« 13 八方ふさがり (その4) | Main | 15 タイトル変更について »

14 八方ふさがり (その5)

中国の「反日」と日本の「反米」について考えた。 

「反日運動」とか「反日感情」とかいう言葉には、日本や日本人に反感を持つ気持ちが込められている。 なぜ、こうなったのか? いつからこうなったのか? 

 最初は、やはり日清戦争(1894年~5年)の日本の勝利でしょう。 そして、いわゆる「五四運動」(1919年)では大規模な反日愛国運動が起こりました。 その後、1931年満州事変(9月18日)が始まり、満州国が樹立されました。 それ以降1937年の盧溝橋事件(7月7日)からは、中国との全面戦争が日本の敗戦まで続きました。 日清戦争から終戦までの長い期間(50年間)、日本人から理不尽な目にあい、許せない気持ちが高じ、中国人に「反日」意識が浸透したのでしょう。

次に、なぜ「反米」を持ち出したかというと、日本は「真珠湾攻撃」でアメリカに立ち向かったものの、4年後「東京大空襲」「沖縄」「原爆」とアメリカの反撃の末、敗れた。 無条件降伏後、まったく抵抗もせず、アメリカの占領下におかれた。 そして、民主化がすすみ、今日のような日本になった。 

だが、どうして、抵抗もせず、恨みを持たなかったのか? どうして、中国みたいな「反米」にならなかったのか? 日本は、幕末の頃「尊王攘夷」で外国排斥を叫んでいたが、明治維新とともに西洋化に走ったり、今度の戦争中は「鬼畜米英」を叫んでいたのに、敗戦とともに民主化に進むことができる体質を持っている。 「コロッ」と変わることができる。 それは、幸いにして、外敵の無慈悲な、理不尽な扱いを受けなかったからではないかと思う。 空襲、原爆が無慈悲ではないかと思うが、これは戦争を始めたゆえ、自業自得と思わざるを得ない。 戦後の取り扱いが、ひどいものであったら抵抗したかもしれないが、さしたることもなく、日本の食糧支援、経済復興などに手を貸してくれた思いが強いのだろうと思う。

「反米」が全くなかったわけではなく、1960年の「安保反対闘争」があった。 日米安全保障条約の改定に反対して、国会の前を30万人ものデモが取り囲んだこともあった。 しかし、条約発効後は急速に収束し、それ以降大規模な「反米デモ」はなくなった。

その一方で、このデモが行われた頃には、アメリカ映画、テレビが全盛時代で、「ウエスト・サイド・ストーリー」「アラビアのロレンス」「ヒッチコック物」の映画や、テレビでは夜のゴールデンタイムにアメリカテレビ「ローハイド」「ララミー牧場」「アイ・ラブ・ルーシー」などが放映され人気を博していた。 映画やテレビでアメリカの家庭生活、社会、歴史、政治を知ることができ、親近感がもてたのも反米意識が薄れた一因だろうと思う。 

 昨日の「五四運動」の日も何事もなかった。 しかし、もうこれで「反日」騒ぎが収まったと思うのは早計である。 まだ歴史的節目の日が毎月のようにある。 日本の社会事情が理解されるようになれば、「反日」意識も薄れるようになるかもしれない。 そういう日が早くきてほしい。

|

« 13 八方ふさがり (その4) | Main | 15 タイトル変更について »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 14 八方ふさがり (その5):

« 13 八方ふさがり (その4) | Main | 15 タイトル変更について »