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19 ぶらぶら歩きの楽しみ (その2)

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一昨日(24日)、鎌倉に行ってきた。  

「鎌倉街道」をのんびり歩く会(全8回)の最終回である。  新田義貞の生地、群馬県

の庄から出発し、埼玉、東京国分寺、分倍河原を経て、鎌倉に至る「いざ、鎌倉」歩きであ

る。  別に歴史に興味があって参加したというわけではなく、「ウオーキング」を楽しんで見

ようと思って参加した。  

江戸時代に出来た「五街道」と違い、ちゃんと整備されておらず、古道の保存状態は悪く、

道があちこち寸断されていた。  ともあれ、最終日は新田義貞が鎌倉攻めの際、突入し

た場所「稲村ヶ崎」からスタート。  七里ガ浜から江ノ島が間近に見える。  あいにく富士

山は霞んで見えなかった。  磯の香りが強くにおう。 まだ夏前なので、浜辺に人は少な

い。  極楽寺坂、成就院を歩いて回る。  途中、江ノ電が走ってるのが見える。  

緑したたる山が、気持ちいい。  鎌倉というと「アジサイ」が思い浮かぶが、まだちょっと早

すぎて青い蕾のまま。  長谷寺を通って、大仏を見に行く。  久しぶりの大仏は少し痛み

が激しく、男ぶりが下がったようにみえた。  次いで、「銭洗弁財天」に行く、ざるに小銭を

入れて洗っているものあり、一万円札を洗っているものあり、なんとかお金を増やしたいと

皆願っているようだ。  そこを出て急坂を上がると源氏山公園、日野俊基の墓があった。  

「太平記」の中の「俊基朝臣東下りの段」の「落花の雪に踏み迷ふ、片野の春の桜がり」の

名文を思い出す。  そこからちょっと歩いたところに鎧姿の「頼朝」像があった。  優れた

武将だとは思うが、「義経」を思うと、あまり親しみを感じない。  そこを出ると、すぐ下り坂

になる。  「化粧坂」。  坂というより山道を下る感じで、ぬかるんだ道や、岩肌を越えた

り、とてもきつい。  名前から感じるやさしさはない。  最後、若宮通りから鳥居を抜け

て、鶴ヶ岡八幡宮へ向かう途中の敷石の中に鎌倉街道の起点を示す標点があった。  静

御前が舞ったという舞殿を回って、鶴ヶ岡八幡宮へ上がる階段の左側には、実朝を暗殺し

た公暁が身を隠したという樹齢約千年の「大銀杏」。  知らず知らず歴史の勉強もしてし

まいました。  わずか一日では、鎌倉の良さは見切れるものではない。  また改めて、

訪れてみたいと思った。

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18 八方ふさがり (その7)

今、ニューズウイーク誌の「コーラン冒涜」記事を発端に、反米デモが世界のイスラム社会(アフガニスタン、パキスタン、インドネシア等)に拡大し、アメリカは記事の取消でダメージ修復に躍起になっている。

今年の1月、イギリスのヘンリー王子がナチスの軍服を着てカギ十字の腕章を着用したことで、世界から強く批判を招いた。  

3月には、国連のアナン国連事務総長が、安保理拡大となったら日本が常任理事国入りにふさわしいと述べたことが、あっという間に広まり、取消しても後の祭り、インターネットで韓国、中国に伝わり、4月の中国各地での「反日運動」になってしまったことも記憶に新しい。

ちょっとした、発言、記事、行動が思わぬ結果・反響を招くことは、枚挙に遑がないほどだ。

ヘンリー王子のナチスの件に関連して思うことは、A級戦犯の東条英機元首相も、ナチスのヒトラーと世界的には同列に見られているということだ。  シンガポールのリー首相は、「靖国参拝は日本が戦時中に悪いことをしたという責任を受け入れていないことの表明と、受け取れる」と話している。

小泉首相の靖国参拝継続発言は、今までの持論に加えて、「A級戦犯」に対して「罪を憎んで人を憎まず」とまで言明した。 中国・韓国の反発は勿論想定済みの発言である。 「論語読みの論語知らず」という言葉がある。  下手な引用で、この後、思わぬ結果を招かないよう願うばかり。 

この「罪を憎んで人を憎まず」の出典は、小学館の「故事ことわざの辞典」によると、孔叢子:刑論に「孔子曰、可哉、古之聴訟者、悪其意而不悪其人」(孔子曰く、可なる哉、古の訟〈うったえ〉を聴く者は、その意を悪めどもその人を悪まず)とある。 それが、後世日本では「浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵」の中で、「ヤアヤア本蔵殿。 君子は、其罪を悪んで其人を悪まずといへば、縁は縁、恨は恨と、格別の沙汰も有べきにと、嘸(さぞ)恨に思はれん--------」として、人口に膾炙されるようになったようです。

