1407 中国の三面記事を読む(603) 張愛玲が大陸から離れた理由(2)
张爱玲告别大陆之谜
2009-06-24 04:35:58 来源: 网易历史
土地改革の小説で何を書いたのか?
張愛玲は香港に着いた後、アメリカ新聞処に勤め英文の翻訳を担当した。この時、彼女は生計の道の仕事を終えた後、しばらくの間放置していたペンを取る気になった。 というのは、江蘇省北部の農村で土地改革に参加した時自ら体験したことが彼女を励まし、そのとき新しく知り合った“農村の友達の笑い声と涙”が彼女にやめるにやめられなくさせたのだ。 そこで彼女は一気に2冊の長編小説《秧歌》と《赤地之恋》を書き上げた。 それぞれ1954年7月と10月に香港の雑誌《今日世界》に掲載した。
この二つの土地改革を反映した題材の小説は、作者が当時江蘇省北部の農村の土地改革の作業に参加した時、見聞したことを基に創作したものである。 彼女は“自序”の中でこう述べている。 “《赤地之恋》で書いたものは実在の人の本当にあった出来事です。 しかし、小説は結局小説で報道文学ではありません。 私は本当の名前と一部の地名を隠したのと、それからたくさんある小さい出来事をある程度一緒にしたり、更に取捨選択したりと構成しました。 写し出された場面はあまりにも広大で、今日の大陸の全貌を表現することはできません……でもできるかぎりその時の雰囲気を復元できたと思います。 私は、読者の方々がこの本を読んだ時、多少でも真実の生活の息吹を嗅ぐことができたらと望むだけです” また《秧歌》
の“あとがき”の中で、作者は強調して言っている。 “《秧歌》の中の人物はすべて虚構ですが、書かれている事はすべて確かな根拠があるものです” “真実”を裏付けるため、張愛玲は小説の中に、当時の《解放日報》、《人民文学》などの新聞雑誌に掲載された共産党幹部の“自己批判”や、天津の“飢餓難民救済所”、華東の“凶作状況”などの材料を引用した。
このような“真実”の原則によって、小説の中では、いくつかの社会問題、土地改革の中の“行き過ぎ”現象、幹部の“腐敗”行為などに触れた。 たとえば、《赤地之恋》は農村幹部の残酷な闘争、地主、中農さえも見逃さなかった。 人物を通じて、“古い地主はみんな清算した。しかし共産党がもう新しい大地主になってんじゃないか? その上、前よりもっと貪欲で、更に力を持ってる”、“幹部は確かに腐ったのが沢山いるし、生活もひたすら快楽を求めている”としゃべらせている。 《秧歌》では何度も農民の“習慣的に、眉をしかめたり,笑ったりする表情”に触れている。 土地改革工作隊長の農民に対する見方は、“農民か。 もともと立ち後れているんだ。 彼らの心の中がどのくらいバカか、あんたは知らないんだ。 ただ目の前の利益だけ見て、善悪がわからないんだ……木の葉が落ちても、頭を打ち破られるんではないかと心配するんだから” 土地改革に伴って、“この頃、大きい事件が起きようとしていた。 増産節約運動が“三反運動”(党・政・軍の汚職・浪費・官僚主義の三つに反対して起こされた綱紀粛正運動)に変質していき、これら機関の幹部は真っ先にその矢面にたち、誰もが不安だった” その頃、拡声器から声が流れていた。 “自白を拒否した頑固分子はもう銃殺された。 みんな早く告白せよ!”
