり、中国に対しては好意的で、中国料理も大好きである。 でも、恥ずかしそうに一番困ったのは中国のトイレだとか、信号機があるのに無視して道路を渡ることはどうなのかしら? と話してくれた。 私は笑うしかなかった。 私も困ったことだと思っているから。
私が、歴史について尋ねると彼女はちょっと困った顔をした。 去年大学へ入ったが、それまで勉強したことは国の言い分どおりで、中国に触れてみて別の言い分もわかり、とまどっていると言う。
中国に行ったことがない若い人は言わずもがな。 極端な例を挙げると、若い日本人は私に向かってこう言った。 “中国に旅行なんかしたくない。 だって、中国は共産主義の国だから” まったくいやになってしまう。 どうしたらいいのかわからない。 どうする? こいつらの考え方は政府世論の産物だ。 まったく嘆かわしい。
もう一人の先生は、すてきな奥さんだった。 自分からボランティアで日本語を教えに来ていた。 しょっちゅう、お得意の食べ物を作ってきてはご馳走してくれた。 もう何年も教えているようで、話では随分外国人と接触しているみたいだ。 英語も話せた。 私が英語が出来るのを知って驚いたようだった。 “本当言って、英語できる中国人なら日本行くよりアメリカ、カナダに行くんじゃない?”
ある中国人の奥さんが日本へ来て間もなく妊娠した。 日本語はわからない。 その奥さん先生、すぐ医者を紹介してくれ、いつも自分で運転して送り迎えから、最後は出産まで面倒見てくれた。
こんないい人でも時には、オヤッと思うくらい中国について無知なのです。 “中国にミカンあります?” これは決して中国をけなしている意味合いはないのです。 あなたならどうします?
これは世論の影響でしょうか? 私が小さい頃読んだ「少年先鋒新聞」のコラムに「社会主義はすばらしい。 資本主義は堕落している」というのがあった。 今、見ると笑ってしまう。
その後、奥さん先生はツアーに参加し、大連に行ってきた。 帰ってきた時興奮気味に“中国はきれい。 スイカがとても安かったわ” と話していた。
私が中国へ帰った時、シャケを食べたことがあった。 父親が尋ねた。
“日本にはこんな魚があるかい?” 父親は文革前の大学生。 決して日本が海に囲まれているのを知らない筈がないのだが。
時々、私は思う。 “中国を客観的に理解している日本人はどれ位いるのだろう? また、日本を客観的に理解している中国人はどの位いるのだろう?”
最近、日本で北朝鮮のニュースを報道してるのを見たことがありますか? 北朝鮮の人民は可哀想で、衣食も十分でなくその上長い間専制統治にある。 私は、これまで北朝鮮に行ったことがないし、北朝鮮の人も知らない。 だからどっちが正しく、どっちが悪いのかなんて、わからない。 私が見るニュースは、第三者が私にそう思わせているに過ぎない。 これはどの国だって同じこと。 でなければ、ブッシュがイラクに出兵する時、あんなに高い国民の支持が得られるものか? 今、情報の捏造が暴かれ、更に死傷者が増加している。 アメリカ国内では論争が続いている。
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