中国嫌いの小泉首相が「孔子」の言葉を引用するのもどうかと思います。 「孔子」は文化大革命の頃には、林彪への批判と一緒に封建道徳の祖として批判されました。 でも最近は、中国歴史上優れた「教育者」として評価は上がっています。  

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17 八方ふさがり (その6)

 小泉首相は今日(16日)午前の衆院予算委員会で、靖国参拝につぃて継続を明言した。  懸念してた参拝が行われそうだ。  「適切に判断する」と言ってたが、やはり時機をみるだけだったようだ。  中国、韓国など他国から言われる筋合いはないと、あくまで参拝の構え。

もともと信念を持って参拝しているわけだから、「戦没者に心からの追悼の誠を捧げることがなぜいけない」「A級戦犯合祀の参拝については『罪を憎んで人を憎まず』だ。 1個人のため参拝しているのではない」とゆるぎない。

先月、インドネシアで「村山談話」を引用して「お詫び」を言ったが(八方ふさがり{その③}参照)、これは全世界向けのパフォーマンス。  過去に、小泉首相は4年前01年10月に北京の盧溝橋の「抗日戦争記念館」を訪れたことがある。  そこを参観した後、「侵略によって犠牲になった中国の人々に心からのお詫びと哀悼の気持ちを持って、いろいろな展示をみた」と述べた。  このパフォーマンスを見て、中国側は首相が二度と靖国を参拝しないと受け取ったという。  しかし翌年(02年)、よりにもよって日中国交正常化三十周年の4月に靖国神社を参拝した。  それ以来、小泉首相に不信感を持った中国と首脳会談が行われなくなったという。  「反日運動」によって、「胡錦濤主席」と会談し、一応の日中間の修復は図られたが、まだ何一つ解決のめどはない。

先日、朝日新聞で「国連安保理への日本の常任理事国入り」をめざすため、周辺国の理解を得るために、日本は最もなにをすべき? というアンケート結果が出ていた。  一番多かったのは、小泉首相が靖国参拝をやめること。  また先月、毎日新聞の世論調査では、小泉首相の靖国参拝不支持(45%)が支持(42%)を上回ったと出ていた。  靖国参拝が最大の問題と多くの人が考えている表れと思うのだがーーー。

参考までに、中国でのインターネット上の「小泉首相靖国神社参拝継続発言」のニュースおよびそれに関する書き込みを二例、ご紹介します。  訳文はあえて、つけません。

    小泉表示今后仍将参拜靖国神社

人民网516电记孙东道:日本首相小泉一郎今天在众算委会上在回答在野党代表质询时现强硬,他在到参拜靖国神社公然表示,“无哪个国家都都有追悼死者的心情。以什方式行追悼,国不应该。不明白全体死者表达敬意和感诚为”,他“参拜靖国神社被成是美化国主感到意外”。他表示,“有人提到(原首相)条英机的甲级战问题,中国的孔子说过‘恨罪不恨人’,他不是一个人前往参拜的,也不认为(参拜甲级战犯)有什么问题。”

小泉透露今后继续参拜靖国神社,于今后何前往参拜“将做出适当判断”。町村外相小泉的表“表达了他参拜靖国神社的信念”。

网易网友 [61.185.63.*] 认为 

2005-05-17

07:41:27

引用  支持 (66)

所以小犬根本就是狗改不了吃屎。大和民族根本就是个碎民族!
中国政府根本就不要小犬做出的所虚假道歉再抱什幻想了。
日本政府和小犬这么嚣张?原因是因日本政府和小犬没有因劣行而付出惨痛代价。
中国政府必国政府,中国人民也必国人民合起来,不惜经济利益来维护本国的尊
日本本国的市场对于日本的企经饱和。日本的企完全是靠中国市活,中国百姓和市离了日本企好好的转动,日本企要是离了中国百姓和市,就死定了!


网易网友 [61.153.116.*] 认为

2005-05-17

08:19:17

引用  支持 (28)

清醒吧:
1.
不要天想着你多做什竟小犬不是随我风唤雨的。
2.
在目前,我只有在特定的时间进行了表面的国主教育,无法达到真正效果,我们应该深刻反思!
只有,个人,先做好自己,反日抵制日的行去影响周遍的人,只要我的行大家自的行为时,一切都行。
小犬他做小犬吧,不是持不是,我持字我,都打不
请坚决支持!!!!!!!!!!!!