《秧歌》が書いているのは食糧不足と貧乏である。 1人の小さい女の子が空腹でずっと泣いています。 彼女の父(金根)がやさしい声で、“お前のお母さんはもうすぐ帰って来る。 食べるものを持って来るから” 作品はこう書いている。 “子供のお母さんは上海に出稼ぎに行っている。 彼女は数ヶ月前に手紙で、仕事を辞め、戻って農作業をすると言ってきた――金根は今、田を分配されている。 土地改革後、家族はとても生活が苦く、すべて彼女の送金に頼っていた……” 農村へ行き実際の生活を体験している作家の顧岡を書いている。 食料不足のためこっそりと町へ茶たまごを買いに行き、村の入口まで歩いくると、突然“荒涼とした野原の至る所にひもじい目が見える。 卵の殻をどこに捨てるのもまずい” 一人の子供が偶然、顧岡が扉の後に隠れて卵を食べているところにぶつかってしまった。 顧岡は“卵をその子に上げないわけにいかなかった” 《秧歌》はもう一人重要な人物“王同志”を書いている。 作者は王同志の口を借りて、“俺達は失敗した”と言わせている。 王同志は積極的に融通のきかない土地政策を推進していた。 しかし決して民衆の苦しみを知らないわけではなかった。 そこには彼自身の苦しみもあった。 彼の原則は彼の盲目性と同じに強烈だった。 しかし、彼は原則と人情の両方を考え、偽りと誠実の間でバランスをとろうとした。 これは文章の中で作り上げた幹部の典型的一例である。
これらの描写と対応するような、多くの明るい場面もある。 たとえば《赤地之恋》の冒頭、土地改革工作隊が村に入り荷馬車の上に座って激しく声を張り上げ高らかに歌います。 “東方紅、太陽が上がり、中国に毛沢東が現われた……” 熱意あふれる若い人達が、胸に農民の貧しさを救う気高い感情を抱いて“乱れ荒れ果てた”原野に入ってきました。 《秧歌》の中では更に、農村の婚礼を濃密にきめ細かく描写している。 人々が花嫁に歌を歌わせる。 “花嫁の金花はついに立ちあがり、テーブルの角に斜めに寄りかかり、また体を後ろ向きにして、壁に向っていた” “冬のクラス”で習った《八路軍行進曲》を1曲歌った。 人々の“もう一曲”の喚声と拍手の中、花嫁はまた“ヘッララ、ヘッララ、空にきれいな雲が出て、道には紅花咲き乱れる。 中朝人民の力は大きく、米国兵を打ち負かす……” 喜びとにぎやかな光景が描かれている。 工作隊が人々に収穫はどうですかと訊ねると、譚おばさんが喜んで言う。 “今年は良いですよ! 貧乏人は解放されました! 今は昔とは違います! もし毛主席がいなかったら、私達には今日のようなことはありません。 革命党がもし来てくれなかったら、私達貧乏人はいつまでひどい目にあっていたかわかりません!” 作者が補足して言っている。 “譚おばさんは共産党と革命党をよく分かりません。 彼女はずっと共産党を革命党と呼び、時には国民党と呼んでました。 しかし、彼女のようなこの年齢で、この誤りは情状酌量の余地があります” 作者はこれらのシーンと人物を描写した時、内心“新鮮と喜び”の気持ちに満ちていた。 “張愛玲式”の筆遣いが随所に見られた。
土改小说写了些什么
张爱玲到香港后,供职于美国驻香港的新闻处担任英文翻译。在此期间,她除了完成用于谋生的工作任务,便想拿起她搁置了一段时间的笔。因为在苏北农村参加土改时的切身感受激励着她,新结识的“农村朋友笑声和眼泪”使她欲罢不能。于是她一口气创作了两部长篇小说《秧歌》和《赤地之恋》,分别于1954年7月和10月在香港《今日世界》杂志刊登。
