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67 八方ふさがり (その21)小泉首相靖国参拝の「参拝」という言葉の是非について

小泉靖国参拝余話:

“参拝”という用語の使い方は不適切?

于小泉用“参拜”一有何不可?

http://news.163.com 2005-10-25 21:39:00 来源: 人民网(北京)  网友评论 0

2001年以来、日本の小泉純一郎首相はA級戦犯の亡霊を祀る靖国神社を何度も参拝している。 そして、中国を含むアジア各国人民の強い不満と厳しい抗議にあった。 2005年10月17日、小泉首相は各国人民の反対を押し切り、5回目の靖国参拝を行い、再度各国の強い関心を呼んだ。

朽木先生が、図らずも10月24日、人民ネットに文章を寄せられた。

“我々はこれからは、小泉のような人が靖国神社へ行くのは「拝鬼」(亡霊を拝む)というべきで、「靖国神社へ参拝」というべきではない。 小泉首相の「拝鬼」行為に対して「参拝」という言葉を使うことはやめよう!”と述べている。

理由は

朽木先生は解釈と説明をされている。 先生が仰るには、私は最初から“参拝”という言葉に納得できなかった。 なぜ“参拝”とするのか?   いろんな辞書を調べてみれば、一目瞭然だ。 “一定の礼節を以って、尊敬する人、或いは育ててもらった恩人の遺影、お墓に詣でること” とある。 私がどうしても合点がいかなかったのは、日本の小泉なにがしが参拝というのは、それは彼の立場がそうさせるのである。 我々がなんで、何も判断せず物まねをするのか、またオウムの口真似のように一字一句違わず書き写して、そのまま転載するのか? 言葉を換えれば、小泉が自ら参拝と思ってることは、日本の右翼分子、世界の新ナチスの類が靖国神社「拝鬼」を「参拝」としていることであって、我々中国人が、どうして頭を使わず、同じように“参拝”を口にするのか? ――――これは、政治的是非を問う問題である。 中国語は言語豊かな言葉とよく言われるのに、どうしてこの問題について、こうも無頓着で、幼稚で、軽率なのだろう? こうした問題を避けてはならない。 我々の言葉を悪人の手先にしてはいけない。

でも実際は、朽木先生の前述の見解には考証する必要がありそうだ。 じゃあ、誰が“参拝”という言葉を使い、小泉“靖国神社参拝”と言ったか? 誰が“頭を使わず”日本の右翼分子の後について、“物まねし、オウムの口真似”同様、一字一句違わず書き写して、そのまま転載したのか? 誰が“政治的是非を問う問題”で“無頓着”で“幼稚で軽率”だったのか? そして、言葉まで利用されてしまったのか? こりゃあ、大変、どないしましょ?!

ちょっと待った! この考えはおかしい。 

朽木先生、間違ってますよ!

朽木先生の間違いはどこか? 我々が使用する“参拝”の二文字は、ある事実を述べているのであって、“善悪の判別”をする訳でなく、逆に朽木先生は自分の思考論理上に“矛盾”が見受けられる。

“参拝”とは何? “参拝”は、“一定の礼節を以って、尊敬する人、或いは育ててもらった恩人の遺影、お墓に詣でること”である。 小泉首相の“参拝”は、あれは小泉首相の政治態度であって、小泉首相は戦犯に対する尊敬と崇拝と表明している。 小泉首相“靖国神社参拝”と人は言うが、これはただ、客観的事実として小泉首相が靖国神社を参拝したと述べてるのであって、ここでの参拝は小泉首相の政治信条であって、決してこれを述べている者が、戦犯に対して“尊敬”の念を抱いているということを意味するものでないことは言うまでもない。 これは、張三が“李四はつらい気持ちで家を出た”と言った場合、ここで本当に“つらい気持ち”なのは“李四”であって、これを述べた張三本人が“つらい気持ち”だと言ってる訳ではないようなものだ。 だから、日本の小泉首相“靖国神社参拝”と言うとき、ここでの“参拝”という言葉は不適当ではなく、それは小泉首相が日本軍国主義の亡霊にうつつをぬかしてる態度を間違いなく正確に表していることになる。

朽木先生は、“拝鬼は拝鬼だ”。 そして“参拝”の代わりに“拝鬼”を使うことを主張し、我々に小泉なんぞの“拝鬼”を“参拝”としないよう呼びかけている。 ――――私が思うに、口で“拝鬼”といい小泉参拝を説明することはできないことはない。 しかし、堅苦しい政治用語の中に“拝鬼”という語を使用することは不釣合いだし、いいとは思えない。

事実、党と国家指導者の幾たびかの発言の中でも、また、わが国外交担当者の正式な場面でも、例えば、胡錦濤国家主席が小泉首相と会見した際、日本に靖国神社参拝問題の善処を申し入れた時(2004年11月22日)、外交部が靖国神社参拝が中日関係の最重要問題とした時(2004年11月23日)、2005年10月20日外交部孔泉報道官が記者会見で記者の質問に答えたとき、その他各国有識者と日本の“靖国問題”に話が及んだ時、すべて参拝という言葉を使っており、もう国際的慣用語になってしまっている。 これは自然で、適切である。

朽木先生の“言葉遣いを検討する”精神は「是」とすることはいうまでもない。 しかし、国際問題での“ある言葉”に“敏感”になりすぎるのも、いかがなものだろう。

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