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16 ぶらぶら歩きの楽しみ (その1)

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昨日、急に思い立って「神田明神」に行ってきた。 銭形平次とガラッ八の八五郎でお馴染みの場所なのだが、「湯島天神」や「湯島の聖堂」「秋葉原」は何度も行っているのに、「神田明神」は、なぜだか行ったことがなかった。

御茶ノ水の聖橋から、本郷通を通ってすぐのところにある、「神田明神」は、意外と小さく感じた。 坂を下れば明神下、丁度、お神輿を担いでいるのに出くわす。 あちらの町内こちらの町内から、いくつも神輿が見える。 元気のいい女性が、担ぎ手のなかに何人かいた。 214年ぶりに復活したという「地震よけ大なまず」は残念ながら、どこを練り歩いているのかわからず見逃した。

東京で育って幾星霜になるのに、結構行ってないところが多い。

最近、ウオーキングを始め、そういう新発見の場所(町、川、博物館、公園、神社など)を歩いて訪れることが増えた。 もともと歩くことが苦ではなかったので、それはそれで楽しい。 

神田明神に行ってみようなんて考えたのも、つい最近、神田川を井の頭公園から隅田川に合流する柳橋まで歩いたからかもしれない。 全長30キロくらいあるが、部分的には知ってるところもあるのだが、全部を歩いてみると、なかなか風情がある。 丁度、花見時に永福町から早稲田を歩いたときは、両側の桜が見事でした。 桜の花びらが川面に落ちて流れ行くさま、また、道路に敷きつめられた花びらなど、桜の散り行く別の一面も味わえた。 

神田明神の前には、連休初日に、根津神社に行ってきた。 もとより信仰があって行ったわけではなく、ツツジがきれいだというので見に行った。 ここも初めて行ったのだが、さすがに見事に咲き誇っていた。 ただ、人の多さに驚いた。 帰りにぶらぶら上野まで歩いてみた。 不忍池まですぐだった。 西郷さんの銅像を何十年ぶりかで見てきた。 韓国での反日騒ぎをどうおもっているのだろう。

ぶらぶら歩きに目覚めて、最近は今度はどこへ行こうかと、考えるのが楽しい。

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15 タイトル変更について

_006 桜にツツジと季節は移ろい、世は転変極まりなし。 

ブログをはじめてから2ヶ月ほどになる。  まだどう書いたらよいものかわからないまま、いくつか記事を書いてきた。 書いた記事の是非については、読まれた方のご判断におまかせすることとし、これからも書き続けてみたいと思う。 あるテーマを見つけて、それに向けて書くのがいいのかと思うが、まだ方向性が見つからないので、それまでは、思いつくまま書きたいと思う。

私のこのブログを読んで下さる方は、①存知よりの方②中国の知り合い③たまたま関心を持って読んで下さった方、の三種類の方がいらっしゃる。  _002    

 タイトルをこれまで「yijian-yeye身辺雑記」としてきたが、「有縁ネット」としたい。 縁は異なもの味なものという言葉がある。 辞書で引くと、ちょっと味な解釈が書いてあるが、それはそれとして①人と人との付き合いの意味であったり②これも何かのめぐり合わせの因縁だったり③これをお読みいただく、あなたとは、縁も所縁(ゆかり)も、なくはないということでもあります。 縁あってめぐりあい、読んでいただくという、ご縁です。 中国語でも「ご縁があります」といって、よく使われるので、丁度いいネーミングかなと思っております。

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14 八方ふさがり (その5)

中国の「反日」と日本の「反米」について考えた。 

「反日運動」とか「反日感情」とかいう言葉には、日本や日本人に反感を持つ気持ちが込められている。 なぜ、こうなったのか? いつからこうなったのか? 

 最初は、やはり日清戦争(1894年~5年)の日本の勝利でしょう。 そして、いわゆる「五四運動」(1919年)では大規模な反日愛国運動が起こりました。 その後、1931年満州事変(9月18日)が始まり、満州国が樹立されました。 それ以降1937年の盧溝橋事件(7月7日)からは、中国との全面戦争が日本の敗戦まで続きました。 日清戦争から終戦までの長い期間(50年間)、日本人から理不尽な目にあい、許せない気持ちが高じ、中国人に「反日」意識が浸透したのでしょう。

次に、なぜ「反米」を持ち出したかというと、日本は「真珠湾攻撃」でアメリカに立ち向かったものの、4年後「東京大空襲」「沖縄」「原爆」とアメリカの反撃の末、敗れた。 無条件降伏後、まったく抵抗もせず、アメリカの占領下におかれた。 そして、民主化がすすみ、今日のような日本になった。 