这两部反映土改题材的小说,是作者根据当时参加苏北农村土地改革工作的所见所闻创作的。她在“自序”中说:“《赤地之恋》所写的是真人真事,但是小说毕竟不是报道文学,我除了把真正的人名与一部分的地名隐去,而且需要把许多小故事叠印在一起,再经过剪裁与组织。画面相当广阔,但也不能表现今日的大陆全貌……而是尽可能地复制当时的气氛。我只希望读者们看这本书的时候,能够多少嗅到一点真实的生活气息。”在《秧歌》的“跋”里,作者又强调:“《秧歌》里面的人物虽然都是虚构的,事情却都是有根有据的。”为了印证“真实”,张爱玲在小说里收集引用了当时的《解放日报》、《人民文学》等报刊上公开登载的共产党干部的“自我检讨”、天津的“饥民救济所”、华东的“饥荒状况”等材料。
这样,按照“真实”的原则,小说里即触及到一些社会问题,如土改中的“过火”现象,干部的“腐败”行为等。如《赤地之恋》写农村干部残酷斗争地主连中农也不放过;通过人物说出“老的地主清算光了,但共产党是否已经成了新的大地主了呢?而且较前更贪婪,更有势力”。“干部的确有许多已经腐化了,生活也一味追求享受”。《秧歌》多次提到农民“习惯的那种半皱眉半微笑的神情”。土改工作队长对农民的看法是:“农民嘛,本来就是落后的。他们心里有多糊涂,你都不知道,就只看见眼前的一点利益,常常不识好歹……树叶子掉下来都怕打破了头。”伴随着土改,“这时候却又酝酿着一个大风暴,增产节约运动蜕化为三反运动,这些机关的干部正是首当其冲,人人自危”。那些日子,广播喇叭里喊着:“抗拒坦白的顽固分子已经都枪毙了,大家赶快坦白! ”
《秧歌》写到饥饿和贫穷。一个小女孩饿得直哭,她父亲(金根)柔声说;“你妈就要回来了,她带东西来给吃。”作品写道:“孩子的妈在上海帮佣。她几个月前就写了信回来,说她要辞工回来种田——金根现在分到田了。自从土改以后,当时家里人就很苦,全靠她在外面寄钱回来……”写下乡体验生活的作家顾冈,因为饥饿偷偷去镇上买茶叶蛋,走到村口,突然发现“荒凉零乱的野地到处伸出了饥饿的眼睛,蛋壳搁哪儿都不合适”;一小孩无意中撞见顾冈躲在门后吃鸡蛋,顾冈“不得不把鸡蛋献出来”。《秧歌》还写了一个重要人物“王同志”,作者借王同志之口说“我们失败了”。王同志积极推行僵硬的土地政策,但并非不晓得民间疾苦:那里面就有他自己的痛苦;他的原则性跟他的盲目性一样强烈,但他又想在原则和人情两方面,在虚伪和真诚之间搞平衡。这是所塑造的干部典型之一。
与这些描写相对应的,还有许多属于光明的场景。如《赤地之恋》开头,土改工作队进村坐在大车上激情高唱着:“东方红,太阳升,中国出了个毛泽东……”一批热情洋溢的年轻人,怀抱拯救农民贫穷的豪情开进“零乱荒芜”的原野。《秧歌》里还浓重而细腻地描写了农村的一场婚礼:人们让新娘子唱歌,“新娘子金花终于站了起来,斜倚在桌子角上,又把身子背过去,面对着墙”,唱了一首在“冬学班”上新学的《八路军进行曲》;在人们“再来一个”的喊声和掌声中,新娘子又唱起了“嘿啦啦嘿啦啦,天空出彩霞呀,地上开红花呀,中朝人民力量大,打败了美国兵呀……”一团欢乐热闹的景象。工作队问起老百姓收成怎么样,谭大娘高兴地说:“现在好呢!穷人翻身喽!现在跟从前两样喽!要不是毛主席,我们哪有今天呀?要不是革命党来了,我们穷人受罪不知道到哪年啊!”作者补充道:“谭大娘把共产党与革命党有点搞不清楚,她一直称共产党为革命党,有时候甚至于称国民党。但是在她这年龄,这错误似乎情有可原。”作者在描绘这些场景和人物的时候,内心充满了“新鲜和欣喜”之情,“张爱玲式”的笔触随处可见。





























