だが、どうして、抵抗もせず、恨みを持たなかったのか? どうして、中国みたいな「反米」にならなかったのか? 日本は、幕末の頃「尊王攘夷」で外国排斥を叫んでいたが、明治維新とともに西洋化に走ったり、今度の戦争中は「鬼畜米英」を叫んでいたのに、敗戦とともに民主化に進むことができる体質を持っている。 「コロッ」と変わることができる。 それは、幸いにして、外敵の無慈悲な、理不尽な扱いを受けなかったからではないかと思う。 空襲、原爆が無慈悲ではないかと思うが、これは戦争を始めたゆえ、自業自得と思わざるを得ない。 戦後の取り扱いが、ひどいものであったら抵抗したかもしれないが、さしたることもなく、日本の食糧支援、経済復興などに手を貸してくれた思いが強いのだろうと思う。

「反米」が全くなかったわけではなく、1960年の「安保反対闘争」があった。 日米安全保障条約の改定に反対して、国会の前を30万人ものデモが取り囲んだこともあった。 しかし、条約発効後は急速に収束し、それ以降大規模な「反米デモ」はなくなった。

その一方で、このデモが行われた頃には、アメリカ映画、テレビが全盛時代で、「ウエスト・サイド・ストーリー」「アラビアのロレンス」「ヒッチコック物」の映画や、テレビでは夜のゴールデンタイムにアメリカテレビ「ローハイド」「ララミー牧場」「アイ・ラブ・ルーシー」などが放映され人気を博していた。 映画やテレビでアメリカの家庭生活、社会、歴史、政治を知ることができ、親近感がもてたのも反米意識が薄れた一因だろうと思う。 

 昨日の「五四運動」の日も何事もなかった。 しかし、もうこれで「反日」騒ぎが収まったと思うのは早計である。 まだ歴史的節目の日が毎月のようにある。 日本の社会事情が理解されるようになれば、「反日」意識も薄れるようになるかもしれない。 そういう日が早くきてほしい。

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13 八方ふさがり (その4)

 日本では、去る3月10日に東京大空襲60周年の追悼の催しがおこなわれた。 6月23日は沖縄戦終結記念の日、8月6日は広島の原子爆弾投下追悼の日、8月9日は長崎の原子爆弾投下追悼の日、そして8月15日には終戦の記念式典が執り行われる予定である。 

いずれの式典でも、今の平和が、かかる戦争の大きな犠牲の上に築かれている。 二度と戦争のない平和な世の中を作ることを誓うと式典では述べられるはずである。 自国の戦争被害を受けた方々に対する追悼は当然のことであり、戦争のない平和な世界を誓うことも結構なことである。 

私は映画が好きで、戦争映画もよく見た。 たとえば、「火垂るの墓」、「ひめゆりの塔」、「原爆の子」、「黒い雨」、「二十四の瞳」など、涙にくれた人も多いはずだ。 それから、中国を舞台にした「人間の条件」「戦争と人間」「大地の子」など、その時代の歴史の一端を見た思いがした。 

今度の「反日デモ」について思うのは、日本もこのように戦争の悲惨さを深く感じることができるのに、どうしてああいう「反日デモ」が起きたのか、その原因にまで思いをめぐらすことができないことだ。 ただ、「愛国教育」の行き過ぎだ、「投石」や「破壊」はけしからん。 と反発するだけでなく、過去の歴史についてもっと思いを致してもいいのではないか。 北朝鮮の「拉致問題」、沖縄米兵の「暴行事件」、アメリカの「愛媛丸沈没事件」、北京での「サッカー事件」などでの日本の反応は一様に熱い。 しかし、「過去の歴史」上の「南京事件」「七三一部隊」「強制連行」「慰安婦」等には冷たい。

もう一つ思うことがある。 それは、大空襲も、沖縄も、広島も、長崎も相手はアメリカだ。 コテンパンに打ちのめされたのに、今は無二の友好国である。 「反日」の中国、「嫌中」「親米」の日本。 何たる違いだろう。 一方は歴史認識を求め、一方は歴史認識直視を避けようとする。 「空襲」も「沖縄」も「広島」も「長崎」も「終戦」も負けたことは認めているが、「アメリカ」に対する「恨み」「反発感」はない。中国が「反日」を叫ぶように、今、日本人の中に「反米」意識を持つものは皆無に近いだろう。 不思議だ。 「反日」を叫ぶ中国と「反米」意識のない「日本」、この落差はなんだろう?  

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